02 7月 JAL123便墜落事故の真実を「墓場まで持っていく」と言った中曽根康弘こそ、JAL123便撃墜の首謀者ではないのか。
ここ数日に渡って、JAL123便墜落事故の真相を究明してきましたが、正直なところ、「国常立尊」を蘇らせるために乗客520人が殺されたという事実を知って、未だに私自身もショックが抜け切れておりません。
核兵器を隠蔽するためとか、グリコ・森永事件の犯人を抹殺するためとか、プラザ合意を吞ませるために「JAL123便」が撃ち落とされた、という話はネットでもあちこちに出回っていましたので、その事実についてはそれほど大きなショックを受けることはありませんでしたが、「出雲族」が自分たちの信じる神様(悪魔)を蘇らせるために、520人もの人たちを無作為に殺したのだと思うと、余りのおぞましさに気がおかしくなりそうです。
しかも、彼らがそんな自分たちの犯罪を今でも必死になって隠蔽し、誰かが「JAL123便墜落事故は陰謀だった」とネットに書くたびに慌てたように火消しています。何の根拠もなく「そんな陰謀論はデタラメ」と言いふらしています。
要するに、彼らは自分たちがやったことが悪だと自覚していて、自分たちのやったことを国民に知られたくないと思っているわけです。彼らは悪いと分かっていて、乗客520人を生贄として殺したのです。
しかも、この日本の中には、「JAL123便墜落事故」にまつわる真相のすべてを「墓場まで持っていく」と公に発言した政治家がいます。
それが誰かといえば、タイトルにも書きました通り、元首相「中曽根康弘」です。(最上の画像の右側。左側はレーガン元アメリカ大統領)
恐らく彼は、ここに並べた真相のすべてを死ぬまで隠し通すつもりなのでしょう。
しかし、いくら彼一人がこれらの事実を隠そうとしても、他の政府関係者なり、自衛隊関係者なりが事件の真相を暴露してしまう可能性はなきにしもあらずです。
そうすると、「中曽根康弘」自身はもちろんのこと、ロックフェラーや「出雲族」の関係者たちなど、「JAL123便墜落事故」に関わった人たちは皆、国民を敵に回してしまうことになります。
しかし、そんなことになってはマズイということで、慌てて「特定秘密保護法案」を作らせた……。
信じられない話かも知れませんが、実はかの世紀の悪法「特定秘密保護法案」は、この「中曽根康弘」の主導の下で作られたようなのです。
----------------(以下、こちらから転載)
特定秘密保護法の目的は、政治犯罪を隠匿することで政治家の無責任を合法化する法案である。この法案の原案は前政権の民主党内で策定された。
2009年9月政権交代を果たした民主党は、非核三原則を謳ってノーベル平和賞を受賞した佐藤栄作が、米国に対して、日本国内に核の持ち込みを許可していた密約の案件を引き継いだ。
岡田克也を中心とした調査メンバーは、密約文書が、佐藤栄作の自宅から発見されたという事実にも関わらず、明文化した日米密約文書はないとしながら、日米合意のもとで核が持ち込まれていたことを認めた。
この日本人だけに通用する玉虫色の決着に米国側は理解できない。民主党政権の外交は失墜。民主党政権は、外交の信頼を担保する法案の策定を始めた。これが秘密保全法である。
2010年8月、日航機123便墜落事故の再調査を前原誠司を中心に行われる。これは2009年12月に、前原誠司を後援する京セラの稲森が日航の再建の責任者となったことと関係する。
稲森は、日航機123便墜落事故に政治犯罪が隠されいることに気が付き、前原誠司がこの事件に関心を持ち、遺族側の要求を受けたというのが真相である。
結果、前原誠司は、2011年7月に123便事故解説書を公開して、事故原因は後部圧力壁の損傷という結果を再主張する。
後部圧力隔壁の損傷は、生存者の証言で有り得ない話であるにも、前原誠司らは、従来の主張を繰り返した。
これは、密約文書が発見されたにも関わらず、明文化された密約文書は存在しないという、岡田克也の調査報告と同じで、論理の破綻は、誰の目にもあきらかである。
