06 4月 天皇が行う「大嘗祭」はまさに悪魔崇拝そのものです。
ある読者の方から、天皇の行う儀式「大嘗祭」が悪魔崇拝そのものであるとのメールをいただきました。 (上の画像は「大嘗祭」の一場面)
「大嘗祭」というのは、新しい天皇が即位した後、一番最初に行う「収穫祭」のことです。
○大嘗祭 – Wikipedia
その読者の方の話によると、1990年に発刊された「噂の真相」という雑誌に、この「大嘗祭」についての詳細が書かれてあったとのことで、早速、その雑誌のコピーを送っていただきました。
で、今回はその雑誌の記事をそのままここに掲載します。
これまでこのブログを長く読んできて下さった方なら、以下の記事を読めば「大嘗祭」が悪魔崇拝そのものであることがすぐにお分かりいただけることと思います。
また、このブログを余り読んでいない方にとっても、以下の記事を読めば、天皇がいかに頭のおかしな人物であり、「大嘗祭」がいかに税金のムダ使いであるかがお分かりいただけると思います。(実際、この「大嘗祭」のために税金を使うことは違憲であるとの説もあるそうです。)
なお、以下のリンク記事を読んでいただけば、この「大嘗祭」が悪魔崇拝に他ならないことをさらに具体的に理解できることと思います。
○〈閲覧注意〉チベットは悪魔崇拝の聖地です。
○〈閲覧注意〉日本の密教もまた悪魔崇拝そのものです。
○この世の神はとかく悪魔だらけ。ヨガ、アセンション、アガルタ関連の話には要注意です。
○神社仏閣に潜む悪魔たち。またはアガルタから悪魔のメッセージを伝える人たち。
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■神秘のヴェールに覆われた大嘗祭における秘儀の真相
1989 年、昭和天皇の死で凍りついたメディア状況の中で、「自粛ムード」を批判し、その空虚な実態を暴き続けた『噂の真相』が、翌年、明仁天皇の即位に際して天皇家最大の秘密である「大嘗祭」に迫った。
編集部が未だこれを超える天皇論は存在しないと自負する慧眼の批判研究。
■秘儀を否定する宮内庁の異例の見解
皇室の公的行事として強行することが決定されたのみで、中身については一貫して秘密裡に準備進行されていた天皇明仁の大嘗祭、その式次第がこの10月19日、宮内庁より公表された。
延々4 時間にも及ぶ記者会見を関いて発表された儀式の概容は、ひとことでいえば、予想通り登極令を焼き直しにした神道色まるだしの中身、という表現で十分なものだろう。それよりもこの会見で注目されたのは、記者の質問を受ける形で宮内庁幹部が大嘗祭における〈秘儀〉の存在を正式に否定したことの方である。
「特別の秘儀はなく、天皇が神前で読みる御告文にもそのような思想はない」
かねてより国会答弁等では〈秘儀〉に対する否定的見解をのべたこともある宮内庁だが、マスコミに対して、しかも具体的な根拠を提示する形で「ない」と断言したのはきわめて異例といえるだろう。
これは言い換えれば、宮内庁が直接的に対応せざるをえないほど、「秘儀の存在」がある種のリアリティをもって語られはじめていることの裏返しに他ならない。
実際、昭和天皇の死去以降、まず、宗教学、民俗学、歴史学といったアカデミズムからのアプローチが盛んになり、大嘗祭が近づくにつれて、及び腰ながらも〈秘儀〉を活字にするマスコミも登場するようになった。また、海外のメディアまでがこの〈秘儀〉に強い関心を示しはじめている。
そして何より、我々の問で、様々な風説がまことしやかに流布しはじめているのだ。日く、
「天皇は大嘗祭で窓きものがついたようにトランス状態になる」
「深夜、大嘗宮の中で女性と性的な行為をするらしい」
「昭和天皇のミイラと一緒に寝る儀式がある」
「稲穂に天皇が精液をかける儀式が大嘗祭の骨子だ」
■霊魂が新天皇に付着する!?
