28 4月 池田大作と上行菩薩と日蓮聖人と法華経とサナト・クマーラと鞍馬山の関係。創価学会が悪魔教であるという歴然たる証拠。
ここ数日に渡って、「仏教」が悪魔教に過ぎないという事実をはっきりと立証してきました。
○偶像崇拝を強要し、輪廻転生はあると嘘をついた「釈迦」は、悪魔崇拝者だったのか。
○やはり「釈迦」は紛れもない悪魔崇拝者でした。その確固たる証拠をお見せします。
○仏教の「お経」や「真言」が悪魔を召喚するための呪文であり、仏教が悪魔教であるという確たる証拠。
そもそも、私から言わせてもらえば、仏教の創始者である「釈迦」の書いた教典がなく、教派によって別々の教典を使っていること、しかも信者たちの多くがその教典をほとんど読んでおらず、その意味を把握していないこと。
また、教典の中には文語訳のものしかなく、現代人の理解できないものが沢山あること……などからして、それだけでも仏教が大きな欺瞞と危険性を孕んでいるとしか考えられません。
宗教とは人生の道しるべです。そして、人間の人生には険しい山や谷が幾つもあります。
にもかかわらず、いざというときにその道しるべを読み取ることができない、はっきりと分からないということになれば、その人はその険しい山や谷の中で迷子になり、永遠に抜け出せない危険性すらあります。
そして実際に、仏教を信じている人にはそういう人が余りにも多い。
特に創価学会などのように熱心に仏教を信じている人ほど、人格に問題がある人、精神的に病んでいる人、精神的に歪んでいる人が多いという現実があります。
しかも、彼ら自身はそれを全く自覚していません。むしろ、自分たちの方が他人よりも上だと思い込んでいたりもします。
私の近所に住んでいる創価信者も、やはり普通ではない言動をとる人が多いです。
また、このブログに嫌がらせコメントを書く創価信者とおぼしき人たちも皆、どこか精神異常を思わせる人たちばかりです。
(なぜ嫌がらせコメントを書く人の多くが創価信者であると分かるかというと、創価の批判コメントを書いた人の悪口を言ったり、「日蓮」や「法華経」を意味もなく持ち上げたりするからです。)
彼ら自身はすっかり洗脳されているので、自分の言っていること、やっていることがどれだけ異常で低レベルなのか全く分かっていないうようですが、こちらからすると、彼らの言うことなすこと、全てが異常で低レベルなので、最初から相手にする気にもなりません。
なので、創価とおぼしき人のコメントはおおよそ削除することになるのですが、そうすると、「お前は自分にとって都合の悪いコメントは削除するのだな」といって私に悪口を言ってきます。
すみませんが、私にとって都合が悪いから削除しているわけではなく、あなたのコメントが異常で低レベルだから削除しているだけなのです。それも分からないぐらい、彼らの頭と精神がおかしくなっているわけです。
はっきりと言いますが、この世の中から創価学会が消えてなくなるだけでも、この世の中にはかなり良い変化があるに違いありません。
私は今まで「天皇制の廃止」を皆で一緒に祈りましょうと呼びかけてきましたが、これからは「創価学会の解体」についても皆で一緒に祈りましょうと呼びかけたいと思います。
創価信者たちがお経を唱えるのをやめるだけでも、この世に召喚される悪魔の数が減るでしょうし、悪魔に取り憑かれて奇行を行う人の数も減るでしょうから。
昨日も書きましたが、創価が崇める「上行菩薩」は「サナト・クマーラ」という悪魔です。
つまり、創価学会は「悪魔教」に他ならないわけです。
この「サナト・クマーラ」という悪魔は、ほとんどの日本人には余り馴染みがないでしょうが、実はこの「サナト・クマーラ」が「上行菩薩」とか「日蓮聖人」とかに名前を変えて、日本中の多くの人々に信仰されています。
悪魔崇拝者である池田大作が「仏教」の仮面をかぶせて「創価学会」という宗教団体を作り、多くの日本人にわざと「悪魔」を拝ませてきたわけですね。
