RAPT | 「輪廻転生」の概念が悪魔から生まれた可能性について。または真に悟りを開いた人とはどんな人なのかについて。
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「輪廻転生」の概念が悪魔から生まれた可能性について。または真に悟りを開いた人とはどんな人なのかについて。

「輪廻転生」の概念が悪魔から生まれた可能性について。または真に悟りを開いた人とはどんな人なのかについて。

praying-hands
 
昨日は「輪廻転生」はあるのかについて「聖書」の観点からお話をしました。
 
輪廻転生はあるのか。または「肉体」と「霊体」の仕組みについて。
 
一応、昨日の時点では「輪廻転生」という概念が聖書に書かれていないこと、そのため私も「輪廻転生」を信じられないとお話しましたが、それでも「輪廻転生」がないとまでは断言しませんでした。
 
このブログでは何の根拠も証拠もなく物事を結論づけたくないからです。
 
とはいえ、その後、ある読者の方からコメントをいただき、どうも「輪廻転生」という概念そのものが悪魔の作った概念なのではないかと疑わざるを得なくなってきました。
 
というのも、ウィキペディアの「輪廻転生」の記事にはこんなことが書かれてあったからです。
 
----------------(以下、ウィキペディアより転載)
 
転生輪廻(てんしょうりんね)とも言い、死んであの世に還った霊魂(魂)が、この世に何度も生まれ変わってくることを言う。
 
ヒンドゥー教や仏教などインド哲学・東洋思想において顕著だが、古代のエジプトやギリシャ(オルペウス教、ピタゴラス教団、プラトン)など世界の各地に見られる。
 
輪廻転生観が存在しないイスラム教においても、アラウィー派やドゥルーズ派等は輪廻転生の考え方を持つ。
 
----------------(転載ここまで)
 
太字にした宗教は、すべて悪魔教である可能性の高いものです。というか、悪魔教であると断定してもいいものでしょう。
 
つまり、悪魔の作った宗教の多くが「輪廻転生」という概念を取り入れているということです。
 
ヒンドゥー教が悪魔教であるという証拠は、以下のリンク記事に書いてあります。
 
この世の神はとかく悪魔だらけ。ヨガ、アセンション、アガルタ関連の話には要注意です。
 
古代のエジプトに関してはもう言わずもがなですね。古代エジプトとは、ある意味、天皇家の第二のふるさととも言えるような場所ですから。
 
古代エジプトの太陽信仰=悪魔崇拝が、現在の日本の天皇家へと流れ着き、天皇家を最大級の財閥にするまで。
 
「オルペウス教」「ピタゴラス教団」「プラトン」といったギリシャ哲学(宗教)も悪魔崇拝者たちの作ったものです。聖書の中にも「哲学」についてこんな言及があります。
 
「あなたがたは、むなしいだましごとの哲学で、人のとりこにされないように、気をつけなさい。それはキリストに従わず、世のもろもろの霊力に従う人間の言伝えに基くものにすぎない。」(コロサイ人への手紙2章8節)
 
「世のもろもろの霊力」とは何なのかと言えば、もうお分かりですね。もちろん「悪魔」のことでしょう。
 
で、聖書が書かれた当時、流行していた「哲学」といえば「ギリシャ哲学」ですから、「ギリシャ哲学」は「悪魔」の作った学問だと言えるわけです。
 
また、イスラム教の「アラウィー派」も「天皇派」のアサドが信仰している宗派ですから、明らかな悪魔教ですね。(アサドとは「天皇派」の国家シリアの指導者です。)
 
アラウィー派 – Wikipedia
 
Bashar_al-Assad_(cropped)

〈アサド〉
 

 
イスラム教には「輪廻転生」という概念はないみたいですが、なぜかこの「アラウィー派」だけは「輪廻転生」という概念を取り入れているようです。これも全くの意味不明ですね。一つの宗派が勝手にそんなことをしてもいいのでしょうか。
 
また、イスラム教の「ドゥルーズ派」も、そのシンボルマークは完全に悪魔でした。以下のマークを「五色星」というそうです。
 
ドゥルーズ派 – Wikipedia
 
200px-Druze_star.svg

〈ドゥルーズ派のシンボルマーク〉
 
 
このウィキペディアの記事を見てもお分かりの通り、この「ドゥルーズ派」もご多分に漏れず、紛争ばかりを繰り返しています。これではもう宗教とは呼べないですね。
 
で、「アラウィー派」では人間が動物に輪廻転生することもあると説いていて、「ドゥルーズ派」では人間にしか輪廻転生できないと説いているそうです。これもまた全くの意味不明です。
 