単なる無責任なデマ、としか思えないこれらの風説は、あながち無根拠というわけでもない。むしろ、ある種の本質をいいあてているとさえいえる部分もあるのだ。
大嘗祭の中心儀礼は大嘗宮に建てられた悠紀殿・主基殿の閉ざされた内陣に、夕刻から朝にかけて新天皇が引き縫ってとり行う儀式である。
この中で行われている儀式として明らかになっているのは、秋にとれた穀物を皇祖である天照大神に供え、共にこれを食べる〈福鋲供進の儀〉以外にない。
これをうのみにすれば、大嘗祭は毎年秋に行われる新嘗祭と全く同一の内容、つまりは瑞穂の国・稲作国家の祭紀王たる天皇による単なる収穫儀礼、ということになる。
しかし、にもかかわらず、大嘗祭は天皇としての神格を継承させる一世一代の儀式なのだ。加えて、大嘗祭では新嘗祭の約三倍以上もの長時間にわたって新天皇が悠紀殿・主基殿両殿内陣に引きこもることになっている。だとすれば新嘗祭と同一の中身のはずがない。
神との〈共食〉以外に何か儀式が隠されているのではないか、そんな疑惑が大嘗祭に関して浮かびあがってくるのも当然のことだろう。
そして着目されたのが、内陣の構造、だ。両殿内部には天皇と神の席がしつらえられており、ここで対座して〈共食〉をすることになっている。
ところが、これが中心儀礼の割には部屋全体から見ると片隅に追いやられており、内陣の中心・大部分を占めるのは八重畳の寝座、つまりベッドなのだ。
そしてこのべッドを使って〈秘儀〉が行われている、というのが最も有力な説として浮上してきた。
この〈寝具の秘儀〉を最初に指摘したのはご存知のように民俗学者・折口信夫である。
折口は講演「大嘗祭の本義」で寝具を天孫降臨神話でニニギノミコトがくるまって地上に降り立ったとされる〈マドコオフスマ〉に見たて、このベッドの布団に天皇がくるまる儀式の存在を唱えたのである。
さらに折口がこの〈マドコオフスマの儀〉に必要不可欠な要素として提示したのが、〈天皇霊〉の存在だ。
大嘗祭で布団にくるまっている聞に〈天皇霊〉が天皇の肉体に付着し、そのことによってはじめて完全な天皇になる、というのである。
つまり、天皇の肉体は霊魂の容れ物にすぎず、大嘗祭は霊魂が新天皇の肉体を借りて復活する、神性の継承儀式であると主張したのだ。
(註: この〈天皇霊〉とはすなわち悪魔のことなのでしょうか。)
前述の「トランス状態」の風説は、この〈天皇霊〉が付着する時間を指している、といえなくもない。
実際、狂信的な神道家の間では天皇の霊能力なるものが本気で信じられているらしく、例えば、昭和の大嘗祭で福岡が主基斎田に勅定、された際、すべての祭事をとりしきったといわれる古神道家・川面凡児などは天皇が大嘗祭はおろか、毎日朝夕に「イメ」なるトランス状態に陥るといっている。
(註: 要するに、毎日、悪魔と交信しているというわけです。)
天皇の霊魂がたえず霊界と現界を往来し天皇は霊界をも統治しているという説である。
さすがにここまでマッドな説になると、まともにとりあげられることはないが、本質的には〈天皇霊〉論もこの種の奇説と同一なのだ。
そして、儀式の意味づけを行った折口の意図とは全く関係なく、〈天皇霊〉の存在そのものが、今や神道界では常識となっているという。
(註: 天皇がこの世で最大の霊力を持っているとの疑いは、私もこれまで何度も書いてきました。例えばこちら。私はこの折口氏のことは全く知りませんでしたが、彼と同じことを類推せざるを得ない幾つもの状況証拠があちこちから見付かっていたわけです。)
■新天皇は前天皇の死体と同衾か
(註: 同衾とは一緒に寝ること。つまり、前の天皇の死体(ミイラ)といっしょに寝るという儀式があるとのこと。)
折口の〈マドコオフスマ〉〈天皇霊〉を深化発展させる形で、その後〈秘儀〉に関する様々な考察が登場した。
〈先帝同衾〉説もそのひとつである。他ならぬ折口信夫自身が「大嘗祭の本義」講演の翌年、「古代人の思考の基礎」と題された講演でこの説を開陳している。
折口によれば、古代には生死を明確にする意識がなく、平安期でも「生きてゐるのか、死んでゐるのか、はっきりわからなかった」。
生き返るのか、別の肉体に魂が移るのかを判別する必要があったのだ。そこでもとの天皇霊のついていた肉体(=先帝の死体)と新しく霊のつくべき肉体(=新天皇)を「一つ会で覆うて」復活のための儀式を行ったのだという。
その後、生死の区分が明確化してくるにつれて二つの肉体を別々の場所に置くようになる。
もともとは一つしかなかったと思われる大嘗宮主殿が悠紀殿と主基殿に分かれてくるのはそのためで、片方に前天皇の死体を置き、もう一方に新天皇が入る。
