RAPT | 〈閲覧注意〉チベットは悪魔崇拝の聖地です。
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〈閲覧注意〉チベットは悪魔崇拝の聖地です。

〈閲覧注意〉チベットは悪魔崇拝の聖地です。

20080322222201
 
〈閲覧注意〉今回の記事は「悪魔崇拝」の真の実態に迫るものであり、余りにもグロテスクかつ醜悪な内容が含まれています。 
 
これまでの私の記事も、かなり衝撃的な内容のものが含まれていて、人によっては強いショックを受けてきたかと思いますが、今回の記事はその中でも群を抜いています。人によっては余りのショックに、頭がおかしくなってしまうかも知れません。
 
気の弱い方、心臓の弱い方の閲覧はお控え下さい。
 
----------------
 
今回の記事は悪魔崇拝の本質に迫るものであり、今回の記事によって、悪魔崇拝というものが全世界でいかに当たり前のように行われているかをはっきりと立証するものでもあります。
 
恐らく私のブログを長く読んでこられた方は、きちんと良識と良心を持って生きてこられた方が大半だろうと思いますが、そのような生き方をしてきたがために、この世の中を生きるのが困難で、窮屈で、ときに大きな圧迫感を受けてこられたのではないかと思います。
 
しかし、今日の記事を読めば、その困難、窮屈さ、圧迫感がどこから来ているのか、はっきりと理解できることでしょう。
 
ここ数日にかけて、このブログでは日本とナチスドイツとチベットの関わりについて話をしてきました。一応、ここにその記事の一覧を貼り付けておきます。
 
ヒトラーとオカルトの関係について。またはヒトラーの背後で見え隠れする「天皇派」の影。
 
ナチスドイツが戦争に負けた真のカラクリ。またはヒトラーを操った「緑龍会」について。
 
ナチスとチベットと緑龍会との関係について。そこには地底都市シャンバラの存在がありました。
 
天皇中心のNWO計画とは、地底都市アガルタを地上に再現するための計画に他なりません。
 
地底都市アガルタ (シャンバラ) が真の地獄であるという幾つもの証拠。
 
一応、これまでの記事の流れを簡単に説明すると、
 
緑龍会 → 世界紅卍字会 → 大本教 → ナチスドイツ → チベット → チベット仏教 → シャンバラ(アガルタ)
 
ということになります。彼らはみな裏で一つにつながっていて、今でも日本のエリートたちはチベット仏教で理想郷とされている地底都市「シャンバラ」をこの地上にも再現しようとしている、そしてその「シャンバラ」は紛れもなく真の地獄であるというお話をしました。
 
今日はその続きになりますが、今日の記事によって、チベット仏教が悪魔教に他ならず、いかに危険な宗教であるかが嫌になるほどお分かりいただけるかと思います。
 
現在、チベットで最も主流となっているのはチベット仏教の中でも「ゲルク派」と呼ばれる宗派です。チベット仏教は宗派によって、それぞれ教典(タントラ)が違っていますが、この「ゲルク派」は「秘密集会タントラ」という教典を使っているようです。(詳しくはこちらを参照ください。)
 
15.46.49
 
では、この「秘密集会タントラ」がどんなものなのかを、以下のウィキペディアの記事から詳しく見ていきましょう。
 
秘密集会タントラ – Wikipedia
 
なお、今回、私がこうしてこのウィキペディアの記事を使うことにより、裏社会の面々がこのウィキペディアの記事を削除、または改ざんしてしまう恐れがあります。
 
そのため、念のため、私はこの記事をPDF形式に保存しておきました。もし今後、私がここに転載したものと、元記事の内容が違うということがありましたら、そのときはウィキペディアの内容が改ざんされたものと考えてください。一応、私が保存したPDF版の記事は以下のリンクでご覧いただけます。
 
秘密集会タントラ – Wikipedia
 
先ずウィキペディアの記事によると、「秘密集会タントラ」は『一切の如来・菩薩が会する場で「秘密にされてきた真理の集成」が説かれるという体裁を採っている』とあります。(「内容」のところに書かれてあります。)
 
つまり、「如来」とか「菩薩」と呼ばれるものが集まって、これまで秘密にしてきた真理をすべて解き明かすような形式で書かれてあるということです。
 
そして、その教典の特徴として、先ずこんな説明がされています。
 
----------------(転載ここから)
 
