18 6月 イエズス会と真言密教と浄土真宗と人肉食信仰「クロ宗」の奇妙な接点。フランシスコ・ザビエルを日本に招いた「ヤジロウ」から分かる悪魔教の現実。
先日、鹿児島の一部地域で密かに信じられている人肉食信仰「クロ宗」についてのお話をしましたが、その後、ある読者の方から「クロ宗」に関する詳しい資料を紹介していただきました。
で、その資料を読むうちに、悪魔崇拝の実態というものが見えてきましたので、ここで皆さんに簡単にご紹介しておきたいと思います。(先日の「クロ宗」に関する記事は以下になります。)
○アンジェリーナ・ジョリー監督映画「アンブロークン」は人肉食信仰「クロ宗」を隠蔽するために上映中止にされた可能性大。
なお、読者の方からご紹介いただいた資料は以下のリンクから読むことができます。
○隠れキリシタンと隠れ念仏
この資料を見ると、先ず「ヤジロウ」という人物が登場しますが、彼はイエズス会の宣教師フランシスコ・ザビエルを日本に招いたとされる人物です。
一応、世間一般の認識では、この「ヤジロウ」という人物のお陰で日本にキリスト教が伝播されることになったという話になっています。
実際、彼がいなければ、フランシスコ・ザビエルが来日することはなかったかも知れないわけですから、この認識はある意味では正しいと言えるかも知れません。
しかしながら、この「ヤジロウ」のキリストに対する信仰心は、やがておかしな形にねじ曲がっていき、土着の信仰を混ぜ合わせた「クロ宗」という人肉食信仰を作り上げるようになります。しかも、その奇妙な信仰を村人たちにまで伝授するようになります。
一応、世間一般の認識では「クロ宗」がこのような形で始まったとされているようです。
しかし、正直なところ、私はこの話をすんなりと信じることはできませんでした。
この世には実に数多くのクリスチャンがいます。そして、そのクリスチャンの中には確かに色々な人たちが存在しています。本当に敬虔なクリスチャンもいれば、クリスチャンとは思えないような性格の悪いクリスチャンもいます。
しかし、果たしてそのクリスチャンのうち、その信仰心がおかしな形にねじ曲がって、人肉を食べるような奇妙な信仰心を作り出すような人がどれぐらいいるものでしょうか。
しかも、日本に初めてキリスト教を伝えるきっかけとなったクリスチャンが、そのような奇妙な信仰心を持つようになったというのです。いくら何でも、普通に考えれば、そんなことが起こり得るわけがありません。
私には「ヤジロウ」という人物が最初からキリスト教など信じておらず、最初から「クロ宗」に近い、あるいはほぼ同等の信仰を持っていたのではないか、としか考えられませんでした。
その証拠となるのが、以下の文章になります。これは上の資料の123ページに書かれてあります。
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ヤジロウは神を「大日」と通訳した。真言密教の大日如来の「大日」である。
これには日本人の方がその誤ちを指摘してくるほどである。
そこでザビエルはその訳はかえって神を冒漬する置換である事に気付き、以後はすべて「デウス」という言葉を使うようになる。
同時にザビエルはキリスト教の特殊な用語に関しては日本語としての仏教用語に置換える事をやめ、ラテン語あるいはポルトガル語をそのまま使うようにしたという。
----------------(転載ここまで)
はっきりと言いますが、神は神です。なのに、なぜ「ヤジロウ」はその神を真言密教の「大日如来」にわざわざ置き換えたのでしょうか。
「ヤジロウ」がもともと真言宗の信者だったという記録はどこからも出てきません。なのに、なぜ彼は神を「大日如来」に置き換えようと考えたのでしょうか。
一応、仏教用語に置き換えた方が日本人からの受けがよかったから、などと誠しやかに説明している人もいるようですが、あくまでキリスト教はキリスト教、仏教は仏教です。
ですから、私はこの文章を読んで、こう考えざるを得ませんでした。ヤジロウが信じた神は、実はキリスト教の神ではなく、最初から「大日如来」だったのではないか、と。
「大日如来」とは「天照大神」のことです。神道の「天照大神」を、仏教では「大日如来」と呼ぶわけです。これは「ウィキペディア」にも書かれています。
で、この「天照大神」はいわゆる「太陽神」であり、イエズス会もまた自らのシンボルマークとして太陽のマークを使っています。以下がそのマークです。
