15 7月 「神社」と「山」と「ピラミッド」と「空海」と「秦氏」と「ゾロアスター教」との切っても切れない関係。
昨日は、香川県に人工的に造られたピラミッドと思われる山がいくつもあるということ、そして、それらのピラミッドの頂上には必ずと言っていいほど神社仏閣が建てられているというお話をしました。
○香川県は「うどん県」ならぬ「ピラミッド大国」でした。あなたの住む町にもピラミッドは存在するかも知れません。
しかしながら、日本人のほとんどが、有史以前の日本人があんな巨大なピラミッドを造れるわけがないし、造る必要もない、という常識に縛られているので、昨日のような物的証拠を見せられても、すべての山々が自然にできた山であると考え、信じ込んでいるわけです。
もちろん、人によってはあんな山が本当に自然にいくつもできるものだろうかと不思議がっていることでしょう。実際、昨日はそんなコメントやメールを書いてくださった方たちが沢山いらっしゃいました。
ということで、今日は香川県のお隣にある「徳島県」にあるピラミッドを見てみたいと思います。
実は、香川県にも「讃岐富士」と呼ばれる山があるように、実は徳島にも「阿波富士」と呼ばれる山があります。
その山の名を「高越山」といいます。
○阿波富士(高越山)
で、この「高越山」の頂上にはやはり空海と縁のある「高越寺」があります。
しかし、「阿波富士」はこれだけではありません。実はもう一つあります。その山の名を「城王山」といいます。
○阿波富士(城王山)
で、この「城王山」の頂上にもやはり「城王神社」という神社が建てられています。
この「城王神社」の祭神は「天照大神」とのことですから、どうやら「大和系」の神社のようですね。(出典はこちら)
さらによく調べてみると、この「城王山」は「讃岐山脈」とよばれる山脈にあるようです。
○讃岐山脈 – Wikipedia
この「讃岐山脈」は「阿波山脈」とも呼ばれているようですが、それはこの山脈がちょうど香川県と徳島県の県境にあるからです。
徳島県民からしてみれば「讃岐山脈」と呼ばれるのは癪に触るし、香川県民からしてみれば「阿波山脈」と呼ばれるのは癪に触る、ということなのでしょう。
で、この上のウィキペディアの記事を見てもお分かりの通り、この「讃岐(阿波)山脈」は全部で33の山々から成り立っています。
で、これらの山々を一つ一つ丹念に調べていくと、やはりこれらのどの山にもほとんど神社仏閣が建てられていることが分かります。
例えば、「大麻山」には「大麻比古神社」があり、「雲辺寺山」には「四国八十八箇所第六十六番札所・雲辺寺」があるという具合です。
また、「妙体山」と呼ばれる山の山頂にはなぜか二つの神社が並んで建っています。
右が「明多意神社」、左が「妙体神社」だそうです。なぜ二つ並んで建っているのかはよく分かりませんが、まあ、色々とその理由は伝説として今でも語り継がれているようですね。
○妙体山と大山積神・木花咲夜姫♪ : すえドンのフォト日記
また、徳島県には日本一低い山があって、その山のてっぺんにも神社が建てられているようです。その山の名を「弁天山」と言い、神社の名を「厳島神社」と言うそうです。
「こちら」の記事によると、「自然で古来よりある山のなかで日本で一番低い山は、弁天山(べんてんやま)です。標高6m、徳島県徳島市方上町にあり、とくしま市民遺産に選定されています。」とのこと。
○たった1分で登頂!日本一低い山 「弁天山」【徳島】 :日本珍スポット100景
「低い山には位の低い神様が住んでいる」ということらしいので、この山には日本一位の低い神様(悪魔)が住み着いているということなのでしょう。
このように、徳島県にある山々にもやはり、そのほとんどに神社仏閣がしっかりと建てられています。恐らくこれらの山々も、悪魔崇拝者たちからピラミッドと見なされ(あるいは造られ)、信仰の対象とされてきたわけでしょう。
