RAPT | 「同性愛」差別と「同性愛」の普及を糾弾することとは異なります。しかし、いずれにせよ「同性愛」は正常な感覚ではありません。
同性愛 差別 普及 マスコミ 政府 サブリミナル
15231
post-template-default,single,single-post,postid-15231,single-format-standard,ajax_fade,page_not_loaded,,side_area_uncovered_from_content,qode-theme-ver-13.2,qode-theme-bridge,wpb-js-composer js-comp-ver-4.3.5,vc_responsive
 

「同性愛」差別と「同性愛」の普及を糾弾することとは異なります。しかし、いずれにせよ「同性愛」は正常な感覚ではありません。

「同性愛」差別と「同性愛」の普及を糾弾することとは異なります。しかし、いずれにせよ「同性愛」は正常な感覚ではありません。

4973719278_400305f84a_b 

今回はがらりと趣を変えて、「同性愛」をテーマに語りたいと思います。
 
つい最近、私の以下の記事に対して、このようなコメントをいただいたことが事の発端です。
 
アカデミー賞女優ジョディ・フォスターが同性婚。性の乱れはどこまで進むのか。
 
————————————
 
同じ愛媛県に住む梅介という者です。
今日このサイトを発見して様々な記事を興味深く読んでいます。
 
私は「おたく差別」「性的少数者差別」の両方で、差別を受けてきて、
そして人権問題として考えて参りました。
 
おたく=異常の風潮に関する記事は興味深く読ませて頂きましたが、
私はアニメファン&アイドルファンであると同時に性的少数者の一人ですから、
この記事は大変ショックでした。
 
性同一性障害や同性愛の当事者は悩んでおり自殺率が高いのです。
そういう人達がこういう記事を見て苦しむんじゃないでしょうか。
 
————————————
 
正直なところ、アニメファン&アイドルファンの同性愛者というのは、愛媛ではあまり見かけない人種ですので、本当にこんな人がいるのか(裏社会からの工作コメントではないか)と疑ってしまいますが、とりあえず本当のご意見だという前提で、私なりの意見を述べさせていただきます。
 
正直なところ、「同性愛」を差別しないようにと政府やマスコミがキャンペーンを張ることは、私個人としては本当にやめていただきたいと思っています。
 
「同性愛」というものは明らかに一つの偏った性癖であり、正常な性意識を持っている人間にとって、これは「小児性愛」とか「サド」「マゾ」などといった異常な性癖と似たようなものであると考えざるを得ません。
 
自分のことを「小児性愛」であるとか「サド」であるとか「マゾ」であるとか、堂々と公言してこの世を生きる人はほとんどいません。たまにいるかも知れませんが、普通はそういったことを隠します。
 
なぜ隠すかといえば、それが恥ずかしいことだと自覚しているからでしょう。「同性愛者」もまたその性癖を普通は隠しますが、やはりそれが恥ずかしいことであると自覚しているからではないかと思います。
 
そのため、「同性愛者」たちがこの世で肩身の狭い思いをされているのは理解できますが、私から言わせてもらえば、それはもはや仕方のないことだと思います。「同性愛者」に限らず、どんな分野においても、少数派の人間というものは世間から浮いてしまうものです。ときに周りから白い目で見られたりもします。学問の世界で他の人と違う意見を持ったり、宗教の世界で他の人と少し違う宗派に属したりしても、少なからず差別を受けるものではありませんか。
 
にもかかわらず、政府やマスコミはなぜか「同性愛」をことさら引き合いに出し、「同性愛」差別をやめるようキャンペーンを張ります。これは普通の感覚をもった人間からすれば理解しがたいことです。異常としか思えません。もし「同性愛」の差別をそこまでして撲滅しようとするなら、他の様々な差別についても徹底的に撲滅するべきではありませんか。しかし、なぜか彼らはそれをしません。
 
それどころか、マスコミは連日のように同性愛者をテレビに登場させ、面白おかしく同性愛の話題について喋らせたり、ときに「同性愛」が病気ではないと大真面目に主張し、「同性愛」をあたかも美しく幸福な世界であるかのように報じます。そうやって一般の人々に、おかしな錯覚を植え付けようとします。私はこのような風潮に大きな違和感を感じます。
 
