RAPT | フランシスコ・ザビエルと田布施システムの怪。明治維新は「清和源氏」の末裔による権力獲得のためのクーデターでした。
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フランシスコ・ザビエルと田布施システムの怪。明治維新は「清和源氏」の末裔による権力獲得のためのクーデターでした。

フランシスコ・ザビエルと田布施システムの怪。明治維新は「清和源氏」の末裔による権力獲得のためのクーデターでした。

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昨日は「明治維新」が北朝から南朝へのすり替えであったとする説が実は単なるまやかしであり、実は「北朝=出雲族」の国造りを進めるための基礎固めに過ぎなかったのではないか、というお話をしました。
 
「明治維新」は北朝から南朝へのすり替えではなく、北朝の国造りのための基礎固めだった可能性大。
 
このような歴史の話になると、急についてこれなく人が出てくるようですので、念のために簡単な解説を付け加えておきます。
 
南朝と北朝というのは、おおよそ以下のように大別できます。
 
■南朝 = 天照大神 = 奈良 = 大和族
■北朝 = スサノオ(國常立尊・大国主)= 京都 = 出雲族
 
で、私の調べたところでは、日本の歴史というのはこの「南朝」と「北朝」の権力争いによって成り立っている、ということが分かってきました。
 
ただし、日本神話には「天照大神」と「スサノオ」の他に、「ツクヨミ」という神様が登場します。そして、これがいわゆる「月派」もしくは「教皇派」として、日本以外の国で勢力を拡大してきました。
 
ですから、この世界の歴史は、彼ら三者による戦いの上に成り立っていると言えるわけです。これについては過去にも記事を書きました。
 
「天照大神」「スサノオ」「ツクヨミ」による権力争いと世界支配計画。現代まで続く「日本神話」という現実の物語。
 
しかしながら、日本では「ツクヨミ」を神とする「月派」はほとんど勢力を拡大することができなかった。
 
なので、「天照大神」を神とする「南朝=大和族」と、「スサノオ」を神とする「北朝=出雲族」だけが権力争いをしてきました。
 
そして、その争いの果てに、「南北朝時代」という時代が到来することになりました。
 
南北朝時代 (日本) – Wikipedia
 
一応、この「南北朝時代」は終わりを告げ、「北朝」と「南朝」の戦いは終わった、ということになっていますが、それはあくまで表向きの話。
 
実はその後も、彼らの戦いは水面下でずっと繰り広げられてきた……ということが、私の調べで分かってきたわけです。
 
で、世間一般の常識では、現在でも「北朝」が権力を握っているということになっているのですが、ネットには「明治維新」の際に皇室が「北朝」から「南朝」にすり替えられたという話が出回っています。
 
この説を一般に「田布施システム」と呼ぶのですが、もしこの説が本当であれば、今や「南朝」がこの日本を支配しているということになり、「北朝」が支配しているという世間一般の常識が崩れることになります。
 
となれば、これは大問題です。(もっとも、我々庶民にとってはどうでもいいことなのですが。)
 
しかし、私があれこれと皇室の実態を調べていくうちに、実は「北朝」から「南朝」にすり替えられたというのは大嘘で、「北朝」の勢力が逆にどんどん強くなってきていることが分かってきました。
 
実際のところ、「北朝」の信じる神「國常立尊」が、「JAL123便墜落事故」や「3.11」を起こして、我々国民を次々と不幸のどん底に突き落としています。
 
現在の皇室が「北朝=出雲族」であるという確固たる証拠。今や日本も世界も「出雲族」によって支配されつつあります。
 
ただし、鹿児島と山口にある「田布施町」の人々が、互いにタッグを組んで「明治維新」を起こしたという話は嘘ではなさそうです。むしろ、どこからどう考えても本当だとしか思えません。
 
なぜならこの「明治維新」は、「鹿児島」の戦国大名「島津家」と、「山口」の戦国大名「毛利家」が結託して起こしたものだったと分かってきたからです。
 
「明治維新」は北朝から南朝へのすり替えではなく、北朝の国造りのための基礎固めだった可能性大。
 
ということは、現在の日本は「島津家」と「毛利家」によって支配されているということになります。
 
で、さらに言うなら、「島津家」は「清和源氏」の末裔。(以下のウィキペディアの本姓を参照。)
 