で、この池田大作(または日蓮)は「法華経」を唱えれば、全てのどんな罪でも許されると言っているようですが、これまた非常に危険な教えであると言わざるを得ません。
今日、創価とおぼしき人からこんなメールが届きました。
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法華経に帰依すれば、見た目がどんな化け物でも、悪魔のような極悪非道な行いをしてきても、過去の行いを悔い改め、改心することができます。
大梵天王も改心して、法華経を信仰する者を守護する諸天善神の役割りを持っています。
どんな極悪人でも悔い改め、法華経、末法の現在においては日蓮大聖人がはじめて唱えいだされた「南無妙法蓮華経」に帰依すれば、命が綺麗になっていきます。過去の悪い行いの報いは耐えられる程度で受けますけどね。
したがって、世界中のどんな人でも救い、善人にすることができます。
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私はこのメールを最初に読んだとき、創価を皮肉るメールが来たのかと思いましたが、このメールは最後まで「法華経」を褒めそやしていました。
「法華経に帰依したら罪が許され、罪が許されたらみんな善人になる」というこの考えがどれほど危険なことか、この人には分からないのでしょうか。だとしたら、本当に気が狂っているとしか言いようがありません。
こんな話がまかり通るなら、この世でどんな悪事を働いても、法華経にさえ帰依すれば何でも許される、ということになってしまうからです。
それに、罪が許されたからといって、人が「善人」になるわけではありません。
その人の心の中から全ての悪が消え去り、善だけがその心に満ちて、現実に善を行うようになって初めて「善人」になったと言えるのです。
キリストもまた多くの人々に罪の許しを与えましたが、それと同時に「もう二度と罪を犯すな」と厳しく教えました。せっかく罪を許してあげても、その人がまた同じ罪を犯すなら何の意味もないからです。
例えば、聖書にはこんな場面があります。
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朝早くまた宮にはいられると、人々が皆みもとに集まってきたので、イエスはすわって彼らを教えておられた。
すると、律法学者たちやパリサイ人たちが、姦淫をしている時につかまえられた女をひっぱってきて、中に立たせた上、イエスに言った、
「先生、この女は姦淫の場でつかまえられました。モーセは律法の中で、こういう女を石で打ち殺せと命じましたが、あなたはどう思いますか」。
彼らがそう言ったのは、イエスをためして、訴える口実を得るためであった。しかし、イエスは身をかがめて、指で地面に何か書いておられた。
彼らが問い続けるので、イエスは身を起して彼らに言われた、「あなたがたの中で罪のない者が、まずこの女に石を投げつけるがよい」。
そしてまた身をかがめて、地面に物を書きつづけられた。これを聞くと、彼らは年寄から始めて、ひとりびとり出て行き、ついに、イエスだけになり、女は中にいたまま残された。
そこでイエスは身を起して女に言われた、「女よ、みんなはどこにいるか。あなたを罰する者はなかったのか」。
女は言った、「主よ、だれもございません」。
イエスは言われた、「わたしもあなたを罰しない。お帰りなさい。今後はもう罪を犯さないように」
(ヨハネによる福音書8章1〜11節)
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しかも、人が「善人」になることはそんなに優しいことではありません。むしろ、この世のどんなことよりも難しいことだとさえ言えます。