いいえ。誤解を恐れずに、はっきりと言いましょう。気持ちが悪いものは気持ちが悪いのです。いくらそれを差別だと言われても、普通の人間からすれば、その感覚はどうすることもできないものです。特に私は男ですので、男性に興味を持っている男性にはやはり警戒心をもってしまいます。まして、その人から少しでも好意を抱かれていると感じたら、激しい嫌悪感を覚えるでしょう。
 
ところが、政府やマスコミはこのようなことを差別だと言い、その一方で「小児性愛」については厳しく断罪し、児童ポルノに対して厳しい規制をかけようとしています。「同性愛」というマイノリティは政府が公認し、「小児性愛」というマイノリティは政府が規制するとは、一体どういう判断基準から来ているのでしょう。私から言わせてもらえば、「同性愛」も「小児性愛」も異常な世界には変わりがなく、どちらも規制すべきものとしか思えません。
 
そもそも、こういった性の問題について、政府やマスコミが子供の目に触れる公共の場で賑やかにキャンペーンを張ること自体、私は大きな問題だと思っています。まともな精神を持った親御さんなら、自分の子供にはこういった性的な情報にはなるべく触れてほしくないと思っているからです。
 
にもかかわらず、政府もマスコミも「同性愛」差別を撲滅するという名目の下、白昼堂々と、人目も憚らず「同性愛」の話題を口にします。正直なところ、私はこのような彼らの感覚には吐き気を覚えます。
 
日本政府が性的倒錯を奨励。首相夫人、華やかなパレードでイメージ操作を促す。
 
はっきりと言えば、このような動きの背後には某かの陰謀が働いているとしか考えられません。裏社会の人たちが陰でこそこそと悪いことを企んでいるのです。
 
実際、金融ユダヤをはじめとする裏社会の人たちは、裏社会に正式に入団するために、敢えて自らを同性愛者に仕立て上げていると言われています。そうすることで、彼らの崇拝する悪魔ルシファーが大喜びするのだそうです。人間が「同性愛」という獣以下の醜態をさらすのを見て、ルシファーは満足するのだそうです。政治家にホモが多いと言われているのはそのためでしょう。
 
つまり、裏社会の人間たちは「同性愛」というものが獣にも劣る下劣な行いであることを知っているわけです。にもかかわらず、自らもそのような行為を行うと同時に、全世界の人々にも「同性愛」を普及させようとしているのです。彼らは人類の精神レベルを低下させ、世界のモラルと治安を破壊しようとしているのです。
 
彼らはかつて世界的なスターであるビートルズを使って「セックス・ドラック・ロックンロール」という宣伝文句の下、世界中に麻薬とポルノを蔓延させてきました。麻薬とポルノがビートルズの音楽のように格好いいものであると錯覚させ、麻薬とポルノが流行するように仕向けていったのです。
 
その結果、この日本でも当たり前のように街中にポルノが氾濫するようになりましたが、私はこのような現状にも大きな危機感を覚えています。
 
「ポルノのまん延は公衆衛生上の危機」米専門家たち。
 
ここ最近は、会社の中で少しでも異性を相手にして卑猥な話をすると、それだけでセクハラだと言われて断罪されたりします。にもかかわらず、国民の多くが見ているテレビの中で「同性愛者」が続々と現れ、連日のように卑猥な話ばかりをすることは黙認されています。これはどう考えても異常です。こんなことだから、この国のモラルはどんどん低下しているのです。性に対する感覚がおかしくなり、性犯罪が絶えなくなるのです。
 
もっとも、私は決して「同性愛」の差別を推奨しているわけではありません。それだけは誤解してほしくはありません。ただ「同性愛」を当然のものとして受け入れさせようとする政府やマスコミの動きを警戒しているのです。忌避しているのです。糾弾しているのです。マイノリティの世界はマイノリティの世界のままにしておいてほしいと言っているのです。少数の人しか持たないおかしな感覚を国民全体に押しつけないでくれと言っているのです。
 