これは単なる偶然ではありません。
イエズス会が信じている神は、キリスト教の神ヤハウェでもなく、神の子イエス・キリストでもなく、実は悪魔教の神である「太陽神」なのです。だからこそ、彼らは自分たちのシンボルマークとしてこのような「太陽」のマークを使っているのです。
しかも、真言密教といえば「大日経」を最高の経典としており、「大日如来」を神としている宗派ですが、その教理の内容はまさしく悪魔教そのものです。詳しくは以下のリンクを御覧下さい。
○〈閲覧注意〉日本の密教もまた悪魔崇拝そのものです。
これだけでも、「イエズス会 = 真言密教 = 悪魔教」と断言してもいいと私は思いますが、これだけでは納得ができないという方のために、さらに話を続けます。
----------------(転載ここから)
扨、そのヤジロウはその後どうなったか。
一九五〇年以後、神の恩寵と布教のもとにあったはずの彼の行方はようとして知れない。彼は鹿児島を追われ中国へ渡りそこで死んだという。
ルイス・フロイスが書いている。
「信仰を棄ててしまったのか、あるいは、キリシタンであることをやあてしまったのか…… 」、彼は富を求めて海賊になり「シナへ渡りシナで殺されたという」
「しかし、それは確かなことでもなく、また彼の最期についてこれと違ったことを知るよしもない」と。
フーベルト・チースリクは書いている。
「ロドリゲスの『日本教会史』のなかにもヤジロウがシナへ渡り、そこで海賊の手で殺されたと。だが、ロドリゲスはメンデス・ピントの『遍歴記』の報告を採り入れたものであり、ピントの書は半分以上作り話であり真馮性は疑わしい」と。
これらの文脈を浚っていくと、ヤジロウはシナへ渡って殺されたのではなく、日本の何処かに姿を隠し、あるいは匿まわれたのではないかと思えてくる。
イエズス会という組織の歴とした修道士・宣教師であり、サビエルを日本に連れて来た記念碑的人物が、その三年後には行方不明、まして死の記録が教会側に一切ないというのはどう考えても不自然
である。
ところが日本側(鹿児島本土)の基暦にはヤジローの死を伝える言い伝えが残っていた。ヤジローは甑島に身を隠しそこで死んだと。
しかも下甑島の片野浦という山深い集落に、ヤジローの墓があり(通称ヤジロウ墓)、ある秘密集団によってひそかに護り続けられているという。
----------------(転載ここまで)
宣教師「ヤジロウ」のことを善良なクリスチャンだったと考えている人たちは、決してこの部分には触れようとしません。彼がどんな風に生涯を閉じたのか、そこを深く探ろうとはしません。
なぜなら、そこを探りはじめると、このように「イエズス会」にとって不都合な結論に到達するしかないからです。
つまり、「ヤジロウ」が最後の最後にキリスト教を捨ててしまったか、あるいは海賊になったか、あるいは「秘密集団」を作っておかしな新興宗教を始めたか……という結論に到達するしかないのです。
これは「イエズス会」にとってみれば実に都合の悪い事実です。彼らがこの部分に触れたがらないのは当然のことです。
だからこそ、フランシスコ・ザビエルの名前はこの世に広く知られているのに、「ヤジロウ」の名はこの世に広く知られていないわけでしょう。
で、私はこの事実にさらに一歩深く踏み込んで、敢えてこう言いたいと思います。
普通に考えて、一度、キリスト教に改宗した人が海賊になったり、「秘密集団」を作っておかしな新興宗教を始めたりする可能性は、極めてゼロに近いと。
しかも、「ヤジロウ」が師事したのは天下のフランシスコ・ザビエルです。このフランシスコ・ザビエルは、一応、表向きには日本で最初にキリスト教を布教したクリスチャンと言われている人物です。
そんな偉人に仕えていた人物が、後に海賊になったり、おかしな「秘教集団」を作ったりするものでしょうか。
まあ、可能性はゼロではないでしょうが、それでもその可能性は極めてゼロに近いとしか言いようがありません。なぜなら、他にそんな人を現実に、また史実の上で見たことがないからです。
「ヤジロウ」はもともと犯罪者であり、船に乗って逃れていた途中、フランシスコ・ザビエルに出会い、キリスト教に改宗したということになっています。しかし、彼がフランシスコ・ザビエルに会った後も、実際のところはキリスト教には改宗していなかったのではないでしょうか。
