RAPT | RAPT有料記事276(2018年5月14日)主にしかできないことを主が喜ぶまで祈り求めなさい。そうしてこそ、主の歴史がこの地に成されるだろう。
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RAPT有料記事276(2018年5月14日)主にしかできないことを主が喜ぶまで祈り求めなさい。そうしてこそ、主の歴史がこの地に成されるだろう。

RAPT有料記事276(2018年5月14日)主にしかできないことを主が喜ぶまで祈り求めなさい。そうしてこそ、主の歴史がこの地に成されるだろう。


 
今回の有料記事も、朝の祈り会で伝えた御言葉の元となった啓示の文章をいくつか掲載しています。
 
この世の多くの人々は、自分には何の取り柄もない、自分には大したことができない、などと言って自己卑下をしながら生きています。
 
何か努力をしても、成功することよりも失敗することの方が多いので、いつのまにかそのような考えが自分の中に染み付いてしまっているのです。
 
しかし、そうやって自分が何らかの努力をしても失敗ばかり繰り返してきたのは、全てのことを自分の考えと力だけでやろうとしたからであり、神様の考えと力に頼らなかったからです。
 
私たちはこの御言葉を通して、神様の考えと力に頼ることを知りました。
 
そして実際、私たちが神様の考えと力に頼りながら全てのことを行うなら、私たちが成し遂げたいと願うことは全てが成し遂げられます。
 
どんなに人間の目には不可能のように見えることも、神様には全てが可能だからです。
 
にもかかわらず、この御言葉を聞いている人の多くが、未だに神様のその力を信じず、「自分には大したことはできない」「自分には何の取り柄もない」と自己卑下を繰り返して、何ら大きなことを成し遂げようとしません。
 
神様はそのような人のことを、神様の力をみくびる不信仰な者と見なして裁かれます。
 
自分の力で何でもできると思ってふんぞり返ることは、神様の前では「高慢」という罪にあたりますが、神様の力に頼れば何でもできると信じることは、神様の前では「信仰」という義にあたります。
 
私たちはこのことをきちんと理解した上で、神様にしか成せない偉大なことを祈り求めながら、実際に成し遂げていく者とならなければなりません。
 
そうしてこそ、主の歴史がこの地に大きく成されていくのです。
 

 
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