RAPT | 神様はこの世界を善と悪とに裂き、悪魔はこの世界を一つにしようとします。
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神様はこの世界を善と悪とに裂き、悪魔はこの世界を一つにしようとします。

神様はこの世界を善と悪とに裂き、悪魔はこの世界を一つにしようとします。

A-Prayer-For-You
 
今日は、久しぶりに一般の読者の方に向けて箸休めの記事を書こうと思います。
 
というのも、ここ最近、私の周りでやたらと私のブログに誘導させまいとする動き、私のブログを信じさせまいとする動きが出てきているように感じるからです。
 
今日のタイトルを見て、一瞬、戸惑ってしまった人もいるかも知れません。
 
神様が「世界を善と悪とに裂く」
 
悪魔が「世界を一つにする」
 
人によっては、逆じゃないのか、と思ったかも知れません。
 
「一つにする」という言葉は、ある意味、とても耳障りがよいものだからです。
 
確かに「一つにする」という言葉は、「人と人とを仲良くさせる」「人と人とが愛し合うようにさせる」という意味にも捉えることができます。
 
そして、そのような意味として捉えるなら、「一つにする」ということはとても素晴らしいことです。
 
しかし、現実問題として、この世の中では「一つになってはいけない」「一つにしてはいけない」ことが多々あります。
 
なぜなら、この世の中には数多くの悪人たちがいるからです。
 
特にこの世の支配層たちは、悪魔を拝むようなとんでもない悪人たちばかりです。
 
そんな悪人の中に、心のきれいな善良な人が混じっていったなら、果たしてその人はどのようになってしまうでしょうか。
 
間違いなく、その人も同じように心が悪に染まり、善良な人間から悪人へと変質していってしまうでしょう。
 
しかも、相手は富も名誉も持っているような有力者たちです。
 
彼らの中に混じれば、当然、こちらが彼らの言うことを聞かざるを得なくなります。
 
そうすると、こちらがどんなに正しいこと、善良なことを言っても、その声が相手に届くことはありません。
 
そして、彼らはそのことを重々分かっています。
 
だから、悪魔は常に「善人」と「悪人」を一つにしようとするのです。
 
そして、神様は逆に「善人」と「悪人」とを分けようとするのです。
 
水の中に一滴でも墨汁が混じれば、その水を飲むことはできません。
 
一滴であろうと、十滴であろうと、同じことです。
 
悪い方には、量は関係がありません。
 
一滴でも墨汁の入った水を、誰が飲みたいと思うでしょうか。
 
このように、「悪」は「善」に対してとても影響力が大きいものです。
 
そして、悪魔たちはこのことを重々心得ています。
 
だから、悪魔たちは必死でこの世界を一つにしようとしているのです。
 
そうやって「善人」と「悪人」とを一つに束ねてしまえば、この世の中がもっと簡単に悪に染まる、ということを彼らは分かっているのです。
 
読者の皆さんの中には、私がNWO(世界統一政府)を嫌悪しているのを見て、どうしてNWOがそんなにいけないんだろう、世界が一つになるのはいいことではないか、と思っている方もいらっしゃるかも知れません。
 