内容を特徴付ける主な言葉・概念を挙げると、以下のようなものがある。
「五欲徳」(色・声・香・味・触)
「五肉」(人肉・牛肉・犬肉・象肉・馬肉)
「五甘露」(糞・尿・精液・経血・肉体)
「大印」(女性パートナー)
 
こういった従来の顕教、あるいは世俗の社会倫理では忌避されてきたものを、真理の反映の過程として取り上げ、三昧の上においてはむしろ徹底的に享受・摂取することが、(その優越性・究極性を強調されつつ、)全面的に象徴化がなされ、それを肯定し推奨されて、現実の如く具体的に観想することが必要とされる。
 
ちなみに、「大印」(女性パートナー)は、言うまでもなく、「愛欲」(性理的瑜伽、二根交会)の象徴として文中に現れるが、その尊様の指定は、
十二歳の乙女(第七分、第十五分)
十六歳の乙女(第四分、第七分、第十六分)
二十五歳の乙女(第八分)
といった具合にバラつきがある。
 
----------------(転載ここまで)
 
チベット仏教のことをごく普通の仏教だと思っていた人は、この部分を読んでも意味が分からないでしょう。正直なところ、私もよく分かりませんでした。常識を疑うような内容だからです。
 
これは間違いなく仏教ではありません。まさしく「悪魔崇拝」そのものです。
 
この「秘密集会タントラ」の解説書がアマゾンに売っていますが、そのレビューにこの「秘密集会タントラ」のおおよその解説が書かれたレビューがありました。
 
秘密集会タントラ和訳
 
このレビューで、おおよそこの「秘密集会タントラ」の意図するところが分かります。
 
----------------(転載ここから)
 
五戒の破壊、宗教の規定した善悪の破壊、つまり″一切清浄″が明記された最初の経典である。
 
仏教、儒教、キリスト経などの宗教が善悪を規定しなくてはならない背景、それが成立する時代には、絶対権力者による無秩序な残忍な処刑の横行があり、それにより民衆の反発を受けて権力者自体も殺されるという悪循環があった。
 
そして″五戒″(殺さない、姦通しない、盗まない、嘘をつかない、酒を飲まない)を守る事は、程よく国を納める事や民の平安を築くために必要であった。
 
そもそも″仏陀の悟り″とは、一切平等と縁起であり、人間が地球の循環(食事と排泄、呼吸)が生きる目的であり、地球循環を支える他の生物と変わらない、そして人間がいなくても変わりがいる存在、『万人万物の働きは、平等で地球循環を支えるために生きている』という″気づき″である。これは、地球が惑星である事も明らかでない時代には画期的な発見で、誰もが理解できる時代ではなかった。
 
秘密集会タントラは、仏教成立から千年以上経過して成立した。成立時期とは、時代背景も価値観も全く変わった。
 
すると今度は、″五戒″を基礎とし、様々な戒律が規定され、宗教的な善悪がはっきりとした反面、善悪が固定概念を産み、″善人″と″悪人″という差別を産み、″一切平等″という″悟り″から離れてしまう事になった。
 
新しい時代の″悟り″のために″宗教的な善悪を破壊する目的で″秘密集会タントラ″は成立する。
 
そして、″悟り″のための手段が″五甘露(人糞、人尿、精液、経血、人肉)を食す事″である。これは、錬金術とも共通する部分で、賢者の石は人糞の塩と人尿の塩で精製できるとされている。
 
″五甘露を食す″事は、人間の本能による最大の嫌悪であり、最大のタブーである。その行為は、根強く意識に埋め込まれた宗教的善悪の固定観念すらもいとも簡単に破壊してしまう。
 
これの経典は、密教の入り口にしか過ぎない。何故なら、自然には善悪は存在しない。つまり、″五戒″は本能ではなく、単なる刷り込みに過ぎない。自然の善悪感は、″欲″と″畏怖″である。
 
本能としての善悪の破壊こそ、次なるステージである。それが母タントラ経典へと続く。本能を破壊する事は無限の創造を可能にする。神を超えるとでもいおうか。
 
東洋では、時輪タントラ成立を最後に密教は滅びる。しかし、西洋でタントラは錬金術から科学へと発展し、現在に至る。
 
西洋のタントラは、医療に集約され、それは神を超える思想を受け継ぐ。つまり、不老不死を実現させようと日々進歩している。
 
----------------(転載ここまで)
 
