10 9月 村上春樹の過剰な性描写に憂いを抱く方が大勢いらっしゃいます。単なるポルノ小説を優れた日本文学として讃えるのはやめて下さい。
つい先日、裏社会の方と思われる方から、「同性愛」差別はやめてほしいとのコメントがあり、それについての私の反論を書かせていただきました。
○「同性愛」差別と「同性愛」の普及を糾弾することとは異なります。しかし、いずれにせよ「同性愛」は正常な感覚ではありません。
○裏社会が「同性愛」を普及させる方法。そのパターンが分かりましたので、簡単にご紹介します。
裏社会のトップの皆さんは、金融ユダヤとお友達になるために、悪魔崇拝組織に入団しなければならず、そのためには自らを同性愛者に貶めなければならない。そうしなければ、悪魔ルシファーから認めてもらえないのです。
そのため、彼らは渋々と(あるいは喜んで)同性愛者になられるわけですが、それだけでは飽きたらず、我々一般庶民の間にも同性愛を普及させるべく、実に数多くの様々なキャンペーンを張り巡らせてきました。
そのお陰で、「同性愛」は異常なものではないと思うようになった方も大勢いらっしゃるのではないかとお察しします。だからこそ、私は敢えて声を大にしてこう言いたいです。「同性愛」は正常な感覚ではありません。絶対にこの世にあってはならないものです。
もし仮にこの世の誰かが「小児性愛」というマイノリティを差別するな、小児性愛者の人権を守れ、と言い出したら、あなたはどう思いますか。私からしてみれば、「同性愛」差別を反対する人たちの理論もこれと全く同じに見えるのです。
若い方にとって「性」というテーマはタッチしにくい恥ずかしいテーマだとは思いますが、私は敢えてこのテーマについて声を大にして言いたいです。なぜなら「性」の乱れは、人間の人生そのものを乱してしまう恐ろしいものだからです。性的に乱れた人はその人生が多かれ少なかれ必ず狂い出します。
欲望の赴くままに生きたところで、所詮、その人生には何の実りもありません。それは性欲だけに限らず、金銭欲、物欲、所有欲、名誉欲、全ての欲望においてそうです。
にもかかわらず、世界のトップエリートである悪魔崇拝者たちは、ありとあらゆる方法を使ってこの世の「性」を掻き乱そうと画策してきました。もちろん、彼らは悪意をもってそうしてきたのです。彼らの崇拝する悪魔の意向に従ってそうしてきたのです。
ポルノを芸術という次元にまで昇華させてきたのも彼らの仕業です。彼らはありとあらゆる分野の芸術に性的なものをしのばせ、その作品を世界最高の作品として褒め称え、この世に広く普及させてきました。
文学の世界では「村上春樹」がその役割を担わされてしまったと私は考えています。残念ながら、我々と同じ日本人が悪魔の片棒を担ぐことになってしまったわけです。(村上春樹自身にそのような自覚があるかどうかは分かりませんが……)
私はこのような考えをずっと以前から強く持っていたため、何ヶ月も前になりますが、以下のような記事を書かせていただきました。
○村上春樹の過剰な性描写。少年少女に悪影響はないのか?
