22 4月 輪廻転生はあるのか。または「肉体」と「霊体」の仕組みについて。
ここ連日、聖書についてのお話を続けてきました。
○悪魔を拝んで人生を破壊する生き方から、神様を拝んで人生を幸福にする生き方へ。
○キリスト教最大のタブー。イエス・キリストの「肉体」が生き返ったという大嘘。
○キリスト教最大のタブーその二。聖書に書かれた奇跡はほとんど奇跡ではない。
で、私がかねてからこのブログで「聖書」を薦めてきたこともあってか、私に対して宗教的な質問をしてくる方が多々いらっしゃいます。
その質問の中でも、特に印象的だったのは、「聖書」には輪廻転生のことが全く書かれていないけれども、あなたも輪廻転生を信じてはいないのか、というものでした。
しかも、その人自身は「輪廻転生」を信じていて、「輪廻転生」があることは間違いないことだから「聖書」は嘘だとまで言ってきました。
何の根拠があって「輪廻転生」があると言っているのかはよく分かりません。
単に「聖書」を否定したくてそう言っているのか、それとも誰かが輪廻転生したのを実際に見たのか(まあ、そんなわけがないと思いますが)、それとも誰かから聞いた話をそのまま信じ込んでいるだけなのか。
確かにこの日本では、キリスト教的な概念よりも、仏教的な概念の方が広まっています。
つい最近も、金髪の同性愛者とちょっと太めの霊能力者が、仏教的な話をテレビであれこれと繰り広げていましたので、もしかしたら多くの国民が彼らの話を信じ、「輪廻転生」はあると洗脳されているのかも知れません。
もっとも、私は決して「輪廻転生」がないとは言いません。
ただし、「聖書」に「輪廻転生」という概念について全く書かれていないことは確たる事実です。
そして、私個人はこの「聖書」を読んで自分の人生のいろんな問題を解決してきましたし、この世のカラクリもこうしてほぼ完全に解明できるようになりました。
なので、「聖書」に「輪廻転生」という概念が書かれてない以上、「輪廻転生」を信じるのは難しいというのが本音ですね。
それに、私としては、「輪廻転生」して何度も生まれ変われるという考え方よりも、人生は一度きりという考え方の方がしっくりと来ます。
その考え方の方がより理路整然としていると思うからです。
その理由をご説明しましょう。
人間がこの世に生まれ出てくるまで、人間は母親の胎の中で成長します。
で、ある程度まで成長した後、母のお腹の中から出てきます。
しかし、子供が胎にいる間、母親がタバコを吸ったり、お酒を飲んだり、刺激の強い薬を飲んだりしたら、最悪、その子供は奇形児や障害児として生まれてきてしまいます。
なので、子供がお腹にいる間は、母親はできる限り食べ物に気を使い、お腹に圧迫を加えたり、衝撃を加えないように注意しなければなりません。
つまり妊娠期間中は、母親は徹底的に節制した生活をしなければならないわけです。
たった十ヶ月辛抱して、まともな子供を生むのと、十ヶ月間辛抱せずに、奇形児や障害児を生んで、その子を何年も育てていくのと、どちらがいいかという話ですからね。
で、当然のことながら、誰もが前者を選ぶはずです。
で、話は変わりますが、私はかねてから人間には「肉体」と「霊体」があるという話をしてきました。
では、どうして神様が私たち人間をこんな構造に作ったのかというと、人間の「肉体」は実は「霊体」にとっての母胎の役割をしているからです。
「肉体」がこの地上でどんな生き方をするかによって、「霊体」がどのように成長するかが決まり、その後の永遠の運命が変わってしまうというわけです。
さらに具体的に言うならば、「肉体」がこの世で善を行えば、「霊体」も天使のような美しい姿に成長して、天国に行くことができるけれども、「肉体」がこの世で悪ばかり行えば、「霊体」は悪魔のような醜い姿になって、地獄に堕ちるというわけですね。
で、この地上で生きる100年間、善を行うために苦労して生きるのと、その後、永遠にあの世で苦痛を受けながら生きるのと、どちらがいいかという話なのです。
これが聖書の基本的な考えです。聖書のある箇所にもはっきりとこう書かれてあります。
----------------
だから、わたしたちは落胆しない。たといわたしたちの外なる人は滅びても、内なる人は日ごとに新しくされていく。
なぜなら、このしばらくの軽い患難は働いて、永遠の重い栄光を、あふれるばかりにわたしたちに得させるからである。
わたしたちは、見えるものにではなく、見えないものに目を注ぐ。
見えるものは一時的であり、見えないものは永遠につづくのである。
(コリント人への第一の手紙14章16〜18節)
----------------
で、この外なる人である「肉体」が死んだ後、内なる人である「霊体」があの世に行くというわけですね。
「ちりは、もとのように土に帰り、霊はこれを授けた神に帰る。」(口語訳聖書・伝道の書12章7節、新共同訳聖書・コヘレトの言葉12章7節)