島津氏 – Wikipedia
 
一方の「毛利家」も、2つの源流があるらしく、一つは「大江家」で、もう一つは「清和源氏」。これまた「清和源氏」です。詳しくは以下のリンクを御覧ください。
 
毛利氏 – Weekpedia
 
つまり、「島津家」も「毛利家」も「清和源氏」の末裔である可能性が高いということです。
 
さらに、大政奉還した徳川家も実は「清和源氏」の末裔を自称していたことが分かっています。以下のウィキペディアの「本姓」の欄をご覧ください。
 
徳川氏 – Wikipedia
 
もっとも、徳川家は天皇から「征夷大将軍」の称号をもらうために「清和源氏」を詐称していただけ、という説もありますので、徳川家が本当に「清和源氏」の末裔なのかどうかは今のところ定かではありません。
 
しかし、明治維新の際に「島津家」と「毛利家」が薩長同盟を結び、「徳川家」とともに明治維新を起こしたわけですから、彼らがみんなグルである可能性は十分にありますし、ではなぜ彼らがそんなに仲が良かったのかといえば、彼らがみんな「清和源氏」の末裔だったから、ということは十分に考えられます。
 
つまり、明治維新は「清和源氏」の末裔によるクーデターだった可能性が高いというわけです。(だとしたら、坂本龍馬は何もしていないということですね。)
 
はっきり言って、この世に出回っている「歴史」はすべて「勝者の歴史」であり、「勝者」は常に嘘をついて自分たちを英雄に仕立てあげます。
 
実際に、「薩長同盟」とそれに関わった人々(坂本龍馬など)はみんな英雄とされ、大政奉還をした「徳川慶喜」もよくぞ素晴らしい決断をしたと言って賞賛されています。
 
で、「明治維新」のおかげで日本は文明開化をなし、大きく発展することになったと言って、誰も彼もが「明治維新」を礼賛しています。
 
しかし、実は「島津家」と「毛利家」と「徳川家」がみんなグルで、だからこそ「大政奉還」も無血で終わった。
 
で、彼ら以外の抵抗勢力とは「西南戦争」などで争って血を流した……。
 
ということであれば、彼らは英雄でも何でもなく、単に権力に飢えた野獣に他なりません。
 
しかも、「島津家」はどこからどう考えても古代ケルトの悪魔崇拝「ドルイド教」の僧侶の末裔としか思えない。詳しくは以下のリンクをご覧ください。
 
イルミナティが天皇中心の世界統一政府を樹立しようとしていることを裏付ける幾つかの客観的事実。
 
日本の歴代首相も天皇もみんな古代ケルトの悪魔教「ドルイド教」の僧侶の末裔です。
 
で、このドルイド教は「ウィッカーマン」という巨大な人形を作り、そこに沢山の人を詰め込んで火で燃やし、生け贄として捧げていたような恐ろしい宗教です。詳しくは以下のリンクをご覧ください。
 
ハロウィンももともと悪魔崇拝者たちの行う生贄儀式でした。ハロウィンとバアルと秦氏と大正天皇との奇妙なつながり。
 
で、このドルイド教は、その後、ゾロアスター教となってペルシャなどで普及し、さらにそのゾロアスター教が「神道」や「密教」として日本にも伝来しました。
 
天皇もロスチャイルドも日本の歴代首相もみんな実はゾロアスター教徒です。
 
「聖徳太子」も「平清盛」もゾロアスター教徒であり、ロスチャイルドの先祖です。
 
その一方で、ドルイド教の僧侶たちは「キリスト教」を破壊するためにバチカンに侵入。「イエズス会」としてキリスト教徒の振りをしながら、全世界に悪魔教を広めていきました。
 
人工地震3.11を引き起こした真犯人は、国常立尊とスサノオを神と崇める「出雲族」だった可能性大。
 
で、この「イエズス会」が日本に最初にやってきたのが1549年のときのこと。「イエズス会」の宣教師フランシスコ・ザビエルの来日がそのきっかけです。
 
フランシスコ・ザビエル – Wikipedia
 
ところが、フランシスコ・ザビエルの一番弟子となった日本人「ヤジロウ」は、なぜか「クロ宗」という怪しげな人肉食信仰を広めていた。
 
イエズス会と真言密教と浄土真宗と人肉食信仰「クロ宗」の奇妙な接点。フランシスコ・ザビエルを日本に招いた「ヤジロウ」から分かる悪魔教の現実。
 
そこでさらによく調べてみると、フランシスコ・ザビエルを始め「イエズス会」はやはり悪魔教そのものであることが分かってきた。
 
イエズス会とキリシタン大名が行った数々の悪行。彼らの信じる神は悪魔教の神「太陽神」と「八岐大蛇」でした。
 
「ヤジロウ」はザビエルからキリスト教を教わったわけではなく、実は「悪魔教」を教わっていたというわけです。
 
かの有名なフランシスコ・ザビエルの絵も、その手になぜか「心臓」を持っていますが、これは「クロ宗」が生きた人間から生き肝を取り除くという儀式を行っていたからと考えられます。
 
