RAPT | 魔術のいけにえで5歳男児を斬首したインドの事件は、我々日本人と全く縁のない事件ではありませんでした。
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魔術のいけにえで5歳男児を斬首したインドの事件は、我々日本人と全く縁のない事件ではありませんでした。

魔術のいけにえで5歳男児を斬首したインドの事件は、我々日本人と全く縁のない事件ではありませんでした。

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今の今まで、私は世界の支配者たちが陰でこそこそと悪魔崇拝を行っているというお話をしてきましたが、それは何も支配者層だけに限られた話ではないということをはっきりと示すような事件が先月末に起こりました。
 
それが以下の事件です。
 
----------------(以下、こちらから転載)
 
【5月30日 AFP】インド北東部アッサム(Assam)州のソニトプル(Sonitpur)地区で、5歳男児が魔術を信仰するとされる男にいけにえとして首を斬られて殺害された。地元警察などが29日、明らかにした。男は怒った村人たちによる私刑で殺されたという。
 
殺された男児の父親は地元テレビに対し、男はチョコレートをあげると言って男児を自宅へ誘い、ヒンズー教の女神カリ(Kali)へのいけにえとして簡素な祭壇の前で男児の首を斬って殺害したと話した。
 
地元警察によると28日夜、血まみれになった男児の遺体が見つかり、男は激怒した村人たちに殺された。警察では事件が魔術信仰によるものか、それとも背景にもめ事があったのか捜査しているという。(c)AFP
 
----------------
 
この事件はたまたま表沙汰になったというだけで、我々の知らないところでこういったことが日常的に行われている可能性があります。
 
しかも、この犯人が男児を捧げようとした神様は、その名を「女神カリ(最上の画像)」というそうですが、この「女神カリ」は決して我々日本人と縁の遠いものではありません。実は、我々日本人ととても縁の近いものです。今日はそのお話をしたいと思います。
 
先ず、この「女神カリ」は、ヒンズー教のシヴァ神と呼ばれる神の一つです。
 
----------------(以下、ウィキペディアより転載)
 
カーリーは、インド神話の女神。その名は「黒き者」の意。血と殺戮を好む戦いの女神。シヴァの妻の一柱であり、カーリー・マー(黒い母)とも呼ばれ、シヴァの神妃パールヴァティーの憤怒相とされる。仏教名(漢訳名)は迦利、迦哩。
 
----------------(転載ここまで)
 
さらに詳しい解説が以下になります。
 
----------------(以下、こちらから転載)
 
インドには恐ろしい神様が少なくない。とくにいわゆるシヴァファミリーと呼ばれる一団は普通ではない。神様というより悪鬼の集団だ。親分格のシヴァからして、すごいものがある。
 
インドでよく見かけるポスターを見れば、その姿は、青い体に虎の皮で作った衣装、あるいはふんどし、無造作に巻き上げた長髪、首にはコブラ、手には三叉の槍、そして弁弁太鼓…。
 
何も知らない人が見れば、これは性質(たち)のよくない何かの宗教と考えるかもしれない。事実、シヴァ信仰というのは、インドにおける異端宗教であった時代もあった。
 
インドのおもしろいのは、結局、こうした異端の神々がメジャーとなってヒンドゥー世界を牛耳っているところだ。
 
そして、異端の神々の魅力というのは、人間の本音の部分がより強く表現されているところである。インドにももちろん建前があるが、それを超えるほどの本音が神々によって語られていることは非常に興味深い。
 
さて、本題に入ろう。カーリー女神である。インドでもっとも恐ろしく、そして醜悪でもあり、それでいながら、人気もあり信者数も多いメジャーな神様である。特にベンガル地方で人気がある。
 
その姿を描写してみると、…がりがりに痩せた真っ黒(または青)な体、上半身は裸で、時にはしおれた乳房をむき出しにしている。首には、生首、あるいは髑髏を数珠繋ぎにして作られた首飾り、時には腰にもいくつもの生首が揺れている。
 