もっとも、この世のクリスチャンたちがこのことをどれぐらい理解しているかは謎ですが、それぞれの教会の牧師さんの聖書の理解度にもよるでしょうね。
とはいえ、考えてみれば、これはある意味、とても恐ろしいことです。
たった一回の人生を自分がどう生きるかで、永遠の運命が左右されてしまうわけですから。
なので、「輪廻転生」があるという考えの方がまだ救いがあるようにも感じられます。
その方が、やり直しが何度でもきくわけですから。
しかし、私から言わせてもらえば、この100年という人生の間にまともに生きられない人が、いくら別人に生まれ変わったとしても、その後も同じような人生しか生きられないのではないか、という気がしてなりません。
その人の外見が変わり、生きていく環境が変わり、両親が変わったとしても、その人の中身は全く同じなのですから。
それに、100年という期間は短いようでいて、それでも長いといえば長い。
なので、自分の「霊体」をしっかりと成長させるには十分な期間と言えるのではないでしょうか。だからこそ、神様も人間の人生を100年と決めたのだと思いますし。
それに私は、何度もこの世で生まれ変わりたいとも思いません。
例え輪廻転生して、物凄いお金持ちになれたとしても、物凄い有名人になれたとしても、そこに何の魅力も感じません。
なぜなら、この地上の世界はどこもかしこも悪魔の支配下にあるからです。
悪魔の支配下にある以上、例えどんな人間に生まれ変わったとしても、悪魔から来る苦痛を逃れることはできません。
だから私は、できれば人生はたった一度きりであってほしいと思います。
そうすれば、100年生きた後は悪魔から完全に解放されるわけですから。
とはいえ、この地上で悪ばかり行って生きたら、結局、死んだ後も地獄に落ちて、「悪魔」どもに取り囲まれて永遠に苦しみの中で生きていかなければなりません。
なので、この地上でできる限り善を行って、天国に行きたいと願っているわけです。
もっとも、この世で善良に生きるというのは、それはそれで相当な努力が必要となりますし、ときに苦労も多いわけですが、この100年の間、苦労するのを惜しんで、永遠の地獄に堕ちる方がさらに大きな苦痛です。
なので、私はこの人生100年は修行の場だと思って、懸命に一日一日を生きています。
しかも、そのように生きることが、この地上での人生を幸せにすることにもなりますしね。それもそれで確固たる事実です。
ところが、そんな自分の人生をときどき政治家やら企業やらマスコミやらが脅かすようなことをしてくるし、私以外の多くの人たちも同じように彼らから苦しめられているので、このブログを通して、悪魔どもの嘘と悪行とを徹底的に暴き出してきたわけです。
一度きちんとそれらを暴き出してしまえば、もう二度と彼らに惑わされることもなく、騙されることもなく、悪の道に誘惑されることもありませんから。少なくとも、その危険性がずっと低くなります。
そして、彼らから受ける苦痛も少なくて済みます。
はっきり言って、この世の中、時代が経てば経つほど、嘘も罠も誘惑も何百倍、何千倍、何万倍と大きく膨らんでいます。
文明が発達してどんどん生活も便利になっているにもかかわらず、なぜか心は空しく寒々しく、どんどん窮屈になっていくばかりです。(もちろん、中には脳天気に生きている人もいますが……。)
で、我々の心をそうやって苦しめる黒幕が誰なのだろうと思って調べてみたら、実はそれが日本に古くから住まわれる「天皇」だと分かってきたわけです。
なので、私は今後もつづけて「天皇制の廃止」のために祈っていくつもりですが、いくら「天皇」が権力の座から下りたからといって、我々一人一人の人生が幸福になるというわけでもない。
なので、悪魔どもを責めてばかりいるのではなく、一人一人が自分の人生をより良く変えていきましょうともお話しているわけですね。
で、人生をよりよく変えていく方法についても、ある程度、具体的にお話してきましたし、これからも続けて話していくつもりです。
この世には悪を叩き潰してこの世の中を変えようとする人たちがいますが、例えその悪なる政治家や企業や団体がつぶれたとしても、別の悪者がよそから出てきてしまったら、何の意味もありません。
私はそんないたちごっこを続けるのは嫌なので、最初から誰かを倒そうとか潰そうとばかり考えず、自分の人生をどう作っていくかにいつも神経を使っています。
その方がずっと生き甲斐のある、価値のある人生を生きられるようになりますしね。
その一方で、悪魔崇拝者たちは自ら悪を行うことに神経を使って、自ら地獄に行こうとしているわけですから、本当にお気の毒です。
はっきり言って、地獄は地獄。苦痛と苦しみの世界です。
地獄には悪魔たちがうようよしていて、その悪魔たちは神様と違って、愛も正義も何もない奴らなのです。
