24 10月 RAPT×読者対談〈第38弾〉関ヶ原の戦いも明治維新も第二次世界大戦もすべては源平合戦だった。
今日も、前回と同じ対談者との対談を公開しますが、今回の対談でRAPT理論はますます確固たるものとなりました。
ちなみに、対談のはじめに私が取り上げた「関ヶ原の戦い」に関する記事は以下になります。
○織田信長と徳川家康とイエズス会の因縁の関係。関ヶ原の戦いは「イエズス会」と「エリザベス一世」との代理戦争でした。
繰り返しますが、今回の対談は私にとって歴史的な対談となりました。
というのも、今回のこの対談で、これまでこの世で起きてきたほとんど全ての戦争が実は「源平合戦」に他ならなかった、ということが分かってきたからです。
「源平合戦」とはつまり「平家」と「源氏」との戦いのことです。
で、平家とは「平清盛」のことであり、つまりは「秦氏=ロスチャイルド」のことです。
一方の源氏とは「源頼朝」のことであり、つまりは「出雲族」のことです。詳しくは以下のリンクをご参照ください。
○「平家」とはロスチャイルド家だった。または明治維新にロスチャイルドが関わった最大の理由。
○平清盛が平家をロスチャイルド家にしてしまった可能性。または「密教」と「日の丸」に隠された意味。
これと同じく、「関ヶ原の戦い」も「第二次大戦」もすべてが「秦氏」と「出雲族」の戦いだったということが、今回の対談を通して分かってきました。
そして、「秦氏」も「出雲族」も、どちらも「国常立尊=ルシファー」を最高神として崇めています。
にもかかわらず、彼らはこれまでずっと激しい争いを繰り返してきました。
その戦いは神話の時代から既に始まり、彼らは「八岐の大蛇」と「スサノオ」として互いに対立していました。
そして、その戦いで「スサノオ」が勝利し、「八岐の大蛇」が退治されることになったわけですが、これと同じことが「聖徳太子」の時代にも起きました。
「出雲族」である「蘇我氏」が、「秦氏」である「聖徳太子」一族を暗殺したのです。詳しくは以下のリンクをご覧ください。
○「聖徳太子」も「平清盛」もゾロアスター教徒であり、ロスチャイルドの先祖です。
で、「秦氏」はこのことに怒り狂って、日本の天皇家の歴史を改ざんし、「日本書紀」や「古事記」を書いて、「出雲族」を日本のトップから引きずり落とし、「大和族」を日本のトップとして擁立しました。
しかし、「大和族」は「天照大神」を最高神としていて、「国常立尊」を拝んではいない。なので、「大和族」をトップに立てるのは「秦氏」としてもかなり都合が悪かった。
そのため、「秦氏」は慌てて平安京を作り、「出雲族」の天皇を日本のトップに擁立することしたわけです。
平安京が建てられた背景にはこのような事情があったものと考えられます。
ところが、こうして平安京が建てられた後もまた「秦氏」と「出雲族」の権力争いが起きてしまったのでしょう。
で、その争いが「源平合戦」という形で現れ、平清盛と源頼朝とが争うようになってしまったわけです。
ところが、それから半世紀ほど後に起きた「関ヶ原の戦い」も、実はこの「源平合戦」と全く同じカラクリだということが分かりました。
〈源平合戦〉
■源氏 = 源頼朝 = 出雲族
(対決)
■平家 = 平清盛 = 秦氏 = ロスチャイルド
〈関ヶ原の戦い〉
■徳川軍(東軍)= 源氏の末裔 = 出雲族
(対決)
■毛利軍(西軍)= 島津家(秦氏の末裔)と結託 = 秦氏 = ロスチャイルド
で、徳川軍(東軍)には「月派」である「エリザベス一世」が与したわけですが、このことを証明するかのように、徳川側(東軍)についた「伊達政宗」は月のシンボルをカブトにつけていました。