顔も異様だ。目は血に飢えて血走り、まるで蛇のようにちろちろと舌を出す。そして、たいていはシヴァを踏みつける形をとる。まさに鬼婆、いや、そんな生易しいものではない。
 
ベンガルの首都カルカッタ(コルカタ)には有名なカーリー寺院があり、多くの信者で賑わっているが、この地を訪れれば、カーリーがどんな神様であるのかを、少し理解できるかもしれない。
 
場所は中心街のやや南、ガンジス川の支流、フーグリー川のそのまた支流のどぶ川が淀んだ場所に、カーリーガートという薄汚い沐浴場がある。
 
寺院はこのガートより5分内陸に歩いた場所にある。この界隈には、あのマザーテレサの施設もあるが、その目の前の路地は完全に売春地帯と化している。
 
通り沿いに、濃い化粧の女たちがうろうろしているので、すぐにそれと分かるほどだ。カーリー寺院はまさにその一角にあるといってもいいのだ。
 
寺院はそれほど大きくないが、いつも多くの信者たちで賑わっている。ちょっとした行事があるたびに、寺院前に長蛇の列が作られる。カーリー寺院の見ものは山羊の首切りである。これはもちろん、カーリー女神へささげられるものだ。
 
次々と殺される山羊の血がなんとも生臭い。ベジタリアンも多く、平和思想が強いインドにあって、カーリー寺院界隈はかなり特殊な場所だといってよい。
 
何かの本で、カーリー自身はそれほど古い神様ではない、と書かれていたが、これは単なる勘違いだろう。確かに、カーリーの存在は、古い文献には載っていないのかもしれない。
 
しかし、それは単にカーリー女神がなかなかヒンドゥー主流派に認められなかったためであり、ある一部の人々に熱狂的に信仰されていたことは間違いない。
 
現在のデカン高原を中心に、タッグあるいはサギーという殺し屋集団がいたことは有名な話だ。彼らが500年以上にわたって殺しまくった人の数は何と百万人以上にも及ぶという。
 
英国統治時代に一応滅んだとされているが、広いインドのことだから分からない。それはともかく、彼ら殺し屋たちによって殺された死体は、やはりカーリーにささげられていたというのだ。
 
カーリーの姿を眺めていて感じるのは、その信仰の原点にあるのは人食いの風習であるのでは、ということだ。
 
人食いの風習は、インド、ミャンマー国境付近のナガ高地では、つい最近まで普通に行われていたが、インド中央部でもあるいは似たようなことはあったと想像される。古い神話にも、それを想起させる記述もある。
 
先日この地域を旅したときも、数十年前まで人食いをやっていた村があるんだが、とガイドに誘われたことがある。その時は時間がとれず断ったが、気分は微妙である。おまけに、その道中は虎が出るということで、時間がなくてよかった、と胸をなでおろしたものだ。
 
あるサドゥー(修行者)からも奇妙な話を聞いたことがある。彼は数十年前に裸の部族民につかまり、あと一歩で食べられるところを、何とか許してもらって開放されたという。やはり、デカン高原奥地の、ジャングルでの話である。
 
カーリー信仰がヒンドゥーの世界でなかなか承認されなかった理由は、その初期の信者たちが、普通のインド人とは一線を画した部族民であったためではないだろうか。
 
サンタル族という部族民のための紙芝居を見たときも、カーリーそっくりの絵があった(彼らはカーリーではない、と言い張った…)。サンタル族はベンガルからデカン高原東部一帯に住む巨大な部族集団だが、こうしたいくつもの部族に伝えられた鬼女の伝説が、いつかカーリーへと進化したのかもしれない。
 
そんな怪しげな神様が人々から広く信仰され、愛されるというのがまた、インドの不思議なところでもあり、心惹かれるところでもある。
 
(追記)
カーリーの語源はカーラからきている。カーラは黒、そして時間を意味する。そういえば、シヴァもまたマハーカーラという別名を持つ。マハーは「偉大なる」の意味だ。日本では大黒天の名前で知られる。いずれにしろ、カーラというのは最高の尊称であることは間違いない。
 