彼は犯罪者としての性質を持ちつづけたまま、そして、その性質のゆえに悪魔教に入信したのではないでしょうか。
で、その悪魔教を「クロ宗」という形で鹿児島の一部地域にもたらし、村人たちにも伝授していった。つまり、キリスト教徒という皮をかぶって、「クロ宗」という名の悪魔教を日本に持ち込んだわけです。少なくとも、その可能性が高いと言わざるを得ません。
では、彼が伝えた「クロ宗」とは具体的にはどのようなものだったのでしょうか。以下、資料の127ページです。
----------------(転載ここから)
ではクロ宗は如何なる秘儀によって成立しているのか。その秘匿性は奈辺にあるのか。
それは「生き肝とり」という秘儀の故であると言われている。
この場合の生き肝とりとは、人間の臨終に際して、即座に胸を切り開いて生き肝(心蔵)を取り出すのだという。
つまり供犠の儀礼である。神に捧げる生贄として心蔵を切り取る。
この儀礼を村びとの死に立ち合うサカヤが執行する。この場合、カトリックという表層宗教が地上から隠れ教会から離れて基層へと埋没して行く時、基層民俗の生贄の祭儀へと帰着していったのか。
別の言い方をすれば、カトリックの深層に潜む供犠の宗教を帰趨としたのか。
いろんな要素が重層しているが、もともと、鹿児島の基層土俗には「冷えもん取い」という習俗があった事が『鹿児島の昔話』に伝えられている。
藩政時代の鹿児島では処刑された犯罪人の生き肝を取る事が公認されていた。「冷えもん」とは肝の事である。現在の鹿児島市電の二軒茶屋停留所から山に入った所に、「サカセド刑場」があった。
そこで行われるのが冷えもん取いである。打ち首によって首が刎ね落ちると、刑場をとりまく兵児たちは一斉に胴体に取りつき短刀で腹部を切り裂き肝を取り合った。
鹿児島には特産の秘薬「浅山丸」があるが、それが「冷えもん」で作られたという。つまり兵児たちにとってはそれが臨時収入であったのである。
それは同時に生贄として他人の命を救う秘薬となった。「浅山丸」は今もあるが、今日ではおそらくそれは鹿か何かの動物の肝であろう。
ではクロ教の場合、供犠として切り出された心蔵はどうなるのか。
「六神丸」になるのだと周囲の村はいう。
何も驚く事はない。死んだ人間の蔵器が他人の病いを癒す。これは現代、正当化され行われている蔵器移植の類型である。
サカヤは村を支配するほどに財産家であり資金力が豊かである。
それであってこそサカヤとクロ宗は存続し得たのである。その財力は生き肝にあると言われている。
こういう話はすべて「脱け」(註:村から追い出された人たちのこと)からの聞き取りである。そこで「脱け」以外からの、外の村の人間からの聞き取りも一つだけ挙げておく必要があるだろう。下甑村立の歴史民俗資料館の調査員氏である。
彼の父親は大工であったという。手打の港から片野浦へ、屡、家を建てに通ったという。作業中のある日、死人が出たので棺桶を造ってくれと頼まれ寝棺を造った。
見ていると入棺の儀式が何と畳を剥いで床下で行われたという。儀礼執行人が床下から這い上って来た時、何故か、全身が血痕で真っ赤に染まっていたという。
そして一升瓶に詰められた血を見たという。昭和二十一年の事である。
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ここではまるでお金のために「生き肝」つまり「心臓」を取り出しているかのように書かれてありますが、「秘儀」と呼ばれている以上、この行為に何らかの宗教的な意味が隠されていることは間違いありません。
そもそも、人が死んだ後で「心臓」を抜き取るのではなく、臨終の間際に、つまり人がまだ死んでいないときに「心臓」を抜き取るというのですから、これは紛れもない「人身供養」です。
と同時に、これは明らかに儀式殺人に他なりません。これは法的に見ても、決して許されることではありません。
しかし、ここでさらに問題なのは、この村の人たちが決して自分たちの信じる信仰のことを「クロ宗」とは呼ばないことです。
彼らはかつては「真言宗」の信者であると称し、なおかつ実際のところは隠れキリシタンであったとのこと。しかも、現在では「浄土真宗」の信徒と称しているそうです。
普通に考えれば、全く意味が分かりませんね。一人の人間が「真言宗」も信じ、「キリスト教」も信じ、「浄土真宗」も信じている、というのですから。
以下、資料の129ページです。
----------------(転載ここから)