しかし、どんなにきれいな心の持ち主でも、悪の中に混じれば、それだけで心が汚れてしまいます。
 
もとの純粋な人間ではなくなってしまっています。
 
一滴の墨汁が混じれば、純粋な水でなくなってしまうように、その人もまた元の純粋な人間ではなくなっています。
 
とはいえ、少し悪に染まっただけでは、その人の見た目はほとんど変わりがありません。
 
ほとんど何の影響もなかったかのように見えます。
 
恐らくその人自身も、自分が悪に染まったという感覚はほとんどないと思います。
 
このように悪魔は、自分でも気付かないように、人の心を少しずつ少しずつ悪に染めていくのです。
 
悪魔とて最初から皆さんに「麻薬を吸え」とは言いません。
 
そんなことを言っても、相手が良心の呵責を覚えて、拒絶することを分かっているからです。
 
だから悪魔は、少しずつ少しずつ人間の考えを変えようとします。
 
例えば、彼らは「麻薬」を楽しむ人物を主人公とした映画やアニメ、小説や漫画を作り、それを広く普及させています。
 
そうすることで、「麻薬」をすることは悪いことではない、むしろ格好いいことだ、幸福なことだ、と洗脳していくのです。
 
また、あなたの目の前に「麻薬」に明け暮れている人間が現れ、その人間がベンツに乗ったり、豪邸に住んだり、豪勢なパーティをしたりしていたとしましょう。
 
そして、そんな毎日が続きます。
 
そうすると、あなたはいつしか、「麻薬」は悪いものではない、むしろ素敵なものだ、と思うようになるに違いありません。
 
悪魔とはこのように人間の考えを少しずつ少しずつ悪に染めていくのです。
 
私たちはこのような悪魔の罠にかからないようにするためにも、はっきりと「善」と「悪」を区別し、「善人」と「悪人」を区別しなければなりません。
 
でなければ、この世の多くの人たちが「悪人」に騙され、どんどん「悪」の方へと流されていってしまうからです。
 
私がこのブログを書いているのも、それが一つの大きな目的です。
 
「悪」を「悪」と指摘し、「悪人」を「悪人」と指摘することによって、「善人」が一人でもこの世の悪に染まらないようにしようとしているのです。
 
ですから、このブログはある意味、「善人」のために書かれたブログでもあります。
 
実際、「悪人」にとって、これほど煙たいブログもないでしょう(笑)。
 
にもかかわらず、そんな私に対して、この世の悪ばかり指摘していないで、この世の中ともっと協調して生きたらどうか、と言ってくる頭のおかしな人がいます。
 
悪の中に混じれば、自分も悪に染まります。
 
私はそれを長い人生経験からはっきりと分かっています。
 
そして、私の信じている聖書の神様も、私にそのように教えてくださいました。
 
だから、この世の悪に混じらず、常に悪と戦って打ち勝ち、悪を滅ぼしながら生きてきました。
 
そのお陰で、私はこれまでずっと正常な頭を保ち、誰も解いたことのないこの世のカラクリさえ解けるようになりました。
 
本当に神様に感謝しています。
 
ところが、私がこのように話をすると、聖書の以下の言葉を使って、私のことを批判してくる人がいます。
 
----------------
 
『隣り人を愛し、敵を憎め』と言われていたことは、あなたがたの聞いているところである。
 
しかし、わたしはあなたがたに言う。敵を愛し、迫害する者のために祈れ。
 
こうして、天にいますあなたがたの父の子となるためである。
 
天の父は、悪い者の上にも良い者の上にも、太陽をのぼらせ、正しい者にも正しくない者にも、雨を降らして下さるからである。
 
(マタイによる福音書5章43〜45節)
 
----------------
 
このように聖書には「敵のために祝福を祈れ」と書いてあるのに、お前は「敵を滅ぼす祈り」をするのか、それこそ悪魔と同じじゃないかと言ってくる人がいます。
 
前にもそんな低レベルのことを書いている人がいて、一度、記事にしたことがあります。その記事が以下になります。
 
「聖書」とか「電磁波」とか「バイオレゾナンス医学」についての雑記。自分の人生を良くするも悪くするも、自分の認識観次第です。
 
別に私とて、敵のために祝福を祈っても構いませんよ。
 
ただし、私が悪人のために滅びを祈ろうと、祝福を祈ろうと、その結果は同じです。
 
なぜなら、聖書には以下のようにも書かれてあるからです。
 
----------------
 
愛する者たちよ。自分で復讐をしないで、むしろ、神の怒りに任せなさい。
 
なぜなら、「主が言われる。復讐はわたしのすることである。わたし自身が報復する」と書いてあるからである。
 
むしろ、「もしあなたの敵が飢えるなら、彼に食わせ、かわくなら、彼に飲ませなさい。そうすることによって、あなたは彼の頭に燃えさかる炭火を積むことになるのである」。
 
悪に負けてはいけない。かえって、善をもって悪に勝ちなさい。
 
(ローマ人への手紙12章19〜21節)
 
