17 10月 織田信長と徳川家康とイエズス会の因縁の関係。関ヶ原の戦いは「イエズス会」と「エリザベス一世」との代理戦争でした。
今日はまた日本史に話を戻します。
先日の対談でも、織田信長・豊臣秀吉・徳川家康のいわゆる三英傑と呼ばれる戦国大名の時代が、日本史の中でも特に理解不能であり、意味不明であるというお話をしました。
○RAPT×読者対談〈第36弾〉関ヶ原の戦いと明治維新の本当のカラクリ。
しかし、RAPT理論がある程度の完成を見せるようになった今、この三英傑の時代のカラクリと謎が少しずつ解けはじめています。
で、上の対談の中では、「関ヶ原の戦い」は「太陽派(大和族と出雲族)」と「月派」の戦いであり、この戦いに「月派」が勝利して日本を支配するようになったとお話しました。
もっとも、ここで勘違いしてはいけないのは、「関ヶ原の戦い」で勝利した「徳川家康」は「月派」だったのではなく、「出雲族」だったということです。
しかしながら、「出雲族」は昔から「大和族」とは犬猿の仲で、「月派」とは仲良しでした。
なので、「月派」とおぼしきイギリスの「エリザベス一世」から武器の支援を受けたとたん、即座に「月派」の天皇を擁立するために戦ったわけでしょう。
で、「徳川家康」がこの戦いに勝利した結果、江戸時代には「月派」の天皇がずっと擁立されることになりました。詳しくは以下のリンクをご覧ください。
○鹿児島(薩摩)と山口(長州)と高知(土佐)はドルイド教で結ばれた「太陽派」であり、「月派」を倒すために明治維新を起こしました。
で、よくよく調べてみると、「エリザベス一世」は当時のローマ教皇「グレゴリウス13世」と熾烈な争いをしていて、この「グレゴリウス13世」は実は「イエズス会」とはかなりの仲良しだったようです。
以下、「グレゴリウス13世」のウィキペディアの記事です。
----------------(以下、こちらから転載)
政治的には教皇はイスラム教国への対抗姿勢を示しつつも、プロテスタント諸国の動向が気になっていた。
彼は聖職者養成のため、多くの神学校を設立し、イエズス会の教育事業を強力に後押ししている。
この時代、イエズス会は多くの学校をヨーロッパに設立している。
中でも有名だったのが、ローマにあったローマ学院である。
これは優れた聖職者を養成するために設立されたものであったが、教皇はローマ学院に大規模な援助を行い、その規模を拡張させた。
教皇のこの業績はこの学校の現在もつづく名称である「グレゴリアン大学」という名前に記念されている。
カトリック諸国のリーダーとして、教皇がイングランド女王エリザベス1世の統治の転覆を支援したことはイギリスにおいてカトリック教徒が敵視される原因をつくってしまった。
----------------(転載ここまで)
私はこれまでこの世界が「天皇派」と「教皇派」の二つの勢力に分かれて争ってきたというお話をしてきましたが、そうかといって、バチカンの歴代教皇すべてが「教皇派=月派」というわけではありません。
バチカンに所属していたイエズス会も「天皇派=太陽派」であり、そもそもイエズス会は古代ケルトの「ドルイド教」の僧侶です。
そして、この「ドルイド教」の僧侶たちは「ルシファー=国常立尊」を最高神として崇めており、「ルシファー」の支配する世界統一政府(NWO)を樹立しようと目論んできました。
ところが、彼らのその意図に反して、悪魔崇拝者たちは「大和族」「出雲族」「月派」の三つの勢力に別れ、それぞれが世界のトップになるために激しい権力争いを繰り広げてきました。
つまりこの世界が、三大貴神と呼ばれる「天照大神」「スサノオ」「ツクヨミ」の勢力に分かれて争ってきたわけです。
○「天照大神」「スサノオ」「ツクヨミ」による権力争いと世界支配計画。現代まで続く「日本神話」という現実の物語。
そのため、「ドルイド教」の僧侶たちは、この三つの勢力をなんとか一つに統合しようと努力してきたわけですが、いつの時代も彼らの目論見は頓挫してきました。
バチカンにおいてもそれは同じで、バチカンの中でも常にこの三つの勢力がバチバチと争い合ってきたに違いありません。
で、「グレゴリウス13世」は「ドルイド教」の僧侶たち、すなわち「イエズス会」には好意的であり、「イエズス会」の意向通りに動いていました。
