RAPT | 【お知らせ】RAPT理論+αは、私たちが正式に公開しているニュースサイトです。
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【お知らせ】RAPT理論+αは、私たちが正式に公開しているニュースサイトです。

【お知らせ】RAPT理論+αは、私たちが正式に公開しているニュースサイトです。


 
先月から、私は十二弟子たちと一緒に極秘裏に「RAPT理論+α」というニュースサイトを立ち上げました。
 
〇RAPT理論+α
 
しかし、まだ皆さんに公表するほど、きちんとサイトの整備が整っていたわけではなかったので、これまでは公には公表しませんでした。
 
ところが、私たちが公表する以前からこのサイトを発見し、拡散する人たちがぽつぽつと現れるようになりました。
 
その結果、もう既にこのサイトには多くの人たちが訪問しています。
 
そして、RAPT理論を拡散してほしくないと思っている人たちが、このニュースサイトをいかにも工作員の仕業であるかのように悪口を言って、攪乱しています。
 
まだ公表していない十二弟子の川田さんやリエさんなどの証を載せているのですから、誰がどう見ても、私たちが正式に公開しているサイトであることはすぐに分かるはずです。
 
本当はもう少し先にこのニュースサイトのことを皆さんにお知らせするつもりでしたが、騒ぎが大きくなってきましたので、今ここで皆さんにお知らせいたします。
 
ニュース記事の更新は、既に選ばれた十二弟子たちによって行われています。
 
どうぞご支援のほど、よろしくお願いいたします。
 

22 Comments
  • 三船小仏
    Posted at 13:40h, 22 4月

    ファンです。
    「輿水 公明党議員」で検索されると分かる。リチャード・コシミズ氏と同じ町(町全体が全て輿水という姓であることから部落と呼んだ方が適切であろう)出身で、同じ青山大学出身。4歳違い。

    さゆふらっと氏の動画で見たときは、総務省か何処かの長をされていた。すなわち国会議員である。

    さゆふらっと氏のyoutube にこれを解説した部分が有るが、動画は消されているかな?

    顔は瓜二つ。

    リチャード・コシミズ氏は「家の宗教は“日蓮宗身延派”」とYoutube で言っているが、“日蓮宗身延派”という単語は創価学会員が造った単語である(創価学会員以外は使わない)。

    “日蓮宗”と“日蓮宗”本元である誇りから信者は言う。決して“日蓮宗身延派”とは“日蓮宗”の信者は言わない。“日蓮宗身延派”という単語を使うのは創価学会員のみである。

    もし、“日蓮宗身延派”という単語を使うと、それで創価学会員ということが判明してしまうほどでした。決して他の人は“日蓮宗身延派”という単語は使いません。

    もしも、“日蓮宗”の人に“日蓮宗身延派”という単語を使うと「言い直せ」と怒られるほどでした。

    日蓮宗を折伏した経験のある人なら分かるでしょう。しかし、日蓮宗を折伏した経験の無い人には理解し難いと思います。

    日蓮宗の人は頑なに「日蓮宗」と言い、「日蓮宗身延派」と言うものなら酷く怒ります。そういう単語「日蓮宗身延派」は無いのです。

    つまりリチャード・コシミズ氏は創価学会員である。近い親族が公明党国会議員になっているということは一族は熱烈な創価学会の信者で固められているということである。

  • 三船小仏
    Posted at 13:42h, 22 4月

    公明党国会議員になるには弁護士または医師であるならば成りやすい。しかし、弁護士でも医師でも無い人が公明党国会議員になったということは一族全部が一人の反逆者もなく超熱烈な創価学会員ということになる。

    リチャード・コシミズ氏は創価学会を酷く貶すため、ある創価学会員が数千人の署名を集めて創価学会本部に「リチャード・コシミズ氏を訴えろ!」と訴えに行ったが、追い返された。

    また、コシミズ氏の主張する保険金殺人事件は存在しない。これは本丸から目を逸らさせるための誤誘導である。本丸は東村山女性市議ビル飛び降り殺人事件と伊丹十三映画監督殺人事件そして尾崎豊である。

    そして、日本の不正選挙はアメリカ大統領選挙不正で明らかになったように、パソコン集計機の不正。リチャード・コシミズ氏の言う票の不正書きではない(これは核心反らし)。

  • 三船小仏
    Posted at 13:43h, 22 4月

    リチャード・コシミズ氏は創価学会員

    すなわち、リチャード・コシミズ氏はユダヤ陰謀論者の振りをしたある陰謀論者なのである。

    リチャード・コシミズ氏はバックは中国で決定なのである。と言うことは……….不味い、非常に不味い。自民党が危ない。公明党イクオール創価学会である。公明党を連立与党から外すべきだ。そうしないと日本が危うい。

    池田大作の本当の師匠・須山秀吉氏が、非常に熱心な親中国であった。非常に拙い。国家緊急事態である。朝堂院大覚氏に知らせないと行けない。

    (須山秀吉氏は東大卒で右翼の最高頭脳と言われていた人です。須山秀吉氏は熱心なキリスト教徒だったため自殺することが許されず、唯一の生き残りになったのです。何故か、熱心な親中国だったのです。これは満州事変で有名な日蓮宗身延派の熱心な信者だった石原莞爾氏が大東亜圏での発展を考えていたことに酷似します)

  • 三船小仏
    Posted at 13:45h, 22 4月

    「志村けん」に関しては創価学会(実はオウム天皇部落のカルト宗教団体)の関与が大きい東村山と言う事もあり、また実際に、あの創価学会の犯罪を追及して殺された朝木議員の同窓生(東村山市立二中)でもあり、トランプによる粛清<

    地下鉄サリン事件の時、創価学会本部は急遽、平日なのに休日となったが、創価学会は知っていたと言うこと。

    その当時、創価学会の実質トップは創価学会のリーダーは国際原子力機関(IAEA)の天野事務局長だった

    。彼が地下鉄サリン事件を指示していた事が書かれていたのです。

  • 三船小仏
    Posted at 13:46h, 22 4月

    創価学会と日本共産党の偽装敵対

    前回に、創価学会と日本共産党の偽装敵対を書きました。

    日本共産党は発足当時は物凄く純粋だったはずです。

    それが、どうして、こうなったか?

    創価学会では昭和60年頃、「日本共産党はCIAから金を貰っている」と言われていました。

    インターネットの無い時代です。

    誰かが言い始めて、本当のこととして流れ始めたのか、本当だったのか、調べようがありません。

    しかし、それが本当なら話の辻褄が合います。

    日本共産党は創価学会の核心を突くことが、それ故に出来ないのです。

    昭和42年頃、日大グラウンドで、創価学会批判本10万冊が燃やされたこと知っておられるでしょうか?

    植村左内という創価学会員が書いたものです。

    私はその第二版を持っていて、読みました。

    痛い本でした(私は創価学会弁護士から脅されて創価学会批判本は全て捨てました)。

    第一版は物凄く痛い本だったと言うことで、燃やされている10万冊の中から取り出された本が、現在、非常な高値で取り引きされています。

    おそらく00000000のことが書いてあったのだと思います。

    第二版では、00000000が削られていたのだと思います。

    植村左内はその直後、日本共産党に入るのですが、その後、創価学会批判本および論考も1つも書いていません。

    日本共産党のトップから「書くな!」と命令されたと思われます。

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    これからも日本共産党の上層部は日本の裏社会と繋がっていると思われます。

    そして日本共産党はこの事件(日大グラウンドで10万冊)を知っていたが、これには触れず、全く痛くも痒くもない大学教授の本を問題視して国会で 昭和45年 「言論問題」争いました(プロレスです)。

    核心反らしでした。

    (なお、昭和44年頃、非常に痛い本が出版されたそうですが、私は読んでいません。鬼畜・日本共産党はこれにも全く触れません)

    日大グラウンドで創価学会批判の非常に痛い本(植村左内著)が昭和42年頃、10万冊焼却処分になったのは、日大の学長(または一番力あるいは影響力があった人)が右翼だったからと説明が出来ます (創価学会3代とも右翼(極右)です) 。

    日本共産党は創価学会が行っている「追跡など」(非常に多くの人が大変な迷惑を受けていた) (←ここは突けるはず)

    (また、脱会者には猫の死体を玄関に置くなどは常識として行れていた) (←ここは突けるはず) を常識として知っていたが、国会で全くそれを追及しなかった。

    日本共産党は創価学会の 痛くない所を選んで突いてきていました。

    日本共産党と創価学会の最上層部は手を結んでいたのです。

    (創価学会男子部は見抜いていました)

    末端は血みどろの闘いをしてましたが。

    日本共産党と創価学会はお互い、痛くない所を突き合ってプロレス(喧嘩するフリ)をしていた。(創価学会男子部は見抜いていました)

    創価学会(公明党)は3代会長まで極右であり、自民党右派(安倍首相、私はファンですが)との現在の協力体制は予定されていたことと思われます。

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    創価学会3代まで極右であることは以前のブログ(公開停止中? 

