RAPT | RAPTブログ読者の証言〈VOL.3〉 3.11の被曝回避のために大金をかけて岡山に移住し、余計に心身ともに破壊された40代女性。
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RAPTブログ読者の証言〈VOL.3〉 3.11の被曝回避のために大金をかけて岡山に移住し、余計に心身ともに破壊された40代女性。

RAPTブログ読者の証言〈VOL.3〉 3.11の被曝回避のために大金をかけて岡山に移住し、余計に心身ともに破壊された40代女性。


 
本来なら、今日は一般記事をアップする予定でしたが、諸事情により一般記事はお休みし、「RAPTブログ読者の証言」シリーズをアップすることにいたします。
 
今回は、このブログでも大きな話題となった「東日本大震災」で被爆したと信じ込み、被災者支援団体のバックアップによって「東京」から「岡山」に避難した方の証言です。
 
これまでこのブログでは、「原発も原爆も存在しない」シリーズを半年以上かけて展開してきましたが、今回の証言はまさに「論より証拠」とも言えるもので、実際にこの世に「放射能」が存在していないということを、身をもって体験した方の証言だと言えます。
 
未だにこの世の多くの人々が「原発」や「放射能」が存在していると思い込み、恐怖と不安の中で生きていますが、はっきり言って、この世には「原発」も「原爆」も存在していません。
 
これについては、長くこのブログを読んできた方にとっては既に常識になっている話だと思いますが、つい最近このブログに来られた方、また初めて来られた方にとっては、まさに寝耳に水と言ってもいいような、眉に唾を付けたくなる話だと思います。
 
人によっては、こんな話をされたとたん、怒り狂うか、鼻で笑うかしてしまうに違いありません。
 
しかし、本当にこの世には「原発」も「原爆」も「放射能」も存在していません。
 
それが厳然たる事実です。
 
つまり、日本政府は我々庶民にこれまで何十年に渡って「放射能は存在し、とても危険である」と嘘をつき、「原発利権」なるものを作り上げて、一部の人々(つまり天皇家一族)の私服を肥やすように仕向けてきたわけです。
 
これについては、このページの最後に掲載した「原発も原爆も存在しない」シリーズを一通り読んでいただければ、すぐにご理解いただけることと思います。
 
なので、興味のある方は一通りこの「原発も原爆も存在しない」シリーズをご一読いただければと思います。
 
ということで、「3.11」による被爆を避けて岡山に移住した方が、どれほど悲惨な体験をされ、どれほどの絶望を味わってきたのか、そしてこのRAPTブログによってどのように立ち直り、どれほど幸せな人生を送れるようになったのか、貴重な体験談をとくとご覧下さい。
 
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2011年3月11日、東日本大震災により、期せずして、大変多くの人たちが命を失いました。
 
そして、福島第一原発事故が起こりました。
 
その当時、関東地方は福島第一原発の風下にあり、放射性物質による甚大な汚染があるとする情報が溢れました。
 
5月に出産を控え、また幼い長男もいた私は、被爆による子どもへの影響を考え、とてつもない恐怖に襲われていました。
 
そして、来る日も来る日も放射能についての情報を集めていました。
 
その頃私が見ていたのは、ベネッセが運営する「ウィメンズパーク」というサイトです。
 
そこには、「一歳児ママの部屋」「小学校低学年ママの部屋」「不登校児を育てるママの部屋」「介護について話そう」「家族についての悩み事」…etc.etc.たくさんのアクセスページがあり、女性のほとんど全ての関心事が詰まっているようで、眺めているだけで色々な情報を得ることが出来ました。
 
当時、そこに、「震災の部屋」というアクセスページ(正確な名称ではなく「震災、地震について話そう」とか、そういった類の名称です)があったのです(※今はありません)。
 
そのページでは、放射性物質についての色々な情報が集まっていました。食べ物や水をどこで手に入れているか、どうしたら放射性物質を避けられるかなどの情報交換が行われていました。
 
その中で、311は人工地震ではないか、という陰謀論をうったえる情報もありました。
 
その「震災の部屋」のページで、避難、移住をすすめる意見も出ていて、また「母子疎開ネットワークhahako」という、避難・移住のための情報を提供するサイトがあることを知りました。
 
毎日が不安と恐怖、悩みでいっぱいでした。夜寝ている間も、家の中に放射性物質が舞っていて、子どもやお腹の子が被爆し続けているのではないかと思うと、ちっとも気が休まりませんでした。
 
「母子疎開ネットワークhahako」に出ている避難先にいくつか連絡を取ってみましたが、返信が返ってこなかったり、また福島の人しか受け入れをしていない、という返事であったりと、避難先は見つかりませんでした。
 
夫と話し合って避難はせず、当初からかかっていた病院で出産することにしました。そして、心配していた大きな地震もなく、出産は無事に終わりました。
 
その頃は、ウォーターサーバーの会社と契約して水を買い、食べ物は関東、東北のものは避け、西日本の食材ばかりを買っていました。
 
また、震災前のお米がネットで大人気で、少し高い値段で売られていました。私も震災前のお米を買ったり、また震災前製造と思われるワカメや昆布、調味料を買いだめしたりしていました。
 
洗濯物や布団は311以降、ずっと部屋の中で干していました。
 
2歳だった長男の遊ぶ場所は、なるべく、子育て支援センターや、屋内で遊べる施設にしていました。
 
そしてロシア製のガイガーカウンター(三万円)を買い、毎日家の中の線量を図っては、安堵したり恐怖に怯えたりしていました。
 
ガイガーカウンターは作りがとてもチャチなもので、本当にこれが3万円もする価値があるのだろうかという容貌でした。
 
おまけに電化製品の電磁波も拾うことがあるらしく、本当に測れているのだろうかという不安がいつもありました。
 
その当時、「ウィメンズパーク」の中の『震災の部屋』、また「母子疎開ネットワークhahako」の掲示板をちょくちょく見ていました。
 
『震災の部屋』で、「チェルノブイリへのかけはし」「ベラルーシの部屋」などの被爆について色々書いてあるサイトがあること、また山本太郎氏が北海道への避難を勧めていることを知りました。
 
とても母子で避難・移住するなんて無理だと思っていましたが、『震災の部屋』で避難・移住を勧める内容の投稿を読んだり、また「母子疎開ネットワークhahako」の掲示板で、実際に沖縄などに避難しているお母さんの暮らし方を読んでいると、避難しないと、被爆したことによって、将来子どもが病気で苦しむのではないだろうか、親としては子どもの命、健康を守ることを何より優先しなくてはいけないのではないだろうか…という気持ちが強くなっていきました。
 
