16 8月 RAPT×読者対談〈第105弾〉関ヶ原の戦いより千年前に起きた天下分け目の戦いの真相。またはカタカムナと安倍晋三の深いつながり。
このブログではこれまで、「関ヶ原の戦い」と同じような天下分け目の戦いが「関ヶ原の戦い」より1000年前(西暦600年頃)にもあった、というお話をしてきました。
これについては、以下のようなテレビ番組も作られています。
しかも、「関ヶ原の戦い」が「秦氏」と「出雲族」の戦い(源平合戦)であったように、「関ヶ原の戦い」より1000年前に起きた天下分け目の戦いもまた同じように「秦氏」と「出雲族」との戦い(源平合戦)だった、ともお話してきました。
では、その戦いとは一体、歴史上のどの戦いのことを指すのでしょうか。
今回はこれをテーマにお話します。
実を言うと、今回のお話は「カタカムナ」について調べているうちに副次的に分かってきたことです。
しかも、「カタカムナ」について調べていくうちに、「あらえびす」と現首相「安倍晋三」が同じルーツを持っていた、ということまで詳しく分かるようになってきました。
現在、「あらえびす」の代表者の名前は「安倍晋三」となっていますが、「東出融」氏はこのことについて単に「安倍晋三」から名前を借りているだけだと話しています。
しかし、実際のところ、これは事実ではありません。
「あらえびす」の代表者は、本当に「安倍晋三」であって、単に名前を借りているだけではありません。
では、なぜ「安倍晋三」が「あらえびす」の代表者だと言えるのか。
実は「安倍晋三」は、古代に「カタカムナ」を崇めていた氏族の、由緒正しき末裔の一人なのです。
今回はこの事実をはっきりと証明いたしましょう。
しかし、本題に入る前に、今回は先ず一つ興味深いお話をしておきたいと思います。
日本の天皇家は「秦氏」にしろ「出雲族」にしろ、全ては朝鮮半島から渡ってきた氏族です。
そして、その朝鮮半島は今、「韓国」と「北朝鮮」とに分かれていて、その国旗の色からそれぞれ「韓国(白)」は「出雲族」、「北朝鮮(赤)」は「秦氏」であると考えられます。
ただし、「韓国」のように政権のトップがコロコロと変わるような国では、政権交代が起きる度に「秦氏」と「出雲族」の権力の入れ替えが起きていると考えて間違いありません。
その証拠に、「韓国」の二大政党は「セヌリ党」と「共に民主党」ですが、これらの政党はそのロゴの色がそれぞれ「赤」と「青」でした。
現在の大統領「パク・クネ」は「セヌリ党」で「赤」。
前大統領の「イ・ミョンバク」は「共に民主党」で「青」。
で、前大統領「イ・ミョンバク」は、日本の大阪府大阪市平野区出身で、日本での通名は「月山明博(つきやま あきひろ)」とのこと。(出典はこちら)
で、現大統領の「パククネ」の父親「パク・チョンヒ」もかつては韓国大統領に就任したことがあるのですが、彼もまた日本名を持っていて、その名が「高木正雄(たかぎ まさお)」。(出典はこちら)
しかも、単に日本名を持っているというだけではなく、過去にはなんと満州帝国の軍官学校(士官学校)に志願入隊し、卒業した後は日本の帝国陸軍士官学校へ留学し、日本式の士官教育を受けたとのこと。
さらに、帰国後は満州軍第8団(連隊)副官として、八路軍やソ連軍との戦闘に加わり、内モンゴル自治区で終戦を迎えたそうです。詳しくは以下のリンクをご覧ください。
○朴正煕 – Wikipedia
このように、韓国の大統領が日本の帝国陸軍に所属して、日本軍として第二次世界大戦を戦っていたわけです。
で、この「パク・チョンヒ」の所属していた「セヌリ党(現ハンナラ党)」は「赤」なので「秦氏」です。
で、彼の所属していた日本の帝国陸軍もまた「秦氏」でしたよね。詳しくは以下のリンクをご覧ください。
○RAPT×読者対談〈第38弾〉関ヶ原の戦いも明治維新も第二次世界大戦もすべては源平合戦だった。
つまり、「パク・チョンヒ」は「秦氏」だったからこそ日本の帝国陸軍に所属し、「セヌリ党」として韓国大統領に就任していたわけです。
で、その娘の「パク・クネ」もセヌリ党で「赤」で「秦氏」。
ここ最近、急に韓流ブームが下火になってきたのも、どうやらここに原因がありそうです。
というのも、「韓流ブーム」が起きたときの韓国大統領が「ノ・ムヒョン」で、彼は「青」の民主党でした。
つまり、「韓流ブーム」を起こしたのは「出雲族」で、その「出雲族」の大統領が退任し、今では「秦氏」の大統領「パク・クネ」が擁立されたがために、「韓流ブーム」が急に下火になってきたと考えられるわけです。
「韓国」はもともと国旗の色(白)からして「出雲族」の国なので、「秦氏」としてはその韓国を持ち上げるようなことは余りしたくないのでしょう。
ということで、今日の本題に入ります。
まず「あらえびす」を漢字にすると、「荒夷」になります。あるいは「荒蝦夷」ともなります。
「蝦夷」は「えびす」とも読みますし、「えみし」とも「えぞ」とも読みます。いずれにせよ、読み方が違うだけで、意味はすべて同じです。
○蝦夷 – Wikipedia
で、「皇極天皇(斉明天皇)」の時代に「大和朝廷」がこの「えみし」を討伐したという出来事がありました。
「えみし」とは「出雲族」のことであり、「アイヌ人」のことでもあります。
要するに、「大和族(秦氏)」である「皇極天皇」が、「出雲族」と「月派」の連中を討伐したというわけです。
念のために言っておくと、「斉明天皇」と「皇極天皇」は同一人物です。しかも女性の天皇です。
で、それぞれの在位期間が以下になります。(出典はこちら)
■皇極:642年2月19日 – 645年7月12日
■斉明:655年2月14日 – 661年8月24日
関ヶ原の戦いが「1600年」なので、彼女はちょうど関ヶ原の戦いから1000年ほど前に天皇として在位していたわけです。
ということは、この「皇極天皇」の時代にこの日本で何があったのかを調べれば、「関ヶ原の戦い」から1000年前に起きた天下分け目の戦いがどんな戦いだったのかが分かるということです。
で、この「斉明天皇」のウィキペディアの記事を見てみると、「対外政策」として「蝦夷討伐」と「朝鮮出兵」を行ったと書かれてあります。
---------------------(以下、こちらから転載)
■対外政策
対外的には、朝鮮半島の諸国と使者を交換し、唐にも使者を遣わした。
■蝦夷平定
北方の蝦夷に対し、三度にわたって阿倍比羅夫を海路の遠征に送り蝦夷地を平定した。さらに当時北海道の北海岸や樺太に存在した粛慎まで出兵し勝利したと伝える。
■朝鮮半島への軍事介入
在位5年(660年)に百済が唐と新羅によって滅ぼされた。百済の滅亡と遺民の抗戦を知ると、人質として日本に滞在していた百済王子豊璋を百済に送った。
百済を援けるため、難波に遷って武器と船舶を作らせ、更に瀬戸内海を西に渡り、筑紫の朝倉宮に遷幸し戦争に備えた。
遠征の軍が発する前の661年、当地にて崩御した。
斉明天皇崩御にあたっても皇子は即位せずに称制し、朴市秦造田来津(造船の責任者)を司令官に任命して全面的に支援、日本軍は朝鮮半島南部に上陸し、白村江の戦いを戦ったが、唐と新羅の連合軍に敗北した。
直木孝次郎は皇極天皇のこれらの動向について、記紀における神功皇后の三韓征伐説話のモデルになったのではないかと推測している。
---------------------(転載ここまで)
繰り返しますが、当時の大和朝廷は「蝦夷」を討伐して、東北地方や北海道へと追いやりました。詳しくは以下のリンクをご参照下さい。
○RAPT×読者対談〈第98弾〉サブカルチャーに隠された悪魔の紋章。
で、追いやられた「蝦夷」の中に、大和朝廷への出入りを許された人たちがいて、その人たちのことを当時は「あらえみし」とか「にしきえみし」と呼んでいたようです。
---------------------(以下、こちらから転載)
蝦夷の生活を同時代人が正面から語った説明としては、斉明天皇5年(659年)の遣唐使と唐の高宗の問答が日本書紀にある。
それによると、大和朝廷に毎年入朝してくる熟蝦夷(にきえみし。おとなしい蝦夷)が最も近く、麁蝦夷(あらえみし。荒々しい蝦夷)がそれより遠く、最遠方に都加留(つがる)があった。
この使者の説明では、蝦夷は穀物を食べず、家を建てず、樹の下に住んでいた。
しかしこのような生活は史料にみえる他の記述とも現在の考古学的知見とも矛盾し、蝦夷を野蛮人と誇張するための創作と思われる。
信憑性に欠けるこの説明から確実にわかるのは、都加留(津軽)が固有名をあげられるほどの有力集団として存在したことである。
---------------------(以下、こちらから転載)
で、この「あらえみし」を漢字にすれば「荒蝦夷」であり、「あらえびす」とも読みますね。
「あらえびす」の名前はここに由来がある、と考えて間違いないでしょう。
ですから、「あらえびす」が「出雲族」であることはほぼ確定です。
また、「えみし」という言葉は、もともと古代の中国で使われていた「日本」の蔑称でもあります。当時の中国人は、日本のことを「東夷(とうい)」と呼んでバカにしていました。
---------------------(以下、こちらから転載)
本来は古代中国の東に位置する山東省あたりの人々に対する呼び名であったが、秦以降は朝鮮半島、日本列島などに住む異民族を指すようになった。
後に日本でも異民族を意味する「エビス」という語と一体化し、朝廷(京)から見て東国や蝦夷の人々のことを「東夷(あずまえびす・とうい)」「夷(い・えびす)」と呼んだ。
---------------------(転載ここまで)
で、よくよく考えてみると、「東出融」氏もまたその名に「東」という字を使っています。
「東夷」と「東出」。これが単なる偶然とは思えませんね。
もしかしたら「東出融」氏は、本当は心の中で「日本」のことを侮蔑しているのかも知れません。
で、ここで話は少し飛びますが、「カタカムナ」文献をもともと持っていたのは「チュルク族」という一族だそうです。
---------------------(以下、こちらから転載)
カタカナム文献】の内容は
【宇宙の成り立ち】 【宇宙 の特徴】 【物質や生命の発生の仕方】
【生命の本質】から【農業や製鉄技法】 【病気の 治療法】
【人間の考え方】 【商人道の心構え】までを表していました。
大自然、大宇宙の息吹を友としていた超古代人にとって、その直観力は、現代人の想像も及ばないほど研ぎ澄まされており、宇宙の深淵、宇宙の背後に隠されている何ものをも射抜くほどの力を持っていたようです。
【カタカナム】は山窩族長の平十字(ひらとじ)が伝承したものです。
古文書というと一般には歴史書ですが、【カタカナム文書】は、歴史書ではなく科学書です。
チュルク族(高令)は、遙か昔には、バイカル湖付近にいて、その時はオロッコ族といいましたが白鳥の磁場センサーを追って日本に渡来し、鉱脈を掘り当てていた人々だったようです。
https://ja.wikipedia.org/wiki/バイカル湖
https://ja.wikipedia.org/wiki/テュルク系民族
https://ja.wikipedia.org/wiki/チュルク語族
https://ja.wikipedia.org/wiki/ウィルタ
そして後のトルコ族のことで、鉄の車輪を作った製鉄部族族でした。
オロッコが高令になり【白鳥】をトーテムとし、匈奴の冒頓部のなかにありましたが、高句麗や扶余に混じって朝鮮半島や日本列島に渡来し、天の王朝の物部氏、新羅の蘇我氏、安曇水軍と対馬の阿比留一族、安部水軍、秋田水軍など及びメキシコのアステカ人など互いにつながっていたと考えられる伏しがあります。
https://ja.wikipedia.org/wiki/阿比留氏
https://ja.wikipedia.org/wiki/安東氏
アストランが白鷺または白亜の地を意味すること、セレベス島南部のマカッサル族とブギ族は、彼らの王族には【タクの木の樹液と同じような】白い血が流れていると信じています。
【カタカムナノウタヒ】には初めに【カタカムナヒビキマノスベシアトウアンウツシマツルカタカムナウタヒ】とあって【アシアトウアン】という者が筆者したといいます。
また、この書を伝えた平十字は【カタカムナ神を祀る一族の王アシアトウアンと天皇家の祖先が戦い、アシアトウアンは敗けて九州で死んだ】と語ったといいます。
このアシアトウアンという王名もしくは王朝名は、後に芦屋道満の名になって有名な差別伝承となったものですが、天皇家と戦って敗れたという先王朝は金官加羅の王朝です。
だから【カタカムナ】を信ずれば、【アシアトウアン】は先王朝が、またはそれ以前の先住民族の王朝ということになります。
先王朝というのは、神武、綏靖、安寧、懿徳という王朝と対立した孝昭、孝安、孝霊、孝元、開化という王朝であって、このうち考安天皇が安日彦、王弟の長足彦が長スネ彦で、安部貞任らはその子孫でした。
このことを認めると、1062年に滅びた安部一族は【アシアトウアン】王朝の末裔ということになります。
