RAPT | 第二次大戦で日本が負けたのは、やはり天皇 (大和族) に対する出雲族の裏切りが原因でした。
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第二次大戦で日本が負けたのは、やはり天皇 (大和族) に対する出雲族の裏切りが原因でした。

第二次大戦で日本が負けたのは、やはり天皇 (大和族) に対する出雲族の裏切りが原因でした。

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かねてから私は、第二次大戦で日本が負けたのは「大和族」と「出雲族」との間にあった確執のせいではないかと疑ってきましたが、今回、その確証がはっきりと取れましたので、皆さんにご紹介したいと思います。
 
日本が第二次大戦に負けた最大のきっかけは、やはり何と言っても「真珠湾攻撃」です。
 
一応、「真珠湾攻撃」そのものでは日本軍はボロ勝ちをしましたが、日本軍がこの奇襲攻撃に成功し、アメリカ軍に大きな打撃を与えたがために、アメリカは第二次大戦に参戦する口実を得、日本と戦争を始めることになりました。
 
当時のアメリカの大統領ルーズベルトは、「アメリカは第二次大戦には参加しない」と国民に約束していたため、ずっと参戦を控えていたのですが、さすがに日本軍の奇襲攻撃によってアメリカ兵の多くが戦死したため、黙っていられなくなったのです。
 
で、ルーズベルトは日本に宣戦布告し、日本はアメリカによってボロボロに完敗することになりました。
 
つまり「真珠湾攻撃」さえなければ、日本が第二次大戦に負けることはなかったかも知れないというわけです。
 
しかし、実はこうしてアメリカが日本から奇襲を受けて第二次大戦に参加する、という流れは、当時の「日本帝国海軍」の司令官だった「山本五十六」と「ルーズベルト」の密約によるものだったとの噂があります。
 
Isoroku_Yamamoto

〈山本五十六〉

 
一応、ネット上ではこの噂話をインチキ、デタラメと言う人も大勢いますが、私が調べたところでは、この噂話はかなり信憑性が高いと言えそうです。
 
というのも、「山本五十六」の当時の言動が余りにも不可解、奇天烈なものばかりだからです。
 
「山本五十六」はもともと日本とアメリカが戦うことに誰よりも強く反対していました。そのため、彼のことを愛国者だと言う人も多いのですが、なぜかその後、彼はその意を翻してアメリカに積極的に奇襲攻撃をかけていきました。
 
さらには日本軍がわざと負けるように仕組んだとしか思えないような作戦をいくつも立てました。例えば以下のようなことです。
 
----------------(以下、こちらから転載)
 
●空軍の独立に反対し、海軍配下とした。空軍の発展を遅らせることになった。航空機の戦略的位置づけ錯誤(米航空機により制空権を奪われた)。
 
●アメリカに知られていた暗号の変更を遅らせた。日本海軍は秘密保持のため「JN25暗号」を定期的に変更すべきところを怠ったのである。海軍が使用していた暗号電報をアメリカ側に筒抜けにさせていたということ。
 
●山本五十六の忠実なる配下の指揮官は山本五十六によって固定され、失敗をしても追求させず、無能であった。しかし1年4カ月の海戦を戦った将官たちは、その極度な無能ぶりにもかかわらず、戦後さまざまな戦記作家によっていずれも名将、名参謀としてたたえられている。
 
● 海軍軍令部の強い反対を押しきって真珠湾攻撃を強行。広い範囲の戦争を想定することは日本には不利と言われてきた。またその攻撃を不徹底なものとした。
 
●日米が開戦になった時は先ず真珠湾を奇襲し、アメリカの対独戦を合理化させると同時に、日本へのアメリカ国民の参戦気分を一気に高揚させるという計画を練り上げた。
 
●またアメリカの主力戦艦がハワイにいない日を攻撃した。空母レキシソトンはミッドウェーに飛行機を輸送中であり、エンタープライズはやはり飛行機を輸送しての帰路で不在、サラトガはアメリカ本土西海岸にいたために無事であった。真珠湾は浅いので、引き揚げて修理を行なうことができた。被害を受けた戦艦はいずれも1910~1920年代に就役した旧式艦だった。
 
● 珊瑚海海戦で米海軍に手ごころを加える。米空母「ヨークタウン」を撃沈せず引き揚げた。「ヨークタウン」にとどめをさすことをせず、攻撃を中止して北上するのである。この「ヨーククウン」がハワイの海軍基地に帰り、わずか2日間で修理されて2カ月後に起こったミッドウェー海戦に参加、あの連合艦隊撃滅の立役者となるのである。
 