また、『チェルノブイリへのかけはし』というサイトで、代表の野呂美加という人が、EMの飲料、中でもEMXゴールドというものを飲むことを勧めていることを知りました。
 
放射性物質を無害なものにするというのです。チェルノブイリやベラルーシへも持って行っていき、それを飲んで健康になった人がいるということが書いてありました。(しかし、現在は、『チェルノブイリへのかけはし』のサイトから、EMについての記事が削除されています。)
 
この飲料は、500mlで5000円くらいするものです。わらをもすがる思いで、私はせっせと買っていました。
 
また、農業用に使われるEM液を発酵させて、希釈したものを、空気中に撒くと放射能を無害化するというのを信じて、必死で毎日部屋中に撒いていました。
 
また、毎日、床を使い捨てのお掃除シートで水拭きしていました。武田邦彦氏が、ブログで、拭き掃除をすると放射性物質を完全にではなくても取り除くことができ、線量が低くなると書いていたからです。
 
でも、うちの自宅の線量は、全く変化はありませんでした。ちなみに、RADEX1503というガイガーカウンターだったのですが、線量はいつも0.12~0.17くらいありました(数値としては高い方だと思います)。
 
食べ物や飲み水を西日本のものにして、EMの飲料を飲んで、何か健康に良さそうなことをしていれば、なんとかなるのではないか…と思っていた時、ウィメンズパークの「震災の部屋」で、木下黄太という日本テレビのジャーナリストが、日本各地の土壌の、放射性物質による汚染の度合いを調査しているという情報を見つけました。
 
そして、その結果が、8月8日に発表されると書いてありました。
 
移住したほうがいいのではないかという気持ちを捨てきれていなかった私は、その土壌調査の結果を見て、どうするか決めようと思いました。
 
そして、8月8日、その結果が、木下黄太氏のブログに掲載されました
 
http://blog.goo.ne.jp/nagaikenji20070927/e/96efbe3938f5412586fcabb1334ad92b)。
 
正直なところ、私が心配していたほど、汚染されていない印象でした。
 
しかし、この記事の締めくくりの文章、
 
『数百メートル違いで汚染に大きく差が出ている場所があります。この数字が=その地域の汚染ではありません。五百メートルメッシュで全域に土壌調査をするべきです。はっきり分かるのは、首都圏は放射性物質にかなり汚染されているということです。
まだらに汚染されている現実。高濃度と低濃度の汚染が共存しています。極めて危険だと思います。ある程度被曝しているエリア(首都圏も入ります)の人、特に子ども、妊婦、妊娠可能な女性は、被曝線量の低い場所に退避すべきだと僕は思います。優先順位は「避難する」ことです。僕はそれしか言う事ありません。慢性的に被曝することは避けるべきですから、できる限り早く退避することをすすめます。 』
 
に、とてもショックを受けてしまいました。
 
また、生活をしていれば、いつも同じ場所で過ごすということもなく、色々な場所にいくことになるだろう、いわゆるホットスポットといわれるところにだって、子どもが大きくなれば何かの用事で行くかもしれない…。
 
それに風が吹けば、空気中に舞っていると言われている放射性物質がホットスポットから飛んできて吸い込むかもしれないし、雨が降ればいつも濡れないように生活しなくてはならない。
 
幼稚園や学校に行くようになったらプールの水には雨水も入る…。
 
私たちが食べなくたって、ゴミには福島やホットスポットと言われる地域で作られた食べ物が混じっているし、ゴミを燃せば空気中に放射性物質が舞うだろう…
 
などなど、などなど、色々な想像が頭を駆け巡って、ここにこのまま住んでいたら、将来、一体どうなるのだろうと不安が押し寄せました。
 
そして、私の体調は悪くなってしまったのです。
 
出産後、間もなくて体調が整わない事、そしてまた、毎日が、放射性物質による被爆への恐怖でいっぱいだったこと、また被爆についての情報をどんどん頭に取り込んでいったこと…色々な要因が重なっていたと思います。
 
そして、リウマチのような症状が出てしまいました。
 
それは鍼治療をしてなんとか落ち着いたのですが、私の中では、ここにずっとは住めない、そのような思いが強くなっていきました。
 
周囲には放射性物質による被爆について、話せる人は誰もいませんでした。
 
なぜだか、福島の食べ物を避けていると表立って話すママ友はいませんでした。
 
でも本当に親しい友人たちに聞いてみると、水を買っていたり、西日本の食材だけを買っていたりと、やはり被爆対策のようなことをしている人ばかりでした。
 
しかし、移住まで考えている人はいませんでした。
 
私は「母子疎開ネットワークhahako」サイトを毎日のように見て、そして、疎開先に問い合わせしたりしていました。
 
中でも北海道のグループが、母子避難者にとても親切そうで、心が傾いていました。
 
また、木下黄太氏に電話相談できると言うことを知り、メールで申し込みをしました。
 
電話での木下氏は、とても親切で感じの良い印象でした。
 
当時私が住んでいた地域は、東京の西部でした。共産党が都内各地の放射線量測定結果を発表していたのですが、比較的低濃度、汚染が少ないと言われていた地域です。
 
しかし「低線量被爆が恐ろしい」などというサイトもありましたから、長く住んだ場合、果たして子ども達の健康を守れるだろうかと、私はとても心配でした。
 
話した内容で覚えているのは、私たち家族が住んでいる場所は、チェルノブイリ事故後のフランスと同じくらいの汚染か、それ以上で、今後、福島第一原発からの放射性物質の放出が収まり、何年かすれば、汚染も半減期によって減っていき、住めるようになるかもしれないということです(木下氏によれば、チェルノブイリ事故による汚染は、ヨーロッパの中ではフランスは軽微な方だということでした)。
 
