RAPT | RAPT×読者対談〈第86弾〉人生の取扱説明書の値段はいくらが適正か?
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RAPT×読者対談〈第86弾〉人生の取扱説明書の値段はいくらが適正か?

RAPT×読者対談〈第86弾〉人生の取扱説明書の値段はいくらが適正か?

 
ここ数日に渡って、自己啓発やスピリチャル系と呼ばれるものが実は「悪魔崇拝」そのものであり、自分の人生をよくするどころか、かえって破滅に突き落とす可能性があるものであることを、確固たる証拠をお見せしながらお話してきました。
 
RAPT×読者対談〈第84弾〉自己啓発もスピリチャル系も悪魔崇拝。
 
RAPT×読者対談〈第85弾〉江原啓之・美輪明宏から始まったスピリチャルブームもすべてはルシファー信仰。
 
今回の対談は前回の〈第85弾〉の続きになりますが、久しぶりの箸休めのような内容となっています。
 
テーマはズバリ、「人生の取扱説明書の値段はいくらが適正か?」です(笑)。
 
敢えて副題をつけるとするなら、「自己啓発やスピリチャル系にお金をぼったくられずして人生を良くする方法」ということになるでしょうか。
 
我々人間にとって、この人生はたった一度きりしかありません。
 
にもかかわらず、私たちはこのたった一度の人生をどのように生きればいいのか、どのように生きれば幸せになれるのか、幸せとは何なのか、といったことを全く知らずにこの世に生まれてきます。
 
一応、悪魔教の世界では「輪廻転生」があることになっていて、人生は一度きりではないという話になっていますが、それでも誰ひとりとして前世の記憶を持っていない以上、この世の生き方を知った上で母の胎から生まれ出てくる人は誰もいません。
 
そのため、私たちはこの世に生まれ出た後から、一から人生の生き方を学び、習得していかなければならないわけですが、いざその生き方を真剣に学ぼうとすると、「自己啓発」「スピリチャル系」「宗教」といったものに首を突っ込まざるを得ません。
 
そして、そういったものに深く首を突っ込むと、莫大なお金をとられてしまいます。
 
どんなものを買っても、取扱説明書はタダでついてくるのに、人生の取扱説明書だけは巨額の値段がついてしまうわけです。
 
しかも、恐ろしいことに、そういったものに首を突っ込んだ多くの人が、人生をより良く改善していくのではなく、かえって人生をダメにしてしまう場合が大半です。
 
もっとも、中には少しは人生が良くなったという人もいるのかも知れませんが、それもあくまでほんの少し良くなっただけ、という場合がほとんどでしょう。
 
莫大なお金を払っても、それほど大きく人生が改善されず、むしろ人生をダメにしてしまうのなら、最初からそんなお金など払わない方がマシというものです。
 
しかしながら、数多くの不幸を経験したり、大きく成功したいという野心に燃えたりすると、やはりどうしても人は「自己啓発」や「スピリチャル系」や「宗教」などに手を出してしまいます。
 
そういったものに頼りたくなります。
 
そして、悪魔(イルミナティ)どもはそんな人々をカモにしてお金儲けしようと虎視眈々と狙っているのです。
 
所詮、悪魔とはそのような性根をもった生き物だからです。
 
彼らは人を騙しながら巨額のお金を巻き上げようとすることしか頭にありません。これまでの調査を通して、それがはっきりと分かってきました。
 
それでは、一体どうやって我々人間は悪魔に騙されることなく、お金をぼったくられることなく、人生の生き方を学んでいけばいいのか……。
 
一応、私はこれまで繰り返し、その答えは「聖書」にあるとお話してきました。
 
しかし、悲しいことに、日本人の多くは悪魔に洗脳されきってしまっているため、「聖書」に対して強い偏見を持っています。
 
だから、私がいくら「聖書」を勧めても、読まない人は一向に読もうとしません。
 
しかも、例え「聖書」を読んだとしても、一人ではとてもその内容を理解しきれないので、どこかの教会に通おうとするのですが、この世に氾濫している教会のほとんどが悪魔に乗っ取られています。
 
そのため、教会に通いはじめても、間違ったデタラメの聖書解釈を教えられ、かえって人生をダメにしてしまうケースが大半です。
 
私自身もそのような苦痛をさんざん味ってきました。
 
だからこそ、私はこのブログを通して、その憎き「悪魔」の化けの皮を一枚一枚剥がすような活動をしてきたわけですが、このブログを始めて二年も経たないうちに、人類が何千年間も解けなかったような数多くの難問を幾つも解くことができるようになりました。
 
私自身も、この快挙にはとても驚いていますし、とても喜んでいます。
 
しかし、このような私の活動を見て、心ない数多くの人たちが「こいつは何か裏があるのではないか」「こいつは何か巨大な組織とつながっているのではないか」などと疑い、実際にそのようなメールを何度も書いて送ってきました。
 
