RAPT | 日本が世界最古の悪魔崇拝の聖地であるという幾つもの証拠。
日本 悪魔崇拝 世界最古 ピラミッド トンカラリン 剣山 
17730
post-template-default,single,single-post,postid-17730,single-format-standard,ajax_fade,page_not_loaded,,side_area_uncovered_from_content,qode-theme-ver-13.2,qode-theme-bridge,wpb-js-composer js-comp-ver-4.3.5,vc_responsive
 

日本が世界最古の悪魔崇拝の聖地であるという幾つもの証拠。

日本が世界最古の悪魔崇拝の聖地であるという幾つもの証拠。

 

さて、話を古代へと再び戻します。先日、日本に2万3前年前のピラミッドがあるというお話をしましたが、その続きです。(先日のその記事が以下になります。)
 
悪魔崇拝者たちが日本中心のNWO計画にこだわる理由。日本こそが世界最古の悪魔崇拝の聖地だったのでしょう。
 
有史以前に高度な文明があったのは確かな事実です。しかし、悪魔崇拝者たちがその調査をずっと妨害してきました。
 
まさか私のブログに竹内文書や宮内文書が出てくるとは思わなかったというコメントを書かれた方がいらっしゃいましたが、私自身も実はこんな結論に到達するとは思ってもいませんでした。
 
宮下文書に関しては、今のところ私は全くの門外漢ですが、竹下文書に関しては、何年も前に何冊か読みあさっていた時期があります。しかし、どの本を読んでも分からないことだらけで、自分の知りたいことを何も教えてくれないということが分かったので、結局、読むのをやめてしまいました。
 
それは日ユ同祖論の本を読みあさっていたときも同じでしたが、今になって、日ユ同祖論と天皇制と悪魔崇拝とをつなげて考えてみたところ、理路整然とすべての謎が解けるようになりました。
 
天皇がどこからどう見ても悪魔崇拝者であるという証拠。
 
それと同じように、竹内文書も悪魔崇拝と関連づけて考えれば、いずれ全ての謎が理路整然と解けていくような気がします。
 
で、早速、竹内文書について色々と調べて、多くのことが分かってきている最中なのですが、その話をする前に、先ずは日本が世界最古の悪魔崇拝の聖地であると考えられる証拠を今日は皆さんにご紹介したいと思います。
 
先日は、この日本に世界最古のピラミッドがあるというお話をしましたが、そのピラミッドが建造されたのが2万3千年前とのこと。
 
そのピラミッドとは広島にある「葦嶽山」のことですが、人によっては、こんなもの人口ピラミッドであるわけがない、ただの山だろうと思われたかも知れません。
 
しかし、この日本には「葦嶽山」だけでなく、他にも数多くのピラミッドがあることが分かっています。例えば、以下のサイトをご覧ください。
 
日本のピラミッド一覧案内
 
もちろん、このサイトを見てもまだ、こんなものは全てただの山に違いないと思う方もいらっしゃるかも知れません。エジプトやマヤなどにあるピラミッドのように、きちんとした外観が残されておらず、その周りが木々に覆われてしまっているので、確かに山だと思えば山のようにも見えますからね。
 
しかし、逆に考えると、これらのピラミッドが木々に覆われるまで人々から全く相手にされず、ピラミッドだと気付かれることもなかったということは、それだけこのピラミッドがかなり古い時代に造られた証拠だとも言えます。
 
それこそ、有史以前に作られたものだったのかも知れません。そのため、長い歳月とともに風化してピラミッドの原型を失い、多くの人々から無視されてきたのではないでしょうか。
 
しかしこの日本にも、実ははっきりとピラミッドと分かるピラミッドが幾つか発見されています。例えば沖縄には、ギザのピラミッドと全く同じ配置をした三つのピラミッドが見付かっています。詳しくは以下の動画をご覧ください。
 


 
昔のテレビ番組は、これほど重要な情報を報じてくれていたようです。今とは全く違いますね。
 
このピラミッドが建造されたのがいつ頃のことなのか、この番組の中でははっきりとは言及されてはいませんが、かつての「琉球王国」の時代(1429年から1879年の450年間)にはもう既にこのピラミッドがあって、その王様がこのピラミッドを自分たちの城や要塞として使っていたとのことですから、相当古い時代に建造されたものと推察できます。
 
さらに、熊本県には「トンカラリン」という地底遺跡があります。上の画像がトンカラリンの入り口です。これは人口的に作られた「地下通路」なのですが、この通路の構造が、エジプトのピラミッドの中にある通路と全く構造であることが分かっています。詳しくは以下の動画をご覧ください。
 