なので、汚染が軽微になっていくまで、一時的にでも避難、移住してみようかという気持ちになりました。
 
私が北海道の疎開先に問い合わせをしていることを話したところ、福島からの風向きが北海道に向かうことが少なくないため、西日本にしたらどうかと勧められました。
 
確かに、偏西風のことを考えるとその通りだ、と私も思いなおし、北海道へ避難するのはやめて、改めて西日本に避難することを考え始めました。
 
そして「母子疎開ネットワークhahako」をくまなくチェックしては、京都や和歌山の避難先を見つけ、電話相談したりしていました。
 
そしてある時、「母子疎開ネットワークhahako」を見ていたところ、オフ会が開かれることを知りました。
 
被爆について、懸念していて、移住についても検討しているお母さん達と会える、と、日ごろから誰かとそのことについて話したかった私は、迷わず申し込みをしました。
 
そこで、あるご夫婦と話をしたところ、そのご夫婦は、今後、岡山に避難することに決めている、ということを聞きました。
 
そのご夫婦は、すでに一度岡山に下見に行ったことがあり、岡山の印象がとても良く、住みやすそうだった、と話していました。
 
その時に、「おいでんせぇ岡山」という団体が、東日本大震災の被災者の避難・移住の受け入れをボランティアでしていることも教えてもらいました。
 
なんでも、シェアハウスがあり、この団体に連絡をすれば宿泊の予約をすることができ、他の避難者とも交流を持つこともできるし、下見しやすいのではないかとのことでした。
 
木下氏に西日本をすすめられ、また岡山の情報をもらったことで、私は心が岡山に傾き、早速「おいでんせぇ岡山」のホームページを検索し、問い合わせをしました。
 
そして、移住するかは別として、とにかく、下見に行ってみようと思ったのです。
 
問い合わせをしたところ、岡山県の和気町というところに、シェアハウスがあり、そこに滞在できるということでした。
 
その時、問い合わせの担当のスタッフの人から、予約がたくさん入っていること、そして、はっきりと「移住」という気持ちがある人を優先的に受け付けていることを言われました。
 
「移住する気持ちはありますか?」と聞かれたのを覚えています。
 
こちらに来れば、家賃が安い物件はたくさんあるし、野菜を自給自足しながら暮らすなら、それほどお金はかからないはずだから…という話もありました。
 
その頃、「ウィメンズパーク」の『震災の部屋』で、東京で10月から、福島など被災地の瓦礫を処分することになったことを知りました。
 
それを燃やすなりなんなり、処理したら、今よりももっともっと、自分たちが住んでいる地域の汚染がすすむのではないだろうか…と、恐怖が増し加わり、ますます避難、移住への気持ちが高まっていきました。
 
そして、9月に、幼い子ども二人を連れて、私は母子で和気町のシェアハウスに滞在しました。
 
そのシェアハウスは、日本基督教団の教会と、おいでんせぇ岡山とが協力して開設したものなのだそうです。
 
もともとは、その教会の牧師さんが、教会の向かいの古民家を借り受け、自分自身と向き合いたい人のためのリトリート・スペースとして利用していたものを、東日本大震災の被災者のために活用したいと考え、おいでんせぇ岡山に声をかけられたところから計画がスタートしたとのことでした。
 
シェアハウスは、1か月単位くらいで、次から次へと予約が入っており、色々な家族が、ほとんどが母子で下見に来ていました。
 
そこで一緒に過ごした数組の母子は、移住するため、物件を探していました。
 
そのシェアハウスで新たに色々な情報を得たり、また10月から東京都で被災地の汚染された瓦礫を燃やすということが私の心から離れず、もう住んでいたところに帰るのがとても恐ろしくなってしまいました。
 
放射性物質に汚染されたものを燃やすことにより、空気中に汚染がばらまかれると、「チェルノブイリへのかけはし」の野呂美加氏が書いていたからです。
 
空気も、水も汚染されたところに、住むことは出来ないと木下黄太氏も書いていました。
 
また、放射性物質は半減期が何万年もあるものもあるというのです。私は、夫と電話で相談して、アパートを探すことにしました。
 
おいでんせぇ岡山のスタッフが、私たちに物件を紹介してくれたり、また、中古の電化製品や家具などを集めて、提供してくれるシステムを作ってくださっていました。
 
おいでんせぇ岡山のその当時の代表の方は、吉備津彦神社の神主さんでした。
 
色々な場面で、おいでんせぇ岡山のスタッフの人たちがシェアハウスに来ていましたが、被爆によって傷ついた体を健康にすると言うことで、栃木の湧き水からとった酵素を紹介されたり、またホーリーバジルティというお茶を紹介されたりしました。
 
私は関東から避難したのに、栃木の湧き水の酵素を買う気にはなれず、また、正直、疑問に思いました。避難、移住する予定で、夫と離れて、二重生活をするためにお金がこれからたくさんかかる私たち母子に、商品を次々と紹介することに対し、何か善意を感じられませんでした。
 
周りの母子避難者で、アロマテラピーの勉強会に参加を誘われたり、サプリも勧められて買っていた人もいます。
 
また、当のおいでんせぇ岡山のスタッフと少し話をしてみると、スタッフは放射性物質を避けようと、食事などには気を使っていないようでした。はっきり、全然気を使っていない、と私に話した人もいます。
 
福島から遠く離れた岡山だから、原発事故について意識が低いのかとも思いました。
 
でも、私たちには避難、移住を勧め、被爆した体を修復するなどと、商品を紹介するのです。
 
非常に矛盾を感じざるを得ませんでした。
 
でも、おいでんせぇ岡山の皆さんが、ボランティアでシェアハウスをつくってくださったこと、移住のための物件を探して案内してくれたり、中古の家電製品などを集めてくださっていることなどは、なかなか出来ない事ではないだろうかと思いなおし、あまりその部分に集中して考えることをしませんでした。
 
おいでんせぇ岡山の人たちの話を聞いたり、物件などの相談にのっていただいたりしているうちに、おいでんせぇ岡山のスタッフ全員ではありませんが、メインのスタッフの方たちは輪廻転生を信じており、また「ひふみ神示」を大切に思っていることがだんだん伝わってきました。
 
その当時の私は、あまり関心がありませんでしたが、そのような仏教的な考えを持つ人たちと、教会の牧師さんが、一緒にシェアハウスをつくることになったことを不思議に感じました。
 
その後、和気町にアパートを借り、4年ほど、そこで母子での生活をすることになります。
 
放射性物質に汚染されたとされる地域から避難して、きっと健康に、毎日を過ごせるだろうと思っていた私の考えとは反して、避難生活は健康とはかけ離れたものでした。
 
特に、避難してからの最初の半年くらい、私は体力が相当落ちてしまい、立っているのがやっとのこともありました。
 
2012年の夏くらいから、だんだんと体力が戻ってきましたが、子ども達も、風邪ばかりひいて、特に長男はいつも咳や鼻水など、呼吸器のトラブルがありました。
 
そのように健康上のトラブルがあると、私はいつも、被爆したせいだと考え、悩み苦しんでいました。
 
2011年3月に東京にいたままで、どこにも避難しなかったことを心底後悔し、長男、そして当時お腹にいた子に、大量に初期被爆させてしまったことを思い、これからどうなるのだろうと不安ばかりを胸に抱いていました。
 