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〈フランシスコ・ザビエル〉

 
さらに今回、フランシスコ・ザビエルについて詳しく調べてみると、その宣教ルートがなんと「鹿児島(薩摩)」と「山口(長州)」であることが分かりました!!
 
つまり薩長同盟を結んだ「田布施町」のあるところに、ザビエルはわざわざ宣教に出かけていたのです。
 
フランシスコ・ザビエル – Wikipedia
 
もっとも、ザビエルは「鹿児島」と「山口」の他に、「大分(豊後)」などにも宣教に行っていますが、実はこの「大分(豊後)」。その後の江戸時代には「毛利家」と「島津家」も住み着いていました。
 
豊後国 – Wikipedia
 
しかも、フランシスコ・ザビエルが「山口」に行った際(1550年)、そこを支配していたのは「大内義隆」だったのですが、なぜか彼はザビエルと会ったその翌年、家臣に反逆されて自害しています。
 
大内義隆 – Wikipedia
 
しかも、その20年ほど後、「大内輝弘」が「毛利家」に攻められて自害。
 
----------------(以下、こちらから転載)
 
永禄12年(1569年)、大内氏の一門である大内輝弘は大友宗麟の後ろ盾を得、加勢の兵を糾合し周防山口に侵攻した。
 
周防に於いては大内氏旧臣らの帰参が相次ぎ一時は山口の占拠に成功するが、大友氏との交戦をやめ北九州より反転してきた毛利軍主力の逆襲に遭い、攻められ自害した(大内輝弘の乱)。
 
----------------(転載ここまで)
 
これにて「大内家」は完全に勢力を失い、「山口」から追い出されてしまった。
 
で、彼らはやむなく茨城県の「牛久藩」に行き、「山口氏」と名を変えて、譜代大名として徳川家に仕えるようになりました。
 
牛久藩 – Wikipedia
 
で、「山口県(長州)」はものの見事に「毛利家」の配下に収まったというわけです。
 
これって何か怪しくありませんか。どうして「大内家」は、ザビエルに会ったとたん、家臣に反逆されたり、「毛利家」に攻められたりして、次々と破滅へと追いやられてしまったのでしょうか。
 
しかも、それから三百年ほど後、「鹿児島=島津家」と「山口=毛利家」が結託して「明治維新」を起こした。
 
さらに言うなら、ザビエルの属していた「イエズス会」のマークもドルイド教(太陽十字)で、「島津家」の家紋もドルイド教(太陽十字)。
 
太陽十字 – Wikipedia
 
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〈イエズス会のマーク(太陽十字)〉

 
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〈島津家の家紋(太陽十字)〉

 
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また、古代ケルトのドルイド教は、以下のような「トリプル・スパイラル(トリスケル)」というマークも生み出していますが、これも「毛利家」の家紋とよく似ています。
 
ケルトデザインの持つ意味
 
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〈トリプル・スパイラル(トリスケル)〉

 
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〈毛利家の家紋(一文字三星)〉

 
さらに言うなら、島津家も「清和源氏」で、毛利家も「清和源氏」で、徳川家も「清和源氏」で、山口と鹿児島から出てきた「安倍晋三」と「小泉純一郎」もどちらも「清和会」に所属。
 
清和政策研究会 – Wikipedia
 
そして、この「清和会」に属した安倍晋三が、今ややたらと長く政権を握り、「安保法案」だの「アベノミクス」だの「円安政策」だの「金融緩和」だの「原発推進」だの、国民の感情を逆なでするような政策ばかりを次々と推進している……。
 