【天の王朝】の「アシアトウアン」こそ、アステカ族の故地アストランではなかったか。
古代メキシコ人のアステカ人が日本列島から出発した安部水軍だったとすればマヤ文明は彼らのもので、この部族には二系あり、その一つはホルヘ・キン(金)など新羅姓を思わせるものが多く、二系の部族とは倭人系阿曇水軍と新羅系阿部水軍であったかもしれません。
---------------------(転載ここまで)
このように、「カタカムナ文献」を大切に所持していたのが「チュルク族」。
で、この「チュルク族」はもともとロシアのバイカル湖辺りに住み着いていたのですが、その後、以下のように世界各地へと分布していきます。
で、この「チュルク族」がその名を変えて「匈奴(きょうど)」となったり、「高句麗」となったり、日本の「物部氏」となったり、「蘇我氏」となったり、「安曇水軍」となったり、「対馬の阿比留一族」となったり、「安部水軍」「秋田水軍」となったり、「メキシコのアステカ人」となったりしたようです。
なぜ「メキシコのアステカ人」が急に出てくるのか不思議に思う人もいるかも知れませんが、この辺のことは既にRAPT理論でも解明しています。詳しくは以下のリンクをご参照ください。
○マヤ・アステカ・インカ文明で行われた残酷な生贄儀式が、すべて日本に起源があるという明確な証拠。
○RAPT×読者対談〈第48弾〉3.11人工地震と福島遷都の謎。
さらに言うなら、「アシアトウアン」、「金官加羅」、「考安天皇=安日彦」「長足彦=長スネ彦」、「安部貞任」もまたこの「チュルク族」の後裔となるようです。
つまり、これらの人たちはみんな名前が違うだけで、同じ「蝦夷」であり「出雲族」であるわけです。
で、「安倍貞任」から後に「奥州安倍氏」が誕生するわけですが、実はこの「安部貞任」の末裔の一人に「安倍晋三」がいるとのこと。
○安倍氏 (奥州) – Wikipedia
しかも、「安倍晋三」自身、自らのことを「安部貞任」の末裔であるとはっきりと公言しているようです。
以下、「安倍貞任」のウィキペディアの記事から転載します。
---------------------(以下、こちらから転載)
津軽地方の豪族・安東氏(のち秋田氏)は貞任の子、高星の後裔を称した。
盛岡市出身で東京府知事の阿部浩も末裔を自認した。
第90・96代内閣総理大臣・安倍晋三も末裔であると日下公人に語ったとされ、また第23回参議院議員通常選挙に向けて北上市で遊説を行った際、「貞任の末裔が私となっている。ルーツは岩手県。その岩手県に帰ってきた」と聴衆に語りかけた。
---------------------(転載ここまで)
なお、「奥州安倍氏」のルーツには諸説あって、それが以下になります。
---------------------(以下、こちらから転載)
1.神武天皇に殺された畿内の王長脛彦の兄安日彦をその始祖とする説。
『平泉雑記』が伝える安倍氏自身の家伝によれば、安日彦の津軽亡命をもって安倍氏の発祥としている。「藤崎系図」にも同様の記述が見られ、真偽は別にして安倍氏の後裔はそのような自己意識を持っていたことは確かである。ただし、長脛彦を出自に関連づけているのは、平将門・藤原純友の後裔と称した武家が多数発生したのと同様に、武勇を尊んでの仮冒の結果とも考えられる。
2.奥州に下った中央豪族である安倍氏のいずれかが任地で子孫を残したとの説。
秋田の蝦夷の帰順を得た阿倍比羅夫につながる系図もある。これを受けて、明治期に編纂された華族類別録で安倍氏の子孫は、土御門家等阿倍氏と同じ孝元天皇の皇子大彦命の後裔であると位置づけられている。また、鎮守府将軍安倍比高の後裔とする説がある。
3.奈良時代に陸奥国に勢力を広げた阿倍氏から、陸奥南部の諸豪族が阿倍を冠した複姓(阿倍陸奥臣・阿倍安積臣、ほか)を賜与され支配関係を築かれたが、その子孫との説。
ただし復姓下賜が奥州南部にとどまり奥六郡のような北部に及んだ例がないこと、奥州の安倍氏にはこのような復姓を称した伝承が全く伝わっていないことをもって否定する見解もある。
4.朝廷に従った蝦夷(俘囚)とする説。
後世の研究では、蝦夷をアイヌの祖先と同一視する立場からabeをapeと読み替えて完全な土着の先住民とみる説もある。
---------------------(転載ここまで)
1では「安日彦」と「長脛彦」が出てきて、2では「阿部比羅夫」が出てきて、4では「蝦夷」が出てきます。
どれもこれも、名前こそ違えど、すべては「チュルク族」の末裔ですね。
ですから、これらすべての説はどれも正しいと考えて間違いなさそうです。
で、現首相の「安倍晋三」がはっきりと自分のことを「安部貞任」の末裔であると公言している以上、彼が自らのことを「チュルク族」の後裔であることを自覚していることは間違いないでしょう。
しかも、「チュルク族」は「カタカムナ」を崇めていて、「安倍晋三」も「カタカムナ」を元に作られた「イヤシロチ」を販売している「あらえびす」の代表者となっている。
さらに、「安倍晋三」の妻である「安倍昭恵」は、カタカムナ研究家「吉野信子」と双子と思えるほど、その顔がそっくり瓜二つ。(詳しくは以下のリンクをご覧ください。)
○RAPT×読者対談〈第82弾〉カタカムナこそルシファー信仰の源流である。
これが単なる偶然であるはずがありません。
「安倍晋三」の家系は、古代から現代まで「カタカムナ」を崇める祭祀一族であり、「安倍晋三」自身もこのことをはっきりと自覚しているに違いありません。
で、「あらえびす」の一員である「東出融」氏が私に接触し、私を取り込もうとしたということは、「安倍晋三」もまた私のことを知っていて、RAPTブログを入念に読んでいる可能性がありますね(笑)。
○RAPT×読者対談〈第75弾〉あらえびす・東出融の正体(1)
○RAPT×読者対談〈第76弾〉あらえびす・東出融の正体(2)
だから、このブログではずっと工作員の嫌がらせが絶えないわけです(笑)。
ちなみに、今回の対談では「アーリア人」と「チュルク人」を一緒くたにしてしまいましたが、この対談の後、「アーリア人」は「秦氏系」で、「チュルク人」は「出雲系」なのかも知れないと、ふと思い当たりました。
その根拠については、いずれ近いうちに詳しく記事にしたいと思っています。(まあ、分かる人はすぐに分かることだと思います。)
で、「秦氏」も「出雲族」も世界各地に散らばりつつ、その一部がそれぞれ朝鮮半島に流れ着き、「秦氏(あるいは大和族)」が「百済」を建国、「出雲族」が「新羅」を建国したわけでしょう。
で、彼らはご多分に漏れず、いつものようにここでも互いにバチバチと火花を散らすようになった。
そして、その戦いが「白村江の戦い」へと発展していった。
○白村江の戦い – Wikipedia
その際、日本の「皇極天皇」が「百済」と手を組み、中国の「唐」が「新羅」と組んで、互いに交戦した。
その結果、「唐」と「新羅」の連合軍(出雲族)が勝利したわけですが、ちょうどこの戦いの十年ほど後に、日本で「壬申の乱」が起きています。
○壬申の乱 – Wikipedia
「白村江の戦い」が西暦663年で、「壬申の乱」が西暦672年です。
「壬申の乱」は、当時の天皇「天智天皇」の太子・大友皇子(弘文天皇の称号を追号)に対し、皇弟・大海人皇子(後の天武天皇)が反旗をひるがえしたクーデターだと言われています。
しかも、古代日本最大級のクーデターだと言われています。(出典はこちら)
で、この「壬申の乱」を起こした「天武天皇」は、この戦いのときに「赤」い旗を掲げていたとのこと。
---------------------(以下、こちらから転載)
天武は壬申の乱のおりに、自分を百姓(侠客)上がりの漢の高祖劉邦になぞらえて劉邦と同じ赤い旗を使用しているが、身内同士の争では例えとして合っていない。
---------------------(転載ここまで)
つまり、「天武天皇」は「秦氏」だったわけです。
で、この「天武天皇」が勝利したということは、歴史の流れとしてはこういうことになります。
先ず「白村江の戦い」で「出雲族」が勝利し、「秦氏」が敗れて、「出雲族」の日本支配が固まろうとした。
そこで慌てて「秦氏」が「壬申の乱」を起こし、「出雲族」に逆襲した。
その結果、「秦氏」が「出雲族」を倒し、「秦氏(大和族)」による日本の支配が確立した。
で、「大和朝廷」が開かれた……。
ちなみに、「聖徳太子」は「秦河勝」という名の「秦氏」であり、彼は「白村江の戦い」が起きる40年ほど前に「出雲族」の「蘇我氏」によって暗殺されています。詳しくは以下のリンクをご参照ください。
○ 「聖徳太子」も「平清盛」もゾロアスター教徒であり、ロスチャイルドの先祖です。
つまり、「聖徳太子」のときから既に「秦氏」と「出雲族」の争いは激化していて、その延長として「白村江の戦い」という世界大戦が勃発したと考えられるわけです。
で、「白村江の戦い」に敗れた「秦氏」が、「壬申の乱」で「出雲族」を滅ぼし、「大和朝廷」を開いた上、自分たちの権力の正当性をでっちあげるため、「古事記」を712年に編纂、「日本書紀」を720年に編纂したというわけでしょう。
こうして見てみると、「関ヶ原の戦い」の1000年前に起きた天下分け目の戦いとは、「白村江の戦い」と「壬申の乱」のことだったと考えられます。これはもう間違いありませんね。
ここで、話はさらに古代に遡ります。
日本の初代天皇は「神武天皇」で、彼はもともと「日向」にいました。
「日向」とは現在の「宮崎県」のことで、古代のこの近辺には「秦王国」なる国家が存在していました。これについては、以下の記事でも既に書いた通りです。
○RAPT×読者対談〈第98弾〉サブカルチャーに隠された悪魔の紋章。
「秦王国」とはすなわち「秦の始皇帝」の統治国のことです。つまり「秦氏」側の国ということです。
で、今では「秦王国」が福岡にあったという説や、下関にあったという説などあって、諸説紛々としています。
■福岡説
○秦王国について
■下関説
○秦王国の首都は穴門の国の北浦海岸(下関)|日本の歴史と日本人のルーツ
しかし、大分県にある「宇佐神宮」が「秦王国」の中心地であると唱える人もいます。
○宇佐八幡神は新羅の神だった
なので、「秦王国」は九州のかなり広い地域を支配していたのではないかと私は考えています。
ちなみに、このリンク記事では、「秦氏」が「新羅人」だったということになっていて、その「新羅人」は「出雲族」ですよね。
ということは、「秦氏」ももともとは「出雲族」だったということになり、RAPT理論とは矛盾してしまうのですが、実のところ、私はこの歴史的事実からまた新たなる事実を発見することになりました。
確かに「秦氏」と「出雲族」は敵対しています。
しかし、「秦氏」はもともと「出雲族」の一派だったのでしょう。
しかし、その後、何らかの理由があって彼らは「出雲族」に反抗し、「大和族」へと転身してしまったわけです。
その証拠については、いずれ近いうちに記事にする予定です。どうぞお楽しみに。
で、この日本国内において「秦氏」と「出雲族」の戦いが本格的に始まったのが「神武東征」のときから、と考えられるのですが、「神武天皇」はもともと「日向」にいて、その「日向」の周辺には「秦王国」があった。
ということは、「神武天皇」とは「秦王国」に住んでいた豪族だった、と考えられます。
で、この「神武天皇」が九州を発ち、大和地方を征服したという出来事が「神武東征」です。
○神武東征 – Wikipedia
で、この「神武天皇」はこれまで何度もお話してきましたように、「赤」い服を着ています。なので、彼は明らかに「秦氏」です。
で、この「神武天皇」と戦って負けた一人に「長脛彦(ナガスネヒコ)」がいるのですが、上にも書いた通り、この「長脛彦」の末裔が「奥州安倍氏」であり、その「奥州安倍氏」の末裔の一人に「安倍晋三」がいます。
また、上の転載記事もあります通り、「カタカムナ」を祀っていた「アシアトウアン」という一族も、九州で天皇家と戦って敗北したとのこと。
ここで、「アシアトウアン」と「長脛彦」に一つのつながりが見えてきます。
確かに「長脛彦」は奈良で「神武天皇」に倒され、「アシアトウアン」は九州で「天皇家」に倒されたことになっているので、それぞれ彼らのいた地域は違います。
しかし、彼らは同じ「秦氏」と戦って負けたわけですから、「長脛彦」と「アシアトウアン」が同じ一味であったことは間違いありません。
実際、「アシアトウアン」は「金官加羅」のことだとも言われていて、「金官加羅」は3世紀から6世紀にかけての王朝だと言われていますから、ちょうど「神武東征」の時期ともかぶります。
○金官加羅 – Wikipedia
○邪馬台国と神武東征
で、前にもお話しました通り、近年に入って「カタカムナ文献」を受け継いだのが「楢崎皐月」です。それが「1949年」のことです。詳しくは以下のリンクをご参照ください。
○RAPT×読者対談〈第79弾〉カタカムナとあらえびすとイヤシロチ詐欺。
で、この「楢崎皐月」から「カタカムナ文献」を受け継いだのが「宇野多美恵」という女性なのですが、実はこの「宇野多美恵」。