----------------
 
要するに、私が敵のために「滅び」を祈ったとしても、「祝福」を祈ったとしても、神様は同じく悪人の上には「災い」を下す、ということなのです。
 
当たり前です。
 
神様は、私たち人間以上に悪を憎んでいます。
 
なのに、私たち人間が悪人のために祝福を祈ったからといって、神様がその祈りを聞くでしょうか。
 
絶対にそんなことはしません。
 
むしろ、祈る人にはさらなる祝福を与え、悪人の上にはさらなる刑罰を加えるだけです。
 
その人が祈れば祈るほど、神様はそのようになさるでしょう。
 
それが天の法則なのです。
 
なので、私も悪人のために祝福を祈っても構いませんし、実際にそのように祈るときもあります。
 
悪人といえども、私たちと同じ人間ですし、中には悪を悪だと分からずに悪を行っている人もいるからです。
 
私はそのような人のことを哀れに思い、彼らの罪が許されるように祈ることもあります。
 
しかし、だからといって、その人の罪が本当に許されるかというと、そんなことはありません。
 
その人がその悪から離れないかぎり、神様がその人の罪を許すことは絶対にありません。
 
むしろ神様は、その悪人が悪から離れるように様々な災いを下されるでしょう。
 
そうすることが、その人にとっての真の祝福になるからです。
 
そして、もしその人がその災いに懲りて、悪から離れるなら、その人の罪は許されるでしょう。
 
しかし、懲りるどころか、むしろ心を頑なにして悪を行いつづけるなら、さらなる災いを受けることになります。
 
とはいえ、有料記事をお読みの方ならお分かりになる通り、神様と人間の関係は、今や2000年前とは違います。
 
今や、神様と人間が本音で話し合える時代が到来しています。
 
そんな時代に、回りくどい型にはまった堅苦しい祈りを捧げる必要はありません。
 
自分の思っていることを素直に神様にぶつければいいのです。
 
そうすれば、神様はその人の心の叫びを聞いてくださるでしょう。
 
もっとも、悪人がいくら祈っても、神様はその祈りを聞いてはくださいませんので、要注意ですよ。
 
悪人は悪魔にしか祈りを聞いてもらえません。しかし、その悪魔とてあなたのことを本当は憎んでいます。
 
なので、あなたの祈りを叶えた後、悪魔はいずれあなたの命すらも要求してくることでしょう。(実際、悪魔の前では生け贄が必要みたいですから。)
 
悪人はどこに行っても、結局は不幸になるしかないのです。
 
とにかく、私は普段からいつもこの世の人々のために祝福を祈っています。
 
そうすることで、「善人」には祝福が下り、「悪人」には裁きが下る、ということを分かっているからです。
 
それと同時に私は、悪人たちの悪い行いを神様に詳しく報告し、その行い通りに裁かれるようにも祈っています。
 
悪人のために何をどう祈っても、必ず裁きが下されることを分かっているからです。
 
そして神様は、私のそのどちらの祈りも必ず聞いてきてくださいましたし、これからも聞いてくださるでしょう。
 
皆さんに神様からの祝福がありますように。
 

11 Comments
  • ちょこたん
    Posted at 21:19h, 04 12月

    素晴らしい記事を有難うございました。轟のように私の中に響き渡る内容で記事を読みながら、思わず唸ってしまいました。祈りについて、ぼんやり疑問だったり霧がかかっていた部分の答えを教えてくださった感じで、とてもスッキリと晴れやな心持ちになりました。本当に有難うございます。日々の合間を縫って、ようやくエゼキヤ書まで読み進めましたが、聖書を読み進めれば読み進めるほど、分別が養われるような感覚があり、その内容の凄さに射ぬかれたようになります。私は洗礼を受けてはいませんが、聖書を越える書物はない、本物だとつくづく感じています。
    飛ばし読みしていたときにはわからなかった内容が順をおって読むと理解でき、気付きがたくさんあります。旧約を終えて新訳を読むのが楽しみです。RAPTさんが薦めてくださったように、通読して、繰り返し繰り返し通読して行きます。読み進めれば読み進めるほどRAPTさんの書いたり対談して話して下さったことが理解できたり、染み渡っていくので、それも楽しみで仕方ありません。 
     一人でも多くの方が神様の愛を感じ、聖書を手に取り、そこにある御言葉に触れて、真っ直ぐな心で受けとることができますように。RAPTさんと皆様に神様のご加護と祝福が降り注ぎますように。

