RAPT | RAPT×読者対談〈第59弾〉 RAPT理論のおさらい。
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RAPT×読者対談〈第59弾〉 RAPT理論のおさらい。

RAPT×読者対談〈第59弾〉 RAPT理論のおさらい。

 
今回の対談は、なぜこの世で起きる大戦のほとんどが「秦氏」と「出雲族」の戦いになっているのか、つまり「源平合戦」になっているのか、についてお話しています。(「源平合戦」については以下の対談をご参照ください。)
 
RAPT×読者対談〈第38弾〉関ヶ原の戦いも明治維新も第二次世界大戦もすべては源平合戦だった。
 
RAPT×読者対談〈第51弾〉天皇支配という悪夢のカラクリ。
 
RAPT理論を語る上で、この「源平合戦」を抜きに語ることはできません。
 
しかしながら、RAPT理論を理解する上で最も難しいのが、この「源平合戦」の部分であろうかと思います。
 
悪魔崇拝者たちは、これまで「秦氏」「大和族」「出雲族」「月派」の4つの勢力に分かれて争ってきました。
 
しかしながら、世界の歴史を振り返ってみると、天下を真っ二つに分けるような大戦のほとんどが「秦氏=大和族」「出雲族=月派」の戦い、つまり「源平合戦」であったことが分かってきました。
 
しかも、この事実を解明して以来、私はこの世のカラクリがこれまで以上にスラスラと解けるようになりました。
 
ですから、この構図が間違いないということははっきりと断言することができます。
 
とはいえ、未だにこの構図をきちんと理解できず、あるいはこの構図を信じられずに私のブログを読み、頭をひねっている方が多々いらっしゃるように見受けられます。
 
なぜこの構図が理解できないのか、人それぞれ理由があるかと思いますが、いずれにせよ、この構図を一朝一夕で理解しようとする方が無理なのかも知れません。
 
確かに私はこの世のカラクリをできるだけシンプルに解明しようとしてはいますが、そうかといって、この世の中はそれほど簡単に色分けできるような単純な世界でもない、というのも確かな事実だからです。
 
なので、今回の対談を通して、この辺の理解を少しでも深めていただければと思います。
 
なお、昭和天皇が三菱系列の「日本郵船」と組んで、日本の女性を売春婦としてアメリカに売って儲けていたという話は、以下のリンクをご参照ください。
 
天皇とともに日本国民を地獄のどん底に突き落としてきた「三菱グループ」の正体。
 
また、「秦氏」と「出雲族」の区分の仕方は、おおよそ以下になります。
 
■五芒星 = 安倍晴明 = 秦氏 = 陸軍 = 火 = 鶴 = ミトラ(ミトラ教) = JAL = トヨタ……etc
■六芒星 = 芦屋道満 = 出雲族 = 海軍 = 水 = 亀 = ヴァルナ(ゾロアスター教)= イスラエル = 大本教……etc
 
この世の中はマンガや小説とは違いますので、全てが全て「絶対にこうである」とは言い切れません。少なからず例外もあると思います。
 
しかしながら、この法則を念頭に置いた上でこの世の中を眺めれば、この世のカラクリが少しは解明しやすくなります。これは私の経験からはっきりと言えることです。
 
また、関ヶ原の戦いでは「島津家+毛利家」と「徳川家」が戦ったわけですが、彼らがみんな「清和源氏」であった、ということは以下のリンクをご参照ください。
 
フランシスコ・ザビエルと田布施システムの怪。明治維新は「清和源氏」の末裔による権力獲得のためのクーデターでした。
 
で、この「清和源氏」の始祖は「源経基(みなもとのつねもと)」だと言われています。
 
源経基 – Wikipedia
 
では、この「源経基(みなもとのつねもと)」の始祖は誰なのかというと、おおよそ以下の二つの説に分かれています。(出典はこちら
 
■清和源氏説:清和天皇-貞純親王-源経基-源満仲
■陽成源氏説:清和天皇-陽成天皇-元平親王-源経基-源満仲  
 
しかも、人によっては以下のように言う人もいます。
 
----------------(以下、こちらから転載)
 
