02 9月 RAPT×読者対談〈第110弾〉インドとガンジーと神智学協会。インド独立運動もやはり源平合戦だった。
前回の読者対談のテーマは「カナダ」でしたが、今回は「インド」です。二回続けての海外シリーズとなります。
前回もかなり「どぎつい」内容でしたが、今回も別の意味で「どぎつい」です。
今回の話に出てくる主な登場人物は、以下の三名になります。
■ネルー首相 = インドの独立を成し遂げたインドの初代首相。
○ジャワハルラール・ネルー – Wikipedia
■マハトマ・ガンジー = インドの独立を成し遂げた宗教家、政治指導者。
○マハトマ・ガンディー – Wikipedia
■アニー・ベサント = 神智学協会二代目会長。英国フリーメーソンの国際組織レ・ドロワ・ユメー創設者。
○アニー・ベサント – Wikipedia
いきなり「神智学協会」の会長が出てきたので、ぎょっとした人もいるでしょう。
「神智学協会」と「インド首相」と「ガンジー」に一体何の関係があるのかと……。
「神智学協会」といえば、現代の悪魔教の源流ともいうべき「悪魔教団」です。ご存じない方は、以下のリンクをご参照ください。
○地底都市アガルタ (シャンバラ) が真の地獄であるという幾つもの証拠。
で、実を言うと、「神智学協会」の二代目会長「アニー・ベサント」と、インドの独立を成し遂げた「ネルー首相」と「マハトマ・ガンジー」は大の仲良しでした。
インドの独立には「神智学協会」が深く関わっていたのです。
先ず、ウィキペディアで「ネルー首相」を調べると、こう書かれてありました。
---------------------(以下、こちらから転載)
■ジャワハルラール・ネルー
1889年、インド北部イラーハーバード(現在はウッタル・プラデーシュ州に属する)の富裕なバラモン階級の家柄に生まれる。
父のモティラル・ネルーは弁護士であり、インド国民会議派の独立運動家として活動し、議長に選出されたことがある。
また、モティラルは神智学に傾倒しており、その伝手でアニー・ベサントと知り合う。
ネルーはイギリスに渡り、名門ハーロー校に入学する。
同校を卒業した後、ケンブリッジ大学のトリニティ・カレッジに入学し、自然科学を専攻した。
1910年に同大学を卒業。そして1912年に弁護士の資格を取得して帰郷した。
ネルーはそれから間もなくインド独立運動に身を捧げ、インド国民会議派の幹部としてマハトマ・ガンディーやスバス・チャンドラ・ボースなどと共にイギリスからの独立運動を指導するようになる。
アニー・ベサントの側近として全インド自治同盟で力をつけ、1928年にネルーは「ネルー報告」を発表し、インドの即時独立を求めた。
---------------------(転載ここまで)
インドの初代首相の父は、なんと「神智学」に傾倒していた。
しかも、その伝手で「神智学協会」の二代目会長「アニー・ベサント」に出会った。
その結果、その息子の「ネルー」が「アニー・ベサント」の側近になり、彼女の傍で政治家としてメキメキと力をつけていった。
そしてその彼が、後にインド独立のきっかけとなった「ネルー報告」を発表したわけです。
で、「非暴力、不服従」で有名な「ガンジー」も、このインドの独立運動に加わったわけですが、実は彼も「神智学協会」に深く関わっていました。
---------------------(以下、こちらから転載)
■ガンディーと神智学の語られない物語
http://www.terrorism-illuminati.com/blog/untold-story-gandhi-and-theosophy
ガンジーによれば、
宗教の魂は一つである、しかしそれは無数の形態の中に包み込まれている。
後者は世の終わりまで耐えるだろう。
賢者は外見上の殻を無視し、変化に富んだ核の下に住まう同じ魂を見る。
真理はどれか一つの聖典の排他的な所有物ではない。
これらの発想には、ルシファー主義者を自認した19世紀のオカルト再興の主要人物でニューエイジ運動の「ゴッドマザー」、H.P.ブラヴァツキーが表明した 「普遍的同胞団」の発想が反映されている。
ニューエイジ運動には、フリーメイソンリーの教えに基づく世界宗教を作るという野望がある。
インドの伝統における多種多様な信仰をあらわすために「ヒンドゥー主義」という言葉を発明したのはヴィヴェーカナンダだ。
フリーメイソンでもあったヴィヴェーカナンダは、インドの哲学であるVedantaとヨガを西側世界に導入した中心的な人物だった。
彼はすべての宗教の連帯の教義を説いた。
一番良く知られているのは1893年シカゴで開かれた世界宗教議会での演説かもしれない。
議会におけるヴィヴェーカナンダの講演は、アニー・ベサント(1847–1933)にも重大な影響を与えた。
彼女は1891年にブラヴァツキーが死んだ後、世界神智学運動の指導者となった。
ベサントはファビアン協会の主要な発言者だった。
