27 4月 仏教の「お経」や「真言」が悪魔を召喚するための呪文であり、仏教が悪魔教であるという確たる証拠。
昨日は「釈迦」が悪魔崇拝者であったという確固たる証拠を皆さんにご提示しました。
○やはり「釈迦」は紛れもない悪魔崇拝者でした。その確固たる証拠をお見せします。
要するに、「釈迦」はブラフマー(梵天)という悪魔から指示されて悟りを伝えはじめたというわけで、しかもこのブラフマーはその後、なぜか「釈迦」の守護神にまでなったとのこと。
「悪魔」を守護神とする人物がまさか「聖人」であるわけがありません。
なので、「釈迦」は紛れもなく悪魔に遣わされた人物、つまり悪魔崇拝者であると断定せざるを得ません。
では、この「ブラフマー」とは何者なのかというと、昨日も言いましたように、「サナト・クマーラ」という悪魔の生みの親です。
で、この「サナト・クマーラ」はヒンズー教などに登場する神様です。
○地底都市アガルタ (シャンバラ) が真の地獄であるという幾つもの証拠。
ヒンズー教は言わずと知れた悪魔教ですので、悪魔教の神が本物の神であるわけがなく、この「サナト・クマーラ」は間違いなく悪魔です。
で、この「サナト・クマーラ」が悪魔である以上、その生みの親である「ブラフマー」も悪魔に違いないわけですが、この「ブラフマー」に守護された「釈迦」のことを、日本人はずっと「聖人」として崇めてきたわけですね。
その一方で、私がちょっとブログに「キリスト」のことを書いたり「聖書」を推薦したりしただけで、この国では悪口やら中傷などのメールが殺到します。
要するに、悪魔たちとしては「本物の神様を日本人に教えるな。日本人にはこのまま悪魔を信じさせておけ」と言いたいわけです。
しかも、日本に「聖書」が広く普及して、多くの日本人が「聖書」を読むようになれば、私のように「天皇」の権威がいかにインチキであるかを知ってしまう人がたくさん出てきてしまいます。
なので、悪魔崇拝者どもは躍起になって日本人をキリスト教以外の宗教に帰依させようとしてきたわけです。(詳しくは以下のリンクをご覧ください。)
○天皇について触れたとたん、裏社会からの攪乱工作が激しくなってきました。やはりここが彼らにとって一番の急所のようです。
しかしながら、この日本でも神道はなかなか普及させにくかった。そのため、神仏習合を行い、仏教を大々的に広めてきたわけでしょう。そうすれば、日本人の多くが「聖書」には見向きもしなくなりますからね。
その上さらに、NHKは「行く年来る年」を毎年の大晦日に放送し、国民ぐるみで「偶像崇拝」を行わせ、神様を冒涜させるよう仕向けています。
で、多くの国民が、自分の行いによって神様を怒らせているとも知らず、むしろ新たな一年を無事に迎えられたといって安心し、今年もいい年になるだろうと期待を寄せているわけです。
毎年のように初詣に行っても、人生に何の変化もないことなど、もうそろそろ気付いてもよさそうなものですが……。
しかし、問題は初詣だけではありません。
「釈迦」が悪魔崇拝者であると分かった以上、仏教を信じること自体が「悪魔」を拝むことに他なりませんから。
しかも、昨日の記事でも触れました通り、仏教で唱える「お経」は、まさに悪魔をおびき寄せるための呪文に他ならないことが分かりました。
「お経」と聞くと、私が先ず思い浮かべるのは「南無妙法蓮華経(なむみょうほうれんげいぎょう)」です。(私の家の近所に、熱心な創価信者の方がいて、毎日のように大声でこのお経を唱えていました。)
あと、有名なのが「南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)」ですね。マンガなどでお経を唱えるときには、おおよそみんなこの言葉を唱和します。
では、「南無妙法蓮華経」と「南無阿弥陀仏」との違いは何なのでしょうか。
先ず両方に共通しているのが「南無」という言葉です。これはサンスクリット語で「~に帰依する」という意味だそうです。
