21 7月 RAPTブログ読者の証言〈VOL.17〉 華やかなファッション業界で世俗的な欲望に溺れて鬱になった40代男性。
〈RAPTブログ読者の証言〉シリーズの第17弾になります。
今回は、華やかなファッション業界に身を置いたことで、様々な世俗的な欲望に溺れていき、最終的に精神を患い、鬱になって苦しんだ男性の証言になります。
ファッション業界のような華やかな世界は、傍目から見てもチャラチャラした人が多いというイメージがありますが、実際にその通りのようで、その業界に関わっているほとんど全ての人が世俗的な欲望にみまれた人たちばかりのようです。
そして今回の証言者の方も、バブル期の真っ盛りの中でDCブランドに興味を持ち、ブランド業界で仕事をしたいと思って、その業界にはまり込んでしまったようです。
しかし、不幸中の幸いというべきでしょうか。
この方はご自身の身体的な障害によって、その業界の中で上り詰めることは厳しいと分かり、結局のところ、その業界の中に完全に埋没してしまうことはありませんでした。
そんな中、この世のあり方に少しずつ疑問を持つようになり、ネットであれこれと知りたいことを調べていくうちにラプトブログに出会い、さらには神様に出会って救われたようです。
とにかくこの世の中の、一見きらびやかに見える世界というのは、どこもかしこも悪魔だらけです。
そんな表面的な華やかさに騙されて、人生を狂わせてしまう人がこれ以上出てこないことを願うばかりです。
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40代男性、既婚者で子供は2人います。
私がRAPTさんのブログに出会ったのは2014年の秋頃です。
30歳になるまでの私は世の中に対し何の疑問も関心も持たず、ただ自分の欲に流されるまま生きてきてしまいました。
私は、子供の頃からあまりテレビを観ないタイプだったのですが、それでもたまに観るテレビ番組などで得た情報を何の疑問もなく鵜呑みにし、権威や嘘の常識に騙され続けていた典型的なB層人間でした。
しかし30歳の時(2001年)、それまで欲に流され続け脳天気に生きていた私に突然試練が訪れました。
精神を患い、いわゆる鬱になってしまったのです。
その年の2月に髄膜炎にかかり入院した私は、数週間後に退院し自宅静養を経て4月に職場復帰したのですが、その日のミーティング時に依頼された簡単な、本当に簡単なグラフィックの仕事に対して「この仕事を完成させる自信が全く湧かない」と今まで味わったことのない感覚に襲われました。
自分の身体からすべての力(肉体的にも精神的にも)が抜けてしまった様な感じです。
鬱になった瞬間なのでしょう、今でもハッキリと覚えています。
そしてその日から何をするにも自信を失い、自分の存在が惨めで、毎日消えて無くなってしまいたいと思うようになりました。
2004年からは精神科にも通いはじめ、何年も向精神薬や睡眠薬を飲んでいました。
最も辛かったのは2001年から2006年あたりでしたが、2007年頃から徐々に落ち着いてきました。
すると、少しずつ自分の境遇に対して疑問や怒りを抱くようになりました。
「何で自分がこんなに辛い目に遭うのか」と。
まぁ、八つ当たりです(笑)。
また世の中に対しても同様で、私は以前より、例えば90年代半ばから立て続けに起こった残酷で不可解な事件や、911のテロ事件、社会を覆っている重苦しい雰囲気などに疑問を感じていたので、当時の自分の境遇への八つ当たりついでに「この世の真実も知りたい」と思うようになりました。
そして次第に私は陰謀論に興味を持ち始め、ご多分に漏れずリチャード・コシミズ、ベンジャミン・フルフォードなど、有名陰謀論者の本やブログなどを読むようになりました。
ネットでは、阿修羅、カレイドスコープ、陽光堂主人の読書日記、高度自給自足時代の夜明け、velvetmorning blog あたりをよく読んでいました。
また、政治はこれもまたご多分に漏れず小沢一郎シンパになり、プーチンにも大きな期待を抱く様になりました。
B層からA層へ、華麗なる転身といったところでしょうか(笑)。
311以降は、健康や医療問題にも興味が湧いたので、内海聡や長尾周格、夏井睦の本も読みました。