とにかく、普通の人なら「同性愛」を気持ちの悪いと感じるのは当然の感覚であり、このような正常な感覚こそ幼い子供たちが身に付けるべきものです。子供たちに「同性愛」という異常な感覚を持たせてはいけません。子供たちにそのような異常な世界があることを教え、その世界に興味を持たせるようなことをしてはいけません。
 
しかし、もしこのような発言をすることすら差別だというなら、私は逆にそれを言論弾圧だと主張します。私はあくまで正しいことを正しいと主張しているだけです。皆がまともな感覚を持つように主張しているだけです。政府やマスコミが何を言おうと、私はこのような正常な感覚がこの世に満ちるよう推進していくつもりです。
 
ちなみに、私は「オタクを異常」としてマスコミが大々的に宣伝していることについて、これまで厳しくブログの中で糾弾してきましたが、かといって別にオタクになることを皆さんに推奨しているわけではありません。むしろ、現在の日本のアニメ産業のほとんどは創価関連企業が牛耳っており、彼らの背後にはもちろん金融ユダヤがいます。
 
「オタクは異常」という風潮をマスコミが作り、警察と共にオタクによる異常事件をねつ造する。それが裏社会の計画です。
 
金融ユダヤは映画産業を作り上げ、ハリウッド映画によって多くの若者たちの精神を堕落させてきました。世界のモラルと治安を悪化させてきました。したがって、彼らの作ったオタク文化にもまた強い警戒心を抱いています。
 
実際、子供を対象にしているはずのディズニー映画に数々の性的なサブリミナルが挿入されていることは周知の事実となっています。裏社会の人間たちはそういったことを平気でできる人間なのです。いいえ、彼らはもはや人間などではありません。完全な悪魔です。
 
ディズニーのマインドコントロール : tacodayoのブログ
 
だからといって、アニメやマンガを見るなとは言いませんが、無理に見る必要はないし、見たくないなら見ない方がいいとだけは言っておきましょう。私もここ最近はアニメもマンガも全く目にしていません。その方がなんとなく精神的にも健康でいられるような気がします。
 

6 Comments
  • あんこぱん
    Posted at 14:47h, 04 9月

    私も全く同感です、このあふれ出るような、同性愛は何か策略があって、このようになっているのでは
    とは、不可思議だからこそ思うのです。ただし証拠はまだありませんが。
    それとは別に、昨年か一昨年にニュースでみましたが、インドでも糖尿病患者が激増していると、
    本日のニュースでは、日本の糖尿病患者も激増しています。むろん癌もです。
    世界中で、貧困層の多いインドでどうして、糖尿病がふえているのか?
    一説では、歯磨きにあるいはシャンプーの中に、薬剤が混ざっているとか言われて
    いますが、まだ、はっきりしません、私は避けていますが。
    ある人は世界中にコカ・コーラが普及しているという意見も。

  • 通りがけ
    Posted at 22:38h, 04 9月

    このイランラジオの記事にある親子関係のほうが日本人仏教徒の私にはアメリカの親子関係よりはるかにしっくり納得できます。
    長文御免
    http://hidenori1212.cocolog-nifty.com/blog/2013/04/post-96c3.html#comment-101983735

    同性愛者による子どもの保育(イランラジオ日本語ニュース)
    http://japanese.irib.ir/component/k2/item/47994-%E5%90%8C%E6%80%A7%E6%84%9B%E8%80%85%E3%81%AB%E3%82%88%E3%82%8B%E5%AD%90%E3%81%A9%E3%82%82%E3%81%AE%E4%BF%9D%E8%82%B2

    社会にとっての健全な世代の育成の大切さ
    あらゆる社会にとって、最も重要な目的は健全な世代の育成です。社会の最小単位としての家庭は、次の世代を育む最初の教育機関でもあり、ここでは子供が喜怒哀楽、友情、仲たがい、よい性格、節制、協力、責任感、尊敬などの性質を身につけていきます。家庭環境は、人格形成に非常に大きな役割を果たしており、そこでの伝統や見本、対応や決まりごとは、子どもたちに影響を及ぼします。家庭はまた、子どもたちにとって最も重要な安全地帯でもあるのです。