表は別々となるが趣旨は同様で、復活とそれを果たせない場合は〈天皇霊〉の移動が行われる、というのが折口の唱える説の概容だ。
この〈先帝同衾〉説は当時からかなり広範に流布されていたらしく、折口以外にも「天照大神の死骸(いったいそんなもの、がどこにあるんだろうか?)と同衾する」といった説を唱える神道家もいたという。
現代でもこの〈先帝同衾〉を支持する学者は多く、谷川健一、山折哲雄など、民俗学・宗教学もこの説に立っている。ことに山折は比較王権の視座から、フランスやダライ・ラマの場合にも同様の例があったとし、〈先帝同衾〉説を補強している。
(註: 出ましたね。ダライ・ラマといえば「チベット仏教」、「チベット仏教」といえば悪魔教です。)
もっとも、物理的に考えれば、〈崩御〉からかなりの時間を経過している大嘗祭で前天皇の死骸と共寝する、というのは不可能に近い。
折口〈先帝同衾〉説を真正面から継承しているひとりである歴史学者の洞富雄も、これは模擬儀礼であるとしている。寝座の側に靴をおいてあるのもそのためで、前天皇、が寝座に績たわっていると想定して行われる儀式、というわけだ。では、前出の「ミイラ」の風説はやや飛躍しすぎ、なのだろうか。
しかし、一方ではこの〈先帝同衾〉が大嘗祭ではなく、〈崩御〉の直後に実際に行われているのではないか、との噂もある。この〈先帝同衾〉に直接的なイメージを与えているのが、〈残〉の儀礼である。
天武天皇の時には二年二カ月にも及んだと記録されている、この儀式は復活儀礼としての性格が色濃く漂っており、昭和天皇の〈崩御〉の際も、〈殖宮の儀〉として死後13日目から40 日目までの長期にわたってとり行われた。
むしろ大嘗祭よりも、この聞に実際に前天皇の死骸と寝る秘密の風習が、天皇家には残っているのではないか、というのだ。
(註: 実はミイラと「密教」も密接な関係があります。詳しくは後にご説明します。)
■大嘗祭の本質は性的行為なのか。
〈マドコオフスマ〉の延長線上に浮かびあがるもうひとつの〈秘儀〉説に(聖婚儀礼)がある。〈聖婚〉というのはもってまわったいい方であり、要するに大嘗祭で天皇による性的行為がおこなわれる、というものだ。
 
大嘗宮正殿の中にまで入れる人間はきわめて限定されている。そのしつらえを見ると、御座(天皇の席)と神座をのぞけば、関白の座と宮王の座、そして数人の采女の座しかない。
しかも内障にまで入れるのは天皇と采女の代表ひとりで、残りの人間は外陣にとどまることになっている。
そして内陣と外陣はカーテンによってさえぎられている。大嘗祭とは、また、男女が二人きりで夜をすごす儀式でもあるわけだ。
この采女を性行為の相手として見るのが、歴史学者の岡田精司らである。采女とは「宮中で炊事・食事などをつかさどった女官、大化以前は地方の一家族の子女から選んで奉」(岩波古語辞典〉られた女性である。
つまり、子女と性交することで、豪族に服従を誓わせた服属儀礼との説だ。
同じく采女を性行為の対象として見る西郷信網は、その根拠として「国造が新任の日に、神官の采女と称して百姓の女と婚」したという「淫風」が平安初期まで続いていたことをあげている。
一方、性的行為の相手を神だとする説もある。穀神に擬せられた王と穀母神に扮した花嫁が交わり、豊穣を祈るという習慣が古代オリエントをはじめ、日本以外でも広くおこなわれていることは、文化人類学の成果としてすでに明らかにされているところだ。
(註: この古代オリエントで行われた儀式のことを「悪魔崇拝」と呼びます。)
吉本隆明も神の代理としての女性と「性行為」を行うことで〈対幻想〉を〈共同幻想〉として同致させようとする模擬行為と見ている。
いずれにしても、大嘗祭がある種の性的な意味合いをおびている、とする研究は少なくない。実をいえば、折口信夫もまた、性交儀礼の存在を示唆しているのだ。
(註: チベット仏教でも密教でも、本物の女性と性交する儀式と、空想で性交をする儀式と両方行いますね。詳しくはこちらとこちら。なので、この説がかなり信憑性の高いものであることが分かります。)
しかし、同じ折口の「天皇霊」論がいたるところで紹介・引用されているにもかかわらず、この部分は完全に黙殺されている。そして、たしかに折口の展開した説は、マスコミやアカデミズムが黙殺せざるを得ないほど大胆なものだった。
折口が性行為を示す場所として推定したのは自らが着目した悠紀殿・主基殿内陣の寝座ではなく、両殿の北にある廻立殿だった。
天皇は両殿に引き箆もる儀式の前に、ここで「小忌の湯」という湯を使い、体を清めることになっている。つまりシモジモ風にいえば風呂場だ。
