25 7月 「オタクは異常」の原点となった宮崎勤事件も冤罪だった。この頃から既にマスコミと警察による事件のねつ造は始まっていた。
私は昨日、マスコミが「オタクは異常」という風潮を作り、警察とマスコミとがグルになってオタクによる異常事件をねつ造している、という記事を上梓いたしました。
○「オタクは異常」という風潮をマスコミが作り、警察と共にオタクによる異常事件をねつ造する。それが裏社会の計画です。
このような結論に至ったのは、今回の「岡山女児監禁事件」がメディアと警察によるねつ造であるとの確証を得たからです。その経緯については以下のリンクをご覧になれば、詳しくお分かりいただけます。
○岡山小5女児監禁事件がマスコミ(創価)のねつ造である可能性はやはり濃厚です。マスコミの嘘もここまで来ました。
○ベネッセ事件犯人のねつ造。小5女児監禁事件のねつ造。これらの事実は警察が裏社会の構成員であることを意味する。
では一体、いつ頃からこういったマスコミと警察による事件のねつ造は始まったのか、いつ頃からこのような裏社会の計画が始まったのか、について今日はお話をしたいと思います。
はっきりと断言します。このような計画が始まったのは、かの有名な「宮崎勤事件」のときからです。
実は「宮崎勤事件」も警察による冤罪事件でした。しかも、警察が誤って宮崎勤に罪をかぶせたわけではありません。わざとかぶせたのです。意図して彼に濡れ衣を着せたのです。したがって、宮崎勤は精神異常者ではありません。変質者でもありません。
宮崎勤を変質者だと言い出したのはマスコミです。そして、それは紛れもない嘘でした。マスコミが「宮崎勤は変質者」だと宣伝し、「彼のようなオタクは危険な犯罪を犯しやすい」という風潮をでっち上げていったのです。宮崎勤に濡れ衣を着せるために、マスコミは「オタクは異常」という風に世論誘導していったのです。
ただし、「宮崎勤事件」の場合は、今回の「岡山女児監禁事件」とは違って、事件そのものまでねつ造されたわけではありません。実際に誘拐事件があり、何人もの少女たちが殺されました。それを警察とマスコミがグルになって宮崎勤のせいにしていったのです。そのため、警察が数々の証拠をねつ造し、マスコミが数々のプロパガンダを発していきました。
この宮崎勤事件のときに起きた幼女の誘拐、殺人事件もすべては組織的な犯行によるものでした。どこからどう見ても、一人で実行できるような犯罪ではなかったからです。
しかし、当時このことに気付いた人の多くが、まさか警察やマスコミがグルになって冤罪事件をでっち上げるわけがないと思い、そのような疑いを抱えながらも、結局、全てをうやむやにしたまま事件の終焉を迎えてしまいました。
しかし、私は今ここではっきりと断言します。「岡山女児監禁事件」が創価学会による組織的なねつ造事件だったように、「宮崎勤事件」もまた創価学会による組織的な犯罪であり、その罪を「宮崎勤」一人になすりつけたのだ、と。
もっとも、そのシナリオは今回の「岡山女児監禁事件」と同じく、ボロだらけの杜撰で稚拙なシナリオでしたが……。
とはいえ、この当時、この計画は思いの外うまくいきました。現在のようにネットが普及していなかったため、国民はテレビや新聞の情報しか知ることができず、マスコミの言うことを鵜吞みにするしかなかったのです。この事件の不可解さに気付いたのは、多くの情報に触れられたマスコミ関係者など、ごく少数の人だけだったと思います。
そのため、マスコミも警察もこれに気をよくしたのでしょう。この頃から彼らは「オタクは異常」という風潮をどんどん世間に広めていくようになりました。しかも、次から次へとアニメ制作会社を立ち上げ、オタクを大量生産するようになりました。(アニメ制作会社の大半は創価学会関連企業。)
さらには「サイコパスによる犯罪」をテーマにしたアニメまで大量に作り、この世には気が狂った犯罪者が多い、という風潮まで作り上げていきました。そうすることで、創価学会による組織的な犯罪をすべてサイコパスのせいにしようとしたのでしょう。
しかし、私はここでまたはっきりと断言しますが、サイコパスによる犯罪などこの世にはそうそう存在しません。もしそういう事件が報道されたら、先ずはマスコミと警察によるねつ造ではないかと疑ってかかるべきです。
実際、かの有名な「酒鬼薔薇聖斗(さかきばらせいと)事件」も冤罪事件だった疑いが濃厚です。それについても過去に記事を書いていますので、興味のある方は以下のリンクをご覧ください。
○ベネッセの系列企業シンフォームは犯罪の温床。私が「松崎正臣」を本物の犯人ではないと疑う理由。
ですから、サイコパスによる犯罪事件が報道されたときには、そのニュース(特にテレビのニュース)を詳しく精査してみてください。そうすれば、今回の「岡山女児監禁事件」のように必ずボロが見付かります。矛盾点が見付かります。そして、その事件がねつ造されたものだとはっきりと証明できたら、そのときには創価学会を疑ってください。日本の裏社会の中心は創価学会です。
最後に「宮崎勤事件」の詳細について、その顛末が詳しく書かれたブログ記事がありますので、そちらを二つばかり抜粋させていただきます。どうぞとくとご覧ください。
(以下、やっぱり、毎日がけっぷちより転載)
宮崎勤の死刑執行…断言するが、あれは「冤罪」だ!