    子どもとその現在、そして未来の生活に及ぼす親の役割は、極めて重要です。子どもは、成長していく過程で親の影響を受け、親は子どもにとっての見本となります。子どもの人格は、幼年期にはまだ確立しておらず、幸せ、或いは不幸せな道のいずれをも受け入れる可能性があります。人間の将来が、その人の受けた教育の質にかかっていることから、子どもの親には大きな責務が課されているといえます。そもそも、子どもを持つ親は人間を形成し、完成させる存在であり、親としての最大の貢献は、気高い人間の育成だといえます。これについて、イスラムの預言者ムハンマドは、次のように述べています。
    「父親が子どもに授けることの出来る最高の贈り物は、礼儀とよい躾である」

    家庭と、子どもにとってのモデルとしての両親の重要性
    父親は、子どもによい躾をしたいと望むなら、彼らに対し適切な見本やモデルを示す必要があります。父親は、子どもの精神的な完成や威信につながるべく、子どもにとっての誠実さや威信、時間を守ること、身の周りの整理整頓、約束を守ること、寛大さ、勇気、忍耐力といったことの見本とならなければなりません。逆に、無頓着や臆病であったり、悪い癖や精神的な問題を抱えている父親は、子どもの精神状態に悪影響を及ぼします。母親の、子どもの手本としての側面も非常に重要であり、子どもを進歩と後退のいずれにも誘導しうるものです。母親の膝元は、いわば子どもにとって初めての教育を受ける場であり、子どもはここで優しさや知識、モラル、宗教を学び、これらの教えは子どもの記憶に一生残るものなのです。
    子どもは、家庭環境において全ての物事を見聞きし、自分の記憶に収めると共に、子どもが理解する物事は、建設的、或いは破壊的という両方の可能性をはらんでいます。このため、子どもの躾に怠慢な親は、大きな裏切り行為を行ったことになります。子どもを持つ親は、社会に大しても責任を負っていますが、それは現在の子どもたちが、将来は大人の男性と女性になるからなのです。
    こうした中、何らかの理由で自分の生みの親を奪われ、義理の親に育てられる子どもは、微妙な立場に置かれることから、普通の子ども以上に危険や弊害にさらされることになります。複数の調査から、健全でない家庭で育てられた子どもは、社会にとって弊害をもたらす人間に育ち、こうした子どもは非行に走ったり、社会、政治、民政に従わない傾向が多くなっています。

    一部の国で既に認められている同性結婚と同性愛者との養子縁組
    残念ながら、今日では一部の国において、同性結婚という現象が正式に認められてしまっており、さらにはこうしたカップルによる養子縁組が合法化される事態にまで至っています。現在、世界では20カ国が同性結婚を法的に認めており、さらに一部の国では同性愛者同士の結婚が、正式には認められていないものの、同性愛者が同棲という形での家庭を形成することが可能になっています。こうした中で、世界のおよそ25カ国とアメリカの一部の州は、このような不自然でしきたりにそぐわない行動を合法であると発表したのみならず、子どもの権利や福祉に注目せずに、同性愛者による養子縁組や里子の受け入れを許可しています。