しかし、そのようなメールが送られてくる度に、私はかえって自分のやっていることはやはり凄いことなのだな、と再確認し、ますます自負するようになりました(笑)。
 
いずれにせよ、今ここで改めてはっきりと言います。
 
私はその辺のどこにでもいるごく普通の庶民です(笑)。
 
何か巨大な組織からお金をもらったこともなければ、何かの情報をもらったこともありません。何らかの協力を受けたことも一度もありません。
 
ただし、私が他の人と大きく違うところが一つだけあります。
 
それは「聖書」の言葉を誰よりも熱心に信じ、「聖書」の言葉通りに熱心に生きてきたことです。
 
そして、この世の誰よりも数多くの本を読んできました。
 
しかも、ありとあらゆる分野の本を、まんべんなく、特に偏見をもつことなく、好き嫌いせずに読んできました。
 
易しいと言われる本も、難解と言われる本も、低俗と言われる本も、高尚と言われる本も……どんな本も分け隔てなく読んできました。
 
そして、今でもネットに溢れるありとあらゆる情報に目を通しながら日々を過ごしています。
 
その上で、今まで蓄えてきた情報を辻褄の合うように組み合わせながら、一つの理論を組み立てています。
 
そのような人生を何十年と歩んできたことによって、現在の私があるわけです。
 
しかし、私のような人生を送ってきた人がこの世には余り多くないので、どうしても私は他の人たちから奇異の目で見られてしまうわけです。
 
とはいえ、私としてはこれが自分自身の望んできた人生なので、今では心から神様に感謝せずにはいられませんし、これからもこのような人生を送りつづけるでしょう。例え誰が妨害しようとも……。
 
ということで、今回の対談は、私について「何か裏があるのではないか」「何か巨大な組織とつながっているのではないか」などと疑っている人に対する一つの回答であり、なおかつ、この人生をどう生きていけばいいのかという悩みを抱えて生きている人に対する一つの回答になっています。
 
もちろん、皆さんの抱えている疑問の全てを解くことはできないかも知れませんが、それでも一つのヒントぐらいにはなるのではないでしょうか。
 
ということで、今回は先ず一つの参考として、前回(第85弾)の対談を聞いたある読者の方からいただいたメールをご紹介したいと思います。
 
----------------(メールの転載ここから)
 
RAPTさんお疲れ様です。
 
今日の対談は聞いててスカッとしました。
 
占いで法則なんかない
 
絶対にそう思います。
 
以前、細木和数子が「占いは統計学だ」ってTVで言っていました。
 
もう一つ気に入らないのは、「厄年」といってビビらせて、お祓いをさせる事です。
 
こちらは日本人の多くが信じているので厄介です。特に年寄り。
 
あのように、年齢でいい悪いを決める事で、いい人も悪い人も同じように、危機が訪れる事になるので、定期的にお金を稼げます。
 
みんな恐がってお祓いしていて、なんとかならないものかなと思います。
 
恐がらせて稼ぐのは詐欺師なのに、寺がやると、みんな疑わないんです。
 
仏教を見ていると本当に儲け主義だなという気がします。
 
金、金、金、で本当に嫌になります。
 
神社仏閣に寄付した人の名前が刻まれた、石っていうんですかね?、そういうのがいっぱいあって、「私が金を出しました!」とこれみよがしに書いてあって不愉快です。
 
多額の寄付が出来ない貧乏な人は肩身が狭いと思います。
 
学校の成績表を張り出すみたいで感じが悪いです。
 
今読んでいる本にも以下のように書かれてありました。
 
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
 
(【隠された】十字架の国・日本 逆説の古代史 ケン・ジョセフ/シニア&ジュニア著 )
 
一方、日本で死者を弔う際に用いられる「位牌」にも、景教の影響があります。
 
日本の仏教の寺では、人が亡くなったとき、その戒名と日付を書いた「位牌」を用います。
 
佐伯好朗教授によれば、この風習は、もともとは景教のものでした。
 
景教徒は、死者を弔う際に、亡くなった人の洗礼名と日付を書いた二つ折りの位牌を用いたのです。
 
そしてこの風習は、もともと仏教にはなかったものです。
 
さらに「戒名」というもの自体、景教の影響だとも指摘されています。
 
なぜならインド仏教に、「戒名」というようなものはありませんでした。
 
タイや、スリランカ、ミャンマー、カンボジア、ベトナム、中国、韓国などにおいても、戒名の風習はありません。
 
それは日本仏教界の発明なのです。
 
その日本でも、昔は戒名は生きている者だけがもらったものです。
 
ところが今は、死んだ者のために、遺族が代金を払って買うというシステムになってしまっています。
 
戒名はもともとは無料のものでした。
 
景教徒は昔、洗礼を授けた人々に、洗礼名を授けていました。もちろん無料です。
 
仏教徒はどうもこの習慣を仏教に取り入れたようです。
 
そしてはじめ仏教徒は、戒名を、仏弟子となって受戒をすませた人たちだけに与えていました ― 無料で。
 
ところが、のちに日本仏教がいわゆる「葬式仏教」と呼ばれるものになったとき、戒名は、死んだ者のために遺族が高い金額を払って手に入れるものになってしまいました。
 
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
 
昨日の対談でパワーストーンの話が出てきたので、
 
昔読んだ、以下のサイトを思い出しました。
 
石の効能以前に、天然石の販売自体がデタラメで、無知をいい事に荒稼ぎしています。
 
これを読んだらいかにこの業界がバカバカしいかわかります。
 
陰謀論とは関係ないですが、読み物として面白かったので少しだけ紹介します。
 
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜(本当は恐い天然石のはなしより)
 
