07 3月 人間一人一人には大きな価値がある。
人間一人一人には大きな価値があります。
単なるきれい事として話しているのではなく、実際に人間には誰しも大きな値打ちがあるのです。
しかし、どんなに高価なダイヤモンドも原石のままでは何の値打ちもないように、人間もまた磨かれ削られなければその真の価値を発揮することはできません。
かつて人々の多くは一部の権力者たちに奴隷のように扱われ、それこそモノや道具として利用されていました。しかし、文明の発展とともに人類は一人一人が自分の可能性を見出すようになり、ただ誰かに命じられるままにロボットのように働くのではなく、自分の頭で考えて自分の個性にあった生き方を見付けて生きるようになってきました。
しかし、社会全体がそのように変わったとしてても、一人一人が自覚をもってそのような生き方をしなければ、場合によっては相変わらず奴隷のように生きていくしかありません。誰かの言いなりになって、誰かに言われた通りにしかできないロボットのような人生を生きていくしかないのです。将来に夢や希望を持たずに生きるというのは、結局のところ、このようにロボットのように生きるのと何の変わりもないということです。
給料も沢山もらえて、自分の欲しいものが幾らでも手に入る時代には、誰かのいいなりになって働いたとしても、奴隷のように生きているという自覚はほとんど誰も持っていなかったと思います。しかし、現在のように景気が冷え込み、一人一人の給料も減り、どんなに働いても自分の欲しいものが手に入りにくいという時代になってくると、誰かのいいなりになって働いてばかりいるのは辛く感じられ、無理やり働かせているという感覚が強くなり、まるで奴隷のようだと自覚せざるを得なくなってきているのではないでしょうか。
ただし、団塊の世代にはこのような感覚をもった人はきわめて少なく、むしろ仕事そのものにやりがいを感じている人たちが多いように思います。彼らは仕事があって働けるということに喜びを感じ、生き甲斐を感じているのです。私も会社を経営しているので何人かの人たちを雇っていますが、団塊世代の人たちは何か仕事を任せられるととても嬉しそうに仕事をします。しかし、若い人たちは決してそうではありません。彼らは自分がやりたくない仕事はどんなに任されても常に嫌そうな顔をします。
最近の若者たちは仕事がないのに仕事を選びたがる、とよく言われますが、恐らく彼らは誰かの言いなりになって働くことに余り喜びを感じられないのだと思います。大人たちはそんな若者たちのことを一括りに怠け者だといって悪評したがりますが、考えようによっては、彼らは自分の人間性に目覚め、奴隷のように生きることなく、もっと価値ある生き方をしたいと無意識のうちに願っているのではないでしょうか。
ならば、本当に自らの価値性を高めるために、自分の将来に何らかの大きな夢を持ち、その夢を実現するために着実に努力してほしいと思うのですが、彼らの多くがなかなか重い腰が上がらないようです。
意欲が湧かない。モチベーションが続かない。努力の仕方が分からない。リスクをとるのが怖い。人それぞれ理由は違うのでしょうが、人間としての真の価値を発揮するためには、やはり各自が自分の能力を開発し、その能力を最大限に生かし、この世に還元していく、という生き方をするしかありません。そのような生き方をする若者たちが今後さらに増えていくことを強く願うばかりです。
〈関連リンク〉
○疎外感に陥らないために、常に自分を高める努力を。
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