本日17日、あの宮崎勤の死刑が執行された。
なんとも見事なタイミングである。
さっきから身体の震えが止まらない。
権力って本当に恐ろしいことをするなあと、改めて思い知らされた。
その根拠は後述するとして、とりあえずこの事件に関して語ろう。
はっきりと断言するが、宮崎勤は冤罪以外のなにものでもない。
国家権力と取り巻きのゴロツキたちによって作り上げられた、虚構のストーリーであって、我々はすっかり騙されたと言うべきだろう。
宮崎勤が逮捕された1989年当時、マスコミが放送するこの事件の顛末について、おいらはまったく疑っていなかった。
それを疑うようになったのは、出版業界に入ってからのことだ。
世の中、いかに嘘ばかりが蔓延しているか…それに気づくまで、そう長くはかからなかった。
タブーが多すぎるのだ。
これは書いてはならない、これに触れてはならない…そんな話ばかりだ。
宗教、暴力団、市民団体、同和、在日、ユダヤなど、本当に多岐にわたる。
たいていのタブーは、名誉毀損やら差別やらという形で攻撃を受ける。
本当のことを書くことが道徳に反するように言われるわけだ。
いまはネットというものがあるので、以前よりはやりやすくなった。
だからこそ、ネットでの言論を封じようという動きも出てきているのだ。
一見、本題とまるで関係ないような導入だが、最後まで読んでもらえればわかると思う。
一応、先に断っておこう。
おいらはなにも宮崎勤がすばらしい人間であるとか、悪いところのまったくない人間だと言いたいわけじゃない。
警察に目をつけられるなんらかのこともあったかもしれない。
あくまでもこの件に限った話をしているだけだ。
さて、件の宮崎勤事件である。
みんな強烈に記憶に残っていることだろう。
埼玉県と東京都を舞台に、4人の女の子が誘拐・惨殺された、あまりにも痛ましい事件であった。
逮捕された宮崎勤は、いまで言えば引きこもりのようでもあり、オタクともいえるキャラクターであり、自室に6000本ものいかがわしいビデオを溜め込んでいたとされている。
ニュースでは次から次へと宮崎勤の供述どおりに遺体が発見され、部屋からは遺体の写真や陵辱ビデオが見つかったと報道。
それによって、多くの人間が彼を「猟奇殺人鬼」と思い込まされたわけである。
しかし、事実はだいぶ違う。
この宮崎勤の裁判において「決定的な物証」と呼べるものは皆無だったのだ。
もう一度繰り返そう。
皆無、である。
まず、宮崎勤の供述どおりに発見された遺体であるが、非常におかしなエピソードが残っている。
この際に3組の遺体が見つかっているのだが、いずれも二度に渡る捜索が行われており、その二度目に発見されたのである。
さらに、野本綾子ちゃんの遺体は、失踪から2カ月にしてすでに白骨化していた。
それも、硬膜などの組織もきれいになくなっていたという。
通常、野ざらしにされた遺体であっても、その状態になるまでには半年以上の時間が必要である。
彼の供述では「工場の流しで頭蓋骨を徹底的に洗った」ということになっているが、問題の流しから被害者の痕跡は一切発見されていない。
髪の毛一本、皮膚組織ひとつ、血痕一点たりとも見つかっていないのだ。
そして、これが一番不可解な話だ。
今野真理ちゃんの歯や骨が自宅に届けられたエピソードを覚えている人は多いだろう。
実は、被害者を診たことがある歯医者が「その歯は真理ちゃんのものではない」と証言しているのである。
届けられた歯のなかに、治療したものは一切存在せず、また、あるはずのない永久歯(真理ちゃんは4歳だった)が混じっていたからである。
これについて、当初、埼玉県警は「別人のものである」と発表したが、翌日には「別人のものとする根拠がなくなった」と、非常にあいまいな言葉でそれを撤回したのだ。
結局、今野真理ちゃんの身元を証明することになったのは、数日後に届いた今田勇子名義の「犯行声明」だけである。
これによって、なんら科学的な証拠もなしに、身元が決めつけられてしまったのだ。
ちなみに、これらの遺体についてDNA鑑定は行われず、単に血液型で判別しただけである(当時、すでにDNA鑑定は可能だった)。
もちろん、犯行声明から宮崎勤本人の指紋などが見つかったという話もない。
こんなおかしな現象は、数限りなくある。
・犯行声明の原案になったとされる映画「スウィ―トホ―ム」(伊丹十三)のビデオは、彼の逮捕後の発売だった。
・死体遺棄現場そばの山中で脱輪しているところに出くわした証人が「車は(ラングレーではなく)カローラIIだった」と証言している。
・また、その相手は身長170センチくらいだった(宮崎勤は159センチしかない)。
・被害者家族が見せられたという陵辱ビデオには、顔が一切映っていなかった。
枚挙に暇がないほどだ。
このへんは、専門のサイトを見たほうが話が早いだろう。
結局、裁判においても、物的証拠などというものはまったく存在しなかった。
ご存知のとおり、日本の法制度は「疑わしきは罰せず」である。
なんら証拠がない以上、罪に問うことはできない。
ましてや、死刑になんてできるわけがないのだ。
念のために申し上げておくが、あたくしは死刑制度廃止論者ではない。
むしろ、より重罰に問うべき犯罪行為があると思っているくらいだ。
ただ、そのためには、法治国家としてごく当たり前の概念である「罪刑法定主義」の徹底が必要であろう。
いまの制度は、警察、検察、裁判所が強力なタッグを組み、法に照らし合わせたところで罪に問えない国民を無理やり牢獄送りにする危険性を秘めている。
いや、実際にそういう例は数限りなくあるのではないか。
これは、正直なところ、我々国民にも非があると思う。
日本人はお上に弱い。
警察が逮捕したという段階で、その人間は犯人扱いされてしまう。