「天然」表示に関する疑問
 
http://isinohanasi.com/article/55213479.html
 
今回いろいろと問い合わせをする中で一番ショックだったのは、ほとんどのショップや業者の方が、天然石に対する処理の有無を記載することを避けていて、そこに拘る私の方が異例だという態度を取られたことでした。
 
「拘りたいならうちでは買わないでください」
 
「これ以上ご案内いたしかねます」
 
「これくらいのことはどこでもやってます」
 
「うちだけ処理内容を記載するのはちょっと…」
 
「その値段で本物だと考えるほうがおかしいのでは?」
 
「もっと値段とのバランス感覚を持って取引するべき」
 
「本物が欲しいなら自分で掘りに行けばいい」
 
「あなたのように神経質で面倒なお客の相手はしていられない」
 
「処理内容を記載しろという方がおかしい」
 
などなどなどなど。
 
これらはみな、加工の有無を問合せる中で実際に言われた言葉です。もっとひどいものもありました。果し状まがいのメールが送られてきたことも。
 
けれど問題は、そのような態度をとられたことではなく、最終的にそのような態度を取ったほとんどの業者さまが、最初の質問メールに対しては、
 
「うちは大丈夫です。信頼できる仕入れ元からしか仕入れていませんし、長年の実績もあります。品質には自信がありますので安心してください」
 
という旨の返答を返してこられたことなのです。
 
これはもうパターンといってもいいくらいです。
 
最初の質問に対しては「大丈夫」と太鼓判を押され、次に個人的に疑わしいと思う天然石について質問をすると返答に濁りや曖昧さが漂いはじめ、さらに質問を続けると段々と雲行きが怪しくなり、最後には暗礁に乗りあげる。
 
暗礁に乗りあげるという表現を使ったのは、結局処理についての情報が分からないまま、話がうやむやになるからで、そのほとんどが「返品していいからもううちでは買わないで」というものでした。
 
私は返品がしたいのではなく処理の情報が欲しかったのですが、処理の質問に答えるよりは返品対応を望まれる業者さまがほとんどで、不明確な石の多くが返品対応期間を過ぎているにも関わらず、ペナルティーなしの返品として処理されました。
 
正直、より天然に近い石を手に入れることが、こんなに大変だとは思ってもいませんでした。
 
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
 
http://isinohanasi.com/article/55216534.html
 
一般的に施されている処理の数々
 
ここに私が知り得た「当たり前とされている」天然石の処理を記載しておきます。
 
ちなみに私は最初に天然石を購入した時、これらの処理が「当たり前」であることをまったく知りませんでした。
 
・アクアオーラ・サンシャインオーラ等のクリスタル系(水晶に人為的加工を施したもの)
・レッドタイガーアイ(タイガーアイに含まれる鉄の成分を加熱により赤鉄鉱化したもの)
・ターコイズ(含浸処理)
・アズライト(圧縮処理)
・アズマラカイト(ワックス処理・プラスチック、樹脂の注入処理)
・コランダム系(色の改善を目的とした加熱処理及び拡散処理、含浸処理など)
  コランダム系=ルビー、サファイア等
・シトリン(色の改善を目的とした熱処理及び放射線照射)
・スモーキークオーツ(色の改善を目的とした熱処理及び放射線照射)
・オニキス(染色)
・アクアマリン(色の改善を目的とした熱処理)
・モルガナイト(色の改善を目的とした熱処理)
・アパタイト(色の改善を目的とした熱処理)
・ラピスラズリ(ワックス処理・染色処理)
・オパール(オイル、ワックス、プラスティック、樹脂の含浸処理)
・カルセドニー(染色)
・フローライト(照射処理・加熱処理)
・クンツァイト(加熱処理・照射処理)
・タイガーアイ(染色処理・漂白処理・加熱処理)
・トルマリン系(加熱処理・照射処理・オイル、樹脂の注入処理)
・アンバー(琥珀と天然琥珀は別物)
  アンバーのイミテーションには、粉を高温高圧で加工したアンブロイド、
  化石化してからの経過年数が少なく琥珀酸を含まないコパールなどがある。
・さんご(充填処理、染色)
・カーネリアン(色の改善を目的とした熱処理・染色)
・トパーズ(色の改善を目的とした加熱処理及び放射線照射・拡散処理など)※白以外
・翡翠(染色処理・漂白処理・樹脂含浸・プラスチック含浸など)
・タンザナイト(色の改善を目的とした熱処理)
・ラブラドライト(表面へのワックス、オイル処理)
・アズライト(表面へのワックス、オイル処理)
 