ファビアン協会は社会主義者の一集団で、その戦略はカール・マルクスとは異なり、「段階主義の不可避性の教義」と彼らが呼んだものをつうじた世界支配を目指した。
つまり「継続性を絶ちきったり、急激な変化を起こしたりせず」 、かつ教育機関、政府機関、政党に浸透することによって、目標を達成するという意味だった。
ベサントのパートナーは、小児性愛者として知られていたチャールズ・リードビーターだった。
リードビーターは 1909年、一人のハンサムなインド人少年ジッドゥ・クリシュナムルティの中に新救世主を「発見」したと主張した。
○ジッドゥ・クリシュナムルティ – Wikipedia
クリシュナムルティ少年は神智学の信者たちから新救世主としての国際的な受容を得たが、父親がリードビーターを「お前は息子を腐らせた」と非難したので、 危うくその企てが破壊しかけた。
クリシュナムルティも最終的にはその設計された役割を拒み、残りの人生ずっと世界を旅して回り、どことの繋がりもない語り手として広く知られるようになった。
ベサントは神智学協会の会長としてインドの政治に関わるようになり、インド国民会議に加入した。
1888年、ガンジーはロンドンにゆき、ロンドン大学で法律を学んだ。
そこで神智学協会の会員達に出会い、バガヴァット・ギーターの読書会に誘われた。
後にガンジーは、神智学が彼の中に宗教間の平等の原則を掻き立てた、とした。
ガンジーは1889年にブラヴァツキーとベサントに面会していた。
1905年にベサントに書いた手紙では、彼女への「崇敬の念」を表明していた。
ガンジーに「マハトマ」、ヒンドゥー語で「偉大な魂」の称号を授けたのはベサントだった。
Joseph LelyveldのGreat Soul: Mahatma Gandhi And His Struggle With Indiaでは、ガンジーは有名な聖者のイメージにも反して「性的に変態で、政治的に無能で、狂信的に流行を追い求める人物だった」と暴かれている。
「ガンジーは周囲の人々に常に残酷だった。コンセプトとしては人類への愛を表明するが、実際には個々人を軽蔑する、そんな20世紀のプログレッシブな知識人の典型だった」。
南アフリカのインド人の惨状を懸念していたガンジーだったが、神智学者たちとは人種差別的信念もシェアしていた。
ガンジーはインド人が黒人と並んで牢獄に入れられることへの不満を述べた。
“我々が白人と同じ扱いをされないのは理解できるが、先住民と同じレベルに置かれるのは耐えがたい。
カフィール [黒人] は文明化されていない—犯罪者はことさらそうである。
彼らはトラブルメーカーで、非常に不潔で、動物のように生きている”
---------------------(転載ここまで)
このように「ガンジー」は完全なクロ。
彼は世で語られているような「聖人」ではなく、完全なる「悪魔崇拝者」だったのです。
ちなみに、「マハートマー」という名前について、ウィキペディアにはこう書かれてあります。
---------------------(以下、こちらから転載)
マハートマー(Mahātmā、महात्मा)とは、サンスクリット語で「偉大な魂」を意味する言葉。
「偉大」を意味する「マハー(महा)」と「魂」を意味する「アートマン(आत्मंもしくはआत्मन)」を合わせたものである。
日本語では長音を省略し「マハトマ」と表記されることも多い。
例としては、「マハトマ・ガンディー」が有名である。
神智学の体系では、人間としての進化を終えた、超自然的人物を指す言葉でもある。
モリヤやクートフーミなどがこれにあたる。
グレート・ホワイト・ブラザーフッドという秘密集団を形成しているとされる。
---------------------(転載ここまで)
この記事を見ると、「マハートマー」という名の「魂」が、「グレート・ホワイト・ブラザーフッド」という秘密集団を形勢している、とあります。
では、この「グレート・ホワイト・ブラザーフッド」とは何なのかと思って調べてみると、ウィキペディアには「イルミナティの別名」と書かれてありました(笑)。
しかも、そのリーダーは「サナト・クマーラ」。つまり「国常立尊」のことですね(笑)。
---------------------(以下、こちらから転載)
グレート・ホワイト・ブラザーフッド(Great White Brotherhood)とは神智学やその影響を受けたニューエイジ思想で信じられている超自然的人物の集団である。
(註:恐らくこの「ホワイト(白)」は「出雲」の白というより、「白人(アーリア人)」の白を意味していると思います。)
○白人至上主義 – Wikipedia
日本語表記としては「聖白色同胞団」「大白色聖同胞団」「大いなる白色同胞団」などがある。
ブラヴァツキー夫人はこの集団に属するクートフーミやモリヤといったマハートマー(大師、マスター)から教えを授かったと主張した。
チャールズ・ウェブスター・リードビーターによれば同胞団のリーダーはサナト・クマーラである。