そうすると、この記事に対して、つい先日、以下のようなメールを下さった方がいらっしゃいました。(以下のメールに出てくるMとは、もちろん村上春樹氏のことをさしています。)
———————————–
初めてあなたのブログを読ませていただきました。ある人物のことを検索しているときにたまたま目にとまったのです。そしてあなたがそのある人物、作家のMに対して、私とまったく同じ意見を抱いていることを知って嬉しくなりました。実はある事情により、キーワードとなる言葉を使いたくないので、申しわけありませんがこの先の内容も推察していただくしかありません。そのようなわけで、もしご返事をいただける際も、どうかキーワードとなる言葉はご使用にならないようによろしくお願いいたします。
私がMに対してある種の疑念を抱いていたのはいまからもう30年ぐらい前、彼がデビューして間もないころからです。Mの文章力や読ませる才能、一見仏教的な深みをほのめかすような込み入った哲学もすべて認めたうえで、実はその根底に潜む日本の若者へ与える悪影響に対して言い知れぬ危惧を抱いていました。当時からじわじわと広まっていった若者の無気力が、その先、そして今日にいたるまでさらに悪化していった大きな影響化にはまさしくMが関わっているということを、私は2年ほど前に確信しました。それは彼の背後に何があるのかということを見抜いたからにほかなりません。誰かがそのことをもっと声を大にして、そして詳しく指摘してくれないかとずっと待っていました。というのも私はそれを公に言える立場にないからです。太田という人物(もう亡くなっています)が少しだけ触れているのを以前目にしたことがあります。彼も明らかにMが危険人物であることを直観していました。
それからなぜMの作品に性的な描写が多いのかということですが、実は本人がセックス依存症であるということも大きな理由です。これは私がずいぶん前、Mの近辺にいる人間から聞かされた事実です。そのものはMがセックス依存症だとは言いませんでしたが、いまとなればそのように解釈できます。
Mに決定的に欠けているものは”心”です。Mの中には基本的には善も悪もないような気がします。またこれは私の想像ですが、彼は人を信用していない分、金銭への執着が相当に強いと考えます。そういったもろもろの条件からもターゲットになりやすかったのでしょう。いずれにしろテキは、才能ある人間で、かつ垂れ下がった餌に食らいつく者、世間受けする通俗性を備えているなどという条件のもとに、アーティストたちを選ぶようです。
———————————–
さらにその後、この方から二通目のメールも届きました。やや長い内容ですが、村上春樹に対する多くの人々が抱いているであろう疑念、懸念をあらわす重要な文章だと思いますので、敢えて掲載させていただきます。
———————————–
Mに関してもう少し追加させていただきます。その前に、私は日本を離れてはや15年以上になるので、日本の事情には疎いし、Mの作品もそれ以降のものは読んでいません。ただQ何とかというタイトルの作品を耳にしたときに、読んではいませんが、長年の彼への疑惑を確信したのです。
ある大手出版社の局長から直接聞いた話です。大手とはいってもその出版社は、権威こそあれ、経営状態は落ち目でした。その局長があるときMの妻を通して作品の依頼をしたときに断られたそうです。妻はどこそこの出版社はダイヤの指輪をくれた、どこそこはナニをくれた、でもあなたのところは何もくれなかったではないかと。局長はかなり憤慨していましたが、私は彼をさして評価していなかったこともあり、話を信じませんでした。しかし彼はむきになって”ほんとなんだ”と繰り返していました。私が信じられなかった理由は、ある意味でMの作品の格調の高さに敬意を称していたので、それほどのものを書く作家の妻たるものが、そんなことを言うはずはないと思ったからです。でも今になって、それは事実だったと信じられます。それにまた、あれほど手の込んだ哲学を描写した作品が、どうして毎回何百万部も売れるのだろうということ。たしかに読者を引っ張ていく表現力には長けているし、その部分に関しては 一般受けする理由もわからないではない、しかしそれにしても基本的には大衆小説とは言いがたく、これはもう巨大なパブリシティが働いているとしか考えられない。そのことからも私は陰の力が働いていることを察するわけです。またMはデビュー当初からテレビ嫌いで有名でしたが、たしかに性格的なものがあるとはいえ、他にも理由は考えられます。将来のことを想定したうえでの自己防衛、つまり犯罪者が顔を知られたくないといった・・・