なぜこうも教派によって言うことが違うんでしょうか。それぞれの宗派がそれだけ勝手なことを言っているという証拠ではないでしょうか。
 
ちなみに、かの「ひかりの輪」も輪廻転生を信じているみたいです。詳しくは以下のリンクをご覧下さい。
 
第1章 輪廻転生の思想 / 輪廻転生 / 基礎的な法則の解説 // 上祐史浩オフィシャルサイト
 
「ひかりの輪」はオウム真理教から派生した宗教ですし、そのオウム真理教は「チベット仏教」から派生した宗教です。
 
で、この「チベット仏教」が悪魔教であることは何度もお話してきた通りです。
 
〈閲覧注意〉チベットは悪魔崇拝の聖地です。
 
なので、「ひかりの輪」も紛れもない悪魔教の一つの分派だと言えるわけですが、このように悪魔教の多くが「輪廻転生」という概念を取り入れているとなると、同じ「輪廻転生」という概念を取り入れている「仏教」や「インド哲学」もまたとても怪しくなってきましたね。
 
いいや、「釈迦」は悪魔ではないと仰る方、そう思いたい方もいらっしゃることでしょう。「釈迦」が悪魔なのではなく、「釈迦」の後から出てきた仏教徒の中に悪魔崇拝者たちが紛れ込んでいただけではないか、と……。
 
しかしながら、「釈迦」がこの輪廻転生という概念を仏教に取り入れたことは事実ですし、しかも「釈迦」は自分なりに新たな輪廻転生の理論まで組み立てています。詳しくは以下のリンクをご覧下さい。
 
六道輪廻
 
こうなってくると、「釈迦」もまた悪魔から何かの啓示を受けていたという可能性を捨てきれません。
 
いや。実際に前世の記憶を持った人がこの世にはいるのだから、輪廻転生は起こり得るのだ。だから、輪廻転生を唱えたからといって、「釈迦」を悪魔であるとは言えないのではないか。
 
そうコメントされた方もいらっしゃいましたし、実際、以下のようなサイトも見付かりました。
 
輪廻転生はあり得るのか?過去の記憶を持つという転生した10人のストーリー : カラパイア
 
しかし、前世の記憶があるからといって、それだけで輪廻転生をしたと考えるのは無理があります。ただ単に死者の霊がその人に臨んでいるだけとも考えられなくはないからです。
 
また、前世と同じ場所に母斑(皮膚の奇形)が現れたからと言って、輪廻転生をした証拠だという考えにもやはり無理があります。
 
輪廻転生は「肉体」が輪廻するわけではなく、「魂」のようなものが輪廻するわけですから、輪廻転生したからといって「肉体」に同じ母斑があらわれるわけがないからです。
 
で、もしこの「輪廻転生」が嘘ということになれば、「釈迦」も嘘をついたということになり、多くの人たちを騙したことになります。
 
もっとも、私は現時点ではっきりとそう断言することは控えましょう。
 
ただし、この「輪廻転生」の概念について、多くの宗教人たちがネットなどであれこれと説明をしているのを読んでも、私にはいまいちよく理解できませんでした。
 
例えば上で紹介した「上祐」のリンク記事も、読めば読むほど頭がごちゃごちゃしてきました。
 
いえ。もっとはっきりと言えば、彼の文章を読んでいて、吐き気を催すほど気分が悪くなりました。なんとなく悪魔の波長を感じ取ってしまうからです。
 
それに引き替え、「聖書」に書かれた概念はなんと単純明快でしょうか。人間の「肉体」は「霊体」にとっての母胎のようなものである、というわけですからね。(昨日の記事は以下になります。)
 
輪廻転生はあるのか。または「肉体」と「霊体」の仕組みについて。
 
「肉体」という母胎があるからこそ「霊体」を育てていくことができる。だから、神様は人間の「霊体」だけを作らず、「肉体」も作ったということです。
 
で、人が「肉体」を持っている間に善行を積めば、その人の「霊体」は天使のように美しい姿に成長し、永遠に天国に住むことができる。
 
逆に、人がこの世で悪いことばかり行えば、その人の「霊体」は悪魔のように醜い姿になり、永遠に地獄に住む、というわけです。
 
昨日のコメント欄にも書きましたが、「宗教」というものは本来、複雑で分かりにくいもの、ぼんやりとした漠然としたものを、分かりやすく明確に説明してくれるべきはずのものです。
 