にも関わらず、嘘というかデタラメを押し通した。何を守ろうとしたのか、いや、誰を守ろうとしたのか、それとも、脅されたのか。2011年12月には、野田佳彦が秘密保全法を策定。つまり、この時点で、民主党政権が覗いた戦後の政治犯罪の蓋を閉じる法案の基本が策定されたのである。
佐藤栄作の密約は事実確認がされていて、この問題を政治犯罪とするかしないかは日本国民次第であるが、日航機123便の事故は、その凄惨さと冷酷な犯罪が世に出れば、国内外で自民党と政府の信用は失墜するのは必定と考えたのだろうか。
とにかく、野田佳彦の民主党は、戦後の2つの政治犯罪というパンドラの箱を一旦は開けときながら、自分たちの手で再度封印した。
野田佳彦らの見返りはなんだったのだろうか。とにもかくにも、政権交代が起きても、前政権の政治犯罪を追求させないルールをシステム化する秘密保全法を策定。そして、政権に返り咲いた安倍普三の政府は、秘密保全法を特定秘密保法として法案を提出し成立させた。
政権交代がおきても、過去の政治犯罪への調査をさせない。知り得た情報の漏洩をさせない。そして、秘密文書として非公開期限を60年とすること。
このように特定秘密保護法案が策定された経緯を知れば、この法案の弱点がわかる。そう、日本航空123便墜落事故の事故原因である。事故原因が後部圧力壁ではないことは、世界の航空関係者が知っている。事故の生存者の証言でも機内の圧力は下がっていないのだ。
しかし、重要なポイントは、中曽根政権がこの事故を死人に口無しとばかりに、人命救助をしないばかりか生存者を殺害したことである。これを問題とさせないために、事故原因の究明に遺族や関係者の目を向けさていることに気がつかなかればならない。
日航機123便墜落事故は、航空機事故というよりも、証拠隠滅のための殺戮という事件であり、国際刑事裁判が審査する事案であるのだ。
日本側が主張する後部圧力壁の損壊を事故原因とするために、当時の中曽根政権は、外交ルートを通して、ボーイング社と後部圧力隔壁を事故原因とする口裏合わせを要請しているはずだ。この外交文書が、米国の公文書の公開で明らかになれば、国際刑事裁判所も動かざるをえなくなるだろう。
日航123便墜落事故の政治犯罪の首謀者である中曽根康弘は存命中である。かれは、この事件の真相を墓場まで持っていくと公言している。この法案を成立をほくそ笑んでいるのは中曽根康弘なのだ。
このように考えていくと、日航123便墜落事故の事故原因の嘘の証拠となる外交文書が見つければ、この法案の経緯も知られるであろうし、廃案にする道も開かれるはずだ。
しかし、法案成立した現在、日航123便墜落事故を調査をした者は逮捕されてしまう。この政治犯罪を証明するのは、特定秘密保護法が適用されない日本国外の日本国籍以外の人たちに託すしかない。
----------------(転載ここまで)
もっとも、この「特定秘密保護法」が作られた目的は「JAL123便墜落事故」の真相の隠蔽のためだけでなく、他にも色々な理由があったとは思いますが、それでもこの「JAL123便墜落事故」は、日本政府が犯した国家的犯罪の中でも群を抜いて悪質なものです。
一応、この犯罪を計画したのがロックフェラーで、言い出しっぺもロックフェラーだったのかも知れませんが、それでも「出雲族」も彼らの計画に乗ったわけですから、もしこの事件の真相が暴かれれば、「出雲族」も同じように犯罪者として裁かれることになります。
いいえ。それだけではありません。もし本当に「JAL123便」に核兵器が搭載されていたのであれば、そして、その事実を隠蔽するために日本がアメリカと応戦したのであれば、「大和族」もまた同じように裁かれることになるでしょう。
その核兵器を搭載したのは、明らかに「大和族」に違いないからです。
ですから、この事件の真相が暴かれれば、「大和族」も「出雲族」も「教皇派」もみんな我々国民を敵に回してしまうことになります。
そういった事態を避けるためにも、安倍晋三をはじめとした自民党議員たちはあれほど強行的に「特定秘密保護法」を成立させなければならなかったわけです。
そして、この法案の成立に最も深く関わっているのが「中曽根康弘」……ということですね。