これらの情報は今回私が個人的に知り得たもので、完全ではありません。
 
他にも「当たり前」とされている処理が存在する可能性は否定できません。
 
また上記に記載した天然石は、販売されているもの全てが処理品というわけではありません。
 
もちろん無処理品も存在します。しかし処理品であっても商品説明欄には何も記載されていないことが多いので、私のように「より天然に近い石」を求められる方は、自分が購入しようとしている石に上記のような処理が成されているかいないかを、事前に問合せされた方が無難だと思います。
 
追記
オニキスなどアゲート系の天然石に施される染色は、通常の染色とは違い鑑別機関に出しても識別ができないとの情報を得ました。
 
また現在天然石市場に流通しているアゲート系の天然石は、特別な記載がない限り染色品である可能性が高いようです。
 
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
 
私が天然石をお譲りし続ける理由
 
http://isinohanasi.com/article/55209684.html
 
オークションを通して今後も天然石をお譲りし続けることを決めた大きな理由のひとつは、業者さまの販売に対する姿勢や対応に疑問を感じるケースが多かったからなのですが、これまでに疑問を感じた内容(の一部)を箇条書き出すと、下記のようになります。
 
 ・天然石に対する知識や情報をほとんど持たずに販売をしている業者さまが多いこと。
 
 ・知っていながらあえて処理情報を掲載しない業者さまも多いこと。
 
 ・仕入れ元の情報鵜呑みで、取扱商品に対して責任を負う姿勢が見られないこと。
 
 ・簡単に責任転嫁されること。
 
 ・天然石の処理について簡単な質問をしただけで、神経質で迷惑な客扱いを受けるケースが多いこと。
 
 ・都合の悪い問合せに対しては、高圧的な回答される業者さまが多いこと。
 
 ・根拠のある問合せをしても軽くあしらわれるケースが多いこと。
 
 ・虚偽表示を指摘すると一方的に取引を拒否されたこと。
 
 ・虚偽表示を指摘すると逆切れをされたこと。
 
 ・鑑別に出していないにも関わらず「出している」と嘘返答をした業者さまがあったこと。
 
 ・購入した天然石を個人的に鑑別に出した結果、かなりの数の業者さまが処理品や虚偽表示品を、十分な説明のないままに販売されている事実がわかったこと。
 
 ・鑑別の結果「明らかな虚偽表示品」であることが証明された場合でも、購入した天然石の返品に応じるだけで、鑑別などにかかった費用は一切補償しないと回答された業者さまが多かったこと。
 
 ・天然石の価格や販売実績などの情報だけでは、消費者側が購入判断をするのは難しいこと。
 
 ・一般的な消費者にとって天然石の鑑別はまだまだ敷居が高い作業ですが、そのことを逆手に取って嘘情報を記載し、利益を得ている業者さまを多数見かけたこと。
 
 ・染色品について返品を希望したところ「(染色品ではありませんが)質の低い方の石ですので、身につけていると色褪せたり白っぽくなっていくんです」と、堂々と嘘の説明されたこと。(鑑別の結果、染色品でした)
 
 ・「どこでもそんなもんですよ。うちだけじゃないんだから、別にいいじゃないですか」と開き直られたこと。
 
 ・「最近は購入される方もアクセサリーパーツとして買っていかれますから、別に染色品や処理品に拘ってないんじゃないですか」と他人事のように言われたこと。
 
 ・その一方で、天然石やパワーストーンの効果や効能を確信犯的に利用していること。
 
 ・根拠のない情報操作が、天然石の価格をあげてしまっていること。
 
 ・これまでは屑石(混ざり物が多い石)という理由から流通していなかった天然石に、勝手なコマーシャルネームをつけて販売しようとする業者様が増えてきたこと。
   
などなどなどなど。
 
要するに、私が垣間見た天然石業界とは、いったい何を信じれば良いのかさえかわからない無法地帯だったのです。
 
業者さまの多くは、自分たちにとって不都合な情報はあえて表示されませんし、たとえ虚偽表示の商品を販売したとしても、返品以上の補償責任はないと言われます。
 
だからといって、虚偽表示品を販売しない為の努力をしてくださるわけでもありません。
 
抜き打ち鑑別は「採算が合わない」の一点張りです。
 
----------------(メールの転載ここまで)
 
そもそも、人間は「万物の霊長」と言われていますし、実際にその通りです。
 
人間はこの世のどんな万物よりも最も高い知能をもった存在です。
 
にもかかわらず、その人間が、自分よりも知能の低い(知能のない)「石」などの万物から力をもらおうと考えている時点で、その人は自分で自分のことを万物以下であると認めているようなものです。
 
そのような人が、どうして自分の人生をより良く改善していくことができるでしょうか。
 
もし何かに頼りたいと思うなら、自分よりも知能の高い存在に頼るべきではないでしょうか。
 
大学生が小学生に頼っても、何も得られないことは誰にでも分かりきったことではないでしょうか。
 
なのに、その小学生にも劣る「石」などの万物に頼るとはどういうことなのか、私も首を傾げざるを得ません。多分、偶像崇拝を禁止している「神様」は、私以上に首をひねっていることでしょう。
 
しかも、悲しいかな。
 
この世の多くの人々が人生を良くしようとして「自己啓発」や「スピリチャル系」にズブズブとハマり、いつしか「悪魔」のことを「神様」だと思い込み、「悪魔」に頼りながら何かを得ようと必死になっています。
 