そんな世界にどうしてそんなに行きたがっているのか理解に苦しみますが、要するに彼らがそれだけ悪魔に深く洗脳されているということなのでしょう。
皆さんが地獄に堕ちることなく、天国に行けるよういつもお祈りしています。
アモリフェラ
Posted at 23:09h, 22 4月妊娠中の徹底的に節制した生活のお話で思い出した事があります。私はそれまで毎晩一杯飲むのがすきでした。なので妊娠中、お酒をやめられるのだろうかと正直言って不安でした。ところが、試しに少し飲んでみると、気持ちがわるくなってゲーゲー吐きたくなるのです。だから妊娠中は、ちっとも飲めませんでした。例え愚かな母であっても、赤ちゃんは守られているのだと感じた体験でした。自然のなかにも神はいらっしゃるのでしょう。神さまは自然のものが好きですね。詐欺やペテンや戦争は、人の本性から外れた不自然なもののように思います。だから悪魔が好むのだろうと思います。UPありがとうございます。
@joe
Posted at 01:43h, 23 4月RAPT様
日々の更新、ご苦労様です。
さて、輪廻転生につきまして、簡単ではありますが
wikiで見てみましたところ以下のようです
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BC%AA%E5%BB%BB%E8%BB%A2%E7%94%9F
これを見る限りでは「輪廻転生」という考え方は、あらら、、、ですね。
そして私なりに思うところは、これを仏教的視点から考察してみますと
仏教には、ご存じの方も多いとは思いますが「小乗仏教」と「大乗仏教」とがあります。
そして「大乗非仏論」というのがございます。
参考までに
http://www2.biglobe.ne.jp/remnant/bukkyokirisuto02.htm
この文中にて
「また、小乗仏教においては、この世界の事物は「空」(無我)であり「無常」(※常に変化するもの)
であるという世界観にほとんど終始していたのに対し、
大乗仏教になると、変化きわまりない「無常」の世界の奥に、さらに「常住なるもの」(変わりなく存在するもの)
を捉えようとします。すなわち大乗仏教になると、
移り変わる物事の奥に、”永遠的なもの”を探ろうとするのです。」
とありますが、この大乗仏教の「常住なるもの」、と「輪廻」というのが
どうも物の捉え方として共通しているような気がしております。
失礼致しました。
rapt
Posted at 03:16h, 23 4月ウィキペディアの「輪廻転生」の記事を拝見しましたが、輪廻転生という概念がヒンズー教や古代エジプト(どちらも悪魔教)にも出てくるということは、やはり「輪廻転生」は悪魔的な概念ということになるかも知れません。
ピタゴラスやプラトンなどギリシア哲学もまた悪魔の思想なので、ほぼ確定ですね。
あと、イスラム教のアラウィー派とドゥルーズ派も悪魔の匂いがプンプンしますね。
アラウィー派は「天皇派」のアサドが信仰し、ドゥルーズ派もそのシンボルマークが「五色星」。しかも、どちらも神秘主義思想とのこと。神秘主義思想とは、つまり悪魔教のことです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/アラウィー派
http://ja.wikipedia.org/wiki/ドゥルーズ派
そもそも、輪廻転生という概念は、人生いくらでもやり直しができるからといって、適当に人生を生きるように仕向けるための悪魔の誘導という気もしないでもありませんし。
五輪の書
Posted at 11:04h, 23 4月更新ありがとうございます。
法華経の中では輪廻転生は因果応報であるということです。すべて原因がありそして結果があるということです。今世のみの考え方だと現世利益につながり今さえ良ければとなりがちになります。そうでなければ前世の記憶を持つ人がでてくることは無いのですが実際そういう方見受けられますね。今世でした報いは来世に繋がって自分が相手にしたことが今度は立場を入れ替え自分がされる。ただ全く同じ状況になるのではなく対応いかんによって未来はいくらでも良くもなり悪くもなりするということ。生命は永遠であり(肉体というものではなく万物の意識)それが連綿と連なり続いていくこと。創造主はただ存在するだけでジャッジしないと認識してます。魂は常に自由であると。もし今問題を抱えているなら何かしら過去のことが影響している。それが各個人だけでなく集合意識の全体の業(カルマ)も抱えているから各個人の意識というか人間性と霊性を上げることが全体のアップに繋がると自分は思ってます。長文しつれいしました。
rapt
Posted at 11:53h, 23 4月>五輪の書さん。
宗教論争はしたくありませんが、
「そうでなければ前世の記憶を持つ人がでてくることは無いのですが実際そういう方見受けられますね。」