なぜなら、「宗教」とはいわば人生の道しるべみたいなものだからです。
 
その道しるべが分かりにくいものであれば、当然、人がいくらその道しるべを見ても道に迷ってしまいます。
 
なので、分かりにくく複雑な教理を述べるような宗教は、もはや宗教とは呼べません。
 
この世の多くの人は、複雑で難解な話を聞くと、奥が深すぎるから自分には理解できないんだと思い込みがちですが、本当に悟りを開いた人というのは、どんな複雑で難解な物事も、凡人にも理解できるように分かりやすく説明できるはずです。
 
なぜなら、悟りとは複雑な物事をシンプルに単純明快に解き明かしていくという行為なのですから。
 
実際、私もこの世のカラクリを調べていくうちに、どんどんシンプルに単純明快に解き明かすようになりましたが、これもまた一種の悟りですよね。
 
で、この世のカラクリを一言で説明すればこういうことになります。
 
「この世は、悪魔を拝む悪魔崇拝者たちが支配していて、その悪魔崇拝者のトップは天皇である。しかし、その悪魔崇拝者が二つの勢力に分かれて古代から現代まで争いあってきた」
 
別の言葉で言うなら、悟りを開くということは「物事の核心を捉える」ということです。あるいは「物事の本質を捉える、見抜く」とも言えるでしょう。
 
そのように「核心」や「本質」を捉え、見抜くことによって、一見バラバラに見えていた100も200もの事象を一つの点と線で結んでいけるようになるわけですね。
 
なので、複雑な物事がどんどんシンプルに単純明快に見えてくるわけです。
 
で、私はこの作業を「政治」や「経済」や「国際情勢」の観点からやってきたわけですが、この作業を「人生」という観点からやっていくのが「宗教」なのです。
 
人間には生きている間に多くの悩みや苦しみが発生しますが、そのときにはいつも頭の中が複雑になります。ごちゃごちゃしてきます。で、その複雑になった頭を単純にしてくれるのが「宗教」というわけなのです。
 
ですから、「宗教」とは人生の「核心」や「本質」を教えてくれるものでなければいけません。
 
あなたの頭の中にある複雑な考え、複雑な思い、複雑な気持ちを、シンプルにまとめててくれるものでなければなりません。
 
なのに、「宗教」を学んだら余計に頭の中がこんがらがってきた、というのでは話になりません。そんな「宗教」はエセ宗教だとさえ言えるでしょう。
 
とはいえ、自分が理解できないものを何でもかんでもすぐにエセ宗教と決めつけてはいけません。「宗教」を信じる側もまた、それなりに悟る努力をしなければならないからです。
 
自分が何の努力もしないで、自分には理解できないからと言って、自分の能力のなさを棚に上げて、どんな「宗教」もエセ宗教と決めつけてしまっては、本当に大切なものを見逃してしまうことにもなりかねません。
 
また、ここで誤解してほしくないのは、物事をシンプルに考えなければならないからといって、「10」ある情報のうちの「9」を無理やり切り捨てて、「1」だけ残すようなことをしてはいけないということです。
 
「10」あるならば、その「10」の情報すべてを使ってシンプルな考えを組み立てなければなりません。
 
ただし、その「10」すべてを使って考えを組み立てているうちに、そのうちの「1」が嘘だったと分かれば、その「1」は切り捨てても構いません。
 
しかし、自分の勝手な判断で、嘘でもない「1」を切り捨てるようなことがあってはならないのです。
 
実際、この世にはどんな話もシンプルに単純明快に話して人を騙すような人がいます。
 
もっとも、そういう人の話には奥深さがないので、いずれ嘘だとばれる日が来ることは間違いないのですが、それでもそういう人から何かしら害を受ける人が後を絶ちません。
 
シンプルさと奥深さ。この二つの一見相反するようなものを兼ね備えた人こそが、真の天才であり、真に悟りを開いた人と言えるのです。
 
私はこれからもそのような人間になるべく精進を続けるつもりですし、このブログの読者の皆さんもそのような人たちになっていただきたいと思います。
 

29 Comments
  • つゆ草
    Posted at 21:46h, 23 4月

    「 完璧がついに達成されるのは、
    何も加えるものが
    なくなった時ではなく、
    何も削るものが
    なくなった時である。」
    アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ

