01 7月 JAL123便墜落事故からソ連崩壊に至るまでの「天皇派」と「教皇派」の戦いの経緯。歴史は常に彼らの戦いの上に作られてきました。
昨日もまた何の告知もなく記事の更新をお休みしてしまい、読者の皆様にご心配をおかけしてしまいましたことを心からお詫びいたします。
その後もやはり体調がなかなか回復せず、昨日もほぼ一日、寝込んでおりました。一応、今現在は多少、体調がよくなりましたので、これみよがしに記事を更新しておりますが、まだまだ万全とは言い難い状態です。
しかも、私がこのように体調が悪いと書いたとたん、やはり今回もまた「電磁波攻撃」とか「テクノロジー犯罪」ではないか、と適当なことを書いて私を不安がらせようとする人たちが何人も出てきました。
しかし、幾らそんなことを言っても、私はそんな話は全く真に受けません。
なぜって、もし誰かが私の家に電磁波を飛ばしてきたならば、私だけでなく、私の家族にまで同じように害が及ぶはずですが、現実には体調を崩したのは私一人だけですから。
なので、いくら「電磁波攻撃」とか「テクノロジー犯罪」とか書いてきても、そんな話を信じることはありません。いい加減、そういう根拠のない妄想じみた話はもうやめにしませんか。
そもそも、私とて人間ですので、体調を崩すことは幾らでもあり得ます。
第一、こうして毎日のようにブログの記事を更新するというのは、かなりの体力と精神力を要します。しかも、私が一日に書く記事は見ての通り、かなりの分量です。
こんな作業を毎日のように続けてきて、これまで一度として体調を崩さなかった方が自分でも不思議なぐらいです。
それだけ神様が私のことを守って下さってきた、という証拠でしょう。本当にありがたいことです。
ということで、今日は「JAL123便墜落事故」に関する最後のまとめを書いておきたいと思います。一応、今まで書いた「JAL123便墜落事故」に関する記事は以下になります。
これらの記事を読めば、「JAL123便墜落事故」がなぜ起きたか、全ての謎を余すことなく理解できるようになるはずです。まだお読みになっていない方はぜひともお読みください。
○JAL123便墜落事故の真相。すべては「天皇派」と「教皇派」との戦いに原因がありました。
○日本が「核兵器」製造国であるという紛れもない現実。「核兵器」が開発・製造されている幾つもの国内施設について。
○グリコ森永事件とJAL123便墜落事故との奇妙な関連性。グリコ森永事件の真の黒幕は誰か。
○JAL123便墜落事故で死亡した520人は、出雲族の神「国常立尊」を蘇らせるために殺害された可能性大。
○JAL123便の墜落現場の地下に世界最大級の発電所が作られているという現実。まさに悪魔崇拝と核兵器開発の拠点でしょう。
ということで、今日は最後のまとめとして、「JAL123便墜落事故」が起きる前と後とに「天皇派」と「教皇派」がいかに激しい戦いを繰り広げていたか、その経緯をざっと簡単にお話しておきたいと思います。
今まで私は、この世の中が「天皇派」と「教皇派」の戦いの上に成り立っているという話をさんざん繰り返してきましたが、まさに「JAL123便墜落事故」も「天皇派」と「教皇派」の激しい戦いの延長線上に起きたものでした。
先ずは以下の記事をお読みください。
----------------(以下、こちらから転載)
■1985年、プラザ合意(先進5カ国蔵相・中央銀行総裁会議)の背景と日航機事故
日航機事件が発生した1985年、未曾有の520名が死亡するという大事故から、わずか一月余りの9月、米国においてプラザ合意が電撃的に締結されます。
これにより、1ドル240円台前後だった為替レートが、1年後には150円台になるという、急激な円高が始まります。
実は、この年の1月にも同じ先進5カ国蔵相・中央銀行総裁会議、加えて6月にも東京で先進10ヶ国蔵相会議が開かれています。
基本的に財政赤字と貿易赤字という双子の赤字に悩む米国経済を他の先進国がどう支援するかというのがお題目だったのですが、当時の報道を読む限り、1月の会議でも日本の円高を容認するという意味での合意が甚だしく不調だった痕跡は認められません。