    同性愛者による保育が子どもにもたらす弊害
    同性愛という悪しき現象の合法化もさることながら、同性愛者に子どもを預けることは、純朴な子どもの心と体に、明らかに取り返しのつかない弊害をもたらすことになります。子どもは、神からの贈り物であり、男女の結婚により出生するもので、これは次世代の出生と存続のための、唯一の自然な方法です。このため、男性と女性により結成される家族のみが、子どもの成長と教育に相応しい環境であり、自然の法則に逆らった同性愛者に子どもの保護監督を任せることは、事実上子どもの育成と成長にとって相応しくない下地を整えることになります。同性愛者による逸脱した家庭で育てられる子どもは、モラルや本当の愛情、誠実さ、正しい夫婦関係の見本を学び取ることはありません。そうした親の下での養育は、事実上一方的で欠陥のある不自然なものなのです。
    近年においては、一部の西側諸国で同性愛者による養子縁組の受け入れに関する調査がなされており、その結果こうした養育が子どもの権利や成長に、取り返しのつかない悪影響をもたらすことが判明しています。このことから、西洋諸国の一部の思想家は、全ての子どもは積極的に人生を送るために男性の見本としての父親と、女性の見本としての母親を必要としていると考えています。同性愛者は男性であれ女性であれ、自らの誤った生活様式や性的趣向が原因で、実際に子どもの発育に弊害を及ぼします。特に、情緒面での発達やアイデンティティの認識、性的趣向の面で、同性愛者に育てられた子どもたちは問題に遭遇することが多くなっています。
    さらに、同性愛者の両親とともに生活する子どもは、社会で差別を受けたり、すげない対応をされる可能性が高くなり、他人との良好な関係を築いたり、それを広げることが出来ないと考えられています。実際に、同性愛者による養子縁組の受け入れは、ごく普通の家庭におけるる関係や概念とは異なるものです。また、ここで極めて重要なポイントは、生みの親が誰であるかを知る子どものアイデンティティ面での権利です。これは基本的人権の1つですが、同性愛者による養子縁組に関する法律により、それは侵害されることになります。
    同性愛者が抱える問題点
    研究調査からは、同性愛者はうつ病やストレス、緊張といった要素にさらされていることが分かっており、普通の人々に比べて自殺や自殺未遂の件数もはるかに高くなっています。また、一部の調査では、子どもに対する性的な虐待の3分の1から半数は、同性愛者によるものであることが分かっています。さらに、「犯罪、暴力、そして同性愛」というテーマで行われた、性科学研究所によるある調査の結果、アメリカで1970年以降の20年間に発生した集団殺人或いは、連続殺人事件の全ての事例において、少なくとも犠牲者の68%は同性愛者によるものだったということです。また、同性愛者の間では性病への罹患率も非常に高く、そうした疾病の一部の病原体はウィルスであり、他人に伝染する可能性があります。このように、心と体、そして性的な面での問題を抱えている人々に子どもを委ねることは、子どものためを考える、公正で中立な全ての人々から見て、どのような条件をもってしても決して認められません。

    国際人権規約に反する、同性愛者への子どもの保育の委任
    同性愛者に子どもを預けることは、明らかに国際人権規約に反するものです。これについて、1948年に西側諸国により批准された世界人権宣言の第16条には、「成人である男性と女性は、互いをもって夫婦となり、家庭を形成する権利がある」とされています。この条文は、男性と女性による婚姻について明言しています。また、国際法では、子どもは父親と母親1人ずつで形成される、自分の生まれた家族の下で保護監督される権利があると定められています。
    1966年に国連総会によって採択された、経済的、社会的及び文化的権利に関する国際規約の第10条でも、子どもの自然な発育を妨げるもの、或いは倫理面や健康面で子どもにとって有害となるものは全て、法的な処罰の対象とされると定められています。また、児童の権利に関する条約の第1条第3項も、何らかの形で子どもに関して行われる措置は全て、何よりも子どもの利益と健康の確保が優先されると定められています。さらに、この条約の第1条の第24項と第29項でも、子どもの身体的、精神的な発達と強化、そして子どもの健康の維持が強調されています。

    それでは、自由や人権擁護を主張する国々は何故、罪のない子どもの権利を蹂躙するのでしょうか?また、なぜ子どもの幸福や健康に反して、子どもを同性愛者に委ねるのでしょうか。同性愛者が形成する生活環境が、保護者のいない子どもの養育環境に適したものになりえるでしょうか。これらの国々では、子どもは孤児のようなものでしかないために、人権を持つことができないのでしょうか?人としてあるべき道や道徳では、親のいない子どもは普通の子どもよりも手厚い支援を受けるべきだと考えられています。イスラムも、親のいない子どもを厚遇することを特に重視しており、シーア派6代目イマームサーデグは、これについて次のように述べています。
    「神の恩恵にあずかり、天国に入りたいなら、親のいない子どもに同情し、優しくするがよい」

    罪に穢れた同性愛者に、保護者のいない子どもの世話を委ね、子どもの精神状態に大きな弊害を与えることは、果たして子どもの為といえるでしょうか?普通の人間とは性質も違い、モラルや宗教面での価値観に欠陥のある同性愛者に、保護者のいない子どもの世話を任せるべきではありません。法的な手段に訴えて、同性愛といった醜いな現象や、そうした人々による養子縁組の受け入れの合法化を目指すような政府は、人間性や道徳、子どもを初めとする社会の人々の心と体の健康に注目していないといえるでしょう。(転載終わり)

