RAPT | 日本の古墳も生け贄儀式を行うためのドルイド教の祭儀場でした。
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日本の古墳も生け贄儀式を行うためのドルイド教の祭儀場でした。

日本の古墳も生け贄儀式を行うためのドルイド教の祭儀場でした。

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昨日は、世界各地にあるドルメンも日本の神社も、全てはドルイド教の生け贄儀式の場であるというお話をしました。
 
古代ケルトのドルメンも日本の神社も同じドルイド教の生け贄儀式の祭儀場でした。
 
と同時に、「古代ケルト」でも「古代エジプト」でも「古代日本」でも、同じような生け贄儀式が行われていたというお話もしました。
 
しかしながら、イルミナティの連中はここの部分には絶対に触れられたくないので、世界中のマスコミや学者たちに絶えず強い圧力をかけ、このような史実を世間に伝えないように強く誘導してきたものと思われます。
 
実際、ドルメンと神社との関連性について、また「古代ケルト」と「古代エジプト」と「古代日本」の共通点について研究し、発表した学者は、皆無と言っても過言ではないからです。
 
しかも、この事実を火消しにしようとしてでしょう。昨日の私の書いた記事に対して、早くも陰湿な悪口コメントを書いてきた人が現れました。
 
恐らく彼らは、私の理論を何としてでも「トンデモ」にしてしまおうと、これから色んな対策を講じるに違いありません。まあ、RAPT理論がほとんど完成した今となっては、何をやっても無駄ですけどね。
 
なので、今日はまた昨日の記事の続きを書こうと思います。
 
皆さんは古代ケルトの中心地・アイルランドにある「ニューグレンジ」という古代遺跡をご存知でしょうか。
 
ニューグレンジ – Wikipedia
 
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ウィキペディアによると、この「ニューグレンジ」は今から約5000年前に作られたもので、ギザのピラミッドよりも500年ほど古く、ストーンヘンジよりも1000年ほど古いものだそうです。
 
で、この写真の「ニューグレンジ」の入り口は最近になって修復されたもので、元の形は以下のようなものでした。
 
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見るからに神社の「鳥居」と同じ形をしていますね。これまた日本の神社が、古代ケルトに起源があることを証明してくれているかのようです。
 
そもそも、私はこの「ニューグレンジ」を最初にパッと見たとき、すぐにあるものを連想しました。
 
日本の「古墳」です。例えば、奈良にある「藤ノ木古墳」がこれとよく似ています。
 
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〈藤の木古墳〉

 
しかも、日本の「古墳」の内部が「石室」になっていることは皆さんもご存知だと思いますが、「ニューグレンジ」もやはりその内部は「石室」になっています。
 
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〈ニューグレンジの入り口〉

 
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〈ニューグレンジ内部の石室〉

 
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〈古墳の内部の一例〉

 
このように、「ニューグレンジ」と「古墳」の作りはとてもよく似ているのです。
 
また、熊本にある「釜尾古墳」の内部は以下のようになっていますが、これまたアイルランドの史跡「ビーハイヴ・ハット」と石垣の積み方が瓜二つです。
 
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〈釜尾古墳の内部〉

 
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〈アイルランドの史跡ハイビー・ハット〉

 
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〈同上〉

 
日本の古墳時代に、古代ケルト(アイルランド)と何らかの交易があった……ということは、現在の通説からすると絶対にあり得ないことです。
 
なので、このような類似性を見ても、世間一般の学者たちは単なる偶然として片付けてしまうに違いありません。
 
しかし、はっきりと言いますが、何の交易もない二つの国でこれほど似たような文化が形成されるわけがありません。
 
古代ケルトと古代日本には間違いなく何らかの交易があったに違いないのです。
 
また、アイルランドの「ニューグランジ」周辺には、他にも幾つかの墳墓があるようなのですが、その墳墓の入り口は以下のようになっています。(出典はこちら
 
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この入り口はとても狭くて、這うようにして中に入らなければならないとのこと。
 
で、私はこの入り口を見て、またしてもあるものを連想してしまいました。
 
熊本にある地底遺跡「トンカラリン」です。「トンカラリン」については過去にも記事にしたことがあります。詳しくは以下のリンクをご覧ください。
 
日本が世界最古の悪魔崇拝の聖地であるという幾つもの証拠。
 
この「トンカラリン」の入り口は以下のような形をしているのですが、アイルランドの墳墓の入り口ととてもよく似ています。
 
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で、この入り口を通って「トンカラリン」の中に入るわけですが、アイルランドの墳墓と同様、その入り口はとても狭くて、這うようにして入らなければならないとのこと。
 