片野浦のクロ宗の徒は藩政時代は真言宗の檀徒であったという。
この真言密教の持つ呪術性、秘儀性との習合も考えられるが、彼等はあくまでも隠れキリシタンである。
真言宗の檀徒であったという事は寺請制度による強制でもあるがキリシタンである事を隠す擬装であったと思える。
ところが、片野浦のかっての天上墓のあった丘に対応する地点の平地に堂々たる浄土真宗本願寺派の本堂がそびえている。
たった四十八戸の村にしては立派すぎる真宗寺院である。ここで、キリシタンと真言宗と浄土真宗という三つの重層が一挙に浮かび上って来た。
----------------(転載ここまで)
この資料を書いた人も、この後、「クロ宗」という異端の宗教を隠すためにこれらの宗教の皮をかぶっているに過ぎないと書いていますが、その推測に間違いはないでしょう。
いずれにせよ、悪魔崇拝がどのような形で人々の間に伝えられ、隠匿されたまま秘密の儀式が行われつづけているのか、その一端が「下甑島の片野浦」の人々から垣間見ることができた気がします。
彼らはやはり自分たちが信じている宗教の名前をそのまま呼ぶことはしないのです。あくまでこの世に一般的に出回っている宗教を信じている振りをしなければならないのです。
ちなみに、「クロ宗」の「クロ」とは「十字架」を意味する「クロス」から来たと一般には言われているようですが、この資料を書いた人は、「シロ」に対する「クロ」であるとはっきりと書いています。
要するに、「シロ」がしごく普通の「キリスト教」を表すのに対して、「クロ」はいわゆる黒魔術や黒ミサなどの「悪魔教」を表しているのでしょう。
このように、日本に最初に伝えられたキリスト教は、実は本物のキリスト教ではなかった可能性がとても高いと考えられます。
しかしながら、一般のクリスチャンたちは、「イエズス会」を快く受け入れた織田信長のことを善人として称賛し、「イエズス会」を迫害した豊臣秀吉のことを悪人として酷評しています。
果たしてこの認識は正しいのでしょうか。本当に手放しで織田信長を称賛し、豊臣秀吉を悪評していいものなのでしょうか。
ちょこたん
Posted at 23:58h, 18 6月今夜も更新ありがとうございます。今回の記事も私の中にあった点や感覚などが繋がってゆく、とてもわかりやすい記事でした。
教科書のフランシスコザビエルの絵を初めて見たとき、なんとなく直視できませんでした。教科書を見るたびに、なんとも言い難い異様な違和感だけがあり、この人物について習うにつけ、そのように思ってはいけないのだと考えないように感じないようにボヤかしていたのを覚えています。でもそれは薄気味悪さからくる本能的、直感的なものだったのだと確信しました。取り出したての心臓を大事そうに抱え、そのハートは太陽のようでもあり、イエスが架けられた十字架が刺さっている…。やはり今、改めて見てみても気持ち悪いだけでした。王道とされる洗脳のような知識という色眼鏡をかける以前の感覚や印象は、本来から備わったものであり、知識に勝るとても尊いギフトなのだなとラプトさんの記事を読むにつけ感じております。http://image.search.yahoo.co.jp/search?rkf=2&ei=UTF-8&p=%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B7%E3%82%B9%E3%82%B3%E3%82%B6%E3%83%93%E3%82%A8%E3%83%AB
藍染蘭丸
Posted at 00:45h, 19 6月ちょこたんさんの紹介して下さった絵を見て驚きました。
確かに教科書などによく出てくるフランシスコ・ザビエルのこの絵は、手に心臓を持っていますね。
この心臓は、クロ宗の秘儀によって死者から取り出した生き肝なんでしょうか。十分あり得る話です。
それと、ヤジロウという人のことは私は初めて知りました。
私だけが知らなかったのか、それとも多くの人が知らないのか分かりませんが、このヤジロウの名前が世間に広まれば、クロ宗のことまで知られてしまうことは確実ですから、それを恐れたあちら側の人たちが情報操作している可能性は高いですね。
更新ありがとうございます。
クラッシュキャスター
Posted at 01:36h, 19 6月PART様
いつも、PART様のブログを興味深く拝見しております。