で、阿弥陀仏はもちろん「阿弥陀」という「仏様」のことで、「妙法蓮華経」というのは「法華経」のことです。
○法華経 – Wikipedia
なので、これらのお経の意味はそれぞれ「阿弥陀仏」と「法華経」をひたすら信じ、敬うから救ってほしい、ということになります。
ネットを調べてみると、「南無は感嘆詞と思えばいい」ともありましたので、「ああ、仏様。法華経」といってすがるような感じなのでしょう。
しかし、この「阿弥陀仏」や「法華経」が本物の神様であれば特に問題はないのですが、当然、これらは本物の神様ではありません。悪魔です。
先ず「阿弥陀」ですが、これは大乗仏教の如来の一つだそうで、「大乗仏教」といえばかの悪名高き「密教」も含まれています。つまり、「密教」の神様でもあるわけですね。
○大乗仏教 – Wikipedia
「密教」は悪魔教なわけです(詳しくはこちら)し、悪魔教の神が本物の神であるわけがないので、当然、この「阿弥陀」は悪魔ということになります。
なので、「南無阿弥陀仏」と唱えると、「ああ、悪魔よ。あなたを敬います。あなたに帰依します。どうぞお救いください」と呼びかけるのと同じことになります。
果たしてあなたはこんな言葉を口にしたいですか。私としては、この言葉をここに書くだけでも気分が悪くなりました。
一方の「法華経」ですが、「法華経」には「上行菩薩」という菩薩が登場します。で、この「上行菩薩」が何者なのかというと、恐ろしいことにかの「サナト・クマーラ」なのです。ウィキペディアにこう書かれてありました。
----------------(以下、ウィキペディアより転載)
神智学を日本に紹介した三浦関造はサナト・クマーラと法華経に登場する上行菩薩を同一視している。
----------------(転載ここまで)
この「三浦関造」が何者なのか調べてみたところ、ウィキペディアではキリスト教の牧師となっていて、その宗派は「メソジスト派」。
○三浦関造 – Wikipedia
「メソジスト派」といえば、かの悪魔崇拝者ジェイ・ロックフェラーと同じ宗派ですね。
しかも、この三浦関造の書いた著書の中には「真理の太陽 綜合ヨガ (竜王文庫 1954年)」とか「聖シャンバラ (竜王文庫 1963年)」とか「マニ光明ヨガ (3版 竜王文庫 1974年7月)」なんてものがあります。
ヨガとかシャンバラにこうもこだわるということは、この人が悪魔崇拝者である可能性大です。つまり本物のクリスチャンではないということです。
○この世の神はとかく悪魔だらけ。ヨガ、アセンション、アガルタ関連の話には要注意です。
まあ、当然といえば当然ですね。この人は「神智学」を日本に紹介したということですし、この「神智学」はまさに「悪魔学」みたいなものですから。
その証拠に「神智学協会」を設立した「ヘレナ・P・ブラヴァツキー」はまさに悪魔学の大家と言っても過言ではない人物です。それは以下のウィキペディアの記事を見れば分かります。
○ヘレナ・P・ブラヴァツキー – Wikipedia
まあ、それはともかく、「法華経」に出てくる「上行菩薩」が「サナト・クマーラ」であり、しかもこの「法華経」ではこの「上行菩薩」を神様のように扱います。
なので、「法華経」が悪魔教の教典であることは疑いようがありません。
ということは、「南無妙法蓮華経」という言葉の意味もまた、「ああ、悪魔教の教典を敬います。これに帰依します。どうぞお救いください」ということになるわけですね。
で、この「法華経」は「創価学会」や「日蓮正宗」の教典とされているわけですから、「創価学会」や「日蓮正宗」の信者たちはこの言葉の真の意味も知らずに、悪魔を呼び寄せる呪文を毎日のように唱えているわけです。
しかも、「創価学会」や「日蓮正宗」では「釈迦」よりも「上行菩薩」のことを格上として扱っているとのこと。
○上行菩薩が仏(釈迦)より偉いのは何故ですか? - Yahoo!知恵袋