 
つまり、このトンカラリンとエジプトのピラミッドは全く同じ目的で造られたものだというわけです。それこそ悪魔崇拝の儀式のために造られたのでしょう。
 
というのも、これまで何度もお話してきましたように、ピラミッドとは悪魔崇拝のシンボルです。それは悪魔崇拝組織と言われるフリーメーソンが、三角ビラミッドとのマークを多用していることから見ても明らかなことです。
 

 
悪魔崇拝とは悪魔ルシファーを拝む宗教のことです。宗教というよりカルトと言った方がいいかも知れません。そして、この悪魔崇拝では必ず人身供養が行われます。特に子供がその犠牲となり、悪魔崇拝者たちはその子たちの命を悪魔に捧げながら、自らもその子供の肉を食べ、血を飲んでいたようです。
 
つい最近、バチカンの悪魔崇拝裁判でそういったことが明らかになりました。詳しくは以下のリンクをご覧ください。
 
バチカン、イエズス会、ローマ法王、王族による生贄儀式と児童虐殺が法廷で明らかに。
 
現ローマ法王フランシスコに幼児虐待および人身売買のかどで有罪判決。
 
そしてこの悪魔崇拝が、古代アステカやマヤ、インカ文明などにおいて日常的に行われていたことも分かっています。
 
----------------(以下、Wikipediaより転載)
 
人身御供
 
生贄の儀式。石器のナイフで胸を裂き、心臓を取り出す。
 
アステカ社会を語る上で特筆すべきことは人身御供の神事である。人身御供は世界各地で普遍的に存在した儀式であるが、アステカのそれは他と比べて特異であった。
 
メソアメリカでは太陽は消滅するという終末信仰が普及していて、人間の新鮮な心臓を神に奉げることで太陽の消滅を先延ばしすることが可能になると信じられていた。そのため人々は日常的に人身御供を行い生贄になった者の心臓を神に捧げた。また人々は神々に雨乞いや豊穣を祈願する際にも、人身御供の神事を行った。アステカは多くの生贄を必要としたので、生贄を確保するために戦争することもあった。
 
ウィツィロポチトリに捧げられた生贄は、祭壇に据えられた石のテーブルの上に仰向けにされ、神官達が四肢を抑えて黒曜石のナイフで生きたまま胸部を切り裂き、手づかみで動いている心臓を摘出した。シペ・トテックに捧げられた生贄は、神官達が生きたまま生贄から生皮を剥ぎ取り、数週間纏って踊り狂った。人身御供の神事は目的に応じて様々な形態があり、生贄を火中に放り込む事もあった。
 
現代人から見れば残酷極まりない儀式であったが、生贄にされることは本人にとって名誉なことでもあった。通常、戦争捕虜や買い取られた奴隷の中から、見た目が高潔で健康な者が生贄に選ばれ、人身御供の神事の日まで丁重に扱われた。神事によっては貴人や若者さらには幼い小児が生贄にされることもあった。
 
----------------(転載ここまで)
 
 

このアステカ、マヤ、インカでも数多くのピラミッドが見付かっており、このピラミッドを祭儀場として使いつつ、人身供養が行われていたことも分かっています。
 
このような人身供養は、いつの時代でもほとんど世間の目から隠れて行われていましたが、なぜかアステカ、インカ、マヤ文明では人々の前でおおっぴらに行われていたようです。
 
そのため、当時の人身供養の様子が、絵や文字として残されているのですが、驚くなかれ。マヤで見付かった石像の中には、天皇家の「菊の御紋」と全く文様が刻まれているものが見付かっています。(下の石像の両端上)
 
16.17.32 

つまり、マヤと日本の天皇家とには某かのつながりがあるということです。では、一体どんなつながりがあるのか。これまで我々人類にはそれが全く分からなかったわけですが、私がそれをはっきりと解明しました。彼らは同じ悪魔崇拝者だったのです。
 
実際、太陽崇拝=悪魔崇拝が盛んに行われていたとされるエジプトでも、この「菊の御紋」と同じ模様をした遺品がいくつも発見されています。もし何の説明も受けずにこれらの遺品に見れば、誰もが天皇家にかかわる遺品だろうと考えるに違いありません。しかし、これは日本ではなく、古代エジプトで発見されたものなのです。
 
rosetteut01

〈ツタンカーメンの遺品〉

 

haxxsu

〈エジプト第21王朝のファラオ、プセンネス1世の墓から出土〉

 