そして「西官記」「江家次第」等にはここで天皇が〈天羽衣〉をまとっているという記述が登場する。折口はこの〈天羽衣〉があろうことかフンドシであるとし、廻立殿の儀ではじめてこれを解き、性の解放をするという。
そして、フンドシを解くのが、丹波から送りこまれた処女であり、天皇はこの処女と性交する、と説くのである。
(註: 結局、悪魔教はいつもこういう性的なところに行き着きます。ちなみに、「丹波」とは以下の地域を指します。)
いったい何が学説的根拠となっているかは不明だが、ある神道研究家の一人はこんな感想をもらす。
「天皇の儀式では中心の儀礼よりも、その直前の儀礼が全体の本質をあらわしていることが多い。即位礼の本質を賢所大前の儀が表わしているように。そういう意味では廻立殿の儀が性交儀礼としての大嘗祭の性格をあらわしている可能性はあるだろう」
■宮内庁〈秘儀〉否定の舞台裏
霊魂、性、血……。様々な〈秘儀〉に関する論考の多くは、結局、折口をその出発点としている。折口が講演「大嘗祭の本義」を発表したのは昭和の大嘗祭を2 カ月後に控えた、昭和3 年9 月のことである。
この年は同時に、治安維持法の最高刑が十年から死刑へ改められた年であり、「三・一五事件」と呼ばれる共産党への大弾圧も行われた。
そんな中で、かくも異様な儀式の存在を暴いた説が放置されていたのはいったい何故か。いや、取締の対象とならなかっただけではない。折口の説はその後、国家神道推進の中心人物によって堂々と紹介されてもいる。
近代神道の創始者であり、内務省神社局考証課長でもあった宮地直二が東大の神道講座で「天皇霊」論を講義したのである。
これは、つまり、〈秘儀〉説が現人神という明治憲法下の天皇制にとって都合の悪いものではなかった、という事実を意味している。むしろ、国家体制にある種のイデオロギー基礎として歓迎され、積極的に流布されたのだ。
(註: 要するに、実際に天皇はこのような怪しげな儀式を行っていたし、神道家たちはその儀式を行うことを誇りに思っていたわけです。だからこそ、この儀式について人前で堂々と講義していたわけでしょう。)
事実、〈天皇霊〉論をはじめとする〈秘儀〉に関するあらゆる考察は、天皇に神性を与えるという意味においても、ミステリアスな部分を増幅させるという意味においても、有効に機能してきたのは確かなのである。
ところが、平成の大嘗祭に際して、宮内庁はこの〈秘儀〉の存在を全面否定した。〈秘儀〉だけならまだしも、大嘗祭は「穀物が豊かに実りますように、との祈願が中心で「天皇が神と一体化するという儀式ではない」とその神性をも完全否定したのである。
かつては小学校の教科書にさえ〈大神と天皇とが御一体になりあそばす御神事〉 と明記されていたものと全く同一の儀式を、である。
このことは大嘗祭の準備が本格的に始まろうとしていた昨年秋、宮内庁で行われたある人事と無関係ではない。大嘗祭の祭杷をつかさとるのは天皇家の私的使用人である掌典職だが、中でも最も古く、中心人物と考えられていた永田忠興掌典補が更迭されたのだ。
永田はまた、掌典職の中でも最も強硬な伝統墨守派で、ことあるごとに政府・宮内庁の妥協的な動きと衝突してきた人物でもあった。
「右派ジャーナリズムに宮内庁批判の情報をリークし続けていたのもこの永田さんだといわれてますね。ただ、宮中祭紀については最も詳しい人物だったし、今回の大嘗祭も永田さんがとりしきると考えられていた。
〈秘儀〉の有無についても天皇以外に知っている人間がいるとすれば、彼ぐらいだったかもしれない。その永田さんを更迭した、というのは政府・宮内庁が象徴天皇制の下で大嘗祭の性格を変える必要がある、と考えたためだろう」(宮内庁詰め記者)
(註: さすがに現代においては、こんな淫乱かつ醜悪な儀式を行っているということを世間に知られるのはマズイと思ったのでしょう。)
そして永田の後任として新たに外部から送り込まれたのが、鎌田純一祭杷課長である。
国学院出身で祭紀学の学者でもある鎌田は、永田とはうってかわってきわめて柔軟な人物といわれる。
今回の大嘗祭はすべて、この人物を中心に本来の掌典とは別の、学者・研究者を中心とした委嘱の掌典によるプロジェクトチームによって準備進行されているという。そして、前述の記者会見では鎌田自身が根拠をあげて〈秘儀〉を否定したのである。
おそらくこうした動きは、現在の自民党政府の天皇制に対する位置づけの延長線上にあるのだろう。