一言で言えば、これまでの善悪の観念を壊すために、徹底的に「悪」を行って悟りを開きましょう、というわけです。
 
で、本能的欲求をむさぼり、「糞・尿・精液・経血・肉体」を飲食し、さらには十二歳と十六歳と二十五歳の女性とセックスをしなさい、というわけです。
 
ローマ法王やエリザベス女王もまさにこのような気違い沙汰を行って逮捕され、裁判にかけられたわけですが、まさにそれを地で行くような教理になっています。
 
現ローマ法王フランシスコに幼児虐待および人身売買のかどで有罪判決。
 
で、このようなチベット仏教の内容が知られて、バッシングされることを恐れてか、これらの教えは実際に行われているわけではなく、あくまで「想念」上で実践しているだけと、あれこれ言い訳がましく書かれた記事がネットには見受けられます。
 
しかし、もちろんそれらの記事はすぺて嘘でしょうね。というのも、「タントラ」の中には、
 
「あらゆる肉が手に入らねば、あらゆる肉を観想によって生ずべし。」
 
と書かれてあるからです。つまり、「実際の肉が手に入らない場合のみ、想像で行いなさい」というわけです。ですから、彼らが実際にこれらのことを実践していることは疑うまでもない事実なのです。
 
さらにこの「タントラ」には以下のようなとんでもないことが書かれてあります。
 
----------------(転載ここから)
 
貪・瞋・痴に満ちた行者は、無上なる最高の乗において、(「転識得智」によって三つの根本煩悩さえも仏の智慧に変じて)最勝の悉地を成就する
 
旃陀羅・笛作り等や、殺生の利益をひたすら考えている者たちは、無上なる大乗の中でも、最上の乗において成就をなしとげる
 
無間業(地獄に堕ちる悪行)、大罪を犯した者さえもまた、大乗の大海の中でも優れたこの仏乗において成就する
 
殺生を生業とする人たち、好んで嘘を言う人たち、他人の財物に執着する人たち、常に愛欲に溺れる人たちは、本当のところ、成就にふさわしい人たちである
 
母・妹・娘に愛欲をおこす行者は、大乗の中でも最上なる法の中で、広大な悉地を得る
 
これらは清浄な法性であり、諸仏の心髄中の心髄である法の義から生じたものであり、とりもなおさず菩薩行の句である
 
----------------(転載ここまで)
 
要するに、人がどんなに悪事を行っても、というか、悪事を行えば行うほど、素晴らしい極楽浄土に行くことができる、というわけです。
 
まあ、彼らが言うところの極楽浄土とは「地獄」のことですから、真実といえば真実ではありますが……。こんなことばかりしていたら、間違いなく極上の「地獄」に行けるでしょうから。
 
さらには……。
 
----------------(転載ここから)
 
仏曼荼羅と阿閦金剛を観想し、一切の衆生を殺す
 
輪曼荼羅と毘盧遮那・一切諸仏を観想し、一切の財物を奪う
 
蓮華曼荼羅と無量光・一切諸仏を観想し、一切の妃を瑜伽(ニ根交会)で享受する
 
仏曼荼羅と不空金剛・一切諸仏を観想し、一切の勝者(の拠り所となるもの)を欺く
 
三昧耶曼荼羅と宝幢を観想し、粗暴な言葉を使う
 
----------------(転載ここまで)
 
人を殺し、人から物を奪い、セックスをし、人を騙し、誹謗中傷する。こういった行いが推奨されているわけですね。
 
さらにはこんなことまで書かれてあります。
 
----------------(転載ここから)
 
チベット密教の灌頂(かんじょう)には、以下の4つがある。
 
瓶灌頂(びょうかんじょう) – 日本の真言密教と類似のもの。守護尊を決める「投華得仏」と、金剛杵・金剛鈴・金剛名授与など。
 
秘密灌頂(ひみつかんじょう) – 師に「大印」(女性パートナー(主に美しい十六歳の処女))を捧げ、両者の「性的ヨーガ」によって生じた精液・愛液混合物を、自身(弟子)の口内に「菩提心」として投入する。
 
般若智灌頂(はんにゃちかんじょう) – 自身(弟子)が「大印」(女性パートナー)と「性的ヨーガ」を行う。(体内に投入された「菩提心」の放出と看做される)射精は禁じられ、「菩提心」を身体の各チャクラに適宜とどめて、歓喜を味わう。
 
語灌頂 (ごかんじょう) - 「言葉の潅頂」、または「記号の潅頂」とも訳される。師僧が儀式の中で弟子に象徴性そのものを直接与える。
 
(※「大印」(女性パートナー)については、インド及び初期のチベットにおいては実際に性行為が行われていたらしいが、ツォンカパ以降のゲルク派では、「性欲を完全に克服できる段階に達しているなら、実際の女性を相手に実践して構わないが、そうでないなら、あくまでも観想でのみに留めるべきであり、その原則を侵すなら、堕地獄の苦行が待っている」という扱いだという。)
 