● ミッドウェー海戦で連合艦隊大敗北を画策。戦艦大和など有力艦を後方に配置し、結局使わずに沈んだ。山本長官はソロモン海戦でも「大和」「武蔵」などの大型戦艦を攻撃隊に加えることなく、戦力の小出し投入を行なった。このため戦艦「大和」はついに「大和ホテル」と呼ばれるありさまであった。ミッドウェー作戦には、無能であり、しくじることがわかっている南雲忠一中将や草鹿龍之助少将を最も重要な機動部隊に起用し、自らは後方400キロの北西海上で旗艦「大和」や戦艦「長門」「陸奥」などとともに主力部隊にとどまり、これまた高見の見物をしていたのである。
 
----------------(転載ここまで)
 
このような歴史的事実があるため、「山本五十六」はアメリカのスパイだったのではないかという噂が今でも絶えないのです。
 
かくして、今やネット上にはこんなブログ記事まで氾濫しています。
 
----------------(以下、こちらから転載)
 
68年前の今日、尊い犠牲を払い戦争は終わりました。
 
戦争は、一部の戦争を起こしたい人々によって計画され、何も知らない若者たちが駆り出されていくのです。
 
この「戦争を起こす手口」の数々は、私の過去記事にも書きましたが、1941年12月8日に起きた、日本軍のハワイ真珠湾奇襲攻撃の例を見てみましょう。
 
『アメリカの情報機関は、奇襲をすると言う日本の暗号を解読しており、ルーズベルト大統領は、その事実を知っていたにもかかわらず、現地の将軍には知らせませんでした。
 
そして、日本の奇襲によってアメリカ太平洋艦隊は大打撃を受け、約3000人の将兵が亡くなりました。
 
そして大統領はこの日を「屈辱の日」とし「リメンバー・パールハーバー」というスローガンのもと、民衆は戦争へ駆り立てられて行ったのでした。
 
日本人の奇襲攻撃は、ルーズベルトには好都合でした。
 
なぜなら、当時のアメリカ国内は日本との戦争に反対する声も多く、民衆の足並みが揃っていなかったのでした。
 
しかも、ルーズベルトは、選挙公約で「戦争はしない」と国民に約束して大統領になった人だったのです。
 
だから戦争には大義名分が必要でした。
 
奇襲攻撃を受ければ、アメリカ国民も戦争を支持するはずだと彼は思った事でしょう。
 
日本軍の奇襲はアメリカ国民を戦争に結束させるのにまたとない機会だったのでした。』
 
この時の奇襲が太平洋戦争・第二次世界大戦への引き金になっていくのです。
 
この時、ルーズベルト大統領と繋がって手引きをしていた人物が日本にいたのです。
 
山本五十六です。彼はルーズベルトと同じくフリーメイソンだったのです。
 
山本五十六とは、決して戦場には出撃しない、現場指揮はとらない、安全圏にいて自分の命を惜しむ、史上最低の高級軍人だったと云われています。
 
http://blog.goo.ne.jp/2005tora/e/9dc61647065a9a12f649571611e3ab50より抜粋します。
 
山本五十六は、連合艦隊司令長官でありながら、空母六隻を出撃させながら、パール・ハーバー奇襲の指揮を執らず、部下の南雲忠一・中将にそれをさせて、自分は瀬戸内海に浮かぶ「戦艦ホテル」で優雅な日々を過ごしていた。
 
バール・ハーバー奇襲は、山本五十六本人の発案である。自分が陣頭指揮を執るからと、海軍全体の了解を得たものである。
 
ところがいざ出陣になると、山本は、「公約」を破り捨て、”率先垂範の指揮”という海軍伝統をも無視し、カード三昧の日々であった。
 
1942年6月の、ミッドウェー海戦の場合はもっとひどく、山本五十六の指揮官としての臆病ぶりは、日本の戦史にも世界の戦史にも、こんな武将は前例がない。
 
ミッドウェー島攻略戦の発案者で最高指揮官でありながら、しかも戦艦「大和」に坐乗しているのにもかかわらず、空母四隻の前方にいるべき山本の「大和」が、あろうことか空母四隻よりはるか後方に「逃亡=職場放棄」していた事実。
 