つまり、彼らは「サナト・クマーラ」を神として崇めているということです。
もちろん、一般の信者の方たちはこんなことなど知る由もないでしょうが……。本当に恐ろしいことです。
はっきりと言いますが、悪魔を何度も呼べば、当然、悪魔はあなたの傍にやってきます。
昔、コックリさんなんてものが流行しましたよね。
で、本当にコックリさんが来たといって驚く人もいました。もちろん、実際に来たと感じなかった人からすれば、こいつは嘘をついているとか、頭がおかしいとか思ったかも知れません。
しかし、私から言わせてもらえば、霊物を呼べば、当然、その霊物はあなたの傍に寄ってきます。別にそれは不思議な現象でも何でもありません。
その一方、「キリスト教」では「神様」とか「主」とか「イエス様」とか「聖霊様」を呼びますので、そうすると、それら三位一体の神様があなたの傍に来て下さいます。
で、これらの聖なる清い霊が臨めば、あなたの心には清さと平安とが訪れます。喜びや希望も湧いてきます。
しかし、「悪魔」が臨めば、逆にあなたの心は苦悩と不安と邪念に満ちていきます。そして、確実に人生が破壊されていきます。
実際、私の実家のすぐ近くにあった二軒の「創価学会」の信者の家は、片方が火事になり、片方は見るも無惨なほど空き家のようなボロボロの有様になっています。
で、創価の上層部だけが大儲けして立派な家に住んでいるというわけですね。もっとも、彼らもいずれは悪魔の餌食になるでしょうが。
ですから、「創価学会」はもはや単なるカルトではありません。完全な「悪魔教」です。仏教を装った他の新興宗教もその中身はきっと似たようなものなのでしょう。
あと、「仏教」には「お経」の他にも「真言」というものがあるそうですね。「真言宗」の「真言」です。
「お経」と「真言」の違いが何かというと、「お経」は仏教思想を記したり、喩え話などで例示したりしている文章だとのこと。
一方、「真言」(マントラ)は、もともとは仏教以前の古代インドで、バラモン僧が唱えた神聖なまじないの言葉だそうです。
神に呼び掛ける言葉で、唱える声そのものに力があるとされていて、それが仏教、特に密教に取り入れられとのこと。
○真言 – Wikipedia
このウィキペディアの「真言」の記事を見てみると、例えばこんな風に悪魔を呼ぶそうです。
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•大日如来-オン・バサラ・ダトバン(Om vajra-dhatu vam)オーン。金剛界の主尊よ。ヴァン。
•阿弥陀如来-オン・アミリタ・テイセイ・カラ・ウン(Om amrta-teje hara hum)オーン。甘露の威光ある尊よ。運載したまえ。フーン。
•阿閦如来-オン・アキシュビヤ・ウン(Om aksobhya hum)オーン。阿閦尊よ。フーン。
•不空成就如来-オン・アボキャシッデイ・アク (Om amoghasiddhi ah)オーン。不空成就尊よ。アハ。
•宝生如来-オン・アラタンナウサンバンバ・タラク (Om ratnasambhava trah)オーン。宝生尊よ。トゥラーハ。
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仏教に出てくる如来や仏様の名前は、すべて悪魔の固有名詞と考えて間違いないでしょう。それらを召喚するのが「お経」であり「真言」であるということです。
我々はどんな宗教を信じる際にも、きちんと教理を理解し、教理の意味を分かった上で信じなければなりません。何の説明も聞かないまま、何の根拠も示されていないものにすがりついてはいけません。
でなければ、こうして知らず知らずのうちに「悪魔」などを帰依し、召喚することになってしまうのです。そうして、人生が破壊されてしまうことになのです。
