RAPT | イエズス会とキリシタン大名が行った数々の悪行。彼らの信じる神は悪魔教の神「太陽神」と「八岐大蛇」でした。
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イエズス会とキリシタン大名が行った数々の悪行。彼らの信じる神は悪魔教の神「太陽神」と「八岐大蛇」でした。

イエズス会とキリシタン大名が行った数々の悪行。彼らの信じる神は悪魔教の神「太陽神」と「八岐大蛇」でした。

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昨日は、日本に初めてキリスト教を布教した宣教師フランシスコ・ザビエルの弟子である「ヤジロウ」が、「クロ宗」という人肉食信仰を作り上げていくまでの過程を見ながら、悪魔崇拝の実態に迫ってみました。
 
イエズス会と真言密教と浄土真宗と人肉食信仰「クロ宗」の奇妙な接点。フランシスコ・ザビエルを日本に招いた「ヤジロウ」から分かる悪魔教の現実。
 
一般のクリスチャンの間でも、フランシスコ・ザビエルのことは有名なのに、なぜか「ヤジロウ」のことはほとんど話題にも上らない。
 
なぜなら、「ヤジロウ」のことを一旦話題にすると、どうしても「クロ宗」の話題に触れざるを得ないからです。
 
で、「クロ宗」の話題になれば、当然、「ヤジロウ」を改宗させたイエズス会にも疑いの目が向けられてしまう。もしやイエズス会は悪魔教なのではないか、と誰からも疑われてしまうわけです。
 
それを避けるために、キリスト教の世界では「ヤジロウ」のことは見て見る振りをしなければならないわけでしょう。
 
で、昨日の読者の方のコメントにもありました通り、よくよく見てみると、あの有名なフランシスコ・ザビエルの絵は、その手になぜか「心臓」を持っていました。これには私も改めて気付かされ、驚きました。
 
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一体、この「心臓」は何を意味しているのでしょうか。
 
もしやこの「心臓」は「クロ宗」の秘儀によって取り出された「生き肝」を表しているのではないでしょうか。それ以外に考えられません。
 
こうして見てみると、この世には色々なところに真実を暴くための隠されたヒントがありますね。
 
また、「クロ宗」を信じている人たちが、もともとは迫害を逃れてきた隠れキリシタンだったにもかかわらず、なぜか「真言密教」の信徒であったという奇妙な事実。
 
これは一体何を意味するのか。
 
恐らく表向きの話では、彼らがキリスト教徒であるとおおっびらに名乗れなかったので、「真言密教」の信徒であると称していた、ということになっているのでしょうが、「真言密教」といえば「大日如来」を最高神としている宗派で、「大日如来」とはすなわち「天照大神」のことです。(詳しくはこちら
 
で、昨日も言いました通り、「天照大神」は太陽神ですが、イエズス会のシンボルマークも「太陽神」のマークです。
 
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しかも、「真言密教」の信徒であった隠れキリシタンたちは、今や大きな「浄土真宗」のお寺を建てて「浄土真宗」の信徒となっている……。
 
一見するとなんとも奇妙な話ですが、実はこの話もきちんと整合性をとることができます。
 
先ず、この「浄土真宗」について調べてみたところ、これまた悪魔教の要素がたっぷりでした。
 
この「浄土真宗」では「阿弥陀仏」が唯一神として崇められているとのことですが、この「阿弥陀仏」のことを「無量光仏」「無量寿仏」とも呼ぶらしく、かのチペット仏教の「ゲルク派」では、彼らの中で二番目に偉い僧のことが「無量光仏」の化身として崇められているようです。
 
「ゲルク派」というのは、このブログでは何度もご紹介してきました通り、ダライ・ラマを教祖とする「悪魔教」です。詳しくは以下のリンクを御覧下さい。
 
〈閲覧注意〉チベットは悪魔崇拝の聖地です。
 
この悪魔教である「ゲルク派」の中で二番目に偉い僧と、この「阿弥陀仏」は同一神である、というわけですね。
 
しかも、この「阿弥陀仏」は、神道においては「八幡神」という名で呼ばれているとのことです。
 
「八幡」と聞けば、もうお分かりですね。そうです。「八岐大蛇=ロスチャイルド」のことです。詳しくは以下のリンクを御覧下さい。
 
秦氏の正体はロスチャイルドでした。
 
つまり、「浄土真宗」はロスチャイルドの宗教であるということです。
 
で、「真言密教」もまたロスチャイルドの宗教でしたので、「クロ宗」の信徒たちが「真言密教」も「浄土真宗」も信じているというのは、ある意味、きちんと整合性のとれた話なのです。(「真言密教」がロスチャイルドの宗教であることは、こちらに書いています。)
 