そして、凶悪犯が捕まったということで、ああ、これで平和が戻ったと安心してしまう風潮があるではないか。
また、冤罪説を唱えたりすると、べつの非難も飛んでくる。
「遺族の気持ちを考えていない」というものだ。
だが、言わせてもらえば、遺族の気持ちを考えるなら、真犯人が捕まることこそが願いではないのかとおいらは思う。
間違った人間が捕まり、罪に問われという状態を放置していいわけがない。
そういう感情的な声が、真相追求の一番の障害になっているのもまた事実だろう。
そういう意味で考えると、日本は厳密には人治国家なのではないかと思う。
もしくは警察国家ともいえるかもしれない。
目に見える証拠などは関係なく、警察が捕まえた時点で犯罪者と認定されるわけだから。
しかも、その後の国民感情によって、法律を曲げるようなことまで本気で語られている。
たとえば、危険運転致死傷罪が施行されるきっかけとなった飲酒運転事故について「超法規的措置で厳罰を処するべき」といった論調がマスコミで展開されていたことがあった。
あたくしとしても、そう言いたい気持ちはわかるし、できることならそうしたほうがいいとは思う。
だが、それはべつの危険もはらんでいるのだ。
法律を感情によって捻じ曲げてしまう前例を作ってしまえば、のちにそれが悪いように利用されることもあるはずだ。
かつて、紛れもない人治国家である中国において、スイカ泥棒に死刑判決が下されたことがある。
最初にそいつが盗みを働いたのを見て、次から次へと人民が泥棒に変貌し、倉庫が空になってしまったという事件だ。
これは非常に問題があるとして、最初に盗んだ男を厳罰にすべしということになったのである。
極端な例ではあるが、法律を曲げるということにはこういった危険がある。
正直、加害者が軽微な罰しか与えられなかったら、被害者は死に損であると思う。
だが、それを見合った形に直していくのは、あくまでも立法府の役目であって、政治家の最大の責務であるはずだ。
話を戻すが、自分が冤罪に巻き込まれる可能性は常にそこにある。
人ごとで済まさずに、冷静に物事を見据える必要があるだろう。
それをもっとも邪魔しているのは、権力の周囲にうろついているマスコミという名のゴロツキではないかとおいらは思う。
この宮崎勤事件において、検警察とグルになって国民を洗脳したのは間違いなくやつらである。
断言する。
おそらく、あの事件の本当の犯人(たち)は、いまものうのうと生きているか、平和に一生をまっとうしたに違いない。
事件の一応の解決を見せるために、人身御供として宮崎勤が絞首刑になったのだ。
その父親も無念の自殺を遂げているし、かつての新聞社も消え去った。
警察の面子のためなのか、さもなきゃべつの犯人を隠すためなのか、その理由はわからないが、どれだけの人間がその犠牲になったのか考えてもらいたい。
現在進行形で被害者が増えている可能性だってあるだろう。
我々は、こんな日本の酷い構造について考え、糾弾していかなければならないだろう。
そして、話は最初に戻る。
どうしてこの時期に宮崎勤の死刑が執行されたのか。
おいらはある仮説を立てている。
少し前にあった秋葉原の無差別大量殺人事件は記憶に新しいところだろう。
あの事件において、マスコミがしつこく繰り返しているのが「ネット掲示板の犯行予告」だ。
ほかにもいくらでもやるべきニュースはあるだろうに、いまだその話題を繰り返しているところに恣意的なものを感じている。
要するに、あの事件はネットカルチャーによるものというイメージ捏造なのだろう。
そして、宮崎勤だ。
彼の本当の人となりはわからないが、少なくとも世間のイメージでは旧世代の暗いオタクといったところだろう。
その当時、彼の傾倒していたものが悪いと、ホラー等の表現が叩かれたこともあった。
つまり、両者をあわせることによって、新旧のオタク的なものに対し、マスコミが攻撃を仕掛ける材料になるのだ。
いったいなにが始まろうとしているのか。
とかくネットやコンテンツに対する規制が必要であるという論調が広がるだろう。
表向きは、オタクのような不健全なものに対して誰かが監視しなければならないというものであるが、その本来の目的は言論統制であるに違いない。
勘ぐりすぎだと言われればそれまでだが、あたくしはこの死刑執行について、こういう世論形成を狙ったものではないかと、役所とマスコミのコラボレーション戦略なのではないかと考えてしまうのだ。
もしも、両事件を一緒くたにしたような報道が展開されたなら、この仮説は大当たりと見るがいかがだろう。
本来、マスコミは言論統制と戦う立場にあるはずだった。
だが、いまは違う。
以前から何度も書いているように、マスコミはすでに権力の手に落ちているのだから。
むしろ、テレビや新聞を見る時間を奪い取り、影響力や広告料を下げさせる要因となっているネットは、彼らにとってつぶしたい勢力である。
もしかすると、本当の第四の勢力というのは、このネットであるのかもしれない。
我々は、決してこれらのプロパガンダに騙されることなく、自由な言論を守るために戦わなくてはならない、そんな気がするのだ。
以上が、この宮崎勤事件「終結」に関する、おいらの率直な気持ちである。
事件の被害者やそのご遺族、そして、本日、命を奪われた宮崎勤とそのご家族…つまりはその権力に呑み込まれてしまったみなさまに対し、心より哀悼の意を表し、そのご冥福をお祈りするものであります。
(転載ここまで)
(以下、阿修羅より転載)
宮崎勤事件―――破綻した〝謀略のシナリオ〟 連続幼女誘拐殺人事件の深き〝闇〟 黄昏時のパルチザン兵士
置き去りにされたままの多くの謎(ミステリ―)
犯人は本当に宮崎〝一人〟だけだったのか―――?