なお、「生起次第」に進むには、1の灌頂が必須とされ、「究竟次第」に進んだり、密教指導者になるためには、2~4の灌頂が必須とされる。
 
----------------(転載ここまで)
 
気が狂っているとしか思えません。
 
指導者に美しい16歳の処女を捧げてセックスをさせ、その指導者の精液と女性の愛液を「菩提心」として飲む……。
 
女性とセックスして、射精せずに歓喜を味わう……。
 
指導者が弟子に「象徴性」を与える、つまりは性交する……。
 
とにかく宗教の教典とは思えないような非常識なことばかり書かれてあります。
 
で、こういった行為も「性欲を完全に克服できる段階に達していない」人は、すべて想念でのみ行わなければならないし、そうしないと地獄に堕ちると書かれてあるわけですが、「性欲を完全に克服できる段階に達している」人はこれらのことを実際に行うべし、というわけです。
 
で、もちろん、指導者はすでにその境地に達している(ということになっている)ので、これらのことを実際に行っているわけでしょう。そうやって快楽の限りを貪るわけです。まさに悪魔そのものです。
 
実際にオウム真理教の麻原彰晃は何人ものを女性を自分のまわりにはべらせていたとして大きな問題になりました。(オウム真理教は、チベット密教の「左道」と呼ばれるものです。)
 
ウィキペディアにはこの他にも色々なことが書かれてありますが、もうこれで十分でしょう。これ以上、書かなくても、このチベット仏教の「ゲルク派」がいかに気の狂った宗教であるかが分かったはずです。
 
で、このチベット密教を日本に伝えたのが「空海」や「最澄」なのですが、日本ではこの「密教」の本質についてほとんど語られることがなく、ひた隠しにされてきました。今でもひた隠しにされています。
 
「空海」や「最澄」が伝えたのは我々が考えるような「善良」な宗教ではありません。単なる「悪魔教」です。
 
一応、「空海」の場合は、ボランティアなどの慈善事業にもかなり力を入れたため、民衆から多大な支持を受けましたが、これもまた逆から言うと、悪魔崇拝者とそっくり瓜二つです。
 
彼らはいつも表向きは慈善事業を行って民衆からの支持をとりつけ、その実、陰ではこっそりと悪事の限りを尽くしてきましたから。
 
もっとも、現代ではもう既に「密教」は衰退していて、日本人は誰もこんな教義は実践していないということになっていますが、このブログの読者の皆さんならそれが嘘であることがお分かりいただけるかと思います。
 
ただし、かつての天皇家がこのチベット密教を行って、悪事の限りを尽くしていた、という記事はいくつか見付かりました。
 
----------------(以下、空海のタントラ「仏教」とチベットより転載)
 
○第1に、チベット密教には様々な派が有ること。その中でダライ・ラマの属するゲルク派はまともな方だと言われている。(註:これでもまともだと言うのなら、他の宗派はどんなにひどいのでしょうか。)
 
つまりこの派は、密教修業の前に顕教の修行をみっちりと行う。相当な人格が出来てから性的ヨーガを行うので、性欲は既に克服した僧が多いと言われている(本当?)。
 
○第2に、日本真言宗でチベット密教張りの性的ヨーガを行い、SEXと殺人を大々的に行った「立川流」と言う派は、正統的なものとしては既に消滅していることだ。時々、「オウム真理教」のような派が発生するが、それは飽く迄も傍流である。
 
「立川流」とは:
現在の東京都立川市と関係が有る。左大臣の源俊房の子であり、堀河天皇の生母(白河天皇の中宮の賢子)の従兄弟であった仁寛阿闍梨(生年不詳-1114;「阿闍梨」は真言僧の最高位;後三条天皇の皇子の輔仁親王の護持僧でもあった)は、無実の罪を着せられて永久元年(1113年)、静岡県伊豆に流された。
 
ここで立川市出身の陰陽師と出会い、真言宗「立川流」を創始したと言われている。
 
これを大成したとされるのが、「建武の中興」で有名な後醍醐天皇の側近中の側近であった文観(もんかん;1278-1357)である。文観は「立川流」の奥義を後醍醐天皇にも伝えたとされる。
 