同胞団のメンバーは地球における人間の進化全体を統括しているという。
Ascended Master Teachingの教義によればサナト・クマーラがこの集団を創設した。
また、同胞団の本拠地はゴビ砂漠上空のエーテル界に存在するシャンバラに築かれた。
リン・ピクネット『火星+エジプト文明の建造者[9神]との接触』によると、ブラヴァツキー夫人の仕事を事実上引き継いだアリス・ベイリーの著作『ヒエラルキーの外部化』の中で、アリス・ベイリーの指導霊、DK大師がこう話したと書かれている。
「日本人は第4根人種の神経系を持っているので、滅亡する運命にある。彼らの閉じられた魂が解放されたのは必要な出来事である。日本国民への原爆使用を正当化する理由がここにある」
最高位フリーメーソンの公式誌『New Age』1933年9月号によると、グレート・ホワイト・ブラザーフッドはフリーメーソンや300人委員会を含む悪魔崇拝の秘密結社イルミナティの別名であるとしている。
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これだけ見ても、「ガンジー」と「悪魔崇拝」がどれほど深く関わりがあることがよく分かります。
ちなみに、「サナト・クマーラ」をご存じない方は、以下のリンクをご参照ください。
○池田大作と上行菩薩と日蓮聖人と法華経とサナト・クマーラと鞍馬山の関係。創価学会が悪魔教であるという歴然たる証拠。
また、上の転載記事には「ガンジー」について、
「ガンジーは有名な聖者のイメージにも反して、性的に変態で、政治的に無能で、狂信的に流行を追い求める人物だった」
と書かれてありますが、対談の中でもお話しました通り、これは正真正銘、本当の話のようです。
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晩年になって、彼の禁欲の誓いの守り方に、非難が寄せられた。
周知の通り、彼は、絶えず献身的な若い女性に取り巻かれていた。
彼は、彼女らを自分のベッドで寝させるのが習慣となり、彼を暖めるために、服を脱いで彼の裸体に身体をぴったり寄せて寝るよう要求した。
ニルマル・クマル・ボーズという弟子が、この変わった習慣を暴露した。
問いつめられたガンジーは、最初は、裸の女性を横にして眠るということを昂然と否定し、その後、それはブラフマーチャリヤの実験であると言った。
ボーズは、なんら精神性のない実験のために女性の身体を利用するのは、女性の軽蔑であると反論した。
ガンジーは、若い女性に自分の身体を洗ってもらい、マッサージをしてもらった。
正統ヒンドゥー教徒も、厳しい禁欲を課されていた弟子たちも、これにショックを受け、ガンジーのブラフマーチャリヤの解釈を嘲笑した。
ガンジーの姪アバ・ガンジーは、ボーズの暴露を確認し、結婚してからもガンジーと寝ることを習慣にしていることを認めた。
もう一人の姪マヌも、1962年から1967年にかけて厚生大臣をつとめた女医スシラ・ナヤルも、ガンジーを暖めた女性であった。
スシラ・ナヤルは、最初はブラフマーチャリヤはいっさい問題にされなかったと断言した。
ガンジーがそれを言い出したのは、人がこの習慣を聞きつけ、許しがたいと思うようになってからである。
彼の傍らに生活していた若い女性は、彼とはかなり曖昧な関係を持っていたようである。
『ガンジーの実像』ロベール・ドリエージュ/今枝由郎訳(白水社文庫クセジュ、2002年)
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私も「ガンジー」が「神智学協会」と何の関わりもなければ、これを単なる「濡れ衣」だと思ったかも知れませんが、彼が「神智学協会」と密接な関係があったとなれば、話は別です。
ちなみに、「ブラフマーチャリヤ」という言葉の意味は、「心と行為の浄化、ブラフマンすなわち宇宙の最高原理の探求」とのこと。
「ブラフマン」とは仏教の「梵天(ぼんてん)」のことであり、この「ブラフマン」が「サナト・クマーラ(国常立尊)」を生み出し、かつ「釈迦」の守護神になったと言われています。詳しくは以下のリンクをご覧ください。
○やはり「釈迦」は紛れもない悪魔崇拝者でした。その確固たる証拠をお見せします。
「サナト・クマーラ」なる悪魔を生み出したのが「ブラフマン」で、「ガンジー」がその「ブラフマン」という名の「宇宙原理」を実践した……。
やはり「ガンジー」が悪魔崇拝と深く関わっていたことは明白ですね。
では、「神智学協会」は一体どんな目的があってインドの独立を画策したのでしょうか。
なぜ「ネルー」を首相として擁立し、かつ聖人と呼ばれる「ガンジー」と手を組ませてインドの独立を成し遂げようとしたのか。
結論から言うと、その目的は「ヒトラー」と全く同じものでした。
「ネルー」と「ガンジー」もまた、「ヒトラー」と同じく「アーリア人」の支配する世界帝国を作ろうとしたのです。