ところが、1月の会議直後はむしろ円安に振れ、会議から半年経っても、10円程度の円高に留まりました。その成果は9月の合意に比べれば見る影もありません。
(註: 要するに、日本は「JAL123便墜落事故」が起きるまで、アメリカの思惑通りに円高にしようという動きを全く見せなかったということです。見せてもたった10円の円高を許しただけでした。これにアメリカ「教皇派」が怒り狂ったことは容易に想像がつきます。)
注意すべきなのは、同じくG5の参加国である西ドイツ、フランスの動きです。
特に西ドイツのコール首相(当時)は、前年1984年の5月にはフランスと軍事協力協定を調印し、翌1985年には1月、8月とフランスのミッテラン大統領との間で2回も首脳会談を行っています。
国際軍事評論家B氏のお話によると、コール首相は米国支配の軍事・経済網から離脱するため、隣国フランスと連携を強め、最終的にはNATO軍の脱米国依存、独立軍化を狙って積極的に外交を進めていたと言います。
(註: 前から何度もお話ししていますが、NATOは「教皇派」の勢力下にあります。そのNATOの影響下から抜け出すために、フランスと西ドイツとが軍事協力を結ぼうとしたということは、つまり彼らが「教皇派」の勢力下から抜け出そうとしていたということを意味します。当然、こんな動きをアメリカ「教皇派」が許すわけがありません。)
ここで、ヨーロッパへの影響力を失うことなど、米国政府として到底容認できなかったことは容易に想像されます。
巨額の対米貿易黒字で潤う日本、米国の影響力排除を計る独仏。しかも、日本は円高を誘導すべき1985年1月のG5の合意を、まともに実行しようとする気配はありません。
日本の経済的立場からすれば、自らの不利益になる円高誘導案など飲めるはずがないという理屈も、透けるように見えてきます。
貿易立国、電子立国と、現在の姿からは想像できない程の経済力を蓄えた日本が次に打ち出したプランが、アジア共通通貨圏構想だったのです。つまり、将来的なFRB(米国連邦準備制度)からの離脱宣言です。
(註: この当時も「アジア共通通貨圏構想」があったとは私も知りませんでしたが、このようにして日本を初めとしたアジア諸国が、アメリカ・ドルの影響下から離れようとした……となれば、当然、これまたアメリカ「教皇派」が怒るの当然のことですね。ちなみに「アジア共通通貨圏構想」は今でも議論が続いています。)
加えて、西ドイツも経済は極めて好調、心配されるのは中距離核弾頭SS20を配備したソ連の動き位だったかもしれません。
ここで、プラザ合意前の「脱米国」という日独仏の基本スタンスがくっきりと見えてきます。そんな矢先に起こったのが次の大事件・大事故です。
(1)1985年7月 虹の戦士号爆破事件(フランス)
(2)1985年8月 ドイツスパイ事件(西ドイツ)
(3)1985年8月 日航機事故(日本)
(註: このようにアメリカ「教皇派」の影響下から抜け出そうとした国が、こぞって災難に見舞われたわけです。これが単なる偶然であるわけがありません。明らかにこれら全ての事件は、アメリカ「教皇派」による陰謀と考えて間違いないでしょう。)
そして、この3国内政を揺るがした国内事件・事故の直後(9月)に、プラザ合意が改めて締結されるのです。この年、何と3回目の世界的蔵相会議にてです。
(1)の事件では、フランス政府が爆破事件への関与を認め、諜報工作機関(DGSE)の局長が解任され、国防大臣が辞任するなど、フランス国内の大スキャンダル事件となりました。
また、(2)の事件では、コール首相の女性秘書とその夫が東側のスパイとされ、国家重要機密情報の流出懸念と、首相の脇の甘さが問題視された大スキャンダルとなりました。
そして(3)の日航機事故こそ、表面上でも520名が死亡する大事故として世間の大きな関心を集め、一方その裏側では、本ブログでお伝えしているように、日米ソの軍部が直接介入する程の、未曾有の大事件(事変)であったのです。
(2)これら、脱米国を目指した日独仏3国内で立て続けに起きた大事件と、プラザ合意の電撃締結が、果たして全く無関係であると、読者の皆様は思われるでしょうか?