ネットに流布している陰謀論によると、「中曽根康弘」はロックフェラーから円高に誘導するよう脅されていたが、なかなか吞まなかった。
そのため、ロックフェラーが彼を脅すために「JAL123便墜落事故」を仕掛けた、ということになっていますが、正直なところ、私はこの話にはどうしても納得ができません。
なぜなら「中曽根康弘」も、ロックフェラーと共謀して一緒に「JAL123便墜落事故」を計画したとしか考えられないからです。どこからどう見てみても。
というのも、「中曽根康弘」は明らかに「出雲族」の人間であり、この「出雲族」は「JAL123便墜落事故」のお陰で自分たちの神様を蘇らせてもらうことができた。
ということは、「中曽根康弘」こそが520人を殺して「国常立尊」を蘇らせようと計画した張本人ではないかと考えられなくもありません。第一、彼は「JAL123便墜落事故」の起きた当時の首相なのです。
「中曽根康弘」が「出雲族」だと言える理由は、何よりも先ず、彼が戦時中に「海軍」に所属していたことにあります。
○中曽根康弘 – Wikipedia
海軍というと「出雲族」でしたね。詳しくは以下のリンクを御覧下さい。
○第二次大戦で日本が負けたのは、やはり天皇 (大和族) に対する出雲族の裏切りが原因でした。
もっとも、海軍の兵隊たちがみんな「出雲族」であるとは限りませんが、「中曽根康弘」のような有力者の場合、何の理由もなく「海軍」に入隊するとは考えにくい。
さらに彼は、内閣総理大臣に就任した際、「出雲系」の宗教である創価学会などと連携して、「教皇派」に都合のいい政策を次々と作っています。(創価学会が出雲系であると言える理由はこちら)
----------------(以下、こちらから転載)
かってJRが民営化されたときも、当時の中曽根首相が同じように利権を貪っていたようです。
自民党と創価学会の連携で。
そして日本の優良不動産が外資の担保とされた。
民営化の真の目的は利権と外資への日本資産の献上だった。
2000年9月現在、日本フリーメイソン「東京メソニック協会」は東京のシンボルのひとつである東京タワーと同じ区画にある第38森ビルに入居している。
戦後GHQは、日本軍の隠した貴金属を次々と発見していくが、発見されたものは米国政府の命令で米国本土に送り、米国の財産としなければならなかった。
しかし、日本軍部が自己所有として記録に残した貴金属と、実際に米国本土に送還された貴金属の量には圧倒的な「差」があった。日本軍の隠した貴金属摘発を担当したのは、GHQのマッカート少将であったが、実際に実務を仕切ったのは冶金課長のジョージ・パーディであった。
日本から奪われ米国政府にも渡されなかった膨大な貴金属は、パーディの手によって東京メソニック協会と言う得体の知れない財団法人に移され隠された。
この東京メソニック協会は、フリーメーソン日本支部代表(グランドロッジ)であった。パーディはフリーメーソン日本支部の支部長であった。
そして事実上米国を欺いてイスラエルに奪われた貴金属は、この2つの「森ビル」を拠点に次々と現金に姿を変え、東京港区を中心とした日本の優良不動産の買収に使われ、不動産に姿を変えて行った。
その土地買収と買収した土地への高層ビル建設を担ったイスラエルのフロント企業が森ビル。
日本を代表するビル会社、森ビルの正体はフリーメーソン日本支部であり、イスラエルのフロント企業であり、その資金源は日本軍部とGHQから略奪した貴金属であった。
イスラエル=森ビルは港区全体の大地主と言われるようになる。
中曽根は総理大臣時代、高層ビルの高さ規制撤廃を行い、森ビルの事業を大々的にバックアップした。
そして中曽根は国鉄分割民営化等で出てきた国鉄の土地、政府所有の国有地を破格でイスラエル=森ビルに投げ売りした。
イスラエルは日本政府とGHQから略奪した資金で、中曽根が投げ売りする東京都内、日本全国の優良不動産を買収して行った。
原発建設、森ビルのための高層ビルの高さ規制撤廃等、中曽根の政策は常にイスラエルのために行われて来た。
(註: 全てがイスラエルのために行われたというのは正確ではないと思いますが。)