被爆による影響は、現代の医学では対応できないなどという情報を読んで、自然療法へ気持ちが傾倒していきました。
 
また2012年春には、長男が自閉症との診断を受け、私の悩み苦しみが更に更に、増していきました。
 
長男のことも、西洋医学ではなくて自然療法的な療法はないものかと探したりしていました。
 
その頃の私がしていた「自然療法」的なものは、EM飲料を飲む、ホーリーバジルティを飲む、ホメオパシー、姫川薬石をお風呂に入れて入る、重金属を出すと言われるクレイを食べる、などです。
 
また、自然農法の野菜を宅配したり、水も買っていました。
 
また、「チェルノブイリへのかけはし」の野呂美加さんが、そのサイトに、『卵と牛乳のような次世代の子孫につながるものには、放射性物質が濃縮される。
 
だから、絶対に食べない方が良い』と書いていたのを信じ、卵と牛乳をずっと避けていました。
 
そして肉や魚も、その餌が気になって仕方がなく、ニュージーランドの魚、インドネシアの海老、などとものすごく偏った食生活をしていました。
 
ほとんど、ベジタリアンのような食生活でした。
 
そんな食生活でも子ども達は元気でしたが、私と言えば、いつも異常なほど疲労困憊、寝ても寝ても疲れが取れないし、エネルギーが少しも湧かず、本当に子ども達が大きくなるまで、守ってあげられるのだろうか…などと考える日々でした。
 
毎日の中で、一番の関心事は放射性物質でした。それを避けること、そればかりをしていました。
 
とにかく子どもの命、健康を守ってあげたい、そればっかりでした。
 
福島第一原発からの放射性物質の放出がこのまま収まらず、日本が汚染されていくなら、海外に行こうかとも考えていました。
 
「母子疎開ネットワークhahako」には、海外への避難・移住先の紹介もありました。その掲示板もいつもチェックしていましたし、ツイッターで、バリに避難・移住を支援する団体があることを知って、何度も問い合わせをしたりもしました。
 
フィリピンへ英語留学を勧める人もいましたし、マレーシアに避難・移住する支援を行っている人もいました。色々な人にコンタクトを取りました。
 
でも、息子が障害児であり、海外に行ったら、必要な支援が受けられないことは明らかで、海外避難への未練は残しながらも、結局行動には移すことが出来ませんでした。
 
私は、避難、移住したことが本当に健康を守ることになっているのか、時々疑問に思うことがありました。
 
私が子ども達と遊びに行く地元の支援センターで出会う地元の人たちは、放射能のことなんて、全く関心がありませんでした。
 
農薬や、化学物質についても、ほとんどそれほど気にしていませんでした。
 
でも、肩こりとか、子どもを抱っこして腰が痛いとか、子どもの夜泣きで寝不足とかいうことはあっても、私のように異常なほど疲労困憊している人はいなかったのです。
 
また、和気町に避難、移住している母子の中に、海外に下見にいった人がいました。
 
その人は、関東に住んでいたわけではなく、大阪で被災地の瓦礫が焼却されることになったために、大阪から和気町に避難してきたとのことでした。
 
311の時に関東にいなかったわけですから、初期被爆もしていないはずで、でも瓦礫焼却を懸念するくらい、放射能について知識があり、放射性物質を避けることに敏感で熱心だったのです。
 
その方は、もともと、重い病気を持っていたのですが、ある時からだんだん悪化してしまい、とうとう入院することになってしまいました。
 
そして、納得のいく治療先に転院したりしていたそうですが、最後はとうとう、命を落としてしまったのです。
 
私は驚きを隠せませんでした。
 
私たち家族のように、大量の初期被爆をしておらず、汚染された水道水でお風呂に入ったり洗濯をしたりしなくていい地域に住んでいて、海外にまで下見に行き、また瓦礫焼却を敏感に避けて避難したのに、病気が悪化するなんて、想像もつかない事でした。
 
一体、何が原因なのだろう、一時期大阪に帰っていたから、瓦礫焼却の影響で被爆してしまって、病気が悪くなったのだろうか…などと考えていました。
 
さらに、私と同じくらいの時期に避難、移住していたお母さんが、重い病気になってしまったことがわかりました。
 
その方は、岡山で入院していましたが、母子での避難・移住生活を続けることが困難になり、関東に戻られました。
 
その時に、旦那様や姉妹の方にお会いしたのですが、その様子を見て、私は考えざるを得ませんでした。
 
旦那様や姉妹の方は、ずっと関東にいて、特に姉妹の方は、食事もそれほど気を使わずに生活していたそうなのです。
 
でも、明らかに元気なのです。
 
そして、命を守るため、健康を守るためと、意を決して、無理をして母子で移住したそのお母さんは、重い病気になってしまった。
 
私は、だんだんと、避難・移住生活を続けることが本当にいいことなのか、だんだんわからなくなってきてしまいました。
 
そのお母さんが関東に戻るか戻らないかの頃、今度は私が倒れてしまいました。
 
最初は軽い咳でした。
 
しかし、咳がいつまでも止まらないのです。
 
そのうち風邪症状が現れましたが、異常なほど、耐えられないくらいの頭痛が続き、また恐ろしいくらいの痰がでてきて、横にもなっていられませんでした。
 
必要最低限の家事、育児以外は、私は壁に背をつけて座り、うとうとと目をつぶって休む日々が、なんと1か月くらい続きました。
 
西洋医学がどうしても信用出来ず、自然療法で治そうとしていました。
 
またなんとしてでも避難・移住生活を続けて、子ども達を被爆から守りたいと願っていました。
 
近所の避難・移住したお母さん達が、私を助けてくれ、子どもを預かってくれたり、幼稚園に送ってくれたりしていました。
 
風邪のような症状なのに、熱が出来らずに低いまま終わってしまっていて、ものすごい頭痛が続き、本当に辛い日々でした。
 
体調不良が一か月と少し続きましたが、私はなんとか元気を取り戻すことが出来ました。しかし低体温気味で、また副鼻腔炎の症状が残っていました。
 
副鼻腔炎の症状に対する自然療法を探していたところ、「なた豆茶」が良いという情報を得て、ネットで購入してみたのです。
 
その「なた豆茶」を飲み始めたところ、本当に不思議なことが起こりました。副鼻腔炎は治らないのですが、体がとても軽くなったのです。
 
肩こりがすっかりなくなり、エネルギーが満ち溢れてきました。
 
まるで、栄養ドリンクのようだ!と感動した私は、周りの何人もの友人に、とても良いお茶を見つけたからぜひ試してほしいと勧めました。
 
でも、不思議なことに、私ほどに、肩こりがとれたとか、体が軽くなったという感想はもらえませんでした。
 
しかし、私はお茶にすっかり魅了されてしまい、他にも素晴らしいお茶があるのではないかと思って、また、重い病気を患って関東に帰った友人に何か良いお茶を、とも思って、お茶について、色々と調べ始めたのです。
 