実を言うと、ヒトラーの主張した「アーリア人優越主義」という思想は、「神智学協会」によって確立されたものでした。
少し難しいかも知れませんが、以下はウィキペディアの記事からです。
---------------------(以下、こちらから転載)
■アーリア人種至上主義への展開
ミュラーの理論をはじめとするアーリアン学説に大きな影響を受けた神秘思想家のヘレナ・P・ブラヴァツキーは、自身が創始した近代神智学において、アーリアン学説を宇宙的進化論を描く壮大な世界観に取り入れ、現代の人類は、太西洋にあったアトランティス大陸の「第四根源人種」から進化した「第五根幹人種」という段階にあり、その人種はアーリア人種であるとした。
神智学では、やがてアーリア人を超える新しい人類が誕生するとされており、アーリア人種中心史観や優越論の傾向はあっても、アーリア人種至上主義ではなかったが、オーストリアやドイツで神智学とアーリア=ゲルマン人種至上主義が広まると、両者が結びついて「アリオゾフィ(アーリアの叡智)」という、アーリア人種至上主義を神智学の世界観で再解釈した思想が生まれた。
この思想はグイド・フォン・リストやランツ・フォン・リーベンフェルスらによって提唱され、アーリア人こそが神人であると主張された。
アリオゾフィー(ドイツ語版)はもともとイェルク・ランツ・フォン・リーベンフェルスが1915年に使い始めた造語で、ランツは自らの教説を「神聖動物学」とも「アリオ=キリスト教」とも呼んだ。
一方、グイド・フォン・リストは自分の教義を「アルマニスムス」と呼んでいた。
アリオゾフィの歴史やナチスにまつわる現代のオカルト神話について研究した秘教史家ニコラス・グドリック=クラークは、アリオゾフィを広くアーリア人至上主義的なオカルト人種論を指す言葉として用い、ランツとリストの両名をアリオゾフィストの括りに入れている。
20世紀初頭に始まったアリオゾフィの思想運動は、ドイツやオーストラリアで徐々に勢力を拡大した。
大田は、この思想運動がナチズムの源流の一つを形成することになったと述べている。
この運動において、アーリア=ゲルマン人種の純粋性と至高性を追求する結社が広く興り、同時に劣等人種とされる対象がユダヤ人に集約されていき、ユダヤ人による「陰謀論」が語られるようになっていった。
アリオゾフィの宗教結社としてよく知られるものに、ナチスと直接影響関係にあるトゥーレ協会がある。
■ナチズムへの影響
ヒトラーは『我が闘争』で、人種は大まかに三段階に分けられ、最上位がアーリア人種で、中でも雑種化していない純粋民族であるゲルマン民族が最も上等であるとした。
アーリア人種、ゲルマン民族は唯一文化を創造する能力を持つとし、「文化創造者」と呼んだ。
ユダヤ人をこの対極にあるとして「文化破壊者」とした。
ヒトラーは、ゲルマン民族を純粋民族として保ち、存続させるために国家が存在すると考えた。
ナチスドイツは、数世紀の歴史を持つ反ユダヤ主義(ユダヤ人はイエス・キリストの殺人者)が人種主義と結びついた「反セム主義」を元に政治的経済的イデオロギーを形成し、「アーリア・北方人種」に対するユダヤ資本主義の脅威という強迫観念となった。
ユダヤ人を経済活動から排除する「脱ユダヤ化」と共に、ユダヤ人資産のドイツ人への移譲とその活用を目指す「アーリア化」が行われた。
ナチス政権下でユダヤ人や左翼のジャーナリストは粛清され、さらにジャーナリストを国家資格とし、資格規定で非アーリア人が排除された。
政治学者の石井貫太郎は、ヒトラーが著書『我が闘争』で述べた生存圏(レーベンスラウム)思想と、ゲルマン民族を中心とするアーリア人種優越論に基づいて、世界大戦とユダヤ人虐殺が遂行されたと述べている。
『我が闘争』で語られた、アーリア人種以外の諸民族を奴隷化し、ドイツ人がその上で王侯貴族のような生活を送るというヒトラーの夢が叶うことはなかった。
ナチスドイツはユダヤ人絶滅のために強制収容所を作ったが、これと対極的に、アーリア人増殖のためにレーベンスボルンという収容所を設けた。
ここではドイツの未婚女性の出産が奨励・保護され、同時に優良民族の身体的特徴を示す子供たちが占領地から拉致されて集められ、教育が行われた。
また、あまり知られていないが、ハインリヒ・ヒムラーなどのナチスの高官の一部はアーリア人がアトランティス人の末裔だと本気で信じており、それを証明するために世界各地で調査を行った。
多くのナチス党員は、インド人をアーリア人であると考えたため、大勢のインドのヒンドゥー教徒がナチスドイツを支持した。
シーク教徒を含む多くのインド人がナチスドイツで軍役に服し、優秀な兵士はナチスドイツ親衛隊の一員として働いた。
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「ヒトラー」が「アーリア人優越主義」なる思想を掲げて「ユダヤ人(偽ユダヤ人)=チュルク族」を迫害したのは、全て「神智学協会」にその原因があったというわけです。