断糖肉食を実践し、無添加食品にこだわり、TGG(豆乳グルグル)ヨーグルトも作りました。
この頃はまだ放射能の存在を信じていたので、野菜の産地や魚介類の生産水域にもこだわっていました。
いやはや、ありとあらゆるものに騙されまくりました(笑)。
もちろん、中には真実も混じっているのですが、それだけでは真理にたどり着けないとRAPTさんのブログによって知りました。
あちら側の、ちっちゃい真実を与えて自分が賢くなったように思わせて、これこそ自分が求めていた道だと思わせておいて、で、一生真理にたどり着かないようにさせる手法にまんまと引っかかっていました。
まさに私は、同じところでグルグル滑車を回しているだけなのに、自分は草原を走っていると勘違いをしているハムスターのようでした。
思い出すと顔から火が出そうですが、でも、結果的にこれがRAPTさんのブログにたどり着くための大きなきっかけになりました。
八つ当たりからとは言え、この世の中に対して大きな疑問を持つようになり、真面目に人生のことを考えるようになったのですから。
そして、RAPTさんのブログに出会ったことで無事にA層を脱し、「癌は嘘」「放射能は存在しない」「天皇は悪魔崇拝者」などなど、真理へと続く沢山の真実を知り、何よりも神様の存在に気付かせてもらったのですから、RAPTさんには本当に心から感謝をしています。
神様は、すべての人に義の道に立ち帰る「時」を定めていて下さり、そしてその「時」にしっかりとチャンスを掴めるように多くの「きっかけ」を与えて下さいます。
その「きっかけ」は人間が思いつくような直接的で直線的なものだけではなく、一見結果と正反対に思えるようなまさに人知を越えるようなものも多いと思います。
今回私は、自分の人生を振り返りつつ、神様の道、義の道を進もうと決心するにあたって与えられた様々な「きっかけ」について書こうと思います。
ちなみに、私は自分の人生を振り返ると必ず「ICU」「JR中央線」「武蔵境駅」「音楽」「ファッション」といったキーワードが出てきます。
そうです、RAPTさんのブログを読んでいる兄弟姉妹の方々あれば「ICU」「JR中央線」「武蔵境駅」と聞けば「あっ」と思いますよね(笑)。
○東京の地下鉄の怪。JR中央線の怪。JR武蔵境駅の怪。全ては悪魔崇拝に繋がっているのではないか。
私の住んでいる地域は、神様を信じる前まではホームで、神様を信じるようになった今ではアウェイです(笑)。
それ以外にも、サタンに関係の深いものばかりです。
RAPTさんのブログを読むようになって、次々と身近なものが実は、、、と知るようになったのですが、その記事に反感を抱くことなど全くなかったです。
まぁ、あまりにも身近なので、初めこそ「おおっ?」っと驚くこともありましたが、すべて「やっぱり」とすんなり納得することができました。
それほどこの世の中を覆っている得体の知れない気味の悪さと、不条理さにうんざりしていたのだと思います。
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<信仰の原体験とも言うべきICU幼児園での生活>
私は国際基督教大学(ICU)の幼児園に通っていました。
私の家はクリスチャンの家庭ではないのですが、今の地域へ引っ越してきた時期と園児募集のタイミングが上手く重なったことによって、ここに通うことになりました。
幼児園での生活に関しては何十年も前ですし、まだ幼かったのでほとんど記憶がないのですが、毎日お祈りの時間があったのはぼんやりと覚えています。
あと、クリスマスには聖書の中にある話を題材とした劇などもやりました。
日曜礼拝も、数回ですが行った記憶があります。
しかし、もともとクリスチャンの家庭ではないので、卒園後はお祈りなどをすることもなく神様から離れいわゆる無宗派・無神論者に戻ったのですが、不思議と「自分には帰れる場所がある」というフワッとした安心感が常に心の片隅にあったように思います。
実際に、今こうしてクリスチャンに立ち帰れたのも、心の片隅にこのような意識があったおかげだと思っています。
もしこの原体験がなければ、もう少し時間がかかっていたかも知れませんし、最悪の場合、、、も考えられます。