なので、人が「善人」になるためには限りない努力が必要なのですが、そんな努力もしないで、自分の罪はすべて許されたと思って、他人のブログにやってきては嫌がらせコメントを書き、それで自分は良いことをした、善人になった、と言うのであれば、もはやその人は気違いと同じです。
もっとも、彼らの拝んでいる神様は「サナト・クマーラ」という悪魔なのですから、悪魔を拝んでいる以上、彼らが悪魔ような所業を繰り返すのは当然のことと言えるでしょう。
そもそも、この「サナト・クマーラ」。
今から1850万年前に日本の「鞍馬山」に降り立ったと言われており、この「鞍馬山」には「奥の院魔王殿」と呼ばれる「サナト・クマーラ」を祀った神殿があります。(最上の画像)
「魔王殿」の「魔王」とは「サナト・クマーラ」のことです。「サナト・クマーラ」は「魔王尊」とか「尊天」などとも呼ばれているそうです。
で、この「魔王尊」について、こんな記事がありました。
----------------(以下、こちらから転載)
奥の院魔王殿は、累々たる奇岩の上にある。
この岩が水成岩でサンゴやウミユリなどの化石を含んでおり、海底にあったものが2億6000万年前の太古に隆起したことがわかる。
そしてこの一帯が実は磐座(いわくら)であり磐境(いわさか)なのである。
この磐座に、金星から魔王尊が天下ったというのである。
魔王尊と書くと、悪魔の首領のように誤解されかねないので説明するが、あらゆる魔障を征服し、屈従させて、善魔に転向させる大王だから、「魔王尊」と申し上げるのである。
(註: いいえ。本当に悪魔の首領だからこそ「魔王尊」と呼ばれているのです。)
つまり、転迷開悟・破邪顕正のお力を授けてくださる守護神と思っていただければよかろう。
■魔王尊は地下空洞の支配者でもある。
地下空洞には大都会があり、北欧とヒマラヤと南米と日本の4か所に、地表へ通ずる出入り口を持ち、日本の通路は鞍馬山であると言われている。
(註: この地下空洞がいわゆるシャンバラのことですね。で、鞍馬山にシャンバラに通じる通路があるとのこと。)
魔王尊は、地上に大破壊力と大創造力をふるい、国家の興廃を司る。 意志と勇気と創造と進化の神であり、人類の父である。
地球の霊王であり、地球全体の進化を支配する。
人類の進化だけではなく、神々や自然霊の進化、そして一切生類の進化をも促す。
だから、魔王尊の経綸と協調するものは厚い守護と祝福を受けるが、魔王尊の正義の理念に反するものは破壊されてしまう。
魔王尊は、地球の霊王であり、力の象徴である。
「火の霧の子」とも呼ばれ、人類とは違った進化過程を辿る。
その姿かたちは人間と同じだが、その身体元素は人間のものと違って、永久に変化しない。
食物もとらず、何千年、何万年たっても変化しないのである。
永遠に16歳の若さをたもち、人類が遠い未来において水星に移住するとき、人類を誘導してくれるという。
(註: 霊物だからこそ姿形が変化しないわけでしょう。)
■魔王尊は真我を通じて人類を感化する。
人間の自我は、魔王尊に直接触れることはできない。
しかし熱烈に慕い敬うものには、時がくるとそのお姿を拝ましてくれる。
そのときこそは、どのような罪と悲しみに苦しんでいるものでも、たちどころにして善に向かい、人生最大の幸福へと導かれてゆく。
■魔王尊のはっきりしたお姿は誰にも分からない。
太古の金星から降臨したまま、16歳の若さをもって地球の霊王として活動しながら、変幻自在さまざまな姿態を現わすからである。
以前は長い間極秘のうちに奉修されてきた密教儀式の「五月満月祭」が、昭和29年に公開された。
人類を救済するために、釈尊やイエスキリストたちを世に送り出したのは、尊天(地球の霊王である魔王尊)に他ならないと、鞍馬山では確信する。