これもまた、大学生がヤクザの知恵に頼るのと同じようなもので、そんなことをしていたら、いずれ自分までヤクザのような悪人になって、地獄のような辛い生活を送るハメになるでしょう。
 
しかも、「悪魔」の語ることは、この世の学者が語る「物理」や「経済」や「政治」や「歴史」と同じく、複雑でややこしく難解です。
 
「悪魔」自身、全く何も知らず、全く何も分かっていないので、知ったかぶりをしながら、ただひたすら嘘をついて人々を騙し、煙に巻くしかないからです。
 
そんな「悪魔」たちから何かを学ぼうとしても、いつまで経っても何らスッキリとする答えを得られず、むしろ深い迷路の中に彷徨い込み、不安と絶望の中に沈み込んでいってしまうのは分かりきったことです。
 
ならば、そんな痛い目に遭わないためにも、最初から「神様」にすがって、「神様」から力と知恵と能力をもらえばいい、と私は思うのですが、いざ私がその道を勧めても、多くの人々が拒絶します。
 
その理由は人によって違うとは思いますが、恐らくその道がとても大変そうに見える、というのも一つの理由でしょう。
 
しかし、「悪魔」にすがっても大変、「石」にすがっても大変、「自分の拳」にすがっても大変であることに変わりはありません。
 
しかも、その先に待っているのは地獄のような苦痛のみです。
 
ならば、例えどんなに大変な道だったとしても、最初から「神様」にすがり、「神様」に従って、神様の力と知恵を得ながら生きていくほうがよほど幸せではないかと私は思うのですが……。
 
もちろん、その判断は皆さん一人一人にお任せします。
 

19 Comments
  • ポポ
    Posted at 19:55h, 05 4月

    不安商売にどうしていいかわからないと動揺しておられる方にこそまずは聖書を読んでいただきたいです。
    教団に入ることと聖書を読むこととをどうか一緒にしないでいただきたい。
    聖書を読むのはマイペースで進める事の出来る読書、知識を得ることであり、損得勘定を超えて自分を知ることです。
    読書に強要はありませんし、大したお金はかかりません。
    以前コメントであやこさんもおっしゃっていたと思うのですが、日本では何故かスピリチュアルと信仰が同じ土台で語られていて、私もこの構造はTVなどマスメディアで仕掛けられていると感じざるを得ません。
    スピリチュアルははっきりとオカルト、つまり創始者や編纂者の都合のいい宗教教義の寄せ集めですが、伝統宗教は少なくとも1000年以上は聖職者による真剣な論議を重ねられても滅びないだけの真理が包摂されているのですから、信頼して読んでみるのは教養のためには確実になるのではないでしょうか?
    実際には個人の自立を助ける力がある書物だと思います。
    スピ系は逆に寄せ集め教義の為根拠薄弱過ぎて、依存に誘導している傾向にあることを、どちらも読めばはっきりと分かるはずです。
    それを実感できるのは聖書とスピ系で出てくる疑問、「なぜ、自分は書物の内容、○○に疑問を抱くのか、葛藤や動揺があるのか?」
    そこを深く考えた時でしょう。
    聖書は自分の無根拠ながらも奥底から湧き上がる自身の本当の願いから。
    スピリチュアルはなんだか分からないけれど信じた方が良さそう、ではあるけれどそこから何処かに依存しなければならない不安が常にある筈です。
    分からない方は癒し系のスピ系ワークで人生どこまで依存せずにやっていけるか、考えてみることです。
    (おそらく一生スピ系の依存下です。)
    今回の対談を聞いて、沢山の方にその違いを分かっていただきたいと思った次第です。

  • やっぱり言葉は大切ですよね。
    Posted at 20:38h, 05 4月

    ラプトさんが以前おっしゃっていた、学問の世界も科学の世界もウソという対談動画を聞いて思ったのですが、
    資格習得の為の勉強も学校の勉強みたいにウソばかりという事なのでしょうか?
    今、介護の資格を取る勉強をしているのですが、テキストにカナダの哲学者の話とか出てきて、
    胡散臭いなと思っているのですが。
    介護の世界に資格って必要なのでしょうか?
    介護だけなら家族間だけでもやってると思うのですが・・・。