色々な、聞いたこともないお茶がたくさんありました。
 
何故か、どうしても、どうしても、「タヒボ茶」というものに心が惹かれるのです。
 
これを買ってみよう、そう思いました。
 
もちろん、西日本の会社、関東・東北でお茶を加工していないもの…なんていう基準で、探し始めたのです。
 
そうしましたら、あるタヒボ茶のレビューに、「RAPTさんおすすめ」「RAPTさんのブログで紹介されていた」といった文章がたくさん見つかりました。
 
私は、きっとこのRAPTさんという人が書いているブログには、健康情報がたくさんあるのだろう、もしかしたら、もっといいものが見つかるかも…と思って、『RAPT ブログ』で検索をかけました。
 
2016年1月のことです。
 
そして、画面に出てきた記事のタイトルは…「原発も原爆も存在しない」だったのです。
 
RAPT×読者対談〈第56弾〉原発も原爆も存在しない。(前編)
 
RAPT×読者対談〈第57弾〉原発も原爆も存在しない。(後編)
 
私は目を疑いました。何度も何度もその文字を読み、夢中で記事を読みました。
 
記事の内容は、偏りが感じられない、中立的なものに思えました。
 
でもあまりの衝撃に、半信半疑でした。
 
私は来る日も来る日も、もしかしたら記事を撤回しているかも、なんて、考えながら、RAPTさんのブログを読み漁りました。
 
そして、悪魔崇拝のことを知り、「神様対悪魔」という構図を知ったら、何もかも、ストンと腑に落ちたのです。
 
原発、原爆がないなんて…と半信半疑だったのに、悪魔崇拝者が、これだけのことを今までやってきたのなら、原発と原爆がなく、大きな詐欺だというのは本当だろうと思ったのです。
 
また、それまで原発について、色々疑問に思っていたことが、RAPTさんのブログを読んで、心底納得ができたのです。
 
広島、長崎に原爆が落とされ、まだ半減期が終わっていないはずなのに、人が普通に生活していること、観光地として、世界中から人が訪れていること。
 
チェルノブイリでは奇形の人についての写真が本当にたくさん出回っているのに、広島や長崎ではほとんど出回っていないこと、福島から風下で放射能汚染されていると言われている関東に、政治家や天皇が普通に暮らし続けていること、特に、避難を勧めていた山本太郎氏が相変わらず東京にいること…。
 
避難して健康になるはずだったお母さんが亡くなり、また移住したお母さんが重い病気になり、関東に残っていたご家族は元気なこと。
 
他にも、細かいことならたくさんたくさん、疑問がありましたが、RAPTさんのブログを読み、原発、原爆が巨大な詐欺だとすれば、それらの疑問の原因がわかり、納得がいくのです。
 
また、RAPTさんの記事「RAPT×読者対談 95弾 出雲族が秦氏を破り、ジョン・タイターの地図を実現しつつある現状」を読み、岡山の移住支援団体への疑問が思い出され、ますます、原発、原爆がないこと、詐欺であるとの思いが強くなりました。
 
RAPT×読者対談〈第95弾〉出雲族が秦氏を破り、ジョン・タイターの地図を実現しつつある現状。
 
考えてみたら、私が最初に移住のための情報を得たのは、岡山に本社があるベネッセのウィメンズパークなのです。
 
また、移住を勧める木下黄太氏は、そのブログや講演会でも、あからさまではありませんでしたが、暗に岡山を移住先として勧めるようなことを言ったり書いたりしていたのです。
 
RAPTさんのブログには、希望がありました。
 
一般記事で、原発・原爆がなく、詐欺であることが矛盾なく証明されていて、私の心に希望と安堵が与えられました。
 
イルミナティが反キリストであること、この世の歴史がすべて「神様対悪魔」の視点で、聖書からの視点で解くことが出来ることに驚き、納得しました。
 
RAPTさんがクリスチャンであることや聖書に対して、最初は抵抗がありましたが、ブログの記事を読めば読むほど、あまりにその通りで、整合性があり、ごまかしがなく、そしてRAPTさんの真摯な気持ち、善を愛する気持ち、世の中が本当に善なるものに変わることを望む気持ちが伝わってきて、信頼するしかありませんでした。
 
また、イルミナティの悪事に対して、どのように戦っていったらいいのか、その答えまで書いてあったのです!
 
どれほどの希望でしょうか。
 
私は、主に出会えたことに心から感動しました。
 
主が、神様が、100%、完璧な善であるお方がいらしたことに大感動しました。
 
そのような素晴らしいお方が、RAPTさんを導かれていたのです。
 
神様が、公正公義な裁きをする方であること、悪よりもはるかに強く、次元が上であること…そんな大いなる存在が、本当にいらっしゃることがRAPTさんのブログによって、わかったのです。
 
その神様のために生きること、少しも悪が混じらない、100%、善である神様のために生きることがどれだけの希望と喜びでしょうか。
 
単なる概念ではなく、理想論でなく、それを実際の生活で、行う方法が、有料記事に出ています!
 
一人でも多くの人が、RAPTさんの有料記事に出会うことを心から祈ります。
 
2月に、神様への信仰が与えられました。
 
私は放射能のこと以外にも、自閉症の息子のことでとても悩み、日々苦しんでいました。息子のことについて、神様に、どうしたらいいかわからない、助けてほしいと祈っていました。
 
そうしたら、ある日の朝、誰かがそばにいるような感じがしたのです。
 
ものすごくあたたかくて、明るくて、言葉では表現することが難しい、何かがそばにはっきりと感じられるのです。
 
生まれて初めて経験することでした。
 
そして、私の胸から、こんこんと、静かな喜びというか、嬉しさというか、…なんと表現すればいいかわかりませんが、本当にこんこんと、その感情と言うか、エネルギーというか、何かが湧き出てくるのです!
 
私は、神様だと思いました。
 
そして、その時、信仰というのは、何か難しい教義を読んで覚えて信じることじゃないんだ、と思いました。
 
神様と一緒にいることなんだ!
 