四隻の空母の、三隻(赤城、加賀、蒼龍)が轟沈していくとき、山本五十六は、「遊び人」らしく将棋を差していた事実。
 
ミッドウェー海戦は、日本海軍が戦力は圧倒的に優勢であり、空母を分散して十分な戦艦による護衛をつけていれば全滅する可能性は全く無かった。
 
空母を密集させて護衛をつけなかったことはわざと全滅するように仕向けたとも考えられる。
 
山本五十六は、自分の命を惜しんだというよりもわざと負けるように仕組んだと見るべきだろう。
 
<抜粋終わり>
 
山本五十六は、「大和」「武蔵」などの大型戦艦を攻撃隊に加えることなく、戦力の小出し投入を行なった為、戦艦「大和」はついに「大和ホテル」などと呼ばれるありさまでした。
 
なぜ山本五十六がこんな態度を取っていたかは、彼がフリーメイソンでアメリカ側と繋がっていたと考えると、全ては氷解します。
 
山本五十六は、連合艦隊司令長官にあるずっと以前からアメリカ側と連絡をとっており、まず真珠湾を奇襲し日本へのアメリカ国民の参戦気分を一気に高揚させるという計画を練り上げていたのです。
 
日本の艦隊や輸送船、飛行隊の動きはすべてアメリカによって把握されていた事から、五十六は、海軍が使用していた暗号電報をアメリカ側にすべて筒抜けにさせていたのでしょう。
 
つまり、日本を敗北させることが山本五十六の大きな役目だったのです。
 
やがて、山本五十六の使命も終り、姿を消す時期がやってきたのでした。
 
山本五十六はブーゲンビル島上空でアメリカ軍に撃墜され「戦死」したとされています。
 
アメリカ軍に暗号電報を傍受され、山本長官搭載機撃墜計画が練られ狙われたとされていますが、これも、ルーズヴェルト大統領との約束に基づいて計画された事であり、実際彼は生き延びていたのです。
 
撃墜される日、山本長官は草色の第三種軍装を身にまとい、ジャングルを逃亡する際に目立たない格好にしていました。
 
そして米軍機攻撃の際、一早くパラシュートで脱出し、打合わせの場所からガダルカナル島米軍基地へと逃亡したようです。
 
山本五十六の身替わりとされた男(恐らくは風貌の似た人物)は、座席に縛り付けられ毒殺されています。
 
山本五十六は、こうして戦線から姿を消したのですが、山本長官と共に1年4ヶ月の海戦を戦った将官達は、極度な無能ぶりにも関わらず戦後様々な戦記作家によっていずれも名将、名参謀として称えられているのが現状です。
 
----------------(転載ここまで)
 
あと、参考までに以下のリンクの「回答9」をご覧下さい。私もこの回答はまさに言い得て妙だと思いました。
 
山本五十六はアメリカのスパイ? – 歴史 | 教えて!goo
 
このように「山本五十六」はどこからどう見てもアメリカのスパイとしか思えない作戦をいくつも決行しています。
 
ですから、彼がアメリカと手を組んで日本を敗戦に導いたという可能性はとても高いわけです。
 
しかし、もし彼が本当にアメリカのスパイだったとしたら、彼が日本を裏切った動機は何だったのでしょうか。
 
私はかつて「出雲族」の徳川家康が「教皇派」のエリザベス一世とグルになって、天皇中心のNWO計画を阻止していた、との記事を書いたことがあります。
 
地下鉄丸の内線とGHQと徳川家康とエリザベス女王とイエズス会の奇妙なつながり。東京の地下には教皇派の秘密施設も眠っている。
 
徳川家康が行った鎖国とキリスト教禁教令の本当の意味。果たして徳川家康は悪魔崇拝者だったのか。
 
織田信長と豊臣秀吉が日本を「大和族」の天下にし、徳川家康が「出雲族」の天下へとひっくり返しました。
 
実は「山本五十六」も徳川家康と全く同じことをしていたと考えられなくもないのです。
 
というのも、「山本五十六」は「海軍」の指揮官であり、実はこの「海軍」は徳川家(=出雲族)の配下にあった「幕府水軍」から誕生したものでした。以下、ウィキペディアの記事です。
 
----------------(以下、ウィキペディアより転載)
 
■大日本帝国海軍
 
徳川家の配下であった幕府水軍は江戸期に一度廃れたが、後に幕府海軍となって強化された他諸藩の水軍も多くが初期の日本海軍に合流した。
 
初期の日本海軍の構成者の多くが水軍の伝統のある地域出身であったとされる。また、多くの艦船を建造した浦賀や連合艦隊の根拠地柱島等はかつて水軍の根拠地でもあった。
 
江戸時代の幕藩体制においては鎖国が行われ、諸藩の大船建造は禁止されていたが、各地に外国船が来航して通商を求める事件が頻発するようになると、幕府や諸藩は海防強化を行うようになる。
 
