06 3月 将来の夢を描き、それに向かって努力していくこと。
前回、現代の日本の若者たちの多くが将来に夢を持っていない、という話をしました。
しかし、よくよく考えてみると、全く何の夢も持っていない人というのは実際のところは一人もいないのではないかという気がします。
これがしたい、あれがしたい、こういう人間になりたい。大なり小なり、人は何らかのささやかな夢を持って生きているはずです。しかし、それが叶えられそうもない夢だったり、あるいは口に出して夢を語るのが恥ずかしかったりするので、夢を持っていないと人前で話してしまうのではないでしょうか。
それは若者だけでなく大人とて同じことで、大きな夢をもっていることを口に出して言ってしまうと、あいつは大言壮語する奴だとか言われ、バカにされるのが落ちだと分かっているので、敢えて自分の夢を語ることをしない、できないという場合があります。実際、この日本では大きな夢を語るということは大言壮語していると受け止められる傾向がありますから。
しかし、よく考えてみてください。本当に大言壮語して傲慢にふるまっている人というのは、人より立場が強いことを利用して、人前で偉そうなことばかりを言う人のことを指すのではないでしょうか。私としては、立場も何もない人間が自分の将来の夢をあれこれと語ることは素晴らしいことだと思いますし、その夢に向かって努力しようとするなら、なおのことその人を応援したいという気持ちになります。
将来の夢を描くというのは、言ってみれば自分の人生を設計する作業のようなものです。家を建てるときに、先ずはその設計図を作らなければならないように、自分の人生というものも先ずはきちんと設計しなければなりません。そして、優れた設計図が描ければ描けるほど優れた建築物が造れるように、優れた夢を描けば描くほど、その人の人生はより素晴らしいものになっていく可能性が高くなるのです。
しかし、この世の多くの人たちがこのように将来の夢を描かないまま、ただ人生をやみくもに生きてばかりいます。そのため、何か困難にぶつかったりするたびに、右往左往したり落胆したりして、生きる気力すら削がれてしまう場合があります。近年、鬱病になる人が増えているのも、こういったことが一つの原因なのかも知れません。
また、家を建てようと思っても、自分の手元にどれだけの資金があるのかによって自ずと建築できる家が変わってしまうように、人がいくら将来の夢を描いたとしても、自分の持っている能力によって、その夢を実現できるかどうかが左右されてしまいます。もっとも、お金も懸命に働けばたくさん稼げるように、人は努力すればいくらでも多くの能力を身に着けることができます。若ければ若いほどその可能性も大きいでしょう。ですから、若いうちに大きな夢を描き、その夢の実現のために必要な能力を開発していくことが大切なのです。
私がまだ大学生だった頃、この世の中は今ほど不景気でもなかったので、大学を出れば誰でもそこそこの企業に就職することができましたし、そのような進路を進むことが人として当然のことのように思われていたところがありました。しかし、当時の私はそのような生き方に強い疑問を持っていました。人間はロボットでもないのに、どうして誰もが同じような道を歩まなければならないのだろうと思って、どうしても納得がいかなかったのです。
人間には無限の可能性がある。この言葉は真実です。しかし、その可能性を引き出すためには、それ相応の努力をしなければなりません。そして、実際にその努力をする人はきわめて少ない。現代の若者たちも全く何の夢を持っていないわけではなく、この夢に向かって努力をするということができない、どう努力すればいいのか分からないという人たちが大半ではないでしょうか。しかも、それについて具体的に教えられる大人たちもきわめて少ない。現在の大人たちの大半が将来に対して何か夢をもって生きてきたわけではなく、ただ周りの人たちと同じように生きてきたに過ぎないからです。
しかし、現代の日本ではそんな生き方をすることは逆に困難になってきています。自ら知恵を絞りながら自分自身に合った生き方を見出さなければ、それこそ食べることすら困難な時代がやってくるかも知れません。大学を出れば誰でも就職できるという時代はとっくの昔に終わってしまったからです。
「将来の夢を描き、それに向かって努力していく」そんな生き方が現代はより重要になってきている、と私は考えます。
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