というのは、「輪廻転生」ではなく、単に死者の霊が乗り移った現象ともとれます。
以下のようなサイトもありますが、全く輪廻転生を証明しているとは言い難いものばかりです。
http://karapaia.livedoor.biz/archives/52183980.html
@joe
Posted at 12:15h, 23 4月法華経とは初期大乗仏教経典の1つであります。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B3%95%E8%8F%AF%E7%B5%8C
そして大乗仏教は
「釈迦の教えを忠実に実行し、涅槃(輪廻からの解脱)に到ることを旨とした上座部仏教(※小乗仏教)に対し、
それが究極においてみずからはどこまでも釈迦の教えの信奉者というにととどまるもので、
自身が「ブッダ」(如来)として真理を認識できる境地に到達できないのではないかという
批判的見地から起こった仏教における一大思想運動という側面もある」
とあります。
釈迦は「輪廻からの解脱」と説いたのです。
また、
「思想的には、大乗の教えは釈迦死去の約700年後に龍樹(ナーガールジュナ)らによって理論付けされたとされる。」
とあります。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E4%B9%97%E4%BB%8F%E6%95%99
で、その龍樹(ナーガールジュナ)を調べますと
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BE%8D%E6%A8%B9
密教においての祖であるらしいので
RAPT様のブログにおいてはこちらかと思われますが
http://rapt-neo.com/?p=24188
つきましては、こちらのブログの理論からすると、法華経含む大乗仏教=悪魔教
となるかと思われます。
五輪の書
Posted at 13:21h, 23 4月お返事ありがとうございます。
なるほど。乗り移ったとまでは考えませんでした。私も論争がしたいわけでは無いので只々真実が知りたいのです。他の視点からも検証して見ようともいます。ただ日蓮という名のついた宗教も幾つもありますしそれぞれ言い分があるようですが結局は人間性を高めていくことが肝要なのはまちがいないとおもいます。
五輪の書
Posted at 13:33h, 23 4月追記です。
釈迦も法華教についてはのちに悟りを開くものが現れるとしてたみたいなのでここまでが恐らく初期と言われる大乗仏教ではと。思ってます。何が何でもこれでなければとは私自身は思っているのですが。あまり信心深くないのかもしれません。日蓮正宗においては御書と言われるものがあるのですが正直難しく解釈が各個人で行われてしまうと派閥化してしまうのです。お寺の住職も完全に理解することは不可能ではとの見解です。相手は悟りを得た一人で有りますから凡人にはいかんともし難い歯痒さが自分には有ります。
何度も失礼しました。
rapt
Posted at 14:29h, 23 4月>五輪の書さん。
「相手は悟りを得た一人で有りますから凡人にはいかんともし難い歯痒さが自分には有ります。」
本当に悟りを得た人とは、物事を複雑に語る人ではなく、複雑な物事をシンプルに解き明かした人のことを言います。
少なくとも、私は聖書から悟りを得れば得るほど、複雑に見えていたこの世の物事がシンプルになっていく痛快さを感じました。
だからこそ、聖書は真理であると思ったわけです。
これについては、またいずれ記事にしようとは思いますが、宗教というものは本来、複雑なこの世をシンプルに解き明かして、人に道しるべを示すものでなければならないと思っています。
しかし、現在のほとんどの宗教は、ただでさえ複雑なこの世の情報をさらに複雑にするばかりで、私はそこに常々、悪魔的なものを感じていました。
それは人にとっての道しるべにならず、むしろ人を迷わすばかりですから。
ギリシア哲学が悪魔の思想であると考えるようになったのも、まさにそれが全ての発端です。
ギリシア哲学も読めば読むほど、この世のことが分かるようになるのではなく、むしろ分からなくなるばかりですから。
この世のメディアの情報もまた然りですね。
宗教とは人生の道しるべです。なのに、その道を優しく教えてくれないのなら、それは宗教とは言えません。
なので、悟りを開いた人が、誰にも分からない話しかできないというのはあり得ないことです。
悟りを開いた人とは、誰にでも分かる話をする人のことをいうのです。
話せば話すほど、もっと物事を分からせてくれる人のことをいいます。
少なくとも私はそう思います。
五輪の書
Posted at 14:51h, 23 4月ありがとうございます。