緻密にして大胆不敵、冷酷にして残忍な犯人像とはかけ離れていた“冴えない風貌の青年” しかし、大量のビデオで“要塞”と化した彼の部屋がメディアで報じられた瞬間から事件は“オタクの犯罪”という全く異質の方向へと展開していった・・・・・・・
今も強烈に蘇る事件の衝撃―――罪無き幼女4人の命を奪った殺人鬼は、現在塀の中で審判の日を待っている。しかし、事件は、容疑者逮捕直後から冤罪説が飛び出すなど、多くの謎が噴出し、今なおその謎は置き去りにされたままになっている。断っておくが、本稿は決して宮崎の冤罪説を主張する趣旨の内容ではない。しかし、事件から既に16年―――――事件を冷静に俯瞰して検証した時、一体何が見えてくるか?今改めて、放置されたままの事件の謎に迫ってみたい。
1989年8月11日、真昼のテレビに突如として東京上空を飛ぶヘリコプタ―からの映像が流れた。綾子ちゃん殺害の容疑で宮崎勤を再逮捕したという臨時ニュ―スである。宮崎を乗せた警察の車がひた走る。テレビはその模様を全国のお茶の間に中継した。世間を震撼させた連続幼女誘拐殺人事件の終わりの〝始まり〟だった――――。
冷酷・残忍・緻密・大胆不敵―――――冴えない青年・宮崎と犯人像のイメ―ジの乖離
「もし私が捕まった時、皆さんは、私を見て驚かれるでしょう。・・・・・・残念ながら私は、あなた方の身近に居ます。近くが遠いのです」(今田勇子の告白文より)
たしかに世間は驚いた。幼女殺害の犯人は、どこにでもいそうな冴えない風貌の青年だった。絵梨香ちゃんの誘拐の際に目撃されたという不審な中年男ではなく、ましてや冷酷にして残忍、緻密にして大胆不敵な今田勇子のイメ―ジからはほど遠かった。
私たちは宮崎勤に関する情報をシャワ―のように浴びせられた。その結果、この男が犯人だと思うようになった。あのときのことを思い出してみよう。宮崎の自供どおり綾子ちゃんの頭蓋骨が見つかったというニュ―スが流れたのち、大量のビデオと雑誌が積み上げられた宮崎の部屋が公開された。マスコミは宮崎の残虐性を煽る報道を機関銃のように連射し続け、宮崎のビデオコレクションがあたかも残酷映画一色に染まっていたかのようなキャンペ―ンを張った。それは事実に反していたが、テレビの怪奇映画特集は放映中止となり、ビデオ店のホラ―ビデオコ―ナ―は縮小を余儀なくされた。いったんひとり歩きを始めた〝オタクの犯罪〟というイメ―ジはもはや誰にもコントロ―ルできなくなっていた。
当初は誰も宮崎のような犯人像は想像していなかった。そのことはいまでは忘れられがちである。宮崎のようなタイプの人間が残忍なことをするというイメ―ジは、警察とマスコミの合作による〝宮崎勤事件〟という物語によって刷り込まれたものである。そして物語の第1ぺ―ジ目に据えられたのが、宮崎の自室の写真だった。あの写真は家宅捜索前に報道陣が部屋に入って撮影したものである。警察はそれを黙認した。酒鬼薔薇事件や昨年に奈良市で起きた女児誘拐殺人でもいいのだが、警察の誘導とマスコミの印象操作で成り立っているような事件のスタイルは、かなりの程度、宮崎事件で確立した。
警察が証拠保全もしないまま報道陣に公開された宮崎の部屋
権力によるシナリオの存在が見え隠れしているような事件には、決まって共通の特徴がある。いくつもの謎が平然と放置されていることだ。宮崎は女児の裸を写真に撮っているところを見つかって逮捕されたが、そんなまぬけな男が綾子ちゃん殺害では極めて神経質な作業をしたことになっている。埼玉県の宮沢湖霊園で見つかった綾子ちゃんの遺体には首がなく、のちに宮崎の自供どおり東京多摩地方の御嶽山で頭部が見つかる。だがそれは脳硬膜もない空っぽの頭蓋骨だった。死後2ヶ月で完全無欠な白骨になるのはおかしいという疑問が出たが、これは宮崎が自宅の印刷工場にある流し台で髪の毛をむしり取り、きれいに洗ったためという理由付けがなされた。だが流し台から髪の毛は発見されず、頭蓋骨には洗ったときの傷もなかった。
供述によれば、宮崎は綾子ちゃんを殺してから遺体を自室に隠していた。ビデオ撮影をして弄んでいたが、2日後に腐敗臭が強くなったのでノコギリで解体したという。だが宮崎の部屋は他の部屋とカ―テンやベニヤ板で簡単に仕切られているだけである。にもかかわらず家族は誰も宮崎の行為に気付いていない。隣の部屋にいた妹は腐敗臭などしなかったと言っている。もちろん遺体などは見ていない。しかも部屋から押収されたノコギリからは血液反応が出なかった。宮崎は遺体の解体に使ったノコギリを河川敷に捨てたと供述したが、どこを探しても見つからない。ついに凶器は特定されなかったのである。