(註: 釈迦をこの世に送り出したのはブラフマーですし、キリストをこの世に送り出したのは神様ヤハウェなので、この説話が何の根拠もないものであることが分かります。要するに、一部の人たちが勝手にこの「魔王尊」こそ世界を支配する神だと思い込んで、こんな愚にもつかない話をしているわけです。)
そして「五月満月祭」の宵は天界と地上の間の通路が開けるので、この宵を期して魔王尊讃仰の祈りを捧げ、釈尊の生誕と成道と涅槃とを祝いながら、救世主の再現を願う。
それが「五月満月祭」なのである。
この夜は全山に万灯をともして満月に聖水を供え、参加者一同は心の灯を高くかかげて大祈願を唱和する。
心中の善願の一願のみは必ずかなえられるという「五月満月祭」は、また「ウエサク祭」とも呼ばれ、国際的な神秘の祭典である。
緑と自然に恵まれた鞍馬山は、よこしまを許さぬ父の厳しさをもちながら、人間の心を温かく包んでくれる母のふところでもある。
ここを訪れて静かに瞑想し深呼吸して、宇宙の大霊である尊天の愛と光と力とを心身の奥深くいただき、明るく正しく生き抜く明日への活力としてくださるよう、心から願っている。
----------------(転載ここまで)
あれこれとややこしいことが書かれてありますが、要するにこの「サナト・クマーラ」が大昔に日本の鞍馬山に降り立ち、この世界を支配するようになった、ということですね。
しかも、この「サナト・クマーラ」は霊的な存在なので、人間一人一人がそれぞれ瞑想してチャクラを開くなら、どんな場所にいても「サナト・クマーラ」と通じることができると考えられているようです。
悪魔崇拝者たちが悪魔崇拝の儀式を行っているのも、チャクラを開いて悪魔と通じるためなのでしょう。ウィキペディアにもこう書かれてあります。
----------------(以下、ウィキペディアより転載)
サナット・クマラは、モンゴルのゴビ砂漠上空の、エーテル界の上位亜界に、地球のエネルギー・センター(中心)、人間における頭頂チャクラに相応する「シャンバラ」を発生させ、そこに住む。
----------------(転載ここまで)
「サナト・クマーラ」が肉体をもった存在だと考えると、このウィキペディアの記事は意味不明ということになりますが、「サナト・クマーラ」が霊的な存在であると考えると、少しは筋が通って見えてきます。
で、人によってはこの「サナト・クマーラ」が悪魔の頭・ルシファーではないかと疑っているようですが、ルシファーであろうとなかろうと、「悪魔」であることには変わりがありません。(私個人としては、現段階では「サナト・クマーラ」のことをルシファーであるとは断定できません。)
で、この「サナト・クマーラ」という名前なのですが、実は「サナト・クマーラ」の英語の綴りは「SANAT KUMARA」となり、この六文字を入れ替えると、「SATAN KURAMA」、すなわち「サタン・鞍馬」となります。
完全なアナグラムになっているわけですね。悪魔崇拝者たちはこういった言葉遊びが大好きなのです。
ちなみに、小和田雅子様と川島紀子様もこのような言葉遊びから名前がつけられています。彼女たちは生まれたときから既に皇室に入ることが決定されていたようですね。
で、この「サナト・クマーラ」をこの世に広く知らしめたのが「神智学協会」の「ヴラバァツキー夫人」のようですから、恐らく「神智学協会」の中の誰かが、「サナト・クマーラ」という名前を考えついたに違いありません。
○ヘレナ・P・ブラヴァツキー – Wikipedia
つまり、「神智学協会」の人たちは、鞍馬山に降り立った「サナト・クマーラ」が「悪魔」であるということをはっきりと分かっていたわけです。その上で、我々にこの「サナト・クマーラ」を神様だと教え、拝ませてきたわけですね。本当にとてつもない悪人どもです。
しかも、「日蓮聖人」や日蓮宗のお坊さんたちもこの「サナト・クマーラ」を「上行菩薩」という名前に変えて、人々に神様として拝ませてきました。