ところが、イギリスの「エリザベス一世」は「イエズス会」を敵視していた。
恐らく当時の「イエズス会」がスペインやポルトガルと手を組んで、イギリスの海外進出を阻んでいたからでしょう。
そのため「エリザベス一世」は、「イエズス会」が日本に進出しようとしているのを察知したとたん、直ちに「徳川家康」に武器を提供し、「イエズス会」の日本侵略を阻止しようとした。
その結果、「関ヶ原の戦い」が起きたというわけです。
で、この「エリザベス一世」に敵対し、「イエズス会」の肩を持ったのが「毛利元輝」などを始めとした「西軍」だったと考えられるわけですね。
つまり、「関ヶ原の戦い」は単に日本の戦国武将どうしの戦いではなく、「イエズス会」と「エリザベス女王」の代理戦争だったと考えられるわけです。
で、「イエズス会」は「出雲族」とは犬猿の仲でした。
これまでこのブログを長く読まれてきた方はすぐにわかると思いますが、「イエズス会」とは「ドルイド教」の僧侶のことであり、「ドルイド教」の僧侶とは「ロスチャイルド=秦氏」のことであり、「秦氏」とは「八岐の大蛇」のことです。
で、この「八岐の大蛇」は神話時代に「スサノオ」と戦って退治されているのです。
○秦氏の正体はロスチャイルドでした。
なので、「イエズス会」は日本に侵略してくる際にも、「出雲族」には近付きがたいものがあった。
だから、まずは同じ「秦氏」の末裔である「島津家」に近付くことにしたわけでしょう。
しかも、「島津家」は自らのことを「出雲族」とも自覚していて、「イエズス会」と同じく「国常立尊」を最高神としている。
本来なら、「出雲族」と「秦氏」は仲良くしにくいけれども、同じ「秦氏」の末裔どうしということで、なんとかうまく渡り合えたわけです。
「イエズス会」が来日した際、まずは鹿児島に行って「島津家」に会ったのは、このような理由があったと考えられます。
で、この「イエズス会」とタッグを組んで天下を取ったのが、かの有名な「織田信長」ですね。
「織田信長」は明らかな「大和族」です。なので、「イエズス会」としても「織田信長」には近付きやすかった。
○織田信長と豊臣秀吉が日本を「大和族」の天下にし、徳川家康が「出雲族」の天下へとひっくり返しました。
しかも、「イエズス会」の宣教師であるフランシスコ・ザビエルの一番弟子となった「ヤジロウ」は、自らが信じる神様のことを「大日(天照大神の仏教名)」と呼んでいました。
○イエズス会と真言密教と浄土真宗と人肉食信仰「クロ宗」の奇妙な接点。フランシスコ・ザビエルを日本に招いた「ヤジロウ」から分かる悪魔教の現実。
だから、「織田信長」はてっきり「イエズス会」が「天照大神」を崇めていると思い込んでしまった。まさか彼らが「国常立尊」を最高神として崇めているとは思わなかった。
だから、「イエズス会」を好意的に迎え入れたわけでしょう。
ところが、その後、「イエズス会」の本当の正体を知ってしまい、「イエズス会」に背を向けるようになったのだと考えられます。
また、「織田信長」の後を継いだ「豊臣秀吉」も同じく「大和族」と考えられます。
ただし、「豊臣秀吉」もまた「イエズス会」にまんまと騙されて、うまく利用されてしまったフシがある。それで、後になって「イエズス会」を迫害するようになったと考えられます。
一方の「徳川家康」は「出雲族」であり、「イエズス会」とはもともと天敵の仲。
なので、「エリザベス一世」とすぐさま手を組んで「イエズス会」を敵に回して戦うようになった。
「織田信長」から「徳川家康」に至るまでの歴史の流れは、おおよそこんなところだと言えそうです。
ということで、今日はこの理論をより確固たるものにするために、「織田信長」が「大和族」だったという具体的な証拠をいくつか皆さんにご紹介したいと思います。
ここのところがはっきりしないことには、これまで話した理論もきちんと納得できないでしょうから。
そもそも、「織田信長」は「室町幕府」を倒して天下をとったわけですが、この「室町幕府」を築いたのは「足利尊氏」。
で、「足利尊氏」は南朝の「後醍醐天皇」を退治したため、大正時代には皇室から四大逆賊のひとりとして指定されていました。
ちなみに、当時、皇室から四大逆賊とされていたのは「弓削道鏡、足利尊氏、明智光秀、出口王仁三郎」の四人だそうです。(出典はこちら)
