20 7月 RAPT有料記事483(2020年7月20日)人間が犬を躾けたとき、何がいけないのかすぐに分かって行いを変える賢い犬もいれば、何がいけないのか分からずに行いを変えられない愚かな犬もいる。人間も主の前でこれと同じだ。
今回の有料記事も、朝の祈り会で伝えた御言葉の元となった啓示の文章をいくつか掲載しています。
私たち人間が犬を飼ったとき、最初のうちは可愛く思って、犬に多大な愛情を注ぎます。
しかし、その犬がいつも吠えたり、いつも人間を噛んでばかりいるなら、いずれ必ずその犬を厳しく躾けて、吠えないよう、噛まないように訓練しなければなりません。
しかし、もしその犬がそうやって厳しく躾けられとき、自分の何がいけないのか分からず、ただ主人から厳しくされたことに落胆し、主人の愛を疑って心いじけるだけで終わってしまう可能性も十分にあります。
しかし、そうなることを恐れて、その犬を厳しく躾けなければ、その犬はずっと吠えつづけ、噛みつづけるので、主人にとってただ悩みの種になってしまうだけです。
主が私たちを裁き、練達するのもこれと同じです。
主は私たちの行いを変えてほしいと願って裁かれるわけですが、そうやって主から裁かれたとき、自分の何がいけないのか分からずに、ただ主の愛を疑って心いじけてしまう人がいます。
そして、場合によっては主に反抗して、主から離れてしまう人もいます。
主はそのような人を見る度に悲しまれるわけですが、だからといって何も裁かずにいたら、その人はずっと主の悩みの種となるだけなので、やはり裁かざるを得ません。
主にとって、このように人を裁くというのは苦渋の決断なのです。
私たち人間は、このような主の心情を深く悟って、主から裁かれたときに、自分のどこがいけないのかを速やかに悟り、すぐに行いを変えられる賢さを身に着けなければなりません。
なお、我々に対して様々な妨害工作がありましたので、今しばらくの間、有料記事のパスワードは銀行振込のみで販売する形を取らせていただきます。
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