一方、毛利軍(西軍)は「秦氏=ロスチャイルド」の末裔である「島津家」が与したわけですが、彼らが「秦氏=ロスチャイルド」であることを証明するかのように、毛利側(西軍)についた「真田幸村」は赤い鎧(赤はロスチャイルドの象徴)をつけていました。
で、よくよく「関ヶ原の戦い」の屏風絵を見てみると、「白」と「赤」の戦いになっています。それこそ「源平合戦」と見違えてしまいそうです。(出典はこちら。クリックで拡大します。)
ちなみに、源氏は「白」、平家は「赤」です。
さらに、第二次世界大戦のカラクリも、これまた「徳川の水軍」から組織された「海軍」と、「薩摩・長州・土佐」から組織された「陸軍」との戦いだったということが分かっています。詳しくは以下のリンクをご覧ください。
○第二次大戦で日本が負けたのは、やはり天皇 (大和族) に対する出雲族の裏切りが原因でした。
ということは、「第二次大戦」も「関ヶ原の戦い」と全く同じ構図だったということが言えます。
■日本帝国海軍=徳川軍(東軍)=出雲族
■日本帝国陸軍=毛利軍(西軍)=毛利家(大和族でありながら出雲族と自覚)+島津家(秦氏)=ロスチャイルド
で、「第二次大戦」のときに「アメリカ(月派)」が「広島」と「長崎」に原爆を落として戦争に勝ったわけですが、この「広島」と「長崎」にはイエズス会の拠点がありました。
○バチカンが既に「天皇派」に乗っ取られていたという現実。または広島と長崎に原爆が投下された理由。
で、イエズス会はもともと「毛利家」と「島津家(秦氏)」とグルで、「関ヶ原の戦い」を背後から操っていた存在でしたよね。詳しくは以下のリンクを御覧ください。
○織田信長と徳川家康とイエズス会の因縁の関係。関ヶ原の戦いは「イエズス会」と「エリザベス一世」との代理戦争でした。
○「本能寺の変」の黒幕はイエズス会と島津家と毛利家だった可能性大。または千利休がドルイド教徒だったという確たる証拠。
なので、「第二次大戦」はどこからどう見ても「関ヶ原の戦い」と全く同じカラクリだったと言えるわけです。
■日本帝国海軍 = 徳川軍(東軍)= アメリカ(ロックフェラー)と手を組んで勝利。
(対決)
■日本帝国陸軍 = 毛利軍(西軍)= イエズス会の拠点である広島・長崎に原爆を落とされて敗北。
この戦争の後、昭和天皇はアメリカによって「現人神」としての地位を剥奪され、「人間宣言」をさせられたわけですが、それは昭和天皇が「毛利家」の血を引いていたからだった、とも言えるでしょう。(昭和天皇が毛利家の子息であったということは、以下のリンクをご参照ください。)
○「明治維新」は北朝から南朝へのすり替えではなく、北朝の国造りのための基礎固めだった可能性大。
また私は、つい最近起きたオリンピック騒動も、実はこの「秦氏」と「出雲族」の争いではないか、という記事を書きました。
○スサノオのヤマタノオロチ退治と、蘇我氏による聖徳太子暗殺と、東京オリンピックにまつわる今回の騒動は、全く同じ構図のようです。
どうやら私のこの直感は正しかったようです。
この世で起きる騒動のほとんどすべてが「秦氏=ロスチャイルド」と「出雲族」との戦いに違いありません。
私はこれまでこの世界が「天皇派」と「教皇派」の対立の上に成り立っていると書いてきましたが、これをもっと正確に言うなら、「秦氏=ロスチャイルド」と「出雲族」との対立だった、と言い変えた方がいいのかも知れません。
また、JAL123便の墜落事故についても、この事故の背後に「天皇派」と「教皇派」が争いがあったと記事に書きましたが、これも実は「秦氏=ロスチャイルド」と「出雲族」の戦いだったのかもしれません。
○JAL123便墜落事故からソ連崩壊に至るまでの「天皇派」と「教皇派」の戦いの経緯。歴史は常に彼らの戦いの上に作られてきました。