さらには池田大作が、この「サナト・クマーラ」を「釈迦」より格上として扱い、創価信者たちに「サナト・クマーラ」を神様として拝ませ、毎日のようにお経を唱えさせては、この「サナト・クマーラ」を各家庭に召喚させ、人々の人生を粉々に破壊しようとしてきたわけです。
そうとも知らず、創価信者の皆さんは未だに池田大作を崇め、日蓮聖人を崇め、上行菩薩を崇め、法華経を崇めているわけですね。なんと哀れな話でしょうか。
で、彼ら創価信者たちは、自分の人生がうまくいかないのを池田大作のせいにはせず、我々他人のせいにして、いつも他人のブログにやってきては嫌がらせコメントを書いて、憂さ晴らしをしてくるわけです。本当にはた迷惑も良いところです。
とにかくどんな宗教を信じるにしても、その宗教の教典を徹底的に読破し、理解しなければなりません。でなければ、自分が何を拝んでいるのかも分からないまま「悪魔」を拝んで、自分の人生を台無しにしてしまうことになりかねません。
私は今まで「聖書」を四十回通読し、新約聖書を何百回と読みましたが、そのようにキリスト教の教典を詳しく読むことで、キリスト教の教える神様こそが本物の神様だとはっきりと分かるようになりました。
私とて適当に「聖書」の言葉を信じているわけではないのです。
その上、私はこの世が悪魔に支配されているということをはっきりと理解し、この世のカラクリをほぼ完全に解明するに至りました。
そういう努力もしないで、ただ周りの人がこう言うから、この本にこう書かれてあるからと言って、安易にその辺に転がった宗教を信じるのがいかに愚かで危険な行為でしょうか。
しかも、創価信者たちは自分たちを悪く言う人たちのことを一方的に悪魔と決めつけて、その人たちをやっつけることが善だと信じ込んでいます。
そして、そのような悪事を繰り返し行うことで、自分の頭上にさらに激しい神様の怒りを溜め込んでいます。
にもかかわらず、彼ら自身は「法華経」によって全ての自分の罪が許されていると盲信し、後になって途方もなく酷い裁きを受けるハメになるわけです。
とにかく、先程も言いましたように、これから私は「天皇制の廃止」を祈ると同時に「創価学会の解体」も本気で祈ります。
しかも、私の祈りは今までほとんど全て叶えられてきましたので、これからもきっと叶えられることでしょう。
こんなことを言うと、創価信者の方たちはきっとお怒りになるでしょうが、創価学会が解体された方がよほど自分のためになるということを分かった方がいいと思います。
目の前の現世利益にばかりしがみついていたら、本当に大事なことを見逃すことになりますから。
ちなみに、「サナト・クマーラ」が降り立った「鞍馬」は、別名「暗い魔」とも呼ばれているそうです。
一体どこまで闇なんでしょうね。
こんなことも知らずに(あるいは知った上でのことなのか)、「サナト・クマーラ」の降臨をお祝いする「ウエサク祭」は毎年、大盛況のようです。
○ウエサク祭 京都鞍馬寺 五月満月祭 2015年 平成27年
本当にこの世の改革が必要ですね。
レイズナー
Posted at 22:35h, 28 4月http://blog.livedoor.jp/net_detective/archives/1023019035.html
改めて上記の記事の2番が大切って思いますね~。
1も奴らの資金源なんでしょうがね。
アンフェア
Posted at 22:52h, 28 4月ブログ、いつもお疲れ様です。
感心させられながら拝見しております。
すみません。またちょっと出しゃばってしまうのですが、
別の知人の創価学会のお話を1つ。
私の知人が、顔見知りの創価学会員に、入信の勧誘をされていたそうです。
知人は全く興味が無く、相手にしていなかったですが、
入信の勧誘の際は、どのような手法を使うのか?