  • アモリフェラ
    Posted at 22:57h, 23 4月

    RAPTさんの説とは違うけれど、私はこう考えています。高級霊は輪廻転生しないけど、悪魔は何度も輪廻すると。何度も何度も輪廻転生して戦争ばかりやらかす。だからこの世には戦争が絶えて無くなる事はないと思うのです。日本はあれだけ原爆落とされて懲り懲りしているはずなのに、リーダー達は金融悪魔と取り引きしているから、また日本は戦争のできる国になろうとしています。これを輪廻といわずに何というでしょうか。悪魔や愚か者、ならず者が、懲りもせず同じ過ちを繰り返しているのだと思っています。5月中旬頃から、次々戦争法案が閣議決定するらしいです。防衛省では、自衛官適齢期の名簿、中学男子等の名簿を地方自治体に提出させているそうです。悪魔の輪廻にはまっているようで恐ろしいと思いました。UPありがとうございます。

  • rapt
    Posted at 23:08h, 23 4月

    >アモリフェラさん。
    まあ、それについては輪廻というより、霊的存在である悪魔が、とっかえひっかえ別の人の肉体を使って悪事を働いてきたと考えるべきでしょう。
    霊的な悪魔に寿命はないですから。

  • rapt
    Posted at 23:28h, 23 4月

    イエスが輪廻はあると言っていると哀れな妄想コメントを書いてくる人がいます。

    一体どこに書かれてあるんでしょうね。
    変な夢でも見たんでしょうか?

    以下、そのコメントです^^;

    ————-

    何度も言いますが輪廻転生はありますよ(笑
    イエス自身が語っていますから(笑

    ————-

    さあ、どこに書かれているのか教えてもらいましょうか。

  • おもて 梨
    Posted at 00:01h, 24 4月

    こんばんは。

    輪廻転生に言及していただき、ありがとうございます。
    私はraptさんが昨日のブログで書かれていたように、輪廻転生があるのか無いのかは分からないと思っています。
    ただ、輪廻転生の概念には疑問を持っています。
    輪廻転生があるから、「前世」が出てくるわけですが…
    ちまたには、この前世を悪用したとしか言いようの無い《前世療法》があります。
    前世療法で、精神が分裂してしまう人が時々いるのです。
    私の知り合いは、この前世療法に嵌り完全に分裂し20年入院してます。
    悪魔が輪廻転生を利用しているのかもしれませんが、こんな危ないことに使われるような教えには疑問をいだいてしまいます。
    私は「人生は一度しかない」と思って生きています。
    今日一日無事でいられたことへの感謝と、皆様が穏やかでいられますよう、お祈りいたします。

  • rapt
    Posted at 00:32h, 24 4月

    >おもて梨さん。
    なるほどです。前世がないと言われると困る人たちがいるわけですね。
    確かに、あなたの前世を見てみましょうと言って、一回の鑑定料で何十万ととる霊能力者や占い師、療法士がいますよね。
    だから、「輪廻」を否定する記事を書いたとたん、嫌がらせコメントが殺到するわけです。(全て削除しましたが……。)
    しかしながら、昨日と今日の記事で、確実に彼らの儲けは減ったでしょうね。残念ながら。

  • rapt
    Posted at 01:17h, 24 4月

    はっきりと言いますが、前世のことなど調べなくても、人生のどんな問題も解決することができます。
    前世などという曖昧な訳の分からないことに首を突っ込むから、余計に頭の中がこんがらがってくるのです。
    そのような現実味のない「観念的」な思考をどれほど取り除くか……を追求するだけでも人生は楽になるでしょう。
    悪魔は「観念的」なものを好みます。
    哲学もまさに「観念的」なものですし、彼らの作ったエセ宗教もほとんど全てが「観念的」なものばかりです。
    そんな話を聞いても何の悟りもなく、何の感動もありません。
    で、悪魔どもはそうやってわざと人々の目の前にある問題を複雑化させておいて、絶対に自分一人の力では何も解決できないようにしておいて、その上で「私があなたの問題を解決しますよ。私しかその問題を解決することはできませんよ」と言ってさらなるお金をぼったくるわけですね。
    詐欺師の手口が見えてきました。
    そんな彼らの手にひっかかる人がこれ以上出てこないためにも、はっきりと「輪廻転生」はないと断定した方がいいかも知れませんね。

  • 五輪の書
    Posted at 01:50h, 24 4月

    お疲れ様です。
    そこで疑問になってしまうのですが、生まれた時から健常者であればさほど気にも留めないのですが、生まれた時からハンディキャップを持って出てくるのはなぜなのかと?後天的なものであれば生活習慣や事故など不注意でなってしまうこともあるでしょうから。もし自分がそのハンデを持って生まれたりしまったらなんと神様は不公平なんだろうと思ってしまいます。これがまだ自分の未熟さを表しているのですが、神様及び創造主そして親にまで罵詈雑言をあびせてしまうのではないか?など全て人のせいにしてしまえるのです。生まれたては誰も罪など持っておらず白紙のはずなのにと自分は考えていました。ただの偶然でこの親の元にこんないでたちでw生まれてきたなんて。