----------------(転載ここまで)
 
と、このように「女神カリ」が殺人儀式や人食いとかなり関係が深いことが分かります。そして、このような神様がインドでは未だに広く信仰されているというのですから、なんとも恐ろしい話です。
 
そのため、この事件が報道された直後、「インドはなんて時代遅れな国なのだ」「なんて野蛮な国なのだ」といった書き込みが「2ちゃんねる」などで数多く見られたわけですが、何もこの神様が崇められているのはインドだけではありません。
 
上の転載記事にもある通り、実はこの「カリ」は日本でも有名なあの「大黒天」と同じ神様なのです。
 
そう言われても、いまいちピンと来ないという方もいらっしゃるでしょうから、なぜこの「女神カリ」が「大黒天」と同じだと言えるのか、その理由を簡単にご説明しましょう。
 
先ほども言いました通り、この「女神カリ」はシヴァ神の一種です。
 
シヴァ – Wikipedia
 
で、このウィキペディアの「シヴァ」についての記事を見てみると、以下のような記述があります。
 
----------------(以下、ウィキペディアより転載)
 
シヴァは教学上は破壊神であるが、民間信仰ではそれにとどまらない様々な性格を持ち、それに従って様々な異名を持つ。
 
マハーカーラ(大いなる暗黒)とも呼ばれ、世界を破壊するときに恐ろしい黒い姿で現れるという。
 
マハーカーラは漢訳仏典では「大黒天」と意訳される。
 
日本では神道の大国主の「大国」が「ダイコク」とも読める事から同一視され、七福神の1人として、シヴァの名前を使っていないが日本ではなじみ深い神である。
 
----------------(転載ここまで)
 
出ましたね。「大国主」と「大黒天」。「大国主」とは「スサノオ」の息子のことです。で、「スサノオ」とは古代メソポタミア地方で信仰された「バアル」という神様のことでしたよね。
 
空海も最澄も日蓮聖人も出口王仁三郎も深見東州も池田大作も同じ悪魔「サナト・クマーラ」を崇める妙見信仰者でした。
 
で、この「バアル」を拝んでいるのが創価学会であり、密教であり、チベット仏教であり、大本教であり、ワールドメイトであり、というわけですが、これ以外にも「大黒天」や「大国主」「スサノオ」を祀った神社仏閣や宗教団体は、どれも「女神カリ」を祀っている、と言えるわけです。
 
なので、「女神カリ」に子供の命を捧げようとしたインド人のことを、時代遅れだとか野蛮だとか非難する権利など我々日本人にはありません。我々日本人も、インド人と同じ神様をずっと昔から拝んできたわけですから……。
 
しかも、このインドの「シヴァ神」は、もとを辿ると「性器崇拝」にその根源があるそうです。というのも、インドでは「男性器」をかたどった彫像が「シヴァ神」の象徴として崇拝されているからです。
 
----------------(以下、ウィキペディアより転載)
 
特にインドでは男性器をかたどった彫像は、シヴァ神や、シヴァ神の持つエネルギーの象徴と考えられ人々に崇拝されている。
 
リンガ像の原型は、インダス文明の遺跡から出土されているが、当時から性器崇拝が存在したか否かは判然とはしないものの、リンガ像の原型になったという考え方は正しいと考えられている。
 
「マハーバーラタ」には、豊穣多産のシンボルとしてのリンガの崇拝が記録されているが、後世にシヴァ信仰の広まりとともにより鮮明になり、大小さまざまなリンガ像が彫像され、多くのヒンズー教寺院に祀られるようになった。
 
通常、リンガの下にはヨーニ(女陰)が現され、人々はこの2つを祀り、白いミルクで2つの性器を清め、シヴァの精液とパールヴァティーの愛液として崇める習慣がある。
 
シヴァの主要な性格は、サマディで、これは日本語の「三昧」に相当する。日本では、「博打三昧」「ゴルフ三昧」というような、悪習慣の意味で使われることが多いが、本来はシヴァ神の本質を意味するものであり、シヴァ神とは極度の偏執的な凝り性を表している。
 