こう考えると、やはり100%神様のお導きによるものですね。
心から感謝しています。
もっとも、純粋な思いだけではなく、学歴の低い自分にとっては曲がりなりにも「ICU」と関わりを持てたという驕りや虚栄心も間違いなくあったと思います。
そこはしっかりと悔い改めます。
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<異性の罪を犯し、常習化した思春期>
思春期を迎えた頃には、異性が気になるようになりました。
そして、異性の罪を犯し、それが常習化するようになってしまいました。
私は幼い頃から霊感といったものから縁遠く生きてきたのですが、この異性の罪を犯したすぐ後から頻繁に金縛りに遭うようになりました。
初めのうちは単純に身体が動かないだけでしたが、次第に耳鳴りや人の声らしきものも聞こえるようになっていきました。
そしてある時、お腹の上に袈裟らしきものを着た人が乗っていて、手にした錫杖で私を押さえつけようとしているのを見ました。
金縛りに遭うときは寝入り際が多かったので、私が見たり聞いたりしたのはただの夢なのかも知れませんが、それでもさすがに恐ろしくなって母親に相談したところ、愚かにも祖母が信じていた神社でお祓いをしてもらおうということになりました。
遠方なので私は行かなかったのですが、名古屋に住んでいた祖母が行ってお祓いをしてもらい、お守りとお札が送られてきました。
曰く「70歳くらいで亡くなった女性の霊が取り憑いていたのでお祓いをしました」とのこと。
その後しばらくは金縛りがなかったと思いますが、そこは「神社=悪魔崇拝」です。
ヤクザとのトラブルを、別のヤクザに解決してもらうようなもので、たとえ金縛りが少なくなったとしても、この様な目に遭うようになった人生が好転するわけがありません。
そして、この頃から日常における趣味嗜好がガラッと変わっていきました。
●音楽
私には年の離れた兄がいて、その兄の影響で小学校低学年の頃から洋楽を良く聞いていました。
特にビートルズをはじめとした60年代から80年代あたりのロックを良く聴いていたのですが、高校生の頃にはレッドツェッペリンにググッと嵌まり、彼らの悪魔的なエピソード(ツアー中の乱痴気騒ぎや悪魔儀式めいたものなど)に深く興味を持つようになり、彼らの伝記などを読んだりしていました。
ロック以外にもジャンルでいえば、ジャズ、ボサノヴァ、ファンク、スカ、クラブミュージックなどに嵌まり、自室は4桁に迫るおびただしい数のレコード、CDで溢れ返り、自分の生活が音楽漬けになっていきました。
今にして思えば、もっと楽器の演奏に力を注いでおけばと、後悔していますが、、、。
サタンの影響が強い音楽には、明らかに心を乱す何かがあると思います。
RAPTさんのブログに出会ってからは、音楽漬けの生活から脱し今ではほとんど観ることも聴くこともなくなったのですが、先日、とある理由で好きだったいくつかのロックアーティストの映像をまとめる作業を行いました。
久しぶりに観た映像でしたが、明らかに心が乱れました。
神様を信じるようになってからずっと続いていた心の平安が、一気に乱されるような感じがして、特に上に挙げたビートルズ(中期)、レッドツェッペリンの他、ドアーズ、ニルヴァーナあたりは直視できませんでした。
アーティストによって強弱はあると思いますが、これに少年期からどっぷりと嵌まるのは、やはり危険だと思います。
●読書
私は読書家ではありませんが、読書は嫌いではありませんでした。
で、異性の罪を犯し金縛りなどに遭うようになったこの頃から、急にオカルトめいたものや怪奇的なものを好んで読むようになりました。
最初に嵌まったのは「帝都物語」で、小説で語られる陰陽道や安倍晴明や五芒星などオカルト的な世界観に嵌まり、高校の授業中に夢中で読みふけっていました。
RAPTさんは学生時代すでに聖書を読んでいたというのに、、、私は「帝都物語」です、、、。
で、その後はより刺激的なものを求めて「サド侯爵の生涯」からの澁澤龍彦、「ドグラ・マグラ」からの夢野久作、もうタイトルすら忘れましたが中世ヨーロッパの暗黒史ものなど、グロテスクなものを好んで読むようになっていきました。