また、「阿弥陀如来」は「大日如来」よりも三つ下の神様のようです(チベット死者の書による)し、「八岐大蛇」もまた「大日如来」よりも地位が低いはずですから、この点においてもきちんと整合性がとれますね。(詳しくはこちら
 
さらに、「浄土真宗」の教義をよく見てみると、その中に「悪人生機」というのがあって、その意味するところは「“悪人”こそが阿弥陀仏の本願(他力本願)による救済の主正の根機である」とのこと。
 
簡単に言うと、「悪人こそ救われる」ということですね。まあ、これだけ読むと誤解を生じるからということで、ウィキペディアにはこんな言い訳がましいことがタラタラと書かれてありました。
 
----------------(以下、ウィキペディアより転載)
 
「悪人正機」の意味を知る上で、「善人」と「悪人」をどのように解釈するかが重要である。ここでいう善悪とは、法的な問題や道徳的な問題をさしているのではない。また一般的・常識的な善悪でもない。親鸞が説いたのは仏の視点による善悪である。
 
法律や倫理・道徳を基準にすれば、この世には善人と悪人がいるが、どんな小さな悪も見逃さない仏の眼から見れば、すべての人は悪人だと浄土真宗では教える。
 
■悪人
 
衆生は、末法に生きる凡夫であり、仏の視点によれば「善悪」の判断すらできない、根源的な「悪人」であると捉える。
 
阿弥陀仏の光明に照らされた時、すなわち真実に目覚させられた時に、自らがまことの善は一つも出来ない悪人であると気づかされる。[3]その時に初めて気付かされる「悪人」である。
 
■善人
 
親鸞はすべての人の本当の姿は悪人だと述べているから、「善人」は、真実の姿が分からず善行を完遂できない身である事に気づくことのできていない「悪人」であるとする。
 
また自分のやった善行によって往生しようとする行為(自力作善)は、「どんな悪人でも救済する」とされる「阿弥陀仏の本願力」を疑う心であると捉える。(#本願ぼこりも参照のこと。)
 
■因果
 
凡夫は、「因」がもたらされ、「縁」によっては、思わぬ「果」を生む。つまり、善と思い行った事(因)が、縁によっては、善をもたらす事(善果)もあれば、悪をもたらす事(悪果)もある。どのような「果」を生むか、解らないのも「悪人」である。
 
----------------(転載ここまで)
 
こんなことを言われたら、いつまで経っても「善行」を行おうという気にはなれませんね。
 
あなたが「善」だと思ってやったことが、実は仏の目から見ると「悪」かも知れない……というのであれば、最初から「善行」など行わない方がいいのではないか、という気になりますから。
 
はっきり言いますが、そんなことを仰るのなら、仏様から見た「善」が何なのか、「悪」が何なのか、はっきり教えてください。それを教えてくれるのが「宗教」というものではありませんか。
 
私はこういう屁理屈が大嫌いなので、こんな宗教は最初から相手にしたくもありませんが、もしこのブログの読者の中に「浄土真宗」の信徒の方がいらっしゃるなら、本当にお気の毒です。今すぐこんな屁理屈ばかりの宗教はやめた方がいいでしょう。
 
もっとも、「浄土真宗」の信徒の方のほとんどが、自分の信じている宗教にこんな教義があることすら知らないのではないかと思いますけれども……。
 
いずれにせよ、悪魔教というものはこのように色々な屁理屈を並べて、人々が「善行」を行えないように仕向けていくわけです。
 
で、結局のところは、「生き肝」を取り出して、それを高額な値で売りつけてボロ儲け……というような悪事を平気ではじめるわけですね。
 
しかも、フランシスコ・ザビエル率いる「イエズス会」は、それ以外にも数々の悪行を行ってボロ儲けしていたようです。
 
----------------(以下、こちらから転載)
 
鬼塚英昭氏の著「天皇のロザリオ」(P249~257)は、次のように述べている。
 
「徳富蘇峰の『近世日本国民史』の初版に、秀吉の朝鮮出兵従軍記者の見聞録がのっている。
 
『キリシタン大名、小名、豪族たちが、火薬がほしいぱかりに女たちを南蛮船に運び、獣のごとく縛って船内に押し込むゆえに、女たちが泣き叫ぴ、わめくさま地獄のごとし』。
 
ザヴィエルは日本をヨーロッパの帝国主義に売り渡す役割を演じ、ユダヤ人でマラーノ(改宗ユダヤ人)のアルメイダは、日本に火薬を売り込み、交換に日本女性を奴隷船に連れこんで海外で売りさばいたボスの中のボスであつた。
 