で、実はこの徳島には、そんな彼らのピラミッドに対する信仰心がはっきりと現れているお寺があります。それが徳島県小松島市にある「桂林寺」です。
言うまでもなく、このお寺には他のお寺と同様、以下のように幾つものお墓が建てられてあります。
ところが、この墓地をさらに奥へと進んでいくと、なぜか以下のようなピラミッドの形に並べられた墓地が出てきます。
この場所は多くの人たちから気味悪がられ、徳島の心霊スポットとして広く知られているようです。
実際、以下のようにYouTubeで「心霊スポット」としてこのピラミッドを動画で紹介している人もいます。(霊的に敏感な人はこの動画のご視聴を控えた方がいいかも知れません。私もこの動画を見ていてかなり息苦しくなりましたので。)
それにしても、この墓の下に眠っているのは、一体誰の遺骨なのでしょうか。
一応、このお墓は「無縁仏」といって、供養する親族がいなくなった人たちのお墓ということになっているようですが、もしやこの墓の下には悪魔崇拝の生贄とされた人たちの遺骨が眠っているのではないでしょうか。ついついそんな変な想像をしてしまいます。
実際、マヤやアステカ文明などでは、ピラミッドの頂上で多くの人たちが生贄として捧げられたことが分かっていますからね。なので、ピラミッドと聞くと、どうしてもそんなことを勘繰らざるを得ません。詳しくは以下のリンクを御覧下さい。
○日本が世界最古の悪魔崇拝の聖地であるという幾つもの証拠。
それに何より、この「桂林寺」は「真言宗」のお寺だそうですが、この「真言宗」は明らかにピラミッドと深い関わりがあります。
「真言宗(密教)」といえば、これまで何度もお話してきました通り、「空海」がつくった「ロスチャイルド」のための宗教です。詳しくは以下のリンクを御覧下さい。
○平清盛が平家をロスチャイルド家にしてしまった可能性。または「密教」と「日の丸」に隠された意味。
で、日本の建国に大きく関わった「秦氏」も、実は「ロスチャイルド」の一派でした。
○秦氏の正体はロスチャイルドでした。
ですから、「空海」と「秦氏 = ロスチャイルド」は明らかに密接なつながりがあるわけですが、実はこの「秦氏」はもともとは神道ではなく、ゾロアスター教の祭杷氏族であり、しかもこのゾロアスター教は古代エジプトとも密接なつながりがあります。
実はこれら全ては「シリウス信仰 = 聖方向」というキーワードで一つにつながっているのです。
----------------(以下、こちらから転載)
一月三十一,二月一日の岡山県内、とくに備中地方を重点的にめぐるイワクラツアーで、中核となった佐藤光範(敬称略) の着眼は注目に値した。
「ハタ」なる地名にあるイワクラが多いのだからこのイワクラ信仰の主催氏族は秦氏だというのである。
実は私も似たことを感じていたことがある。
奈良県山添村波多横山にある神波多神社周辺に広がるイワクラ群も秦氏がつくった気配が濃厚だからだ。
ここは柳原が鍋倉天の河説を打ち立てたところなのだが、添村だけではなく、もっと北の笠置山までの目立つ巨石を調べ、その分布様態をみると、私が、王張しているゾロアスター教の聖方向が浮かびあがってくるのだった。
ゾロアスター教はBC500年頃に最盛期を迎えていた古代ベルシア、アケメネス朝の国教だが聖都市、ベルセポリスの主軸が真北から20度西に傾いている。この方向が聖方向なのだ。
ヘルセポリスには西から北に折れ、入り口は北で南が深奥である。
聖方向が真北から20度西に傾くということは真南から東に2O度傾いていることでもある。
この方向はBC5OO年頃、冬至の真夜中、午前O時にシリウスが南天つ主者の如く燦然と輝いている方向だったのである。
事実ゾロアスター教では主神で、太陽神、アフラ・マズダの次に崇められていたのがシリウスのテシュトリア神だった。
ゾロアスター神殿は10メートル立方ほどの石造建築だが、これも入り口は北で主軸は聖方向なのだ。
ところが日本でも鹿島神宮が西から北に折れ、入り口が北で主軸が聖方向、ベルセポリスとまったく同じ空間構成なのだ。