この陽成源氏説は明治の歴史学者星野恒が『史学雑誌』に発表した論文「六孫王ハ清和源氏ニ非ザルノ考」において提唱した説で、「清和源氏の祖は実は清和天皇ではなく陽成天皇であるが、暴君であったとされる陽成帝の名を冠せず清和源氏を名乗った」というものである。
 
石清水八幡宮祠官田中家文書の中に源頼信が誉田山陵(応神天皇陵)に納めたと称する永承元年告文に「先人新発、其先経基、其先元平親王、其先陽成天皇、其先清和天皇」と明記してあることが根拠である。
 
発表当時は波紋を投げかけたものとなったが、通説の清和源氏説を覆したり長く論争になったりすることはなかった。
 
----------------(転載ここまで)
 
この説がこうして否定されているところを見ると、実はこの説こそが最も真実に近いのではないか、と疑いたくなりますね。
 
つまり、現代の日本を支配している「島津家」「毛利家」は、「清和天皇」の末裔ではなく、暴君だった「陽成天皇」の末裔ではないかと考えられるわけです。
 
また、この「陽成天皇」については、江戸時代にも「後陽成天皇」という天皇が現れ、「月輪陵(つきのわのみささぎ)」という「月」という名のつく墓に葬られました。
 
後陽成天皇 – Wikipedia
 
ということは、この「陽成天皇」もまた「月派」ではないかと考えられるわけです。
 
現に「陽成天皇」が即位した平安時代から「日」を読む和歌より「月」を読む和歌の方が増えたようです。
 
----------------(以下、こちらから転載)
 
ここで、一度、下記で、百人一首の全部の和歌を、俯瞰して見て下さいますでしょうか?
 
http://www.ogurasansou.co.jp/site/hyakunin/hyakunin.html
 
上記の句の一覧を見て、、、あることに気付きませんか?
 
それは、「太陽(日)」を読む歌よりも、「月」を読む歌がやたら多いと言う事です。
 
ここで、「太陽(日)」と、「月」の語句を含んだ和歌の一覧を表示します。
 
▼無作為に「日」の漢字が入る和歌を抽出・・・合計4首
7 天の原ふりさけ見れば春日なる 三笠の山に出でし月かも 安倍仲麿
33 久かたの光のどけき春の日に しづ心なく花の散るらむ 紀 友則
54 忘れじの行末までは難ければ 今日をかぎりの命ともがな 儀同三司母
61 いにしへの奈良の都の八重桜 今日九重に匂ひぬるかな 伊勢大輔
 
▼無作為に「月」の漢字が入る和歌を抽出・・・合計10首
7 天の原ふりさけ見れば春日なる 三笠の山に出でし月かも 安倍仲麿
21 今来むといひしばかりに長月の 有明の月を待ち出でつるかな 素性法師
23 月見ればちぢにものこそ悲しけれ わが身ひとつの秋にはあらねど 大江千里
31 朝ぼらけ有明の月と見るまでに 吉野の里にふれる白雪 坂上是則
36 夏の夜はまだよひながら明けぬるを 雲のいづこに月やどるらむ 清原深養父
59 やすらはで寝なましものを小夜更けて 傾くまでの月を見しかな 赤染衛門
68 心にもあらでうき世にながらへば 恋しかるべき夜半の月かな 三条院
79 秋風にたなびく雲の絶え間より もれ出づる月の影のさやけさ 左京大夫顕輔
81 ほととぎす鳴きつる方を眺むれば ただ有明の月ぞのこれる 後徳大寺左大臣
86 なげけとて月やはものを思はする かこち顔なるわが涙かな 西行法師
 
----------------(転載ここまで)
 