で、この「アーリア人」は先日もお話しました通り、「秦氏」のことです。詳しくは以下のリンクをご覧ください。
○RAPT×読者対談〈第108弾〉世界はアーリア人(秦氏)とチュルク族(月派・出雲)の抗争の上に成り立っている。
で、この「アーリア人=秦氏」こそが世界で最も優秀な民族だと言い出したのが「神智学協会」なのです。
では、なぜインド人の「ネルー」と「ガンジー」が「神智学協会」と深く関わっていたのか。
実は、彼らはみんな「インド人」のことを「アーリア人」と考えていたからです。
実際、「ウィキペディア」には、こう書かれてありました。
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同じくヒンドゥー教と訳される英語のHinduismは最も広い意味・用法ではインドにあり、また、かつてあったもの一切が含まれインダス文明まで遡るものである。
一般的には、アーリア民族のインド定住以後、現代まで連続するインド的伝統を指す。
西洋では、このうち仏教以前に存在した宗教をバラモン教(英:Brahmanism)、特にヴェーダ時代の宗教思想をヴェーダの宗教(英:Vedic Religin)と呼んだ。
これらは日本の漢訳仏典の婆羅門教(ばらもん教)に当たる。
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---------------------(転載ここまで)
どうやらインドの伝統的文化をつくったのは「アーリア人」のようです。
で、その「アーリア人」はインドに来て、先ず「バラモン教」という宗教を作りました。
---------------------(以下、こちらから転載)
■バラモン教の歴史
・紀元前13世紀頃、アーリア人がインドに侵入し、先住民族であるドラヴィダ人を支配する過程でバラモン教が形作られたとされる。
・紀元前10世紀頃、アーリア人とドラヴィダ人の混血が始まり、宗教の融合が始まる。
・紀元前7世紀から紀元前4世紀にかけて、バラモン教の教えを理論的に深めたウパニシャッド哲学が形成される。
・紀元前5世紀頃に、4大ヴェーダが現在の形で成立して宗教としての形がまとめられ、バラモンの特別性がはっきりと示される。しかしそれに反発して、多くの新しい宗教や思想が生まれることになる。現在も残っている仏教やジャイナ教もこの時期に成立した。
・新思想が生まれてきた理由として、経済力が発展しバラモン以外の階級が豊かになってきた事などが考えられる。カースト、特にバラモンの特殊性を否定したこれらの教えは、特にバラモンの支配をよく思っていなかったクシャトリヤに支持されていく。
・1世紀前後、地域の民族宗教・民間信仰を取り込んで行く形でシヴァ神やヴィシュヌ神の地位が高まっていく。
・1世紀頃にはバラモン教の勢力は失われていった。
・4世紀になり他のインドの民族宗教などを取り込み再構成され、ヒンドゥー教へと発展・継承された。
---------------------(転載ここまで)
で、この「バラモン教」から現在の「ヒンドゥー教」が誕生したわけです。
なので、インドの「ヒンドゥー教徒」たちは皆、自分たちのことを「アーリア人」だと自覚しているわけでしょう。
しかも、ナチス党員もインド人のことを「アーリア人」だと認めていたそうです。
上の転載記事にも、「多くのナチス党員は、インド人をアーリア人であると考えたため、大勢のインドのヒンドゥー教徒がナチスドイツを支持した」とありましたね。
その一方、インド独立のきっかけとなった「ネルー報告」には、「イスラム教徒(ムスリム)」を差別するような内容が書かれてあったようです。
---------------------(以下、こちらから転載)
(ネルーは)アニー・ベサントの側近として全インド自治同盟で力をつけ、1928年に「ネルー報告」を発表し、インドの即時独立を求めた。
ただしこの報告には、1916年に国民会議派が約束したムスリムの分離選挙を反故にし、さらにムスリムの議席数の確保を否定する内容が含まれていたので、全インド・ムスリム連盟を中心とするムスリムとの対立を招くことになる。
---------------------(転載ここまで)
前回の記事にも書きましたように、「イスラム教」の主要民族は「チュルク族=出雲族」です。詳しくは以下のリンクをご覧ください。
○RAPT×読者対談〈第109弾〉カナダは次の秦氏=ロスチャイルドの拠点となる。
つまり、「ネルー」が「ムスリム」に対して排他的だったのは、彼もヒトラーと同じように「アーリア人=秦氏」こそが最も優秀な民族だと信じていて、「チュルク族=月派・出雲」をインドから締め出すべきだと考えていたからに他なりません。
で、この「ネルー報告」によってインドの独立運動が始まり、結果的に「インド」から「パキスタン」が分離・独立しました。
で、この「パキスタン」は「パキスタン・イスラム共和国」と名乗るほどの「イスラム教国家」となりました。