こうして中曽根の政策により、日本の国土の最重要地を入手したイスラエルは、宗教法人創価学会の名義で不動産を登記する事で、脱税を大々的に行う(宗教法人に課税はされない)。
中曽根の子分で、大蔵省の官僚時代から夫婦で東京タワーに隣接するイスラエルのメソニック森ビルに「無料」で住んで来た国会議員浜田卓二郎は、公明党創価学会の強力なバックアップで国会議員を続けながら、イスラエルの取得した優良不動産を創価学会名義で登記するパイプ役となって来た。
浜田と中曽根の尽力で無税の恩恵を受けたイスラエルは、見返りとしてその不動産を担保に、新生銀行(日債銀、興銀、長銀等の旧・政府系金融機関が、こうした不正融資のブラック・ボックスになって来たが、現在その機能を引き継いだのが新生銀行である。)から資金の融資を受け、浜田と公明党創価学会の選挙資金とし、中曽根自民党の選挙資金として献金して来た。
元々、戦後自民党が結成される際に、その結党資金を提供したのはイスラエル、パーディのメソニック協会であった。
森ビルの社運をかけた事業の六本木ヒルズで悲惨な事故が発生した。2004年3月26日、小学校入学直前の6歳の男児が電動回転ドアに挟まれて死亡した。
痛ましい死亡事故が発生したのち、2003年4月から2004年2月までに、同ビルの回転ドアで32件の事故が発生したことが明らかになった。
森ビルの責任が問われた。
しかし、六本木ヒルズの「運営本部長」を兼ねていた森ビルの森稔社長(70)については事故を予見できなかったとして立件が見送られた。
森ビルの森社長は小泉前首相と密接な関係を築いたようだ。森ビルが社運をかけて取り組んだ事業が「六本木ヒルズ」だ。ライブドア、村上ファンド、楽天などの企業が六本本ヒルズにオフィスを構えた。「ヒルズ族」という新語が生まれた。
2003年4月22日の六本木ヒルズのオープニングーセレモニー。
小泉首相は「この東京の新たな街づくりに極めて刺激的、魅力的な六本木ヒルズが誕生したという、この誕生に立ち会うことができたのは幸運だと思います」と祝賀挨拶した。また、「こんなに賑わっていてどこが不況か」と述べたことも伝えられた。
森氏は私に「小泉政権を批判しないように」と語った。森氏が小泉首相を支援していることがよく分かった。このセレモニーの最中、私は六本木ヒルズ内に個人事務所棟があり、小泉政権や米国政府と親密な学者や元官僚などがオフィスを有していることを聞いた。」
テレビ朝日も森ビルのテナントのひとつである。
森ビルと清和政策研究会との間には抜き差しならないものがあるのだと考えられる。自民党清和政策研究会は検察を支配し、森ビル関係者は逮捕もされずに事件処理を終えた。
----------------(転載ここまで)
このように、「中曽根康弘」は「創価学会」とも仲良し、「森ビル」とも仲良し。で、その「森ビル」は「小泉純一郎」と仲良しで、「清和会」とも仲良し。
そして、これら一連のグループはみんな「出雲系」と思われる連中ばかりです。
実際、彼らはみんなアメリカやイスラエルとグルだったとのこと。で、このアメリカとイスラエルは「教皇派」であり、「出雲族」は昔から「教皇派」と仲良しと来ている。(詳しくは以下のリンクを御覧下さい。)
○竹中平蔵はなぜ創価企業「パソナ」の会長に就任したのか。「天皇派」と「教皇派」と「大和族」と「出雲族」の奇妙なもつれあい。
○自民党推薦の憲法学者全員が国会で「安保法案」を違憲と表明した裏のカラクリ。
なので「中曽根康弘」が「出雲族」であることは確実なことなのです。
したがって、彼がロックフェラーに脅されて渋々と「プラザ合意」を吞んだとは考えにくいわけですね。「出雲族」と「教皇派」は仲良しなのですから。
ただ、日本の首相が、積極的に「プラザ合意」を受け入れて円高に誘導してしまうと、日本のすべての企業を敵に回してしまいかねないので、ロックフェラーから脅されたということにして、渋々と「プラザ合意」を吞んだという風に見せかけてきたのではないでしょうか。(もちろん、事情に通じた関係者のみの間で)
そしてその実、裏ではロックフェラーから多額の賄賂を受け取っていた可能性もなきにしもあらずです。
正直なところ、私はこの「中曽根康弘」にはそんな疑いを抱かざるを得ません。