その別荘が火災に遭い、その際に彼女自身も焼死してしまったそうです。
しかも、この火災のときに「カタカムナ文献」の原本も一緒に燃えてしまったとのこと。
---------------------(以下、こちらから転載)
カタカムナ文献の研究は楢崎皐月から宇野多美恵さんに引き継がれますが、分厚い全16冊の「相似象」を刊行した後、最後の81首目の解読中の2006年11月、軽井沢の別荘が全焼して死亡します。
ここでカタカムナ文献の原本はすべて失われてしまったそうです。
焼け跡からは、宇野多美恵さんの焼死体箇所が最も激しい温度で焼けことが明らかになり、別荘から離れた車も全焼、息子さんが車中から焼死体で発見されています。
---------------------(転載ここまで)
この出来事もまた「秦氏」と「出雲族」の争いだったのでしょうか。
それとも、「カタカムナ」を言葉として残しておきたい勢力と、言葉として残したくない勢力との間に争いがあったのでしょうか。
いずれにせよ、この放火事件(?)によって「カタカムナ文献」はこの世から消滅してしまいました。
で、件の「楢崎皐月」ですが、実は彼は第二次大戦のときに「満州」に派遣されています。
しかも、彼が「満州」にいたときに「アシアトウアン(アシア族)」に関する話を聞かされたそうです。
以下、ウィキペディアによる「楢崎皐月」の略歴です。
---------------------(以下、こちらから転載)
1899年5月9日、山口県東萩の母方の実家で誕生した。その後、北海道札幌市で育った。(註:山口県は「安倍晋三」の生まれ故郷でもあります。)
母方の祖父・楢崎寛直は旧長州藩士で、初代長野県令を務めた。実父・丹野軍治は旧伊達藩士で、屯田兵として北海道の開拓に従事した。後に楢崎家を継ぎ、中学校卒業後上京。
1917年、日本電子工業・電気学校で学んだ。卒業後、20代で国産の特殊絶縁油を開発。日本石油と契約を結び、フリーランスの技術者として活躍。
その後石原莞爾の助言を受け、福島県相馬郡に亜鉛から人造石油をつくるプラント工場を設立した。
1943年、東條英機の要請により、満州吉林省河北の陸軍製鉄技術試験場の所長として赴任した。陸軍の製鉄所の建設地決定の為に大地電気分布の構造を実測した。
1944年、満州、吉林で盧有三(90歳位)老子教老師と会い、古伝(日本の超古代文明:八鏡の文字を持ったアシア族)について聞かされた。
その時、老師に伝わっている鉄器の熱伝導のよさに驚いた(木の葉で湯が沸いた)。
---------------------(以下、こちらから転載)
で、この「満州」。
先ほど、「斉明天皇」の時代に「阿倍比羅夫」が「蝦夷」を討伐したとお話しましたが、実は「蝦夷」は「粛慎」とも呼ばれていて、「粛慎」はもともと「満州」に住んでいたツングース系の狩猟民族なのです。
---------------------(以下、こちらから転載)
粛慎(しゅくしん、みしはせ、あしはせ、拼音:Sùshèn)とは、満州(中国東北地方及びロシア・沿海地方)に住んでいたとされるツングース系狩猟民族。
また、後にこの民族が住んでいた地域の名称ともなった。
この粛慎という呼び名は周代・春秋戦国時代の華北を中心とする東アジア都市文化圏の人々(後に漢民族として統合されていく前身となった人々)が粛慎人の自称を音訳した呼び名である。
息慎(そくしん、Xīshèn),稷慎(しょくしん、Jìshèn)とも表記される。
中国の周代の文献の中にしばしば見られるほか、日本の『日本書紀』の中にも粛慎の記述が見られる。ただ、中国文献中の粛慎と日本文献中の粛慎の存在した時期にかなりの開きがあり関係性は不明。
後代の挹婁,勿吉,靺鞨,女真(満州族)と同系の民族と考えられている。
---------------------(転載ここまで)
で、この「粛慎」のことを「蝦夷」と同じ氏族であると考えている人がいる、とウィキペディアには書かれてあります。
---------------------(以下、こちらから転載)
日本で最初の正史の『日本書紀』にも粛慎のことが記されている。
ただ、日本書紀に出てくる粛慎は、中国の古典に出てくる粛慎と数百年の開きがあり同一のものであるとする確証はない。
日本書紀に粛慎が出てくる箇所は大きく分けて、以下のように3ヶ所ある。
1.欽明天皇の時に佐渡島へ粛慎が来たこと
2.斉明天皇の時の阿倍比羅夫の粛慎討伐
3.天武天皇・持統天皇の時の粛慎の来訪と官位を与えたこと
日本書紀に出てくる粛慎についてどのような集団かという説はさまざまあるが、おおむね以下のようにまとめられよう。
蝦夷(えみし)と同じ。粛慎と呼ぶのは中国の古典にも出てくる由緒ある名前であるからとする。
蝦夷とも中国の文献に出てくる粛慎とも違う民族。(ニヴフ、アレウトなど、もしくは現存しない民族)
中国の文献に出てくる粛慎と同じ民族であるツングース系の民族。
また北海道のオホーツク海沿岸や樺太などに遺跡が見られるオホーツク文化(3世紀~13世紀)と関連すると考える人もいる。
粛慎の訓は「みしはせ」とする説と「あしはせ」とする説とがあり、未だに定まっていない。
見の字を略したミの音を表す変体仮名が、片仮名のアと字形が似ているため、このような混乱が生じている。
---------------------(転載ここまで)
「出雲族」は第二次大戦の際に「満州」にユダヤ人国家を作ろうと計画し、失敗しました。(この計画が「出雲族」による計画だったということは、次回、詳しく記事にする予定です。)
○満州国へのユダヤ人移民計画が失敗し、パレスチナにイスラエルが建国されるまで。または「河豚計画」が声を大にして語られない理由。
しかし、現代に入ってから、「出雲族」はまたしてもこの計画を推し進め、性懲りもなくユダヤ人の国を「北海道」に作ろうとしています。
そして、その北海道のユダヤ人国家に「蝦夷共和国」という名前をつけようとしています。詳しくは以下のリンクをご参照ください。
○ジョン・タイターの予言は既に着々と実現しています。「蝦夷共和国」はユダヤ人を北海道に移住させる「河豚計画」の一環として誕生する予定です。
なぜ「満州」に作ろうとしたユダヤ人国家を、今度は「北海道」に作ろうとしているのか。
そして、なぜその国に「蝦夷共和国」という名前をつけようとしているのか。
今の今までそれがずっと謎でしたが、「満州」も「北海道」も彼ら「蝦夷=粛慎(出雲族)」にとって深い縁のある土地です。
だから、彼らはこんな計画を長きに渡って進めようとしてきたのです。
ということで、ここで一旦、話の要点をまとめます。
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1.「斉明天皇」の時代に「阿倍比羅夫」が「蝦夷」を討伐し、東北と「北海道」に追いやる。
2.「蝦夷」は「粛慎」とも呼ばれ、「満州」に住んでいたツングース系の狩猟民族。
3.第二次大戦のとき、出雲族は「満州」にユダヤ人を移住させようと「河豚計画」を進めて失敗。
4.現在、「蝦夷」の一部は「北海道」に住んでいるが、その「北海道」にユダヤ人を移住させる計画がある。
6.その北海道のユダヤ人国家に「蝦夷共和国」という名前をつける予定になっている。
7.第二次大戦中、「満州」に「楢崎皐月」が派遣され、彼はそこでカタカムナ文献を崇めていた「アシア族」の話を聞かされる。そして、その後「カタカムナ文献」を受け継ぐ。
8.「阿倍比羅夫」は後に「奥州安倍氏」となる。
9.「奥州安倍氏」は「カタカムナ文献」を崇めていた「アシア族(アシアトウアン)」の末裔。
10.「安倍晋三」は「奥州安倍一族」の末裔の一人。
11.「出雲族」の陰陽師「蘆屋道満(あしやどうまん)」の名前は、「アシアトウアン」に由来がある。
12.カタカムナを崇める「あらえびす」は、漢字にすると「荒蝦夷」であり、その代表者は「安倍晋三」。
13.「あらえびす」はイヤシロチを販売していたが、そのイヤシロチの最初の考案者は「楢崎皐月」である。
14.「アシア族」は古代日本において「秦王国」に負けた氏族。つまりは「出雲族」である。
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古代から現代に至るまで、ありとあらゆる出来事が一つにつながってしまいました。
● 蝦夷 = 粛慎 = アシアトウアン = 芦屋道満 = 満州 = 北海道 = 奥州安部氏 = 安倍晋三 = あらえびす = 楢崎皐月 = 出雲族
ついでに言っておくと、「満州」や「北海道」に移住させられようとしているユダヤ人は、本物のユダヤ人(ユダヤ教徒)ではありません。
本物のユダヤ教徒は「旧約聖書」を信じていますが、彼らは「悪魔教(タルムード)」を信じているに違いないからです。
そして、その偽ユダヤ人たちもまた「アシアトウアン」なる一族の末裔なのでしょう。
つまり、彼らは「出雲系・月派」の悪魔崇拝者(イルミナティ)に違いありません。
なぜなら、ジョン・タイターの地図もこの「蝦夷共和国」は「緑(出雲系・月派の色)」で囲まれていますし、今年に入って開通した「北海道新幹線」も「緑」に塗装されているからです。
また、「安倍晋三」を首相として祀り上げている自民党も、現在のホームページは「緑」が基調になっています。
○2016年 参院選特設サイト|「この道を。力強く、前へ。」自由民主党
また、自民党から分裂して都知事選を戦った「小池百合子」も、そのホームページは同じ「緑」。
○小池ゆりこ オフィシャルサイト | 小池ゆりこ衆議院議員の公式ホームページです。
要するに、「小池百合子」が自民党から分裂して戦ったというのは嘘で、彼らはみんな同じ穴のムジナ、つまり同じ「出雲系・月派」の連中なのです。
恐らく彼らは、今後、総力を結集して「蝦夷共和国」を北海道に建国し、ジョン・タイターの予言を実現していくつもりなのでしょう。
で、彼らのもともとの先祖は「チュルク族」ですが、「チュルク族」の使っていた「チュルク語」は、「日本語」と同じ「膠着語(こうちゃくご)」という種類の言語で、「日本語」と文法などが全く同じなのだそうです。
さらに言うなら、「チュルク族」は「オロッコ族」とも呼ばれていて、「オロッコ族」は「ウィルタ」とも呼ばれ、「ウィルタ」もまた「粛慎」と同じツングース系民族。
そして、「ウィルタ」の一部は現在、北海道に移住しているとのこと。
---------------------(以下、こちらから転載)
ウィルタ(UILTA, Orok)は、樺太(現在のサハリン州中部以北)の民族で、ツングース系である。
アイヌからはオロッコ (Orokko) と呼ばれた。
本来の言語はツングース諸語の系統であるウィルタ語である。
樺太では中部・北部に暮らし、シベリアのツングース系諸族と交流をもったほか、樺太北部のニヴフ、南部のアイヌとも交易をしていたと伝えられている。
2002年(平成14年)の国勢調査によると、346人がオホーツク海沿岸の樺太北部および南部のポロナイスク(旧敷香町)近郊に居住している。現在では、一部がロシア人との混血が進んでいる。
第二次世界大戦前に日本領だった南樺太に居住して日本国籍をもっていた者は、日本の敗戦後に北海道(網走市など)へ移住したりした。
1978年の時点では網走市に6世帯13人いたという調査結果が得られている。
現在の人口は情報が乏しく、推測すら出来ないため不明となっている。
---------------------(転載ここまで)
つまり、「ウィルタ」もまた「蝦夷」と同じ「チュルク族」の末裔であり、「満州」や「北海道」と深く関わりがあるということです。
要するに、この「ウィルタ」もまた「蝦夷」と喋る言語こそ違えど、同じ「出雲族」ということです。まあ、日本の「ホピ」みたいなものでしょうか。
で、ここで先ほどの「神武天皇」の話に戻ります。
「神武天皇」の後の二代目から八代目の天皇の時代のことを「欠史八代」といって、「古事記」でも「日本書紀」でもこの時代のことはかなりあやふやに書かれています。
○欠史八代 – Wikipedia
このことについては、私も過去に以下のような記事を書きました。
○二代目天皇「綏靖天皇」は朝に夕に人間を7人食べていた。古事記と日本書紀から削除された怪しげな天皇家の記録。
では、この「欠史八代」とはどんな時代だったのか。
これについては、様々な人が様々な説を唱えているのですが、その説の一つに「葛城王朝説」なるものがあります。
---------------------(以下、こちらから転載)
■葛城王朝説
初代神武天皇から欠史八代までの系譜を10代の崇神天皇の一族とは別の王朝のものと考え、その王朝の所在地を葛城(現在の奈良県、奈良盆地南西部一帯)の地に比定する説。
この葛城王朝は奈良盆地周辺に起源を有し、九州を含む西日本一帯を支配したが、九州の豪族である崇神天皇に併合されたと考える。