つまり「足利尊氏」は「南朝」に敵対していたというわけで、つまりは「北朝=出雲族」に与していたわけです。
なので、その「足利氏」を倒した「織田信長」は明らかに「南朝=大和族」であると考えられるわけですね。
さらに「織田信長」は、自らのことを「第六天魔王」と呼んでいました。また、周りからもそう呼ばれていました。
○なんで織田信長って「第六天魔王」とか呼ばれてるんですか? – なんで織田信… – Yahoo!知恵袋
「織田信長」が単なるジョークで「第六天魔王」と自称していたと言う人もいるようですが、恐らくこれはジョークではありません。
なぜなら、この「第六天魔王」という言葉には深い意味が隠されているからです。
実は「第六天魔王」というのは、「天照大神」を日本の主(天皇)とし、それに逆らう者を懲らしめるとの誓約を交わした魔王のことなのです。
----------------(以下、こちらから転載)
まだ日本が神話の時代。
天照太神(アマテラス大神)と第六天魔王との間に契約が交わされていたのである。
日本に仏教が広まると第六天魔王の力が弱まってしまうと怒り訴える。
天照太神は自分は三宝(仏・法・僧)に近づかないと誓う。
それにより第六天魔王は怒りを鎮め、天照太神の子孫を日本の主(天皇)とし、
天皇に逆らったり国を乱す者が現れたら、第六天魔王の一族がこれを懲らしめる事を誓う。
----------------(転載ここまで)
このことから見ても、「織田信長」が明らかな「大和族」であることが分かります。
で、「織田信長」はこの「天照大神」との誓約を守るためでしょう、実際に「比叡山焼き討ち」をやっていますね。
○比叡山焼き討ち (1571年) – Wikipedia
「比叡山延暦寺」は「最澄」が建てたお寺(最上の画像)ですが、「最澄」は天台宗の開祖であり、天台宗は「法華経」を崇めていました。
「法華経」と来れば「日蓮」であり「創価学会」ですが、彼らはみんな「出雲族」でしたね。詳しくは以下のリンクをご覧ください。
○空海も最澄も日蓮聖人も出口王仁三郎も深見東州も池田大作も同じ悪魔「サナト・クマーラ」を崇める妙見信仰者でした。
「織田信長」が「比叡山焼き討ち」をした理由について、歴史の教科書ではあれこれと複雑に解説されていますが、結局のところ、「織田信長」が「大和族」であり、「第六天魔王」だったため、「出雲族」のお寺である「延暦寺」を焼き討ちしたと考えるのが妥当なところでしょう。
この話はまだまだ続きます。
蓮沼 克史
Posted at 20:30h, 17 10月はじめまして。いつも記事を読ませていただいています。話は少し前の東出さんとの対談で、何かリニアコライダーで新しい兵器を開発しようとしているというという事について、ユーチュウーブで参考になりそうな動画がありましたが御存知ですか。核兵器を上回る破壊力と、人間の精神を破壊する反物質の産出や、次元の壁を破る危険性について、キリスト教の牧師の方の告発があり、有名なホーキング博士をはじめ、研究者の方々も警鐘を鳴らしているそうです。題名は「CERNにおける光速衝突実験の危険性とそのあるまじき実態」、「CERN / 地獄への扉 」です。
rapt
Posted at 21:08h, 17 10月>蓮沼 克史さん。
その動画は、ある読者の方がコメントでご紹介してくださいました。
https://www.youtube.com/watch?v=Jw88AE_pYGc&feature=youtu.be
hiromi sakaguchi
Posted at 02:39h, 18 10月私のおじいちゃんが帝国大学で皇室のかたと
勉強していたようです。
私は良くわかりませんがやたらに在日朝鮮人とか、外人のイスラムのかたがやたらに、婚姻をしようとしてきたり、嫌がらせで結婚してはいけない!と在日朝鮮人などが私を病気にするほど追い詰めてきたりで、血筋などあるのかもしれませんが、私の親類が医療関係者や製薬会社
外資ヨーロッパ系がいるので、結婚は職業など考慮していかなければならないので、気をつけていますが、大和と出雲が仲良くなり、
技術提供しあってますますの繁栄を
互いが世界の頂点を目指していくことが、
1番の理想的な世界の発展になるのに。
と思い、自分が大和か出雲か知りたいです。
父親が早稲田、弟が東京大学ですが、
大学は関係あるのですか?