神様は生きておられるんだ、と驚き、感動と嬉しさでいっぱいになってしまいました。
 
放射性物質への恐怖は、一気にではありませんが、だんだんと消えていきました。
 
そして、なた豆茶を飲むことも、タヒボ茶を飲むことも、いつしか忘れてしまいました。
 
飲むのを忘れても、体が軽いのです。
 
肩こりもなくて、若い頃よりも、はるかに元気に満ちて、エネルギーが充満している感じなのです。
 
放射性物質を恐れている時は、食事がちっとも楽しくありませんでした。
 
子ども達に、あれはダメ、これもダメ…毒が入っているからと、恐怖を植え付けていました。
 
でも、今スーパーに行って、陳列棚を見て、「何を食べてもいいんだ」と思うと、感動して涙が出てきてしまいます。
 
スーパーで、子ども達と、好きなおやつを選んで、一緒にフードコートで食べていると、あまりの幸せに感動してしまいます。
 
たった100円のおやつでも、本当にありがたく、おいしく感じます。
 
産地なんて全く気にしなくなり、オーガニックへのこだわりも全くなくなり、感謝して日々の食事をいただいています。
 
数か月前に、健康診断を受けましたが、「この年齢にはないくらい、検査結果の数値が良い」と言われました。
 
そして、私は以前は低体温だったのです。
 
35.3~35.6度とか、当たり前でした。
 
風邪を引いても高熱が出せず、だらだらと辛い期間が続いていました。
 
でも、平熱が36.6度前後に上がりました。
 
また、2016年の春は花粉症の症状がひどく、目を開けているのが辛いくらいだったのですが、お祈りを続けていたら、2日くらいで症状がすっかりおさまってしまいました。
 
私が様々な自然療法をしていたにも関わらず、体力がどんどん落ちて、ひどい疲労感に悩まされていたのは、神様の御心から全くはずれた生き方をしていたこと、自然治癒力という神様以外の偶像により頼んでいたことに原因があることがよくわかりました。
 
RAPTさんのブログ記事、「RAPT×読者対談(第87弾)過剰な健康・環境ブームも悪魔崇拝から始まった詐欺目的のデタラメ話。」を読むと、気持ちが晴れ晴れとしました。
 
RAPT×読者対談〈第87弾〉過剰な健康・環境ブームも悪魔崇拝から始まった詐欺目的のデタラメ話。
 
衣類や靴についても、いちいち西日本のお店かどうか確認して買っていたのですが、そんなことは全く気にしなくなり、調査に時間を費やすこともなくなりました。
 
この避難・移住に際して、放射性物質に汚染されているからと、車のタイヤをごっそり変えたり、電化製品を全部買い替えたり、衣類も靴も全部捨てたり…本当に無駄なことをしました。
 
夫が来るたびに、関東で放射能に汚染されているからと岡山に着いたらすぐに温泉に行ってもらい、また、衣類も岡山専用のものに着替えてもらったりしていたのです。
 
避難、移住生活を続けるにあたって、少なくとも300万くらいは使っていると思います。
 
食費は、本当に高かったので、毎月貯金がどんどん減っていきました。
 
今は、近所のスーパーで本当に気兼ねなく、感謝して買い物が出来るので、買い物の度に、RAPTさんのブログに出会えたこと、主のお導きに感動してしまいます。
 
放射能については、一般記事によって恐怖から完全に開放されました。
  
そして息子についての悩み、苦しみは、有料記事によって、捉え方が変わってきました。
 
RAPTさんの有料記事を読む前のその頃の私の心に一番響いたのは、「本当の自由とは。本当の幸福とは。悪魔の作った偽物の宗教に騙されないために幾つか知っておくべきこと。」の中の、以下の部分です。
 
本当の自由とは。本当の幸福とは。悪魔の作った偽物の宗教に騙されないために幾つか知っておくべきこと。
 
『宗教を信じる目的は、奇跡を起こすことではありません。幸福になることでもありません。まして、自分の願いを叶えることでもなければ、自分の悩みを解消することでもありません。はっきり言って、自分の徳を高めさえすれば、自然と幸福になれるし、自然と自分の願いも叶えられるし、自然と自分の悩みも解消することができます。しかし、人々はそこのところがよく分かっていません。そのため、先ず最初に幸福を手に入れようとし、欲望を満たそうとし、悩みを解消しようとしますが、そんなことだから、いつまで経ってもかえって何も得られずに苦しみつづけることになるのです。』
 
この部分を読んで、放射能のこと、また息子のことだけでなく、今までの私の生き方が、『先ず最初に幸福を手に入れようとし、欲望を満たそうとし、悩みを解消しようとしますが、そんなことだから、いつまで経ってもかえって何も得られずに苦しみつづけることになるのです。』と同じだな、と思いました。
 
そして、『自分の徳を高めさえすれば、自然と幸福になれるし、自然と自分の願いも叶えられるし、自然と自分の悩みも解消することができます』というところに、非常に興味が湧き、惹かれ、有料記事を読みたいと思うようになりました。
 
それまでの私は、自分の悩みや苦難、問題が全くない状態を望んで、生きてきたのです。
 
苦難や問題がないことが幸せだと思っていました。
 
大抵のことは、何かすれば何かを得れば、解決しそうなように見えました。
 
放射能のことも、その他のことも…。波風のない人生、それを私は望んでいました。
 
色々な問題を解決しさえすれば、私は幸せになる、そう思っていました。
 
子ども達にも、苦労はして欲しくない、そう思っていました。
 
毎日、不安、不平・不満だらけ。放射能さえなければ、子どもが自閉症でなかったら…という思いばかりでした。
 
辛いことが起こると、他人に愚痴を言ったり、買い物をして発散したり、何かの講座に出たり…そんなことばかりしていたのです。
 
でも、何の答えも、解決方法も、得られることはありませんでした。
 
友人に相談したり、何かの本を読んだり、何かの講座に出たって、私の苦しみは変わらなかったのです。
 
その時は、なんとなくいい話を聞いたような気がしても、息子についての苦しみが常にありました。
 
心から暗闇が消えることがありませんでした。
 
しかし、RAPTさんのブログの有料記事を読むようになり、毎日、自分自身が、罪を悔い改めて、自分の考え、苦々しい思いを全て主にゆだねて、ただ主の御心に叶う生き方をしたい、そう祈っているだけで、心が、いつの間にか、喜びと平安に満たされるようになったのです。
 