ただし、この世で起きる争いや騒動が、すべて「秦氏」と「出雲族」との戦いであるとは限らないかも知れません。
中には「出雲族」どうしの内部分裂、「出雲族」と「大和族」との戦い、「出雲族」と「月派」との戦いなど、様々な戦いがあったとも考えられます。
とはいえ、歴史的に有名な戦いのほとんどが「秦氏=ロスチャイルド」と「出雲族」との戦いだったことは間違いなさそうです。
ちなみに、「秦氏」には「大和族」が与し、「出雲族」には「月派」が与してきたことは今さら言うまでもないことです。
一応、念のため、これまで書いてきたことを図にしておきます。これを見れば、これら全ての戦争が「源平合戦」であったということがご理解いただけるはずです。
1.八岐の大蛇とスサノオの対決
■八岐の大蛇=秦氏
(対決)
■スサノオ=出雲族
2.蘇我氏による聖徳太子の暗殺
■聖徳太子=秦氏
(対決)
■蘇我氏=出雲族
3.源平合戦
■平清盛=秦氏
(対決)
■源頼朝=出雲族
4.関ヶ原の戦い
■毛利軍+島津軍+イエズス会=秦氏+大和族
(対決)
■徳川軍+エリザベス一世=出雲族+月派
5.明治維新
■毛利家+島津家+土佐藩+ロスチャイルド=秦氏+大和族
(和解)
■徳川家=出雲族+月派
6.第二次世界大戦
■日本帝国陸軍=毛利家+島津家+イエズス会(ロスチャイルド)=秦氏+大和族
(対決)
■日本帝国海軍=徳川家+アメリカ(ロックフェラー)=出雲族+月派
6.戦後日本
■日本帝国陸軍=毛利家+島津家+イエズス会(ロスチャイルド)=秦氏+大和族
(和解)
■日本帝国海軍=徳川家+アメリカ(ロックフェラー)=出雲族+月派
この第二次世界大戦の後、一時的に「出雲族+月派」の力が強くなり、「秦氏+大和族」の勢力が弱くなったことは確かなことです。
しかし、現在の天皇は「毛利家」と「島津家」の合いの子であるため、「秦氏+大和族」の勢力が再び強くなってきていることは確かでしょう。
で、現在の天皇は「島津家=秦氏」の末裔であるため、「天照大神」ではなく「国常立尊」を最高神として崇めています。
と同時に、彼は「毛利家(大和族でありながら、出雲族であると自覚している)」の末裔でもあるので、「天照大神」のことも崇めているはずです。
実際、伊勢神宮の外宮には「国常立尊」が祀られ、内宮には「天照大神」が祀られているとのことですし、天皇がこの伊勢神宮を参拝する際には、まず外宮(国常立尊)から先に拝み、それから内宮(天照大神)を拝んでいるとのこと。詳しくは以下のリンクを御覧ください。
○第62回 伊勢神宮式年遷宮 遷御の儀 外宮 10月5日 |大和富士ブログ
こうして今上天皇が「国常立尊」を最高神として拝んでいる以上、「天照大神」が日本の最高神であるという定説はすべて嘘だったということになります。
また、明治維新以降、北朝系から南朝系の天皇へとすり替えられたという「鬼塚説」もこれにて信憑性が突き崩れてしまいました。
もっとも、本当の「北朝」の天皇なら、「国常立尊」の次に「スサノオ」を拝むはずなので、一応は平成(今上)天皇も「南朝」寄りであることは間違いないのかも知れません。
いずれにせよ、こうして今上天皇が、伊勢神宮で「出雲族」と「大和族」の神様をきちんと拝んでいれば、「大和族」と「出雲族」が変にいがみ合うこともないかも知れません。
しかも、今では「秦氏」と「出雲族」も互いに仲良くなりつつあるようで、つい最近、互いに敵対し合っていた「徳川家」と「ロスチャイルド家」が一緒に奇跡のコンサートを開いたとのこと。
我々庶民からしてみれば、「徳川家」と「ロスチャイルド家」が一緒にコンサートを開こうと、大した出来事には思えないわけですが、島津家や毛利家など支配層の人間からすれば、このようなコンサートが開催できたことは奇跡以外の何物でもなかったということなのでしょう。