  • やっぱり言葉は大切ですよね。
    Posted at 21:13h, 05 4月

    さきほどの続き失礼します。
    それに実際の教室の雰囲気も
    中学や高校みたいな雰囲気です。
    講師がテキストをそのまま読んで、生徒はそれをじっと聞いて、「はい、グループになって話し合って」
    の繰り返しです。
    学校みたいな雰囲気のせいか授業の内容もなかなか頭に入ってこないし、
    内容もゴチャゴチャしてて錯乱されてるような気がします。
    それで何万も獲るなんて・・・。
    講師もクラスメイトもくだらない寒いギャグやどうでもいい話ばっかりしてて、本当に学校の子供状態。
    なんでこんなとこ来ちゃったんだろって思ってやる気を無くしてしまいます。
    気付いたんですけど、講師や職員は必ずと言っていいほど、自分や家族の身の上話を長々とします。
    ガンの話とか。
    それで不安を煽ってるのかなぁと・・・。
    本当に介護の資格っているのかなと思って「初任者研修の資格を持ってなくても働けると聞いたのですが?」って聞いたら、
    職員の方がかなり一生懸命な感じで、「初任者の資格を持っていないと体のお世話をさせてもらえないんです。資格のレベルによって出来る仕事のレベルも変わってくるんです。」初任者の資格持ってないとお世話出来ないから、持ってなかったら勉強してから来てって言われるはずです。」って言って納得させようとしてきました。(資格業界の金儲け目的?)
    最初はやる気満々でしたが、ただよう胡散臭さに萎えてきて、このまま介護業界に進んでもよいのかと懸念してしまいます。
    講師が「利用者も家に戻れるなら戻って、仏壇に手を合わせてその横で寝る方が良いに決まってるものね」って言ってた時に萎えました・・・。
    もちろん、介護自体は良いと思うのですが。
    フリーターやりながら、いくつか趣味を作ってそれを暮らしや将来に活かす生活の方が楽しいかもしれません。
    なんか、たくさん資格持ってたり国家資格持ってる人が勝ち組みたいな風潮ありますけど、そういうのも悪魔の金儲けの罠かもしれませんね。
    いつもの事ですが、長文失礼します。
    自分の人生が関わることなだけあって残念です・・・。
    他の道も検討してみます。

  • かりんと
    Posted at 22:46h, 05 4月

    raptさんこんばんは。質問があるのですが、プロテスタントの信仰において、バプテスマの必要性についてはどのように考えていらっしゃいますか?もし、バプテスマが必要なら、教会へ行かざるをえません。よろしければお考えをお聞かせください。

  • rapt
    Posted at 22:54h, 05 4月

    >かりんとさん。
    これについては多くの方から質問を受けていますが、パプテスマは特に受ける必要はありません。
    水に一回浸かったからといって、それが一体、神様にとってどれほど重要だというのでしょうか。
    逆に一回水に浸からなかったからといって、キリストを熱心に信じている人を神様が救わないわけがあるでしょうか。
    バプテスマは必須だと主張する牧師もいますが、そのような形式にこだわるのは、それこそ低レベルの信仰でしかありません。
    イエス・キリストは聖霊で洗礼を授けると聖書に書かれてあります。
    キリストを信じて聖霊を受けたなら、それが救われた証です。
    もっとも、一生、聖霊を受け続けられるように努力しなければなりませんが。

  • トモコ
    Posted at 23:40h, 05 4月

    心が、安らぎ、喜びに溢れる記事をありがとうございます。
    BC.AD西暦が生まれた。
    世界共通の年表です。
    ADとは?

    こちらでも、ご年配の方が、メッサや、聖堂に
    行こうとされる方がいます。
    感想を聞くと
    建物が素晴らしかった!

    なんとなく、イエス様を求めているのに、建物自体や、聖職者を
    みているだけの様に感じました。
    聖霊を呼ぶ、存在を理解する
    教義は某巨大教会にはないのかなと
    疑問です。

  • かりんと
    Posted at 23:48h, 05 4月

    お答え感謝します。聖霊を受けるということが正直なところ漠然としていてわかりません。異言をともなうともありますが、これも実際よくわかりませんし、もし来たらおそろしいような気もします。信仰が自己満足に陥っていないかイエス様に問いかけながら探り探り歩んでいるところです。

  • トモコ
    Posted at 23:51h, 05 4月

    追記ですが、ただ、礼拝日のお祈りしている
    空気感は大好きです。

    何か毎週清いものを感じます。
    それは、少し日本には、ない雰囲気です。

  • YN
    Posted at 00:02h, 06 4月

    RAPT様。本日も有り難うございます。
    かりんとさん。私は祈っていると時々全身に力がわくというか、外からエネルギーが入ってくるというか、全身に喜びが満ちる、涙がでるほど感激するというか、そのような感覚があります。それが聖霊が入ったのかなと考えています。恐ろしさはありません。

  • やっぱり言葉は大切ですよね。
    Posted at 00:59h, 06 4月

    体もきついし泣いて祈っていろいろ考えてみたんですけど、お金も払っちゃったし資格だけは頑張ってもらおうと思います。
    クラスメイトの馬鹿な話に混ざらないようにしていたら完全にぼっちになっちゃって、
    でもチーム組まないと仕事ができないから授業は頑張るんですが、
    悪魔が講師やクラスメイトの口を使って精神攻撃を仕掛けてくるので、辛くて今回で受講を完全に切ろうと思ってたんです。
    でもやっぱりお金がもったいないので、お祈りして頑張って貰えるものは一応貰っておきます。
    ラプトさんの言う保険です。
    そうなると良いのですが。
    自分の人生の事なので、今諦めて一生後悔して嘆くより、2週間苦しんで結果を得る方が良いかなぁと。
    最近、上手く説明出来ませんが小さな事から他者が関わる事まで、明らかに悪魔の妨害だとしか思えない変な事が頻繁に起きてて、
    もともと口下手で自律神経を患ってた私には、今はそれらを無視する事で精一杯なんですけど、
    他の読者の方は大丈夫なのでしょうか?
    神様、悪い者が正しく裁かれますように。
    ラプトさんと読者の皆さん、信仰を持って生きる全ての人が正しく導かれ成長と祝福、心の平安と加護がありますように。アーメン。