息子のことは、世間一般的な考え方から見れば、解決したわけではありません。
 
しかし、落ち込んだり、悪い考えに囚われそうなったりするその度に、主に祈っていると、心がすっきりし、希望、喜び、平安が与えられるのです。
 
特に、「有料記事120(2016年11月14日)神様を愛する資格があるのは誰か。本当の愛とは何か。なぜ主の前では多くのものを捨てなければならないのか。」によって、情と愛について、明確に示していただき、本当に気持ちが楽になり、子ども達に対する私の毎日の言動、行いがどうあるべきか、目指すべきところがクリアになってきました。
 
RAPT有料記事120(2016年11月14日)神様を愛する資格があるのは誰か。本当の愛とは何か。なぜ主の前では多くのものを捨てなければならないのか。
 
また、「有料記事126 捨てるべきものを捨てること、世界のために祈ることの重要性。」を読み、自分が二心を持っていること、自分の欲に囚われていることが良く分かり、それが苦しみの原因で、すべてを神様にゆだねようと思いました。
 
RAPT有料記事126(2016年12月5日)捨てるべきものを捨てること、世界のために祈ることの重要性。
 
そして、毎週毎週、人智をはるかに超えた、素晴らしい御言葉が、有料記事で宣布されています。
 
この記事をリアルタイムで読んだり聞いたりできることの素晴らしさを、もっともっと多くの人たちが知ることを切に願います。
 
あの不平不満だらけだった私。
 
周りの人から、神経質で、悲観的と言われ続けた私。
 
なのに、主に祈ると、御言葉を読むと、賛美をすると、喜びがこんこんと溢れてくるのです。
 
無理しなくても、自然にエネルギーが満ち溢れ、元気になることが出来るのです。
 
今まで、散々罪を犯し続けてきた私、本当に浅はか、知性がなく、愚かな私を、主があわれんでRAPTさんのブログに導いてくださいました。
 
そのお導き、不思議を、毎日のように思い出し、感動します。
 
今でもしょっちゅう間違いを犯し、罪を犯し、悔い改めてばかり、ちっぽけな私ですが、主のために、日々働き、少しでもお役に立ちたいと、切に願っています。
 
世界中の人が、一人でも多くの人が、真の、唯一の救いに導かれますよう、心から祈ります。
 
放射能の恐怖から完全に開放してくださり、息子について希望を与えてくださった主。
 
悪に満ちた世界から、完全に善なる世界へと導いてくださる力強い主。本物の愛と真理を与えてくださる主、あなたの御名を心から讃えます。
 
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これまでの「原発も原爆も存在しない」シリーズは、以下になります。
 
RAPT×読者対談〈第56弾〉原発も原爆も存在しない。(前編)
 
RAPT×読者対談〈第57弾〉原発も原爆も存在しない。(後編)
 
RAPT×読者対談〈第61弾〉原爆被曝はどこまで本当の話なのか?
 
RAPT×読者対談〈第62弾〉原発と原爆を生んだ相対性理論はデタラメの可能性大。
 
RAPT×読者対談〈第65弾〉戦後復興もすべては天皇家一族の儲け話。
 
RAPT×読者対談〈第66弾〉電磁波も放射能も宇宙も危険ではない可能性大。
 
RAPT×読者対談〈第69弾〉科学の嘘はすべて原発に通ずる。
 
RAPT×読者対談〈第70弾〉ノーベル賞創設の目的はアインシュタインの嘘を隠蔽するため。
 
RAPT×読者対談〈第71弾〉嘘と矛盾だらけの核技術。
 
RAPT×読者対談〈第72弾〉この世の支配層が大金をぼったくる仕組み。
 
RAPT×読者対談〈第74弾〉この世の支配層による口封じの実態。
 
RAPT×読者対談〈第77弾〉ケムトレイルとイヤシロチと福島原発事故(1)
 
RAPT×読者対談〈第78弾〉ケムトレイルとイヤシロチと福島原発事故(2)
 
RAPT×読者対談〈第79弾〉カタカムナとあらえびすとイヤシロチ詐欺。
 
RAPT×読者対談〈第99弾〉原発も水素自動車もその燃料はただの水と塩。
 
RAPT×読者対談〈第100弾〉原爆はただのマグネシウム爆弾。石油の原料もただの海水。トヨタの水素自動車もただのパクリ。
 
RAPT×読者対談〈第103弾〉イルミナティはもういらない。
 
また、以下の記事も「原爆も原発も存在しない」シリーズを補完する重要な記事になります。
 
〈特別企画・電力会社×RAPT対談〉今こそ我々はすべての電力を自給自足すべきである。
 
「麻生太郎」こそ人工地震「3.11」と「熊本地震」を起こした主犯格である可能性大。
 
「麻生太郎」一族が「関東大震災」「阪神大震災」「東日本大震災」の主犯であると見られる幾つもの証拠。
 
ということで、これからも引き続き、読者の皆さんからの証言を募集いたします。
 
どうぞ奮ってご応募ください。お待ちしております。
 

6 Comments
  • あやこ
    Posted at 18:15h, 30 3月

    本当に、ずっと知りたいと思っていたことでした。読みながら涙が溢れて来ました。
    この体験談の方と、この体験談を掲載してくださったRAPTさんに心から感謝いたします。どうかこのお二人に主からの限りない祝福がありますように。

    私も関東の中の「ホットスポット」と呼ばれる場所に住んでおり、震災後は1歳の娘と小学校低学年の息子を抱え、心配で心が潰れそうな毎日でした。市からガイガーカウンターを借りて、家の周りを計っては恐怖におののいていました。しかし全く気にしていない人も沢山おり、(そういう人は大抵噂好きで発言力のあるような人でした)一時避難する人は陰口を言われ、水を買ったり産地を気にしたりする人は特殊な人扱いだったので、皆自分の生活には一様に口をつぐんでいる感じでした。でも多かれ少なかれ、皆出来る限り放射能を排除しようと努力していたと思います。真面目な人ほど苦しんだと思います。そういった人達の誰もが、出来る事なら移住したい気持ちで一杯だったのではないでしょうか。
    そして、お子さんのことも含め、この方は本当に物凄い悟りを得られたのですね。放射能の事だけでなく、お子さんの障害で悩まれている方にも大きな力を与える体験談だと思いました。
    この貴重な体験談と、ここで挙げられている関連記事を一人でも多くの人に読んでほしいです。
    そしてこの巨大な詐欺が万人に知れ渡ることを祈ります。
    また、人々の不安を煽り、陰で笑いながらカモにしているような悪人が滅びるように心から祈ります。その為には私達が知識と知恵をつけていかなければなりませんね。