  • つゆ草
    Posted at 03:04h, 24 4月

     人(私達)には一見ハンディに思われても、神様はそこに大いなる恵みとご計画をもたらし給う。
     水野源三さん、星野富弘さん、三浦綾子さん、三浦光世さん等々。

  • rapt
    Posted at 03:20h, 24 4月

    >五輪の書さん。
    悪いですが、「聖書」を読んでいれば、そんないくら考えても答えの出ない無駄な悩みから全て解放されるでしょう。
    はっきり言って、自分のハンデを前世のせいにしても、神様のせいにしても、仕方がないのではないですか。
    そんなことを考えても、不満と悩みしか出てこないのではないですか。
    もし仮に母親が妊娠中に悪い薬を飲んで障害児が生まれたら、それは前世のせいでも神様のせいでもなく、母親のせいです。
    それが答えです。
    それ以上、むずかしいことを考えても切りがありません。
    とはいえ、その子には何の罪もないので、「つゆ草」さんの仰る通り、神様はそれに代わる十分な祝福をくださるでしょう。
    「五体不満足」の乙武氏が自らを幸せだというのはそういうことではないですか。
    なのに、その神様の祝福に気付かず、不満だけをたらたらと並べるならば、神様も気分を害して、せっかく与えた祝福すらもすべて奪い取ってしまうでしょう。
    しかし、自らに与えられた祝福に気付いて、いえ、もし仮に何も与えられなくても、それでも普段から神様に感謝して、神様を愛して生きるならば、神様はさらなる祝福で満たしてくださいます。
    では、どうすることが神様を愛することなのか。
    それは「聖書」にすべて書かれてあります。
    だから、「聖書」を読んでくださいと言っているのです。
    神様を愛することが、自分を最大に幸せにする秘訣です。
    それが人生の全ての答えです。
    前世がどうこうとか、運命がどうこうとか、そんなむずかしい複雑なことを考える必要は全くないのです。
     
    で、この世で精一杯神様を愛すれば、その人の「霊体」は天使のように美しく成長し、その後、天国で永遠に何のハンデもなく幸せに暮らせます。
     
    現世を最後のゴールだと思うから、不公平だの何だのという話が出てくるのですが、この現世がゴールではありません。
    この世でハンデがあっても、そのハンデを乗り越えて生きるなら、神様はそれに応じた報いをあの世で与えてくださるでしょう。
    本当の公平とはそういうことです。
    「聖書」を読んできちんと悟れば、そういうことも全て分かるようになります。

  • カシスオレンジ
    Posted at 06:55h, 24 4月

    RAPTさん、皆さん、おはようございます。
    いつも大切なことを教えていただき、誠に感謝しています。
    私は聖書の「コヘレトの言葉」が大好きなのですが、下記のことばを見つけました。

    「ただし見よ、見いだしたことがある。
     神は人間をまっすぐに造られたが
     人間は複雑な考え方をしたがる、ということだ。」
     (コヘレトの言葉7章29節)

    「すべてに耳を傾けて得た結論。
     『神を畏れ、その戒めを守れ。』
     これこそ、人間のすべて。」
     (コヘレトの言葉12章13節)

    今日もいろいろ学んでいきたいと思います。大変失礼いたしました。

  • 五輪の書
    Posted at 09:08h, 24 4月

    お返事ありがとうございます。
    そうなんですよね。うちのお寺の住職も全く同じこと言ってました。信じなさいと。考えてもわからないと。完全には理解できないと。昨日今日の話でまだ聖書は拝読していないので、通読してみます。精進して行こうと思います。

  • 五輪の書
    Posted at 09:26h, 24 4月

    すいません途中で送ってしまいました。
    私も今では前世はどうでもいいというか、気にしてないです。
    ただ自分の場合そう考えた方が話の辻褄が合うまた、前向きにものごとを捉えられる様になったのです。その考え方が正しいかどうか確認したかったのですが、正しいか正しくないかなど考えるなども無意味なことだとは思いたく無いのですが、感謝して行こうと思います。