この葛城王朝説は邪馬台国論争とも関連させて考えることができ、この説を発展させて邪馬台国は畿内にあったとして葛城王朝を邪馬台国に、崇神天皇の王朝を狗奴国にそれぞれ比定する説や、邪馬台国は九州にあったとして崇神天皇の王朝が邪馬台国またはそれに関連する国、あるいは邪馬台国を滅した後の狗奴国と考え、それが畿内に東遷したとする説もある。
---------------------(転載ここまで)
見ての通り、「欠史八代」の時代に、奈良盆地の辺りに「葛城王朝」という王朝があって、この「葛城王朝」こそが「邪馬台国」であるという説や「狗奴国(くなこく)」であるという説があるとのこと。
で、「邪馬台国」については皆さんも御存知だと思いますが、では「狗奴国(くなこく)」とはどんな国だったのか。
この当時、日本には「倭(わ)」という国と「奴(な)」という国がありました。
○倭国 – Wikipedia
○奴国 – Wikipedia
で、「奴(な)」の分国として「狗奴国(くなこく)」があったそうです。
しかも、魏志倭人伝によると、「狗奴国」は「邪馬台国」と争っていたとのこと。
---------------------(以下、こちらから転載)
狗奴国(一般的には「くなこく」と読む)は、中国の三国時代の歴史書三国志(西晋の陳寿の作)のうちの魏書の中の魏書東夷伝に記載されている邪馬台国と対立していた倭人の国。
3世紀の倭国で邪馬台国の尽きるところである奴国の南に位置する。
その名称からも、元は奴国の分国ではないかという説があるが、単に「クの国」(「奴」は「の」という意味に過ぎない)という説もある。
---------------------(転載ここまで)
このように、「邪馬台国」と「狗奴国」が争い合っていたということは、「邪馬台国」「欠史八代」の時代もまた、巨大な二つの勢力が争い合っていたということになりますね。
恐らくこういうことでしょう。
■倭 = 邪馬台国 = 大和族(秦氏)
■奴 = 狗奴国 = 出雲族
こんな肝心なことを我々は歴史の授業では全く習いません。
とにかくイルミナティの連中は、この日本の歴史が、古代から現代に至るまで「秦氏」と「出雲族」との争いによって成り立ってきた、という事実を隠したがっているようです。
そのため、我々庶民がいくら日本史の勉強をしても、全くのちんぷんかんぷんで、何一つまともな歴史的なストーリーを組み立てられなかったわけです。
その結果、歴史の授業のすべてが、面白くも何ともない詰め込み式の授業になってしまっていたわけですね。
ちなみに、以下のリンク記事を読む限りでは、やはり「葛城王朝」が「出雲族」であることは間違いなさそうですね。
---------------------(以下、こちらから転載)
秦一族の初渡来・・・
秦一族の最初に渡来して来た時代は、天皇はまだ居ない・・・。
天皇制度がまだ無いからだ。日本は存在しない・・・。
ではこの国は何だ・・・?
この国は、中国大陸の領土であった。その名も「倭」という。
邪馬台国の卑弥呼も大陸側に使いの者をやり、中国本土側から卑弥呼を女王として認めるという金印を貰い、女王として認めて貰う話しである。
だが・・・
それも‘邪馬台国’だけでの話しであり、倭の女王ではない・・・。
倭は、北九州の豊国(とよのくに)に‘秦王国’があり、現在の大分県と福岡県が一つの国であった。いわゆる‘秦一族’の拠点である。
豊国は後に豊前(とよのまえ:ぶぜん)と、豊後(ぶんご)に分れ、今に到る。
秦王国があったのは文献によれば、瀬戸内の沿岸付近とあるので豊前の側に拠点があった。だが実際には豊国全体に秦氏が居たのは言うまでも無い。
この時代、歴史で言えば‘弥生時代’である。
それまでの‘縄文時代’はと言えば、先住民はフンドシ一丁のほとんど裸同然の原始時代。
身体には刺青タトゥーを彫り、片手には槍を持って、獲物を追いかけていた。
縄文時代の土器を見ると、明らかに弥生式の土器とは全く違うものだ。
器や土偶はデザインがまるで別の物であり、縄文人のデザインの方が細かくて精巧に作られている。それに大して弥生式は‘ヌペーッ’とした作りだ。
日本人の先住民と言われている‘アイヌ人’は、文献には‘白人=しらひと’と記されている。
白人とは何か?? 謎であったが、調べて行く内にこの白人とは脱字の‘木’の文字があるのが判った。白人とは、‘白木人’である。
先住民:アイヌ人は、白木人=シラギのヒトであった。先住民とは言うが、アイヌ人も渡来人である。
「倭」は他に奈良県の葛城山に‘葛城王朝’があった。
日本の古い氏族としてここには葛城氏の一族が拠点としていた。
葛城王朝は短くして滅んだと言われているが、葛城氏の襲津彦(そつひこ)によって、一時的に復活している。
が、結局滅ぶ・・・。
秦一族の何度目かの渡来である弓月君の一団が渡って来た時代。
これは天皇が居るので、時代は倭の時よりも大分後になるのだが、その弓月君が連れて来たという秦一族がまだ新羅で足止めを喰らっていて渡来出来ないでいる話しにも登場しているのが、この葛城の‘襲津彦’である。
面白い話しのつながりである。
そもそも葛城王朝の襲津彦にとっては、天皇家など大したものとは思っていなかったのが本当の所だ。
新羅で足止めされている秦一族を連れて来ると天皇家に言って新羅に渡っているが、新羅に行って歓迎されて、そのまま帰らず、天皇家の怒りを買っているのだ。面白い男だ・・・。
だが、それだけの権限があればこそであろうな・・・。
‘王権’を持っていながら‘自由な男’というイメージがある。
結局、葛城王朝を復活させながらも、それを滅ぼしたのもこの男である。
何とも言いがたい所があるが、この葛城王朝は滅んだとは言え、その血脈までは滅んだ訳ではない。
この滅んだ王朝の血脈から継承して出て来た一族がいるのだ。
それが‘蘇我氏’と‘賀茂氏’である・・・。
---------------------(転載ここまで)
また、今回の対談の中で出てくる「金印」は以下になります。
この金印のことを「漢委奴国王印(かんのわのなのこくおういん)」と言って、漢から「倭」と「奴」に送られた金印という意味ですが、この「倭」と「奴」が争っていたということが最初から分かっていれば、RAPT理論ももう少し早くから解明できていたかも知れません。
あと、最後の補足になりますが、現在の天皇は、自分たち天皇家が「百済」と深い縁がある、という話をしたことがあります。
---------------------(以下、こちらから転載)
『天皇陛下は23日、68歳の誕生日を迎えた。これに先立って記者会見し、深刻化する経済情勢が国民生活へ与える影響を案じ、この1年の出来事を振り返った。
日韓共催のサッカーワールドカップ(w杯)との関連で、人的、文化的な交流について語る中で「韓国とのゆかり感じてます」と述べた。
「残念な」歴史にも触れ、両国民の交流が良い方向へ向かうよう願う気持ちを示した。
w杯の共同開催国、韓国に対する関心や思いを問われ、陛下は、同国からの移住者らによって文化や技術が伝えられたことに触れる中で
「私自身としては、桓武天皇の生母が百済武寧王の子孫であると続日本紀に記されていることに、【韓国とのゆかり】を感じています。
武寧王は日本との関係が深く、このとき日本に五経博士が代々日本に招聘されるようになりました。
また、武寧王の子、聖明王は日本に仏教を伝えたことでしられております」
と語った。』とあります。
---------------------
「百済」というと、「白村江の戦い」で「新羅=出雲族」と戦った国です。なので、「大和族(秦氏)」側の国ですよね。
で、この「百済」とゆかりを感じているということは、やはり現在の天皇は「出雲族」ではなく、「大和族(秦氏)」にゆかりがある、ということになります。
しかし、現在の日本では「出雲族」が勢力を強めている。
そのため、「大和族(秦氏)」にゆかりのある今上天皇は、今や「生前退位」へと追い詰めてしまったわけでしょう。詳しくは以下のリンクをご参照ください。
○RAPT×読者対談〈第102弾〉天皇の生前退位のカラクリ。
ということで、RAPT理論はついに古代史の謎をもはっきりと解明してしまいました。
これからさらなる歴史の解明が進んでいきます。どうぞお楽しみに。
(追記)今回の記事のコメント欄に、「ラプター」という人がたくさんのコメントを書き、それに対して頭が混乱すると書いてきた人がいましたが、ついに「ラプター」が本性を現しました。
「ラプター」は本日(8月22日)、私に対して「何もかも天皇のせいにしすぎ」と文句を書いてきました。
やはり今回の記事は、工作員には難しすぎて理解できなかったらしく、そのため直接、私の記事にイチャモンを付けるのではなく、竹中平蔵と同じように訳の分からないことを沢山書いて、読者を混乱させ、真実が分からないように仕向けようとしたようです。
とりあえず、今後の彼らの工作の手口を知るためにも、「ラプター」のコメントはそのまま残しておこうと思います。
彼らはこれからRAPT理論の中にわざと嘘を混ぜて話しながら、人々の頭を混乱させていくでしょう。
RAPT理論をはなから否定すると、かえって誰からも怪しまれるので、RAPT理論を信じる振りをしながら、RAPT理論の一部を改ざんし、人々の頭を混乱させるわけです。
また、私が過去に書いた記事と、最近の記事とでは、内容がかなり異なります。
それは、次々と新しい発見があったからです。
しかし、彼らは過去の記事をわざと引き合いに出し、最新の記事を隠すようにして、RAPT理論を語ります。
ですから、もし私の最新の記事を無視して、過去の記事のことばかりを語るような人がいたら、その人は工作員だと思って間違いないでしょう。
本当にRAPT理論を信じている人は、最新の記事もしっかりとチェックして、そちらの方が正しいと分かっているはずだからです。
ハルヒ
Posted at 16:41h, 16 8月安倍昭恵のやってる店の名前が
『UZU』
http://matome.naver.jp/m/odai/2135063348429730401
RAPT様はじめ健全な読者の皆様
暑い日が続きますが
体調崩したりなさいませんように ^ ^
イケメンマッサン
Posted at 17:13h, 16 8月RAPTさん、更新ありがとうございます。
世の中は、空前のカタカムナブームですね笑
天皇の生前退位もそういう流れなのかと…。
知識の深さにため息ばかりです。
カルト資本主義という著書にも、東洋思想と西洋思想が800年周期でやってくるとかかれていました。
今は東洋思想が主流の流れなのかなと、世の中のブームをみると感じます。
お恥ずかしい話ですが、私もそのブームに乗ってしまっていた、さらに熱狂的信者であったのですが、ラプトブログに出会い、今は蚊帳の外から冷静に世の中で起きている事が見ることができるようになった事をいつも神様に感謝しています。
有料記事も毎回身に染み込みます。
早く悪魔崇拝者のすべての陰謀が暴かれ、義に生きる人々が栄える世の中になりますようにお祈りしております。
イケメンマッサン
Posted at 17:16h, 16 8月ハルヒ様
貴重な情報ありがとうございます。
UZU
まさに渦巻
カタカムナですねー笑笑
皆様に三位からの祝福がありますように。
まつたけ
Posted at 20:02h, 16 8月韓国というと、『出雲族の勢力が強い/ロックフェラーの傀儡』というイメージがありましたが、
国旗の太極図の部分は見事に赤と青なので、本当のところはどうなのか、ずっと疑問に思っていました。
やはり、韓国の国内でも、秦氏と出雲族の二大勢力が戦っているのですね。
朴槿恵・大統領の父上で元・韓国大統領の朴正煕氏は、大統領在任中に暗殺されていて、
1回目は暗殺未遂、犯人は土台人と呼ばれる在日韓国人(北朝鮮協力者)、
2回目、暗殺成功時の犯人は大統領の側近ということですが、
(過去のテレビ番組で扱われていた)暗殺に至った理由は、全く理解できませんでした。
朴正煕氏は、在任中、1965年に日韓基本条約の締結まで成し遂げています。
朴正煕氏の暗殺は、出雲族の仕業なのではないか、という気がしてきました。
パウラ
Posted at 22:35h, 16 8月あまりにも詳細な内容で頭が重くなりました。笑 ところで「愛子様 影武者」と検索すると、皇太子さまのお子の愛子様が、現在は影武者の「影子さん」にすり替わっている様子です。天皇の生前退位は、出雲族が、今上秦氏天皇をとっとと追い出し、雅子妃の「出雲族天皇」に移行するつもりなのだろうと思いました。そして出雲族は、いずれ愛子様を女性天皇にすえる計画なのでしょう、皇極天皇のように…。本物の愛子様はといえば身心に傷害があるらしく、どこかに幽閉されているらしいです。ウソみたいな話だと思って読んだのですが、あり得なくも無いですね。愛子様を演じる影子さんは、知的な雰囲気の女の子ですが、完全に出雲族の操り人形なのですね~。ホント気味悪いわ~!と思います。替え玉だとか芝居がかった事を平気でやるところなんかも、いかにも出雲族的です。写真を比べると誰の目にもバレバレの別人なのに。 up感謝です。
ユンダンテ