  • トモコ
    Posted at 03:25h, 06 4月

    介護される方は優しい方で癒やされると
    思いますが。

    キリスト教の方はこちらでは介護士多いですよ。

  • かりんと
    Posted at 08:05h, 06 4月

    YNさん、気に留めてくださってありがとうございます。私はまだ祈りのときにはっきりそのような感覚になったことはありません。祈りの言葉(なんと話そうか)に集中しているからかもしれません。ただ、賛美歌を歌うときには感じます。歌詞やメロディーに感動しているだけかもしれません。

  • アモリフェラ
    Posted at 09:41h, 06 4月

    RAPTさんがもし小説家になっていたら、イルミナティの重鎮になっていたかも知れないですね、今ごろは。笑 さゆふらっとさんはキリスト教を極端に恐れている感じがしました。ブッシュ推しのエヴァンジェリカとか、バチカンのイエズス会とか、非常に怖いキリスト教も存在しますしね、実際に。これらは日本でいうと天皇家に仕える創価学会みたいな宗教ですよね。中にいる人々は気づかないのかも知れませんが…。
    私も石は持っていますが、それは決してお守りなどではなく美術鑑賞的な趣味で、です。見ると気分が上がるのです。 
    偶像崇拝だ~とも思うのですが、お財布にイエスのメダルも入れて持ち歩いています。とてもイケメンに描いてあって見るとほっこりするからです。こちらも決してお守りではありません。お守りは「神様の言葉」だと今は思っています。

  • ポポ
    Posted at 14:06h, 06 4月

    >やっぱり言葉は大切ですよね。さん
    初任者研修というのは前のヘルパー2級のことのようですね。
    私も以前介護業務に携わっていましたが、高卒の新卒の子でもヘルパー2級は持っていましたよ。
    全く無知なまま経験もなしに就職先が受け付けてくれるかどうかは分かりませんが、研修や知識もないまま業務に携わるのは利用者さんや先の職員さんにとっては厳しいように思います。(シーツ交換などの雑務やボランティアでも出来る移動の手伝いくらいしかさせてもらえないと思います。)
    利用者さんに怪我をさせては大変ですから。
    確かに介護利権はあると思いますが、施設の運営側も懸命にやっているところがありますし、どこの就職先にもバカなのはいっぱいいます。
    結局は自分が正しい心持ちでコツコツと学んでいく以外ありません。
    介護業務はチームワークが重要ですし、くだらない事を言っている人も無知なだけで悪魔ではないのですから憐みを持って接するように努めてみると厭世観から解放されていくのではないでしょうか?
    せっかく信仰をお持ちなのですから希望を持ってくださるよう、神様がお守りくださるよう、私もお祈りいたします。

  • ミツバチ
    Posted at 19:14h, 06 4月

    RAPTさんいつもワクワクする記事をありがとうございます。ガンのカラクリについていつかの対談の中で述べられていましたが記事にして下さるのを心待ちにしています。実は身近な人間がガンと病院から診断され今後どの道を進むべきかアドバイスしてあげたいのですが正直悩んでいます。医療批判論者の書物やその逆の立場の書物などガン細胞の知識は人並以上には学んできたつもりですが科学や哲学と同じで学ぶほどに袋小路に迷い込んでいる気がします。仮に自分自身が患った立場であれば信念を基に突き進めるという確信はあるのですがこと他人への助言となると根拠が欲しくなります。RAPTさんの記事は世の中のすべてのことと少なからず繋がりがあると思っています。勝手ながらRAPTさんのガンの考え方に関する投稿が彼へのアドバイスのための1つの道筋となるかもしれないと思っていますのでご意見をお聞かせ下さい。お願いします。

  • やっぱり言葉は大切ですよね。
    Posted at 20:00h, 06 4月

    トモコさん。
    ポポさん。
    返信くださり感謝です。号泣です。
    昨日はこちらは口下手っていうのもあるんですけど静かに頑張ってて、でも周りの悪口とかは言ってないのに、
    あちらはちょっと離れた位置からいろいろ言ってくるものだから、
    悲しみいっぱいで自暴自棄みたいになってて、
    でも、それでも私は神様がいるのも分かるし最後まで信仰を持ちたいので、
    今後どうするかは別として、資格だけは改めて取りに行こうって決心して、
    またお祈りして昨日、彼らから受けた悪い気を引きずってはいたんですけど、
    体が強張って霊的に体の痛みもあったんですけど、なんとか今日も無事通えました。
    午前の授業中に耐えられなくてちょっと気づかれないように静かに泣いてしまって、
    心の中でお祈りして、なんとか涙も体の方も落ち着いついて受講できました。
    私が引きこもるまでの経緯は神様は全て解ってるはずなので、
    ここでは書きませんしベラベラ言う事でもないと思うのですが、
    私もいろいろあったので、他者に対して警戒しすぎてしまっているのかもしれません。
    でも世の全ての人が悪いとは思っていません。
    私を気にかけてくださる人もいますし。
    丁度、帰りに他者との距離感についてお祈りしてきたばかりです。
    まぁ・・・無知なバカはどこにでもいますよね。
    私自身もまだ変わらなきゃいけないところ沢山ありますけれど。
    個人的には利用者の方には聖書を読んで欲しいところですが。
    何か自分にも出来ればよいのですが。
    ありがとうございます。
    神様から成長と祝福、平安と加護がありますように。