  • @joe
    Posted at 11:13h, 24 4月

    RAPT様

    こんにちは。昨晩も記事の更新ご苦労様でしたm(__)m
    さて、今回の記事にございました「輪廻転生」のウィキペディアの中で
    「輪廻は動物などの形で転生する場合も含み(六道など)」とありますが
    その「六道」を更に調べますと、ページの下の方の右側に「六道輪廻図」なる絵がございます。
    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AD%E9%81%93

    これ「また出たかょ」(失笑)と思ってしまいました。
    参考のRAPT様の記事
    http://rapt-neo.com/?p=24096

    何となく似てますですよね?これって。
    というか時代的に言って「時輪曼荼羅、カーラチャクラ・マンダラ)」より
    「六道輪廻図」の方が古いのかな?と思ってみたり。(わかりませんが。)

    しかし本当に気持ち悪い絵ですが、ご覧になって気分を害されましたら
    申し訳ございません。。。

    失礼いたしました。

  • rapt
    Posted at 13:06h, 24 4月

    >五輪の書さん。
    私は「五輪の書」さんがそうやって前世を信じて、かえって余計な悩みを抱えているのを見て、逆に前世が嘘だということがはっきりと分かりました。
    真実は人から悩みを取り去りますが、嘘は人に苦悩を与えるからです。
    しかも、必要もない苦悩を。
    あと、「@joe」さんの情報もまた決定的ではないでしょうか。
    「釈迦」もやはり「クロ」ということです。
    「@joe」さん、ありがとうございました。

  • 774
    Posted at 13:51h, 24 4月

    なんだか、この記事を思い出しました。

    http://rapt-neo.com/?p=25690

  • @joe
    Posted at 15:04h, 24 4月

    RAPT様

    ご返事ありがとうございます。
    私と致しましては「輪廻」という捉え方が悪魔敵だな、と感ずるところでありまして
    釈迦がクロかどうかはちょっとまだわかりません。
    「輪廻」~ウィキペディア~
    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BC%AA%E5%BB%BB
    ここの文中に、
    ~現代の仏教者、僧侶、仏教研究者の中には、
    「釈迦は輪廻説を前提としておらず、インドに古代から信じられて半ば常識化していた輪廻を直接的に否定することをせず、方便として是認したに過ぎない」~
    ということもあるようですし。
    あと、釈迦についてはこのような記事も見つけました。
    http://www4.tokai.or.jp/kyuguan/mutoku/14_06honni%20html.html

    要するに釈迦の生きた時代のインドに、カースト制度を敷くバラモン教が牛耳っていた。
    そのバラモン教が輪廻思想を持っていた。で、その「輪廻」なる思想が悪魔崇拝だった。
    故に、バラモン教(ヒンズー教)は悪魔教。
    ということはわかりますが、
    それにどう釈迦が関わったのか、というのは私はまだ(?)でございます。
    一応釈迦が説いたとされる「中道」「八正道」なども調べましたが、まぁ、一応戒律通りといいますか、
    ですので釈迦自体が「クロ」なのかどうかはまだちょっとわかりません。
    個人的な意見でお時間を頂き本当に申し訳ございませんが、
    これからもよろしくお願い申し上げます。

  • rapt
    Posted at 15:59h, 24 4月

    >@joeさん。
    本物の聖者なら、「バラモン教」や「ヒンズー教」に関わることもなかったでしょう。
    関わったとしても、それらを滅ぼすために働いたはずです。
    なのに、釈迦はむしろそれらと仲良くしたわけです。
    その一方、イエスは「悪魔」を滅ぼす働きをし、悪魔崇拝者たちを徹底的に批判しました。
    同じ聖人と言われる人物なのに、この違いは何なのかという話です。
    本物の聖人なら、悪をはっきりと悪と言うべきです。
    ぼんやりとあいまいな道しるべは人を迷わせるだけですから。
    で、私はそんな仏教のあいまい感が昔から悪魔的に感じていましたし、今はなおさら強く感じます。

  • @joe
    Posted at 16:32h, 24 4月

    RAPT様

    ご返答ありがとうございます。
    RAPT様の仰るように
    >同じ聖人と言われる人物なのに、この違いは何なのかという話です。
    というのは私も以前から思っていたことなので、なるほど、です。

