17 6月 出雲大社とピラミッドの余りに奇妙な共通点。出雲大社は「大国主」を侮辱するために作られたものなのか。
昨日は、日本と古代エジプトと悪魔崇拝とのつながりをはっきりと示す物的証拠の数々を皆さんにご紹介いたしました。
○日本と古代エジプトと悪魔崇拝のつながりが一発で分かる幾つもの物的証拠。
そこで今日はもう一つ、日本と古代エジプトのつながりを示すさらなる物的証拠を皆さんにお見せしたいと思います。
皆さんは「出雲大社」をご存知でしょうか。
まあ、知らない人はいないと思います。少なくとも名前ぐらいは聞いたことがあるでしょう。
そもそも、このブログでは「大和族」と「出雲族」とが互いに争い合ってきたということを何度も繰り返し話してきましたので、「出雲大社」と聞けば、「出雲族」に関係のある神社なのだろうということは容易に想像できるはずです。
ええ、そうです。この「出雲大社」は「出雲族」の神様である「大国主」が祀られている神社です。
「大国主」というのはスサノオの息子のことですが、そのため、この「出雲大社」ではかつてはスサノオが主神として祀られていたこともあったそうです。
○出雲大社 – Wikipedia
で、この「大国主」が「大和族」の神々の前で屈服して、この国の支配権を「大和族」に譲り渡したことから、「出雲の国譲り」なんて神話が作られたりもしたわけですが、それもあって、この「大国主」は今ではもうこの国の支配権を持ってはいません。
にもかかわらず、「大国主」を祀っている「出雲神社」は、その本殿が24メートルという日本一の高さを誇っています。(もっとも、仏閣まで含めると、奈良の東大寺大仏殿(金堂)が最も高い(48メートル)そうです。)
しかも、この「出雲大社」はかつてはそれ以上にもっと高かったとさえ言われているのです。
どれぐらい高かったのかというと、中古の時代(中世)には16丈(約48メートル)あって、さらに古い時代(上古・大化の改新より以前)には32丈(約96メートル)もあったとも言われています。
もちろん、そんな大昔にそんな高い建物を建てることが本当にできたのか、と多くの人が疑問に思っていたのですが、2000年に発掘調査をしたところ、これが事実であることを証明するような巨大な柱が発見されました。それが以下になります。
大きさはこれぐらいです。
で、このときの新聞記事が以下になります。(クリックすると拡大します。)
現在、この柱は誰でも見られるように展示されています。
また、もともと柱のあった場所にはきちんと印がつけられています。
これを見ればお分かりになる通り、この柱は三本の柱をセットにして一つの柱の役割を果たしていました。しかも、よくよく見てみると、この柱の断面は日本の家紋である「丸に三つ星」の形になっています。
この家紋の由来を調べてみると、
----------------
「太陽、月、星など、天体は運命を司る神として古来から信仰の拠り所。
星では、天にあって唯一動かない天体「北極星」、その周りを廻る「北斗七星」は古来から信仰の対象となってきた。
また三つ星は勝ち星といって、戦いに勝つ三つの大将を表わす。故に、オリオンの三つ星(将軍星)も信仰されていた。」
----------------
とありました。(出典はこちら)
要するに、この「丸に三つ星」の家紋は、「北斗七星」でもあり「オリオン座」でもあるというわけですね。
で、私の調べでは「北極星(または北斗七星)」は「出雲族」の信仰の対象であり、「シリウス(またはオリオン座)」は「大和族」の信仰の対象ということになっていますので、この場合、「出雲大社」にあった柱は「北極星」を表すものであると考えられます。
しかし、これについては実は異論があります。ここにはもっと深い意味が隠されている可能性があるのです。
しかし、その話は後回しです。
先ずここで問題になってくるのは、古代の出雲大社の「本殿」が、古代エジプトのピラミッドの内部にある「大回廊」と全く同じ大きさ、全く同じ形をしているということです。
----------------(以下、こちらから転載)
私は、以前、何度も島根にいっていた時期があり、出雲大社は一度しか言ったことが無いが、上古代の大社本殿の復元図を最初に見た瞬間から『あれ?』っと思った。
なんかに似ている。。。みたことあるな。。。
そして、あるとき、その何かに気付いてしまった。
エジプト、ギザにある大ピラミッドの内部にある大回廊と、それは、とてもよく似てるのである。
重力拡散の間の作りが大社の本殿(屋根まである)。そして大回廊が本殿へと続く長い回廊。。。
調べた結果、なんと!