    https://ameblo.jp/momoko-006/entry-12657658056.html )に載せています。

    自民党の右派と公明党(極右)が連立することはずっと以前からの既定路線であったようです。

    公明党は「中道(右派でも左派でもない)」と創価学会員には言っていましたが、元から極右でした。

    これを知っていたのは創価学会中央だけで、末端は何も知らなかった。

    他にも、これ(創価学会と日本共産党の偽装敵対)を証明する点が幾つかあるが、書くのは憚られる。

  • 三船小仏
    Posted at 13:47h, 22 4月

    日本共産党は実に不思議な団体であり、日本共産党最高の理論家と言われていた東京大学出身の00氏はスパイとの噂が絶えず、結局、ナンバー1に成ることは出来なかった。ナンバー3ぐらいに留まった。そして、ソビエト崩壊の時、ソビエト共産党のスパイであるという書類が発見された。噂は本当だったのである。

    私は創価学会と日本共産党は末端では激しく骨肉の争いを繰り広げていたが、中央では結託していたことは間違いないと推測する。その一つの理由として日本共産党は国会で「これが創価学会だーーー元学会幹部たちの告白:植村左内」の出版阻害事件を全く言及せず、数年後に全く痛くも痒くもない内容である藤原弘達氏の本の出版妨害事件を国会で問題にしている。これは創価学会最上層部と日本共産党最上層部は結託していたと推測するより他に説明できないことである。

     また、「これが創価学会だーーー元学会幹部たちの告白:植村左内」は退転(退会のこと。しかし、当時は退会の規則は無かった。当時は一度、創価学会に入会したならば 名簿に永久に残っていた )した創価学会幹部達を集めて議論をさせ、その議論が詳細に記されてあったが、日本共産党はこの本の宣伝は1回も行っていない。出版は1回目も2回目も日本共産党系列でない小さな出版社からである。

     

     結局、「これが創価学会だーーー元学会幹部たちの告白:植村左内」は昭和45年の言論問題で揺れていた頃、隠れるようにして小さな出版社(あゆみ出版)から出版され、現在、それが入手可能である。私もその2回目(昭和45年)の出版のものを持っている。1回目(昭和42年)の出版のものは非常な高値が付いている。ほとんどが焚書にされ、残ったものは非常に貴重であるからだ。

     一回目(昭和42年)の10万冊以上は日本大学グラウンドで焚書になったが、当時の日本大学学長が創価学会のシンパであったからだ。10万冊以上を燃やし尽くすのには一昼夜以上掛かったと言われる。そのとき、夜、忍び込んで焚かれるはずの本を盗み出されたものが現在、高値で取引されている。その真夜中の盗み出しは当時の日本大学学生のアルバイトで行われたと言われる。そのアルバイトを指示した人物は右翼とも左翼とも言われ一定しない。当時、すでに右翼と左翼の超大物同士は結託していたと言われる。

     

  • 三船小仏
    Posted at 13:51h, 22 4月

    公開停止にばかり成るもの

    (↓三船小仏さんのDVDから、ビックリ、ビックリが出てきました。コピーします。分かりにくいと思い、少し手を入れました)

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    リチャード・コシミズ氏はユダヤ陰謀論者の振りをしたある陰謀論者なのである

    尾崎豊(親は創価学会、自身も創価学会員)の死を覚醒剤中毒へと“誤誘導”しようとするリチャード・コシミズ氏

    尾崎豊は覚醒剤中毒で死んだのではない。
    しかし、リチャード・コシミズ氏は尾崎豊は覚醒剤中毒で死んだとYoutube で誤誘導しようとしている。

    ベンジャミン・フルフォード氏との対談を見ると良い。これが陰謀論者である。

    “誤誘導”ーーーーこれが陰謀論者の仕事であり使命である。

    リチャード・コシミズが何処の陰謀論者であるか、これで分かるであろう。

    リチャード・コシミズ氏=日本の体制派(中国共産党との噂は間違い。中国の悪口を決して言わないのは親中国である創価学会員だからだ)

    尾崎豊は離婚で拗れており。多くの若者の心を掴んでいた尾崎豊から反乱(創価学会を悪く言うこと。尾崎豊は熱情的な性格でした。熱情的に創価学会を叩いたことは確実です)。

    尾崎豊はある宗教団体を批判しており、未だにその宗教団体の熱心な信者であった婦人と激しい諍いを起こしていた。

    それ故の離婚騒ぎであった。
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    「輿水 公明党議員」で検索されると分かる。リチャード・コシミズ氏と同じ町(町全体が全て輿水という姓であることから部落と呼んだ方が適切であろう)出身で、同じ青山大学出身。4歳違い。

    さゆふらっと氏の動画で見たときは、総務省の長をされていた。すなわち国会議員である。

    さゆふらっと氏のyoutube にこれを解説した部分が有るが、動画は消されているかな?

    顔は瓜二つ。

    リチャード・コシミズ氏は「家の宗教は“日蓮宗身延派”」とYoutube で言っているが、“日蓮宗身延派”という単語は創価学会員が造った単語である(創価学会員以外は使わない)。

    “日蓮宗”と“日蓮宗”本元である誇りから信者は言う。決して“日蓮宗身延派”とは“日蓮宗”の信者は言わない。“日蓮宗身延派”という単語を使うのは創価学会員のみである。

    もし、“日蓮宗身延派”という単語を使うと、それで創価学会員ということが判明してしまうほどでした。決して他の人は“日蓮宗身延派”という単語は使いません。

    もしも、“日蓮宗”の人に“日蓮宗身延派”という単語を使うと「言い直せ」と怒られるほどでした。

    つまりリチャード・コシミズ氏は創価学会員である。近い親族が公明党国会議員になっているということは一族は熱烈な創価学会の信者で固められているということである。にほんブログ村 哲学・思想ブログ 創価学会 批判・告発へ

    公明党国会議員になるには弁護士または医師であるならば成りやすい。しかし、弁護士でも医師でも無い人が公明党国会議員になったということは一族全部が一人の反逆者もなく超熱烈な創価学会員ということになる。

    リチャード・コシミズ氏は創価学会を酷く貶すため、ある創価学会員が数千人の署名を集めて創価学会本部に「リチャード・コシミズ氏を訴えろ!」と訴えに行ったが、追い返された。

    また、コシミズ氏の主張する保険金殺人事件は存在しない(創価学会の医者なら直ぐ分かる)。これは本丸から目を逸らさせるための誤誘導である。本丸は東村山女性市議ビル飛び降り殺人事件と伊丹十三映画監督殺人事件である。

    すなわち、リチャード・コシミズ氏はユダヤ陰謀論者の振りをしたある陰謀論者なのである。

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    池田大作の本当の師匠・須山秀吉氏が、非常に熱心な親中国であった。

    (須山秀吉氏は東大卒で右翼の最高頭脳と言われていた人です。須山秀吉氏は熱心なキリスト教徒だったため自殺することが許されず、愛宕山事件の唯一の生き残りになったのです(wiki は書き換えられてあります。真実は本に書かれてあります)。

    須山秀吉氏が、何故か、熱心な親中国だったのです。これは満州事変で有名な日蓮宗身延派の熱心な信者だった石原莞爾氏が大東亜圏での発展を考えていたことに酷似します)

    終戦時に起こった大事件(国家内乱罪)を起こした犯人たちの唯一の生き残りが「須山秀吉」です。

    >> この事件で、天皇の玉音放送がなされた8月15日、徹底抗戦派の陸軍の策謀は、阿南陸相の自決によって回避された。 だが、降伏に抵抗する一部の右翼と軍人は東京の港区の愛宕山に立て籠もり徹底抗戦を叫んだ。 指導者は右翼の尊壌同士会の「摺建富士夫」であり拳銃や日本刀・手榴弾で武装してクーデターの発生を期待したが 、警官隊に包囲され、0000氏の説得も失敗に終わり、警官隊の一斉攻撃のまえに、 全員輪になって手榴弾を使用し爆死した。<<
     11人のうち生き残ったのが「須山秀吉」ただ一人だったのです。

  • 三船小仏
    Posted at 13:53h, 22 4月

    (↓三船小仏さんのDVDから、また、ビックリ、ビックリが出てきました。コピーします)



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    日本共産党は不満分子の吸引剤

    (内容は難解と思います)
    前回に「創価学会と日本共産党の偽装敵対」を書きました。

    これは今(3月中旬)、日本共産党が自民党を攻撃していることも、全く痛くない所を突いていることからも理解できると思います。

    日本共産党は発足当時は物凄く純粋だったはずです。
    それが、どうして、こうなったか?
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    創価学会では昭和60年頃、「日本共産党はCIAから金を貰っている」と言われていました。
    インターネットの無い時代です。
    誰かが言い始めて、本当のこととして流れ始めたのか、本当だったのか、調べようがありません。
    しかし、それが本当なら話の辻褄が合います。

    日本共産党は創価学会の核心を突くことが、それ故に出来ないのです。

    日本共産党は政党助成金を貰っていませんが、これは末端を欺くためのものです。

    日本共産党の中央はCIAなどから金を貰い、金銭に潤沢だったのです。

    (今、トランプ革命でCIAが実質無くなったし、アメリカは既に10年前には破産寸前でしたのでCIAは日本共産党に助成金を送ることは不可能だったはずです)

    日本共産党があれほど共産主義の裏切りと批判していた中国共産党を今は全く悪く言わなくなったのは、その為でしょう。(今は中国共産党は共産主義では無くなっているはずです)トランプ革命より以前から、日本共産党は中国共産党から潤沢に金を貰っていたと思われます。それは10年前以上と推測されます。

    >内務大臣の後藤新平は、縁戚の佐野学や長州上士の家系である野坂参三を日本共産党に送り込むことで日本の共産主義運動に対処しようとしたのではないか(堀杉作説)。

    「野坂参三が長州上士の家系で、後藤新平が彼を日本共産党に送り込むことで日本の共産主義運動に対処しようとしたのではないか。野坂が日本担当で畑中が朝鮮半島担当(堀杉作説)」に驚き! 