ちなみに、これまで世界の各地では「源平合戦」と同じく「赤」と「白」の戦いが行われてきました。例えば、以下のように。
1.ロシア内戦
○ロシア軍 (白軍) – Wikipedia
○ロシア軍 (赤軍) – Wikipedia
2.ウェールズの伝承
○白い竜 (ウェールズの伝承) – Wikipedia
○赤い竜 (ウェールズの伝承) – Wikipedia
なお、今回の対談に出てくる「織田信長」は「大和族」で、「武田信玄」は「出雲族」です。
「織田信長」が「大和族」だったという根拠は、以下のリンク記事を御覧ください。
○織田信長と徳川家康とイエズス会の因縁の関係。関ヶ原の戦いは「イエズス会」と「エリザベス一世」との代理戦争でした。
一方の「武田信玄」は自らを「天台座主」だと称していたらしく、「天台宗」は明らかな出雲系の宗教です。そのため、「武田信玄」は明らかに「出雲族」だと考えられます。
また、今回の対談をする前まで、私は「豊臣秀吉」のことを「大和族」だと書いてきましたが、実は彼が「三面大黒天」という神様を拝んでいたということが分かりました。
○第1回 秀吉の出世守り本尊「三面大黒天」の謎
「三面大黒天」とは、「大黒天」「毘沙門天」「弁財天」の3つを合体させた神様なのですが、「大黒天」とは「大国主」のことで、「大国主」とはスサノオの子供。つまり、「出雲族」の神です。
しかも、この「三面大黒天」は天台宗の開祖「最澄」も祀っていたとのこと。「最澄」は法華経を拝んでいたので、明らかな「出雲族」です。
----------------(以下、こちらから転載)
室町時代の文献に、大黒天・毘沙門天・弁才天の三尊が合一した三面大黒天の像を、天台宗の開祖・最澄が祀ったという伝承があり、大黒・恵比寿の並祀と共に、七福神の基になったと見られている。
----------------(転載ここまで)
なので、「豊臣秀吉」が出雲族だったことは間違いなさそうです。
で、この「豊臣秀吉」は、その後、「島津家」も「毛利家」も「徳川家」も自らの家臣として従わせてしまうわけですが、もしかしたらこのとき、「秦氏」の目論んでいた天皇中心のNWOが完成しつつあったのかも知れません。
そのためでしょう。「豊臣秀吉」の家紋だった「桐紋」を、現在の内閣総理大臣が使っています。それだけ彼らが「豊臣秀吉」を崇敬しているという証拠です。
○豊臣家の桐紋と日本政府!黒田家と竹中家!日本のエスタブリッシュメントとは、(改)
しかし、こうして「豊臣秀吉」の下で「秦氏」と「大和族」と「出雲族」と「月派」が一つになりつつあったとき、誰かが「豊臣秀吉」に対して横やりを入れたのでしょう。
「豊臣秀吉」が突如、イエズス会の迫害を始めるようになってしまった。
しかも、彼の死後には、「豊臣秀吉」の家臣たちが二つの勢力に分かれて「関ヶ原の戦い」を始めてしまった。
で、「出雲族」がこの戦いに勝ち、260年もの間、「出雲族」の天下が続いた。
で、明治維新で「秦氏」がこの状況を覆し、「秦氏」の天下にしてしまった。
ところが、第二次大戦で「出雲族」がこの状況を覆し、再び「出雲族」の天下になった。
しかし、ロックフェラーの死によって(?)月派の勢いが弱体化してきたため、「出雲族」はじわじわと勢力を失い、「秦氏」が挽回しつつある。
と同時に、「秦氏」も「出雲族」も一つになろうと必死に努力している……。
日本の歴史の流れはおおよそこんなところではないでしょうか。
玲
Posted at 22:31h, 24 10月日本の運動会って赤組と白組でわかれて戦いますもんね
国旗も白に赤。。
おもしろいです。
raptさんのブログ毎日読んでしまいます!