現政権は戦前天皇制復活を単純にめざしているわけではない。もちろん、そういう勢力が存在していることは確かだが、主流はむしろ、女性誌による皇族の芸能人化などを利用しながら国際化社会と象徴制に対応しうる形で天皇制を維持・強化していこうという方針だと思われる。
事実、中曽根内閣時代に当時の官房長官・後藤田正晴を中心にして、こうした路線は確認されており、答察官僚出身の藤森昭一を宮内庁長官にすえ、侍従職の大半を官僚出身者にぎりかえるなど、皇室を政府のコントロール下に置く作業が着々と進められてきた。
そしてこれまでの代替り儀式は時代に対応した形で、操作を加えながら極めて巧妙かつソフトに行なわれてきたといっていいだろう。いわば、今回の大嘗祭はその集大成なのだ。
■神社本庁による操作とある論文
しかし、常に右派勢力からの圧力にさらされてきた宮内庁がここまで〈神性〉否定を明言できたのは、最近になってスイ星のごとくあらわれた若手学者の存在に負うところが大きい。
国学院大学助教授・岡田壮司(前山山・岡田精司とは別人)がその人で、まさに神道界本流に位置する新進気鋭の研究者である。
岡田は昨年からいくつかの論文を発表、折口の〈マドコオフスマ〉〈寝具の儀〉〈天皇霊〉論をすべて根拠のないものと断じ、完全否定した。
さらには大嘗祭で天皇が「霊威を享受する」とはしながらも、神と一体化することはない、とその神性付与すらも一蹴したのである。
右翼民族派がよく黙っているものだ。それはともかく、あらゆる分野でほぼ定説となっていた折口の論考を真っ向から否定した論文はこれがはじめてといえる。
しかも、それは「天皇霊」の存在が常識化している神道界から、中でも折口が祖と呼ばれる国学院神道から出てきたのである。大嘗祭を研究する若手歴史学者はその辺の事情をこう語る。
「岡田さんの登場は完全にターニングポイントとなった。論旨自体はたいしたことはないが、神道界からああも完全否定されるとね。
学説的には今はもう〈秘儀〉がどんどん否定される方向に向かいはじめている」
たしかに、最近も〈秘儀〉否定のイデオローグとしてマスコミにも登場し、宮内庁見解に格好のお墨付きを与える形となっている。
おそらく、岡田の出現は偶然ではないだろう。それは、神道界本流、つまり神社本庁全体の意志だ、と見る向きも少なくない。
岡田がはじめて折口説を否定するとく短い論文を吋国学院雑誌』に掲載したのは昨年の夏のことである。この直後、神社本庁の前統理であり、今も神道界に大きな影響力を持つといわれる桜井勝之進が岡田を呼び、二人が会談したという情報がある。
つまり、この席で桜井は岡田にバックアップを約束し、岡田はその意を受けてさらに大きな論文・単行本等を発表、反折口説のイデオローグとして本格的に活動を開始したのではないかと推定されるのだ。
事実、桜井はこの問、岡田論文を補強するような発言を神社本庁関係の一肩書をあえて使わずに何度かおこなっている。
それにしても、戦前の天皇制復活を目論み、常に「伝統墨守」を叫んできた極右団体・神社本庁までが大嘗祭における神性継承的性格を否定しはじめたのはなぜだろうか。
「戦前は有効だった折口説も、現代では逆に作用しかねない、との政治的判断でしょう。怪奇な儀式として反対勢力の攻撃材料にされたり、海外メディアの好奇の目に閲されたりということになりかねない。
神道というのは何よりカタチを重視しますからね。形式さえ伝統に則っていれば、意味づけで後退してもいい、との判断です」(神社本庁関係者)
しかも、神社本庁は公式には何ら神性継承の〈秘儀〉を否定してはいない。無名の若手学者をプロパガンダに使うことで、自らは陰に隠れたまま、〈秘儀〉説安二時的に隠蔽しようとしているだけなのだ。
そして、宮内庁の〈秘儀〉否定もまた、神社本庁・桜井勝之進の働きかけによるものともいわれている。
また、やはり国学院で教鞭もとっている掌典・鎌田純一が岡田を招き、勉強会を開いたとの未確認情報もある。いずれにしても、一連の〈秘儀〉否定の流れは、神社本庁|岡田壮司宮内庁の巧妙な連携プレーであることはほぼ間違いないところだろう。
つまり、天皇護持勢力がこぞってある穫の操作をしなければ、現在の環境下でこの大嘗祭を強行することは難しい、と判断したのかもしれない。そして彼らは何よりも、天皇制というカタチの延命をとりあえず優先させたのだろう。
(註: これだけの情報化社会になった今、「大嘗祭」の内容をすべて公にしてしまうと、この儀式が「悪魔崇拝」そのものであることに気付く人が出てくるのではないか、と懸念したわけでしょう。そして、実際に私たちがそれに気付いてしまいました。)
■明仁天皇は〈秘儀〉を行うのか!?