    そういえば、日本共産党元委員長の宮本顕治も山口・田布施出身であり、そうすると、戦後の日本共産党も「革命を買い、コントロールする」という役目を与えられている、所謂「自民党と日本共産党のプロレスごっこ」が、アメリカ・ソ連・中共を欺く戦後日本の政治実態だった。

    ……私も宮本顕治が山口・田布施出身であることを不審に思っていました。

    宮本顕治は東大在学中、「敗北の文学」(芥川龍之介の文学を敗北の文学と結論した)という論文で東大の賞を取りましたが、内容は読んでみると全く陳腐なものでした。

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    これもマッチポンプ(宮本顕治を日本共産党で重要な地位に就けるためのもの)だったのです。

    太平洋戦争終了時、釈放になった政治犯の中に徳田球一の姿を見たとき、アメリカ軍トップは最敬礼をしたと言われます。アメリカ軍トップは宮本顕治はスパイであることを知っていたため、全く敬意を表さなかったと言われます。youtube にその証言ビデオがあるはずです。創価学会男子部はそこまで読んでいました。

    ……そして日本共産党と中国共産党は30年前は激しく対立していました。中国共産党を共産主義の裏切りと日本共産党は激しく叩いていたのです。少なくとも末端は。

    今はそれが無いようなのです、不思議です。

    知性派と言われる日本共産党の皆さん、創価学会男子部はこれらをちゃんと見抜いていたのです。

    ……このように多く(例外もある)の団体は末端は非常に純粋ですが、トップは腐り果てています。

    日本共産党と創価学会の喧嘩は末端は本気の血みどろの喧嘩でしたが、トップはお互い痛くない所を突き有ってプロレスしていました。

    日本共産党は実に不思議な団体であり、日本共産党最高の理論家と言われていた東京大学出身の00氏はスパイとの噂が絶えず、結局、ナンバー1に成ることは出来なかった。ナンバー3ぐらいに留まった。

    そして、ソビエト崩壊の時、ソビエト共産党のスパイであるという書類が発見された。噂は本当だったのである。

    私は創価学会と日本共産党は末端では激しく骨肉の争いを繰り広げていたが、中央では結託していたことは間違いないと推測する。その一つの理由として日本共産党は国会で「これが創価学会だーーー元学会幹部たちの告白:植村左内」の出版阻害事件を全く言及せず、数年後に全く痛くも痒くもない内容である藤原弘達氏の本の出版妨害事件を国会で問題にしている。これは創価学会最上層部と日本共産党最上層部は結託していたと推測するより他に説明できないことである。
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     また、「これが創価学会だーーー元学会幹部たちの告白:植村左内」は退転(退会のこと。しかし、当時は退会の規則は無かった。当時は一度、創価学会に入会したならば 名簿に永久に残っていた )した創価学会幹部達を集めて議論をさせ、その議論が詳細に記されてあったが、日本共産党はこの本の宣伝は1回も行っていない。出版は1回目も2回目も日本共産党系列でない小さな出版社からである。
     
     結局、「これが創価学会だーーー元学会幹部たちの告白:植村左内」は昭和45年の言論問題で揺れていた頃、隠れるようにして小さな出版社(あゆみ出版)から出版され、現在、それが入手可能である。私もその2回目(昭和45年)の出版のものを持っている。1回目(昭和42年)の出版のものは非常な高値が付いている。ほとんどが焚書にされ、残ったものは非常に貴重であるからだ。
    第1版のには00000000が書かれてあったと推測する。

     一回目(昭和42年)の10万冊以上は日本大学グラウンドで焚書になったが、当時の日本大学学長が創価学会のシンパであったからだ。10万冊以上を燃やし尽くすのには一昼夜以上掛かったと言われる。そのとき、夜、忍び込んで焚かれるはずの本を盗み出されたものが現在、非常な高値で取引されている。その真夜中の盗み出しは当時の日本大学学生のアルバイトで行われたと言われる。そのアルバイトを指示した人物は右翼とも左翼とも言われ一定しない。当時、すでに右翼と左翼の超大物同士は結託していたと言われる。

    ……昭和45年の言論問題の時の本「創価学会を斬る」のアマゾンのレビューに「創価学会は00000はするな」というのがありますが、00000は書かれてありません。全く痛くも痒くもない宗教を知らない大学教授が書かれた本です。

     
    
そして、日本共産党は以下のことは常識として知っているはずですが、国会で全く突いてきません(「赤旗」に書けば良いのに。前回の「日本共産党と創価学会の偽装敵対」に書いてあります)。
    ……
    ……
    ……
    ……
    中国のスパイ。  売国政党。  中国共産党と繋がる日本共産党。

  • 三船小仏
    Posted at 13:55h, 22 4月

    日蓮の教えを用いないと、他国しんぴつ難(外国が攻め入る)が起こると日蓮は予言しています (幕府の権力者に直接、言っている) 。

    これは以前から強く有った事実です。創価学会員なら誰もが一度は聞いたことがあるはずです。

    証明する資料が有るのか疑わしいのです。

    ずっと昔からの噂なのかも知れません。

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    北条氏に一族を皆殺しにされた比企氏の生き残りが北条氏に復讐したいが為に、貿易で交流があった高麗に頼み、高麗に日本侵略を促されたのです。

    日蓮の弟子に比企氏の残党がいました。

    つまり日蓮のは、予言では無く全てお得意のマッチポンプです。

    日蓮と比企一族の残党とアンチ北条得宗家の共同作戦です。

    蒙古襲来の戦力は全て高麗です。

    蒙古では無く、高麗襲来が正しいのです。

    蒙古は恐らく、全く何も知らなかったと思われます。

    高麗が勝手に攻め込んできただけです。

    「蒙古からの使者の斬首」は日本国民を恐怖に陥らせるため幕府が作った 情報操作 です。

    (幕府は比企氏の生き残りにより造られた高麗襲来を逆手に取り、蒙古襲来に造り上げ、不都合な武士達を処分しようと考えていたと思われます。殺させるはずだった武士が功績を立て、生き残り、領地の配当などに幕府はかなり困っています)

    闘い(蒙古襲来)の情報に多くの矛盾がある。

    蒙古襲来は幕府が造った、でっち上げです。

    日本と韓国はお隣さんで有ったため、昔から戦争を多くしてきたと言うことです。

    歴史とはこのように簡単に書き換えられると言うことです。

    蒙古の人は泳げないはずです。

    船に乗ったことの無い蒙古の人は船酔いは物凄く激しかったはず。

    それが乗ったことの無い船に乗って攻めてくることは有り得ません。

    船に乗ることさえ恐怖だったでしょう。

    蒙古は騎馬戦が 物凄く強いことで怖れられていました。

    つまり、蒙古は、馬から降りたら強くなく普通だったのです。

    エジプト・ベトナム(馬では無理)は攻略できなかった。

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    youtube には蒙古の軍勢も混じっていたとなっていますが、間違いです。

    蒙古は何故か、一貫して非常に親日本でした(島国を攻略することは不可能と分かっていたからか?それよりも、やはり源義経………….源義経には日本に恨みは持ってなく、 強い愛郷の念しか無かったと想像されます ..)。

    そして高麗は日本の武士に強さに恐れを抱き、このままでは全員殺されると、一夜にして突然帰ってしまったのです。

    日本の武士がこれほど強いとは、幕府には想定外だったでしょう。幕府に不都合な武士を最前線に出し、殺させる予定が、逆に、大功績を立てたのですから。

    >元寇の島、壱岐では、2千人程住んでいた島民は2桁になるまで殺され戦利品として200人の子供たちが連れ去られ高麗の朝廷に献上された。<

    (元の朝廷では無く、高麗の朝廷となってます)

    対馬では更に多い数のはずです。

    高麗(韓国)は日本に謝罪しなければ成りません。

    日蓮は蒙古襲来での対馬・壱岐での残虐行為を細かに記載していますが(後世の偽書か?)、

    蒙古では無く高麗と言うことを知っていたはずです。
    (弟子の比企氏の残党より聞き知っていたのですから、高麗ということを日蓮は知っていたはずです)