応援しています。
ちなみにわたしの家紋は揚羽蝶と桐紋です。まさに隠れキリシタンで有名なあの地と四国の海沿いの街です。最近平氏についていろいろ調べていたらこのブログにたどり着いた次第です。
いつもありがとうございます。
真実を知り行動する人
Posted at 23:29h, 24 10月RAPTさん、更新ありがとうございます。なるほど!!なぜ、新年を迎える、大晦日の歌合戦。日本の日の丸である、めでたい色の紅白に分かれて、戦わなければならないのか?お調子モノは赤白帽を真ん中に被り、ウルトラマンになっていまいしたが(三日月に見えなくもないので月派?)なぜ小学校の子供の運動会で、赤白に分かれて源平合戦の代理戦争をさせられるのか?!!それも神話の頃からですかぁ。もう、唖然とするばかりです。今回、RAPTさんが仰った、秦氏と出雲族の戦いだと言うのは非常に納得させられます。出雲族は除福などの物部氏、同じ北イスラエルから後から来た、秦氏は仏教や古代キリスト教を装った、ドルイド教の神官。レビ族でいん部や賀茂氏なんでしょうか。出身は同じでも、その頃には、考え方や風習に大きな違いがり、それが揉め事の発端であっても不思議でありません。先日の記事ではありますが、伊勢神宮は内宮と外宮ともう一つ、元伊勢と言われる伊雑宮があります。この伊雑宮は明らかに出雲族の神社であり、あちら側のスポークスマン飛鳥昭雄さん曰く、式年遷宮に合わせ、3種の神器もこちらに移されたとの事なのです。見た人が誰もいないので何とも言えませんが、つまり今の天皇は、天照を拝んでいるのでは無く国常立尊を拝んでいるとも考察できます。ただ一つ我々にとって朗報なのは、支配者層の4つの派閥は1つにはなれないことです。これは言葉を変えると、NWOは無理だと言う事です!!今日、実は地域プレミアム商品券の引き換えに並んできたのですが、こういった試みをもっと継続的に全国的にやってもらいです。私もつい便利なので、アマゾンで買い物してしまいますが、グローバルは幻想、グローカリズムで田舎に金を落としてこそ地方再生、日本の復活があるかと思います。悪は必ず滅びます!!素敵な社会になりますように。みなさんに、お祈りいたします。
リチャード・ギアミズ
Posted at 01:51h, 25 10月NWOとは支配者層達が一つになる事だったんですね!
しかもヒイヅルクニの。
記事じっくり堪能致しました
じげもん
Posted at 09:34h, 25 10月おはようございます。今朝、対談を拝聴させていただきました。
しばらく前に、国旗の色には白と赤と青が使われることが多いという件についてコメントさせていただきましたが、上の屏風図もよく見ると白と赤と青の旗(幟?)が見えますね。
白が源氏系(出雲族)、赤が平氏系(秦氏)だとすると、青は月派でしょうか。
日本の歌謡曲でも『月がとっても青いから…』や、『蒼ざめた月が 東から昇るわ』というように、『月=青』というイメージでとらえる向きがありますね。英語でも『ブルームーン』という言葉もあるようですし。
アメリカやイギリス、韓国などの国旗に上記の3色が使われているのは、3つの勢力が拮抗していることのあらわれでしょうか。
第2次世界大戦直後に建国?されたイスラエルの国旗が白地に青なのは、敗戦で弱体化した秦氏の勢力が介入していないことの象徴なのでしょうか。
日本の地名で白山(城山)のそばに青山がある例がいくつか見られるのは、出雲族と月派が比較的親密なことの表れでしょうか。ちょっと考えすぎかもしれません。
話は変わりますが、最近の中国とイギリスの接近や、TPP交渉の場でオバマが安倍と会談をしなかったことを見ても、悪魔崇拝者たちが一つになることはとても難しいと私も思います。皆さまに安らぎと祝福が訪れますように。
アモリフェラ
Posted at 11:56h, 25 10月うちのすぐ近所には「スサノウを祀る神社」と「源氏を祀る神社」の2つがあります。私はここはとても居心地がいいのです。アクセサリーでも金色(太陽)よりも、銀色(月)のほうが好みです。自分のDNAは、どうも源氏の方ではないだろうかとRAPTさんのお話を聞いて感じました。どちらにしても、国常立尊を拝んで争いだけはしてほしくないですね。面白く不思議なお話をどうもありがとうございます。
hiyorigeta
Posted at 16:05h, 25 10月秦氏対出雲族は納得ですが、島津(薩摩)は、むしろ海軍ではないでしょうか?