    ーーーーーーーーーーーーーーーー

    仏教国日本菩薩常民古来伝統の子育て躾けと対比してみましょう。
    まず>『親父の小言』1852年

    ■ 親父の小ごと

    1.  火は粗末にするな

    2.  朝、機嫌を良くしろ

    3.  朝早く起きろ

    4.  神仏かみほとけを祈れ

    5.  身を大切にもて

    6.  不浄をみるな

    7.  身の出世を願へ

    8.  不吉を言ふな

    9.  家内笑うて暮らせ

    10.  人に腹を立たせるな

    11.  人に恥をかかせるな

    12.  人に割を食はせるな *損をさせるな

    13.  人に馬鹿にされていろ

    14.  人を羨むな

    15.  利口は利口にしておけ

    16.  年寄りをいたはれ

    17.  恩はどうかして返せ

    18.  万事油断をするな

    19.  女房の言ふ事半分聞け

    20.  子の言ふ事は九ッ聞くな

    21.  家業は精を出いだせ

    22.  何事も我慢をしろ

    23.  子供の頭を打つな

    24.  己が股をつねれ *わが身をつねって人の痛さを知れ

    25.  たんと儲けて使へ

    26.  借りて使ふな

    27.  人には貸してやれ

    28.  女郎を買ふな

    29.  女房を探せ

    30.  病人は労いたはれ

    31.  難渋な人には施せ

    32.  始末をしろ *無駄遣いをするな

    33.  生き物を殺すな

    34.  鳥獣とりけだものは食ふな

    35.  年忌・法事をよくしろ

    36.  親の日は万事慎め *親の年忌・命日には謹慎しろ

    37.  義理を欠くな

    38.  子供はだまかせ *だまくらして上手に扱え

    39.  女房に欺されるな

    40.  博奕をするな

    41.  喧嘩をするな

    42.  大酒を飲むな

    43.  大飯を食ふな

    44.  判事はんごとはするな *印判を押す=保証人になるな

    45.  世話焼きになるな

    46.  門口かどぐちを奇麗にしろ

    47.  三日に氏神へ参れ

    48.  晦日に内を掃除しろ

    49.  貧乏を苦にするな

    50.  火事の覚悟をしておけ

    51.  火事には人をやれ、内を守れ *出火の際は消火要員を出す一方で家も守れ

    52.  風吹きに遠出をするな

    53.  火事には欲を捨てろ

    54.  火口箱ほくちばこを湿すな *火打ち石などが入った道具箱を湿らすな

    55.  水を絶やすな

    56.  塩は絶やすな

    57.  戸締まりをよくしろ

    58.  夜更けに歩くな

    59.  寒さを凌げ

    60.  暑さも凌げ

    61.  泊まりがけに出るな

    62.  高見たかみへ登るな *高見の見物のように傍観するな

    63.  雷らいの鳴る時、仰向あおむいて寝るな

    64.  寒気の時、湯に入るな

    65.  怪我と災難はバチと思へ

    66.  物を拾ひ、身に付けるな

    67.  冬は物を取り、始末をして置け *冬場は物を大切に保管し、浪費をするな

    68.  若い内は寝ずに稼げ

    69.  年寄ったら楽をしろ

    70.  折々に寺参りをしろ

    71.  身寄りのない人を労いたはれ

    72.  小商物こあきなひを値切るな *薄利の商売では値切るな

    73.  風吹きには舟に乗るな

    74.  何事も身分相応にしろ

    75.  身持ち女は大切にしろ *妊婦は大事にしろ

    76.  産後は、なほ大切にしろ

    77.  小便は小便所へしろ

    78.  泣き言を言ふな

    79.  病気は仰山にしろ *病気は大袈裟に思え(軽々しく思うな)