    (日蓮は対馬・壱岐での残虐行為を細かに記載していますが、何も知らない後世の信者が造り上げた後世の偽書で間違いないと思われます)

    富士派の日蓮が書いたとされる書の多く(80%)は後世の作り物であることは常識です。

    フビライが日本人だったという説は、頷かれるものと思われます。蒙古から親善の使者は来た、これは本当で間違いないと思われます。

    しかし、7人とも斬首は造られた歴史 で間違いありません。 親善の使者、ですから。

    親善の贈り物と文書を持たせて、そのまま返したと思われます。

    にほんブログ村 哲学・思想ブログ 創価学会 批判・告発へ

    蒙古襲来の危機を煽り、高麗襲来の時に幕府に不都合な武士を最前線に出して殺させる幕府の策謀(情報操作)だったのです。

    >北条時宗はわざと九州には高麗の侵略を知らせずに、被害を受けさせた。この手法はのちの日米戦争の真珠湾攻撃において米大統領のフランクリン・ルーズベルトも使っていた

    比企氏  蒙古襲来

    で検索すると出て来ます。

  • 三船小仏
    Posted at 14:01h, 22 4月

    日本の共産党は戦後の暫くはアメリカ共産党からカネを貰って居ました。
    日本に居た進駐軍にはアメリカ共産党員が多数居たのです。

    これが後のマッカーシーの赤狩に繋がります。

    戦前も戦後も日本の共産党は外国からカネを貰って成り立って居たのです。

  • 三船小仏
    Posted at 14:36h, 22 4月

    創価学会は30年前には既に大手の生命保険会社の支払い部門は乗っ取っていました。

    医者の場合は、私のように途中で池田大作は可笑しいと思って、信仰を辞めるのが多いです。

    しかし、弁護士の場合は、3時間の唱題(経典も含めると3時間40分)を続けて、昔の超難関の弁護士試験に合格したのが多く、辞めるのは居ない(非常に少ない)ようです。

  • 三船小仏
    Posted at 14:57h, 22 4月

    たしかに女医の場合は、信仰を続ける(たしかに女医は続けています)ようで、乗っ取り可能かも知れないです。

    「男性は、私のように40歳頃(30歳頃も多い感じ)で、創価学会の信仰を辞めてしまう」(燃え尽きのような感じも多いです)のが多いです。

    私は怒りで批判ばかりしていますが。批判も、少し休みます。それで情報提供です。

    かわたさんに惚れているから。それで情報提供です。

    創価学会は婦人部で持っています(女性は信仰が頑な)。男性は信仰心が非常に弱い。
    反逆者(創価学会批判本は全て男性)は全て男性です。

  • 三船小仏
    Posted at 15:03h, 22 4月

    >診療小話126 幸福と前提条件 創価学会 医局で日本乗っ取り 東京女子医大 吹石一恵 梅本美土里

    https://gamp.ameblo.jp/supereagles2002/entry-11940608172.html?__twitter_impression=true

    本当に乗っ取りですね。女性は信仰心が強いのですね。

  • 三船小仏
    Posted at 15:37h, 22 4月

    私はヤフー知恵袋宗教カテに創価学会麻薬マネーロンダリングを非常に詳細に書いてあったものを見付け、日本共産党に連絡したら、2日後、ヤフー知恵袋から消えてました。

    トップは手を握っているのです。

    カワタさんのファンで情報提供です。

  • 三船小仏
    Posted at 15:56h, 22 4月

    パナマ問題
    を英語で検索すると、創価学会の資産は100兆円を超えていました。
    日本語では少ししか出てきません。
    創価学会麻薬マネーロンダリング
    も英語で検索では物凄く量が出てきます。

    これで死んだことにすると、相続税が支払いきれなくて、………….とも思えます。

    たしかに池田大作氏の死イクオール創価学会衰退ですが。

  • 三船小仏
    Posted at 16:22h, 22 4月

    kawataさんが、もっともっとyoutube に載せてくれると良いのですが。

    もう全部、2回3回は聞きました。

    kawataさんので無いと、聞く気が起こらない。

  • 三船小仏
    Posted at 16:48h, 22 4月

    【研究と報告】
     S会に多発する精神障害の考察*

                                **

    【抄録】
     日本最大の宗教団体·S会には昭和30年代の折伏大行進の頃、祈祷性精神障害に分類されると思われるが、躁状態を呈した急性精神病状態が多発し、緊急入院となる会員が非常に多かった。折伏大行進は昭和45年の言論問題で中止となったが、それ以降もS会には様々な精神障害が多発していることは精神科医の間では常識である。これもお祈り(勤行唱題)を熱烈に長時間するためであり、祈祷性精神障害に分類される。
     平成5年以前は「力を込めて、熱烈にしなければいけない。長時間すること」とお祈り(勤行唱題)の指導が常識的に為されてきた。

    【key words】Prayer mental disorder, acute psychotic state, souka-gakkai,

    【はじめに】
     平成5年にS会が派生した元々の宗教団体であるN宗からの独立と時を同じくして、その「力を込めて、熱烈にしなければいけない」とお祈り(勤行唱題)の指導が為されなくなった。
     その頃、時を同じくして、S会員にうつ病性障害が異常多発していることが認識され、S会中央より「勤行唱題を熱烈にすること、および長時間すること、を強制する指導をしてはいけない」という通達が為されたと筆者は聞く。
     

    【症例】
    (症例1)
     女性。平成7年頃、三十歳のとき、会社の上司から勧められて入会した。夫の反対より御本尊を家に安置することができず上司の家に毎日通って勤行唱題を真面目に行っていたところ胸騒ぎがして落ち着かなくて困るようになる。勤行唱題を中止したらその胸騒ぎは止むことを提言するも頑として反対する。勤行唱題を開始して3ヶ月が経過していた。
     抗不安薬に依る治療が開始された。始めこそ奏功したが薬の量は次第に増加し、やがて抗不安薬のみでは抑えることができなくなり、抗精神病薬を必要とするようになる。幻聴·幻覚は否定する。精神不穏激しく、抗不安薬(ベンゾジアゼピン系抗不安薬)にてはその精神不穏を抑えることが出来ない。
     頭部CT上、特記すべき所見は認められない。
     
    (症例2) 
     御本尊を持って他患を叩くこの病院一の問題患者。この御本尊は平成五年から配られた“魔”の御本尊である。婦人部地区部長をしていたが十数年前にこういう状態になった。精神障害の家族歴がない(血縁に精神障害を患ったことのある者が居ない)。
     どのような抗精神病薬も効かず、保護室への入退出を繰り返している。精神障害の薬物療法が発達してきた現在、どのような抗精神病薬も効かないという患者は珍しい。頭部MRI上、特記すべき所見は認められない。
     性格は激しい。暴力行為を行っても反省することはない。表情は常に険しく精神療法の受け答えも反抗的である。(ここまでは3ヶ月ほど前の状態。現在は受け答えにほとんど反応しない完全な痴呆状態に陥っている)
     現在、53歳であるが、精神荒廃が激しく、痴呆症状が大きく前景に現れるようになり、ベットに抑制状態が続いている。
     
    (症例3) 
     小学四年生の少女であるが霊の姿が見えると言う。その霊の姿は極めて恐ろしく、少女はその霊の姿が見えるたび「怖い!、怖い!」と言って激しく泣き叫ぶ。幻聴を訴える患者は多いが幻視を訴える患者は多くはないこと、まだ小学四年生であること、それも「怖い!、怖い!」と言って激しく泣き叫ぶほどであることは極めて珍しいことであるため大学病院にて入院治療を受けていた。どのような抗精神病薬も余り効果が見られない。頭部CT上、特記すべき所見は認められない。
     一族全員、熱烈なS会員。親は恐怖に泣きすがる娘を抱いて懸命に唱題するのみである。
     
    (症例4)  
     四十七歳、女性。二十歳の頃、東京にI氏に会いに行ったら「君はいいんだ、君はいいんだ」と無視されたと言っては泣き崩れる。東京で行われた女子部の幹部会だったらしい。診察のたびに「君はいいんだ、君はいいんだ」と無視されたと言っては泣き崩れる。個人的に東京にI氏に会いに行ったものとも推測される。詳細は不明。
     病状は不安定である。抗精神病薬への反応が悪い。高校生の頃、題目を上げすぎて統合失調症になったと言う。
     会話に人の良さ、人があまりにも良すぎること、心が純粋すぎること、が伺われた。また、人を疑うことは全くしないように思われた。その心の美しさと純粋さに筆者は感動を覚えたほどであった。
     毎日、朝夕、決まった時間に勤行唱題を行っている。S新聞を毎日熱心に読んでいる。頭部CT上、特記すべき所見は認められない。
     