しかも、この「トンカラリン」の通路は、古代エジプトのピラミッドの内部にある通路と全く同じ構造をしているとのこと。ピラミッドの専門家である「吉村作治」氏が言うのですから間違いありません。詳しくは以下の動画をご覧ください。
 

 
ということで、またしても「古代ケルト」と「古代エジプト」と「古代日本」との間に、新たな共通点が見えてきました。
 
要するに、これらのものは全て同じ人間によって作られたということです。
 
では、それは一体誰なのか。
 
まあ、古代ケルトのドルイド僧でしょうね。彼らが生け贄儀式を行う場所としてこれらのものを作ったに違いありません。
 
その証拠に、以下のような記事が見付かりました。
 
----------------(以下、こちらから転載)
 
本日、平成23年(2011)6月13日の帰路、午後六時半ころの車中TVニュース(NHK)で、桜井茶臼山古墳から「生け贄」を埋めた石室が橿原考古学研究所によって発見され、発表されたと言っていた。
 
(註 : 生け贄を埋めていたという時点で、この古墳はドルイド僧が作ったとしか考えられません。)
 
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〈桜井茶臼山古墳〉

 
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〈桜井茶臼山古墳の内部。これまたアイルランドの石垣とそっくりです。〉

 
「生け贄」と、耳が逆立った。
 
古代中国やマヤ・アステカじゃあるまいし、本邦の大王陵に生け贄があったとは、手塚治虫さんの名作にして、はなはだ古典的・史的遺物論に毒された火の鳥くらいしか、よく知らない(笑)。
 
兵庫の県立考古博物館館長をなさっている石野先生の名前が聞こえてきた。
 
で、どういう根拠で生け贄と? 白骨でも多数出てきたのだろうか? と、自宅に帰ってネットを探したが、気に入った記事が見あたらない。
 
もしかしたらNHKは新聞各社よりも発表が早いのだろうか~
 
あれこれ考えている内に、産経ニュースで、「奈良・桜井茶臼山古墳に2つの副室 橿考研「中身は不明」」という記事がでた。

 
本来ならこれにリンクすべきだが、ここ数年、リンクはすぐに切れるので(有料化)止めておく。
 
要するに二つの副室が見つかったが中身は分からない、とのことだった。
 
NHKが石野館長の生け贄・生き埋め説を流したのは、もう少し石野先生の話を聞かないと、分からない。
 
橿原考古学研究所は「副室調査は予算に組み込まれていなくて、調査許可を受けていないので、中身は分からない」と言ったようだ。
 
ともかく、本邦大王陵に生け贄・生き埋めの痕跡が明瞭になると、これは大変なことだな、と思って慌てたが、もう少し様子をみないとよく分からぬ。
 
副室は副葬品を埋める施設とも書いてあるし、あるいは生け贄を閉じこめる施設と考える人がいてもおかしくはない。
 
天皇霊の問題、ヘキジャ(邪を防ぐ)の問題、埋葬主体を守る意味、閉じこめる意味~、大王陵の意味意義は深くて錯綜しておるから、私の推論を越える。
 
さて、どうなんだろう。しばらく事の推移を待ちましょう。
 
----------------(転載ここまで)
 
これは完全にマスコミと学者に圧力がかかりましたね。
 
実はこのようなことはよくあることで、理研の笹井副センター長が亡くなったときにも全く同じようなことが起こりました。
 
マスコミは、それまで報道していたことを何の断りもなく取り消しにし、それまでとは全く違う内容を報道しはじめたのです。詳しくは以下のリンクをご覧ください。
 
理研・笹井氏の暗殺説の裏がとれました。松岡大臣のときと同じく、死因鑑定がわざと回避されたようです。
 
先に報道したことが間違いだったから、突如、内容を変更したというわけではありません。
 
もしそうであれば、マスコミは視聴者に対して、自分たちの誤りを伝え、きちんとお詫びをするはずだからです。
 
しかし、彼らはそのようなことを一切しませんでした。
 
下手にそんなことをして、先に報道したことが真実である、ということを人々に知られてはマズイと考えたからでしょう。
 
はっきりと言いますが、日本の「古墳」には間違いなく「生け贄」が埋められています。
 
マスコミや学者がいくら火消しに必死になったとしても、それがこの世の真実です。
 
なぜなら、中国の歴史書「魏志倭人伝」には、日本の古墳に「生け贄」が埋められていたこと、それをあるときから「埴輪」で代用するようになったことがはっきりと記述されているからです。
 