内容は?全く理解できませんでした。
でもなぜ読んでいたかというと、単にグロテスクなシーンに刺激を感じて求めていたのだと思います。
(※読書量が少ない上に、この様な本ばかり読んでいたのですから、悪い影響がないわけありませんよね)
ちなみに、夢野久作を調べると、RAPTさんのブログで名前が挙がるような人たちととても深い繋がりばかりで、驚きました。
●ファッション
高校生になったあたりから、私はファッションに興味を持ち始めました。
私の中学〜高校時代はDCブランドブーム真っ盛り(=バブル期)で、サタンの主管圏に堕ちていた私はその華やかに映る世界に憧れを抱き、どんどんのめり込みました。
オシャレをすれば、中身の無い自分をごまかせますしね。
当然異性にモテたいという意識もありました。
そして、私は私立大学の附属高校に通っていたのですが進学のための勉強もろくにせず、早くから服飾の専門学校に進む決心をし、都内の有名な服飾専門学校へ進みました。
最も進んではいけない道を選んでしまったのかも知れません。
なぜなら、私は色弱だからです。
子供の頃から、写生の授業で例えば木や草花を描く時に、目の前にある様々な色の判別ができないため色の配合もわからず、途方に暮れていたことが何度もありました。
で、専門学校の授業でも、カラーチップや素材が何色なのか判断しなければならない時、その場から逃げ出したいほど強烈なストレスを感じていました。
そんなことが毎日、そして日に何度もありました。
私の若い頃ははまだまだ色弱に対する差別が強かったので、周りの友人に聞く勇気もありませんでした。
自分の弱みを見せたくないという思いもありました。
結果、その強烈なストレスをごまかすために、更に罪を重ねるという愚かな生活を送っていました。
やはり、進んではいけない道だったんだなと思います。
しかし、サタンの主管圏に堕ちていた当時の私には、冷静な判断もできず、ただただ自分の欲と考えだけに従い、どんどん自分を醜くしていくばかりでした。
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<救いへの様々なきっかけ>
今改めて思うのですが、大きな罪を犯し(この場合は異性の罪です)、それを常習化してしまうようになると、このようにサタン的な思考に同化し、サタン的なものにグイグイ引き込まれていくんですね。
しかも、内容など関係なく引き込まれます。
内容は何でも良くて、欲望を満たしたり刺激があればいいなんて、本当に危険です。
そして、欲望や刺激なんて際限が無いのでどんどん深みに嵌まっていく。
その結果、私はずっとサタンの道を歩んでしまっていました。
それでも、私は神様の道へ導かれました。
神様の愛によって、そしてRAPTさんの命がけの伝道によって、死の淵を彷徨っていた私の霊・肉・魂が救われました。
特に社会人以降、つまり21歳からの私に起こった様々な出来事は、神様が信仰の道へ導いて下さるための多くのきっかけばかりだったと思わざるを得ません。
●色弱故の深入り回避
私は服飾専門学校を卒業後、懲りずにファッション業界で就職をしました。
といっても生地(洋服の布)の分野です。
学生時代、生地の知識は全くなかったのですが、ひょんなきっかけから生地に興味を持ち、結果的に都合3社で20年以上生地の仕事に携わっていました。
(※さすがに色弱ではアパレルメーカーは無理だろうと思い、早々に断念していました)
RAPTさんのブログを読んでいる方ならご存じだと思いますが、ファッション業界もサタンに支配されています。
自尊心・物欲・金銭欲・虚栄心・嫉妬・自己中心・性的な誘惑・高慢などが露骨に常習化している、まさに罪の温床です。
本当に欲まみれです。
(※私もそうでしたからよくわかります)
同性愛者も多いですし。
(※私は違います)
しかし、不幸中の幸いとでも言うのでしょうか、私は色弱故にこの業界の中心へ行くことができませんでした。
社会人になってからも何度かそのような誘いや、自ら行動したこともあったのですが、目のことを伝えるといつも話がまとまりませんでした。
(※もちろん才能も無いのですが)