自供どおりの場所から綾子ちゃんの頭蓋骨が見つかったなら、宮崎は間違いなく犯人だろう。しかしその他の状況を考え合わせると、発見された頭蓋骨は本当に綾子ちゃんだったのかという疑問が生じる。また遺体切断現場が宮崎の自室だったというのに、警察は証拠保全もせず、報道陣を部屋に入れたことになる。これは小さな問題ではないはずだが、いつのまにかうやむやになった。こんな疑問が放置されたままなのだ。
事件の大きな謎 警察関係者を示唆する今田勇子の〝犯行声明文〟
段ボ―ルで届けられた真理ちゃんの歯を巡る鑑定結果が混迷する中、今田勇子の犯行声明文が届く―――――「あの骨は、本当に真理ちゃんなのですよ」
そして埼玉県警は最終的に「歯は真理ちゃんのもの」という判定を下す
警察を助けた今田勇子―――――そこで浮上したのが「今田勇子=警察内部関係者」説だった
謎はまだある。全部はとても書ききれないので、代表的なものを見ていこう。
1989年2月6日、行方不明になった真理ちゃん宅に、歯や骨の入った段ボ―ル箱が届いた。「真理 遺骨 焼 証明 鑑定」と書かれたメモとともに。
7日に埼玉県警は「歯は真理ちゃんとは別人のもの」という鑑定結果を発表したが、8日になってから鑑定医が前日の発表を否定した。「別人のものとする根拠がなくなった」という。情報が混乱する中、10日に今田勇子の犯行声明が届く。それは歯が真理ちゃんのものであることを強調する内容だった。
真理ちゃんが通院していた歯医者の見解はこうだ。
「少なくとも私が治療した歯は入っていなかった。また、中には明らかに永久歯と思われるものが入っていたが、真理ちゃんにはそんな歯はなかった」(当時の報道より)
この鑑定が正しいなら歯は真理ちゃんのものではない。しかしもはや鑑定より今田勇子の犯行声明のほうが説得力を持っていた。埼玉県警は3月1日に「歯は真理ちゃんのもの」という最終判定を下したが、もはやその報道に影響力はなかった。「あの骨は、本当に真理ちゃんなのですよ」という今田勇子の言葉がすでに定説化していたからだ。結果的に犯行声明は情報操作の役割を果たしたが、これは警察にとって都合の悪いことではなかったといえる。歯は焼かれていて正確な鑑定は不可能だったからだ。もし真理ちゃんの歯と断定できなければ〝第5の殺人被害者〟を想定しなければならない。その手間が省けたことから「警察を助けた今田勇子は警察内部の人間ではないか」という説も出た。
たしかに今田勇子の犯行声明は、警察の内情を知っている人間が書いたようなニュアン
スを漂わせている。「署長は、捜査員には、絶対に写真を見せず、言葉でしか、その写真を説明していない筈なのです」「警察も、そこまでやるようになったのだなあと思いました」「これは、警察官が、いつも心えていることでもあります」などの箇所である。
加えて今田勇子は、迅速かつ正確な行動ができる人物であることが明らかだった。日々の報道を丹念にチェックしながら、ほとんど1日程度で犯行声明文を書いたことになる。身元の分からないような細工をした上でポストに投函している。しかも筆跡を操作しながら書き損じがない。宮崎にそれができたとは思えないという声は今も根強くあるし、実際、今田勇子の正体が宮崎勤であるという明確な証拠はない。すなわち封書についていた指紋が一致したとか、切手についていた唾液のDNAが一致したとか、そういう確たる証拠は出ていない。ちなみに封書にも手紙にも指紋はついていなかった。今田勇子は周到な人物なのである。切手に唾液がついていたかどうかという情報も出てきていない。鑑定した結果はおろか、鑑定したかどうかという情報も公表されていない。
つまり今田勇子=宮崎勤という根拠は、せいぜい文体論のレベルでの話にすぎない。そしてその文体すら総じて似ているとはいえないが、しいていえば言葉遣いの特徴に共通点がないわけではない。たとえば、「~と、~は、違うことです」という比較の言い方の繰り返しや、「ところが、どゥでしょう」という表現などは両者の類似点である。「必然して~」という独特の表現も両者ともに使っている。(井上ひさし「今田勇子を読む」)宮崎に特徴的な表現を今田勇子が用いているのは事実である。そこだけ見れば2人は同一人物にも思えるが、一つ大きな謎がある。
発売前で入手不可能なビデオを宮崎の部屋に〝仕込んだ〟のは一体誰か
今田勇子とホラ―映画『スウィ―トホ―ム』の謎―――宮崎の膨大なコレクションの中にあった『スウィ―トホ―ム』
しかし―――宮崎が逮捕されたのは、7月23日だった
そして―――ビデオが発売されたのは、8月11日だった
果たして宮崎は、発売前のビデオをどうやって入手したのか―――――?