以下、昨年8月の記事です。
----------------(以下、こちらから転載)
朝日新聞の慰安婦訂正記事で右派陣営が勢いづいている。
「朝日は責任をとれ!」と気勢をあげているのはもちろん、自民党の政務調査会議は河野談話も朝日報道が前提だとして「河野談話を撤回し、新たな官房長官談話を!」とぶちあげた。また、同党の議連では朝日新聞関係者、さらに当時の河野洋平元官房長を国会に招致して聴取すべき、という意見までとび出している。
だが、朝日や河野洋平氏を聴取するなら、もっと先に国会に呼ぶべき人物がいる。それは第71代日本国内閣総理大臣の中曽根康弘だ。
大勲位まで受章した元首相をなぜ従軍慰安婦問題で審訊しなければならないのか。それは先の大戦で海軍主計士官(将校)の地位にあった中曽根元首相が、自ら慰安所の設置に積極的に関わり、慰安婦の調達までしていたからだ。
何かというと左翼のでっちあげとわめきたてて自分たちを正当化しようとする保守派やネトウヨのみなさんには申し訳ないが、これは捏造でも推測でもない。
中曽根元首相は自分の”手記”の中で自らこの事実を書いており、しかも、防衛省にそれを裏付ける戦時資料が存在していたのだ。そこには、部隊の隊員によるこんな文言が書かれていた。
「主計長の取計で土人女を集め慰安所を開設」
まず、”手記”の話からいこう。中曽根が慰安所設立の事実を書いたのは『終りなき海軍』(松浦敬紀・編/文化放送開発センター/1978)。同書は戦中海軍に所属し、戦後各界で活躍した成功者たちが思い出話を語った本だが、その中で、海軍主計士官だった中曽根も文章を寄稿していた。
タイトルは「二十三歳で三千人の総指揮官」。当時、インドネシアの設営部隊の主計長だった中曽根が、荒ぶる部下たちを引き連れながら、いかに人心掌握し戦場を乗り切ったかという自慢話だが、その中にこんな一文があったのだ。
「三千人からの大部隊だ。やがて、原住民の女を襲うものやバクチにふけるものも出てきた。そんなかれらのために、私は苦心して、慰安所をつくってやったこともある。かれらは、ちょうど、たらいのなかにひしめくイモであった。卑屈なところもあるし、ずるい面もあった。そして、私自身、そのイモの一つとして、ゴシゴシともまれてきたのである」
おそらく当時、中曽根は後に慰安婦が問題になるなんてまったく想像していなかったのだろう。その重大性に気づかず、自慢話として得々と「原住民の女を襲う」部下のために「苦心して、慰安所をつくってやった」と書いていたのだ。
ところが、それから30年たって、この記述が問題になる。2007年3月23日、中曽根が日本外国特派員協会で会見をした際、アメリカの新聞社の特派員からこの記載を追及されたのだ。
このとき、中曽根元首相は「旧海軍時代に慰安所をつくった記憶はない」「事実と違う。海軍の工員の休憩と娯楽の施設をつくってほしいということだったので作ってやった」「具体的なことは知らない」と完全否定している。
だが、これは明らかに嘘、ごまかしである。そもそもたんなる休憩や娯楽のための施設なら、「苦心」する必要があるとは思えないし、中曽根元首相の弁明通りなら、『終りなき海軍』の”手記”のほうがデタラメということになってしまう。
だが、同書の編者である松浦敬紀はその10年ほど前、「フライデー」の取材に「中曽根さん本人が原稿を2本かいてきて、どちらかを採用してくれと送ってきた」「本にする段階で本人もゲラのチェックをしている」と明言しているのだ。
いや、そんなことよりなにより、中曽根元首相の慰安所開設には、冒頭に書いたように、客観的な証拠が存在する。
国家機関である防衛省のシンクタンク・防衛研究所の戦史研究センター。戦史資料の編纂・管理や、調査研究を行っている研究機関だが、そこにその証拠資料があった。
資料名は「海軍航空基地第2設営班資料」(以下、「2設営班資料」)。
第2設営班とは、中曽根が当時、主計長を務めていた海軍設営班矢部班のことで、飛行場設営を目的にダバオ(フィリピン)、タラカン(インドネシア)を経てバリクパパン(インドネシア)に転戦した部隊だが、この資料は同部隊の工営長だった宮地米三氏がそれを記録し、寄贈。