もちろん、自分の目の症状を顧みず、自分勝手にこの業界を選んでしまったのは私なので、100%自分の責任です。
わかってはいるのですが、やはりその都度落ち込みました。
しかし、神様のことを信じるようになってからこの様な思いが浮かぶようになりました。
万が一色弱じゃなかったら、二度と義の道に立ち返れない道を進んでいたかも知れない、と。
つまり、私はこの色弱故に罪と欲の渦巻くファッション業界に深入りすることもなく済んだのではないか、と。
よって私は、この色弱も神様がギリギリのところで思いとどまらせるように与えて下さったものだと確信し、今では感謝しています。
●霊的なものへの極度の恐れによって出会った(これもまた)怪奇書によって、スピリチュアル的なものを全く信じなくなった
先に書いたとおり、私は異性の罪を犯した思春期から金縛りに遭うようになりました。
それによって、私は霊的なもの(幽霊、悪霊)が存在するのでは?と思うようになり、次第に恐怖心が強くなっていきました。
へたにオカルトや怪奇書を読んでいたので、その恐怖心が更に増幅され、夜中に1人で自分の部屋にいることにすら恐怖を感じるようになってしまいました。
20代の大人がです。本当に愚かです。
不思議なのは、外にいるとその恐怖心が和らぐのです。
つまり、私の住んでいる部屋が、完全にサタンのたまり場になっていたということでしょうか。
私は学生時代から夜遊びに嵌まり、夜な夜なクラブ(ホステスさんのいるところではなく、音楽を聴いて踊るところの方です)に行っていたのですが、帰宅が日の出の前だと何だか得体の知れない恐怖心が湧いてしまい家に入れませんでした。
で、日の出前に家の近くまで戻ってきたときは、近所やまたはもう一回どこかに出かけて日の出まで時間を潰してから家に帰るということを繰り返していましたが、ある時友人にこのことを話したところ「その恐怖心を払拭できるいい小説がある」と、ある本を薦められました。
京極夏彦の「姑獲鳥の夏」です。
また陰陽道、安倍晴明、五芒星です(笑)。
(※その後「魍魎の匣」「狂骨の夢」「鉄鼠の檻」「絡新婦の理」まではなんとか読んだのですが内容はほとんど覚えていません)
RAPT理論を知った今では、これもバリバリの悪魔崇拝礼賛小説とわかりますが、当時はとにかく極度の恐怖を克服したい一心で読み進め、で、主人公の京極堂こと中禅寺秋彦の「この世には不思議な事など何もない」のセリフによって、幽霊とか悪霊とかへの漠然とした恐怖心が消え去りました。
それと、カルト宗教、占い、心霊現象なども一切信じないようになりました。
これは不幸中の幸いかも知れませんが、小説の中で語られるカルト宗教が信者を騙して財産を奪う手口や、占い師の手口、心霊現象を巧みに装った詐欺などを知ることによって、そのようなものに対して一切興味すら抱かなくなりました。
要は「目に見えるもの以外は何も信じない」という極端な考えを持つようになったのです。
そして、この極端な思考になったことも、神様の救いなのだと思うようになりました。
冒頭で書いたとおり私は30歳(2001年)から鬱になりました。
で、そのあまりの辛さから、もしかするとスピリチュアル的なものに救いを求めてしまう危険性も十分にあったのではないかと思うのです。
さすがに創価学会や幸福の科学に足を踏み入れることはないにしても、例えば神道や仏教、もっと言えば従来的なキリスト教など、その危険性は高かったのではないかと。
また、その当時は世の中もスピリチュアルブームとやらでしたので、藁をも掴む思いから占い、前世、オーラなどインチキな精神世界に救いを求めたかも知れません。
しかし、私は「目に見えるもの以外は何も信じない」という極端な考えによって、そのようなインチキに騙されないように護られたと確信しています。
当然ですが、今ではその極端な考えは完全に捨て去り、目に見えないものを信じることの重要性を悟ることができました。
(※もっとも、その極端な考えに振り切っていたことによって、本物の神様を心から信じるまでほんの少し時間を要してしまったのは猛省しています)
●昨年急逝した親友から教えてもらったこと
鬱も少しずつ回復傾向にあった頃、よく飲みに行く親友がいました。
(※私はお酒は一滴も飲みません)