このために、性交であれ瞑想であれ、シヴァは何億年もの時をかけてひとつのことに没頭するのである。
 
(註 : こんな性格をもったものを神様として崇めたくはないですね。)
 
さらにそのような姿がリンガに例えられ、尽きることなく生命を生み、さらに破壊するという原理や現世の本質をあらわしている。すなわちシヴァは、この世の万物を生み出し続ける性器そのものという位置づけがなされる。
 
シヴァは多数の別名を有するが、その一つが「マハーカーラ」で「時間を超越する者」、「時間を創出する者」という意味を持ち、すなわち「永遠」を意味する。人知を超えた存在に対する恐れの感情がと、自然のメカニズムを具現化したものがシヴァである。
 
(註 : 単に「性器」を崇めるだけだと変人と思われるので、「永遠」とか「超越」とか「創出」とか、そういった観念的な言葉を使ってその本質をぼやかせるわけですね。)
 
日本でもかつて性器崇拝が見られた。(神戸市西区・裸石神社)中国の陰陽思想もタントラ思想の影響下にある。
 
(註 : 陰陽道もやはり結局のところは「性器崇拝」ということですかね。)
 
また、かつて日本にも道祖神という形で男根崇拝の時代があったが、インドにおいてはそれをさらに発展させ、性魔術であるタントラ思想に至った。
 
(註 : 道祖神も「性器崇拝」であるということです。)
 
今でもインド北部のカジュラホーには、ミトゥナという男女の性交場面を現した彫刻があるが、これはタントラ思想を具現化したものと言われる。
 
タントラ思想は仏教との融合から密教が派生し、現在でもチベットや日本に今なお強く息づいている。
 
新宗教であり、後にテロ集団となったオウム真理教もタントラ思想をその基盤に置いていた。
 
日本ではタントラの流れをひく密教の聖地として比叡山、高野山などが有名だが、全国の身近にある稲荷もタントラの影響から発生したものである。
 
(註 : 比叡山は「天台宗」で、高野山は「真言宗」。どちらも密教ですね。密教とはつまりは「性器崇拝」だということです。詳しくはこちら。)
 
(しかも、「女神カリ」と空海のつくった最古の仏像も似ていますね。その仏像はこちら。)
 
----------------(転載ここまで)
 
カジュラホーにある男女の性交場面を表した彫刻については、以下のリンクをご参照ください。果たしてこんなものが神様だと言えるんでしょうかね。少なくとも、私はこんな神様は拝みたくないですね。
 
【世界遺産】インドのエロティックな彫刻”ミトゥナ像”がスゴイ【カジュラーホー寺院】 – NAVER まとめ
 
いずれにせよ、インドで崇められている神様は、実は名前を変えて日本にも入ってきていて、これまで多くの日本人から当たり前のように崇められてきたというわけです。もしかしたら、古代の日本でもこれらの神様の前で、子供たちの命が生贄として捧げられていたかも知れません。
 
いいえ、もしかしたら現代でも……。何しろ、一年に数千人という子供たちが日本でも行方不明になっているわけですから。(詳しくはこちら。)
 
しかしながら、我々日本人は自分たちがどんな神様を拝んでいるのか分からないまま(知らされないまま)、その神様の前で手を合わせ、ときに巨額のお賽銭を投じながら、色々なお願い事をしているわけです。本当に「無知」とは恐ろしいものです……。
 
しかも、その願い事がたまたま叶ったりすると、人はますますその神様に入り浸り、場合によっては帰依してしまうわけですね。
 

1Comment
  • rapt
    Posted at 13:32h, 10 6月

    ウィンドウズのインターネットエクスプローラーできちんと記事が表示されていないようです。
    グーグルクロームからはきちんと読めます。
    原因は調査中です。
    ご迷惑をおかけして申し訳ありません。

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