もちろん、これらを繋げる明確な証拠がない限り、それぞれ独立した事象であると言われても反論できません。もしも、状況証拠的な説明を許していただけるなら、「例え、政府間・中央銀行間で合意が成されても、民間の膨大な資金が実際に動かなければ合意は反故にされる」という点を指摘します。
特に、当時の経済大国、日本と西ドイツの民間資本が協調介入しなければ名目だけの合意に終わってしまうはずです。それは、1985年1月のG5合意直後にほとんどその目標が達成されなかったことに端的に現れています。
では、9月の合意では何故民間資金がこれだけ大きく変動したのでしょうか?民間資本を突き動かす動機、言い換えれば「恐怖」を考えた時、答は自と見えてきます。
以後、急激な円高が進み、翌年1986年には日本の市場開放を求める前川レポートが発表されます。そして過剰なバブル経済が生まれ、弾けた後、坂道を転がり落ちるかのように日本の経済は失われた20年へと続くのです。
○前川リポート – Wikipedia
○失われた20年 – Wikipedia
それがすなわち、今の私たちが住む日本なのです。
このように時間の流れを俯瞰すると、日航機犠牲者の悲痛な運命と、現在に生きる私たちの運命とは、27年の時が過ぎようとしている今も、歴史の底流部では深く繋がっていることに気が付かされるのです。
----------------(転載ここまで)
このように、「教皇派=ロックフェラー」がわざと「JAL123便墜落事故」を起こして「天皇派」に脅しをかけたため、「天皇派」は慌てて彼らの要求を吞み、「プラザ合意」をして円高へと誘導していったわけです。
その結果、日本は「失われた20年」と呼ばれる最悪の経済を経験することになりました。
また、西ドイツとフランスも同じように「教皇派=ロックフェラー」から脅しを受けたため、NATOの影響下から抜け出すことができず、その後も延々と「教皇派」の傀儡として行動せざるを得なかった……。
このように、1980年代というのは「教皇派」の力がかなり強かったため、どこの国も「教皇派」の思い通りに動くしかありませんでした。
その結果、アメリカは世界の覇権国家としての地位を着実に手に入れていったわけです。
とはいえ、「天皇派」もこの「教皇派」の攻撃をただ黙って見ていただけではありませんでした。彼らもまた実は「教皇派」に対して、何度も反撃に出ていたのです。
というのも、アメリカの思惑通り「プラザ合意」に至ったのが「1985年9月22日」のことですが、その翌年の「1986年1月28日」に、アメリカのスペースシャトル「チャレンジャー号」が打ち上げ直後に爆破するという事故が起きました。
○チャレンジャー号爆発事故 – Wikipedia
一応、この爆破事故はただの「事故」として片付けられてはいますが、果たして真相はどうなのでしょうか。「天皇派」による「教皇派」への反撃ではないかという気がしてなりません。
実際、こんな記事も見付かりました。
----------------(以下、こちらから転載)
▼スペースシャトルチャレンジャー号爆発事故。乗組員全員死亡。(年表)
NASAは日本の設立した研究機関であり、この爆発事故は、米国民にアポロ計画をはじめとする宇宙開発の限界をしみじみと感じさせ、宇宙開発が日本などの他の先進国に引き継がれる環境を作ることを目標にして引き起こされた陰謀である可能性は高い。
実際、この日は、宇宙開発に重要な技術『通信技術』について、日本の誇る「八木アンテナ」の発明者八木秀次の生誕100周年記念日だった(1886年1月28日)。
----------------(転載ここまで)
八木秀次の生誕100周年記念日だったから陰謀というのも少しこじつけがましい気がしますが、正直、スペースシャトルがそんなに簡単に爆発するものなのか、という疑問はあります。しかも、スペースシャトルは全部で135回も打ち上げられていますが、このうち、爆発したのはチャレンジャー号のみです。
で、この事件のおよそ三ヶ月後の「1986年4月26日」に、ソ連のチェルノブイリで原発事故が起きました。
○チェルノブイリ原子力発電所事故 – Wikipedia
しかも、その発生時刻は「午前1時23分」。
そうです。「JAL123便」と同じ「123(ひふみ)」です。同じ犯人がやったのではないかと勘繰りたくなりますね。
つまり、このチェルノブイリの原発事故は、「教皇派」による「天皇派」への反撃だった可能性が大というわけです。
で、その翌年にはニューヨークで史上最大規模の株の大暴落が起きています。いわゆる「ブラックマンデー」ですね。
この株の大暴落が起きた原因は未だに分かっていません。どの専門家も「たまたま多くの投資家が株を投げ売りした」という結論を出しています。詳しくは以下のリンクを御覧ください。
○ブラックマンデーの原因
しかしながら、数多くの投資家たちがたまたま同じ時期に、こんなに大量の株を投げ売りするとは考えられません。そんな偶然がそうそう起きるわけがありません。
恐らくこれは、「天皇派」による「教皇派」への反撃だったのでしょう。実際、以下のような記事も見付かりました。
----------------(以下、こちらから転載)
バブル期に、日本企業が、米国の不動産を買いあさっていたのを覚えていらっしゃると想いますが、元々、仕組まれていた事をご存知ない人もいらっしゃるのでしょうか??