Posted at 14:22h, 17 8月金印は志賀島の畑から畑作業をしている人がたまたま見つけたってことになってますが、まず嘘でしょうね。
高校の教科書には弓月君は機織りが上手だからその一族は秦氏になったって書いてあります
安倍晋三は安倍晴明とは真逆だったのですね。
次回も楽しみに待ってます。
初級raptファン
Posted at 22:16h, 17 8月RAPTさん、お疲れ様です。
イ・ミョンバク日本人って(笑)
竹島問題なんて茶番でしか無いですね。
そんでコッチも茶番ですよ。
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■ 靖国爆発音事件で初公判 韓国籍の全被告、起訴内容認める 東京地裁 2016.6.14
http://www.sankei.com/affairs/news/160614/afr1606140017-n1.html
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靖国神社のトイレ爆破した事件ですね。
犯人が韓国行ってすぐ帰ってきたやつです。
これはネットで以前から日本側の工作活動という指摘がありましたね。
靖国爆破する → 韓国帰る → 韓国の右翼が英雄扱いする →
日本が身柄変換を要求する → パク・クネは関係ないので日本に返そうとする →
韓国の右翼が英雄を日本に引き渡すのかと大騒ぎ → 韓国マスコミ大騒ぎ →
パク・クネ退陣
こういう日本側のシナリオだったのが、パク・クネが危険を察知し即座に日本に送り返した為、
事無きを得た訳で・・・
これも出雲側から秦氏への工作活動だった訳ですね。
大分見やすくなってきましたね。
初級raptファン
Posted at 22:21h, 17 8月ポケモンGOで大騒ぎの任天堂。
なんか様子が変なので調べてみました。
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■ 任天堂、影落とす“最大の謎の事件“ 岩田社長死去で浮上する“ある問題”(2015.07.17)
7月11日、任天堂の岩田聡社長が胆管腫瘍で亡くなった。55歳だった。岩田氏はそのわずか半月前の6月26日、京都市南区の本社開発棟で開いた定時株主総会に姿を見せ、2015年3月期は4年ぶりに営業黒字になったことや、ソーシャルゲーム大手のディー・エヌ・エー(DeNA)と資本提携しスマートフォン(スマホ)向けゲームに本格的に参入することなどを報告した。
岩田氏を社長に抜擢したのが、創業家出身で元社長の故・山内溥氏だった。山内氏は花札やトランプをつくっていた同社を世界屈指の家庭用ゲーム会社に育て上げた人物だ。
当初山内氏の後継者と目されていたのが、娘婿の荒川實氏だった。荒川氏は京都大学から米マサチューセッツ工科大学を出た丸紅の商社マン。任天堂の米国進出に初期の「ファミリーコンピュータ(ファミコン)」時代から関わり、家庭用ゲーム機を米国に普及させた功労者だ。
イチローが活躍することになるシアトル・マリナーズを任天堂が買収した時、中心になって動いたのが荒川氏だった。ところが山内氏は「彼は任天堂の社長に向かない」として、荒川氏を解任してしまった。任天堂の最大の謎とされる事件だ。そこで山内氏が後継者として白羽の矢を立てたのが岩田氏だった。
http://biz-journal.jp/2015/07/post_10758.html
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任天堂の岩田社長55歳で亡くなったんですよね。
で、この亡くなった日が7月11日で足すと18=666。
これって殺されたんじゃない?
任天堂・・・
大企業には裏がある。
調べてみました。
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■ 岩田 聡(いわた さとる、1959年12月6日 – 2015年7月11日[1][2])
2000年、任天堂社長だった山内に経営手腕を買われ任天堂に入社し、取締役経営企画室長に就任した。
2001年9月14日には、次世代ゲーム機「ニンテンドーゲームキューブ」を投入した。
2012年に発売したWiiの後継機である「Wii U」が販売台数で苦戦した。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B2%A9%E7%94%B0%E8%81%A1
■ゲームキューブ
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8B%E3%83%B3%E3%83%86%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%BC%E3%82%B2%E3%83%BC%E3%83%A0%E3%82%AD%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%96
■Wii U – 任天堂
http://ecx.images-amazon.com/images/I/61Skwz6S0LL._SX385_.jpg
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岩田さん出雲系ですね。
どんどん本体が青くなっていく・・・
次は、岩田さんと社長の座を争っていた荒川さんを調べてみました。
(長いので分割します、続く・・・)
初級raptファン
Posted at 22:22h, 17 8月(続き・・・)
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■ 荒川 實(あらかわ みのる、1946年9月3日 – )
實の母親ミチ(旧姓石原)は八世紀の日本を支配した宇多天皇の末裔で、祖父は初代京都市長内貴甚三郎、父親石原半右衛門は有力な国会議員。石原家は土地持ちで、小作人を多くかかえていた。ミチと荒川和一郎が結婚したとき、両家の所有地を合わせた面積は京都市街地の五分の一に達したという。 (以下、「ゲーム・オーバー―任天堂帝国を築いた男たち」より抜粋)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8D%92%E5%B7%9D%E5%AF%A6
___________________
「實の母親ミチ(旧姓石原)は八世紀の日本を支配した宇多天皇の末裔」
出た、天皇・・・
「祖父は初代京都市長内貴甚三郎、父親石原半右衛門は有力な国会議員。石原家は土地持ちで、小作人を多くかかえていた」
天皇が絡むと金持ちになる法則。
私が考えるに、
岩田さんは出雲。
荒川さんは秦氏。
元社長の山内溥は両方の手駒を持ってた訳。
元々ファミコンは赤白で、日本国旗カラーと言う事は秦氏側なのでしょう。
それがなぜ出雲に?
それはセガが絡んでいると思っています。
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■ ゲーム機の歴史 ゲーム機大戦(全話)
https://www.youtube.com/watch?v=7XAHZ3KCWHQ&list=PL9phEbuO6HtPRsw_wU1BC86XfQoGFO0pX
■ セガといえばソニック
http://img-cdn.jg.jugem.jp/d96/1732976/20121024_14087.jpg
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セガのロゴは青で出雲。
ソニックも青で出雲。
テイルスも黄色で月派(最近は赤いキャラも居るみたいです)
日本国旗カラーのファミコン秦氏に何度も向かって行っています。
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■ 株式会社セガゲームス
2001年 家庭用ゲーム機製造販売から撤退を表明
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BB%E3%82%AC%E3%82%B2%E3%83%BC%E3%83%A0%E3%82%B9
■ ドリームキャスト
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%89%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%A0%E3%82%AD%E3%83%A3%E3%82%B9%E3%83%88
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セガが2001年に家庭用ゲーム機から撤退しています。
しかも最終機のドリームキャストは渦巻きロゴでカタカムナ。
出雲である岩田さんが任天堂のトップになったので
出雲であるセガが家庭用ゲーム機を販売する必要が無くなったと
私は考えています。
でも岩田さんも666絡みの日に無くなっている訳で・・・
このように企業間でも争っていますね。
RAPT理論を知っていると見え方が変わって面白いですね。
プレーン
Posted at 23:15h, 17 8月RAPTファンさんへ
私もソニックの色が気になっていましたが、そういうことでしたか。貴重な情報ありがとうございます!
キャラクターの色、セガのロゴマークから出雲で間違いなさそうですね。
ドリームキャストのマークは盲点でした! 世界中いたるところに渦巻きがありますねこれは。(笑)
この調子だとドリームキャストの前が「セガサターン」でしたが「サターン」は悪魔からとってそうですね。
余談?ですが「ソニック・ザ・ヘッジホッグ3」のBGMの作曲はマイケルジャクソンが手がけたそうです。
長年腑に落ちなかったことでしたがあちら側のつながりで実現したと考えれば合点がいきました。
主の御心が実現され、祝福が皆さんにありますように。
零zero
Posted at 23:21h, 17 8月三か月程前の事ですが、先祖について調べる中、偶然raptさんの記事に出会うことが出来ました。raptさんご自身も何かに導かれるように真理に到達されたとのことですが、私もraptさんのように聡明では無いまでも何か見えない不思議な力に守られているような?導かれるような不思議な体験をして参りました。私の先祖は天保の転封で知られる親子で佐藤藤佐、泰然という日本の西洋医学の先駆けとして私の住む佐倉市では少しは名の通る人物ですが、調べてみても先ず不自然な事が多く腑に落ちない点が余りに多くあったので
raptさんの読者対談特に東出さんとのやりとりの中で、次々と繰り出される言葉の中に残念ではありましたが我が先祖のルーツは此処にあったのだと確信しました。今回の対談ではまた更に深いところまで調べ上げられ、改めて凄い方だと思いました。16年程前に私は臨死体験をしているのですが、その際に『佐藤家は代々続くサタンの家系じゃ!』と、まぁこんな事を人前で話せば正気の沙汰ではないとされるでしょうから、今の今迄誰にも話さず、密かに調べるも繋がりが持てずにいたところ真逆ここまで導いていただけるとは!
以前対談の中で、アフガニスタンとか?〇〇〇〇スタンという地名は恐らくサタンから来ているだろうと言っておられましたが、まさにその通りと思いますし、佐藤も勿論ですが、日本人の名前で〇藤と付くものも恐らく同じだろうとその時直感しました。また、色で分けると本当に腑に落ちるので感心しましたが、赤➕青=紫➡︎藤色と捉えると、藤原家にはすでにO.W.思想があったのかも?と、思ったりしています。因みに順天堂は紫ですね〜(笑)実際家系図を見ると双方入り乱れ、raptさんをもってしても混乱するのも無理は無いかもしれません。今まで相当スッキリさせていただいた御礼にしては細やか過ぎるかもしれませんが、謎解きのヒントになれば幸いです。なお、今回の文章の記載の折には(素性が分かってしまうため)御配慮頂ければ幸いです。
春のきざし2
Posted at 23:23h, 17 8月ラプトさん、今回の記事 圧巻で 壮大で 圧倒されています。 「悪魔」と寝ずの格闘の成果ですね?本当にお疲れ様です。そして ありがとうございます。 「あらえびす」の意味、「東出」の意味など よく 調べられましたね? 素晴らしいですね。他の箇所も 凄くて 又、呑み込んで 理解するのに大分掛かりそうな内容ですが、何度も読ませて頂きます。 又、初級ラプトファンさんも 貴重な情報UPして頂き 興味深く 読ませていただきました。ありがとうございます。又「悪魔」に殺された方が、いらっしゃったのですね?簡単にその様な事になる 恐ろしい世界ですね。
初級raptファン
Posted at 23:35h, 17 8月>パウラさん
私も少し前にそのブログ見つけました。
ただ内容がぶっ飛んでてコメントで書き込むべきか悩みました。
秋篠宮押してるし、でもかなり説得力もあるんですよね。
秋篠宮の関係者なのかな?