    ありがとうございました。m(__)m

  • inte100
    Posted at 17:11h, 24 4月

    RAPTさん こんにちは。
    毎日ブログを拝見させて頂いております。
    今日のブログに対するみなさんのコメントを見て色々考えさせられました。

    私は軽度の難聴です。補聴器を使用すればなんとか普通に会話はできます。
    生れつきなのか病気によるものか判りません。
    幼少時代から聞こえない不自由さを味わいながら生きてきました。
    どこの病院へ行っても治らず、25歳の頃でしょうか。知人の紹介である診療所へ行き
    手術をすれば治る可能性があるということだったんですが、費用が高く両親に話して見ました。
    (その頃までは自分の心のどこかに両親に対する恨みを持っていました。)なのでそのくらいの金は出してくれよ、という感じだったと思います。
    手術を受けてみたは良いけど、結局治らない。
    この時に深く落ち込み、なんで俺だけハンデがあるんだと不満たらたらの毎日。
    ある日なにがキッカケか忘れましたが、不満えお抱えて生きるのはもう辞めようと思い
    自分の才能でもある物作りに賭けようと決心、そしてひたすら腕を磨きました。
    ハンデがあるなら人に負けないものを持てば良いんだ。そう思ったんです。
    人生変わるものですね。道が開けるんですね。
    そして自分の力ではない事も教えてくれました。色々な人や家族そして誰かに守られている実感があります。
    謙虚さや感謝の気持はここから生まれました。
    仕事で加工がうまくいかず行き詰まりどうにもならなくなった時、小さな声でヒントも教えてくれました。
    3回ほどあったでしょうか。その声は誰だか判りません。(神様か先祖の霊かと思っています。)
    ですから、今は感謝の気持ちを忘れずに生きています。
    ハンデは不公平ではありません。その気になれば素晴らしい力を与えてくれます。
    RAPTさんのコメントで
    (その子には何の罪もないので、「つゆ草」さんの仰る通り、神様はそれに代わる十分な祝福をくださるでしょう)
    これを読んで涙が止まりませんでした。
    救われた思いでいっぱいです。
    ありがとうございます。

  • rapt
    Posted at 17:20h, 24 4月

    昨日、イエスが輪廻はあると言っていると妄想コメントを書いてきた人が、ようやくどこに書いているのか教えてくれました。

    ----------------

    輪廻転生はマタイ伝第17章とマルコ伝第9章に語られています。

    あなたが真面目な人なら詳しく教えてもいいですが、
    工作員かもしれないので、これ以上は教えません(笑

    ----------------

    教えてくれなくて結構です。
    別にエリヤは輪廻転生したわけではなく、エリヤの霊がバプテスマのヨハネに乗り移っただけですので。
    全く聖書を理解していない低能の方だったようです。
    やはり変な聖書の「解説書」に騙されてしまったんでしょうね。
    だから「解説書」など読むなと言ったのに。

  • rapt
    Posted at 17:34h, 24 4月

    >inte100さん。
    こちらこそ勇気あるコメントありがとうございます。
    この世には身体だけではなく、社会環境、家庭環境など様々なハンデを背負った方がいますが、結局、そのようなハンデを乗り越えようとするときに人間は本当の真価を発揮します。
    人生が楽しくて幸せで……というぬるま湯のような生活を送っていると、結局、自分の本当の価値に気付くこともなく、それを伸ばそうともしません。
    そもそも、神様は本当に自分が育てたいと思う人にわざとハンデを与えたりもします。
    使徒パウロもそうでした。
    (新約聖書の使徒行伝をご参照ください。)
    彼は神様から使徒として任命されたとき、目が見えなくなるというハンデを背負わされました。
    結局、それは治りましたが、そのようにハンデを負わせることで神様はパウロを練達したわけです。
    だからこそ、パウロはこの世の誰よりも偉大な大使徒となれたのです。

  • 五輪の書
    Posted at 18:32h, 24 4月

    やはりraptさんのブログは必要です。
    ここまで開けっぴろげにコメント書くというのはなかなかないですから。今迄どこのブログでコメント入れても自分の信仰している宗教の話はしたことがありません。子供の頃からの固定観念を植え付けられてその常識を外していくというのはなかなか大変なことであると思います。しかし大嘘で固められている世の中を解明しようとするならば常にクリアな思考が必要でしょう。大抵の話はとんでも論でもサクサク解明できるのに宗教となると今迄の概念が足かせになり思考にぶらせます。ちょっとずつではありますが前に進もうと思いました。こうやってやりとりをみてもらい新しくコメント入れてくださる方がいると嬉しくなります。
    ありがとうございました。

  • かに
    Posted at 18:48h, 24 4月

    もし輪廻転生があるのなら年を経た蛇とよばれるサタンのような古い悪霊たちがいつまでも悪霊のままでウダウダやってるはずがないですからね。たとえ来世が動物だろうとその次に人間に生まれ変わる事を目指してさっさと転生しちゃうでしょう。
    聖書の彼らについての記述が輪廻のないことを証明してるんじゃないでしょうか?
    彼らは神の言葉を無視して取り返しのつかないことになってしまったから、人間を憎んで自分と同じ道に誘い込もうとしているのでしょう。