    (症例5)  
     社会人になって職場の上司から折伏されS会の信仰を始める。信仰を始めてしばらく経ったとき、幻聴が聞こえるようになる。奇行、異常言動、暴力行為が出現。精神科受診。統合失調症と診断される。昭和44年発症。
     3年間、通院治療を受ける。その間、「病気が治らないじゃないか!」と御本尊に御不敬(注;破ったり汚したりすること)をしたと言い、その罪悪感に現在も苦しんでいる。
     暴力行為と仕事を続けられないため、入院となる。入院して30年以上経過している。毎日、朝夕、決まった時間に勤行唱題を行っている。「S新聞は要らない、I氏の講演集が欲しい」と言う。題目を一日何時間も上げることが多い。S新聞を毎日熱心に読んでいる。面会はない。頭部CT上、特記すべき所見は認められない。
     
    (症例6)   
     男性。発病は漁船に乗り始めてしばらく経った頃と推測される。漁船の中で題目を上げすぎて統合失調症を発症したと言う。
     発病はその地方に始めてS会が布教されたときであった。昭和30年代のことになる。
     精神病院入院となったが、ある日、土木作業のとき、日頃から快く思っていなかった看護師を背後から鉄の棒で頭を強打する。打たれた看護師は頭蓋骨骨折、脳内出血で半身不随となった。この患者には「0000(患者の名前)、わっしょい、わっしょい(頑張れ、という意味)」という幻聴がよく聞こえてくる。部屋に御本尊は安置しているが、勤行は同室者から「喧しいからするな!」と言われ、題目三唱しか行ってない。
     入院して40年が経過している。面会はない。S新聞を毎日熱心に読んでいる。頭部CT上、特記すべき所見は認められない。
     
    (症例7)   
     男性。隔離室への入退出を頻繁に繰り返している。高校時代、題目を挙げすぎて統合失調症になったと言う。この患者も「0000(患者の名前)、わっしょい、わっしょい」という幻聴が激しい。御本尊を所持しているが、しかし、安置はしていない。安置する能力が失われている。隔離室に入っていることが多く、勤行唱題はほとんどしていない。一日中、何をすることもなくボンヤリしている。入院は35年に及ぶ。家族の面会はない。時折、暴力をふるい、隔離室へ入らせられる。暴力をふるうときは頭が真っ白になって何が何か解らなくなると言う。どのような抗精神病薬もあまり効かない。
     器質性精神障害を考えられるも頭部MRI上、特記すべき所見は認められない。
     現在は、荒廃状態激しく、会話はほとんど成り立たない。家族の面会はない。S新聞を取っているも全く読んでいない。
     
    (症例8)  
     男性。小学生時代から統合失調症と診断されていた。小学生時代からS会の熱烈な信者。
     小学六年生の頃にはある日曜日、キリスト教会に宗教問答を挑みに行ったことがある。統合失調症のため幼い頃から一所懸命にS会の信仰をしてきた。高校時代は毎日三時間、題目を上げて乗り切ったと言う。題目を一日三時間上げていた高校生の頃は学級委員長にも選ばれたと言う。
     ケーキ屋のケーキ職人をしてきたが失敗が多く、ケーキ屋の肉体労働の方に回される。ここで腰を痛め、就労困難になる。それでも腰の痛さに耐えながら重い小麦粉の入った袋を運んでいた。信仰の熱心さは不変でN宗との第二次戦争(平成2年末に始まる)の時は軽トラックに乗り、メガホンで「くそ坊主、死んじまえ! くそ坊主、死んじまえ!」と叫び回っていた。入院することはほとんどなく、通院治療を行っている。幻聴の内容は不明。S会員からは「I氏に批判的だったため、あんな病気になった」と陰口を言われている。しかし、彼は幼い頃からI氏を神様とも崇めるほどI氏一筋の熱心な、そして狂信的な信者である。
     
    (症例9)   
     男性。大学卒業の22歳時発症の統合失調症。しかし六年間、社会不安障害(対人恐怖症)として治療されてきた。対人緊張が非常に強く、人混みに出て行くことも極めて憚れていた。その六年間、ほとんど閉じ籠もりを続けてきた。発症6年後、「向かいの家から自分の頭に電波が飛んでくる。その家に抗議に行きたい」と病院に電話が掛かる。この時点で統合失調症と診断が付く。
     性格は非常に温厚で、人の悪口を言うことは決して無い。非常なお人好しである。
     家族親族に精神疾患の家族歴は全くない。何故、彼が統合失調症に罹患したのか判断が付きかねた。
     母親は余り熱心でない婦人部員。父親は非S会員。しかし、祖父が何十年も前(おそらく昭和三十年代であろう)から一日三時間の題目を欠かさないという非常に剛信なS会員。
     
    (症例10)   
     女性。30歳発症の統合失調症。母が幼い頃に亡くなり、父親と姉と三人で暮らしてきた。小さい頃から知恵遅れと心臓の病気があり、父親が「その病気が治るなら」と一家三人全員でS会に入会した。初めは父親も熱心に信仰に励んだ。折伏も行った。数年間、非常に熱心に学会活動に打ち込んだ。しかし、娘の病気は治らなかった。父親は信仰を中止する。
     勤行唱題するのは知恵遅れと心臓の病気を持っている妹の方だけで、姉も父親も勤行唱題はしなかった。平成七年、父親はS会幹部と激しい諍いを起こし、S会を一家全員で脱会する。妹の方はそれでも勤行唱題を朝晩欠かさずに続ける。父親は信仰をする気は全くなく、H講に入講することは行わなかった。すなわち、どの宗教団体にも属さずに、家にはS会の仏壇と御本尊がある状況だった。それは娘(妹)が御本尊から離れたくないと主張するからであった。
     妹だけが朝晩、大きな声で勤行唱題を続けていた。平成五年に御本尊はS会が勝手に造った御本尊に替わっていた。
     平成八年、勤行唱題を熱心に行っていた妹が統合失調症を発症する。入院後も、大きな声で朝夕、勤行唱題を行っている。大きな声で勤行唱題をすると周囲に迷惑が掛かると注意するも、知恵遅れな処があるため、なかなか小さな声で勤行唱題をするようにならなかったが、次第に小さな声で勤行唱題を行うようになった。
     心は極めて純粋で美しく、人を悪く思うことが出来ない。
     