1987年10月のブラック・マンデーで、ヨーロッパ・メイスンが、ロスチャイルド家の財力を使って、世界恐慌にした事が米国の政界財界にばれてしまった。
定かではないのですが、ロックフェラー氏すら知らなかったのかも知れませんね。
何故なら、昨年9月だったと想いますが、007で有名になった英国MI6(?)の本部で、爆破テロが発生し、ユーロが急落しました。それを受けて、G7は、ユーロの協調介入を発表。
小生、”おっ、米国の反撃が始まった!”と、想いました。元メイスンリーの友人に尋ねますと、
ロスチャイルド家 V.S. J.P. モルガン家 + ロックフェラー家 の戦い!!
と、言ってました。
かつて、米国を発って、墜落した事故機には、ロスチャイルド家の後継者が乗っていたそうですが、今だ、原因究明されず!の話をしていました。
そうしますと、どう考えても、米国財界は、世界恐慌を知らなかったので、頭に来てるように想うのです。
----------------(転載ここまで)
ロスチャイルドは紛れもない「天皇派」です。で、そのロスチャイルドが、ロックフェラーに知らせることなく「ブラックマンデー」を引き起こした。当時、そんな噂が関係者の間で飛び交っていたようです。
モルガン家は第二次大戦前後にロックフェラー家に叩き潰された財閥なので、ロックフェラー家とモルガン家を仲間同士ということにしていいのかどうかは分かりませんが、いずれにせよ「ブラックマンデー」は、「ロスチャイルドによるロックフェラー攻撃」と見て間違いないと思います。
しかしながら、その後もアメリカはこの経済的苦境を乗り越え、逆にチェルノブイリ事故にあったソ連が崩壊してしまいました。1991年のことです。
ソ連は「天皇派」の国です。なので、「天皇派」と「教皇派」の一連の戦いは、この時点では「教皇派」が勝利したと言っていいでしょう。
ということで、今日の話をまとめると、おおよそこういうことになります。
日本が円高を吞まず、アジア共通通貨圏構想を打ち出す(天皇派の攻撃)→ JAL123便墜落事故(教皇派の攻撃)→ チャレンジャー号爆発事故(天皇派の攻撃)→ チェルノブイリ原発事故(教皇派の攻撃)→ ブラックマンデー(天皇派の攻撃)→ ソ連崩壊(教皇派の攻撃)→ 教皇派の勝利
このように「天皇派」と「教皇派」は、これまでずっと我々の知らないところでコソコソと激しい争いを繰り広げてきました。
で、その争いの火花が度々、我々庶民にも降りかかっていたわけですが、我々はその火の粉を見ながら、それを単なる偶発的な事故だとばかり思い込んでいたわけですね。
無知とは本当に恐ろしいものです。
つゆ草
Posted at 18:38h, 01 7月まだまだ、小康状態に過ぎなくていらっしゃる中、レジュメのように端的にまとめるご労まで、どうも有難うございました。
このところ、世間では、解かりかねるニュースや、不思議な災害が続き過ぎです。事件・事故は、人為的な思惑の所産である、と読み解くのですね。
RAPTさんに、エールを。
イザヤ書 58章 11節;
「主は常にあなたを導き/焼けつく地であなたの渇きをいやし/骨に力を与えてくださる。あなたは潤された園、水の涸れない泉となる。 」
プレーン
Posted at 19:21h, 01 7月どうかお体を大事にして無理をなさらないでください。
RAPTさんの一刻も早い回復をお祈りします。
HI
Posted at 04:51h, 02 7月RAPTさん更新有難うございます。
体調が万全で無い中、貴重な情報有難うございます。
時系列で見たら、やはり良く分かりますね。
これを偶然と言える人はまずいないでしょう。
情報感謝。
keen
Posted at 13:47h, 04 7月チェルノブイリ原発事故の原因は、直下地震でした。あそこは、ふだん地震が無い地域です。いろいろ調べた結論としては、人工地震による攻撃→数年後、ソ連崩壊という認識に至っています。
A.K
Posted at 22:21h, 25 7月RAPTさん更新有難うございます。いろいろ情報を読み漁って、やっとここにたどりつきました。信じたり、疑ったりしてたものがいつもどちらか寄りの情報だったと気がつきました。今日以降は今までより冷静な視点で物を見聞き出来そうです。 有難う御座います。これからも頑張ってください。応援してます! 問題ばかり起こす両方の力が一日も早く無くなることを願うばかりです。