だとしたら一般人の知らないこと書かれててもおかしくないですよね。
雅子が池田大作の隠し子説はかなり衝撃的でした。
確かに民主党の前原とも、池田大作とも似てるんですよね。
http://e-vis.hatenablog.com/entry/2016/07/25/080000
http://e-vis.hatenablog.com/entry/2015/09/25/202407
http://e-vis.hatenablog.com/entry/2016/01/11/195251
皇室の闇は一般人の通用しない所にあるのかもしれないですね。
初級raptファン
Posted at 23:44h, 17 8月>プレーンさん
コメントありがとうございます。
サターンは気付かなかったですね(笑)
マイケル・ジャクソンがBGM作ったのは初耳です。
ちょっと聞いてみたいですね。
はとむね
Posted at 10:21h, 18 8月最初に譲位をした天皇は、皇極天皇なんですね。
Uchida Akemi
Posted at 16:03h, 18 8月富士山ニニギという人は自分のブログ記事の中で、やたら、福島原発事故後の放射能汚染による内部被ばくの恐ろしさと、避難の重要性を訴えています。これは天皇の福島遷都に加担しているということでしょか。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1954878374&owner_id=20653861
ラプター
Posted at 16:06h, 19 8月小池百合子
赤=共産主義=秦氏(天皇派)NWOを目指す。
白=出雲族
青=出雲族(天皇派。たまに教皇派の手を借りたりする)NWOを目指す。
黄色=教皇派。月派。出雲族に手を貸してその借りを利用してNWOを目指す。
緑=黄色と青を混ぜた色。つまり教皇派と出雲族がタッグを組んだ様子を表しています。昔から東京は月派と出雲族の支配下だったのか、イチョウのシンボルマークが緑色。
紫=赤と青を足して二で割った色。秦氏と出雲族の勢力均衡を表す?
秦氏側であろう枡添氏を追い出して出雲族の都知事を立てる。
新都知事の小池百合子氏のHPの基調となる色は緑。
ジョン・タイターの地図では東京を秦氏に譲るかのように赤に塗られていますが、今のところ秦氏に譲るつもりは無いと見えます。
もしかして東京オリンピックが終わるまでは出雲族ががっぽり稼いでオリンピックの途中か終わった後に人工地震でドカン!と首都を沈める。その後に秦氏に東京を譲るとか
http://truthknowledge777.hatenablog.com/
≪大至急拡散を≫有罪判決になってもおかしくないレベル 小池百合子氏の政治資金 使い道はあの“号泣県議”ソックリ
http://www.asyura2.com/16/senkyo209/msg/907.html
板垣英憲氏の本日の特別情報の中において、“小池百合子元防衛相の背後には、細川護熙元首相、小泉純一郎元首相、小沢一郎代表がいて、これに笹川堯元科学技術担当相が加わった”とあり、さらに“小池百合子元防衛相を東京都知事にするために笹川財団が動いている”と書かれています。
要するに、「小池百合子」が自民党から分裂して戦ったというのは嘘で、彼らはみんな同じ穴のムジナ、つまり同じ「出雲系・月派」の連中なのです。
恐らく彼らは、今後、総力を結集して「蝦夷共和国」を北海道に建国し、ジョン・タイターの予言を実現していくつもりなのでしょう。
ラプター
Posted at 17:38h, 19 8月新羅って神羅と関係ありますかね?
神羅万象(森羅万象)とか宗教に関係ありますかね?
FF7でも神羅万象とか神羅カンパニーとか出てきます
FFはシヴァ神とか沢山神が登場するし、魔女や魔術も登場します
神羅カンパニーは現実世界でも設立しましたしね。
スクエニは秦氏系?出雲系?
ちなみにナルトというマンガではかなり日本神話の神が登場します。
スサノオ、アマテラス、ツクヨミ、大蛇丸(=ヤマタノオロチ)。
スサノオを使えるウチハ一族のサスケが大蛇丸を倒します。日本神話通りですね。
ちなみに「八岐大蛇」って「大和の大蛇」って意味ではないですか?
「ヤマトの大蛇」だから大和にいたと。
だから秦氏が大和族と仲が良くなったと。
関係ないですが波田陽区(本名は波田晃)は秦氏系ですかね?w
出身地は山口県下関市で最終学歴は熊本学園。
ちなみにウチハイタチがサスケを除いてウチハ一族を皆殺しにします。
ちなみに、ウチハ一族は血継限界で写輪眼を使えます。
また、日向一族も登場します。
日向一族も血継限界で百目(ビャクガン)を使えます。
日向家は分家と本家で確執があります。分家のネジが本家のヒナタに対して憎んでいました。
ロスチャイルドも本家と分家で確執がありますよね。ロックフェラー家一族でも内紛ありましたし、ジョンDとデイビッドの間で。
分家と本家で確執があって秦氏は大和族側についたとかではないですか?
敵の敵は味方的な感じで。
ちなみに主人公のナルトの中には「九尾の狐」という、中国神話の生物が封印されています。
瑞獣をWikiで調べると、
キリンビールのロゴと麒麟の石彫は似ていますね。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%91%9E%E7%8D%A3
鳳凰もWikiで調べると、面白い記述があります。
鳳凰(ほうおう、拼音: Fènghuáng)は、中国神話の伝説の鳥、霊鳥である。
鳳凰は欧米では東洋のフェニックスともみなされ[19]、英語では Chinese Phoenix 〔中国のフェニックス〕とも呼ばれている。
以下のように中国の鳳凰は西洋のフェニックスとは本来別系統のものであり、特徴も異なる。ただし、ペルシア神話の「フマ」はフェニックスと鳳凰の中間的な性質をもち、ベンヌ〜フマ〜鳳凰は死と再生の象徴(政治的には新王朝の到来の象徴)として日の出を告げる鳥の神格化で、神話学的に同一起源である可能性が指摘されている。
日本赤十字社の社章は、赤十字竹桐鳳凰章という。
企業では、角川グループのものが知られている。角川書店の創業者角川源義が1946年(昭和21年)に出版した飛鳥新書のマークに使ったことに始まる。
専修大学と創価大学の校章は、鳳凰の翼を意匠に取り入れている。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B3%B3%E5%87%B0
九尾の狐(きゅうびのきつね)とは、中国神話の生物。
物語の多くでは悪しき霊的存在として登場する。
稲荷神との習合があり、それによって同一視もされる。
中国の各王朝の史書では、九尾の狐はしばしば瑞獣としてその姿を見せる。『周書』や『太平広記』など一部の伝承では天界より遣わされた神獣であると語られ、その場合は平安な世の中を迎える吉兆であり、幸福をもたらす象徴として描かれる。また一方では、殷の帝辛(紂王)を誘惑して国を滅亡させた妲己や、南天竺耶竭陀国(古代インド西域)の王子・班足太子の妃になった華陽夫人、御伽草子『玉藻の草紙』に登場する玉藻前を例とするように九尾の狐は絶世の美女へ化身するという話も多い。
日本では、「玉藻前」すなわち白面金毛九尾の狐に関する伝説がことに有名であるが、平安時代に鳥羽上皇に仕えた玉藻前が実は九尾の狐であったとの記述は、14世紀に書かれた神明鏡にすでに書かれているが。広く一般に知られるようになったのは江戸時代以降、歌舞伎や人形浄瑠璃の題材としてよく採り上げられたことが大きい。これによって同伝説は広く庶民に浸透し、九尾の狐と言えば玉藻前、玉藻前と言えば九尾の狐を指す代名詞となった。読本作家・高井蘭山が1804年に著した「絵本三国妖婦伝」にて、それまでは簡単な記述で終わっていた妖狐が玉藻前となったくだりも、中国の殷の妲己、天竺(インド)のマカダ国の華陽夫人が実は九尾狐であり、少女の姿で遣隋使の吉備真備の船に乗って日本にやってきて数百年を経て玉藻前となった事になった。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B9%9D%E5%B0%BE%E3%81%AE%E7%8B%90
久寿(きゅうじゅ)元年(1145年)、少女は「玉藻の前」という名で鳥羽上皇(資料によっては近衛天皇)に取り立てられ、寵愛を一身に集めることになる。 ところが、天皇がなぜか次第にやつれていく。 そこで陰陽師の安倍泰成(あべのやすなり)が占った結果、玉藻の前が九尾の狐であることが発覚した。
正体を現し飛び去っていった九尾の狐に対し、上総介広常、三浦介義純という二人の弓の名手が追撃を命じられ、下野国那須野(しもつけのくになすの)まで追い詰め、ついにこれを仕留めた。
ところが、死した大狐は近づく生き物をことごとく殺す毒気を放つ石と化した(資料によっては、射止められそうになって石に化けた)。 これが今も栃木県那須郡那須町湯本に見られる「殺生石」である。 後に玄翁和尚(げんのうおしょう)が金槌で打ち砕き、ようやく九尾の狐の長い伝説は幕を閉じる。 ちなみに、金槌を 「げんのう」 とも呼ぶことがあるそうだが、この逸話に由来するのだという。
中国の歴史書や「日本書紀」などには、音をたてて空を翔ける流星のことを「天狗」(あまきつね)と呼んだ記述があるそうな。 これは天狗(てんぐ)の起源とも言えるかもしれないが、夜空を尾をたなびかせながら横切る流星や彗星は、9本の尾をたなびかせて飛ぶ狐の姿に通じるものがあるのではなかろうか。
狐は狸と並んで人を化かす代表格であるが、この九尾の狐は歴史上の国家を傾け、世界史を動かしてしまうのだから、これもまた凄まじい。
現実の歴史ではこれらの国は異民族や新興国によって滅ぼされるわけで、九尾の狐もそうした 「侵略者」 を象徴的に表したものかもしれない。 しかし、その前にいずれも権力者が暴君となっているわけで、こうした為政者の愚行が侵略者を呼び込むことになったとも言えるだろう。
果たして為政者の愚行を妖怪のせいにしてしまう責任転換なのか、それとも 「侵略者」 を呼び込むような愚行はいけません、という戒めの伝説なのか……。
http://space.geocities.jp/lepi0628/owl/yokai/kyubi.htm
「九尾の狐」は中国の古文書、山海経が最も古い出典であるとされ、人を食う怪物と紹介されている。しかしその後は瑞獣(神聖な獣)として扱われていた、が南北朝時代のころの千字文と言う古文書には妲己が九尾の狐である事が指摘されており、この頃には既に妖怪とされていたようだ。
これらの説を元にあの有名な神怪小説封神演義が書かれたようである。
つまり怪物→神獣→妖怪となったというわけである。日本では白面金毛九尾の狐などが有名。妲己、玉藻、華陽夫人として有名なアイツである。
ちなみに九尾狐はこれ一匹ではなく、「西遊記」には野良の九尾狐が二回登場している。
日本では江戸時代から玉藻前などの九尾の狐が歌舞伎や人形浄瑠璃の題材としてよく使われていた。
南総里見八犬伝では善玉の九尾の狐である政木狐がおり、千人の人の命を助けたことで「狐竜」に変じ昇天した。
その特異な容貌は、近年のゲームや漫画のキャラクターのモデルとしてよく登場する。
九喇嘛 (『NARUTO』に登場する尾獣)
キュウコン (『ポケットモンスター』に登場するポケモン)
妖魔王キュウビ (『大神』に登場するボスキャラ)
白面の者 (『うしおととら』に登場するキャラクター)
タマモ (『GS美神』に登場するキャラクター)
九尾吊りお紺 (『俺の屍を越えてゆけ』に登場するキャラクター)
神月雅麗奈 (『グリモリジン』に登場するキャラクター)
http://dic.pixiv.net/a/%E4%B9%9D%E5%B0%BE%E3%81%AE%E7%8B%90
・陰陽師・阿部泰成、玉藻の前を九尾の狐と見破る。
・玉藻の前、泰成との対決に破れ、「白面金毛九尾の狐」の姿で逃げる。
・九尾の狐、那須野に現われ、婦女子をさらう。
http://www.bashouan.com/pbSesshouseki.htm
基本5大性質、火・風・雷・土・水に加えて陰陽があります。
これらの性質変化を組み合わせることにより、