    【考察】
     これらの精神障害に苦しんでいるS会員の数は極めて多く、それは全てI氏がS会に呼び込んだ悪鬼の大集団のためと批判されている。
     以前「折伏教典」という本があり、草創期の会員はそれを片手に折伏に回っていた。その中に「身延派は精神異常者が多発する」という記載があった。しかし現在、S会にそれが起こっている。現在、「折伏教典」は手に入らない。S会はI氏の時代になり見延派と同じになったことになる。
    「パニック障害」「社会恐怖(対人恐怖)」「強迫性障害」「パーソナリティ障害」など他の精神障害は昔も現在も変わりなくS会に非常に多発している。そしてそれは「新入会者よりも古くからの強信なS会員の家に多く起こっている」のである。S会の幹部の家は学会活動で子供の教育に手が回らず自然と子供は非行化するという意見があるが、それは不十分な説明である。I氏が招き込んだ無数の悪鬼が暗躍していることを考慮しないことには説明が付かない。
     たしかにS会の幹部の子供は余りにも高い確率で非行化している。同時に余りにも高い確率で「パニック障害」「社会恐怖(対人恐怖)」「強迫性障害」「境界例」などの精神障害に罹患している。I氏がS会に呼び込んだ悪鬼の大集団のためである。また、それはN宗(N宗)を蔑ろにしたI氏の醜い欲望にある。
     そして東京のS会本部には毎週、精神科医が来ている。S会本部職員およびその家族にうつ病性障害などの精神障害が異常多発しているからである。13)
     S会本部の職員数は多い。おそらく周囲のS新聞社などからも患者が来ていると思われる。S会本部に精神科クリニックがあることと同じである。薬は処方せずカウンセリングだけのようである。薬を処方するならばクリニック開設の手続きをしなければならない。精神科クリニック開設の手続きはS会の体面上、行えない。薬の処方が必要ならば近くのS会専門の精神科クリニックに行けば良い。
     S会専門の精神科クリニックで賄えないほどS会の精神障害多発は深刻な状況である。筆者が真面目にS会の信仰を行っていたときは異常な多発でうつ病性障害で苦しんでいるS会員の半分どころか四分の一、それどころか十分の一も家庭指導に回れなかった。N宗H講では少なくとも筆者が知る範囲では精神障害が起こった例を知らない。やはりS会(I氏)の謗法に由来する精神障害の多発らしい。 
    「統合失調症は入会させるな!」「精神疾患は入会させるな!」「S会に傷が付く!」「我々、S会は選ばれたエリートの団体です」と20年以上前ある大きな会合でI氏が偉そうに言い放っている。
     これは宮崎勤の事件で世間が騒然となっていたときのことと記憶する。宮崎勤は3人の精神鑑定医から「パーソナリティ障害」「統合失調症」「多重人格障害」と異なる結果が出ている。宮崎勤は友人から誘われS会に入会しようとしていたと言われる。
     同時放送だったか、何年前だったか、記憶が定かでない。何かの大きな会合の放送であった。会合が終わったとき創価班で「今の話、聞いたか?」とみんなで訝しがったことを覚えている。S新聞では、すべて削除されていた。筆者は創価班の仕事をしながら聞いていた。
     その言葉を聞いたとき「これが不幸な人を救う仏の団体か? そしてそのトップが言う言葉か!」と激しく煩悶した記憶がある。I氏もそれらが「新入会者よりも古くからの強信なS会員に多く起こっている」という認識が少なくとも当時は無かったと推測される。
     それ以来、統合失調症の患者は原則として入会できず会友に留まることになった。「何十回、座談会に参加しても自分から進んで会合に何十回参加しても会友止まり」ということであった。「御本尊は絶対に渡されない」ということであった。しかし、これはその担当地区の壮年部本部長の主観に依るものになっているようだ。その他の精神障害の患者は入会できるようだ。しかしこれにも地域差——壮年部本部長の主観——がかなりあるようである。
     同じ創価班の友人が統合失調症である知人を入会寸前まで世話してきていた。しかしその創価班の友人もI氏が言い放った同じことを聞き非常に悔しがったことを昨日のことのように思い出す。その統合失調症である知人は十何回も会合に自ら進んで参加していたのである。勤行唱題も行っていた。しかし会友止まりで入会は許されなかった。御本尊授与も許されなかった。いつも御本尊のない仏壇で勤行唱題を行っていた。会友止まりであった。現在は行方不明になっている。のたれ死にしたか何処かで浮浪者になっていると思われる。
     あんな滅茶苦茶な指導がなかったらと友人は今でも非常に悔しがっている。彼の属する壮年部本部長は、御本尊を与えること、および入会させることを頑なに拒んでいた。心の狭い頑なな壮年部本部長であった。
     昔からの会員に統合失調症およびその他の精神障害を発症した会員は非常に多い。しかし彼ら彼女らは誰よりも熱心に信仰をしていたのである。あまりにも熱心に信仰をし過ぎたから精神疾患に冒されたのである。それをS会ではその人の信仰がなっていなかったからだと非難している。
     統合失調症およびその他の精神疾患の患者はS会に於いて邪魔でしかないのである。「S会に傷が付く」「我々、S会は選ばれたエリートの団体です」と同時放送でI氏が偉そうな調子で言い放っている。
     また、これも後で聞いたことであるが、I氏が「統合失調症の患者は除名にせよ。学会に傷が付く」とある会合(社長会)で言い放ったそうである。このI氏の放言からは信仰者としての優しさも慈悲も何も感じれない。ただ権力者の横暴と増上慢(自己愛性パーソナリティ障害(Narcissistic Personality Disorder)そして妄想性パーソナリティ障害 (Paranoid Personality Disorder))のみが感じられる。
     精神疾患とくに統合失調症は一般に世間から隠すことが多い。S会では病気になるのは信心が足りないからと言われる。これはS会の邪義である。邪義であることは日蓮大聖人の御書を読めば解る。N宗では決してそういうことは言わない。病気という宿業が出てくるほど熱心に信仰をしたからである。
     S会ではそれ故に病気を隠す傾向が強い。I氏の次男が胃潰瘍の末、胃穿孔で亡くなったことも病気を隠すため懇意なS会員の産婦人科医の病院に入院させていたからである(しかも偽名を使っていた)。そのため大きな病院に搬送するのが遅れた。普通の内科系の病院に入院させていたら手遅れになり死ぬことは間違いなく無かった。胃穿孔で亡くなることは現在ではほとんど無い。
     これらはもちろん極く一部である。S会の信仰をしたために統合失調症になり一生を棒に振った人は数知れない。精神病院にはそういう人が数多く収容されている。これはもちろんS会では秘密にされていることである。一般のS会員は知らない。
     現在、東京に在るS会直属の精神科クリニックで精神障害の治療が盛んに行われているが、これは極く一部のS会員が治療を受けているのみである。当然、患者数が余りにも多過ぎることと、患者が日本中に存在するからである。ここは入院設備はなく外来診療のみである。現在はうつ病性障害が極めて多くなったため患者の大部分はうつ病性障害である。ここは何故か通院一割負担は適用されず、すべて三割負担である。管轄の保険所から圧力が掛かっているものと推定される。
     ここでの治療の指導には特徴がある。それは「勤行唱題の絶対禁止、学会活動の絶対禁止」である。インターネット上でこの指導を見る精神障害の患者たちは、信仰熱心過ぎる故に精神障害になったのであるから、この指導に従わないことが普通である。しかも将来を期待されていた若い幹部が多い。「勤行唱題の禁止、学会活動の禁止」を唱えるということは、その精神科医はS会員に多発している精神障害はS会の信仰に由来することに気付いていた故と思われる。うつ病性障害で苦しむ熱心なある幹部はそれ故と思われるが、その指導を激しく非難していた。その指導を激しく非難するうつ病性障害で苦しむ幹部を幾人も見てきた。無理して勤行唱題する人は何時まで経っても“寛解”しない。
     
     昭和30年代40年代、S会はN宗に属する信徒団体ではあったが、実質上は別組織であったと言って良い。S会は単一の宗教法人としての申請を昭和26年に行っており、管轄する東京都はそれを受理していた。ここに問題がある。N宗に属する信徒団体ならば、そういう申請を行う必要性は全くない。ここが間違っている。
     すでに昭和26年の時点でS会は将来はN宗からの独立することを既に考えていたと考えられる。
     また、S会はN宗とは完全に独自な布教活動を行っており、N宗の寺院に参詣するS会の信徒は極めて少なかった。大多数のS会の信者にとってN宗の寺院は入信のときに入信の儀式を行うことと御本尊を受取るだけの機関に過ぎなかったと言っても過言ではない。N宗の寺院には極力行くな、という暗黙の了承が末端のS会会員にはあった。S会とN宗は、S会がN宗の信徒団体であったとは言えども、常に対立関係にあった。それは戦前からと言っても過言ではない。神札を受け取るか否かについてS会とN宗は意見を異にした。
     戦後、二代会長のときはS会とN宗は比較的良好な関係にあったが、三代会長になってからは始めの頃から激しい対立緊張関係にあった。
     完全に別組織となったのが平成3年のN宗のI氏に対する破門宣告の時である。それ以来、S会とN宗の争いは戦争と言われるほど極めて激しい。
     これらS会員に精神障害が非常に多発している現象はS会にはI氏が招き入れた無数の悪鬼が暗躍しているからであると言わないことには説明が付かない。
     
     
    (余記) 
     N宗(T寺)は私が知っている元県議会議員の統合失調症である娘さんを預かって働かせて(面倒を見て)くれている。この元議員はこのことでN宗に恩を感じH講に入った。S会を脱会しN宗のH講に入ったため公明党の支持を受けられず無党派のまま選挙に臨んだが敗北した。このときS会のこの議員への批難は凄まじかった。女性問題、金銭問題など有りもしないことを本当のようにS会員に流し、宣伝カーを使って激しく批難した。犬畜生のように批難されビラも撒かれた。そして毎日のように学会会館から幹部がこの元議員の家を訪問していた。もはやS会は完全なカルトである。昭和63年頃のことである(当時は、S会とN宗の蜜月時代である。しかし、末端はこのように激しく争っていたことが、これから証明される)。
     この地方には悪い大幹部は居ない(居ないと思う)。それらは中央からの命令で行われたものに違いない。中央からの命令で金銭問題などを巧妙に作り上げ、人身攻撃の材料とした。以前、その元議員とともに、この地方の広宣流布に懸命に戦ってきた大幹部は辛い決断であったと思われる。しかし、中央からの絶対的な命令で仕方がなかったのであろう。
     すでにこの頃、S会はN宗から離脱そして独立することを決めていた。早くN宗がS会を破門するのを待っていたと言って過言ではない。学会の幹部はすでにその頃、お寺を“魔”と言ってお寺に参詣することを会員に手控えるように(または決して行かないように)言っていた。
     統合失調症の娘を持った議員さんが登山したとき、N宗の人に娘のことを相談した。N宗の人は娘さんがS会員に冷たくあしらわれていることに憤慨し、「それではT寺で面倒を見ましょう。少し手伝いをさせたり、みんなと明るく談笑したり、みんなと一緒にいろんなことをさせていたら、娘さんの病気も軽くなってゆくでしょう」と言ってくれた。議員さんはS会の娘への冷たい態度に疑問を感じていたところだった。
     それまでは自分の殻に閉じこもり、家に閉じこもり、幻聴·幻覚に左右され、意思疎通も困難であり、家庭内暴力など暴力沙汰も多かった。自然と抗精神病薬も大量投与となり副作用が強く表れていた。この統合失調症は頑固であった。I氏が招き入れた悪鬼によるものであったから、統合失調症の中でも悪性度が高かった。
     娘さんはT寺で暮らすようになって少しずつであるが笑顔が見られるようになっていった。勤行唱題もみんなで行うようになった。頑固な統合失調症であったが、次第に軽症化の傾向が現れてきている。