『行く先々で日本女性がどこまでいっても沢山目につく。ヨーロッパ各地で50万という。
 
肌白くみめよき日本の娘たちが秘所まるだしにつながれ、もてあそばれ、奴隷らの国にまで転売されていくのを正視できない。
 
鉄の伽をはめられ、同国人をかかる遠い地に売り払う徒への憤りも、もともとなれど、白人文明でありながら、何故同じ人間を奴隷にいたす。
 
ポルトガル人の教会や師父が硝石(火薬の原料)と交換し、インドやアフリカまで売っている』と。
 
この事は、さまざまな文献資料によっても証明されているから事実なのですが、日本の歴史教科書でも、秀吉のキリシタン弾圧は教えても、日本女性が奴隷としてキリシタンたちが海外で売りさばいた事は教えないのはなぜか。
 
そうでなければ秀吉がなぜキリシタン弾圧に乗り出したかが分からない。
 
おそらく大河ドラマでも高山右近などのキリシタン大名が出てくるだろうが、娘たちを火薬一樽で娘50人を売った事などはドラマには出てこないだろう。
 
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〈キリシタン大名・高山右近〉

 
歴史教科書などではキリスト教弾圧を単なる異教徒排斥としか教えていませんが、信長にしても秀吉にしてもキリシタンに対しては最初は好意的だった。
 
しかし秀吉に宣教師たちの植民地への野心を見抜かれて、だんだん危険視するようになり制限を設けたが、神社仏閣の破壊や日本人を奴隷として売りさばく事が、秀吉の怒りに触れて弾圧するようになったのだ。
 
これが教科書の決して教えないポルトガル宣教師達のもう一つの顔でした。
 
日本では秀吉達が何故キリシタン弾圧をしたか教えませんね。
 
むしろ、既得権益を独占し、国民が愛の教え、キリスト教に目覚める邪魔をしたような風に私の時代は教わりましたが、事実は全く違うんだなあ。
 
国民を守るために秀吉はやることをやっただけのこと。
 
ザビエルを記念した聖堂のステンドグラスにはピラミッドの目がキラリ、日本に来たのも布教と奴隷売買だけではなく、失われた契約の箱を探しに来たと言う説もあります。
 
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〈山口ザビエル記念堂〉

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〈山口ザビエル記念堂の講堂内〉

なのでヤジロウは日本初のメーソン工作員と言えるかもしれません。
 
その後で有名な工作員と言えば坂本龍馬などがあたります。
 
油断も隙もない日本の歴史なのでした。
 
----------------(転載ここまで)
 
徳富蘇峰の『近世日本国民史』は、アマゾンなどでも買って読むことができます。
 
近世日本国民史織田信長 1 織田氏時代 前篇 (講談社学術文庫 515)
 
なお、この本についての解説はウィキペディアを御覧下さい。
 
近世日本国民史 – Wikipedia
 
とにかく、これがフランシスコ・ザビエル率いる「イエズス会」の実態なのです。なのに、このことは日本の歴史の教科書には一切出てきません。
 
私はかねてから「聖書」のことを推奨していますが、その「聖書」を信じていたとされる歴史上の人物のほとんどは、このようなインチキ詐欺師ばかりだと見ています。
 
というか、調べれば調べるほど、そのような結論に到達するしかないのです。
 
にもかかわらず、多くの人々が学校で学んだ歴史だけを信じて、フランシスコ・ザビエルを善人とし、イエズス会を受け入れた織田信長を善人としています。で、イエズス会を迫害した豊臣秀吉を悪人とするわけです。
 
そんな話をするから、余計に「聖書」のことが偏見の目で見られてしまうわけです。本当に正しい人だけを正しいとし、本当に悪い人だけを悪いとしなければ、誰がその人の話を信じようとするでしょうか。
 
もっとも、上の転載記事に書かれてあるように、本当に豊臣秀吉が日本の女性たちを守るためにイエズス会を弾圧したのかどうかについては私にも疑問です。秀吉は秀吉で、他に何か企みがあったのかも知れませんから。
 