同センターが歴史的価値のある資料として保存していたものだ。
本サイトは今回、同センターでその「第2設営班資料」を閲覧し、コピーを入手した。
宮地氏の自筆で書かれたと思われるその資料にはまず、「第二設営班 矢部部隊」という表題の後、「一 編制」という項目があり、幹部の名前が列挙されていた。
すると、そこには「主計長 海軍主計中尉 中曽根康弘」という記載。そして、資料を読み進めていくと、「5、設営後の状況」という項目にこんな記録が載っていたのだ。
「バリクパパンでは◯(判読不可)場の整備一応完了して、攻撃機による蘭印作戦が始まると工員連中ゆるみが出た風で又日本出港の際約二ヶ月の旨申し渡しありし為皈(ママ)心矢の如く気荒くなり日本人同志けんか等起る様になる
主計長の取計で土人女を集め慰安所を開設気持の緩和に非常に効果ありたり」
さらに「第2設営班資料」のなかには、慰安所設置を指し示す証拠となる、宮地氏の残したものと思われる手書きの地図も存在していた。
それはバリクパパン「上陸時」の様子(昭和17年1月24日)と、設営「完了時」の様子(17年1月24日~同年3月24日)を表す2点の地図資料だ。
バリクパパン市街から約20km地点のこの地図から、中曽根たちが設営したと思われるマンガル飛行場滑走路のそばを流れるマンガル河を中心に民家が点在し、またマンガル河から離れた場所に民家が一軒だけポツリと孤立していることがわかる。
そして2つの地図を見比べてみると、”ある変化”があることに気づく。「上陸時」から「完了時」の地図の変化のひとつとして、その孤立した民家の周辺に、設営班が便所をおいたことが記されている。さらにその場所には「上陸時」にはなかった「設営班慰安所」との記載が書き加えられている。
つまり、上陸時に民家だった場所を日本軍が接収し、「設営班慰安所」に変えてしまったと思われるのだ。
もはや言い逃れのしようはないだろう。「主計長 海軍主計中尉 中曽根康弘」「主計長の取計で土人女を集め慰安所を開設」という記載。それを裏付ける地図。中曽根元首相が自分で手記に書いたこととぴったり符号するではないか。
しかも、「土人女を集め」という表現を読む限り、中曽根主計長が命じて、現地で女性を調達したとしか考えられないのである。
実際、インドネシアでは多くの女性が慰安婦として働かされており、彼女たちは日本軍に命じられた村の役人の方針で、どんなことをさせられるのかもしらないまま日本兵の引率のもと連れ去られたことを証言している。
そして、年端も行かない女性達がいきなり慰安所で複数の日本兵に犯されたという悲惨な体験が語られ、その中にはこのパリクパパンの慰安所に連れてこられたという女性もいる。
つまり、中曽根首相がこうした”強制連行”に関与していた可能性も十分あるのだ。
朝日新聞の訂正で勢いづいた保守・右派勢力は銃剣を突きつけて連行したという吉田証言が虚偽だったという一事をもって、強制連行そのものを否定しようとしている。さらには従軍慰安婦への軍の関与そのものを否定するかのような虚偽を平気でふりまいている。
しかし、もし、強制連行はない、軍の関与もないといいはるならここはやはり、「土人女を集め」たという元主計長・中曽根康弘を国会に喚問して、どう「集め」たのか、「苦心」とはなんだったのか証言させるべきではないのか。
一メディアの誤報をあげつらうより、そのほうがはるかに「歴史の検証」になると思うのだが、いかがだろう。
----------------(転載ここまで)
このように、「中曽根康弘」は戦時中に「慰安婦」を集めて「慰安所」を作り、それを自慢げに記録に残したりするような人物なのです。
これだけ見ても、彼がどこか普通の人間としての常識に欠けていることが分かります。また、彼のウィキペディアの記事を見てみても、その数々の失言・暴言にはただただ唖然とさせられるばかりです。
○中曽根康弘 – Wikipedia
それだけではなく、「原発」を推進して数々の利権を貪り、悪魔崇拝組織「フリーメーソン」のために数々の便宜を図り、今でも「憲法改正」を推進しようとまでしています。(彼は「自主憲法制定」をライフワークとしているとのこと。)