彼の作品をもっとも売ったひとりである編集者をよく知っているのですが、当時から理解できなかったのは、なぜMが能力的にも人間的にもレベルの低いそんな編集者をつけていたのかということ。ただMは彼女には作品の内容に関しては一切口出しをさせなかった。そもそもMの作品の深さを理解できるような編集者ではなかったのです。Mの編集者は彼の妻であり、妻はまたマネージャーでもありました。そしてセックスパートナー。妻のもっとも恐れていたことはMにほかの女ができるということ。そういうことが起きればMは殺されかねなかったでしょう。ふたりはつねに行動を共にし、二人だけの世界を築きました。しかしセックス好きのMにとって妻の存在が重荷であったこともたしかです。
一見深奥さをひらめかす彼の哲学、スピリチャリティを、私はいまやまったく評価していません。そこには普遍的なものはなく、愛もなく、世界と自分を切り離した、いってみればMの癖や自己中心的な世界を言葉巧みに繰り広げているだけ。しょせんだからどうしたという内容です。純文学にとかくみられる傾向でしょう。Mの作品に溺れればおぼれるほど、世界の出来事などどうでもよくなり、ただひたすら自己の弱さに自愛をもって耽溺していく。しかし問題はいまやMの作品は海外でも高く評価されているということです。まさに麻薬のような効果を持っている内容・・・テキはそれにしても賢いです。
長々と書きました。参考になれば幸いです。
———————————–
アマゾンの村上春樹の著書に対するレビューを見ても、彼の過剰な性描写に対して大勢の方が疑念、懸念を抱いていらっしゃいます。手放しで絶賛する方がいる一方で、必ずこういった方たちも多数を占めています。にもかかわらず、大手マスコミは村上春樹が新刊を出す度に大騒ぎします。また、毎年のようにノーベル賞候補になったとお祭り騒ぎを始めます。
しかし、マスコミが村上春樹を絶賛する陰で、実のところ村上春樹の作品を読んで自殺した若者たちが大勢います。特に「ノルウェイの森」はこの世に大量の自殺者を出したことで有名です。それぐらい彼の作品は精神的な毒性に満ちているのです。
そんな危険な毒物を、優れた文学だと言って売り出すのはなぜなのでしょうか。出版社が宣伝をするのは分かりますが、多くのメディア、評論家たちがこぞって村上春樹を賞賛するのはなぜなのでしょうか。
確かに村上春樹の文体には私もひどく惹かれた時期がありました。どんな複雑な内容をも読みやすく分かりやすく書かれた文体は、もともと文学好きだった私の心をとても刺激したからです。
しかし、彼が新たな作品を出す度に、その興奮はじわじわと興ざめへと変わっていきました。どうしてこんなものが高く評価され、沢山売れるのかさっぱり分からなくなっていきました。何かしら裏社会の手が働いているとしか思えない……そんな疑いが日に日に強まっていくばかりでした。
この世の中には、性的なものに対して寛容な人とそうでない人とがいます。性的なものを前面に出されることに抵抗を感じる方が大勢います。とても大勢います。にもかかわらず、この世の中はなぜかそのような人たちに対する配慮に欠けています。異常なまでに欠けています。これではまるで、気違いが「お前もおれのように気違いになれ」と正常な人間たちに向かって言っているようなものではありませんか。
セクハラが大きな社会問題になったのも、性的なものを前面に押し出されるのを嫌がる人たちが大勢いたからです。そんな世間の風潮に対して、世間の多くの人たちが「ノー」を突きつけたのです。にもかかわらず、今でも大手メディアはテレビ、新聞、雑誌を使って、毎日のように性的なものをバンバンと我々に押しつけてきます。
このような世間の風潮が広まったのは、「セックス・ドラック・ロックンロール」という宣伝文句の下、ビートルズが世間に大きく流行したのがそもそもの大きな原因だと私は見ています。
ビートルズの音楽によって、この世の多くの人たちが性に寛容であることが最先端であるかのように洗脳されてしまいました。特に50代から60代の方たちがその影響を大きく受けています。そして、その世代から生まれた世代の人たちが、次から次へと当然のように「できちゃった婚」をし、その人生を大きく狂わせてしまいました。「できちゃった婚」など、それ以前には全くと言っていいほどなかった現象なのです。
「できちゃった婚」をした人たちは、生む必要もない子供を生み、生みたくもない子供を生んで、自らの人生を台無しにした上、その子供の人生までも不幸のどん底に突き落としています。こんなことは絶対にあってはならないことです。政府としても絶対的に対策を講じるべきことだと思います。少子化問題よりもこちらの方がずっと深刻な問題だと私は思います。
人口を増やすことよりも、人間一人一人の人生を幸福にすることが政府として先ずやるべきことではありませんか。なのに、政府は国力の増強のために、子供を産め産めと国民に促しています。ここでも政府は、「全体主義」を前面に出して、「個人」の幸福をないがしろにしています。経済対策と全く同じ手口です。個人を幸せにしていけば、いずれ社会全体も自ずと幸せになっていくということを私たちは知らなければなりません。