今田勇子が書いた告白文の設定は、伊丹十三製作総指揮のホラ―映画『スウィ―トホ―ム』に似ているという指摘がある。これは事件当時にスポ―ツ新聞が報道していた。『スウィ―トホ―ム』は、ある画家の遺作を探すために廃墟に潜入したテレビスタッフが、画家夫人の怨霊に祟られる物語である。生前に画家夫人は、焼却炉に入り込んだ子供に気付かずに火をつけてしまう。そのショックから発狂し、他人の子供を誘拐しては焼却炉に投げ込む殺人鬼と化す。たしかに画家夫人の設定は今田勇子の境遇に似ている。
一橋文哉の『宮崎勤事件――塗り潰されたシナリオ――』(新潮社)によると、宮崎のビデオコレクションの中に、なるほど『スウィ-トホ―ム』があったという。そしてそれをヒントに告白文を書いたというのは、宮崎勤自身が供述したことだというのである。一橋はこの話を警察官僚のAという人物から聞いたという。Aによれば、宮崎はこんな供述をした。
「手紙(告白文)を出すに当たって、何か今田勇子という中年女性らしいスト―リ―を、と考えていたら、部屋の中に伊丹十三監督が製作した『スウィ-トホーム』というホラ―映画があったんだ。それを土台にして、江戸川乱歩や横溝正史といった作家のビデオ作品と本二冊を参考にして、スト―リ―を創作したんだ」
宮崎が本当にこのような供述をしたなら、警察はこの言葉を信じる前に、確認するべき点があったはずである。『スウィ―トホ―ム』が劇場公開されたのはいつだったか。1989年1月21日である。今田勇子の告白文が送られたのはいつだったか。同年3月11日である。そして『スウィ―トホ―ム』のビデオが発売されたのはいつだったか。同年8月11日である。映画がテレビ放映されたのは翌年の1月2日だった。
今田勇子の告白文が書かれた時点では、まだ『スウィ―トホ―ム』のビデオは発売されていなかった。テレビでもまだ放映されていなかった。今日であればインタ―ネットで映像を入手することもできそうだが、事件当時にはそのシステムもノウハウもなかった。したがって宮崎勤の部屋に『スウィ―トホ―ム』のビデオがあったはずがない。なのにあった事を前提にしている警察官僚Aの証言は信用できないということになる。
宮崎勤が逮捕されたのは、1989年7月23日である。綾子ちゃん殺害を上申書の形で自供したのが同年8月9日だった。それを受けて報道陣が宮崎宅に押し寄せたのが8月10日。『スウィ―トホ―ム』のビデオが発売されたのはその翌日である。
家宅捜索は8月10日の夜に行なわれた。その時に押収されたのはノコギリとヤスリだけである。部屋に積まれたビデオが押収されたのは8月15日であり、スポ―ツ新聞に『スウィ―トホ―ム』にまつわる記事が載ったのも同じ日だった。警察はビデオ押収のタイミングに合わせて『スウィ―トホ―ム』関連の情報をリ―クしたのだろう。しかし身柄を拘束されていた宮崎が8月11日発売のビデオを入手できたはずがない。にもかかわらず、もし家宅捜索でそのビデオが押収されたなら、誰かが事前に部屋に入ってブツを仕込んだことになる。それができたのは誰だったか。
元〝中古車販売会社〟の従業員が見間違えた「カロ―ラⅡ」と「ラングレ―」の謎
ビデオの謎に答える前に、絵梨香ちゃん殺害にまつわる謎も見ておこう。この幼女の遺体は埼玉県名栗村の山林で見つかった。宮崎が遺体を車で運んで捨てたことになっている。この件に関しては犯人に結びつく有力な手がかりがあった。絵梨香ちゃんの遺体が遺棄されたと思われる時間帯に、現場の山林下を通る県道に脱輪車があった。目撃者が「ツ―ボックスのトヨタ車」だったと証言し、埼玉県警は「カロ―ラⅡ」と見て捜査した。しかし宮崎の車はセダン型の「ニッサン・ラングレ―」だったので矛盾が生じた。
宮崎は自分の車で遺体を運んだと供述している。脱輪したことも認めている。同じ時間帯に他の脱輪車があったことは確認されていないので、目撃されたのは宮崎の車ということになる。目撃者はラングレ―とカロ―ラⅡを見間違えたのだろうか。
しかし、それは考えにくいのだ。目撃者の2人は中古車販売会社の元従業員であり、車には詳しい人たちだった。加えて実際に犯人の車を運転し、脱輪を助けている。ひとりが運転席に座って車を操作し、ハンドルや計器の形、レバ―やサイドブレーキの位置などを実際に確認している。そしてもうひとりは犯人といっしょに後ろから車を押した。その上で車種はカロ―ラⅡだったといっている。仮に車種を見間違えることがあったとしても、車体がツ―ボックスなのかセダンなのかは間違えようがないだろう。漠然とした目撃証言ではないのである。しかも2人の目撃者は、犯人と会話もしている。林から降りてきた男が「すみません、手伝ってください」と言い、目撃者はそれに応じたのである。
報道によると、目撃者は犯人の風貌についてこう証言した。
「37、38歳、身長170センチ前後、小太りで丸顔、なでつけたような長髪だった」
眼鏡はかけておらず、ガッチリした中年男だったという。ちなみに宮崎の身長は逮捕時の測定で159センチだったことがわかっている。
埼玉県警は脱輪車をカロ―ラⅡと断定して割り出しを行なった。しかしその後に警視庁が「宮崎所有のラングレ―に脱輪時にできたような傷があった」という情報を出してくる。そして宮崎が絵梨香ちゃん殺害を自供した後になると、会社員の証言も「脱輪車の男は宮崎と同一人物だった」という具合に修正されてくる。不思議なことに、会社員たちは、宮崎と面通しすらさせられないまま、しだいに証言を変えていった。彼らは目撃した車種がツ―ボックスのトヨタ車であることは最後まで譲らなかったようだが、やがて続報は、ぱったり出てこなくなった。そしていつのまにか「脱輪車はラングレ―で男は宮崎だった」ことで確定した。なぜか公判でもこの件は吟味されなかった。
宮崎はビデオ〝コレクタ―〟ではなく、顧客に珍品を売るビデオ〝ブロ―カ―〟だった?