もっとも、「仏教」には「キリスト教」のように確固たる一つの教典がないわけですから、それももうほぼ不可能でしょう。悪魔どもが人々を惑わすために、わざと教典を作らず、教義を曖昧なものにしてしまったのです。
何度も言いますが、この世には確実に「霊界」が存在し、「神様」も「悪魔」も存在します。
で、「悪魔」を呼べば「悪魔」がやってくるし、「神様」を呼べば「神様」がやってきます。それがこの世の真実です。
あなたの友人を呼べば友人がやってきて、恋人を呼べば恋人がやってくるのと同じことです。
あなたの友人を呼んでも恋人は来ないし、恋人を呼んでも友人は来ませんよね。
果たして「神様」が来るのと「悪魔」が来るのと、どちらがいいでしょうか。
選択するのはあなた自身です。
○悪魔を拝んで人生を破壊する生き方から、神様を拝んで人生を幸福にする生き方へ。
○悪魔に打ち勝ち、自分の心身を守る方法。祈って聖霊を受けることが、悪魔を滅ぼす最大の鍵です。
皆さんに神様からの祝福がありますように。
つゆ草
Posted at 08:13h, 28 4月救いは、ここにあります。
マタイによる福音書19章 30節
「しかし、先にいる多くの者が後になり、後にいる多くの者が先になる。」
日本史的に、その時々の為政者が持ち込み、利用したシステムの一つに、仏教があったのだと思われます。信者は悪くありません。
たまたま、偶然、私などは先に聖書に出合えているなら、日本にあるこれら全てを包括して、多くの人の救いを願い祈ることが要請されているように思われました。
いつもながら、このRapt さんのお働きに感謝申し上げつつ。
アモリフェラ
Posted at 08:36h, 28 4月念仏やお題目は、おそらく「タヴィストック研究所で作った音楽」と同様で、人々を「トランス状態」にして、ものを考えられないようにさせるためのツールなのではないかと思われます。S学会の信者さんは「南無妙法蓮華経」と唱えると気持ちがサッパリしてすがすがしくなるそうですが、本当にただそれだけで、全くものを考えていらっしゃらないご様子です。自分の息子さんが、たとえ徴兵に取られても「お国のために働ける息子で良かった、有難い、有難い!」と感じるだけなのだろうと思いました。お祈りの言葉くらい自分で考えないと…。「奴隷の道。この道しかない!」ってことになりはしませんか?といつも案じている私です。up感謝です。
@joe
Posted at 09:32h, 28 4月RAPT様
毎日の更新、ご苦労様でございます。
まさにお経を唱えるという行為は、輪廻転生への道という事ですね。
さて、日本の仏教に於きましてはこのように比喩されているようです。
「葬式仏教」~ウィキペディアより~
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%91%AC%E5%BC%8F%E4%BB%8F%E6%95%99
しかし「檀家制度」というのは、人権もへったくれもない制度ですね。
江戸幕府ですから、徳川家ですね。
~RAPT様の参考記事~
http://rapt-neo.com/?p=19662
http://rapt-neo.com/?p=19895
失礼致しました。
カシスオレンジ
Posted at 10:15h, 28 4月いつも真理を教えてくださり、有難うございます。
私は聖書に出会う前、苦難があれば仏壇前にて「般若心経」を唱えていました。
部屋中に線香の香りを充満させて、それこそ何度も何度も読経していました。
般若心経について解説書が出ていましたので、それを読み理解した気になっていたのですが、よもや般若心経の結びが真言であったとは。
般若心経を唱えているとき、「お経は梵字ばかりでよく分からないけどこういう意味なんだろう。
解説書にも書いてたし…間違いないはずだ。そうだ、心をこめて唱えればいいんだ。」と唱えていました。
上の記事を拝読して、とても悲しいことだったと思いました。