rapt
Posted at 04:04h, 18 10月>hiromi sakaguchiさん。
紀子さまの親族はほとんどが有名大学の教授などですので,もちろん関係があるでしょうね。
http://kingendaikeizu.net/akisinonomiyahikiko.htm
ミツバチ
Posted at 09:19h, 18 10月なんとかRAPT理論についていこうとしていますがここで頓挫してしまいましたのでお尋ねします。
織田信長が大和族というのは解ります。延暦寺の焼き討ちなのもあります。信長が寵愛した森蘭丸はお稚児さんだと思うのですが児童虐待などはスサノオを拝む出雲族の動きが目立つように思います。祇園祭りや八坂神社、真言宗や禅宗の宗教行事や偶像物もことごとくバール信仰のように思います。アマテラスを拝む大和族にも悪魔崇拝的な信仰はあるのでしょうか。
rapt
Posted at 09:42h, 18 10月>ミツバチさん。
大和族も出雲族も月派もみんな悪魔崇拝者です。
なので,みんな同じようなことをやっています。
ただ、拝む悪魔がそれぞれ違うというだけの話です。
ファルコン
Posted at 15:32h, 18 10月>当時、皇室から四大逆賊とされていたのは「弓削道鏡、足利尊氏、明智光秀、出口王仁三郎」の四人だそうです。
足利尊氏は、南朝の後醍醐天皇と争い、北朝系天皇を擁立。楠正成を倒したことでも有名。
明智光秀は、大和族の有力者、織田信長を暗殺し、その後も天海と名を変え、徳川家の腹心として仕えた伝説あり。
出口王仁三郎は、出雲族系の新興宗教を立て、創価学会の歴代会長とも閨閥を組む。
以上は、このブログでもたびたび解説されており、理解できますが、道鏡に関しては、以下のように考えるのかなと思います。
——————–(引用)——————–
http://yomimonoweb.jp/sekiyuji/p20_3.html
>ところが次第に、「関東行幸は単純な彷徨ではない」と考えられるようになってきた。というのも、聖武天皇の行程は、壬申の乱(六七二)の大海人皇子(天武天皇)の足跡をなぞっている疑いが出てきたからだ。
>天武天皇は国家護持の経典である『金光明経こんこうみょうきょう』を重視したが、その後廃れ、天武天皇の遺志を継承したのは、聖武天皇であった。
——————–(引用終)——————–
壬申の乱で吉野に逃れた天武天皇は南朝系と推測されるが、その天武天皇と異常なほど共通点を多く持つ聖武天皇も、当然南朝系でしょう。東大寺は、かつて金光明寺とも呼ばれてたそうですし。さらに、東大寺大仏は、正式には廬舎那仏と呼ばれ、廬舎那仏=ヴァイローチャナ(サンスクリット語)=大日如来=天照大神(Wikipediaより)なので、大和族であることは間違いなさそうです。
——————–(引用)——————–
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-2441.html
>和気清麻呂(わけのきよまろ)といえば、道鏡が天皇の地位を狙ったときに、これに抗し、天朝を守り、そのため別部穢麻呂(わけべのきたなまろ)というひどい名前に改名させられた挙句、大隅国(現在の鹿児島県)に流罪となり、後に赦されたからは、広大な土木工事を行って民の暮らしの安寧を測り、またいまの京都である平安京への遷都を進言し、その造営を図った、我が国の歴史上の大人物です。
——————–(続けて引用)——————–
http://fng.or.jp/koukyo/place/gaien-03.html
——————–(引用終)——————–
道鏡が、聖武天皇の娘である孝謙天皇の代に、天皇の座を欲し、和気清麻呂に阻まれたのは有名ですが、道鏡の事件を、仏教勢力の増大による政治腐敗と説き、平安遷都を進言したのが和気清麻呂だったとは驚きです。
ともに皇居周辺に建てられていますが、楠公像は明治23年に製作が開始されたのに対し、和気清麻呂像は昭和15年に完成しています。