繰り返すようですが、ピラミッドは悪魔崇拝のシンボルです。そして、このピラミッドが数多く建造されたエジプトで「菊の御紋」が見付かったということは、この「菊の御紋」を家紋とする日本の天皇家もまた悪魔崇拝者であるということです。少なくともその可能性は否定できません。詳しくは以下のリンクをご覧ください。
 
古代エジプトの太陽信仰=悪魔崇拝が、現在の日本の天皇家へと流れ着き、天皇家を最大級の財閥にするまで。
 
日本で古くから悪魔崇拝が行われていたという、さらなる証拠をお見せしましょう。日本のピラミッドの一つとされる四国の「剣山」でも、発掘調査の際に100体ものミイラが見付かっています。
 
----------------(以下、不思議堂怪奇通支店より転載)
 
7、アークは剣山に眠る!? その1
 
昭和11年、剣山の険しい山道を、黙々と登る男の姿があった。男の名は、高根正教(たかね・まさのり)。神奈川県の尋常高等学校の校長を務めた名士で、聖書研究家だった。
 
続く男は資産家の内田文吉と、角田清彦の2人。高根をリーダーとした3人の男たちの目的は、剣山山頂部の発掘。表向きには「剣山鉱区地質調査」だったが、本当の目的はまったく別のところにあった。「ソロモンの財宝」の発掘だ。
 
高根さんは神道のいわゆる「言霊」(ことだま:言葉には魂が宿っているという考え)に精通していて、言霊を使って旧約聖書を解き、剣山にアークが眠るという結論に辿り着いたらしい。
 
高根さんが注目したのは、山頂付近にある「鶴岩」と「亀岩」だった。高根さんは同士とともに、亀岩の下を数年間かけて約150mも掘り進んだ。
 
結論からいうと、アークこそ出なかったものの、131m地点で巨大な球体型をした「太陽岩」を発見。さらにその4m奥でも同じ球体の岩を発見。さらには、大理石でできたアーチ門や高さ15mほどのピラミッド型の空間までも発見した!
 
これが今の世だったら世界的大ニュースになるところだけど、いまから70年以上前の話。この情報は瞬く間に「政府」の耳に届き、高根さんの発掘はココでストップをかけられる。発掘品は一部を除き、すべて没収されてしまう…。
 
しかし、高根正教の冒険のウワサは、日本中の男たちの心に火をつけることになる。戦後、その価値8000億円ともいわれるソロモンの財宝を求めて、多くの冒険家たちが剣山を目指した!
 
その中でも、高根正教以上の発見をした男がいた。元海軍大将・山本英輔である。山本は、高根たちの「穴」を特定し、さらに奥へと掘り進んだ。そして掘り進むこと16日目、とんでもナイモノを発見することになる。なんと、レンガ作りの回廊の奥に、100体以上のミイラが眠っていたのだ!
 
結局、山本も資金繰りやいろいろな問題に邪魔されてアークまでは行き着かなかったが、高根、山本他、たくさんの男たちによって、剣山が「人工」の山であり、山頂付近には、なにか「遺跡」のような「地下施設」があることが判明したのだ。
 
----------------(転載ここまで)
 
「失われたアーク」を見つけ出すつもりが、100体のミイラを見つけたとのこと。さぞかしこの調査隊の方々も驚かれたことでしょう。
 
しかも、この調査によって「剣山」が明らかな人口物であり、その地下には「遺跡」のような「地下施設」があることが判明したとのこと。明らかにピラミッドですね、これは。
 
したがって、この100体のミイラも悪魔崇拝の生贄として捧げられた人たちの遺体だと考えて先ず間違いないでしょう。
 
そしてこの調査結果が、現代の悪魔崇拝者である田布施一族および天皇家の耳にも入ってしまい、すぐさまこの調査にストップがかけられてしまった。しかも、発掘物まで全て没収するという念の入れよう。
 
そりゃあそうでしょう。彼らからしてみれば、過去に行われた悪魔崇拝の痕跡など調べてほしくはないでしょうからね。もしそんなことを調べられたら、それこそ天皇家が悪魔崇拝者だとバレてしまいます。
 
だから、ツタンカーメンや黒又山の調査を妨害したように、自らの権力を使って、力づくで剣山の調査までも妨害したわけです。
 
有史以前に高度な文明があったのは確かな事実です。しかし、悪魔崇拝者たちがその調査をずっと妨害してきました。
 
このように、日本にある数多くのピラミッドは悪魔崇拝に関わりがあるとしか考えようがありません。悪魔崇拝を行うために、日本各地で人口ピラミッドが建造されていったのです。
 