何通りの“血継系”ができるのかを考えてみましょう。
http://d.hatena.ne.jp/naruto_AG23/20110209/p1
「ミナトは九尾の陰チャクラしか屍鬼封尽をしておらん」
「ミナトがわざわざ九尾の力を陰と陽に二分し 陽の側をナルトに封印したのは 九尾のチャクラをナルトに遺すためだ」 (41巻370話)。
でも《なぜ、ミナトは九喇嘛のチャクラを「陰と陽に分けて」、なぜ「陰チャクラのほうだけ」屍鬼封尽で封印したのか。なぜ、ナルトには「陽チャクラの九喇嘛だけ」残したのか》・・・この謎についてはアレコレと妄想し、「うちは一族の瞳力を増すのが陰チャクラ」であり、だからミナトは仮面の男が「九尾の陰チャクラを利用しないように」陰チャクラのほうだけ「屍鬼封尽」で封印しようとしたのではないか・・等々と考えたりしてました(かなり前の話ですが)。
しかし53巻で「九尾事件」の詳細が分かり(※)、ミナトが九喇嘛のチャクラを「二分した」のは、単純に「九喇嘛のチャクラ全量は、量的に多すぎてナルトに封印しきれないから」らしいと分かって、正直、当時は肩透かしを食らったような気分になってました(笑)。
(※あくまで「ミナト・クシナ側から見た九尾事件」という意味での「九尾事件の詳細」ですが)
でも、なぜ自来也が《ミナトがわざわざ九尾の力を陰と陽に二分し云々》なんて話をしたのか。 あの時の自来也の「陰と陽」への言及はその後もずっと気になっていたんですが、その疑問の一部は、64巻617話で少々解消しました。
ミナトが「九喇嘛のチャクラを半分にする」ために、「陰と陽に分けた」理由・・・それはミナトならではの「能力のせいだった」のだ、と。 ミナトの「特殊な能力」について、617話で九喇嘛がこう説明している・・・
《ナルトはワシのチャクラを他の忍共一人一人に合うよう感知し変換させ渡すことが出来るほど器用に成長した…まぁワシ自身もナルトを介せば誰にでもチャクラを渡せる》
《ミナト…てめーがナルトに自分のチャクラを組み込んで渡してたやり方と同じだ》
(ナルトが忍連合に、九喇嘛のチャクラを分配した時の九喇嘛の説明)。
この時の九喇嘛の説明によれば、人間も尾獣も、それぞれのチャクラには基本となる「チャクラ型」があるらしく、それは個人によって「異なる」。 イメージ的には血液型みたいなものでしょうか、でも血液型とは違うのは、個人によって全部違う「型」だということ。 ミナトやナルトは、その「チャクラの型」を感知出来て、さらにチャクラ型を「変換する」(型を造り替える)ことができる。
ミナトがどうやって「チャクラの型を変換しているのか」については、今のところ詳しくは分かっていません・・・ が、ミナトが九喇嘛を「陰チャクラと陽チャクラに分けたように」、おそらくはチャクラを「陰と陽」(つまりマイナスとプラス)に分けることが出来、さらに分解したマイナスチャクラ(陰チャクラ)とプラスチャクラ(陽チャクラ)を 組み直して「チャクラ型」を造り替えることが出来るんじゃないだろうかと推測・・・(このあたりは617話の過去記事でも触れています)。 なので、とりあえず正式名称が分かるまで、ここではミナトとナルトの能力を「トランス(変圧器)」能力と仮称してます(「逝っちゃってる感じ」という意味のトランスという意味ではなく)。
その能力は、ナルト・ミナトだけじゃなく扉間も持っていると思うんですが(理由は過去記事にて・・という事で略)、ミナトと扉間は、+-にチャクラを「分ける能力」、それを「くっつける」能力を活かして、飛雷神の術を使っているんじゃないかと考えてます。だから・・ナルトも飛雷神を使えるようになるんじゃないか、と。
そして、ナルトとミナトが持つ「チャクラの型を変換して、互いにくっつけることが出来る(つなぐことが出来る)」能力を活かせば、9つに分かれた尾獣のチャクラをまた「くっつける」事も出来るハズでして・・・ナルトがこの先、尾獣達から貰ったチャクラを「くっつける(つなげる)」事が出てくるのかもしれません。
でもミナトが「陰と陽」に九喇嘛を分けたことは、「そういう存在のしかたもあり得る」という発想のキッカケにもなったかもしれないと思うんです。 そして、本来は1つである「違う2つ」が力を合わせた時、もっとも大きな力を発揮できるという事が、分かるキッカケにもなるんじゃないだろうか。
マイナス(陰)とプラス(陽)・・・どちらも独立した役割があり、どっちも同じぐらい大切で・・・どちらも側で「補い合うモノ」。 陰陽九喇嘛も、もとは『1つの九喇嘛』・・・だけどお互い尊重し合うべき『違う存在』でもあるのだと。それがナルトとサスケのこれからの「在り方」を示してくれるんじゃないかとも思っています。
「うちはと千手」の在り方についても、オビトは「元々うちはと千手は一つだ」と言い(510話)、
扉間は「元来その二つの一族は敵同士だった」(相容れない違うモノ)と言ったけど(619話)、
・・どちらの考え方も、同じように大切なのかもしれません。
ミナトがあの時、九喇嘛を「陰と陽」に分けたのは、単純に「半分の大きさにしたかった」からだったとしても・・・それが思いがけない「答え」を今、見せてくれる結果になったんじゃないだろうか。
http://blogs.yahoo.co.jp/konohanogenin/37322986.html
ダエーワ(アヴェスター語: daēva、古代ペルシア語: daiva、中世ペルシア語: dēw)は、イランやゾロアスター教の神話に登場する悪神。アンラ・マンユに仕えている悪魔達の総称であり、地獄で亡者達を苦しめる仕事をする悪魔達で、さまざまな姿をしている。ダエーワに対して善神をアムシャ・スプンタやヤザタという。
インドのサンスクリット語におけるDeva(天部)と共通語源だが、デーヴァが善神であるのに対しダエーワは悪神であり、意味が逆になっている。イランでもダエーワは「神」という意味だったが、ゲラルド・ニョリなどによればザラスシュトラによる宗教改革の結果「悪魔」という意味になったのだという。 悪神としてのダエーワという語は、さらにスラヴ語に借用された(古代教会スラヴ語でdivu「悪魔」)。しかし後の時代になってもソグド語[1]やアラム語[2]の一部では善性の存在として使われることもあった。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%80%E3%82%A8%E3%83%BC%E3%83%AF
ラプター
Posted at 20:13h, 19 8月”基本的に、キリスト教の世界では烏「からす」は不吉な鳥、サタンを象徴する鳥と考えられています。”
そうか。実は鳳凰などの伝説の鳥は全部カラスなのかもですね。
ラプター
Posted at 00:27h, 20 8月シンラ・テクノロジーは青なので出雲ですかね。
ゲームの神羅カンパニーは赤なんですが。
http://prcm.jp/album/subculture/pic/43992458
スクエニが新会社「シンラ・テクノロジー」を設立!FF7を含むクラウドゲーム事業を展開!
http://www.news72.jp/archives/52042723.html
スクウェア・エニックス・ホールディングスは本日(2014年9月19日),クラウドゲーム事業の運営会社「シンラ・テクノロジー」を発足すると発表した。社長は,2013年6月までスクウェア・エニックス・ホールディングスの代表取締役社長を務めた和田洋一氏。
http://www.4gamer.net/games/999/G999905/20140919035/
黒白赤なので出雲と秦氏か。
http://www.jp.square-enix.com/
森羅万象(しんらばんしょう、しんらばんぞう、しんらまんぞう)は、あらゆる現象[1]、宇宙に存在する一切のもの[2]。
キリスト教徒であるイエズス会は、「御主デウス森羅万象ヲツクリタマウ」と『日葡辞書』で記した[4](デウスは神、創造主の意)。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A3%AE%E7%BE%85%E4%B8%87%E8%B1%A1
その後、ヨーロッパでキリスト教が広まり、ヨーロッパでは学問の言葉などとしてラテン語が用いられており、ただひとつの神(ヤハウェ)を指すのには、大文字で始まる固有名詞 のDeus と表記するようになった。(なお、この使い分けは、英語にも継承されており、英語でも一文字目を小文字か大文字で書き分け、 god/God とする。)日本語の文字には大文字小文字といった区別が無いので、日本語へ翻訳する時にはdeus も Deus も「神」と訳している。
日本では戦国時代末期、キリシタンの時代に、キリスト教のDeusを日本語で呼ぶにはそれを音写し、「でうす」や「デウス」と表記された。
フランシスコ・ザビエルは来日前、日本人のヤジロウとの問答を通してキリスト教の「Deus」を日本語に訳す場合、大日如来に由来する「大日」(だいにち)を用いるのがふさわしいと考えた。しかし、これはヤジロウの仏教理解の未熟さによるもので、後に「大日」という語を用いる弊害のほうが大きいことに気づかされることになる。1549年に来日したザビエルたちが、「大日を拝みなさい」と呼びかけると僧侶たちは仏教の一派だと思い、歓迎したといわれている。
やがてザビエルはキリスト教の「Deus」をあらわすのに「大日」という言葉を使うのはふさわしくないことに気づき、ラテン語Deusをそのまま用い、「でうす」や「デウス」とすることにした。「大日を拝んではなりません。デウスを拝みなさい」とザビエルたちが急に言い出したため、僧侶たちも驚いたという。[2][3]
その後、宣教師たちや日本人キリスト教徒たちの研究によって「デウス」の訳語としていくつかのものが考えられた。それらは「天帝」「天主」「天道」などであり(語源的には「天部」である)、「デウス」と併用して用いられた。彼らは「神」という言葉は日本の多神教的神を表すもので、自然や動物、人間にすら当てはめられる言葉なのでDeusの訳語にふさわしくないと考えていた。もっとも、もともとラテン語の「deus」は、上述の通り古代ローマの多神教の神々を表す言葉であり、一部のローマ皇帝、つまり人間が「deus」に列せられる事もあった。
明治以降に漢文訳聖書の影響を受けた日本語訳聖書がキリスト教のDeusを「神」と翻訳し、日本の正教会・カトリック教会・プロテスタントのいずれにおいても、これが今に至るまで定着している。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%87%E3%82%A6%E3%82%B9
『日葡辞書』(にっぽじしょ、葡: Vocabulário da Língua do Japão)は、キリシタン版の一種で、日本語をポルトガル語で解説した辞典である。イエズス会によって、1603年から1604年にかけて長崎で発行された[1]。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E8%91%A1%E8%BE%9E%E6%9B%B8
トリケトラってトリケラトプスと似てますね。
トリケラトプスとは「tri(3)+cerat(角)+opus(顔)」から「3本の角を持つ顔」を意味しており、これは1本の鼻角と、目の上にある2本の上眼窩角に由来する。
頭骨の半分を占める、後頭部から首の上にまで伸びたフリルも特徴のひとつ。口先は鳥のくちばしのように尖っており、草や木の葉を掴み取って食べていたと考えられる。
特徴であるフリルおよび3本の角の機能は議論の的であり、長い間、捕食動物に対する防御機構と思われていたが、現在では主として同種間での競争や求愛に用いられたという説もある
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%B1%E3%83%A9%E3%83%88%E3%83%97%E3%82%B9
ラプター
Posted at 01:04h, 20 8月狐→弧→丸→太陽
太陽+月(よみ)=陰と陽
ナルト+サスケ=陰と陽
みたいな感じかなー
or「星(シリウス)」=(狐)?