    RAPT さんとこの体験者さん、善良なる読者の皆さんに神様からの限りない祝福がありますように。

  • まつたけ
    Posted at 21:31h, 30 3月

    東日本の震災は、実に様々な形で、たくさんの人々を、苦痛と絶望の淵に追いやっていたのですね。
     
    あの震災から6年が過ぎますが、いまだに、東北の被災地では、仮設住宅等で生活している人が10万人以上いるそうです。
    福島の原発周辺から他県に非難した子供が、学校でいじめに遭っているというニュースも、最近 多く見受けられますね。
    津波などの被害から かろうじて救われたとしても、今でも時々、東北の太平洋沖で中規模の地震があり、福島県などで震度4程度の揺れが観測されることがありますが、その度に、被災地の人々は6年前の恐怖がよみがえり、夜も眠れない日々を過ごされているのではないかと感じています。
    私は、小学校6年生の時に阪神淡路大震災があり、滋賀県大津市で震度5を経験しました。それ以来、小さな地震が起こる度に、恐怖で身動きがとれなくなります。東北や熊本などで被災された方々は、これにも勝る恐怖を味わい、心に深い傷を負われていることと思います。
     
    直接的な被害に遭われた方々をはじめ、今回の読者の方のように、放射能汚染詐欺で住む場所を追い出された方々、その他、大変な苦労をされている方々の心の傷が癒されるよう、毎日 祈っております。
    そして、RAPTブログがもっと広まり、全人類が救われますように。

  • ココ
    Posted at 21:38h, 30 3月

    善良な市民の不安を煽り、散々ご苦労させたあげくに300万円も巻き上げるだなんて!…酷い詐欺社会ですね。そもそもベネッセからしてイルミナティでしたよね。私もRAPTさんのブログを読まなければ、原爆・原発がインチキだなんて思いつきもしませんでしたよ。原子力発電ってほぼ水力でやっているんでしたよね、だからすべての原子力発電所が、なぜか危険なはずの海沿いに建設してあるというお話でした。真理は人を解放しますね。
    また、身心が弱っている時に、神様に祈ると胸の芯のようなところがしっかりとしてきて不思議な力が湧いて来るような気がします。
    ご参考になるかは分かりませんが、YouTubeに「ルナ(月)の霊を追い出し、息子の自閉症が治った証」アースクウェーク・ケリー という動画がありました。https://www.youtube.com/watch?v=AZIDMyiufbU  この黒人のお父さんは息子さんの病気に同意しなかったそうです。私もこれを見て勇気付けられました。悪霊に同意しないというのは、すごく大切な事なんですね。天国は善と真理で出来ていて幸せなところなのだろうと思います。神様の御心が地にも行われますように。貴重な証を有難うございます。ハレルヤ!!

  • ちくに
    Posted at 21:45h, 30 3月

    本日も記事の配信ありがとうございます。
    私は北関東民で、震災直後は家の駐車場に付着していた花粉をも放射能と勘違いするほど慌てていました。
    震災から1年後に高校に入学して、部活動で放射線の測定をしておりました。
    ガイガーカウンターは以下の物を使っていました。
    https://www.amazon.co.jp/理科実験-A2700-放射能測定器Mr%EF%BC%8EGamma-(ミスター・ガンマ)-A2700型-放射線測定/dp/B005WPMZ1U
    そして部活動の一環でパネル展示で一般の方向けに説明をしたこともありました。
    お子さんをお持ちの主婦の方が最も多く訪れていました。
    特に地面は高い数値が出ていたので(2012年当時で0.5〜1マイクロシーベルトだったと思います)、砂遊びをする点でかなり不安を持っていらっしゃいました。
    あと放射能の単位も煩わしい感じがしました。
    シーベルトとベクレルの違いの説明があまりなされておらず、混乱してしまう人が多かったのを覚えています。
    何れにしても少しでも放射能の正体を知って不安を解消したい、その思いを強く感じました。
    今回の証言者様のように、より多くの人が放射能の嘘に気づくことができるようにお祈りいたします。

  • あきこ
    Posted at 00:36h, 31 3月

    RAPTさん、兄弟姉妹の皆様こんばんわ。
    私もこの方の体験談を読み、涙が溢れてまいりました。
    でもよく、神様のところへ帰ってこられたので、本当に良かったと思います。
    同じように、自分のせいではないのに苦しんでいる人たちが、今も大勢いらっしゃることでしょう。
    そのような方々のために、このRAPTブログを紹介し、一人でも多くの方が悟りを得られるよう、心からお祈りしています。
    と同時に、あの3,11の震災の後、「天皇皇后両陛下が放射能の危険をかえりみず、被災地を訪問された。」というニュースを思い出し、
    何とも言えぬ怒りが込み上げてきます。
    放射能は危険じゃないということを知っていたからなのに、よくもまああれだけ善人の顔が作れるものです!
    しかし神様が、「怒ること」は罪だとおっしゃいますので、悪人の裁きは神様にお任せします。
    悪魔の洗脳から、一人でも多くの人々が生還できますように・・・・

  • はな
    Posted at 12:03h, 31 3月

    RAPTさん、記事の更新ありがとうございます。
    私は、東日本大震災の被災者です。発災直後はしばらくメディアを見ることすらできず、福島第一原発の事故以上に被災した実家をどうしようか、行方不明の親戚をどうやって捜索しようか、また保険関係の仕事をしていますので、日々の対応におわれておりました。
    3.11は人工的におこされたことは後程知ったのですが、知ったからといって誰かを恨んだのでは自分も同じレベルで進歩しないと思い、今は神様の御言葉を自分の中にたたきこみ、機会があれば多くの人々に伝えていければと思っております。
    さて、震災から6年が過ぎました。経済的な意味ではこれからが最も大変な時期をむかえます。
    先日も友人が経営する食品会社が倒産しました。倒産の直接の原因は震災直後の停電により、冷凍保管していた在庫が全滅し多大な損害を受けたことと、西日本の取引先から納品を断れたことが尾をひき、頑張って営業してまいりしたが会社をたたむことにしたのです。
    友人には機会があれば、神様の存在とRAPTさんを通じて御言葉に接することが出来ることを伝えられれば幸いです。それにより、友人が救われれば本望です。
    近い将来、サタン側の人間に神様からの裁きがあることでしょう。
    どうかより多くの義人たちに神様の御言葉が伝えられますことをお祈り申し上げます。

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