つまり、後醍醐天皇自身が、「立川流」真言密教の行者であった。彼等タントラの行者の行った「建武の中興」とその後の約50年間の「南北朝動乱」がどれ程無意味な戦乱で日本国民を苦しめたかを考えれば、タントラの恐ろしさは身にしみる。
 
大変申し訳ないことだが、後醍醐天皇は日本国史上最悪の「悪王」である。彼らの行なったことは、存在意義を失った古代貴族の世に時代を逆行させるため、自分達の贅沢三昧を復活させるため、無意味に武士同士を戦わせたことだけだ(「太平記」参照)。
 
つまり、後醍醐天皇や文観は室町幕府によって敗北させられた。だから「立川流」は滅びたのだ。彼らが勝っていたら、日本真言宗はチベット密教と完全に同一になっていただろう。「立川流」が敗北したためその後、真言宗の主流は常に、自分達と「立川流」の違いを際立たせなければならなかった。サバイバルの道がそれしかなかったのである。
 
一方、チベットでは「無上ヨーガ・タントラ」勢力が武力抗争を勝ち抜いた。だから、その後の歴史の進行がストップしてしまい、何の進歩もない・凍りついたような中世社会が数百年に渡り持続することになったのだ。
 
----------------(転載ここまで)
 
この記事を書いた人は、日本からチベット密教ばりの危険な宗教がなくなった、だから日本はこうして栄えるようになったと考えているようです。
 
そして、チベットではこのような危険な宗教がずっと続いてきたため、何の進歩もない時代が何百年も続いたと、締めくくっています。
 
しかし、それは大きな間違いでしょう。確かにこの日本の中では「密教」の力は低下しましたが、「密教」だけが「悪魔教」ではありません。
 
誰かさんは「古代から天皇陛下と民が心を一つにして暮らしてきた」というデタラメをネット上で言いふらし、それに同意しない人のことを「頭がおかしい人」と言ってけなしていますが、まさに愚の骨頂です。(詳しくはこちら
 
天皇の仕事は「お祈り」することだそうですが、一体どんなお祈りをされているのでしょうか。テレビで見るような退屈なお祈りをいつもされているのでしょうか。
 
それとも……。
 
とにかく、チベット密教とは悪魔崇拝そのものであることが分かりました。
 
こんな宗教を美徳だと思って生きていたら、まともな人間にはなれません。まともな善悪の判断もできなくなり、むしろ善良に生きている人のことを見下すようにさえなるでしょう。
 
しかも、彼らは自ら悪を行いながら善を行っていると思い、自分が死んだ後、極楽浄土に行けると信じているわけですから、良心の呵責すら感じなくなり、我が物顔でこの世を生きるようになるでしょう。
 
彼らが異様にプライドが高く、自信に満ちあふれているように見えるのは、こういった気違いじみたカルトを信仰しているから、ということがこれでよく分かりましたね。
 
我々はこんなカルト信仰者たちの支配からいち早く脱し、まともで善良な人々がこの世を統治する仕組みを作っていかなければなりません。
 
そのためにも、我々庶民がいつも本物の善を行い、本物の祈りをし、本物の知恵を出し合っていくべきでしょう。
 

17 Comments
  • レイズナー
    Posted at 20:40h, 04 3月

    RAPTさん、私のブログへのコメントありがとうございました。例の記事は削除しました。
    悪魔崇拝の事実を知らせるためには、必要かなと思って書いたのですが、自分で書いてても気持ち悪かったので、コメント頂き即削除しました。

    それにしても、やっぱり仏教も悪魔崇拝なんですね。
    いろいろと分かってくると、神や仏が賽銭箱を置いているっておかしいですもんね。物欲にまみれているのはそもそも悪魔ですね。
    それに真言密教って、直感的に気持ち悪いですよ。
    でもこれから、お葬式に参列するのがますます嫌になりますねー。

  • rapt
    Posted at 20:47h, 04 3月

    >レイズナーさん。
    ご理解いただきありがとうございました。

  • ユンダンテ
    Posted at 21:25h, 04 3月

    国語の教師も天皇は神様にずっと祈っていて素晴らしいと言っていました。もう50代の教師ですので、洗脳されていてもおかしくないですね。そのときに、 いやいや、神様ではなくルシファーですよ。なんて言えばキチガイ扱いされるので言えませんが、学校でも生徒を洗脳しているようなものです。間違った歴史を学び、国語の教科書には哲学をのせ、偽りの地球を教わる。非常に厳しい高校に入学するので勉強はさせられますけどね。