○【憲法改正】中曽根元首相「長い間改憲できず申し訳ない」 新憲法制定議員同盟 民主・松原氏も改憲訴え – 産経ニュース
しかも、ある有名陰謀論者の話によると、彼もまたご多分に漏れず、同性愛の嗜好をお持ちのようです。つまり「悪魔崇拝者」である可能性が高いというわけです。
このようなことから見てみても、彼がロックフェラーと共謀して「JAL123便」を墜落させる計画を立てたという疑いはどうしても捨てきれません。
しかも、こういう人間が未だに元首相という看板を掲げて政治に口出ししているというのですから、この国はこれからもまだまだ地獄に向かって突き落とされていく可能性がなきにしもあらずです。
この日本に平和と義が満ちあふれるよう、皆さんと共にお祈りしたいと思います。
Satomi.C
Posted at 21:11h, 02 7月一気に全部読ませて頂きました。
・・・・私でさえあまりの異常で卑劣な行為に怒りが収まらない状態ですが、ここまで調べ尽くしてくれたRAPTさんにとっては、気がおかしくなっても不思議ではありません。
悪い事であると知ってて行ない、政府の立場を利用してとことん隠蔽していくやり方は、もはや人間のやる事ではありません。ますます悪魔というものが存在するのではないかと実感します。
「クールジャパン」とかふざけた活動をやってる最中、こんな恐ろしい実態を知ったら、海外の方はどう思うのでしょうか?この事件は世界中の人達に知って欲しいです。
私も、日本の真の平和をお祈り致します。
藍染蘭丸
Posted at 05:38h, 03 7月体調が悪い中、更新して下さってありがとうございます。
この数日の日航ジャンボ機墜落事故の記事を何度も読ませていただきましたが、この事件に日本の隠された闇が全て凝縮されているのではないかという気がしてきました。
戦後、ロックフェラーが日本を支配しようとして様々な謀略を練ってきたことは確かですが、出雲族も国常立尊を蘇らせてもらうためにロックフェラーに手助けしてもらったことで、彼らの結束がより強力になり、日本にさらに大きな巨悪がはびこる原因になったのではないかという気がします。
しかし、このRAPTブログによって、私だけでなく、多くの人が日航ジャンボ機墜落事故について再考する機会を与えられたことと思いますし、これを機に、犯人が白日の下に晒される日が近くやって来るのではないかという気がします。
特定秘密保護法の制定など、はっきり言って関係ないのではないでしょうか。
皆さんの祈りが天まで届いていると信じます。
HI
Posted at 06:49h, 03 7月なるほど。確かにロックフェラー側と中曽根は繋がっていますね。
人脈や政策でそう判断できると思います。
中曽根は表面上はアメリカの要求を呑む形で、
円高にして国民の批判の矛先を変えたつもりでしょうか・・・。
それにしてもボーイング社の外交文書などの弱みを握っているから、
天皇派と教皇派は持ちつ持たれつの関係がずっと続いているのでしょうかね。
あやこ
Posted at 14:14h, 03 7月体調悪い中、今回も有難うございます。
RAPTさんの記事を読むにつけ、日本の政治家の謎の行動が本当にスッキリと理解できます。
私は中曽根氏を十数年前、高崎のあるレストランで偶然見かけたことがあります。
その時の異様な、人間離れした雰囲気は筆舌し難く、今まで会った誰とも感じたことのないものでした。
まさに妖怪ぬらりひょん‥‥
すいません、ふざけているわけではなくて、本当にそう思ったのです。
あの時に感じた感覚は間違っていないのだなと、今回の記事を読んで思いました。
策謀や悪事に明け暮れていると、人は妖怪になるのだと。
無実の520人もの人間の命をそのような理由で
犠牲にできるとは、未だ信じられない気持ちの自分も居りますが、愚かな戦争や人工的な災害やテロでは何千何万の命が同じ理由で失われているわけで、それが現実なのだと改めて思い、暗澹たる心地となります。
日本は、決して民主主義ではない。
日本は、決して平和ではない。
それがしっかりと私の中に刻まれました。