○パキスタン – Wikipedia
しかも、その国旗には「イスラム教」のシンボルである「三日月」と「星」が描かれています。しかも、この「緑」は「イスラム教」を表すのだそうです。
どうやら「インド」から「ムスリム=チュルク族」を締め出すことに成功したようです。
一方、「インド」の国旗は独立運動が始まった頃(1921年)から、以下のような変遷を辿っていきました。
で、インドの独立が達成された後、現在のインドの国旗が作られたわけです。
「ネルー」も「ガンジー」も、本当は「インド」を「アーリア人(ヒンドゥー教徒)」の国にしたかったのでしょう。
そして、その思惑が「1931年」頃には実現しそうだった。だから、インドの国旗が一時的に「オレンジ」一色に染まった。(「オレンジ」は「ヒンドゥー教」を表す色だそうです。)
しかし、その思惑が失敗したため、現在のように「緑」と「白」の混ざった国旗にするしかなかったのでしょう。
つまり「インド」を「アーリア人」の国家にするという「ネルー」「ガンジー」「アニー・ベサント」の目論見は失敗してしまったわけです。
で、この目論見を再び実現するため、「秦氏=ロスチャイルド」が「BRICS」を作り、この「BRICS」に「インド」を参加させたのかも知れません。(ちなみに、「BRICS」という名前を考案したのは、ロスチャイルド系企業「ゴールドマン・サックス」です。)
○BRICs – Wikipedia
また、インドの国旗の中央にある法輪は、「アショーカ・チャクラ(アショーカ王のチャクラ)」を意味しているそうです。
○アショーカ王 – Wikipedia
インドの国章も「アショーカの獅子柱頭」を意味しているそうです。そして、こちらにも「アショーカ・チャクラ」が描かれています。
○インドの国章 – Wikipedia
この「アショーカ・チャクラ」。よく見ると、日本の天皇家の「菊花紋」とそっくりですが、結局のところ、インドの「アショーカ王」も日本の「天皇家」も出どころは同じなので、同じシンボルを使うことになってしまうのでしょうか。
また、「ネルー首相」が通っていた「ケンブリッジ大学」の校章が以下になります。
黄色いライオンが、悪魔のような笑みを浮かべているのがなんとも不気味です。
そして、このライオンは先ほどの「インドの国章(アショーカの獅子柱頭)」にも描かれていました。
ここに「インド」と「ケンブリッジ大学」とのつながりを見ることができます。
しかも、この校章には日本語の「木」のように見える黒いマークが幾つもありますが、これは「ドルイド教」が「森」を大事にしていたという事実と何かしら関係があるようにも見えます。
○ハロウィンももともと悪魔崇拝者たちの行う生贄儀式でした。ハロウィンとバアルと秦氏と大正天皇との奇妙なつながり。
「ドルイド教」はヨーロッパ園(北欧)にあり、これまた「アーリア人」によって作られた宗教でした。
で、その「アーリア人」が、インドでは「バラモン教」や「ヒンドゥー教」を作った。
ということは、「ヒンドゥー教」も「ドルイド教」も、名前こそ違えど、全く同じ宗教(悪魔教)である可能性が高いです。
「アーリア人」が「インド・ヨーロッバ語族」と呼ばれているのも、ここに大きな理由がありそうです。
恐らく現在の「アーリア人」は主に「インド」と「ヨーロッパ」に住み着いているわけでしょう。
「神智学協会」の二代目会長「アニー・ベサント」が、「アイルランド」と「インド」の自治支援を行ったのも、ここに大きな理由がありそうです。
ちなみに、上のパキスタンの国旗の「緑」を「赤」に変えると、「トルコ」の国旗になります。
「秦氏」の「赤」と、「イスラム教(月派・出雲)」の「三日月と星」が合体しているところを見ると、どうやら「トルコ」では「秦氏」と「月派」が仲良く同居しているようですね。
しかも、トルコは「黒海」のすぐ下にあって、「黒海」周辺はかつて「アーリア人」の拠点でした。詳しくは以下のリンクをご覧ください。
○RAPT×読者対談〈第50弾〉ユダヤ陰謀論、ここに極まれり。
また、「トルコ」の隣にあるのが「イラン」で、「イラン」の真上にある「カスピ海」周辺もまた、かつては「アーリア人」の拠点でした。
しかも、「イラン」の国旗も見事に「赤(秦氏)」と「緑(月派)」。これまた「秦氏」と「月派」が仲良く同居しているようです。
「月派」はどうやら「出雲族」とも「秦氏」とも、状況に応じて仲良くすることがあるようです。
また、「イラン」は古代に「ペルシア」として栄えた国ですが、「ペルシャ」と「平家(秦氏)」には深いつながりがあると一般にも言われています。詳しくは以下のリンクをご覧ください。
○「平家」とはロスチャイルド家だった。または明治維新にロスチャイルドが関わった最大の理由。
また、「聖徳太子(秦氏)」も「ペルシア」とは深い関わりがあると言われています。
○「聖徳太子」も「平清盛」もゾロアスター教徒であり、ロスチャイルドの先祖です。
そして、この「ペルシア(イラン)」も「アーリア人」によって建国された国です。
