15 8月 RAPT有料記事94(2016年8月15日) 御言葉は霊的な銃であり、祈りは霊的な弾丸だ。
私はこれまで何十年と信仰生活をしながら、実に数多くのクリスチャンと自称する人たちを見てきました。
しかし、彼らのほとんどが喜びも恵みもカラカラに渇いた状態で、ほとんど形式的に信仰を守っている人たちばかりです。
なぜそんなことになるかというと、彼らのほとんどが御言葉と祈りを疎かにしているからです。
あるいは、お祈りしても形式的にしかお祈りしません。
御言葉と祈りを疎かにする人は、いずれ信仰がどんどん弱くなり、最終的には信仰を失うか、工作員によって誤った教理を洗脳され、ズレた信仰生活をするようになります。
しかも、自分の信仰が弱くなっていることにも、ズレていることにも気付きません。
そうしておいて、心から神様を愛して仕え、喜びと恵みに満ちて生きている人を見て、訝り、怪しみ、批判するようになります。
そのような人たちは、もはや神様に仕える人ではなく、サタンに仕える人たちだと言えます。
彼らの言葉はすべて嘘なので、一ミリたりとも受け入れてはいけません。
しかし、自分自身が御言葉と祈りを疎かにしていれば、いずれ彼らの言葉を受け入れるようになり、彼らと同じような形式的な信仰者になってしまいます。
そうして、後になって神様を恨んだり、この世を恨んだり、人を恨んだりするようになります。
そんなことにならないためにも、私たちは普段から御言葉と祈りで、しっかりと霊的に武装しなければなりません。
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パウラ
Posted at 21:13h, 15 8月立って、真理を帯として腰に締め、正義を胸当てとして着け、平和の福音を告げる準備を履物としなさい。なおその上に、信仰を盾として取りなさい。それによって、悪い者の放つ火の矢をことごとく消すことができるのです。また、救いを兜としてかぶり、霊の剣、すなわち神の言葉を取りなさい。(エフェソの信徒への手紙6:14)
今思い出すと若い頃、毎日やたらと金縛りに遭い悪夢を見、いつぞやは不気味な手が空中に現れて思い切り首を絞められた事があります。信仰の事なんてすっかり忘れていた頃です。あの時、思い出せば良かったのです、イエス様のことを!と残念に思います。気がつかないだけで悪魔に憑りつかれていたのではないか?と今は思います。今はまともになりました。笑
T
Posted at 20:00h, 20 8月今回の記事とてつもなく凄かったです…
何が凄いかというと、記事のほぼ全てが私が欲しかった物だったからです。畑の中に埋まる財宝を一気に何個も何個も探し当てた感じです。
感動しました。ありがとうございます。