  • かに
    Posted at 21:56h, 04 12月

    「応えられた祈り」 あるイギリス人(作者名不明)の祈りの詩

    功績を立てようと、神に祈り求めたのに
    謙遜に服従するようにと、弱さを与えられた。
    よりおおきなことをしようと、健康を祈り求めたのに
    より良いことをするようにと、病を与えられた。
    幸福になるようにと、富を祈り求めたのに
    賢くなるようにと、貧しさが与えられた。
    人々の賞賛を得ようと、力を祈り求めたのに
    神の必要を感じるようにと、弱さを与えられた。
    人生を楽しもうと、あらゆるものを祈り求めたのに
    あらゆるものを楽しむようにと、人生を与えられた。
    祈りもとめたものは何一つ与えられなかったのに
    実は私が望んでいたすべてのものが与えられた。
    私の祈りにもかかわらず、私の言葉にならない祈りは応えられ
    すべての人にまさって、私は最も豊かな祝福を与えられたのだ。

  • はちみつ
    Posted at 22:24h, 04 12月

    本当に、箸休めの記事はいつも自分にとってタイムリーな内容で、心に深く入っていきます。

    そして、神様にもっと素直な心で祈れるようになれそうです。

    かにさんが紹介して下さった詩も、ちょこたんさんのコメントも、とっても感動的です。

    ここに集まってくる人達は本当に素敵な人ばかりです。

    今回も素敵な力強い記事をありがとうございました。

  • こぱこぱ
    Posted at 23:34h, 04 12月

    はじめまして。毎日素晴らしい記事をありがとうございます。
    RAPTさんの記事を読むことが日課となり、日々の励みになっています。

    第三子出産一週間後に久しぶりに見たTVのニュース画面が911同時多発テロで爆破された世界貿易センタービルでした。
    あまりの衝撃に、何か情報を得ようといろいろな本を読み、ネットでも検索してきました。
    陰謀論者の本もかなり読み、船井ワールド・白峰ワールド・大本教ワールド・神社ワールドにはまっていた時期もありましたが、なんとも言えない違和感が募り、(特にザ・フナイに掲載された五井野正氏のくどすぎる記事に体が拒否反応をして)2年前にすべてやめてしまいました。

    その後RAPTさんのブログに偶然出会い、今まで疑問に思っていたことが悉く氷塊していきました。本当に有り難かった。
    そして、RAPTさんの記事に共鳴している方がたくさんいることに嬉しく思いました。皆さんもこの重苦しさを解決できなくてRAPTさんにたどり着いたのだと。

    今日のRAPTさんの記事、そしてお二人のコメントは今までになく心に沁みわたりました。特にかにさんのイギリス人の祈りの詩は思わず涙がこぼれました。言葉に表せないほどの感動です。

    これからも陰ながらRAPTさんを応援します。そして、皆さんの言葉を励みにしていきたいと思いました。ありがとうございました。

  • Posted at 03:38h, 05 12月

    心強い、静かながら揺るぎない、輝かしい神様の言葉が聖書には書かれているのですね。今回の記事を読んで、聖書にある言葉そのものに感動しました。
    旧約聖書を読んでみたいです。新共同訳というものを購入してみたいと思います。以前に持っていた古い堅苦しい文体の、薄い紙に印刷された新約、旧約の聖書を紛失してしまっていて、新約のものだけならもっているのですが。購入の前に、図書館へ足を運んで旧約聖書を読んでみたいです。

    悪魔は、何気ない至るところにあちこちに悪をちりばめ、悪に耐性をつけようと画策しているのですね。日本は、漫画やアニメというオタク文化は、傍目に見た印象でしかありませんが、傍目に見ただけでも相当にカオスな世界だなと思ってはいましたが、それが狙いだったのですね。
    漫画や小説やアニメ、音楽や映画という媒体で、日本の国民は、悪に慣らされて、世は禍々しいもので溢れかえっていると分かり、吐き気に似た気分です。薄められた毒に総。日本人は慣らされてしまったのですね。これからでも取り込んでしまった毒を排出していけるよう自戒と用心をもって暮らしていくことが大切ですね。
    ありがとうございます。