中学の同級生で卒業後は疎遠になっていたのですが、2004年頃にレコード屋や洋服屋でバッタリ会うことが重なり、それ以来よく飲みに行くようになりました。
要は、趣味が近くて話が合うんですね。
で、その友人も陰謀論などに詳しく、まだ私が知らない内容に関する情報や本などを教えてくれました。
千円札の野口英世などのユダヤ陰謀論、東京の地下施設に関すること、日本航空123便墜落事故の真相、などなど。
もちろんその当時の陰謀論なので玉石混交ですが、自分で得た情報に、こうして親友に教えてもらった情報を加えることによって、更に世の中の真実を知りたいという思いが強まっていったのは事実です。
そして、それが結果的にRAPTさんのブログに導かれるきっかけにもなったと思いますし、RAPTさんのブログに一切の抵抗を感じることがなかった要因だと確信しています。
つまり、ここでも神様のお導きがあったということです。
神様に感謝します。
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こうして振り返ると、RAPTさんのブログに出会い神様を信じるまでの私の人生は、つくづくサタンに主管され続けてきた人生だったと思います。
罪を犯すことがどれほど恐ろしく、その罪によって心が汚れてしまいサタンの主管圏に引き込まれていってしまうことが本当に危険だということも改めて実感しました。
「別にいいじゃん、そんなの気にしないし」と言う人もいるかも知れませんが、一度本当の心の平安を知ってしまったら、もうそんなことは言えないと思います。
私自身、未だに聖霊を豊かに受けられず、まだまだ足りない者ですが、それでも信仰に入る前と今では本当に変わったと実感していますし、もう以前のようには戻りたくありません。
こんな私でも毎日、たとえ小さくても何かしら悟ることがあるので、昨日にすら戻りたくありません。
RAPTさんが伝えて下さる成約時代の新たな、そして完全な御言葉によって、自分の人生がまだまだ先が長く、まだまだやるべきことが沢山あることを知りました。
今40代半ばですが、もう1セットチャンスがあるような感覚です。
第1セットはあちら側のチームにいましたが、第2セットは神様のチームにしがみついていけるようにがんばります。
あちら側のチームであれだけ醜くなっていたのであれば、今度は神様のチームにいることでどれだけ清くなれるのだろうかと、期待しかありません。
もちろん、生やさしいことではありませんが、神様の御心のために役に立てる者になりたいので、これからしっかりと信仰の4つの柱を立て、義の条件をしっかりと積んでいけるように努力することを決心します。
神様に代々に渡り限りなく栄光がありますように。
御心が成されますように。
RAPTさんが栄光の道を歩めますように。
レビ人、兄弟姉妹に神様の祝福がありますように。
すべての人が義に立ち帰り、神様の祝福がありますように。
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この世の中では様々な欲望を抱いて、その欲望を満たしていくことが幸せであるかのように思われています。
しかし、真実はその逆です。
人は余計な欲望を抱え込めば抱え込むほど、精神的に苦しくなっていきます。
逆に余計な欲望を捨てれば捨てるほど、精神的にどんどん楽になっていきます。
余計な荷物が肩からとれたような身軽さを感じるようになります。
人生をただ普通に生きるだけでも大変なのに、あれも欲しい、これも欲しいと言って、実際にそれを得られても大して幸せになれないものを求めて努力して生きるというのは、人間にとってとてつもない苦痛です。
もっとも、人間にとって何が必要で何が不要なのかは、人間の頭ではなかなか簡単に分かることではありません。
だからこそ、私たちには神様の知恵と知識が必要なのです。
ということで、これからも引き続き読者の皆さんからの証言を募集いたします。
どうぞ奮ってご応募下さい。
がっちゃん
Posted at 20:22h, 21 7月同じ世代です。
私も去年、ラプト様のブログに出会えましたことを、感謝の念しかありません。
同じ世代で、同じ目標を持てた喜びに、なんか、嬉しさを隠せません!