  • 全く聖書を理解していない低能
    Posted at 19:19h, 24 4月

    >エリヤの霊がバプテスマのヨハネに乗り移っただけですので。

    と、どこかの解説書に書いてありましたか(笑

  • rapt
    Posted at 19:22h, 24 4月

    >全く聖書を理解していない低能さん。
    「聖書」だけでエリアの霊がヨハネに乗り移ったということは証明できますのでね。
    いずれ近いうちに証明しましょう。
    といっても、いくら私が説明しても、あなたの頭脳レベルでは理解できないかも知れませんね。
    何が何でも「輪廻」があると言ってもらわないと困るような商売をされておられるのでしょうから。

  • inte100
    Posted at 20:09h, 24 4月

    五輪の書さん こんにちは。
    実は私のコメントはあなたに対するコメントでもありました。
    色々悩んでいるように見えますが、前向きなコメントを見て大変嬉しく思います。
    頑張ってください。

    RAPTさん、コメント載せて頂きありがとうございます。

  • 五輪の書
    Posted at 08:46h, 25 4月

    おはようございます。
    inte100さん。私そんなに悩んでないですよw

    単純に真実を知りたいと思ってるのと、あまりにもこの世界のクソったれ感に虚無を感じてしまうのでなんとかならないかと思い試行錯誤してます。自分さえ良くて他はどうなっても構わないならここまで来なかったでしよう。以前の自分は人に嘘を付くような人間でした。しかし世の中の構造を知るうちにこんな奴らと一緒は嫌だと。とにかく嘘はつかず真っ直ぐにと心を入れ替え、しだいに嘘を言おうとすると気持ち悪くとても言えなくなりました。しかし…この世はなんと生き辛いのでしょうか。wまさに正直者は馬鹿を見る世界。それはおかしいでしょと。文章が苦手で誤解を招かず上手く伝わっているかどうか心配なのですが、そんなところです。今は自分の常識を外して物事を見ていますが真面目な信徒ではなくとも宗教に対する固定観念を外すのは他の方もそうだとは思いますが、なかなか大変なことです。これからもよろしくお願いします。

  • YUKI
    Posted at 13:40h, 22 10月

    RAPTさん、こんにちは。
    輪廻転生は、聖書の教えでは無いですよね。
    それにイエスも、そんな教えは説いていない。

    私も輪廻転生は、悪魔サタンの教えだと思います。
    だって、輪廻転生では、人は救われないもの。

    輪廻転生の教えでは、前世での記憶が無くなります。
    それに生まれ変わったら、前世での功績はチャラになります。
    例えば、前世で東大の医学部卒業しても、来世ではチャラになります。
    前世で勝ち組の人生を送っても、来世では貧しい国の貧しい家庭に生まれてくることだってあり得ます。
    前世で東大卒業しても、来世では、高校すら、いや義務教育すら受けられない貧しい国、貧しい家庭に生まれてくる可能性だってあるのです。

    私が嫌だと思うのは、せっかくこの国に生まれて、日本語(母国語)を覚えたのに、輪廻転生で別の国の人に生まれ変わったら、
    (前世の記憶が無くなるので)日本語も忘れると言う事です。
    それに、車の運転免許もまた取得しなければなりません。

    輪廻転生の教えでは、苦労や努力して、取ったライセンスや、人生の教訓もチャラになると言う事です。

    しかも、どこの国のどんな家庭に生まれて来るかは自分で選べません。
    健常者に生まれてくるか、障碍者に生まれてくるか、それも自分で選べないのです。
    しかも、何度生まれ変わっても、やはり苦しみや戦争や暴力や憎しみや悲しみのある世界に生まれてこなければならないのです。

    これを、「救い」とか「希望」と言うのでしょうか?
    未来永劫「悲しみ」と「苦労」の繰り返しです。

    私は嫌です。
    大好きな母や父や妹たちと死別して、来世では赤の他人同士に生まれ変わって、しかもまったくの別人に生まれ変わるうえに、前世の記憶もなくなるのですから、どこかの街で前世での家族とすれ違っても、かつての家族とは気が付かないでしょうね。

    こんな残酷な教えは、「希望」でも「救い」でもありません。
    悪魔サタンの教えです。しかも「嘘」です。

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