海軍大臣は西郷従道、樺山資紀から始まってほとんど薩摩系。また海軍兵学校長も川村純義から始まって薩摩系が多いです。海軍大学校長も薩摩系のように思われます。川村純義は幼い昭和天皇と秩父宮を預かって養育していました。
後の太平世戦争において、幕末の伏見宮朝彦親王と島津の結びつきが決定的だったという説もあります。そういえば、皇淳皇后は、島津と伏見宮家の血筋です(朝彦親王の孫で島津の孫)。
どちらかというと長州は北進派で、島津と朝彦の息子や孫は南進派。朝彦の息子の東久邇宮や朝香宮など陸軍の軍人ですが、陸軍でも統制派だったと思います。
特に朝彦の息子の久邇宮邦彦王(皇淳皇后の父)は陸軍軍人ですが、海軍航空隊の父とも言える人物らしいです。息子の久邇宮朝融王(皇淳皇后の兄)は海軍中将。山本五十六の後援者との事。山階宮も海軍航空隊で「空の宮さま」と呼ばれました。
「杉山メモ(上)」の参考資料の「海軍行事実施表(臨時調査部)」で、「1941年1月:山本GF長官に対し布哇(ハワイ)攻撃の研究を大西少将に下命す」という文章があります。これは天皇より、大西瀧治朗にハワイ攻撃の研究を命じ、山本長官に報告するようにという内容だと思われます。真珠湾攻撃のアイデアは大西のもののようです。庶民出身の山本五十六には権力などはないと思います。大きな作戦には資金が必要であり、もっと巨大な勢力でないと出来ることではないと思います。
長州出身の木戸幸一の実弟は和田小六といって日本の航空機開発の第一人者でした。ゼロ戦開発に関わっています。英国ソップウィズ社の有能な設計家、ハーバート・スミスなども協力。陸軍、海軍、帝国大学で研究所を作り、三菱チームの協力で、ゼロ戦の原型が出来上がったとのことです。このこと自体が、米国との戦争を見据えてのことでしょうから。
本当の最大の戦争の黒幕は何でしょう?やはりロスチャイルドでしょうか?
浜口首相暗殺は海軍の予算の問題が原因だったようです。
rapt
Posted at 16:15h, 25 10月>hiyorigetaさん。
第二次大戦時、島津家の中で内部分裂が起きたという可能性もありますね。
というのも、226事件以降、昭和天皇は陸軍に嫌気がさし、海軍に心を傾けるようなっているからです。
昭和天皇は島津家の女性と結婚しており、島津家は「秦氏」でありながらも「出雲族」だと自覚している一家です。
なので、内部分裂が起きる可能性は十分にあります。
それに、島津家の中には、天皇の肩を持ちたいと考える人もたくさんいたはずです。
三菱も「土佐」の岩崎弥太郎がたてた会社で、彼もまた本来なら陸軍側になりそうですが、海軍側についた。
それも、やはり彼が「土佐」の生まれでありながらも「出雲族」だったからではないかと考えられます。
「秦氏」も「出雲族」も同じ国常立尊を信じているので、「出雲族」の中には「秦氏」につく者と「出雲族」につく者とに二分されやすいのではないかと考えられます。
この辺の複雑さは、「豊臣秀吉」の時代の複雑さに似ています。
rapt
Posted at 17:14h, 25 10月>じげもんさん。
青い旗には「兜」という文字が書かれていますが、この「兜」という文字を家紋として使っていたのは「宇喜多秀家」で、彼は毛利軍についています。
http://shupo.jr-central.co.jp/gifu/taste/culture/083_popup1_3.htm
彼の父である「宇喜多直家」は日蓮宗だったとのことなので、「出雲族」である可能性がありますね。
https://ja.wikipedia.org/wiki/宇喜多直家
世界を変えたいんジャー
Posted at 16:52h, 26 10月RAPTさんが関ヶ原の記事を書かれた後に、NHKがこんなテレビ番組を放送していたみたいです。
http://bushoojapan.com/book/tvprogram/2015/10/21/61504
あまりにも時期が重なっているので、裏があるのではと疑わざるを得ません。