警察による宮崎勤事件のシナリオは、4つの誘拐殺人事件の同一性と連続性を担保しようとしたときに決まって破綻している。つまり宮崎の単独犯行という発想が破綻しているのである。警察は複数犯説を考えなかったのか?実はその可能性が示唆されたことが1度だけある。宮崎が真理ちゃん殺しを自供したあと、読売新聞が「宮崎のアジト発見」というスク―プ記事を載せた。遺体遺棄現場の小峰峠に山小屋があり、幼女殺害の証拠品などが隠されていたという記事である。これは警察が否定して誤報とされたが、新聞社側は事実確認の甘さを認めながらも複数の取材源があったことを明記している。決して捏造記事ではないということだろう。むしろこのときの警察の慌てぶりが印象的だった。
この誤報記事で目につくのは、見出しをはじめとして「アジト」という言葉が多用されていることだ。これは通常組織的犯罪における隠れ家を指す言葉として使われる。「左翼過激派のアジト」という用例がわかりやすいが、とにかく警察は複数犯を視野に入れていたのだろう。まともな捜査をしていたなら当然その発想は出てくるはずだ。
そこで考えてみると、たしかにアジトがあった方が警察にとっては都合がよかったはずである。正美ちゃんの遺体は小峰峠に1年も放置されていたのに、全身の骨がそろって見つかっている。なぜ動物に食い荒らされなかったのかという疑問が出たケ―スだ。しかしこれも遺体が山小屋に隠されていたということなら理解できる。警察はそういう筋書きを考えたのでないだろうか。しかし何かの理由で〝アジトシナリオ〟は放棄された。新聞がすっぱ抜いてしまったので、慌てて否定せざるを得なかったのかもしれない。どんなハ―ドルがあって警察が複数犯説を放棄したのかは不明だが、とにかく一連の事件は、複数犯を想定することで、かなり矛盾が解消されるのは間違いないのである。
すでに指摘したように、今田勇子の告白文は宮崎特有の表現を含みながらも、全体としては宮崎らしくないものだ。この謎にしても、宮崎の特徴を知る別人が書いたと考えれば疑問は解ける。たとえば、〝その別人〟は宮崎の顧客である。宮崎は趣味でビデオを集めていたというより珍品のブロ―カ―だったと考えた方がよい。自分の好きなビデオより人気のあるビデオを集めていたという趣旨のことは本人がたびたび供述している。仮に死体ビデオの二―ズが高まれば、また宮崎を利用してその手のビデオを作ろうとした人間がいたとしても不思議ではない。そしてその人間を通じて宮崎は無意識のうちに〝闇社会のマ―ケット〟とつながっていった可能性もある。
宮崎が幼女殺害を自供する以前のある日―――――一人の男がカメラを持って宮崎宅に現れた
複数犯による犯行を想定した場合でも、個々の犯人が決して共犯関係ではなかったケ―スも考えられる。〝連続幼女殺人事件〟なるものは最初から存在せず、個別の幼女誘拐殺人事件が同時多発的に起こったのかもしれない。現に1989年当時は幼児誘拐事件が全国で頻発していた。今田勇子が告白文の中で触れていた朋子ちゃん誘拐事件もそのひとつである。朋子ちゃんは1987年に失踪し、翌年に川原で白骨が発見された。骨の身元はわからなかったが、朋子ちゃん以外に該当者がいないので警察はそう断定した。最後に目撃されたとき、朋子ちゃんは不審な中年男と一緒にいた。犯人は捕まっていない。
今田勇子は告白文で朋子ちゃんの名前を〝明子ちゃん〟と間違えて書いているが、実は当時、明子ちゃんという幼児の誘拐事件も起きていた。また昨年に奈良市で女児を殺害したされる小林薫も宮崎事件と同じ年に8人の女児への猥褻容疑で逮捕されている。執行猶予付きで野放しになったのち、2年後には幼女殺人未遂事件も起こした。宮崎事件と同じ時期に、宮崎以外にもソレモンの変態が跋扈していた。その事実を踏まえたとき、宮崎勤事件は本当に宮崎ひとりの犯行だったのかという疑問は、濃くなることはあっても薄れることはない。というより〝宮崎勤事件〟という警察のシナリオは、これまで見てきたようにすでに破綻している。そしてその破綻の修復のために出してきたのが『スウィ―トホ―ム』のビデオにまつわる逸話だろうが、これがまたさらなる破綻を呼んでいるという顛末だ。宮崎の部屋にあのビデオを仕込むことができたのは、警察関係者かマスコミの人間しか考えられない。業界の関係者ならビデオの発売日より前に品物を入手できる。警察の意向を受けた何者かが密かに宮崎の部屋に証拠物件をセッティングした可能性も考えられる。