では、こうした体制下で行われる天皇明仁の大嘗祭にはもはや〈秘儀〉など存在しないのだろうか。たしかに、無個性な平成の新天皇とおどろおどろしい〈秘儀〉は結びつかないし、天皇自身が式の簡略化を望んでいるとの情報もある。
(註: この世にはそのように表面だけを見て物事を判断する脳天気な人がいます。このブログでも、そんなコメントを書いてくる人が何人かいました。)
また、そもそも〈秘儀〉があったとしても、すでに平安期において形骸化しているだろう、との見方が一般的だ。
しかし、その一方ではこんな説もある。在野の神道研究家が語る。
「大嘗祭によらず、天皇家には一世一代の秘事口伝があるというのは常識です。つまり、第三者を介さず、天皇から天皇へと直接伝えられる送り事がある。
セックスの処理、密教秘伝の出産コントロール法などもそのひとつといわれています。その中にはおそらく大嘗祭における〈秘儀〉も含まれているはず」
(註: 天皇がルシファーを召喚するプロであり、その奥義を代々継承しているのではないか、との記事を私もずっと前から書いてきました。例えばこちら)
さらに興味深いのは宮内庁が〈秘儀〉否定の記者会見を聞いた時の出来事である。折口信夫が「フンドシを解くことで天皇が性交に向かう」とした廻立殿の小思の湯の儀について、ある新聞記者からの質問に、宮内庁は「お湯を使う、ということ以外は一切いえない」とつっぱねたのだという。
悠紀殿・主基殿の儀についてはかなり詳細に根拠を示し、〈秘儀〉を否定した宮内庁の一変した態度を考えると、小忌の湯の儀にある種の性交儀礼の名残りが残っている可能性はあるのかもしれない。
(註: そこまでつっばねると、かえって誰もが怪しく思うしかありませんよね。)
しかし、結論めいたことをいえば〈秘儀〉の有無というのはさして大きい問題ではないのではないか。仮に〈秘儀〉があったとしてもそれは神の偽装にすぎず、収穫儀礼であったとしても農耕民族の祖という偽装にすぎない。
神聖祝される神社の洞内部が実はカラツポであるように、そもそも大嘗祭には中身などない。あるのは、どのようにでも語ることのできる、カタチだけだ。
(註: これはこの記者の完全な間違いですね。悪魔崇拝者たちはこれらの儀式を通して、本気で「悪魔」にお祈りを捧げているはずですから。)
それゆえに時の国家権力や時代状況によって〈大神と御一体になりあそばす御神事〉にも〈国民の平和を祈念する行事〉にもなりうる。今は否定されている折口〈天皇霊〉論が再復活する可能性も十分に残されているのだ。
これは〈大元帥〉にも〈一家でテニスに興じるマイホームパパ〉にもなりうる天皇制の本質でもある。かつてロラン・バルトは天皇制を〈空虚な中心〉と呼び、柄谷行人は〈ゼロ記号〉にたとえた。そして天皇制は〈ゼロ〉であるがゆえにしぶとく生き永らえ、しかも時の権力の有効なイデオロギー装置となってきたのである。
問題は、大嘗祭に宗教色があるかないか(あるにきまってる)、内廷費か宮廷費か(どちらも国民の税金なのだ)ではない。この恐るべき〈ゼロ〉に我々がどう対処していくかの主体性こそが問われているのである。
(註: ゼロならば本当にゼロにしてほしいものです。天皇制を今すぐ廃止してください。それこそが今の日本にとって最も必要な政策であると私は考えます。)
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折口氏の学説が本当であるということは、このブログの読者の方ならばすぐにお分かりいただけることと思います。
何せ、「チベット仏教」や「密教」で行われる儀式と、この「大嘗祭」で行われる儀式はとてもよく似ています。
なぜ似ているのかというと、これらの宗教がどれも悪魔崇拝だからです。悪魔崇拝という同じ一つのカルトが、「チベット仏教」「密教」「神道」という別々の仮面をかぶっているに過ぎないのです。
で、「チベット仏教」や「密教」では、こういった儀式を本当に行っているわけですから、「天皇」もまたこのような儀式を行っていたとしても何ら不思議ではありません。
また、「現天皇」が「先帝(前の天皇)」のミイラと一緒に寝るという儀式も、あり得ないことではありません。なぜなら悪魔教である「密教」とミイラとは切っても切り離せない関係にあるからです。
実は「密教」にはミイラ仏(即身仏)というものがあります。
ミイラ仏とは、断食しながら死ぬまでお経を唱えつづけてミイラとなった僧侶たちのことで、そのミイラを仏として奉っている寺院がこの日本には各地にあります。以下がそのミイラ仏の数々です。
○知られざる日本のミイラ信仰…永き苦行の末の『即身仏』という驚異 – NAVER まとめ
この僧侶たちはミイラになるために、自ら「漆(うるし)」を飲みながらお経を唱え、自分の体を防腐処理していたそうです。
「漆」は毒物なので、これは完全な自殺行為にあたるわけですが、そんな悪魔的な所業を「密教」では尊い行いと見なされていたわけです。本当に「密教」はどこからどこまでも悪魔的です。
しかも、こんなただの骸骨を神のように崇めるわけですから、まさに狂気の沙汰としか言いようがありません。
このように悪魔崇拝者たちはミイラを神のように崇めるところがあるので、同じ悪魔崇拝者である「天皇」が「先帝(前の天皇)」のミイラと一緒に寝る、という儀式を行っていたとしても何ら不思議ではないのです。
しかし、こんな気違い沙汰を行う「天皇」が、かつての日本では神のように崇められていたわけですし、今でも「日本会議」や「神社本庁」といった極右団体が、この「天皇」を再び神として担ぎ上げようとしています。本当にあり得ないことです。