  • アモリフェラ
    Posted at 21:28h, 04 3月

    え~っ!!最澄や空海って、こんな「悪魔教」を伝道していたわけなのですか??何十年もだまされ続けていました!!これは~っ、悪魔教そのものです。さらに後醍醐天皇も「立川流」なる悪魔教を信仰していたわけですね。気色悪い、頭狂ってます!!
    ちなみに、こちらのブログを御覧下さい。下の方にスクロールすると、天皇家のお子様お三方の顔写真が掲載されています。。
    『社会科学者の随想 明治以降、天皇家の万世一系のからくり』
    http://blog.livedoor.jp/bbgmgt/archives/1016329720.html
    同じ両親から生まれて、体格も顔もまるで違うこの兄弟に、ブログ主は首を捻っておられます。
    親戚にもし、こんな家族がいたら…よってたかって、DNA検査受けろ!と忠告するでしょうね。赤ん坊の取り違えを疑うでしょう。
    この事実も、「悪魔教」の存在を暗示しているのかもしれません。闇が深い気がしました。ブログUPありがとうございます。

  • かに
    Posted at 21:30h, 04 3月

    こんにちはいつも楽しく読ませてもらっていますかにです。
    チベットが悪魔の国だったというのはおそらく間違いではないでしょうね。
    中国が侵攻してくるまで、チベットの多くの人々は奴隷でした。
    家畜のように繋がれ、わずかな食事で重労働を課せられ、逆らうものは体の一部を切り落とされたり、
    目玉をくりぬかれたりしていたようです。正に悪魔の所業です。
    ↓の動画は1950頃のチベットの奴隷を撮影したものです(微妙にグロいので注意)
    https://www.youtube.com/watch?v=QJY1eK9jQ28
    こういう奴隷たちにとっては人民解放軍の侵攻は文字通り解放だったでしょうね。
    太陽派である中国の侵攻があったということはチベットは元々月派の拠点だったということでしょうかね。

  • yoshi yamaguchi
    Posted at 22:14h, 04 3月

    こんばんは、ブッタの悟りの時に悪魔が誘惑する。
    聖書でもイエスに悪魔が、様々な誘惑をする。
    その誘惑に勝たないと悪魔の思うつぼ、
    もしくは悪魔に試されている。悪魔に打ち勝った時に天使が
    現れることから、神様が悪魔を使って我々を試しているのかもしれない。
    今回のチベット仏教のタントラは、悪魔の誘惑に負けた、僧などが作った
    悪魔の誘惑の儀式の1つなのではないかと思いました。

  • メガデス大好き
    Posted at 22:41h, 04 3月

    Yoshi yamaguchiさん、やっぱりブッダも悪魔の誘惑に邪魔されたんですね。

    raptさん、今日は本当に迷惑なことをして本当にすみませんでしたm(__)m

    今後は自分の癖であるむやみに質問するのをやめるようにします。

  • 上村
    Posted at 23:02h, 04 3月

    連日の更新有難うございます。
    昨日のURLのみのアップの件、大変失礼をしました。
    後程お詫びの追記をするつもりが調べ物をしていて失念をしてしまいました。
    コメントをお読みになっているみなさまに重ねてお詫びを申し上げます。
    このところは、某有名陰謀論者RK氏などのサイトを一切みなくなりました。
    このブログを毎日閲覧をしているためなのか、天皇派論者という事実が分かってしまったことはもちろん一番の大きな理由ですが、記事のレベルに大きな違いをまじまじと感じています。私のようなレベルの低い者でさえ、このブログと出会って気づきをしているにも関わらず、未だに多くの方々が支持をしているのかと思うとちょっと可愛そうな気分にまります。
    アメブロなどを含めてそのようなサイトが複数あるのが現実の私の状況です。
    今後、このブログがどのような展開をして行くのか非常に楽しみです。
    どうぞ、お身体にはくれぐれもご留意下さい。

  • @joe
    Posted at 23:07h, 04 3月

    rapt様
    いつも為になる記事をありがとうございます。
    さて、本日の記事の終盤に「立川派」ですが、本当に滅びたのかはよくわかりませんが
    とにかく現在は同じ立川に「真如苑」という寺?教団?があります。
    https://www.shinnyo-en.or.jp/
    相当大きな宗教法人です。そして中央線をまたいで逆側には
    「昭和天皇記念館」なるものがございますし、警視庁第八方面本部、
    赤十字血液センターあり、陸上・航空自衛隊あり、
    お隣国立市には、「日本イスラエル親善協会」あり
    http://japan-israel-friendship.or.jp/about/rule/
    メソニックセンター、などなど。