奈良盆地中央を走る太子道も正確な聖方向だ。太子道は斑鳩から飛鳥まで聖徳太子が通った道と伝えられているものだ。
それだけではない。斑鳩宮の街路構成の、王軸も聖方向だ。歴史地理学者千田稔からその理由を調べてほしいと言われ判ったのがこの聖方向だった
のである。
また飛鳥自体がこの聖方向を強く意識して都市計画された都だったこともわかってきた。ただし考古学者は誰一人としてそんなことには関心がない。
日本にゾロアスター教が伝えられていたなど考えてみたことすらなかったのだ。飛鳥とゾロアスター教といえば松本清張の『火の回路』が有名だが、ただ彼は晩年に自説をぐらつかせてしまったのは残念だった。
建築家でないと解釈できないことに踏み込んだせいだ。でも松本のおかげで私が聖方向発見へと至ったのだから大いに感謝しているし、彼とは対談もしている。晩年ではあったが元気だったし面白かった。
秦氏とイワクラだが、秦氏の渡来はどんなに古くみても、せいぜい五世紀前半までだ。ただし朝鮮からではない。中央アジアに巨大王国を樹立した大月氏が秦氏である可能性が高い。
私の発見に共鳴してくれて中央アジアに現地調査にいっている栗本慎一郎は確言してはいないがほぼそんな問題提起をしている。
栗本は聖方向はゾロアスター教と特定はできず、むしろミトラ教のものではないかと指摘している。
というのもゾロアスター教と直接関わらない遺跡にもこの聖方向が盛んに使われているからだ。
私もBC1500年代のエジプ卜新王国時代の有名な主、アケナトンの都の主軸がこの聖方向を示していることに気づいている。
BC5OO年には聖方向はシリウスと関係付けられたのは間違いないが、それより1000年以前にこの方向が重視されていたのだ。
しかもアケナトンは太陽神を唯一神とした宗教を信じていたから、聖方向はやはりミトラ信仰が発生源かもしれない。これは今後の研究課題ではある。
秦氏が巨石を聖方向に関連づけて配列していったとしても五世紀前半以降だ。彼らはすでにあったイワクラのうちでも特に目立ち重要視されていたものを起点に、それから聖方向に沿って新しい巨石を配列していったということは充分考えられる。
飛鳥をつくり、その飛鳥で主権を確立したのは蘇我氏である。
その蘇我氏と大陸で合体し、北海道か北東北に渡来してきたのが秦氏と安倍氏だ。
蘇我は主、安倍は水軍、秦は治金、機織、土木建築、殖産興業、さらに地方官僚として威を振るった。
それと忘れてはならないのは、ゾロアスター教の祭杷を司ったことだ。秦氏はゾロアスター教の祭杷氏族なのだ。
ゾロアスター教はそのまま日本に定着しなかった。修験道に姿を変えたのが主、次に天武天皇がゾロアスター教を禁じたため、秦氏に主力はキリスト教の一派、ネストリウス教に改宗した。
ヨーロッパの絵画で十字架にかけられたキリストの画像に「INRI」と書き込まれている例をよくみかける。「ユダヤ人の王ナザレのイエス」というラテン語の頭文宇をとったものだ。
(註 : この「INRI」は前にも書きました通り、イエス・キリストを敬ってつけた名前ではなく、イエスをバカにしてつけた名前です。わざと人を褒めそやしてからかう人がいますが、それと同じことです。詳しくはこちら)
日本人の豪族の枢にこのINRIが刻まれていた。上野国(群馬県)多胡郡の羊大夫の墓だ。
羊大夫は奈良時代初期の人で秦氏だった可能性が高いといわれている。
このINRI (インリ)がイナリとなり稲荷神社となった。稲荷神社は今は商売の神だがこれは江戸時代以降のことで、そのもとはキリスト教だったのである。
また稲荷神社は秦氏がっくり杷っている。秦氏はこうしてゾロアスター教からキリスト教へと転向していった。
ゾロアスター教の方はまず東北山形県の出羽三山の修験道として姿を変えていった。出羽一二山の開祖は聖徳太子の従兄弟峰子皇子だが、聖徳太子も峰子皇子も蘇まず我氏の血が濃く流れている。まずは蘇我氏といっていい。