---------------------(以下、こちらから転載)
イランの歴史時代は紀元前3000年ころ原エラム時代にはじまる。
アーリア人の到来以降、王朝が建設されやがてハカーマニシュ朝(アカイメネス朝)が勃興。
紀元前550年にキュロス大王がメディア王国を滅ぼしてペルシアを征服し、さらにペルシアから諸国を征服して古代オリエント世界の広大な領域を統治するペルシア帝国を建国。
紀元前539年にバビロン捕囚にあったユダヤ人を解放するなど各地で善政を敷き、またゾロアスター教をその統治の理念とした。
---------------------(転載ここまで)
しかも、「ヒンドゥー」の語源は、サンスクリットでインダス川を意味する「ペルシア語」であるとのこと。
○ヒンドゥー教 – Wikipedia
ということは、以下のようなつながりが見えてきますね。
■ヒンドゥー教 = アーリア人 = ペルシア = ゾロアスター教 = 聖徳太子 = 平家 = 秦氏
やはりどこからどう見ても、「アーリア人」と「秦氏」は同一民族ですね。
今回のインドの独立運動を見てみても、やはりこの世界は「アーリア人(秦氏)」と「チュルク族(月派・出雲)」の抗争の上に成り立っていると考えて間違いなさそうです。
○RAPT×読者対談〈第108弾〉世界はアーリア人(秦氏)とチュルク族(月派・出雲)の抗争の上に成り立っている。
この世の中は、どこもかしこも「源平合戦」だらけですね。
ちょこたん
Posted at 21:46h, 02 9月YouTubeを再生しても、オープニングの曲だけ聞こえ、それも音が割れているような感じで、対談内容が無音であり、聞けなくなっています。私だけでしょうか?
ちょこたん
Posted at 21:48h, 02 9月イヤホンを外したら、聴けました。お騒がせして申し訳ありません。
イケメンマッサン
Posted at 09:04h, 03 9月Raptさん、対談記事アップお疲れ様です。
今回の記事も読み応えありますね。
核心を突き過ぎていて、消されてしまわないか不安になりましたよ。
一度で理解しきれなかったため、再読したい思います。
神様の存在に比べれば、人間の世の中は狭いし、考え方も小さいのだなぁと思わされました。
悪が滅び、御心が繁栄される世界となるよう、そきていつか自分も万物を主管できるように、お祈りを続けたいと思いました。
みちばた
Posted at 09:52h, 03 9月108弾でアーリア人の話が出たとたん、その後、次から次へとアーリア人つながりでこの世の謎が解けていくのを見て驚いています。
世界レベルで見ると、結局アーリア人とチュルク族の戦いだったんですね。
この世界のカラクリはやはりこの二つのキーワードで全て解けていくのでしょうか。
RAPTさんに神様の力が働いているのを感じます!
パウラ
Posted at 10:15h, 03 9月以前、YouTubeで見た動画で、インドはレイプ大国であると言っていました。カーストの中にいる男性は、カーストの外にある女性をいくらレイプしても罪に問われないのだそうです。むしろ、カーストの外にあるアンタッチャブルの女性は、レイプという悲惨な目に遭う事によって、来世より良い境遇に転生することが出来るのだそうです。そんな理屈あるかよ!と私は思いました。
これで思い出すのが稲田朋美大臣の発言です。「戦争で死んで靖国に祀られることで、魂が向上する」のだそうです。前の話とどこか似ている気がします。今世この世で幸せにならなくてどうするのでしょうか? どちらも「悪魔の屁理屈」ですね。 UP有難うございます。
美咲
Posted at 07:09h, 04 9月有料記事共々、RAPTさんの記事更新を楽しみにしています。
インドの国旗のオレンジは(カレーの香辛料の一つ)ターメリックの色だと聞いたことがありました。
一般のインド人はそう信じているのかもしれませんね。
ヒンドゥーの神様は本当に気持ち悪いですよね。
あれをどうして神様だと思えるのか…感性を疑ってしまいます(笑)
同じヒンドゥーのバリ島も気味の悪い偶像だらけですよ。
地元の人達は毎日悪霊に「どうぞ悪さをしないで下さい」とお供え物をするんですから。
悪は滅ぼさないで共存するのがバリヒンドゥーの教えだそうです。
いかにも悪魔に都合のいい教えですね。
ドルイド教とも関係あるのでしょう。
「ドルイドベル」はバリ島の「ガムランボール」と一緒ですから。
私の街ではすでにハロウィーンの飾りつけが始まっています。
もう悪魔的なものが世の中にいっぱいですね。LGBTもしかりです。
神様に1日もはやくそれらを滅ぼして下さるよう祈っています。
サポーター
Posted at 14:54h, 04 9月なるほどですね。
学研ムーがアーリア人をアピールしていましたね。赤字でムーだし三角だしで秦氏側、それに出演するものも秦氏寄り。飛鳥昭雄は神道にイエス・キリストを混ぜ込もうとするエージェントですね!