  • ぽんて
    Posted at 23:31h, 04 3月

    ある程度歳食ってから今までの常識を嘘と知ってしまうのはある意味つらいです。。 (´;ω;`)

    過去の自分が善と思っていたこと(ひと)を否定するってしんどいもんです。

    最近のチベットシリーズはちょっと読んだけでは理解できたいので何回か読み直そうと思います。

  • rapt
    Posted at 00:19h, 05 3月

    >@joeさん。
    立川という場所がそんなところだとは知りませんでした。
    やはり中央線はかなり危険な場所ですね。
    真如苑については以下のサイトが見付かりました。
    http://ocean24.blog136.fc2.com/?mode=m&no=313
     
    真如苑は立川流ほど危険ではないと言い訳がましく書いていますが、やはり何か関係がありそうですね。
    第一、性欲をどうして宗教がそこまで肯定するのか理解ができません。

  • yum
    Posted at 11:59h, 05 3月

    毎回貴重な記事をありがとうございます。
    ラマ僧が結婚前の女性と関係を持つという事は、どこかで読んだ事がありました。
    それで、ちょっと驚いたものです。でも、やっぱり本当の事だったようですね。
    砂?ででしたか。細かいマンダラの絵(図)を 何も見ないで描く姿をテレビで見た事がありました。
    修行の賜物ではあっても 天才的なその様子はやはり摩訶不思議でした・・・。
    そんな事から神秘的な宗教というイメージがありましたが、そんな神秘な世界の果てがシャンバラに通じる訳ですよね。
    個人的には、普通に身近にある自然に触れて穏やかに神のようなものを感じたり・・・がありますから、特にそんな漠然とした理想郷の世界に憧れなどないものでしたが。
    ・・・と言いますか。言葉は知っていても関心がなかったです。

    それにしても、地下にあるだけでも、地獄という感じがします。
    この「地獄」の語源がどこから来ているのか知りませんが。

    そう言えばリチャード・ギアはチベット仏教の信者でしたね。
    日本に来るとよく京都にも行っているようでしたが、ちょっと調べてみると、昔向こう(アメリカ)で座禅を日本人の師から教わっていたそうで・・・。
    チベット仏教に関しては、ダライ・ラマに弟子入りもしているようですが、その奥義のことなどどの程度知っているのでしょう。
    自身の事を、まだまだ・・・の身であるような発言をしているようで、純粋に学んでいるのでしょうが。
    ファンという訳ではありませんが、有名人ですし何だか気になってしまいました。
    また、幼い頃から僧侶としてそこで育つような人達にこそ、その奥義もあるのかと思いはしますが。

    私も今は、おとぎ話のようではなく、本当に地球の内部にそんな世界があるのだと思えています。
    そして、それは決して理想郷としてではなく。
    この力が地上に出て来て世界を統治しようと・・・という事ですよね。
    それが素晴らしいと思っている人たちがたくさんいたりもするのだと。
    しかし。そのための争い。もういい加減にして欲しいものです。

    それにしても、チベットの人たちと日本人は本当に容姿がよく似ていますね。
    それがちょっと不思議だったんですが、ルーツが同じだったりするんですね。きっと・・・。
    だからこそ、こういうことに気付く日本人も少なくないと思ったりもします。

  • miori
    Posted at 12:06h, 05 3月

    いつも読ませていただいています。書きたいことは山ほどありますが、仏教についてはここで一度ブッダの原点に帰れば良いと思います。本来の仏教では性欲は無駄なものでしかありません。仏教では他の宗教ほど肉体を否定しませんが、それは肉体を重んじているからではなく「たかだか肉体」だと思っているからです。しかし、性欲については本来、人類(に限らず)生殖目的にあるものでしかありません。性欲を満たすことに過剰な価値をおいているのは人間だけでしょう。なぜ、これほど性欲に価値を置くかと言えばブッダは弟子の質問にこう答えています「あれは五感を全て刺激するからねえ」と。つまり、あらゆる肉体的刺激の中でも最も刺激が強く、言い換えればそれに執着しやすいということです。真っ当な仏教を少しでも知っている方ならご存知と思いますが、仏教の真骨頂は執着を捨てて真の悟りを開くことです。なので今でもスリランカやタイにある上座部仏教では性欲を真っ先に捨てる修行をします。性欲を捨てれば他のいかなる欲からも離れることは容易になります。なので密教は本来の仏教ではありません。