○日本の裏社会のエージェントが目指す道はただ一つ。国家神道の復活です。
我々庶民としては、「天皇」が日本(ひいては世界)の頂点に立っていてほしくはありませんので、彼らのそんな下らない計画がいち早く頓挫することを願うばかりです。
@joe
Posted at 00:45h, 07 4月RAPT様
記事の更新、ご苦労様です。
実は、わたしの祖父が折口信夫の弟子だったので
ちょっとびっくりしました。
さて文中、RAPTさんが
>(註: この古代オリエントで行われた儀式のことを「悪魔崇拝」と呼びます。)
と書かれておられますが、こんなサイトを見つけましたので
貼らせて頂きます。
http://kurodakango.web.fc2.com/02.html
>三笠宮殿下は「皇室の祖先はオリエ ントにある」と考えて
と考えておられるということですから、そういうことなのでしょうね。
失礼いたしました。
アモリフェラ
Posted at 09:42h, 07 4月お疲れ様です。「やっぱりね」という感想でした。学研 Books Esoterica 『神道の本』 に(P.144)「大嘗祭の謎」という項目があります。 そこ、ちょっと引用します。
…大嘗祭は、内容的には前儀、本儀、後儀と分けられる。その中で本儀は大嘗祭の悠紀殿、主基殿で天皇みずからがとり行う神事で、神饌を捧げ、ともに食し、その間に天皇の礼拝、御告文などの奏上などがある。ところが、公式の記録のほとんどが、天皇の所作について、なぜか避けるかのように詳しく触れていない。
…折口の考えはこうだ。…真床追衾とは、物忌みの最中に外の光を避けるためにかぶるものであり、それを取り除いたときに、完全な天皇となる。つまり、忌み籠る日嗣の皇子に天皇霊が入って、完全な天皇となる。肉体には生死があるが、この肉体を充足する魂は常に不変不滅の存在であり、たとえ肉体は変わっても、この魂が入るとまた同一の天皇となる。天皇霊はただ一つであり、それを持つ者が日の御子、すなわち天皇であると考えたのだ。(引用終わります。)
要するに、八重畳=真床追衾というのは、せまい部屋で、亡くなった先の天皇の魂を受け継ぐ儀式をやることですが、内容は秘密なのだと。その儀式では采女(うぬめ)の献上など性的行為なんかもやるらしいことが書かれています。それにしても、あの無責任男の「昭和天皇」の魂をそっくりそのまま受け継いだ人物(神?)が、今上天皇なわけで…。おんなじ魂なら、きっとまたおんなじ事をやるに違いないと思うのは私だけでしょうか。ヤバイです。
「真床追衾」という四文字熟語、同じ布団で寝るとでもいう意味なのでしょうか?同じ布団で寝ると、魂が転移して「完全な天皇となる」というのも気味悪いですね。戦争狂で守銭奴だった昭和天皇と同一の魂ですよ、また同じことを繰り返さないでほしいですね!!
戦争だけは阻止せねば、と思うこのごろです。upありがとうございます。
ショコラ
Posted at 11:39h, 07 4月今回はコメント少ないですね。
ということでちょっと長めですが失礼します。
上の記事でちょっと気になったのが、私が住んでいる秋田がその大嘗祭りの悠紀というのに選ばれていたことです。
あと風説とはいえ、稲穂に天皇が精液を・・・というのは、このブログで知った密教の儀式以来の衝撃です。
秋田では夏に竿灯祭りという稲の豊作を祈ったお祭りがあり、今年は東北六魂祭という、東北6県のお祭りを一堂に開催するお祭りが秋田であります。(5月30日・31日)
震災後からはじまったお祭りのようですが、私としては、このお祭りが被災者の方たちのためになるとはあまり思えません。
しかも去年は山形、今年は秋田と、被災地ではない場所での開催。
それから、去年は国民文化祭というのが秋田で行われ、皇太子も来県していました。
知事に、22年前の減塩運動のことを聞いたとの一場面があったとのニュースがありました。
秋田は、癌がもっとも多い県ということで、減塩が盛んに叫ばれてきました。
これが平成の初めの頃です。
で、みなさんの今の秋田のイメージはどうでしょうか?
そうです。自殺率ワースト1の県です。
減塩をしすぎるとどうなるかは、ネットで調べればすぐに出てきます。
簡単に言うと、やる気が湧いてこなくなり「うつ」になるのです。
ですから秋田ではうつ患者が異常に多く、そこから自殺につながっているのです。
県民性でしょうか、ほとんどの中高年の方は真剣に減塩をしています。
だから、この皇太子の質問は、なんとなく悪魔の質問のように聞こえてくるわけです。
どっちにしても「がん」か「うつ」になるシステムですから。
あと余談ですが、ずっと前に県の職員が知事の代わりに天皇に宛てたお手紙(国体か何かのとき)の中で「悪天候」と打とうとして、間違って「悪天皇」と打ってしまい、上司のチェックもないまま出したそうで処分されていました。
その職員は確信犯だったのでは?と今となっては思ってしまいます(笑)。
五輪の書
Posted at 12:08h, 07 4月近代の天皇の血筋とあり方を精査すればなぜ右翼等がマンセイするのかわかりますよね。敬称が必要なのでしょうか。全て繋がっているのです。一方向からだけでは理解出来ないですね。政治も経済も医療も宗教もすべて俯瞰して見ることですね。目を瞑って象をいろんな人が一箇所触っているようなもんです。
yum
Posted at 13:46h, 07 4月おかげさまで、繋がりというものが色々見えて来ている今日この頃です。