----------------(以下、こちらから転載)
 
事例をみると、中国の歴史書『三国志』の魏志倭人伝に、「卑彌呼以死大作冢徑百餘歩徇葬者奴婢百餘人」邪馬台国の女王卑弥呼が死去し塚を築いた際に100余人の奴婢が殉葬されたとあり、『日本書紀』垂仁紀には、野見宿禰が日葉酢媛命の陵墓へ殉死者を埋める代わりに土で作った人馬を立てることを提案したという記載が残っている。
 
----------------(転載ここまで)
 
念のために言っておくと、日葉酢媛命の陵墓とは「佐紀陵山古墳」のことです。
 
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〈佐紀陵山古墳〉

 
この「佐紀陵山古墳」が作られるまで、日本の古墳には「生け贄」が埋められていたということです。いえ、この古墳が作られた後もずっと「生け贄」が埋められた可能性は高いでしょう。
 
なぜなら、その後もずっと日本では当たり前のように人身供養が行われてきたからです。詳しくは以下のリンクを御覧ください。
 
京都の「祇園祭」はもともと牛頭神バアルに幼子を生贄として捧げる悪魔崇拝儀式でした。
 
徳川家康も紛れもない悪魔崇拝者でした。古代から現代まで当然の如く行われてきた「人身御供」について。
 
しかしながら、上のウィキペディアの元記事を見れば分かる通り、現在は「魏志倭人伝」のこの記述は考古学的に否定されているとのこと。
 
つまり、古墳での「生け贄」はなかったとされているわけです。
 
笑ってしまいますね。当時の記録よりも、現在の学者たちの言うことの方が正しいというわけです。
 
これでは誰が何を記録しても全く意味がありませんね。悲しいことに、これが現在のアカデミズムの実態なのです。
 
ちみなに、以下の画像も「ニューグレンジ」の中にある石垣の一部なのですが、これまた「高句麗」にある古墳の内部の石組みと似ています。
 
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〈ニューグレンジの内部・出典はこちら

 
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〈高句麗の古墳の内部・出典はこちら

 
このように朝鮮半島にも似たような古代の「古墳」があるわけですね。
 
まあ、天皇家一族は朝鮮半島から渡ってきたわけですから、当然のことではありますが。
 

13 Comments
  • アモリフェラ
    Posted at 22:09h, 01 11月

    学者やジャーナリストはやたらと弾圧されていますね~。学問の自由・報道の自由なんて全く無いのですね、本当は。
    ところで最近知りましたが…「子供」という字は何で「子」に「供」なのか?神様に子を生贄の供物として捧げたからだという説があるそうです。
    http://jamilog.jami-ru.com/?eid=292
    「人柱」の話などはいろいろなところで聞きますし…。日本もヨーロッパやら南米やらと何も変わらない、古代から悪魔崇拝なのですね。
    しかし、アイルランドと熊本の石垣が、まるで同一で驚きます!交流が無いわけがないですね~。up有難うございます。

  • ヒロ
    Posted at 23:17h, 01 11月

    スレチで申し訳ございません。
    ロスチャイルド=秦氏の記事で少し気になっていたことがあったので調べてみました。
    八岐大蛇=秦氏の説明の中で、長い旗が竜の様に見えるとありましたが、その証拠となりそうなものがありました。
    ウェールズの伝承で(赤い竜)の起源を見てみると以下の事が書いてありました。
    2世紀に小アジアで大勝利を得たローマ軍がパルティアやダキア人の使っていた蛇のような軍旗(ローマ人はこれをドラコ(draco)と呼んだ)を知り、それを持ち帰ったものとされる。
    https://ja.m.wikipedia.org/wiki/赤い竜_(ウェールズの伝承)
    ダキア人とケルト人の分布に重なりがあります。
    ダキア BC1000年頃〜AC106年
    現在のルーマニア、ハンガリー西部、セルビア、ブルガリア北部等の地域
    https://ja.m.wikipedia.org/wiki/ダキア
    ケルト人 BC400年頃
    https://ja.m.wikipedia.org/wiki/ケルト人#
    これとは関係ありませんが、ケルト人wikiにケルト人は中央アジアの草原から来たとありました。
    モンゴル?満州?
    気になります。