その事に興味があり、その勧誘に付き合ったみたいです。
無料だからと、相手の迷惑も顧みずに、
色々な本、パンフレット、冊子、お経本などなどを持ってきたそうです。
強いては聖教新聞の加入もしてくれの始末。
これでは只の押し売りセールスマンと同じだと思い、
信者の出方の様子を見ることに・・・。
少し時が経ち、試しにこちらから話題を振ろうと考えたそうで・・・。
多少割愛しますが、知人が
「お袋の車が事故ったみたいだ」と作り話を振ってみました。
そうすると信者は「毎日、ちゃんとお経を読んでた?念を入れてお経を読んだ?」と
尋ねて来たそうです。
知人「毎日ではなく、出来る限り唱えてたけど・・・」と、もちろん誤魔化しですが。
信者「だからだよ!ちゃんとお経を念入れて唱えていれば事故は無かったはずだ」と。
それで、その場をやり過ごし、また少し時間が経ってから、知人がわざと、
「この間のお袋の事故、勘違いで、お袋の前の車が事故にあったんだって」と
もちろん、作り話をしてみたそうです。信者がどう反応するのか。
そうしたら信者、「お経の力が働いたんだね。やはりお経の力は凄いでしょう」との事。
呆れてものが言えなかったみたいです。
・・・ここで知人は、勧誘の仕方もそうですが、
どちらに転んでも言い逃れ、言い訳、ご都合主義の方向に物事を運ぶやり方?説法?で
勧誘をするのだな。と思ったそうです。
心が弱い人や、何でも直ぐ信じやすい人、すがりたい人には絶好の言い分ですよね。
どちらに転んでも言い逃れが出来るのですから。
それ以降、勧誘が嫌がらせのようにしつこかったそうで・・・(やはり相手の迷惑など顧みない)
それで、これに対抗するには・・・と考え、崇拝はしておりませんが、ひらめきで、
エ○バの証人を信じているから入信は無理だとはっきり断ったそうです。
それを聞いた途端に、Fワードが飛び散るくらいに、エ○バの悪口を言い放ったそうです。
それも、確信もなく根拠がない悪口だったみたいです。
やはり、病んでると思います。信者の方々。
しっかりと前を向いて、すがるのではなく、自分でモノをちゃんと考えていってほしいです。
失礼しました。
のぶゆき
Posted at 22:56h, 28 4月あのですね
僕は創価学会じゃなくて
日蓮正宗です。
なので、池田大作は崇めませんよ。彼こそ悪魔の使いです。
rapt
Posted at 23:00h, 28 4月>のぶゆきさん。
記事を見ればお分かりの通り、そこが問題ではないのですがね……。
「日蓮正宗」も同じく「法華経」を信奉しているわけですから。
もっとも、ここに書かれてあることを認めたくはないのでしょうけどね。
ひま主婦
Posted at 23:02h, 28 4月私事ですが・・・
私の実家は田舎で、室内には複数の神棚に空海像の仏壇にと祀ってあります。両親は毎朝神棚を拝み、地域の氏神の祭祀にも参加し、不幸があれば仏壇を拝む生活です。
しめ縄、鏡餅からのような話をしても特に気に留める様子もないです。
何も知らず熱心に拝んでいる両親を見ているとどうしていいのか考えてしまいます。
このようなときにも神を頼って祈っていいのでしょうか?
ひま主婦
Posted at 23:09h, 28 4月すみません。カットコピペ失敗してました。
しめ縄、鏡餅から 蛇は悪魔 のような…
です。
rapt
Posted at 23:10h, 28 4月>ひま主婦さん。
もちろん、家族や身近な人が仏壇を拝むのをやめるように祈ってみるのもいいのではないかと思います。
とはいえ、その人たちが仏壇を拝んでいるのを無理やりやめさせない方がいいと思います。
そんなことをして家族の中で争いが起きてしまっては本末転倒です。
日本人の大半は仏壇を拝んでいます。
なので、他人のことを気にしていたら切りがありません。
大切なのは、自分がどうするかです。
とはいえ、ブログ等で情報拡散して、悪魔を拝むに等しい偶像崇拝などをやめるように呼びかけることは大事だと思います。
なかなか日本人には理解されにくい部分ではあると思いますが……。
rapt
Posted at 23:48h, 28 4月あと、この記事の中で書いた「異常で低レベルのコメント」というのは、反論を装った誹謗中傷コメントなどのことです。(しかも、内容は何の根拠もないようものばかり)
そのようなコメントを書いておいて、削除されて怒るというのは、一体どういう神経をしているのかと思ってしまいます。
ケンカを売られたら全部買わなければいけないのでしょうか、という話です。
むしろ、ケンカに乗らない方が正常なのではないでしょうか。
で、そういう人に個人的にメールを送ってみると、大抵、創価信者と分かるような返事が返ってきたりするわけですね。