その結果、安倍晋三の親戚である「島津家」と「毛利家」の末裔とその親族ばかりが得をしている。
 
トヨタと天皇と安倍晋三はとても近い親戚です。現在も日本経済を支配しているのは、大室寅之祐に与した「田布施一族」です。
 
さらに付け加えるなら、「島津家」の作った島津製作所では、一介のサラリーマンに過ぎなかった「田中耕一氏」がノーベル化学賞を受賞。
 
島津製作所 – Wikipedia
 
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〈田中耕一氏〉

 
このとき、「普通のサラリーマンでもノーベル賞がとれる」と言って、国民もマスコミも大喜びしましたが、実のところ、普通のサラリーマンはノーベル賞なんかとれません。
 
あくまでこの日本では「島津家」と「毛利家」とつながりのある人たちしか日の目を見ることができないのです。それがこの世の現実です。残念ながら。
 
ちなみに、この島津製作所は、「清和源氏」の始祖である「清和天皇」の住んでいた「平安京=京都」にあります。
 
で、「STAP細胞」を叩き潰して「iPS細胞」でボロ儲けしているのも「京都大学」です。
 
人工多能性幹細胞 – Wikipedia
 
さらに、皇太子が次期天皇として即位するとき、皇室が「京都」に移住することも既に決まっています。
 
次期天皇の即位とともに関西への遷都が始まります。彼らは天皇を中心とした「神の国」を樹立していくつもりでしょう。
 
「京都」を中心とした「出雲族」の世界が来つつあることが、これで一目で分かりますね。
 
(追記)現在の天皇家が「秦氏」の末裔であると言っていたのに、今度は「清和源氏」の末裔だと言い出したことで、混乱している方。
 
または揚げ足取りをしようとしている方にご説明します。
 
「島津家」は「秦氏」の末裔です。
 
しかしながら、「島津家」自身は「源氏」の末裔だと言っています。島津家の始祖「島津忠久」が「源頼朝」の隠し子だからです。
 
なので、彼らは「秦氏」でもあり「源氏」でもあるのです。
 
「毛利家」に2つの源流があるのも、おそらくはこのような裏事情があるからでしょう。
 
なので、私の今回の記事に対して、RAPTの言うことが変わったとか言ってバカにしている人は、かえって自分がよく分かっていないことを証明しているようなものですから、ご注意を(笑)。
 

8 Comments
  • rapt
    Posted at 23:39h, 10 10月

    現在の天皇家が「秦氏」の末裔であると言っていたのに、今度は「清和源氏」の末裔だと言い出したことで、混乱している方。
    または揚げ足取りをしようとしている方にご説明します。
    「島津家」は「秦氏」の末裔です。
    しかしながら、「島津家」自身は「源氏」の末裔だと言っています。島津家の始祖「島津忠久」が、「源頼朝」の隠し子だからです。
    なので、彼らは「秦氏」でもあり「源氏」でもあるのです。
    「毛利家」に2つの源流があるのも、おそらくはこのような裏事情があるからでしょう。
    なので、私の今回の記事に対して、RAPTの言うことが変わったとか言ってバカにしている人は、かえって自分がよく分かっていないことを証明しているようなものですから、ご注意を(笑)。

  • ファルコン
    Posted at 23:43h, 10 10月

    宗教改革で有名なルターの紋章ですが、黒十字と心臓を組み合わせたデザインで、イエズス会の紋章と共通点が多いです。詳しく調べる必要がありそうです。
    http://jelcs.net/toolbox/archives/24

  • パンダ
    Posted at 00:11h, 11 10月

    今日の記事は、完全に日本の歴史を塗り替えてしまいますね。
    フランシスコ・ザビエルと明治維新がまさか繋がっているとは誰も夢にも思っていないでしょう。
    今の日本を島津家と毛利家が支配しているなんて誰が想像したでしょうか。
    しかし、島津家のことは家系図がそれを証明しているわけですし、「吉川晃司」も毛利家の末裔だそうです。
    有名人のほとんどは戦国時代の大名と血がつながっていると考えていいのかもしれません。

  • grace
    Posted at 03:00h, 11 10月

    学校で教わる歴史はなかなか理解できなかったのですが、自分の先祖ってどうなんだろうとネット上で色々調べ始めたら、やっと頭に入ってくるようになりました。
    ここのところ、RAPT理論を踏まえ、再度、先祖(かもしれない)情報を洗い直しました。
    私の祖父母4人のうち1人は先祖が武家(清和源氏系)とわかっているのでその姓をウィキペディアなどで追っかけてみたところ、南朝北朝は結構入り乱れてました。確かに入り乱れている感はあります。なぜなら、姓は清和源氏系ですが飾ってあった家紋がなぜか南朝系なんですよ。隠れキリシタンならぬ隠れ南朝だったんでしょうか。まあ、どっちにしろ私には意味ないんですけどね。
    それと、キリシタン大名、この系統も結構入り乱れてました。
    江戸後半から明治になると妻や婿養子の家系に島津家がそこかしこに登場。
    私がRAPT理論を知る前、明治維新の南北朝の話でどうしても混乱していたのは、この島津家のせいでした。篤姫は島津、倒幕したのも島津、明治以降の皇族の妻も島津。明治維新いらなくない??となるわけです。