  • 春のきざし2
    Posted at 23:29h, 06 4月

    やっぱり 「言葉は大切ですよね」さん  研修はしんどくて大変ですね、それに 人間関係も、より大変ですよね。   私は、介護職 10年以上続けてきました。 仕事は 大変なのですが、 何事も、「慣れ」ですから 続けて行くうちに 出来てきます。  そして研修などで 習ったことを基本に、常に 「やる気」で 「自分の工夫」を 考え加えて行く事が大切と思います。 小規模な施設や 訪問介護だと 料理 掃除までもこなさなければ ならず   実践は研修とはおのずと違ってきます。  「これが 自分の仕事なのだ」という 「プロ意識」をもつ事を常に心がけ 「意識を高く持つ」ことを お勧めします。  たとえ 研修中 初心者であってもです。   今 気の合わない人達に 貴女の「気」を持っていくのではなく、 「介護のプロになる為の 「研修 勉強」に意識を 集中させる事に 没頭するのです。  下らない 人々に 気を取られない 無視気味で,いいのでは無いでしょうか?   就職した 職場でも このことは 大切です。    私も、色々嫌なこと経験してきていますが、 自分独自の 意識 努力 工夫な「プロ意識」で、続けてこられました。    そうすることで より良い方向に行き、   意思疎通が できにくい お年寄り方と、「魂のふれあい」が出来るようになれ 言いようも無い 「感動」を 味あわせていただける事が この仕事の 最高の 喜びと 誇りです。   貴女のように 神様と 共にあられる方ならば、尚のこと、素敵な喜びを持つ  介護の「プロ」に、なられると 思います。   慣れるまでの しんどさ 辛さ 克服されますよう。 神様に 共に祈りましょう。    
     

  • YN
    Posted at 12:15h, 07 4月

    RAPT 様。ミツバチ様。わたしも癌の話は気になります。
    「波動医学で癌が治った。」「食事療法で癌が治った。」「祈りで癌が治った。」「ガストンネサンの714X」「MMS(マスターミネラルソリューション)など、いろいろ聞きます。全員が治るわけではないですが、完治に至る人はいるようです。
    私は、自分の波長を整えて免疫を高めることができれば、癌は治るのではないかと考えていますが、如何でしょう。
    波動医学は高額です。しかし、プラスチックでピラミッドをつくって電磁波を受けるのであれば、自家性波動医学のできあがりでしょうか?
    食事療法は家族の協力と自分の強い意志があれば可能と思いますが、何がよくて何が悪いのかという点で、情報が錯綜している様に思います。
    714X は医師の協力が必要と思います。
    MMSは未知数ですが、癌が治った人はいるようです。
    「祈り」については寺社仏閣にいくのはOKでもキリスト教はちょっと・・・と言われてしまいます。
    しかし、神様に祈れば治ると考えています。どれだけ深く祈ることができるかという点が重要かと思います。
    RAPT様の記事を楽しみにしています。

  • やっぱり言葉は大切ですよね。
    Posted at 19:07h, 07 4月

    春のきざし2さん
    返信ありがとうございます。
    今日もなんとか無事に通えました。
    皆さんが祈ってくださった為か体調も良かったですし、
    クラスの人たちの雰囲気が明らかに変わって、
    授業の進みが速すぎるうえに眠くて、私だけ覚えが悪くて遅れをとっていたのですが、
    周りの人が私に覚えさせようと、助けてくれるようになってきました。
    ちょっと怠け者みたいな子も不思議なくらい動いて教えてくれました。
    神様が計らって下さったんだと思います。
    それでも未だに苦手な感じの人はいますけど。
    帰りの電車でもちょっとした人助けもできましたし。
    ミスしたけど。でも結果オーライでした。
    クラスの人達の口から昨日の祈りの内容とかがそのまんまでてきたし、
    講師の口からは「自分が出来るからって、出来ない人を下に見るとかはよくない事ですよ」って言葉が出てきて、
    ああ、神様だなって思いました。
    相変わらず、口下手なうえに人見知り激しいんですけど、
    行動力と積極性は高まってきてると思います。
    以前の自分ではありえなかったし、とっくに死んでたと思います。
    今日は、帰りに出口まで一緒にあるいた高齢女性に「皆さん手馴れていらっしゃいますね」って言ったら、
    「皆も結構、心ではキツキツだと思いますよ」って言われて、
    やっぱり人間って案外みんな、外面では抜け目なさそうに見えても内面ではいろいろ足りなくて精一杯なのかなって思いました。

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