ありがとうございます
イケメンマッサン
Posted at 23:35h, 21 7月ラプトさん、投稿者の方、貴重な証しをありがとうございます。
とても読みやすいまとまった文章でした。
そして音楽の趣味が近いせいか、その内容に何故だかすごく親近感が持てました。
聖書の神様は本当におられ、神様から救われると確信された内容でした。
実は私も神様を信じるようになり、朝のお祈りを日常化するようになってから、思考がスッキリするようになりました。
逆に肉的に過ごしたり、細々とした罪を犯し悔い改めきれていない翌日は、本当に頭の中がゴチャゴチャして、やることなす事上手くいかないし、直ぐに疲労感に襲われてしまいます。
信仰の道は狭く時には厳しいものですが、ラプトさん、兄弟姉妹達の為に、主の御心がなされるように、祈り、日々、次元が上げられるよう豊かに聖霊が受けられるよう精進し努力し続けるなければと痛感しました。
H.
Posted at 23:38h, 21 7月証言者様、当時の時代イメージが浮かぶリアルな証をありがとうございます。
私も幼少期テレビで帝都物語や孔雀王、バタリアンなどの映画がやっていたのを観ました。
たった一度しか観ていないのに強烈な印象で、今でも薄っすら映像が思い起こせる程です。
今後は、私たち兄弟姉妹の中から、一度観ただけで恐怖ではなく幸福な聖霊に包まれ何度でも観たり触れたりしたくなるような素晴らしい文化芸術が生まれて来ることをお祈り致します。
また、証言者様の今後の人生が平安と喜びと祝福に満たされるように心からお祈り致します。
K.
Posted at 00:45h, 22 7月RAPTさん、証言者さん、貴重な証言をありがとうございます。
神様は、すべての人に義の道に立ち帰る「時」を定めていて下さり、そしてその「時」にしっかりとチャンスを掴めるように多くの「きっかけ」を与えて下さいます。
とありますが、これには自分も『本当にそうだなー』とうなずくしかありません。
私も自分の証言の方には書きませんでしたが、学生時代に霊感がものすごい友人との出会いによって霊の存在は信じていたりとか、大学の宗教の授業の先生の影響で映画【パッション】を観たりとか、3.11の際に辛うじて洗脳というものがこの世にはあるという実態には気付くことができたりとか、やはりここに導かれるまでの「きっかけ」になるものはこれまでの人生の中でいくつかありました。後になってわかってみると、しみじみとすごいなぁと思いますよね。
導いてくださった神様に本当に感謝します。
まいき
Posted at 00:57h, 22 7月RAPTさん、読者の方、どうもありがとうございました。
私も40代ではありますがバブルの「恩恵」は全く受けずにきました。
物欲は元来あまりなく、ファッションにもあまり関心はなかったのですけど
高校時代に見たバブル時代の空虚な狂騒は覚えています。
あのころから性的なモラルがかなり落ちたように思うのですけどどうなのでしょう?
スタートは確かに遅いけれど、遅過ぎる、ということはないと思います。
まだ40代であと20年以上現役で働けますもの。
大人になったあとの20年をサタンの主管圏ですごしてしまったので
自分からサタンの影響を完全に消すのが大変ですが、それは私達が
背負わないといけない十字架なのでしょう。
お互い人生の第2セットを神様とともに最後までつまづいたり止まることなく
走り抜けることができますように。
同じ年代やそれより年上の方が年齢を理由にあきらめることなく
決意を表明されているのを見るとうれしいです。
RAPTさんが一日も早く十字架の道を終えることができますように。
レビ人の方や、愛媛に移住して一緒に教会を立ててる方たちもよりいっそうの
聖霊に包まれますように。
私達兄弟姉妹の一人ひとりが毎日きちんと義の条件を立てることができますように。
兄弟姉妹の方々もたくさんの祝福を得て、聖霊を豊かに受け、義の条件を立てるべく
行動を起こせますように。
全世界の人が神様に立ち返り、悔い改めて救われますように。