しかも、日本にある最古のピラミッドが2万3前年前に造られたということですから、日本こそが世界最古の悪魔崇拝の聖地であったと考えて先ず間違いないでしょう。だからこそ、現代の悪魔崇拝者である天皇家とロスチャイルド家が、日本中心のNWOを樹立しようと躍起になっているに違いないのです。
 
そういえば、日本のエルサレムである平安京、つまり京都(詳しくはこちら)に、外資の人たちが次から次へと高級ホテルを建てているそうですね。このような動きもこの日本中心のNWO計画と何らかの関係がありそうです。
 
京都に外資ホテル相次ぎ進出、最高級ブランドも : 経済 : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)
 
もしかしたら日銀が追加の金融緩和を行い、極端な円安にしているのも、海外の悪魔崇拝者たちが格安で日本に定住できるようにするための施策なのかも知れません。
 

7 Comments
  • カオス
    Posted at 21:11h, 07 12月

    昔の歴史は分からないので無知な質問ですが 日本 以前の この国 あるいは ひみこ という時代 もすべて悪魔だったということですか? ようするに国としては悪魔発祥の地 ということでしょうか。 けれど悪魔はエジプトなどに移動していった という解釈でいいのでしょうか。 神道宗教がすべて 剣山 あるいは アマテラス 白山 などを聖なるものとみなし 古事記で 例えばきくりひめ くにとこたち  などの神々を口にしますが 教祖というより 教祖を導いた悪魔がいて そのような宗教を造っていった ということになるのでしょうか。  

  • rapt
    Posted at 21:26h, 07 12月

    >カオスさん。
    ここで一言で答えを書いても、誰にも信じてもらえないので、これから一つずつ証拠や根拠を提示しながら説明していきます。
    ただ、どんな時代でも、悪魔崇拝者はトップの支配層だけであって、恐らく庶民は何の関係もなかったと思います。
    それは現代と同じです。
    しかし、現代の悪魔崇拝も私たちの想像している以上に規模は大きく、そこそこの金持ちでも関与している場合もある、という話も耳にしますので、過去においても現代においても、どれぐらい多くの人が関わっているのかを全て解明するのは不可能に近いかも知れません。
    とはいえ、解明できる限り解明していくつもりです。

  • Cat
    Posted at 21:57h, 07 12月

    各文明や宗教について、各別に深く調べてきたのですが(もちろんマヤ・アステカの生贄儀式も)、ピラミッド×生贄儀式等=”悪魔崇拝”というひとつの概念で語られているのは、Raptさん以外知りません。
    “悪魔崇拝”という共通のキーワードを通してみると、全体像が浮彫りになりますね。
    Raptさん監修の”悪魔崇拝とは?”みたいな動画がみたいです♪

  • アモリフェラ
    Posted at 17:47h, 08 12月

    二つの動画、大変興味深かったです。だいたい日本にもピラミッドコンプレックスや、山の中にピラミッドと同様の回廊があるなんて、今回初めて知りました。こんな重要な話が、なぜ教科書にも参考書にも載っていないのでしょう? もしかすると誰かが故意に隠しているのか?そう思わずにはいられませんでした。日本にも、古代には、エジプトと同じ文明やら思想があったと考えるのが、自然な気がします。続編を楽しみにしています。

  • 縷衣香
    Posted at 20:49h, 08 12月

    私も証拠を見せられたことがあります。

    1979年、京都、天橋立、元伊勢の後ろの日室ヶ岳から、籠神社の神主さんが霊験で導かれ掘り起こしたものです。

    百科事典で一つ一つエジプトのものと比べ、オリジナルは日本のものだと見せてくれました。

    世が来たら、世界に知らせてくださいと頼まれました。

    この家の血統は出雲家と同じく唯一国宝となっているお家柄です。

  • 縷衣香
    Posted at 20:56h, 08 12月

    私も証拠を見せられたことがあります。京都、天橋立、元伊勢の後ろの日室ヶ岳から、籠神社の神主さんが霊験で導かれ掘り起こしたものです。

    エジプトのものと比べ、オリジナルは日本のものだと見せてくれました。百科事典で一つ一つエジプトのものと比べ相似でありました。

    この家は出雲家と同じく系図が唯一国宝となっているお家柄です。

    時期が来たら、世界に知らせてくださいと頼まれました。

  • Posted at 18:36h, 11 12月

    徳島県の高越山もピラミッドでしょうか?

Post A Comment