とはいえ、自分の目の前で、若い女性たちがこのような形で売買されるのを見れば、おおよその人がそれを止めたくなるはずです。もしそれを止めようとしないなら、その人は悪魔としか言いようがありません。
 
果たして秀吉にはそのような良心があったのでしょうか。
 

4 Comments
  • つゆ草
    Posted at 21:05h, 19 6月

     四ツ谷の J大学前でのこと。12月初旬のある平日、門も閉ざされ、学生達もいつもと違い全く通らず、やけに静寂なので何かと思えば、休講日とのこと。なんと「ザビエルの日」、との話でした。後付けの記念の日のようですが、しかし、大事にしている様子でした。

  • 藍染蘭丸
    Posted at 01:14h, 20 6月

    イエズス会の上智大学のマークは八咫烏ですからね。確信犯でしょうね。
    イエズス会が日本に来て奴隷貿易で儲けたという話は、ネット上でも火消しに躍起になっているようですが、フランシスコ・ザビエルが悪魔崇拝者であり、イエズス会が真言密教と同質の宗教であれば、彼らが奴隷貿易に関わっていたことは十分にあり得ることだと思います。
    しかも、ラプトさんのように普段はキリスト教に肯定的な方たちの方が、イエズス会の悪事を糾弾しているところを見ると、イエズス会は普通のキリスト教の人たちから見ても異質なキリスト教なのだろうかという感じがします。
    こうやって悪魔崇拝者たちはキリスト教徒と自称しながら、表では善を行い、陰では悪事を働いてきたわけですね。
    宗教のせいで戦争が起きてきたと巷ではよく言う人がいますが、キリスト教徒の方たちからすれば良い迷惑でしょうね。
    更新ありがとうございます。

  • ネメシス
    Posted at 03:52h, 20 6月

    クロ宗を調べていたら、こんな記事を見つけました。
     
    キリシタン殉教の地に想う 「マセマティック放浪記」 1999年3月17日
    http://www.kougakutosho.co.jp/mathematics/mathematics_22.htm
     
    あと、堀田善衛の「鬼無鬼島」に関しては、こんなのも。
     
    鬼無鬼島 – 女おいどん日記
    http://d.hatena.ne.jp/oyama_noboruko/20060810/p1
     
    50年ぶりの疑問が解けた! – 河童の川流れ
    http://blogs.yahoo.co.jp/nakam1866/51965253.html
     
    【コラム】クロ宗の原典「鬼無鬼島」を読む_ 怪異譚
    http://nazonews.seesaa.net/article/351911732.html
     

  • Posted at 17:23h, 22 6月

    ネメシスさんのご紹介されているマセマティック放浪記中の文章中にある、松原氏の文章には説得力があります。
    ヨーロッパの列強国や中国は、他国からの侵攻や謀略で自国の存亡が脅かされる事態が日常的であったのに対して、日本人は余りに他国との外交術に不馴れであったとききます。策謀術に長けた西洋人からすれば、日本の幕府や朝廷の役人にうまく取り入って自国の利とはたらくよう誘導していく作戦はそう難しいことではなかったのでしょう。日本人は笑顔で近づく他人には笑顔で対応し、誠心誠意を尽くせば相手にもそえが通じ、誠意で応じてくれると信じていたのでしょう。その相手の肚の内を見抜くことに関しては油断していたのだと思われます。
    キリスト教弾圧に際して、弾圧の方法をイエズス会側から指示や注文を出していたというのにはあきれました。ゴルゴタの丘のような場面を演出してもらうことで殉教者を続出させたという事実は当時の日本人には理解しがたく望んで死にゆく姿は恐怖であったかもしれず、尚更弾圧が厳しくされたのではと思います。手打とは、断罪のこともそう言いますが、終結させる解決させるために手段を講じ、それにより一件落着とさせることにも手打という言葉を使いますね。

    イエズス会は日本での事実を確かに隠ぺいしたいようです。アジアの国々は次々にキリスト教宣教師によって布教活動が広められて行った中、日本国は高い文化水準を持ち、宗教感、死生感についても高い意識があるということが宣教師の書簡で綴られており、日本人を教化し教えを広めることには手間取っていることがうかがわれます。
    豊臣秀吉は、日本の治安を乱し政情等を逐一母国に報告し日本国乗っ取りを画策していたイエズス会を放置することは甚だしく危険であると察知したのでしょう。ビ
    イエズス会は都合の良いところしか伝えていません。な☁ぜか日本国内の教科書も。

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