    80.  人の気を揉む時、力を付けてやれ

    81.  悪しき事も「よし、よし」と祝ひ直せ

       以上、八十一ヶ条

       上様や大名方は生きた神 滅多にするとバチが怖ひぞ

       我人と隔てのつくが凡夫なり 仲良くするが仏付き合ひ

         嘉永五壬子年九月吉日      施主 神田住

    。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

    日本人士農工商四民が先祖代々仏教徒菩薩常民であることがわかります。

    次に、聖武天皇以来全国に建てられた寺で庶民にわかりやすく説かれた法句経即ち釈尊の言葉の現代訳を紹介しましょう。

    宝彩有菜のスッタニパータ
    http://homepage3.nifty.com/hosai/dammapada-01/suttanipata-all-text.htm

    宝彩有菜のダンマパダ解説
    http://homepage3.nifty.com/hosai/dammapada-01/damma-all-text.htm

    ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

    また聖武天皇以来日本中の寺で庶民に教えられた釈尊の言葉として『七不衰法』があります。

    http://www.asyura2.com/13/senkyo158/msg/472.html#c82
    82. 2013年12月27日 13:43:44 : rWn9PLlcps
    靖国神社について語るには神道についてしらねばならない。
    戦前俗に皇紀2600年と言い習わしていたが釈尊生誕が2500年前と言われていた頃なのでそれよりも100年古い歴史があると言いたかったのであろう。万世一系の天皇という「神話」を捏造したのは正に明治維新政府元勲江戸時代人別帳非人出身新平民伊藤博文と山県有朋であり、それまでは国として神仏習合した聖徳太子以来ずっと日本は仏教国であり神社には必ず神護寺という寺が併設されて寺僧のほうが宮司より上位におかれて仏法僧の三宝が日本の国中ですべての民衆によって篤く敬われてきていたのである。このため日本の民衆社会では江戸時代末まですべての人別も教育も寺で行われてきた。つまり日本では古来の神道は聖徳太子以来国教である仏教が貴ぶ仏法僧三宝の輩下に置かれていたのだ。全国に国分寺国分尼寺を建て総本山東大寺に大仏を鋳造した聖武天皇が詔して自らを「三宝の奴(やっこ)」として以来仏教が日本の国教で国是となった。
    釈尊の霊鷲山講話に「七不衰法」がある。仏教は他の一神教と違い異教の神を否定せず受け入れる教えである。
    「 1 しばしば会合し、よく集まる間は彼らは繁栄こそすれ、衰えることは決してない。
     2 一致和合して会合し決議しことを処理している間は衰えることはない。
     3 新しい制度を設けたり、前の制度を捨てたりせず、旧来の風習を守っている間は衰えることはない。
     4 年長者を尊敬し、その言うことを聞いている間は衰えることはない。
     5 婦女子を強制して言うことを聞かせるようなことをしない間は、衰えることはない。
    6 各宗教の宗廟を尊敬し、昔からの仕来りの供物を怠らない間は衰えることはない。
    7 宗教家達を尊敬し、よそから喜んで宗教家がそこを訪れ、そこにいる宗教家は喜んで留まっている間は衰えることはない。」転載元http://wandara.net/blog/blog.php?key=23867

    聖徳太子以後の平安時代、中世を中略して明治維新新政府が5世紀以来の国教である仏教を「神仏分離令」で廃仏毀釈してそれまでずっと神道のうえに会った仏法僧の僧侶を追放して宮司神官を逆に国教の最上位に据えた。これは七不衰法の3.と6.を直接破る者で、明治維新政府の衰亡はこの廃仏毀釈の時に定まったと言えるでしょう。
    なぜ伊藤博文は廃仏毀釈したか?それは自分が非人であったことが寺の人別帳にはっきりと記載されていたからです。
    これが維新政府の「特定秘密」でした。これを仏教後と証拠隠滅するために神仏分離令を出し廃仏毀釈して全国の寺の宗旨人別帳を破棄させた。そしてうちたてたのが万世一系という虚偽の衣を着た明治神道というわけです。

  • 北の修行者
    Posted at 23:45h, 04 9月

    良いこと言った。胸がすく思いです。自分は大東流と言う武術を修行する者ですが。
    武道、武術は厳しい思いして磨くものです。子供、若い人は武道武術で心身磨いて欲しいです。
    素晴らしいですよ。