    【文献】
    1)某新宗教S教団における信仰と病理:大宮司信:精神医学、21:1078-1084:1979
    2)邪教集団·創価学会:隈部大蔵、室生忠著:月刊ペン社:1975
    3)創価学会の野望:内藤国夫:日新報道:1977
    4)真実の証明:阿部日顕:日新報道:2001
    5)絶望の淵より甦る:原島嵩:日新報道:2007
    6)再び、盗聴教団の解明:山崎正友:日新報道:2005
    7)創価学会と「水滸会記録」:山崎正友:第三書館:2004
    8)創価学会·公明党の犯罪白書:山崎正友:日新報道:2001
    9)法廷に立った池田大作——続「月刊ペン事件」:山崎正友:第三書館:2001
    10)「月刊ペン」事件 埋もれていた真実:山崎正友:第三書館:2001
    11)懺悔の告発:山崎正友:日新報道:1994
    12)池田大作の品格 part2:小多仁伯、小川頼宣:日新報道:2009
    13)池田大作の品格:小多仁伯:日新報道:2007
    14)カルト創価の終焉:福本潤一、小多仁伯:日新報道:2010
    15)創価学会·公明党「カネと品位」:福本潤一:講談社:2008
    16)池田大作·創価学会の脱税を糾弾する:竜年光:日新報道:1994
    17)創価学会からの脱出:羽柴増穂:三一書房:1980
    18)これが創価学会だーーー元学会幹部たちの告白:植村左内:あゆみ出版:1970

  • 三船小仏
    Posted at 16:57h, 22 4月

    何故、創価学会が親中国なのか?


    それは池田大作の氏·須山秀吉氏が親中国であったことに由来します。



    須山秀吉氏は太平洋戦争が終わった8月15日に起こった事件(愛宕山事件)です。

    しかし、このwiki は創価学会により書き換えられています。



    須山秀吉=極右=ユダヤ金融資本 という図式が成り立ちます。
 


    終戦時に起こった大事件(国家内乱罪)を起こした犯人たちの唯一の生き残りが「須山秀吉」です。


    >> この事件で、天皇の玉音放送がなされた8月15日、徹底抗戦派の陸軍の策謀は、阿南陸相の自決によって回避された。 だが、降伏に抵抗する一部の右翼と軍人は東京の港区の愛宕山に立て籠もり徹底抗戦を叫んだ。 指導者は右翼の尊壌同士会の「摺建富士夫」であり拳銃や日本刀·手榴弾で武装してクーデターの発生を期待したが 、警官隊に包囲され、0000氏の説得も失敗に終わり、警官隊の一斉攻撃のまえに、 全員輪になって手榴弾を使用し爆死した。
 

    11人のうち生き残ったのが「須山秀吉」ただ一人だったのです。


    >>この事件です。有名な事件です。何故か「須山秀吉」は結核で亡くなり、結核で亡くなるはずの池田太作が生き残っています。池田太作のその頃の病状を考えると、池田太作が生き残ることは考え難く、本物の池田太作は死んだのではないか? 北朝鮮から来た若者のうち池田太作似が池田太作に入れ替わったのではないか?と考えざるを得ないほどです。
 


    「結核の熱のため熱く、下宿の窓から顔を出して熱を冷まそうとしていた池田太作。耳や鼻からは結核の汁が出ていた」
    ……絶対、死ぬはずの重症です。池田太作が生きている訳がない。


    ……この下宿での様子はもっと詳しく書かれてあるが、書くのが面倒なので書か ない。
「須山秀吉」は池田太作の八歳ほど年上であるだけのはずです。当時、北朝鮮から数千人の若い男性が日本に雪崩れ込んでいたと言われます。
 
 

    池田太作の身を心配した「郷友会」の仲間が池田太作の下宿に訪問したときの様子が綴られているものもあります。面倒なので書きません。
 

    私はそれ故に、本物の池田太作は死に、北朝鮮から来た池田太作似の若者が池田太作に入れ替わったという推論を以前立てたほどです。
 

    これは謎なのです。




    戦争に反対したから牧口常三郎氏などが逮捕されたのではなく、“日蓮正宗”を国教として用いないと日本は必ず戦争(太平洋戦争)に負けると強く主張を繰り返していたため、逮捕に成ったのです。



    決して戦争に反対だった のではなく、むしろ戦争を褒め称えていました。



    牧口常三郎氏は共産主義思想に走った若者を転向させる名人として名高かったのです。
そのため、“日蓮正宗”を国教として用いないと日本は必ず戦争(太平洋戦争)に負けると強く主張を繰り返していたにも拘わらず、なかなか逮捕されなかったのです。



    日本を中国へ売り飛ばす創価学会。
    牧口常三郎氏以下、第3代まで、極右です。

  • 三船小仏
    Posted at 17:05h, 22 4月

      日本を守るのに、右も左もない

    364004 日本を中国へ売り飛ばす創価学会
      匿名希望 21/01/26 PM11 【印刷用へ】

    何故、創価学会が親中国なのか?
    それは池田大作の師・須山秀吉氏が親中国で会ったことに由来します。

    須山秀吉氏といえばは太平洋戦争が終わった8月15日に起こった事件(愛宕山事件)です。しかし、このwiki は創価学会により書き換えられています。

    須山秀吉=極右=ユダヤ金融資本 という図式が成り立ちます。

    終戦時に起こった大事件(国家内乱罪)を起こした犯人たちの唯一の生き残りが「須山秀吉」です。
    >> この事件で、天皇の玉音放送がなされた8月15日、徹底抗戦派の陸軍の策謀は、阿南陸相の自決によって回避された。 だが、降伏に抵抗する一部の右翼と軍人は東京の港区の愛宕山に立て籠もり徹底抗戦を叫んだ。 指導者は右翼の尊壌同士会の「摺建富士夫」であり拳銃や日本刀・手榴弾で武装してクーデターの発生を期待したが 、警官隊に包囲され、0000氏の説得も失敗に終わり、警官隊の一斉攻撃のまえに、 全員輪になって手榴弾を使用し爆死した。
     11人のうち生き残ったのが「須山秀吉」ただ一人だったのです。
    >>この事件です。有名な事件です。何故か「須山秀吉」は結核で亡くなり、結核で亡くなるはずの池田太作が生き残っています。池田太作のその頃の病状を考えると、池田太作が生き残ることは考え難く、本物の池田太作は死んだのではないか? 北朝鮮から来た若者のうち池田太作似が池田太作に入れ替わったのではないか?と考えざるを得ないほどです。

    「結核の熱のため熱く、下宿の窓から顔を出して熱を冷まそうとしていた池田太作。耳や鼻からは結核の汁が出ていた」……絶対、死ぬはずの重症です。池田太作が生きている訳がない。
    ……この下宿での様子はもっと詳しく書かれてあるが、書くのが面倒なので書か ない。
    「須山秀吉」は池田太作の八歳ほど年上であるだけのはずです。当時、北朝鮮から数千人の若い男性が日本に雪崩れ込んでいたと言われます。

     池田太作の身を心配した「郷友会」の仲間が池田太作の下宿に訪問したときの様子が綴られているものもあります。面倒なので書きません。
     私はそれ故に、本物の池田太作は死に、北朝鮮から来た池田太作似の若者が池田太作に入れ替わったという推論を以前立てたほどです。
     これは謎なのです。

    戦争に反対したから牧口常三郎氏などが逮捕されたのではなく、“日蓮正宗”を国教として用いないと日本は必ず戦争(太平洋戦争)に負けると強く主張を繰り返していたため、逮捕に成ったのです。

    決して戦争に反対だった のではなく、むしろ戦争を褒め称えていました。

    牧口常三郎氏は共産主義思想に走った若者を転向させる名人として名高かったのです。
    そのため、“日蓮正宗”を国教として用いないと日本は必ず戦争(太平洋戦争)に負けると強く主張を繰り返していたにも拘わらず、なかなか逮捕されなかったのです。

    日本を中国へ売り飛ばす創価学会。
    牧口常三郎氏以下、第3代まで、極右です。

     
    16/07/17 PM06 

    池田氏が属していた読書会・協友会の指導者であった池田氏の本当の師匠・須山秀吉氏は極右の思想家であった

     創価学会には2度と触れない考えでありましたが、創価学会が憲法改正に反対という記事を読み、書かざるを得ないと思い、書きます。今回のみです。
     
     池田氏の本当の師匠は須山秀吉氏でした。これは私が今までに何度も書いてきましたから、検索して読むと分かると思います。須山秀吉氏は昭和20年8月15日に起こった愛宕山事件の唯一の生き残りです。須山秀吉氏は熱心なクリスチャンでしたから、自殺することは許されることではありません。そのため集団自決の時、仲間の輪から離れ、須山秀吉氏のみが生き残りました。愛宕山事件 で検索されて詳しいことを調べるべきと思います。

     須山秀吉氏は東大卒で右翼の筆頭的存在でした。極右思想家であり、愛宕山事件の主謀的存在であったかも知れません。
     池田氏が書かれた「森ヶ崎海岸」という有名な詩があります。これは須山秀吉氏を偲んで書かれたものです。詩の中に「キリストの道、我がゆかん」という言葉が入っています。須山秀吉氏は熱心なクリスチャンでした。須山秀吉氏は若くして結核で亡くなりました。