この説話の登場人物たちは、天体を示し、それぞれは「月」(猿)・「星(シリウス)」(狐)・「金星」(兎)・「太陽」(老人)であり、老人は光が弱々しくなった冬至の太陽である、という解釈もなされている。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%88%E3%81%AE%E5%85%8E
「狐」は、蜘蛛、蛇などと同じく大和朝廷側から見た被差別民であったという見方もある。彼らは、大和朝廷が勢力を伸ばす段階で先住の地を追われた人々であり、人ではない者として動物の名称で呼ばれたという見方である。彼らが、害をもたらす存在として扱われる場合、それは朝廷側の、自分たちが追い出した異民族が復讐してくるのではという恐怖心の現れであると考えられる。また、動物が不思議な能力(特殊能力)を持つというのは、異民族が持つ特殊な技術を暗に意味している場合がある。この考え方に沿えば、異類婚姻は、それらの人々との婚姻を意味することになる。つまり女が身元を偽って(化けて)婚姻したものの里が暴かれ、子の将来を案じて消えてしまった物語と解される。
能力をもつというのは、稲荷の神の使いとして親しまれてきたキツネが、元来は農耕神として信仰され、豊穣や富のシンボルであったことに由来するものである。狐婚姻の類話には、正体を知られて別れたキツネの女が、農繁期に帰ってきて田仕事で夫を助けると、稲がよく実るようになったという話がある。また江戸の王子では、大晦日の夜、関八州のキツネが集い、無数の狐火が飛んだというが、里人はその動きで豊作の吉凶を占ったと伝えられており、落語「王子の狐」のモチーフとなっている。
人間を助ける役割を果たすキツネの側面は、かつてキツネが、農耕神信仰において重要な役割を果たしていたことの名残りであるといえ、江戸大窪百人町など、郊外にある野原に出没する特定のキツネは名前をつけて呼ばれ、人間を化かすが、災害や変事を報らせることもあった。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AD%E3%83%84%E3%83%8D#.E6.97.A5.E6.9C.AC.E3.81.AE.E8.AA.AC.E8.A9.B1.E3.81.AE.E4.B8.AD.E3.81.AE.E3.82.AD.E3.83.84.E3.83.8D
稲荷神社のキツネの像
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AD%E3%83%84%E3%83%8D#/media/File:KusuMoto-Inari_Kitsune1_left.jpg
日本では稲荷神社のキツネとしてシリウスの人々を崇めていたと言われています。天孫降臨されたシリウス星人は「アヌビス神」として世界各地の壁画や日本では神社にその姿が見えます。ですから「アヌビス神」=「お稲荷さん」であるわけです。天孫降臨の歴史を持つ、日本という稀なる国は世界の中でも最も古い歴史を持つ国であることが伺えます。
http://blogs.yahoo.co.jp/ryo_smileforme/14862742.html
★狐 → 宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)さん
からの遣い
稲荷として知られる狐さんは、食物・農耕の神々の遣いですから、
他にも、豊宇気毘売神(とようけびめ)さん、
保食神(うけもちのかみ)さん、
大宣都比売神(おおげつひめ)さん、
若宇迦売神(わかうかめのかみ)さん、
御饌津神(みけつのかみ)さん、
などの遣いである場合もあります。
ヒンドゥーの女神であります、
荼枳尼天(だきにてん)さんの遣い
であることもよく知られているでしょう。
飯縄大権現の正体・猿田毘古神さんは、
狐の上に乗って現れる場合があることや、
ヒンドゥーの女神・荼枳尼天さんが
狼に乗って現れる場合があることで、
カラス、天狗、狐、狼がいずれも、同系統の遣いである
可能性が高く、つまりは、行き着くところは
太陽神からの遣い、もしくはシリウス神からの遣い
だということになります。
★兎(ウサギ) → 日の神と月の神からの遣い
ここで云う日の神とは、天照皇大神さんで、
月の神とは、月讀命(つくよみのみこと)さんのことになります。
http://trakl.exblog.jp/17605895
古代人の宗教心のようなものである。シリウスは古代エジプトでは女神イシスの星とされていた。太陽の光に消されて数ヶ月間見えなかったシリウスが、夏の夜明け前にようやく姿を見せる。隠れていたイシスの星がやっと現れる。そのこと自体が、古代エジプト人にとって心の支えだったのだろう。
シリウス(イシス)はなぜか、それほど古代エジプト人にとっては特別な存在だったわけである。
ピラミッド・テキストのなかには、多くの神話の話も含まれているのだが、そのひとつに、オシリス神とイシス神の物語がある。
シリウスは古代エジプトでは「セプト」と呼ばれ、前にみたようにイシス女神の星とされていた。イシスは古代エジプト最高の女神である。また夫のオシリスは古代エジプトの全時代を通じて、最も広く崇拝された神で、天空ではオリオン座を当てられている。どちらの神も非常に古くから信仰され、その起源は、王朝成立以前にさかのぼるとエジプト学では考えられている。
石板にはさらに、イシスは「ピラミッドの女主人」と記されている。イシスの大きなピラミッドが、すでにエジプト王朝の最初期の時代から建っていたように受け取れるのである。
つまり、ピラミッドの建設にも、イシスは何か関係していた可能性があるわけだ。
ドゴン族はシリウスAを現すのに、直線と曲線が交差した上図のようなマークを使う。このマークはじつは、海神ポセイドンのマークと非常によく似ている。ポセイドンが持っている三叉(さんさ)の矛(ほこ)のシンボルマークだ。
この三叉のマークは海や水の象徴でもあるし、占星術では海王星のシンボルマークでもある(海王星はやはり水を司るとされる)。
これは要するに、水と関係するサインと考えてよいだろう。海の神ポセイドンを奉じるアトランティス王国にも通じるサインである。
ドゴン族はなぜか、このマークを人間の肉眼で見える一番明るい恒星、シリウスに当てている。つまり、シリウスAである。おそらく、「水の主ノンモ」と関係しているからだと思われるのだが、ひょっとするとアトランティスにも何か関係しているのだろうか。
この三叉のシンボルマークは、気をつけていると、古代世界ではわりとよくお目にかかるのである。新石器時代までさかのぼるマークのひとつで、何かの意味を持っているようだ。インドでは、シヴァ神の強力な武器(パーシュパターストラ)が、やはり同じ三叉矛である。シヴァの息子で像の頭をした知恵の神、ガネーシャがこの武器を持っていることもある。
また、世界の古い民話では、三叉のマークは「鳥の足跡」というような表現で出てくることがある。何かの秘密の暗号のようなものらしい。かつてこのマークは、それを一目見ただけで何かわかるような象徴的な表現だったのではないだろうか。
http://www2.odn.ne.jp/~cic04500/atlan09.html
実はドゴン神話を天下に知らしめたのはこの「シリウス系」神話だった。「青い狐」はシリウス(犬狼星)との関係をもっていたのだった。
https://1000ya.isis.ne.jp/1554.html
「稲荷神社」は、総本社は伏見稲荷大社とされ。元々は京都一帯の豪族・秦氏の氏神。朱い鳥居と、神使の白い狐がシンボル。
http://matome.naver.jp/odai/2138366347400313001
匿名
Posted at 08:10h, 21 8月ラプターさん?って、ラプトさん?
別人さんなら、御本人さんを思わせる紛らわしい名前を、名乗らないでいただきたいのですが?
コメント内容もあまりにも長過ぎて、結局何を仰りたいのか、よくわかりませんでした。
読んでいると、混乱してしまいました。
御勘弁下さい。
もう少し短く要約したコメントを、いただけませんか?
よろしくお願いします。
匿名
Posted at 20:27h, 21 8月どうやら、わたしは仏教、神道、悪魔教、アレルギーの模様です。
お騒がせして、申し訳ありませんでした。
rapt
Posted at 17:27h, 22 8月今回の記事のコメント欄に、「ラプター」という人がたくさんのコメントを書き、それに対して頭が混乱すると書いてきた人がいましたが、ついに「ラプター」が本性を現しました。
「ラプター」は本日(8月22日)、私に対して「何もかも天皇のせいにしすぎ」と文句を書いてきました。
やはり今回の記事は、工作員には難しすぎて理解できなかったらしく、そのため直接、私の記事にイチャモンを付けるのではなく、竹中平蔵と同じように訳の分からないことを沢山書いて、読者を混乱させ、真実が分からないように仕向けようとしたようです。
とりあえず、今後の彼らの工作の手口を知るためにも、「ラプター」のコメントはそのまま残しておこうと思います。
彼らはこれからRAPT理論の中にわざと嘘を混ぜて話しながら、人々の頭を混乱させていくでしょう。
RAPT理論をはなから否定すると、かえって誰からも怪しまれるので、RAPT理論を信じる振りをしながら、RAPT理論の一部を改ざんし、人々の頭を混乱させるわけです。
また、私が過去に書いた記事と、最近の記事とでは、内容がかなり異なります。
それは、次々と新しい発見があったからです。
しかし、彼らは過去の記事をわざと引き合いに出し、最新の記事を隠すようにして、RAPT理論を語ります。
ですから、もし私の最新の記事を無視して、過去の記事のことばかりを語るような人がいたら、その人は工作員だと思って間違いないでしょう。
本当にRAPT理論を信じている人は、最新の記事もしっかりとチェックして、そちらの方が正しいと分かっているはずだからです。
真の知識を欲する者
Posted at 23:26h, 22 8月ラプターさんが貼り付けた外部のwebサイト。私の記事が混ざっていました
こちらです。 → http://truthknowledge777.hatenablog.com/
この記事を書いた意図としては「ジョン・タイターの予言」では東京が「赤く」塗られている。
でも、実際2016年の現時点では「緑」がシンボルカラーである「小池百合子」氏が都知事。これから東京はどうなるのだろう?
という思いからこの記事を書きました。
かく乱工作に自分の記事が使われたのはショックです。
色の論理はrapt理論に基づいて書いています。
自分の知識不足を工作員に使われてしまったこと、皆さんを混乱させてしまったこと申し訳ありませんでした。
・・・こんなマイナーなページよく見つけましたね(汗)今の工作員さんはよほどお暇なのでしょうか・・・。
闇 企業
Posted at 19:05h, 28 8月凄い情報いつもありがとうございます。
安倍情報で繋がるものがわかりました。
TOYOTA自動車も闇だらけですが、積水ハウスも同じだと繋がっています。
積水ハウスの母体はチッソです。水銀中毒、水俣病で悪名高い企業です。
創業者が江頭で小和田雅子妃の祖父です。
小和田家(新潟地方?)政縁し小和田家に。
和田が付く名字が気になっていました。
積水ハウス会長が和田です。次の社長が阿部です。安倍首相と仲良し3人ショットの写真に妙なものを感じました。小和田家と安倍族との繋がりでしょうね 。
要するに同族同士の関係だと繋がりました。
実力で出世したのでなく血縁同族だと。
東日本大震災で大儲けしたのが積水ハウス、復興支援企業として安く農地を買い我先に分譲地事業を進めているようです。
利益率は40,50%グループで見ると70%以上利益率はあるのではないでしょうか。
積水ハウスのマークカラーが赤と青、バランス良く両者に股がる吉備族なのでしょうか。
スリーエスSSSバッチの本当の意味は?
調べています。
東日本大震災の際に千葉の市原市のJNC石油化学(旧チッソ石油化学)の倉庫等が爆発して使用済み核燃料などの悪い物質が都内に撒き散らされた。
東日本大震災は積水関連グループのボロ儲けへ
の旧チッソ連合が絡んでいるのではと感じています。積水化学も儲かります。
旧チッソを母体とする企業に旭化成、積水化学工業、積水ハウス、信越半導体などがあります
。積水ハウスの目障りなライバル、旭化成ヘーベルハウス叩きに、昨年のマンション地盤改良改ざん問題も旭化成建材を通してのライバル叩き工作では無いのかと調査しています。
ヘーベルハウスから潜在顧客が積水ハウスに流れています。
TOYOTAについでに積水ハウスの陰謀が安倍繋がりで怪しく感じています。
ヒントになる情報いつもありがとうございます。
岡山の八芒星と桃太郎伝説、阿陀族を調べています。
悪魔が神の裁きで跡形も無く消え去ります様に、御国が来ます様に。 アーメン 確かに!
55
Posted at 11:20h, 11 9月悪名チッソの創設者は江頭
芸人の江頭2時50分ですが2時50分に何か深い意味を察してしまいます。
謎の渦巻き集団のパナウェーブですが、千野代表?江頭が逢いに行った後に亡くなってしまいました。謎?
パナウェーブもカタカムナなのでしょうか。
kyoko
Posted at 23:35h, 30 1月ラプトさんのブログにはまり、有料記事購読はもちろん、過去記事も全読破目指しています。秋田氏が安倍家と同族であるというくだりで、安倍晋三と一緒にポスターに写っていて、東京都議会でセクハラやじを飛ばしたのに追求されなかったという疑惑が持たれる、秋田一郎都議が思い浮かびました。ホームページは赤なので出雲族ではないかもしれませんが、まさか安倍さんの遠い親戚なんでしょうか、、。
カルス
Posted at 13:51h, 17 9月渦巻きといえば厄年が浮かびました。厄年に親戚から渦巻きや蛇のグッズ?をもらうというのを聞いたことがありますが悪魔的ですね。
>零zeroさん
高校で◯◯スタンという国ははイスラム教だと習った記憶があります。特に関係ないとしても悪魔的なのは確かですね。