出羽三山の一つ、月山神社から北の正方向に正確に猿田彦神社が位置するが、猿田彦神社は秦氏と関わり、薩摩半島にもそっくりの図式をみせる猿田彦神社がある。
これを杷るのも秦氏だ。いずれにしてもイワクラとゾロアスター教は深い関係があるのはまず間違いあるまい。
谷口美智代の発見した北斗七星も秦氏と関わるものではないか。
----------------(転載ここまで)
上野国(群馬県)多胡郡の羊大夫についてはこのブログでは初登場ですが、詳しくは以下のウィキペディアの記事をご参照ください。
○多胡羊太夫 – Wikipedia
この上の記事では「秦氏」と「空海」の関連性については直接、言及されてはいませんが、「真言宗」が「キリスト教ネストリウス派(もちろん、これも悪魔教の一派と考えられます)」の影響によって作られたものである、ということは前にもお話したことがあります。詳細は以下のリンクなどを御覧下さい。
○大乗仏教に見られるキリスト教の影響
で、「秦氏」も「ネストリウス派」に改宗したというわけですから、「空海」も「秦氏」も全く同じ宗教を信じていたということになります。
しかし、改宗と言ってもそれはあくまで表向きの話であって、結局は「ゾロアスター教」も「ネストリウス派」も似たような宗教(悪魔教)だったに違いありません。だからこそ、そんなに簡単にコロコロと改宗できたわけでしょう。
で、そのゾロアスター教もネストリウス派も「シリウス」信仰であり、実は古代エジプトでも「シリウス」が信仰されていた……。
ということですから、ネストリウス派から影響を受けて作られた「真言宗」のお寺に、エジプトのピラミッドの形をした墓地が作られていたとしても、何ら不思議なことではないわけです。
「桂林寺」の住職は決して遊び半分でお墓をピラミッドの形に並べたわけではないのです。彼らは全てを分かった上で確信犯的にやっているのです。
藍染蘭丸
Posted at 23:19h, 15 7月山と神社がこれほどまで繫がりがあるというのも驚きですが、秦氏がゾロアスター教の祭杷氏族だったとは、これまた驚きです。
秦氏とは神道の宮司だったはずですけどね。
神道の宮司がゾロアスター教の祭杷などと、こんな話はもちろん一般人からすれば常識外れということになるのでしょうが、シリウス信仰という事実で結ばれてしまう以上、デタラメと切り捨てることはできませんね。
RAPT理論を知っている人からすれば、結局、これら全ては同じ悪魔教と分かっているので、神道の宮司がゾロアスター教の祭杷であったとしても何もおかしくはないと思うわけですが。
それにしても、ピラミッド型の墓地は本当に気味が悪いですね。
私は別に霊感があるわけではありませんが、それでも何か険悪な空気を感じてしまいます。
とにかく空海に関連するものは不気味なものが多いですが、その不気味さを素直に認めずに、空海を敬っている人が未だに多いというのも呆れた話です。
こんなおかしな宗教に溺れずに済む人が出てくるだけでも、日本の雰囲気は大きく変わるのではないかと思うのですが。
今でもお遍路さんを巡っている人は沢山いるのでしょうね。
更新ありがとうございます。
通りすがり
Posted at 11:14h, 16 7月日本には北から西に20度ずれた340度方向に滑走路を持つ空港が多いのが気になっていました。
地理的に制限も多いのになぜその方向なのか。WIKIPEDIAでざっと見た限り
成田、羽田、名古屋、福岡、鹿児島、旭川が該当します。
他の国の滑走路方向も見てみましたがほとんどバラバラな中、
サウジアラビア、カタールもこの340度方向が多いようです。
ちなみにバチカン最寄りの空港と、フリーメイソンアートで有名なデンバー空港もこの340度方向でした。
トモコ
Posted at 13:09h, 16 7月RAPTを毎日拝見させて、皆様のコメントや
勿論、理路整然としたブログのRAPT様の
視点など、勉強させていただいております。
勉強 というより、何故か心を惹かれ、私の
心が 霊的というのでしようか?