  • オタクホモ創価
    Posted at 08:16h, 05 9月

    数ヶ月前から創価コミュニティのど真ん中にここの情報をぶっこんでます。そこには何も知らない一般人もけっこういるので…。そのせいで脅迫や妨害が急増したかもしれません。すいません。懲りずに質の高い分析記事を上げてくださるとありがたいです。基本、脅迫メールなどは「目もくれない」のが最善策だと思います。ただのかまってちゃんですから。負担にならない範囲で相手するといいです。防御ツール?として監視カメラ、盗撮カメラ、ボイスレコーダー等は使いこなせると役に立ちますので、持っておくといいかもしれません。最近はどれも安く手に入ります。

  • miori
    Posted at 08:20h, 05 9月

    同性愛は軍隊など男性ばかりの集団で異性がいないことから同性を代用にしていたり、また、プラトンは美少年との愛を説きましたがこれはプラトニック・ラブの語源になったように肉体関係をを持たないものでした。異性愛がどうしても肉体愛になりがちなのに対し、精神愛を磨くために少年愛を推奨したんですね。しかし、私も同性愛を政治レベルで取り上げたり積極的に認めるのはおかしいと思います。人権云々を言うならおっしゃる通り、小児性愛も認められないとおかしい。

    また、最近欧州では「未成年者の性的自己決定権」とやらを認めさせようとする運動が盛んです。小難しい言い方をしていますが、ようするに「子供がセックスする権利」を認めろ、という話です。認めるもなにも未成年でもセックスする子供はしてしまいます。それに先住民文化や昔の日本のように未成年で結婚して子供を作る社会もあるので、文化的背景があれば未成年の性行為(と、いうより子作り)があってもいいのですが、欧州のそれは違います。大人と同じように「快楽を目的としたセックス」を未成年にも積極的に認めろ、ということです。これもおかしい。大人の世界だってそもそも快楽を程度に求めることまでは否定しませんが、セックスは本来子作りのための行為です。たしかに大人が快楽ばかり追求しているのに、子供に認めないのはずるい、と多くの子供は思うでしょう。しかし、これはやはり大人が悪い。性を本来の姿からはるかに歪めて生きている現代西洋文明に毒された社会の価値観では「大人はいいのに子供はダメ」というのもあまり説得力がありません。まずは、大人の異性愛者が性を快楽の手段として追求しすぎることをやめないかぎり、どんな性的権利も認めるばきだ、という発想になってしまうと思います。

  • Posted at 00:26h, 03 12月

    同性愛に題だと思います。明解な答えを私は持ちません。ただ本能的に危機感を感じているんじゃないかと、自分自身については思います。
    異性間での恋愛が社会的に認知されたとき、夫婦という単位が公に受け入れられ、社会的信用や証明になり得たものが、同性愛者間でも認めようという動きは、社会の規範やモラルが、多方面で揺らぎ、規範に対する考えに大転換をもたらすもので、社会的制度の在り方を根底から覆しかねない大問題なのではないかと危惧します。社会保障や家族制度、性差というものに対する自覚の不確かさ、性別に対する無関心、不安定からくる自信の喪失、、、それらを危惧するものです。
    女性同士の恋愛、結婚なんてやはり普通じゃないよ、、、と独り言を口にしていると、
    性差なんて関係ない、人として好きだから一緒にいたいと思うことや家庭を持ちたいと思う人は、おかしいの?そんなの変だよ、差別的だと、我が子に反論されました。
    子どもは人類の平等を言いたかったようですが、性差は厳然としてある。それに逆らってしか生きられないという人は、やはりマイノリティーであるという認識を持つべきでないのかという意見は、私のなかでは消えません。性差なんてないものとして同性愛者をメジャーな存在として受け入れよという考えには賛成しません。
    朝の忙しい時間に見たテレビでの情報だったため、子どもとは議論はできませんでしたが、同性愛者で同居したり、一緒のお墓に入りたいというのはあるでしょうけれど、同性愛者間で婚姻届けや結婚式という形式は、性差の理由や異性間での婚姻の意義が薄れるので、私は反対です。長文すみません。

Post A Comment