何せ御書は現代文ではないのです。当時(鎌倉時代の書物そのものを再編したもので)の信者の悩みに答えたものや北条氏との手紙とかその他諸々のものが入ってます。私自身はその人がその宗教や考え方に触れた時に受け入れらられてその人が安心や希望、安らぎを得られるものならなんでもいいのではと思ったりしたことも有ります。raptさんのところに集まる方々は少なくともストイックに物事を考える人達だとは思うのでこうしてコメント入れて考えさせられるのは極端な考え方にならずバランスが取れてありがたいです。私ももめたくているわけでは無いのでニュートラルなスタンスで行きたいと思います。対立はあいつらの思う壺ですね。これからもよろしくお願いします。
rapt
Posted at 15:01h, 23 4月争うわけではないですが、現代文でないから分かりにくいのか、現代文ならば分かりやすいのかで、話が全く変わってきます。
現代語に訳した文章はないのでしょうか。
そんなに重要な悟りならば、なぜ現代文にしないのかが逆に不思議です。
五輪の書
Posted at 15:27h, 23 4月現代文では直接法主猊下からの説明ということになります。その教えを学び各寺院の住職が信徒に説明をするというのが基本スタンスです。また会報誌などがあるのでそこに現代文としての説明が載ったりしてます。猊下は大石寺におりますが大石寺と身延山に残った日蓮宗との意見の違いも有ります。輪廻転生に関しては正直死んで見ないとわからないという見解が極論で自分にはありますwまだ私も真実を探し始めたばかりですから。ひよっこです。
rapt
Posted at 15:39h, 23 4月いずれにせよ、大乗仏教には「密教」も含まれているようですので、悪魔的なものが混ざっていることは確かだと思います。
残念ではありますが、客観的な事実に基づけば、このような結論になるしかありません。
そもそも、聖書を一度まともにきちんと読んでしまえば、特に他の宗教に頼ろうという気にはなれないのですが、かといって、全ての宗教が悪魔の作ったものであるとは限らないので、私もこうして入念に考察している次第です。
しかし、場合によっては、仏教もまた悪魔が作ったものであるという結論に到達することもあり得るかも知れませんので、その点はご了承ください。
もちろん、そのときにはきちんとした証拠と根拠をご提示した上でのことになります。
五輪の書
Posted at 15:54h, 23 4月御負担をおかけ致します。
私も人としてのイエスキリストは非常にリスペクトしておりますので誤解なき様よろしくお願いします。
聖書も拝読して見ようと思っております。
ありがとうございました。
のぶゆき
Posted at 18:05h, 23 4月空海の開いた密教、真言宗というものは、悪魔崇拝が仏教のいいとこ取りをして民衆に支持されやすくしたものだと理解しています。
現在のキリスト教が悪魔崇拝者によって間違った方向に洗脳されているように。
悪魔のやり方が同じだとすると、その時代に正しい教えが正しく広まらないように支配していこうとするならば
仏教、なかんずく法華経(釈迦は法華経を説くときに、法華経より以前に説いた教えは捨てよとおっしゃっています「正直捨方便 但説無上道」)が広まらないように、ヒンズー経などの悪魔経に仏教を取り入れたのではないでしょうか。
その説明を分かりやすくされています。
http://www.butujoji.jp/weekly/ky0177.html
悪魔が仏教を作ったというよりも、悪魔が仏教を悪用した可能性が高いように思われます。
近年においても、もともと神道である牧口氏が創価学会を使って(天皇の意向かどうかはわかりませんが)日蓮正宗を取り込もうとしておりました。
創価学会3代目会長の池田氏のときにその画策が明らかとなり破門され、乗っ取りは失敗しておりますが。
nozomi
Posted at 01:51h, 25 4月raptさん こんばんわ。
ルドルフシュタイナーのアントロポゾフィー世界観は、どのように思いますか?
この世の中においてどのような立位置で存在しているのかどうしてもわかりません。
悪魔的なのか、それとも神様の知恵を授かったものなのか、
rapt
Posted at 03:30h, 25 4月>nozomiさん。
シュタイナーは先ず「神智学協会」を設立していますが、この「神智学協会」はどこからどう見ても悪魔的な学問です。
完全なオカルト思想ですからね。
http://ja.wikipedia.org/wiki/神智学協会
その後、シュタイナーは「神智学協会」との方向性の違いから「人智学」を立ち上げましたが、その後も神秘思想などを扱っているところを見ると、真っ当な学問とは言えないと思います。
http://ja.wikipedia.org/wiki/人智学
http://ja.wikipedia.org/wiki/ルドルフ・シュタイナー