穏やかになっていきます。
有難うございます。
写真でみても不気味な場所ですね。
曇っているようなモヤがわかります。
私ごとなのですが
海外に行った途端、登山など好きになってしまいまして
何故か
日本では山々など不気味さな雰囲気を感じていて
何か怖い!
気持ちが働きました。
やはり、銅像や狛犬、石の置物などが
苦手で、RAPT様のおかげで
あの時の気持ちは、おかしくなかった!と
わかり、その悪魔崇拝に囲まれた日本でも、
神様の暖かい思い、アンテナを実は
RAPTを
受け取っていたことに
感動いたしました。
昔話や、童話など好きになれず悲しい音調や
民芸品こけしが子消し?!
良い物も、勿論沢山ありますが、
???感が吹き飛びました。
yum
Posted at 20:06h, 16 7月ゾロアスター教は拝火教ということのようですが、日航機事故で火炎放射器が使われたという話があるのも
航空機事故を装ったというだけではなく、そんな事情からだったとしたら・・・と、ふと思ってしまいました。
また、密教で護摩を焚くのもゾロアスター教に通じるものだったんですね。
そのゾロアスター教というのは、アラーを信じるイスラム教徒に嫌われ、そして追われてインドへと逃れたそうですが、
そんなルーツも知らずに、お寺では護摩を焚いてもらったこともあったりだったのかと。
知らず知らずに、そんな遠い所の宗教が身近にあったかという感じです・・・。
日本の神仏は単純じゃないですね。あらためてそう思わされました。
ゆり
Posted at 22:12h, 16 7月RAPT 様 昨年の夏より記事を欠かさず拝読いたしております。日ごろの綿密なご調査、的を得た論理展開をこのように共有してくださり、またこの世の闇の紐解きへのご尽力に敬意を抱くとともに心より感謝いたしております。
さて、東洋経済オンラインで「たっぷり貯金したいなら、香川と徳島に学べ四国の2県になぜかお金持ちが多い理由」という記事が本日UPされています。http://toyokeizai.net/articles/-/77157
「収入が他県よりも極端に高いという理由は見当たらない」とあるあたりに、RAPT様の記事を思い浮かべてしまいました。
神隠しという言葉もいまとなっては文字通りなのだなと確信いたしました。
今後も、RAPT様のこの壮大なミッションがうまくいくよう祈っております。また私も読者のひとりとして行動をおこせるようでありたいと思っております。
ありばば
Posted at 16:32h, 17 7月阿波富士(城王山)の麓にしばらく住んでいました。お祭りといっても地域の人が少ないので儀式をするだけですが神社の中には山伏(修験道)の写真などが貼ってありました。山伏って神、仏?と当時はなんのことだか分からなかったですね。raptさんの話を知らなかったら永遠に漠然としたままだったでしょう。少し奥に山の頂上なのに水の枯れない龍神池があり真ん中に龍のオブジェが建っています。とても普通の感覚では気持ちの良い雰囲気ではありません。村の人は少なく、この神社がどういうものか深く知る人はいないようでした。引き継がれたまま儀式を行っているという様子でした。写真にもありますが鳥居が倒れていますがこれの復旧費用は誰が出資するのですか?と聞くと徳島市内に寄付をしてくれているグループがあるといいます。ここで毎年拝んだことで成功した人達のグループだということでした。