     須山秀吉氏は極右でしたが最晩年には変わった意見を持っていたと言われます。それが「日本と中国は共に生きてゆくこと」です。……これは日蓮宗の熱烈な信者であった石原莞爾の意見と似ているため不思議に思っています。大日本共栄圏ということだろうか?とも考えられます。

     池田氏および公明党初代委員長だった竹入義勝氏が日中関係復興に懸命に努力されたのは、その須山秀吉氏の影響と私は確信します。

     池田氏は須山秀吉氏を非常に慕っており、第一の弟子であった可能性もあります。協友会という読書サークルに池田氏が参加していた、と内容が小説「人間革命」に書かれて有りますが、その協友会の指導者が須山秀吉氏でした。25歳ぐらいで須山秀吉氏が結核で亡くなるとき、池田氏は必ず須山秀吉氏の枕元に居て、最後の言葉を聞き届けた、と私は確信します。

     須山秀吉氏は右翼思想の筆頭的存在でしたが、最晩年は右翼思想に批判的な意見も持ったと言われます。それが「日本と中国は共に生きてゆくこと」ではなかったか、と推測されます。最晩年と言えど、25歳ほどではなかったかと思います。

     池田氏は須山秀吉氏の愛弟子(一番弟子或いはそれに近かったと推測されます)であったと推測され、右翼の事務所にへの出入りを許されていました。また、須山秀吉氏の主催する読書会「協友会」は極右的思想であったことは間違いなく、池田氏は憲法改正には絶対的に大賛成のはずです。

     推敲する時間なく、投稿する。

    (以上)

  • 三船小仏
    Posted at 17:36h, 22 4月

    ブッシュ・パパが操る池田大作とノリエガ将軍、そして小沢一郎の黒い関係

    ブッシュ・パパが操る池田大作とノリエガ将軍、そして小沢一郎の黒い関係
    2008年10月6日

     ブッシュ・パパは、大統領就任直後の1989年、突然パナマ侵攻を実行し、パナマのノリエガ将軍を戦犯として捕え、フロリダの基地内で秘密裁判を強行して、「アメリカへのコカイン供給の罪」で、やはり軍施設内にある特別監獄にと投獄してしまった。電光石火の早業であった。

     当時、アメリカのマスコミをはじめ世界の報道機関は、この突然のパナマ侵攻とノリエガ将軍逮捕を奇異な出来事して捉えていた。何故ならば、ノリエガ将軍といえば、誰もが知る南米における親米活動家であった。ブッシュ・パパがCIAの長官時代より、ノリエガ将軍は、南米地区におけるカストロ政権撹乱分子として活発に活動をしていた。言うなれば、ブッシュ・パパ直属の南米地区服部半蔵のような存在であった訳だ。ところが、ブッシュ・パパは、大統領に就任して最初の仕事を、その同士ともいえるノリエガ将軍逮捕という驚きの行動にでた。

     理由は簡単であった。ノリエガ将軍は、ブッシュ・パパがCIA長官を務めるアメリカの手先となることの代償として、コカイン販売に目を瞑るという条件を提示したのだ。当時、何としてもカストロの革命運動の広がりを抑え込みたかったブッシュ・パパは、ノリエガ将軍のプロポーズを受け入れた。当然のことながら、以来アメリカとノリエガ将軍は一心同体の状態となった。期待以上に、ノリエガ将軍は南米地区での撹乱行動を活発に行った。アメリカにとっては、プラスが多かった。当然のことながら、ノリエガ将軍から提示されていた条件はのまれた。南米コロンビア産のコカインは、パナマ経由でアメリカに密輸された。全盛期には、CIAの輸送機を使ってパナパ経由でアメリカへ密輸していたこともあるという記録さえ残っていた。ノリエガ将軍は、非常に満足していた。大金は入ってくる。しかも、大手を振って密輸をできる。CIAが後ろ盾だ、それは得意気であったことは理解できる。

     そして、この時、ノリエガ将軍が、麻薬密輸ビジネスを広げるための資金を提供したのが、他でもない創価学会の池田大作であったのだ。どれだけ、ノリエガ将軍と池田大作が親しかったかは、富士の創価学会聖地にノリエガ庭園などを造っていたことからも垣間見ることができる。

     それでは、何故池田大作がノリエガ将軍の利害があってしまったのか? その答えも簡単だ。ノリエガ将軍は、単純に麻薬ビジネスを広げるための資金が必要だった。そして、池田大作は、かねてよりの夢である政教一致による日本支配、そのためのノーベル平和賞の獲得が望みであった。ノリエガ将軍は、CIAに協力してカストロによる南米での革命活動の撹乱を通じ、アメリカの政治家や要人達との人的ネットワークを広げていた。池田にとっては、非常に魅力的な人脈であった。そして、評判はどうあれ、パナマという国を支配するノリエガ将軍との進行の深さは、学会員達へたいしての演出効果も抜群であった。

     それでは、そんなノリエガ将軍と池田大作の間で、小沢一郎はどのような役割を果たしたのか? この答えも簡単である。小沢一郎は、池田大作のノーベル平和賞受賞のために、かねてより奔走していた。多くの外国要人を紹介したりもしていた。その延長線上に、パナマのノリエガ将軍もいたのだ。

     池田大作が麻薬ビジネスの資金を別名目でノリエガ将軍に投資していた。そして、ノリエガ将軍は、その資金で麻薬ビジネスを広げ多額の利益を得ていた。その見返りとして、小沢一郎と金丸信は、キックバックを池田大作とノリエガ将軍の両方から得ていた。金丸信が、北朝鮮との接点を深めたのも、金日成と親交のあったノリエガ将軍を通じてのことであった。後に起こる金丸疑惑事件の芽も、既にこの頃芽吹いていたということだ。

     だが、都合の良いことはいつまでも続かない。1989年ブッシュ・パパが大統領に就任することになり、様相は一変した。何故なら、大統領になった暁に、このノリエガ将軍絡みのスキャンダルが浮上することを恐れたブッシュ・パパは、逸早く電撃的なパナマ侵攻、そしてノリエガ将軍逮捕という口封じ作戦を強行したからだ。ある意味、ブッシュ一族の得意技なのかもしれない。同じことは、イラク戦争においても行われた。フセイン大統領捕獲死刑という掃討作戦だ。これもノリエガ将軍のケースと酷似する口封じ作戦である。

     話が少々横道に逸れたが、そういうことであったのだ。そして、大統領に就任したブッシュ・パパは、小沢一郎、金丸信、そして、池田大作に対しても、口封じを暗黙の内に行った。命こそ奪わなかったが、あの手この手で封じ込めをはかった。金丸疑惑なども、その一手だ。また、小沢一郎が自民党から離党しなければならなかった真相も、その辺にあるのかもしれない。アメリカは、彼らの政治生命を追い詰めようとしていたのかもしれない。そのような状況下、アメリカの指示により小沢一郎は海部政権発足に奔走した、金丸信も閣僚に名を連ねた。そして、当時のアマコスト駐日大使による鞭は、容赦なく小沢一郎と金丸信に打ちつけ続けられた。その結果、日本は40億ドルをアメリカに提供することになったのだ。結局のところ小沢と金丸は、自分達の私利私欲のために日本をアメリカに売ったのだ。公明党と自民党との関係も、このような土壌から生まれた負の産物といえないこともない。ある意味同じ穴の狢、運命共同体ということである。

     故に、アメリカは小沢一郎を総理にはしたくないし、しない。そして、小沢一郎は、総理にはなれない、とアメリカ高官に言わしめるのである。

    一番の急所は、
    戸田城聖氏の「通帳」の写真です(←極めて重要!!)。
    rapt氏(およびカワタさん)の拡散力で、その写真を広げたら、壊滅的効果が有ります。
    「通帳」の写真
    これ一つで壊滅的効果が有ります。
    創価学会は「平和」を第一に為ていますから。

    「神札を受け取るように戸田城聖氏が創価教育学会の会員に通達を出す直前(すでに印刷していた)で創価教育学会大量逮捕になった」

    これが知られれば、創価学会は物凄く痛い(存亡の危機になります)。

  • 三船小仏
    Posted at 18:01h, 22 4月

    通帳の存在
    が知れると創価学会にトドメを刺すことになります。

    トランプ革命で力減弱しながらも、必死にこれだけは消そう(公開停止にしよう)としてきました。

    私自身、何故、それほど痛いのか?良く分かりませんが、必死にこれだけは消そうとしてきました。

    他に、もっと痛いのをブログに沢山載せているのに、と思いながらも、
    必死にこれだけは消そう(公開停止にしよう)としてきました。

    カワタさんの動画の追加を宜しくお願いします。
    カワタさんの動画で無いと聞こうという気が起こりません。
    これは多くの男性が同じ意見と思います。
    私はカワタさん命になっています。
    宜しくお願いします。

  • RAPT理論を広げましょう
    Posted at 21:16h, 28 4月

    私もRAPT理論を広げる協力をいたします

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