  • じげもん
    Posted at 23:22h, 01 11月

    吉村作治先生もあちら側に取り込まれてしまったのでしょうか。FacebookやTwitterの記事を見ても、どうでも良いことばかり書かれている感じがします。以前のUP記事には、『古代エジプトでは太陽を崇拝する一団と、月を崇拝する一団があり、長く争っていたようだ云々』というような記事もあったと記憶しているのですが。
    ケルトと言えば、ケルティっク・ウーマンやエンヤが有名ですね。いずれの曲も、パナソニックがTVのCMで起用していました。
    エンヤの曲の歌詞には、一部ゲール語(アイルランド語)で書かれているものもあります。この部分は訳詞がなかったりします。何かの呪文では?という感じもします。皆さまに祝福がありますように。

  • HI
    Posted at 00:02h, 02 11月

    更新感謝致します。今回の記事も衝撃を受けています。
    学校の授業では古墳は誰かの王の墓だと言われていると習いましたが、
    悪魔崇拝の生贄の墓地だったんですね。
    言われてみると古墳の形もケルト十字ですよね。本当に凄い発見で驚いています。

  • あやこ
    Posted at 00:36h, 02 11月

    今回も核心に触れる記事を有難うございます。
    いつもですが、とても興味深い内容でした。
    映像の中にある変形頭蓋骨が、以前RAPTさんの記事の中でリンクされていた、数々の不思議なものを研究されている教授(?)の発掘された巨人の骨の頭蓋骨の形に似てるなと思いました。(記事を色々と読みすぎて、いつの記事のリンクだったかは失念いたしましたが‥‥)
    確か巨人も下顎がかなり発達していましたよね。シャーマン的存在でわざわざそのように矯正したというのなら、古代に存在していた巨人に模していたのかもしれませんね。

  • こうじ
    Posted at 07:57h, 02 11月

    もう戦争て行為を行なう事自体が、悪魔に大量の生贄を捧げる最大の儀式に、思えてきました。

  • Posted at 10:42h, 02 11月

    呪術の要素があったのなら、昔にはそういう形跡があったということくらい、一定部分までは明かすことの方が良かったのでは。隠蔽することで、その事実が後で明らかになった時になお一層怪しまれる結果になります。
    手塚治虫さんの漫画については詳しくないのですが、漫画の神様と言われた巨匠、世界中の資料を探し求めて、膨大な資料を調べて漫画作品を構成されるうち、隠蔽されてきた世界の歴史の事実や、怪しげな世界の支配者層の事実に気付き、苦悩していた方なのではと思います。

    トンカラリンやニューグランジの入り口の共通点、狭いところから入る、這うように身を屈めて入る、という言葉で、千利休の作った茶室もそういう作りだということを、実際見たし、説明がきにも入り口が狭く、身を小さくして入るということが書かれていました。千利休とドルイド教との関連のことを思い出しました。

    アイルランドと日本やエジプトを簡単に往き来出来る手段があったのでしょう。黒騎士の衛星を作ったような高度な技術を持つ集団ならば可能であったのではないかと思います。そこと結び付くのかは分かりませんが。竹内文書にある空をゆく船が実際にあったのではないかと思えてきますね。

    報道に載せたがらないのは、呪術や生け贄儀式の跡について言及すれば、自分達の探られたくない腹を探られ、残虐非道の数々が明らかにされてしまうのを恐れてのことでしょう。不気味な話ですね。

  • hiyorigeta
    Posted at 15:15h, 02 11月

    こうじさんと同じ事を考えていました。

    >戦争て行為を行なう事自体が、悪魔に大量の生贄を捧げる最大の儀式に、思えてきました。

    今年の3月頃、このブログを見つけて、北朝鮮を裏で操っているのは日本だとか、原子力発電の事、天皇の事などは、我が意を得たりという気持ちでしたが、宗教、悪魔崇拝となると、何が何だか分かりませんでした。私は、神様の事は考えることがあっても、悪魔の事を考えることはありませんでしたから。しかし、読み続けるうちに、色々繋がることが出来てきて、ようやく理解できるようになりました。

    以前、三菱のロゴが土佐の山内の家紋から来ていて、それが古代ケルトの文様と関係があるというのも、どこかで読んだ記憶があります。飛鳥時代の天皇がゾロアスター教というのも、どこかで読んだ記憶があります。

    いつも興味深い記事をありがとうございます。

  • 世界を変えたいんジャー
    Posted at 15:30h, 02 11月

    ご存知かもしれませんが、RAPTさんが秦氏と島津家の関係性を記事にする5か月前に
    動画でそれを紹介しているグループがありました。
    https://www.youtube.com/watch?v=IQ80zTo5iGs
    この人たちは6月以降動画を作っておりません。取り込まれたのでしょうか?