軍艦奉行、長崎海軍伝習所が設置され、開国が行われたのちの1860年には咸臨丸が派遣される。1864年(元治元年)には初の観艦式が行われる。(幕府海軍参照)
 
王政復古により成立した明治政府は、江戸幕府の海軍操練所や海軍伝習所などの機関を継承し、幕府や諸藩や海援隊の人員や装備を整理・編成したのが基礎になる。
 
1870年(明治3年)に陸海軍が分離され、1872年(明治5年)に海軍省が東京築地に設置される。
 
初期には川村純義と勝海舟が指導する。1876年(明治9年)に海軍兵学校、1893年には軍令部をそれぞれ設置する。明治初期には陸軍に対して海軍が主であったが、西南戦争により政府内で薩摩藩閥が退行すると、陸軍重点主義が取られるようになる。
 
----------------
 
このように「日本帝国海軍」の出所は明らかに「徳川家=出雲族」なのです。
 
なので、「海軍」の指揮官だった「山本五十六」が「出雲族」だった可能性はとても高いと言えます。
 
実際、「山本五十六」のウィキペディアの記事を見てみると、「乃木希典を尊敬していた」と書かれてありますが、この「乃木希典」は「出雲源氏佐々木氏の子孫と称していた」そうです。
 
山本五十六 – Wikipedia
 
乃木希典 – Wikipedia
 
Maresuke_Nogi_2
〈乃木希典〉

 
(註:「乃木希典」は、明治時代には日本国民にとって英雄のような存在でした。)
 
「出雲源氏」とは、その名の通り、「出雲族」です。つまり「乃木希典」は「出雲族」の子孫だったというわけで、そんな人物のことを尊敬していたということは、「山本五十六」もまた「出雲族」であった可能性が非常に高いと言えるわけです。
 
その一方、日本陸軍の出所は「田布施=大和族」でした。ウィキペディアにはこう書かれてあります。
 
----------------(以下、ウィキペディアより転載)
 
■日本帝国陸軍
 
帝国陸軍の起源は、明治維新後の1871年(明治4年)に薩摩・長州・土佐から徴集され組織された天皇直属の御親兵である。
 
----------------
 
「薩摩」「長州」「土佐」といえば明治維新を起こした一大勢力です。つまり、「大和族」の天皇を担ぎあげた田布施一味と、土佐(坂本龍馬など)の一味によって「日本帝国陸軍」が組織されたというわけです。
 
(註:「薩摩」とは鹿児島県であり、「長州」とは山口県ですが、鹿児島と山口に「田布施町」が存在しています。また、「土佐」といえば高知県ですが、高知県は平家(=ロスチャイルド)の落ち武者が大勢なだれ込んでいます。詳しくはこちら
 
つまり、こういうことになります。
 
■日本帝国海軍・・・出雲族
 
■日本帝国陸軍・・・大和族

 
で、第二次大戦当時、「陸軍」と「海軍」は修復不可能なまでに確執が深まっていました。
 
----------------(以下、こちらから転載)
 
旧帝国日本軍において海軍と陸軍は色々と異なるので相性が悪かった様です。
 
まず、発祥から異にしています。
 
陸軍は幕末の頃、薩摩、長州により生まれ、海軍は江戸幕府の海軍伝習所などから発祥してます。
 
また、軍隊の組織において、海軍は英国海軍を参考にし、陸軍はフランス、ドイツ陸軍を参考にしています。
 
やがて、日清戦争、日露戦争、満州事変と日本が深く軍事国家となってゆくにつれて、陸軍の発言権が強まってきます。
 
そして関東軍の中国進出が拡大してきますと、更に陸軍が傲慢になりますが、海外のABCD経済封鎖で、物資が不足。
 
戦争をするには、鉄やニッケル、原油などが必要ですが、今も昔も、日本には原料となる資材がなく、輸入に頼っています。
 
戦艦を動かすには油が、造船には鉄など金属が多量に必要です。
 
陸軍に比べて海軍は何かと物資が多量に必用になるので、陸軍と海軍で、限られた物資の取り合い、また派閥や利権の対立が生じてきます。
 
現実派で、海外視察の豊富な海軍上層部は、戦争に反対していました。
 
米国の近代的、巨大なスケールを知っていたので、どうせ負けるのは分かっていたのです。
 
が、陸軍は暴走気味で、最後の切り札、穏健派の東条英機陸軍大臣を政府に起用しましたが、米国の怒りは収まらず、平和交渉は決裂します。
 
太平洋戦争に突入しましたが、海軍と陸軍では戦略方針が別々であり、ライバル根性むき出しで、対立していたのであります。
 
----------------(転載ここまで)
 