  • ポポ
    Posted at 13:37h, 05 12月

    raptさんのおっしゃる通り、生活に悪魔教がはびこりすぎていて、私達は元来悪人ではないのに悪い道を選択してしまうことが多々ありますね。(私もよく足元をすくわれます。)
    自分の人生や時間が悪魔に奪われていることを悪魔は巧妙に隠していますから。
    きっと前述の工作員も自分の幸せや愛など自分と向き合って考えたりしないのでしょう。
    スポイルされている自覚がない人にとっては悪魔だろうが神だろうがどうでもよく、思考自体がフラクタルな自分の投影だとは思わないようです。
    raptさんのブログを単純に陰謀論として見るのではなく、生活の上で何故良いことは目立たず、悪いことばかりがメディアなどを通じて流されるのかを自分のこれまでの人生を鑑みながら読むと全てがつながりますのにね。
    これからも記事を楽しみにしています。
    お体ご自愛下さいませ。

  • アモリフェラ
    Posted at 14:26h, 05 12月

    本当に、善良な人ほど生きにくい世の中ですよね。聖書の「ヨブ記」を思い出します。
    RAPTさんの記事も、時々誰かが(工作員?)読めないようにするために「終了画面」が出て閉じてしまいます。
    「トヨタの拝金体質」のときや「福島遷都」のときが顕著でした。私は逆に、これはこの記事が核心を突いているから、こういう細工をされているのだ!というふうに理解しました。世間に知られては困る本当の話なのではないかと思います。なので逆に分かりやすいです、特に重要な記事であるバロメーターになっています。笑 いつも面白い記事をありがとうございます。

  • KATUO
    Posted at 21:24h, 05 12月

    本日も貴重なお話をありがとうございます。
    わたくしたちの身近に誰もが感じている不公平や仕事上のいやな体験があると思います。
    そのほとんどが対人関係によってもたらされていることでしょう。

    一見、自分に起こったいやな体験も、実は幸福や真実に導かれていくきっかけになるときもあると思います。
    ですから、神様は悪魔に人々を不幸にさせることによって、実は本当の幸福や真実に導いてくださるのではないかと推測しています。

    わたくしたちが、日常感じるいやなことを相手を責めたり憎んだりすることとともに、一歩引いて客観的に見つめなおすと、以前よりも幸せなことに気付いていることもあるのではないでしょうか。

    相手から受けたいやなことが、わたくしたちにとっては幸せに入るきっかけではないかと思うこのごろです。

    RAPT様の思いやりに感謝します。

  • 通りすがり
    Posted at 01:39h, 06 12月

    ブログ記事をIEで開くとエラーで見れないことがよくあります。Chromeでは起きないです。

  • pacimon
    Posted at 08:53h, 06 12月

    この記事を読ませていただいてから、陰と陽のマークのことが気になりました。
    もともとまがまがしい印象を持っていましたが、世界を一つにする象徴のようにも見えてくるのです。
    あのマークは、黒と白が2つあるように表現しながら、それらが混ざり合う様子を示しているのではないかと考えました。
    いずれは、全てを混ぜて濁ったグレーの世界にしようというつもりなのかもしれません。

  • 宮木隆之
    Posted at 09:12h, 06 12月

    昨日RAPTさんのブログを見つけて、幾つかの記事を読ませていただきました。大変興味深く、また聖書を読み始めた自分にとって、為になる内容ばかりです。

    有料記事までは読んでいないのですが、RAPTさんはニューエイジについてどう思われますか。Youtubeのedenmediaというチャンネルにて、「ニューエイジ思想の呪縛」という動画を見ました。私も以前引き寄せの法則やザ・シークレットを試したことがあります。が、馬鹿馬鹿しくなって辞めたクチです。
    聖書をよく読むようになったためか、ヨーガや瞑想といった、何らかの「儀式」めいたものにより強い不信感を抱くようになりまして。
    過去にすでに記事で書かれていらしたならすみません。「ニューエイジ」で検索しても記事がヒットしなかったもので、もしかしたらとコメントさせていただきました。
    長くなってしまい、申し訳ありません。引き続き記事の方、読ませていただきますね。失礼します。

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