ガンジーにも引っ掛かっていましたがやはり、ガンジーもインドで救世主を演じた役者でしたか~
医師の内海聡は7人のガンジーとかいうチーム見たいな者をPRしていました。
7の数字とガンジーとするとろいと瀬戸の兵庫寺院関連より吉備族系(出雲族で秦氏に寝返り協力した桃太郎の吉備団子族)吉備族=きび団子(鉄砲)=黄色、秦氏に協力し王朝完成後に酷い仕打ちで追いやられた吉備族=?阿陀族
あ族、阿部、安倍、足立、安達、安達太良、阿武隈、安倍=阿陀族=吉備族?などの繋がりも見えて来ます。原発福島のイメージキャラクターのきびたんはどう見てもきびです。
内海医師は有名陰謀論者と距離置いてるので出雲、月派の青か黄色か緑色でしょうか?
現在の薬金儲けの酷い医療を暴露して知らしめる役としてはいいですが深入りはどうかですね。バランスが大事ですね。
繋がって来ました。
ありがとうございます。
クラビトーカー
Posted at 23:55h, 04 9月ピアノ音楽マニアである拙にとっては、神智学はスクリアビン一人の超マイナー流派にしか思わなかったのですが、音楽以外のところで此れほどの影響力を持っていた事実に驚かざるを得ません。
しかし彼の音楽が妖しいまでに魅力的なのも確かであり、それをプロパガンダにしようと考えていたのでしょう。奇遇にも昨年2015年は彼の没後100年でしたが、あまり話題にはされなかったのも、何やら勘ぐりたくなります(笑)。
現在のクラシック界では、ライバルだったラフマニノフの方がはるかに人気が高いのは、聴衆の公平な判断と言えそうです。
たけし
Posted at 00:23h, 05 9月突然すみません
最近、北海道猿払市の
年収が二年で300万円も
急に上がりました。
http://www.nenshuu.net/
prefecture/shotoku/shotoku_city.php?code=015113
参考になれば幸いです。
サポーター
Posted at 00:32h, 05 9月現実(幻実)社会は正義も偽善者ばかりです。
表舞台に現れるのは悪と契約した者ばかり。
イエス・キリストを殺害後の6時代。
イエス・キリストが悪い者へお前達の時代だとあった様な気がします。
皆偽善者で悪が栄え満ちきっていますね。
ある意味聖書予言通りです。その次がそれらが極みの時に破滅し終る。御国が来る次の神時代へ。RAPTブログに聖心ある読者からの情報も御業で集まり全てが明るみになっています。
これも聖書通りですね。希望を感じています。
信仰と希望と愛
聖義なくして正義は無いですね!
TVや表舞台で居られる人は悪魔領域に加担している人ばかりですかね。
6時代の悪世界は完成へと向かうに比例して悪が破滅して来ているのを感じてます。
カフェで若者が聖書を普通に語り初めています。
RAPTさんの光跡に感謝です。
YUKO
Posted at 04:54h, 05 9月「苫小牧沖地層にCO2封じ込め」をご存知ですか?
地球温暖化の原因となるCO2を排出ガスから分離 回収して貯蔵する、その技術の実験を苫小牧の出光興産の敷地内で2016年度から着手。経済産業省の委託で総事業費は約450億円。
http://www.tomamin.co.jp/20140714455
CO2を温暖化の原因とすること、何やら訳の分からない技術、国のお金が450億円も出光に行くこと。RAPT理論を知った今は また あちら側が 真っ赤な!ウソで大金を巻き上げていると あきれるばかりです。
ユンダンテ
Posted at 21:06h, 06 9月ミツバチさんに。
逆にはなりません。
伊勢神宮は大和のはずなので
トヨウケビメは大和側か秦氏側がルシファーを日本ぽく言う場合だと思います。