「百人一首」は平安時代から鎌倉時代にかけて編集された和歌集です。
 
百人一首 – Wikipedia
 
で、この「百人一首」は「日」を読む和歌よりも「月」を読む和歌の方が多い……。
 
ということは、「平城京」から「平安京」に遷都し、「南朝」から「北朝」になって以来、この日本では「月派」の勢力が強くなっていったということかも知れません。
 
つまり、「秦氏=大和族」よりも、「出雲族=月派」の方が勢力が強くなったというわけです。
 
で、そのような日本の情勢を突き崩すために、「イエズス会」やら「織田信長」やらが現れ、「秦氏=大和族」による日本支配を画策しはじめたということなのでしょう。
 
織田信長と徳川家康とイエズス会の因縁の関係。関ヶ原の戦いは「イエズス会」と「エリザベス一世」との代理戦争でした。
 
また、バチカンの先代のローマ教皇「ベネディクト16世」の紋章は以下になります。
 
スクリーンショット 2015-12-09 16.48.23

〈ベネディクト16世の紋章〉

 
先日の以下の対談で、「黄色」が「月派」を表しているということが分かりました。なので、「ベネディクト16世」は「月派」です。
 
RAPT×読者対談〈第54弾〉秦氏=ロスチャイルドの隠蔽された歴史。
 
で、この「ベネディクト16世」が幼児虐待のかどで逮捕され、代わりに「フランシスコ」がローマ教皇の座に就いたわけですが、この「フランシスコ」の紋章が以下になります。
 
スクリーンショット 2015-12-09 16.48.34
〈フランシスコの紋章〉

 
「青」は出雲族ですので、バチカンでは「出雲族」がトップに立ったということになります。
 
とはいえ、「フランシスコ」の紋章には「赤」もありますから、「秦氏」と併せて「太陽派」がトップの座に就いたとも言えますね。
 
つまり、バチカン内部では「秦氏」と「出雲族」の争いがあったわけではなく、「太陽派」と「月派」の争いがあったと考えられるわけです。
 
ですから、この世の全ての戦いが「源平合戦」であるとは限らないということです。
 
しかしながら、天下分け目の大戦は、なぜかどれも「源平合戦」になっている……。少なくとも、その可能性が高い……。
 
この法則を頭に入れておくと、この世のカラクリがよりシンプルに見えてくるのは確かなことです。何度も繰り返すようですが……。
 
いずれにせよ、このことについてはこれからも続けてお話していくつもりですので、今後の記事や対談を通して、さらに理解を深めていっていただければと思います。
 

2 Comments
  • merry
    Posted at 03:49h, 16 12月

    今日も更新ありがとうございます。
    今回の対談で、自分が勘違いしていた部分が色々と分かり、理解が深まったような気がします。
    それにしても、RAPT理論の奥の深さに思わず唸ってしまいました。
    過去の記事を振り返ってみても、意外にも的を射ているものばかりで改めて驚かされます。
    やはり神様の力がRAPTさんに臨んでいるのでしょうね。
    そう実感せざるを得ない対談でした。

  • YUKO
    Posted at 09:47h, 16 12月

    RAPT理論のおさらいを ありがとうございました。より理解が深まりました。
    聖書の神様を信じ従っている者は 神様を愛しているから、自分以外の人の悲しみ苦しみは自分も辛いし、他人の幸せが 自分の幸せになります。
    でも 悪魔側の人達は 自分だけを愛していて他の人より金、地位、権力などを得たいというのが最大の目的だから 国常立尊(ルシファー)崇拝をしていても愛している訳ではない。ましてや その次の悪魔(天照、スサノオなど)に対しては、自分の利益の為なら簡単に乗り換えるし、もちろん悪魔崇拝者同士が戦う。
    それで入り乱れて複雑に見えていたんですね。でも実は単純なことだったと分かりました。

    もし、自分の幸せのため 良くなりたいために神様を求めるなら 一番愛しているのは自分であり、悪魔崇拝者と変わらなくなってしまう。(まず求めることから始まって成長していくことは あります)
    もちろん神様は 私達に幸せを与えたいと思っておられます。そして その本当の幸せは神様から与えられた それぞれの使命に誠実に生きることです。(現に私は神様に出会ってから 幸せの中を生きていて その幸せが増え続けています。)
    教会にいる人達の多くが、教派の教義や教会組織、牧師などに仕えることが神様に仕えていると思い違いをしています。それは、神以外のものを崇めていることになります。
    「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい」これが最も重要な第一の掟である。マタイ22:37
    このみことばを知らないクリスチャンはいない筈なのに一番大切なことを見失っている。

    それから普通は、家族や友人に「良かれ」と思ってやっていることが愛だと思ってしまいますが、この世の価値観、自分の価値観で良かれと思うことは善いことではありません。
    いつもRAPTさんがおっしゃっている通り
    聖書から そして直接 神様から導かれて 神様の価値観で考え行動していきましょう。

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