もちろん、両名とも天皇家に対する功績はあるでしょうが、南朝に仕えた楠正成と、北朝に仕えた和気清麻呂の違いを知らない我々庶民の
眼を、うまくごまかそうとした、現天皇家(北朝)の策略かもしれません。
通りすがり
Posted at 01:22h, 19 10月グレゴリウス13世といえばグレゴリオ暦 (グレゴリウス暦) です。
日本では1873(明治6)年1月1日に太陰太陽暦からグレゴリオ暦に改暦されました。
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%A5%B0%A5%EC%A5%B4%A5%EA%A5%AA%CE%F1
太陽暦のWikiに、「古くは戦国時代の末頃よりキリシタンの人々に使われてきた」とありますが、イエズス会の影響と考えられます。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%AA%E9%99%BD%E6%9A%A6
oka
Posted at 21:20h, 21 10月今日、10月21日(水)午後10時からNHKで「世界へGO!徳川家康×エリザベス1世 大坂の陣の真実」というのが放送されます。
http://www2.nhk.or.jp/hensei/program/p.cgi?area=001&date=2015-10-21&ch=21&eid=19121&p=2&f=3352
<転載>
ロンドンで発見された、徳川家の謎のヨロイ。ここから各地に眠る日本のお宝を求め、謎解きの旅へGO!見えてくるのは、徳川家康vs豊臣家の最終決戦、大坂の陣の知られざる真実。家康勝利の陰にイギリスがいた?幻の激レア映像、当時の秘密兵器の恐るべき破壊力を大公開!将軍と美しき女王をめぐる、巨大な国際的陰謀とは?海外から眺めて初めてわかる日本史の面白さを味わう、ハラハラドキドキの73分!
<以上>
RAPTさんのブログ記事にタイムリーにぶつけてきているような感じがします。
rapt
Posted at 23:25h, 21 10月> OAKさん。
NHKが私の言説に対する反論をぶつけてくるのかと思いましたが、どうも私の言説を傍証してくれるような内容のようです。
以下のリンクから転載します。
http://www4.nhk.or.jp/P3352/
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観光地として大人気!イギリス激動の歴史が詰まったお城・ロンドン塔。ここになぜか、日本の鎧甲(よろいかぶと)が展示され、見る人を驚かせている。いったいなぜここに?
謎を追究していくと、日本とイギリスで同時代を生きた英雄、徳川家康と女王エリザベス1世の奇跡的なつながりや、江戸時代初期の大合戦・大坂の陣をめぐる両国の野望や国際的な謀略など、これまでと全くちがう日本史が見えてくる。
「なぜ外国のこんなところに日本の品が!?」素朴な疑問をきっかけに、国際的な視点から日本史に新たな光を当てるシリーズ第2弾は、大坂夏の陣から400年、目からウロコ!日本とイギリスの意外な物語。
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とはいえ、この番組で「イエズス会」と「エリザベス女王」との戦いにまで触れることはないと思います。
しかも、私はこの「イエズス会」と「エリザベス女王」の戦いから非常に面白い(驚くべき)事実を発見しました。
恐らくそれはNHKには絶対に発見できないものだと思います。
今回の用事が終われば、その面白い(驚くべき)事実を皆さんにお知らせしたいと思います。
oka
Posted at 09:59h, 22 10月>RAPTさん
返信ありがとうございます。
普段はTVを見ないのですが、昨日たまたま新聞を広げたら目に留まったので急いで録画設定しました。
今日仕事が終わってから見るつもりです。
RAPTさんの発見した驚くべき新事実! 凄く楽しみにしております!