実は、大ピラミッドの王の間と大回廊の構造は、古代の出雲大社の神殿の大きさや高さ、それに至る回廊と、古代出雲大社の本殿の高さと、大ピラミッドの玄室及び重力拡散の間の高さが同じである!という事実。
しかも、玄室へ続く大回廊の長さと角度が、出雲大社の本殿へ続く長い階段と同じなのである。
これは、どう考えてもあきらかに、大ピラミッド建造にかかわった建築士が、日本まで来たか、あるいは、その逆、日本の出雲大社を作った人々が、エジプトに行ってピラミッドを作ったか。のどちらかしかない。
実は、エジプトにはピラミッド建造について、古くから言い伝えが残っている。
それは、紀元前300年ごろ実在した神官マネトが残したとされる記録で、こんな一節があったという。
「不思議な方法によって、東方から訪れた高貴な人々が、エジプトにピラミッドを残して去っていった」
いまだ、建造方法や目的が謎に包まれているギザの三大ピラミッドを建設したのは、古代エジプト人ではなく、東方からやってきた人々であるというのだ。
そして、スフィンクスが顔を向ける真東の遥か延長線上に、日本がある。。。
古代の歴史浪漫というか、超古代には不思議な話がいっぱいあって、それはなんだか隠された真実と繋がってる気がするんだよね。
----------------(転載ここまで)
以下は、「中古」の時代にあったとされる48メートルの高さの「出雲大社」の復元模型です。人の大きさと比べると、かなり大きなスケールの建物であることが分かります。
しかし、「上古」の時代には、この倍の96メートルもの高さがあったというのですから、もともとの「出雲大社」がいかに巨大な建築物であったかがよく分かります。
そして、それと全く同じ構造をしたものが、古代エジプトのピラミッドの中に「大回廊」として作られていた……。
となれば、上の転載記事にもありますように、日本と古代エジプトには何らかのつながりがあったとしか考えられません。つまり、両国にはかなり深い交流があったに違いないのです。
さらに言うなら、ピラミッドの内部にある「重力軽減の間」の構造は、漢字の「高」と同じであるとも言われています。
しかし、このような明白な事実を、なぜか「出雲大社」関係者も、また皇室関係者もほとんどおおっぴらにしません。なぜなのでしょうか。古代エジプトと日本のつながりがバレてしまうと、何かマズイことでもあるのでしょうか。
しかも、この「大回廊」の作られた大ピラミッド(クフ王のピラミッド)は、「オリオン座」と深い関わりがあることも分かっています。その証拠が以下の図です。
このように「クフ王」のピラミッドと、「カフラー王」のピラミッド、「メンカウラー王」のピラミッドは、三つ並べると、「オリオン座」の中央にある「三つ星ベルト」と同じ配置をしているのです。
さらにはこんなことも分かっています。
ピラミッドには、「王の間」と「王妃の間」と呼ばれる部屋があって、それぞれの部屋から北と南に通気孔のような孔(シャフト)が開けられています。
で、「王の間」から北に伸びるシャフトは、当時の「北極星」りゅう座を指しています。
その一方、南に伸びるシャフトは、当時の「オリオン座」の三ツ星の左下のζ星(クフ王のピラミッドにあたる星)を指しています。
つまり、エジプトのピラミッドは「北極星」も「オリオン座」もどちらも拝めるように作られていたわけです。
しかも、上の画像を見てもお分かりの通り、このピラミッドは「シリウス」も拝めるようになっています。
ということは、古代エジプトでは「大和族」と「出雲族」がお互いに仲良くやっていた可能性がとても高いということですね。
ところが彼らは、エジプトから日本に渡ってきたとたん、早々とケンカをはじめてしまった。で、「出雲族」が「大和族」に負けて、日本の支配権を譲り渡してしまったわけです。
そのため、最初に建てられた巨大な「出雲大社」が「大和族」によって破壊されてしまった。
で、「出雲族」はやむなくその後、そのおよそ半分の高さの「出雲大社」を建てることにしたのかも知れません。
しかし、その「出雲大社」も日本一の高さを誇っていたため、「大和族」の逆鱗に触れて、同じように破壊されてしまった……のかも知れません。
しかし、実はこれとは全く別の考え方をすることもできます。
というのも、一説によると、この「出雲大社」はわざと参拝者に「大国主」を拝ませないような作りになっていると言われているのです。
つまり、「大和族」がわざわざ「大国主」を侮辱するために、この「出雲大社」を作ったかも知れないというわけです。(その説の詳細は以下のリンクを御参照ください。)
○出雲大社は怨霊の神社?