    また、欲を肯定する宗教にハマる人は何だかんだいって自分の欲を肯定してほしいだけなのです。

    これは宗教とは別のカタチを取っていますが欧米に昔からある成功哲学もそうです。やや話は逸れますが「引き寄せの法則」なるものは別にウソではありません。引き寄せという現象自体は存在します。しかし、綺麗なことをいいながらこういった成功哲学は欲を満たすことを肯定します。ブッダが言うような執着から離れるような悟りへの道とは正反対です。こんなものにハマっていては本当の意味での幸せは得られませんよ。なにせ、欲には限度がありません。そして一生、一つの(あるいは複数の)師匠が必要になったり、そういった「グル」に貢いでいかないといけないのです。まさに悪魔のシステムです。生きている限り、多くの人は謙虚に他者から学ばないといけないと思っています。しかし、本当にそうでしょうか?他者から学ぶのは何か技術的なこと、即物的な方法論にほかなりません。私たちはもう大人です。「こうすれば幸せになれるよ」とか子供に対して言うような言葉を一切、よろしいでしょうか?一切、受け取る必要もないのです。何が自分を不幸にし、何が幸せにするかはもうとっくに分かっているはずです。なので私たちが知るべきなのは「事実」だけなのです。

    事実に基づけば私たちは大抵のことはもう、判断できるのですから。

  • toko.
    Posted at 12:33h, 05 3月

    いつもブログ拝見させて頂いてます。

    お役に立てるかわかりませんが、初めてのコメント失礼します!

    先月親戚の葬儀で立川市に行ってきました。
    線路のすぐ近くにお寺のようなものがあり(申如苑の?)ゴールドの丸い屋根?の上に細長いものが伸び不思議な感じを受けました。
    十年前従姉妹が駅で輝いてる方がみえるなぁと声をかけた方が申如苑の方で、従姉妹も入会しやっとのことで結婚できたそうです。
    何十年振りに会ったら叔父叔母、親戚一同が入会しており葬儀までそちら関係の方々でお願いしていて少しショックを受けました。
    十年前なのでうる覚えですが、申如苑で役職(今回の葬儀にみえてました)がある方とお話ししました。ある程度修行?をすると霊視ができるようになり、問題を解決できるとのことでした。
    因みに従姉妹は下水道のどこかが詰まってると言われそれをなおした後、出会いがあり結婚できたそうです。

    お寺にも何十年前に行きましたが、護摩木やら置いてありたくさんの人が参拝?されてて町全体が?と思ってしまったくらいです。

    何だか親戚が心配です。

  • toko.
    Posted at 13:35h, 05 3月

    訂正です!
    申如苑 → 真如苑

  • 楽器奏者
    Posted at 16:58h, 05 3月

    仏教を知っているので凄く解りやすい内容でした。
    MIORIさんのコメントに同感です。
    個人的な推測なのですが、釈迦の悟り・教えが本物であるが故に後世の悪魔崇拝者にとっては本物の仏教が邪魔なので、表面上は善で内容は欲望を煽る教えにすり替えたのではないかと読んでいます。
    釈迦の仏教は貪り・怒り・無知から離れる悟りを説いています。
    新興宗教までが釈迦を利用するのは単なる金儲けだけとは思えません。
    釈迦の本当の教えを破壊したいのだと思います。
    根本に御利益だとか損得勘定がある宗教は全て悪魔に繋がる教えと捉えるべきでしょう。
    宗教ばかりではなく、損や得で考える欲は悪魔と繋がる可能性があると思います。
    パワースポットなど、テレビで煽るのにも疑問を感じていました。

  • リラ
    Posted at 16:27h, 23 5月

    初めてコメント致します。
    衝撃的な記事の数々に、この年齢(49歳)にもなって目がさめるような思いがしています。

    神社の御神体のご縁日には、お供えものをして神楽を舞う、などという「伝統行事」も、もとをたどれば大陸から伝わった悪魔崇拝がベースになっているということ?と解釈できるのですね。
    何かしらの像を拝んで、供物を捧げるわけですから…
    ものすごい昔から日本人は「洗脳」されてきて、今後どうなってゆくのか、新たな視点を授かった気持ちでいます。

    常識、といわれ刷り込まれてきた観念は、結局は誰かの利益のための「うわべだけのもの、かも知れない」という客観性を常に持っていれば、他人と比較して収入がどうの・成績がどうの、といちいち苛立たなくてもいいんだ、と思えてもいます。

    他の記事も少しずつ読ませていただきます

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