RAPTさんのブログで聖書を知ってから、定型のお経ではなく自分の思っていること、悩んでいることをそのまま言葉にして、
あるいは、思いにして、自らの親である神さまに話しかけています。
自分の言葉、思いですから改ざんの余地がありません。自らの思いがそのまま伝わります。
RAPTさんが仰るように、「信じるか信じないかはあなた次第」だと思いますが、
私は自分の言葉、思いで神さまと率直に対話していきたいと思いました。
大変失礼いたしました。
アンフェア
Posted at 10:20h, 28 4月真面目で生きて来た人生だったのでしょう。私の知り合いの父が、仏壇に向かい、毎朝、夕、日課のようにお経を唱えておりました。
ありがたいお経だそうです。子供の頃からその姿に違和感を持っておりました。
公務員の仕事に付き、幸せな生活を送って円満退社したそうです。私がいい大人になった頃に、自殺で亡くなったとの一報を聞きました。
何があったのかは詳しく知りませんが、知り合いの父でしたので、もちろん葬儀には参加しました。
ありがたいお経を唱えていたのに・・・自殺するんだ。。。と思いながら。
日本人は昔から仏教を植えつけられていたのかもしれません。寺や神社に行って参拝する。偶像崇拝をする。
上記のような事もあってか、私は昔から偶像崇拝に違和感がありました。
どうしてお祈りをするのにお金やお布施が必要なのだろうか?
もちろんそこで働いている人たちが食べていかなくてはならないという理屈は分かるのですが、
そもそも、お祈りや祈願をするのに、偶像崇拝でお金を取ること自体、私には??でした。
どこかで線引きをしなくてはお寺や神社にも不都合なのかもしれませんが、世のため人のためであれば無償でも構わないと思います。
むしろ、RAPTさんの言うように、「自分の心の中でそっとお祈りすればいいのです。」
それが正しいと思います。祈願やお祈りするのにお金は不要です。
イエスが偶像崇拝を禁じたのも 本来、何かにすがるのではなく、何かにすがると真実が見えなくなる。
という事を言いたかったのではないかと思います。
結局のところ安心ですよね。
何かにすがっていれば正直楽ですし、結果がダメなら偶像のせいに出来るじゃないですか。
弱さというか、辛いことを受け止めないと言うか。
お金やお布施をして拝んでいる宗教に入信していれば楽ですよね。何も考えなくていいんですもん。
右へ習えで教祖やそれぞれの宗教の言うとおりにしてればいいんですもん。
お寺や神社に足を運び、偶像崇拝をしてオフダをもらえば安心するんですよ。
お金を払っているからご利益がある。手を叩けばご利益がある。
私はここにずっと疑問がありました。RAPTさんのブログを拝見して疑問が確信に変わりましたが。^^
釈迦が説法を行ったと言われているインドでも、カースト制度があり、
釈迦が説法を行ったのなら、インドの人たちもカースト制度の違和感を持ってもおかしくないと思います。
ですが、現状のインドのカースト制度は今でも続き、それはそれは酷い仕打ちだそうです。
人間扱いされないですからね。インドの人人たちは、ここにも疑問を持ってもおかしくないと思うのですが。
世界の宗教が一つになれば戦争は無くなると言われていますが、
そもそも色々な宗教が出来て、世の中を混乱させているのも悪魔の仕業でしょうね。
<<我々はどんな宗教を信じる際にも、きちんと教理を理解し、
教理の意味を分かった上で信じなければなりません。
何の説明も聞かないまま、何の根拠も示されていないものにすがりついてはいけません。
その通りだと思います。
誠
Posted at 08:06h, 14 5月呪文で誤魔化されてきたようです。
分からないものを分からないままに信じることは危険なのですね。こちらの内容をもっと理解できるように良く読みたいと思います。
てつわんこ
Posted at 06:17h, 15 7月有名なお経の呪を中国語から日本語翻訳したら、中にルシファー召喚の呪文が堂々と書いて有りました。