メールフォームから何度か送信させていただいたのですがエラーが返ってくるのでこちらから失礼いたします。
早速ですが、私は常々SNSに不気味なものを感じております。
特にGoogle(+)やFacebook、twitterなどは
個人の意見発信を逆手にとった言論統制、個人特定ツールでしかないような気がしてならないのです
その辺り、PART様はどのように思っていらっしゃってるのか大変興味があります。
お忙しく、色々と大変な事がおありだと思いますがPART様の切り口でこの件を取り上げていただけたらと思います。
これからも、PART様のブログ楽しみにしております。
クラッシュキャスター
Posted at 02:10h, 19 6月何度もすいません。コピペで打っていたのでRAPT様がPART様になっていたことお詫び申し上げます。
すみませんでした
rapt
Posted at 16:47h, 19 6月>クラッシュキャスターさん。
その件については、もう既にアメリカのNSAが実際にgoogleやfacebookなどから個人情報を集めていたということで、大きな問題になっています。
http://www.huffingtonpost.jp/2013/06/07/nsa_n_3400477.html
一応、この件については司法の場で違法と判断され、今後こういったことは表向きは行えなくなりますが……。
http://www.businessnewsline.com/news/201505080127590000.html
しかしながら、facebookなどに書き込んだ情報は基本的にはオープンになっているわけですから、悪用する人たちが今後も出てくることは間違いないでしょうね。
悪用でなくても、自分たちの儲けのために、これらのSNSを使って、個人情報を集めている企業もあることでしょうし。
なので、余り心配なようでしたら、下手にこういったものを利用しないことだと思います。
じげもん
Posted at 20:36h, 19 6月連日の更新ありがとうございます。
facebookに関しては、あのベンジャミン・フルフォードと飛鳥昭雄が『創業者のザッカーバーグはロックフェラーの孫だった!』ということを言っているようです。
http://8729-13.cocolog-nifty.com/blog/2013/11/post-77be.html
メンバーから見ても、天皇派のプロパガンダだということは見え見えですが…真偽のほどはどうなんでしょうね。
ネメシス
Posted at 03:50h, 20 6月フランシスコ・ザビエルのこのハート(心臓)を持った肖像画は教科書の参照写真などで見てきましたが、まさかこんな驚愕の事実が明らかになるとは・・・
参考までに、下甑島・片野浦の集落 (グーグルマップより)
http://urx3.nu/lRcE
http://urx3.nu/lRdb
ヤジロウ墓、および茶円小寺(講寺)の場所は不明。
同じ下甑(しもこしき)島でも、長浜地区や、手打海岸、あるいは瀬々野浦といった集落は、家々の囲いもごく普通なのですが、やはり上記の片野浦の集落の持つ特異な雰囲気は、際立っていますね。
通りすがり
Posted at 06:15h, 13 7月漫画の「鬼畜島」はクロ宗をモデルにしている気がします。
グレイ人
Posted at 13:22h, 19 11月ピアノの詩人・ショパンの心臓が、
祖国ポーランドの聖教会の柱に埋められていることは有名な話ですが、
何故心臓だけ取り出して?とずっと疑問でした。
本人の希望で姉が‥というのが通説ですが、
繊細で神経質なショパンがそんなグロテスクなことをお願いするだろうか?
ポーランドへ持ち帰ったのは姉だけど、
心臓を遺体から取り出したのは誰?
「ショパン 心臓」で調べていたら、とあるサイトに
「ショパンが亡くなる2時間前に
医師が彼の上に馬乗りになって、
『苦しいか?』と問いたら
『もう何も感じない』と言った」
と記述がありました。
瀕死の人の上に馬乗りになるなんて
どう考えても尋常ではありません。
しかも医者が‥と不思議だったのですが、
医者とは病人を助ける人ではなく、
病人を死に至らしめる者なのだと
RAPT理論を読んでいるうちに気づきました。
ショパンの死因は肺結核でも嚢胞性線維症でもなく(その病気を患ってはいたが)
クロ宗の医者に殺されたのでは…
という気がしてなりません。