もちろん、これはあくまで一つの仮説に過ぎないのですが、国の支配権を失った「出雲族」が、日本で最も高い「本殿」を作るというのも、確かにおかしな話ではあります。
なので、この説の通り、「出雲大社」は「大国主」を怒らせるために、あるいは侮辱するために作られた可能性もなきにしもあらずなのです。
で、その事実を知った「出雲族」が怒り狂って、最初に建てられた「出雲神殿」を破壊してしまった。
しかし、「大和族」はそれに懲りずに、今度はその半分の高さの「出雲大社」を作った。(なぜ半分にしたかというと、古代の人たちの方がそれだけ高い技術を持っていたということなのかも知れません。)
で、これまた「出雲族」が怒り狂ってそれを破壊してしまった。
で、「大和族」は性懲りもなく今現在残されている「出雲大社」を建てることにした、ということなのかも知れません。
そうなってくると、先ほども言いましたように、「出雲大社」の柱の断面図である「丸に三つ星」は、実は「出雲族」の拝む「北極星」ではなく、「大和族」の拝む「オリオン座」を表していたとも考えられなくはありません。
「大和族」が本当に「大国主」を侮辱するために「出雲大社」を建てたのであれば、そういうことになりますよね。
それにしても、ピラミッドの専門家と呼ばれている「吉村作治」氏は、どうしてこういうことをきちんと調べて公表してくれないのでしょうか。彼は一体、ピラミッドの何を調べているというのでしょうか。
昨日の読者の方のコメントにもありましたが、やはり彼はこういった事実を隠蔽するために配置された御用学者に過ぎないのでしょうか。
なんとなくそんな気がしてなりませんね……。
藍染蘭丸
Posted at 01:24h, 18 6月エジプトのピラミッドも時代が経つにつれて、その建築技術が落ちていったと言われています。
日本の建築技術も、飛鳥時代の方が優れていて、その後の時代になるほど落ちていったという感じですが、そう考えると、やはり有史以前に今よりも遙かに高度な文明があって、一度、その文明が滅んだ後、有史が始まったというRAPT理論は整合性がとれますね。
それにしても、出雲大社とピラミッドの意外な共通点は興味深かったです。
出雲大社でもこの事実をきちんと観光客に説明してほしいですね。
もちろん、それができない何らかの事情があるのでしょうが。
更新ありがとうございます。
母
Posted at 14:24h, 18 6月情報をひとつ。
「神話や民族、文献にみる爬虫類人」というtacodayoさんのブログです。
他の日付にも爬虫類人の生態が載っています。
なぜやつらは儀式をせねばならないのかがわかります。
そしてやっぱりアンジーの目も…
あと、先日総理に楯突いたのも早稲田の学者達ですね。
吉村センセも早稲田です。
Q.Y.O
Posted at 10:34h, 20 6月はじめまして。いつも記事を楽しみに読ませて頂いております。
十数年前に、もともと古代の文明に興味があった私は、グラハム・ハンコック氏の「神々の指紋」を読んで、「人類は記憶を失っているだけであって、実は太古に高度な文明があった」という説に、たいへん興奮しました。 しかし、かなりのベストセラーになったのもつかの間、わざわざその本を否定するための書籍が複数刊行され、「古代の文明説はインチキだったのか」と、がっかりした方がたくさんいたと思います。当時、吉村氏もこの本を鼻で笑っていました。
私にしても、「全部がインチキとは言えないと思うし、可能性を保留して、太古に夢を馳せるのは自由じゃないか」と、まあやはり実際には少し興醒めしたものでした。
しかしRAPTさんの理論に触れた今、あれは実はかなり信憑性が高いんだと思い、当時の書籍を読み直し、今の目で見て見えてくるものがないかを再確認しようとしています。
ちょっとした気づきが、真実に繋がる事をRAPTさんから学ばせて頂きました。
また、聖書も購入し、少しずつ読んでいるところです。
RAPTさんのこれからの御活躍を期待しております。 長文失礼いたしました。