この件に関連して最近妙な話を聞いた。まだ宮崎が綾子ちゃん殺害を自供する前というから、マスコミが現場に殺到した8月10日より以前のことである。ひとりの男が宮崎宅を訪れた。彼はあるテレビ製作会社のディレクタ―だった。家族に許可を取ったかどうかは不明だが、宮崎の部屋に上がりこみ、ビデオをうず高く積み上げた―――――
そう、あのオタク部屋を作ったのは彼だった。舞台設定を整えてカメラを回し、帰っていったという。
彼は現在消息不明らしいが、当人を知る人物から本誌編集者が聞き出した話である。事実なら警察は幼女誘拐殺人事件の犯人が宮崎であることを、かのディレクタ―にいち早く漏らしたことになる。しかもその時期はまだ宮崎が幼女殺人を自供する前なのだ。
この奇妙な話は何を意味するか?警察は事前に宮崎をマ―クしながら泳がせていたことになる。そして宮崎の異常性を際立たせる工作も準備していたことになる。〝宮崎勤事件〟のシナリオは、恐ろしく早い段階で練られていた可能性が出てくるのである。
政界を揺るがした疑獄事件との奇妙な符号
目撃証言と異なる「カロ―ラⅡ」と「ラングレ―」の大きな矛盾
〝誤報〟として処理された読売新聞の「宮崎のアジト発見」報道
そして、宮崎事件とリクル―ト事件の奇妙な符号・・・・・・・・・・事件の最深層には果たしていかなる〝闇〟が存在するのか―――?
宮崎勤事件の発端、つまり埼玉県入間市で真理ちゃんが行方不明になったのは、朝日新聞がリクル―ト疑惑をスク―プしてから2ヶ月後のことだった。政界の有力者への未公開株譲渡も発覚し、世間が騒然となっていた。今田勇子の犯行声明が送られた時期には、リクル―ト社前会長やNTT前会長などの大物逮捕が相次いだ。4月に消費税導入と竹下内閣の退陣があり、6月に誕生した宇野内閣が女性スキャンダルに見舞われたのと同じ時期に綾子ちゃん事件が起きている。7月の参議院選挙で自民党は惨敗し、同じ日に宮崎勤が逮捕された。そして宮崎が綾子ちゃん殺しを自供した日に海部内閣が発足・・・・・・・・。
政界のドタバタや消費税の不満などは、史上稀に見る猟奇殺人事件報道の嵐の中に埋没していった。この一連の流れを 事件後の早い時期に〝意図的〟であり〝フィクション〟であると喝破したのは映像作家の手塚真である。<考えられるべき一番大きなフィクションというのは、宮崎勤という犯人と、その環境の全てがフィクションだという考え方がありえるように思えます。何者かが、ある策略によって、あの時期に事件を作らなくてはいけなくて、犯人に何らかの時代の理由付けが必要となり、若者のデ―タをいろいろと掻き集めて、「宮崎勤」という性格の犯人像を作りだしたというものです(中略)どういうカラクリかわからないけれども、何か政治的カラクリがある。例えば、あるものから目をそらせるために、ひとつのものに熱中させるというのは、手品の初歩的なテクニックです>(『Mの世代 僕らとミヤザキ君』太田出版より抜粋)
その言葉のニュアンスには揶揄的な要素が多分にあったと思うが、あらためて当時をふりかえってみると、宮崎勤事件とリクル―ト事件はあきれるほどパラレルに進行していた。そして綾子ちゃん事件から宮崎再逮捕に至る日程は思わず天を仰ぐほど政局と一致していた。一見何の関係もない事柄が、どこかでつながっていたとしたら・・・・・・?そんなことも考えたくなるような符号ではある。
(転載ここまで)
この事件についても、嘘がばれるたびに警察とマスコミがさらなる嘘の上塗りをしていることが分かります。恐らく今回の「岡山女児監禁事件」も、嘘がばれるたびにマスコミと警察は嘘の上塗りをしていくことでしょう。
いえ、もう現にそれは始まっています。私がこのブログで「犯人の母親が一人暮らしていたときに家の前に自転車が2〜3台置かれていた」「現在、犯人は一人暮らししていたはずなのに、それでも家の前には自転車が2〜3台置かれている」と書いたとたん、いきなりマスコミは「犯人に姉がいた」ということにしてしまいました。
彼らはこのように今後も次から次へと嘘の上塗りをしていくでしょう。しかし、そんなことをしていれば、いずれ話の辻褄が合わなくなって、完全に嘘のメッキがはがれてしまうでしょう。そうして、この事件がねつ造であったことを国民のすべてが知ることになるのです。
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