「山本五十六」はそんな状態にしびれを切らし、「大和族」をぎゃふんと言わせてやろうと思って、アメリカのルーズベルトと手を組み、日本を敗戦へと追い込んでいったのではないでしょうか。
 
そうすれば、「大和族」の昭和天皇の地位を引きずり落とし、天皇中心のNWO計画を阻止することができるからです。
 
で、そんな彼の思惑はものの見事に成功し、日本は敗戦。天皇は「人間宣言」をすることになりました。
 
お陰で、戦後に生まれた我々は「天皇」を神として崇めずに済むようになったわけです。「山本五十六」の裏切りが、図らずも悪魔どもの計画を粉々に破壊してくれたというわけです。
 
しかし、「山本五十六」が天皇を裏切ったのは、これ以外にももっと深い理由があると考えられます。
 
「乃木希典」は「出雲族」を自称しながらも「陸軍(=大和族)」の大将となり、さらには明治天皇(=大和族)の死を惜しんで、自らもその後を追って自害したと言われています。
 
恐らく「乃木希典」は、明治維新のときに天皇がすり替えられたことを知らず、天皇が「出雲族」のままだと思い込んでいたのでしょう。だからこそ「陸軍」に入隊し、大将にまで上り詰め、さらには天皇の後を追って自害したに違いないのです。
 
「山本五十六」はそんな「乃木希典」のことが不憫に思えてならなかった。そして、天皇のことが恨みに思えて仕方がなかった。
 
これではまるで、天皇が「乃木希典」のことを騙していたも同然のようなものだからです。同じ「出雲族」として、これほどの屈辱はなかったでしょう。
 
そこで、「山本五十六」は日本を敗戦させ、天皇の地位を引きずり落とすことを決意したわけでしょう。そう考えると、全てに筋が通ります。日本の敗戦の陰には、このような深い人間ドラマが隠されていた可能性があるわけです。
 
ちなみに、日本文学の名作といわれる夏目漱石の「こころ」に登場する「先生」もまた「乃木希典」の死の後を追って自殺しますが、このシーンがその後、この作品の評価を二分することになります。
 
私が「こころ」を読んだ限りでは、そのシーンがそれほど重要なシーンであるとも思えなかったのですが(先生の自殺は「乃木希典」の死だけが動機ではないため)、このシーンに目くじらを立てなければならない人間がこの世にはそれだけ沢山いるということなのでしょう。
 
つまり、「大和族」の天皇の後を追って自殺するような「出雲族」の人間をそんなに偉い人として描くな、と言いたいわけです。
 
興味のある方は、ぜひとも「こころ」をご一読下さい。アマゾンなどで無料でダウンロードできます。
 
こころ
 

2 Comments
  • ショコラ
    Posted at 22:47h, 31 5月

    最高の日本史の授業を受けたような気分です。

    こんなにシンプルなものを、複雑にする作業を加えて出来たのが今ある教科書なんですね。

    受験の妨げにならない程度に、中高生に教えてあげたいです。

  • mahiro8081
    Posted at 04:26h, 19 1月

    私の祖父は帝国陸軍で大和族?なのでしょうか。元海軍の出雲族の男性に大分、騙されて、
    借金を作らされたり、男性に回されそうになったり、人間として、日本人として、恥じることをやられました。
    そのせいで、よくわからなかったことがわかりました。
    でも、人間性があう、職業の問題もありますので、大分、この記事で助かりました。
    気持ち悪くて、私を性的に、回したり、性器を触ってきたり、
    本当に、ノイローゼになるようなことを平気でやる性格が、
    私には信じられませんし、私の親類の男性が、こういったことをやらなかったことを
    本当に、感謝してやみません。
    また、こういった、古い、嫌がらせが、これからのまったく知らない人間に、被害が行かないように
    してあげたく思います。
    出産、結婚も、できなくなるような体になり、同じ日本人で、職業の違いもありますが、
    これからの女性に、被害がいかないように、してあげるべきだと思います。
    私が犠牲になることで、もう、こういったことが無いように、お話していきたいと思います。
    こんなに、日本人同士の戦いよりも、日本全体のことを考えて生きたいです。
    海外に出る人間が増えると思います。

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