  • アモリフェラ
    Posted at 12:47h, 11 10月

    お話が複雑になって参りましたが…、要するに今だに「玉(ぎょく)の奪い合い」をやっているところに、民主主義とか主権在民とかは絶対にあり得ないのだと感じます。日本国内は、いまだに支配層だけが牛耳る世界なわけです。
    ところで、昨日はうちに電気店のお兄さんが来ていて、雑談しているうちに「安保法制はアメリカの圧力であんなことになった。」とおっしゃるので、私がRAPTさんのロジックを伝授してあげましたよ。 まずは「日本のトップは皆親戚ですよ。ネットで調べてみて下さい。」と言ったら、そのお兄さんは目を丸くして非常に驚いていました!!生まれて初めて聞く話のようでした。 それから、2~3質問攻めに合いましたが、RAPT理論で返してあげました。あの販売員のお兄さんは、いずれお友達や店のお仲間にも、この話を広めることでしょう!
    名前も知らない若いお兄さんに、宣教師みたいなことをしてしまいましたが。笑 こうして一人また一人と、日本中の庶民が知る事になると良いですがね…。up有難うございます。

  • hiyorigeta
    Posted at 13:21h, 11 10月

    坂本龍馬については、「石の扉(フリーメーソン)で読み解く世界 加治将一著」に書かれているとおりではないかと思います。小曾根英四朗とグラバーに使われたに過ぎないと思います。
    愛媛の女性で、幕末明治維新について研究されている方のブログがあって、時々参考にさせていただいておりますが、その方は、この本はトンデモ本と書かれていますが。フリーメーソンとか信じていないのでしょう。それはともかく、よく研究されている方で、坂本龍馬は持ち上げられすぎ、美化されすぎと感じているようです。彼の暗殺についてもよく資料を読まれているようですが、「一会桑」が黒幕ではないかという事です。

    徳川慶喜の父の徳川 斉昭 は水戸藩で尊王派です。「桜田門外の変」 の黒幕だと、NHKのヒストリアでやっているのを、たまたま見ました。慶喜は天皇側とは全然戦う気はなかったようです。また、孝明天皇の立派な陵墓を作ったのも慶喜との事。これはアーネストサトウの日記に出てきます。彼は孝明天皇の陵墓を訪れています。

    慶喜は西周からフランス語の指導も受けていたとか。「石の扉」に寄ると、西周もフリーメーソンの疑いありとの事。
    アーネストサトウの日記では、慶喜は日本で会った人物の中でもっとも貴族的で、公使のパークスも当初感銘を受けていたらしいです。

    桜田門外の変 での、暗殺側とされた側、その後はお互いのお孫さん同士結婚されていますよ。井伊 直弼 のお孫さんは貴族院の議長をされていました。常陸宮さんのお妃華子さんは、慶喜の弟昭武の曾孫です。

  • YUM(ヤム)
    Posted at 14:48h, 11 10月

    私の先祖にも清和源氏の流れを汲む者がいるようで、ちょっと複雑な気持ちもありますが、でも、そんなに立派?な肩書きを持つ者も親戚にはいないですし、平凡な一市民でしかないので、今トップにいる人達とは雲泥の差でしかなく、彼らはやはり別世界の人達です。
    実際に親戚でも何でもない訳ですが。
    それと、
    もうどこか報いも受けているような人生かな?と自分に関しては思ったりするものです。
    むしろそっちに苦しめられ、真実を求めるようになり、そしてRAPTさんのブログに辿り着き・・・。
    その方が、価値があります。
    トップにいる、その血筋も濃い人達がそのように目覚めると言いますか。真実を求めるという事はなかなか難しそうですので。
    日本という国がここまで偶像崇拝の国だった以上、誰でも先祖を辿れば色々あるのでしょうが、今のこの時を子孫としては大事にして、本来の道へと修正して行くのが使命なのかもしれません・・・。
    日々考えさせられ、そのような時間がある事に感謝しています。

  • 通りすがり
    Posted at 17:03h, 11 10月

    能勢妙見山のHPに妙見信仰と清和源氏について書かれています。
    参考になれば幸いです。

    http://www.myoken.org/rekishi.html

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