  • rapt
    Posted at 18:00h, 02 11月

    >世界を変えたいんジャーさん。
    私の経験からすると、このような情報を拡散すると、必ず陰湿な悪口コメントが殺到するようになります。
    そうすると、それに耐えられない人は情報拡散をやめてしまうでしょう。
    もしこの人たちが、この動画をアップして以来、情報拡散をやめてしまったようであれば、そういった悪口に屈してしまった可能性があります。

  • ちょこたん
    Posted at 19:45h, 02 11月

    RAPTさん、いつもこのような真実を伝えてくださる記事を書いてくださり、本当に有難うございます。ドルイド教、古代ケルト、ウィッカーマンでの生け贄儀式、ハロウィーン、古墳と今日までの流れで、自分の中に残っていたキーワードで何か繋がりそうだったものが、カチリと繋がりました。
    9.11はウイッカーマンそのものだと思いました。建物に人をぎゅうぎゅう詰めにして、ぎゅうぎゅう詰めの飛行機で追突、焼け落ちてたくさんの人が生け贄として捧げられる。ひとつ前の記事ではナイル川の入水生け贄シーンが貼られていましたが、3.11も同じだなと思いました。わざわざ津波が来るとわかっている深い防風林を開発して住宅地として販売。生け贄自身に家という箱を作らせて、大津波を起こし、家もろとも多くの命をのみ込む。韓国の沈没した船セウォール号も修学旅行のうら若き青少年がたくさん乗っていましたよね。しかも船の運用者は宗教法人。ウイッカーマンでの生け贄儀式が形を変えているだけで、現代版ウイッカーマンなのかと思いました。金儲けのために戦争や手の込んだ大事故や大事件が起きているのかもと表層で見ているときは、どことなく腑に落ちない部分がありましたが、メインの目的は生け贄儀式、人身御供であり、悪魔に人間を奉納するという部分こそ目的であり、お金儲けはあくまでも「ついで」「オマケ」なのかと妙に納得しました。

    「ニューグレンジ」の元々の入り口が鳥居そっくりなのもそうですが、入り口の下にある3つの渦巻きマークを見たとたん、神社にある3つのまが玉が円を成しているマークを連想しました。お祭りや提灯、和太鼓にも必ずついてるマークですよね。RAPTさんの記事を読むようになってから6が3つでミロクだなと思ってみていましたが、さらにその認識が深まった感じです。和太鼓も魂が叩き出されるような深く震動するビートですよね。神道が古代ケルトの悪魔崇拝から来ていることは紛れもない事実だと確信いたしました。すべては悪魔崇拝と生け贄儀式で繋がっている。

  • じげもん
    Posted at 23:51h, 02 11月

    連日の更新お疲れ様です。今回もすごい内容で驚きました。
    『トンカラリン』で検索してみたら、広島県東広島市にも同じ名称の謎の遺跡がありました。
    写真で見る限り、熊本のトンカラリンとそっくりでした。
    東広島市の旧町名は安芸津(あきつ)町です。
    『アキツ』はトンボの古語であり、当時の日本はトンボがたくさんいたらしく、日本の国名にもなっています。
    トンボと言えば、発見された銅鐸のほとんどにトンボの絵が描かれています。その絵の下には仔馬が描かれていたり、
    鹿を射る人が描かれていたりします。さらにその下には高倉(穀物を保存する高床の建物)が描かれていることが多いです。
    これは、『アキツ(日本)に蘇我馬子(=仔馬)または蘇我入鹿(=射る鹿)が高倉(=高御位で、天皇の意味)だったとき…』
    と読めるそうです。詳しくは以下のリンクをご参照ください。
     
    http://www42.tok2.com/home/nikorao/tokepe/hime06b.htm
     
    もしも蘇我氏と広島のトンカラリンが関係があるとすると、やはり生贄と何らかの関係のある建造物だという感じがしますね。
    皆さまに祝福がありますように。

  • 通りすがり
    Posted at 05:38h, 08 11月

    世界を変えたいンジャー 様へ
    >この人たちは6月以降動画を作っておりません。取り込まれたのでしょうか?
    Rapt 様へ
    >私の経験からすると、このような情報を拡散すると、必ず陰湿な悪口コメントが殺到するようになります。

    圧力がかかったようです。このグループは最初はお笑い動画を配信していました。
    アクセス数を増やし、視聴者を集めた後で陰謀論を語っていたので計画的だったと思います。
    以下は最後にアップロードされた動画です。

    https://www.youtube.com/watch?v=4KiFOkS1ekA

    https://www.youtube.com/watch?v=ownUc3MlUG0

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