そして、ミイラと言えば。
子どもの頃、母親がいとこと私を連れて、上野にある国立博物館でやっていたエジプト展(?)に連れて行ってくれた事がありました。
その時は突然行こうと思ったらしく、時間が遅くなり、観ている途中で閉館の時間が来てしまいました。
ちょうどガラス張りの箱の中の横たわっているミイラの前で、館内の証明が突然落とされたので、今もその時の事が印象深く、そこだけ憶えているぐらいです。
当時は自から興味を持っていた事ではなかったですし。
まだ人も他にもいたりで、もちろん真っ暗になってしまった訳ではなかったのですが、
そんな事から「ちょうどミイラの前でねー。」と思い出話になってしまいました。
ミイラなんて不気味であまり見たくなかったから、帰ることになってちょうど良かったのですが。
ー個人的な話を長々とすみません・・・。
即身成仏された方のミイラを見て、エジプト展のミイラと重なってしまいました。
やはり不気味ですね。こんなお寺には正直行きたくないです。個人的には。
最近は、他のお寺に行くのもどうかなと。
お正月に都内のお寺での祈祷に、たまたま時間があったので参加していただいた御札。
この頃はどうしようかと。お返しに行こうと考えているぐらいです。
その宗派を考えてしまったことからなのですが。
色々と知る事は神社仏閣には営業妨害になってしまうでしょうが、
だからと言って、そのままいつまでもこの時代、同じ自分ではありません。
考えているから、こちらのブログにも出合えましたし。
それがこの時代です。
また、以前動画でフルフォード氏が、「日本はイスラエルからの影響がある」という話に「いや、むしろエジプトからの影響の方が多いと聞いている」と言っていた場面があったのですが、どなたから聞いたのかは知りませんが、やっぱり日本ということから、天皇家もそっちの流れからの諸々の儀式がある所とー。
今回の記事を読みながら、神道とはそういう世界なのだと あらためて思わされました。
そして、大嘗祭で調べていると、飛鳥昭雄氏の話なども出て来たのですが、飛鳥氏はアマテラス、イコールイエス・キリストという見解をお持ちのようですね。
自分には、そこがそうじゃないと思えるから、その説を受け入れるものでありませんが、
大嘗祭の最奥義について、 「イエス・キリストの死と復活を自らなぞることにより、人間としての皇太子は死に、天皇として復活する。これが最奥義である。」と色々語った最後に主張されていました。(るいネットより)
でも、それなら、アマテラス イコール ルシファーが、イエス・キリストにすり替わっている話としか思えません。
いずれにしろ、大嘗祭というのはやはり何かよく分からない行事ですね。
ネメシス
Posted at 00:57h, 09 4月ショコラさんの「今回はコメント少ないですね」を受けて。
というか、今回のこの記事に於ける記述は決定的というか、
ぐうの音も出ないというのが本当の所ではないでしょうか。
こういったオカルトの分野にはまったく疎い僕のようなド素人ですら、
「こりゃ、『悪魔崇拝』の儀式、そのものじゃん!(笑)」と
一瞬にして納得出来る内容ですもん。
ラプトさんも仰る様に、今までこのブログ内で明らかにされてきた
チベット仏教の教義やら、密教の灌頂における儀式との共通点が
素人目にも明らかです。
今まで、別に半信半疑という訳ではないのですが、
ここのブログ記事を読みながら一方では圧倒されつつも、
もう片方では今までの感情に後ろ髪を引かれる思いも
正直、少なからずはあったのですが、
今回の、この儀式についての記述を読み、吹っ切れました。
今までは知り合いなどと皇室関係の話題を話すときも、
ごく自然と「敬語」を使ってきたのですが、
(これは対話の相手の感情にも気を使ってということもありますが)
この記事を読んだ後では、正直、
「こんな連中に何でわざわざ『敬語』を使わなければならんの?」とすら
思い始めてしまった自分が居ます。
ショコラ
Posted at 12:07h, 09 4月ネメシスさん
同感です。
話が世界や宇宙規模のことになると、どうしても現実味が薄れてきますが、
このように本当に身近なところで悪魔崇拝的なことが行われていると現実味が湧いてきますね。
なので、私も身近で感じたことで何か気づきがあれば、ある程度精査してコメントしていきたいと思います。
縄文人救済委員会
Posted at 21:01h, 26 11月最近発売された以下の本に、古代の洞窟で太鼓などを叩き、暗闇の状態も利用して、人をトランス状態にさせる儀式?が行われていたと書かれています。
そして、このトランス状態になると、いくつかの原始的な幾何学的模様が視覚できるそうです。その模様の種類の中には、うずまき、格子(おそらく十字)が含まれています。太陽崇拝(悪魔崇拝)はここから来てるとすれば、この宗教の起源はもはや人類が文字を発明した時期からある、と言えるかもしれません。
またこの本には他に、古代のシャーマンが頭がくっ付いたままの動物の毛皮を身にまとっていた、とも書かれています。これは人と獣の合体=5+6=11なのでしょうか?
最古の文字なのか? 氷河期の洞窟に残された32の記号の謎を解く | ジェネビーブ ボン・ペッツィンガー, Genevieve von Petzinger, 櫻井 祐子 |本 | 通販 | Amazon
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