なぜかメールの内容がやたらと宗教的なのです。
中には露骨に仏教を持ち上げるような人もいます。
ですから、この国ではキリスト教を持ち上げると誹謗され、仏教を持ち上げると善と見なされます。
そのような風潮を作っているのは、恐らくそのほとんどが創価信者だろうと思います。
五輪の書
Posted at 00:50h, 29 4月更新お疲れ様です。
特に日蓮正宗と創価学会は非常に排他的です。中を見て来て思うのですから。日蓮宗ともなればさほどうるさくもなくごった煮な感じです。何でもかんでも宗教に絡めて話されるのが子供の頃から鬱陶しく感じてしまって、まだ宗門と学会が分かれる前に少年部なる会合に連れ出されるのが嫌で嫌で。まずをもってraptさんの仰る通り変わり者が多い。貧乏。いじめられっ子。横柄。全部が全部では無いのですが恥ずかしくて宗教の話などできたものでは有りませんでした。創価学会が破門されてからは息苦しさがなくなったのは間違い有りません。自分が信徒としてダメ信徒なので謗法と言われる聖書を拝読は言語道断なのですが自分の探究心の欲求が抑え切れません。何事も自分の目で確かめそして考えたいのです。全て自分の責任で。本当は一般の方々にも世の中の真相を説明するためにもこの世の出来事を説明するつもりでいたのですがどうしても説明が難しい宗教のことに入ってしまったのでどうしようかと。ただ本質を知れば知るほどここが幹の一部なので置いとけなくなってしまった。少々手厳しくなるのは仕方の無いことだとraptさん前置きされてましたから。遅かれ早かれぶつかる場所ですし、自分のブログですから思う存分書いて構わないと思います。それを見てどうこう思うのは見る側の勝手。とにかく一番大事なのはこの世の中をよくしていくこと。raptさんがコメント返すコメントはまだ優しいし、まず載せてくれる柔軟さがあることに感謝せねばならないです。またまた長くなりましてすいません。
rapt
Posted at 01:01h, 29 4月「ここが幹の一部」というのはその通りですね。
というか、悪魔にとって一番、秘密にしておきたいのが「宗教」のことであり、「神様」のことです。
ここを世界中の誰もが知ってしまうと、誰一人として悪魔のことなんか拝まなくなりますからね。
もちろん、それでも悪魔を拝みたいと思う心の曲がった人もいるでしょうけど。
ひま主婦
Posted at 07:24h, 29 4月raptさん、返事ありがとうございます。
私は私で仏壇神棚を拝まず、信じられる神様にお祈りしよう思います。
つゆ草
Posted at 07:44h, 29 4月>五輪の書 さま
余計なお世話ながら・・・
◎ 自分の探究心の欲
◎ 何事も自分の目で確かめそして考えたい
△ 全て自分の責任で
⇒ ◎ 全責任は、大丈夫、神様が負ってくださいます。
新約聖書 マタイによる福音書 11章 28節;
「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。」
五輪の書
Posted at 10:00h, 29 4月つゆ草様
ありがとうございます。
その様に言われるとずいぶん楽になりますね。^_^
つゆ草
Posted at 11:13h, 29 4月>五輪の書 さま
それもこれも、すべてはRAPTさんのお蔭です。
新約聖書 ヨハネによる福音書15章 16節;
「あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ。あなたがたが出かけて行って実を結び、その実が残るようにと、また、わたしの名によって父に願うものは何でも与えられるようにと、わたしがあなたがたを任命したのである。」
アモリフェラ
Posted at 13:01h, 29 4月こんにちは。現在は「宗教」がテーマになっているので、ちょっと違う話題ですみませんが…。
さっき、さゆふらっとまうんどさんの動画を見ていたら、「教皇派VS天皇派」の話が出て来て、さゆふらっとさんも、RAPTさんのブログを研究しているのだなと思って書きました。「教皇派VS天皇派」の概念は、ネットの世界では相当浸透しているみたいですね。さゆふらっとさんは、「ANN(テレビ朝日)が天皇・ロスチャイルド派、FNN(フジテレビ)が教皇派」という分類をされています。
『総理官邸ドローン墜落・自作自演を的中させた…』
https://www.youtube.com/watch?v=-iw5Pu8kUcc
…ホントに、S学会に入信している主婦の人は、あまり、自分でものを考えないような印象がありますよ。upありがとうございます。