○カルト化する日本。「全体主義」から脱却し、「個人」を優先する国家へ。
少子化、少子化と言って、子供を増やすことばかり推進していけば、当然、この世の性の乱れはさらにひどくなります。もちろん、裏社会がそれを望んでいるから彼らはそうしているのでしょうが……。少なくとも、私にはそうとしか思えません。
はっきりと言いますが、貞潔を守ることは別に格好悪いことではありません。むしろ正義であり善であり、人間として当然すべきことだと私は言いたいです。したがって、子供たちには性教育も全く必要ありません。子供たちにはただ一言「結婚するまでは貞潔を守れ」と教えればいいだけです。それだけでこの世の全ての性的な問題は解決します。(これについては以前にも記事を書きました。)
○日教組が行う過剰な性教育。日本のモラルを破壊する悪魔たちの正体。
私が言っていることは、多く人たちが普段から何気なく感じている疑問をそのまま言葉にしているだけだと思います。本当は言いたいのに恥ずかしくて言えないことを代弁しているだけのつもりです。(もちろん、そうではない人も多々いらっしゃるでしょうが。)したがって、私はこのような多くの人々の言葉にならない言葉を今後もきちんと語っていくつもりです。
立石
Posted at 19:49h, 10 9月全くもって正論です。現在起きている様々な問題は、実は「貞潔を守る」だけで簡単に解決できることなのに、マスコミなどがわざと問題をややこしくしているようにしか見えません。
それを阻むものが何なのかといえば、やはり裏で働く勢力たちなのでしょう。
けいの
Posted at 20:10h, 10 9月むかしの作品しか読んでいませんが、あの頃からそうでしたね。
伝統的な精神文化を破壊して堕落させるのが、ユダヤの大好物なので村上春樹が売れるように操っているのでしょう。
わたしたちにはそういう文化はありません。あからさまなものは下品で、はしたないものです。
日本人は性には寛容ですが、そのこととは全く違います。
あんなみっともない愉しみ方をふつうの人は嫌悪します。
そのうち廃れるのではないでしょうか。
あんこぱん
Posted at 00:02h, 11 9月ああ、そうだったのですね。良かったです。
あんな本が売れていることも不思議でした。私だけが感じていたのかと
思ってましたが、そう感じている人がいたことがうれしいですね。
佐村河内みたいに。
ある団体が盛り上げているのかもしれないですね。
あの女性ピアニストも。
本にまで、忍び寄っている悪魔崇拝、あのハリー
ポッターもそのようですね。最近知りました。
通りがけ
Posted at 22:27h, 12 9月RAPTさんが司馬遼太郎が創価信者であったことを見破ったとおり、戦後のGHQコード検閲下のすべての出版物は3S政策に沿うものしか販売部数を伸ばせない。よって村上春樹の堕落腐敗した性描写がフリーメーソン悪魔魔方陣乱倫乱交儀式そのものを描写したものであることは当然の帰結でありましょう。まったく無価値なものです。といっても読書好き多読濫読速読の私が村上春樹も司馬遼太郎も吉川英治もその著作物をどれもいまだかつて一冊も読んだことありませんが。
おその
Posted at 19:45h, 16 10月初めまして。
PART様を始め、皆様のご意見
とても勉強になります。
情報過多の時代、
真実を見極めたいと思います。
水玉
Posted at 13:46h, 04 11月同感です。
ここに名前の出た作家をまるで読んでこなかった自分を褒めてやりましょう。
創価も在も日教組も全部嫌いです。
こんなにすっきり書いてくれる方を見つけてとても嬉しいです。
一人一人が日本を大事に成長させていこうと思う、その気持ちが国を守るのだと思います。
今までの日本人は気を揉むだけで、強い言葉や行動を避けてきた、
そのツケが今の日本の姿になっていると思います。
政治の名を借りて金儲けに走る乞食が多すぎるから、国がおかしくなるのでしょう。
国を思う熱い心を持って、これからは正しいことを実行・実践していくべきです。
誠
Posted at 01:52h, 18 4月初めて書き込みします。いつも真実を知りたくて拝見しております。
Rapt様、水玉様、私も全く同感です。今、涙が滲み出て来るほど感動しています。私の感覚が変な訳じゃなかったんですね。
貞節を守ること。こんな時代だからこそ、損得でなくどの道が一番正しいのかを見極めながら進まなければならないことが分かってきました。
変だと思うものには近寄りすぎないこと、むしろ遠ざける生活を守ること、祈ることが大切だと言う話、心に良く入ってきます。
私が出来ることは小さいですが、自分自身および家族が悪魔的な誘いに誘導されないように普段から気を付けるよう、引き続き話していこうと思いました。