RAPT | RAPTブログ読者の証言〈VOL.35〉11月11日の祝祭の日に受けた主からの恵みについての証言7。
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RAPTブログ読者の証言〈VOL.35〉11月11日の祝祭の日に受けた主からの恵みについての証言7。

RAPTブログ読者の証言〈VOL.35〉11月11日の祝祭の日に受けた主からの恵みについての証言7。


 
毎年11月11日は、神様が私たちに祝祭の日として特別に定められた日です。
 
この日には、私たちが神様に出会って救われたことをお祝いしなさいと主が仰られました。
 
そのため、多くのRAPTブログの読者の方たちがお祝いをされたかと思いますが、実際にお祝いした方たちの多くが、この日にはいつもと違う祝福された幸福な時間を過ごすことができたようです。
 
しかし、読者の皆さんの中には、逆に11月11日にいつになく辛い体験をされた方もいらっしゃいます。
 
確かに11月11日は、主が私たちをサタンの妨害から日として定めて下さいましたが、主と私たちがもっと愛を深められるように主が叱咤激励してくださる日でもあるからです。
 
つまり、主との愛を深めてきた人にはさらに愛を深められるように恵みを増し加えてくださる一方で、主との愛を深めてこなかった人には尻を叩いてでも主をもっと愛するように導かれる日なのです。
 
今回は前回に引き続き、そのように11月11日に主からの裁きを受け、主との愛をさらに深めることになった方からの証言になります。
 
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ラプト様
 
メールを送らせて頂くのは2回目となります。
 
毎日、朝の祈り会を配信してくださり、本当にありがとうございます。
 
ラプトさんが伝えてくださる、神さまの熱い火の御言葉に日々感謝し、毎日それを楽しみに、それを糧に毎日過ごしております。
 
今回は、11月11日の神さまとの祝祭の日に起こったこと、またそれによって、神さまの愛に気付くことができたことに、本当に感謝の気持ちでいっぱいで、少しでもたくさんの人が神さまの愛を気づくきっかけになればと思い、メール送らせて頂きました。
 
私は、お祈りを始めたのは11月からと、まだ信仰を持ったばかりです。
 
お祈りを始めたきっかけは、ラプトさんのブログで、11月11日は神さまとの祝祭の日という記事をみたからです。
 
私もお祝いしたいと強く思い、すぐにでも始めなくては、という気持ちになりました。
 
しかしながら、有料記事も、10月から読み始めたばかりで、まだ、全部読めていたわけではなかったので、お祈りの仕方はわからなかったのですが、朝の祈り会の代表祈祷を参考にしながら、少しずつ始めました。
 
最初は、1時に起きることがなかなかできず、また、11月11日を神さまとどう過ごしたら良いのか、どのように過ごしたら神さまに喜んで頂けるのか、相談しながら色々考えてはいたのですが、結局何も決められず、特別な準備も出来ないまま、当日を迎えました。
 
当日は、神さまを思いながら、過ごしていましたが、子供の世話に追われ、特別なことはせずに過ごしていました。
 
少し時間が出来たので、聖書を読もうとソファに座っていたら、眠くなり少し寝てしまいました。
 
しばらくして目が覚め、慌てて起きたときに事故は起こりました。
 
足が痺れていたのですが、これくらい大丈夫だろうと思い、立ち上がり、歩きだした瞬間、転んでしまい、家具に顔面を強打してしまいました。
 
その瞬間、神さまに裁かれた!と思いました。
 
何故だかわかりませんが、今日はサタンからの攻撃も無い日だとおっしゃっていたのだから、これは神さまの裁きだと思いました。
 
(その時はわかりませんでしたが、神さまがせっかく自由になれる時間を与えてくださったのに、寝てしまった怠惰の罪だと、感じております。過去の配信に記載があり、気づくことができました。感謝致します。)
 
瞬間だったので、顔面のどこをぶつけたのかは、よく覚えていませんでしたが、目のすぐ下を強打したのか、青くぷっくり腫れて、酷い顔をしていました。
 
急いで病院を探しましたが、どこの病院に電話しても、たらい回しにされるだけで、土曜日の夕方はどこもやっていませんでした。
 
最初は整形外科だと思い、病院を探していましたが、目も赤く充血していることを話すと、とにかく目が大丈夫かどうか、先に眼科で確認した方がいいと、電話した先の病院に言われました。
 
しかし、その肝心な病院がやっていなかったので、もう今日は諦めようかと思ったときに、旦那が奇跡的に開いている眼科を探してくれて、連れて行ってくれました。
 
土曜日の夕方にやっている眼科はそこの1件だけでした。(神さまのお導きを感じました。)
 
診察し、結果を待っている間、何故か不安な気持ちはありませんでした。
 
神さまが導いてくださったのであれば、大丈夫。
 
旦那も普段と違い優しく感じられて、神さまにただ感謝の気持ちでいっぱいでした。
 
診察の結果、特に傷も異常もなく、充血はしばらくしたら、治ると言われ、とりあえず一安心しました。
 
次の問題は、顔面を強打したところの骨が大丈夫かどうかでした。
 
日曜日は病院がやっていなかったので、月曜日に会社を休み、病院に行くことにしました。
 
日曜日は、顔を冷やしながら、一日中、神さまにお祈りをして過ごしました。
 
神さまに裁かれたと思っておりましたので、ひたすら、罪を悔い改めてお祈りしました。
 
その時は何の罪で裁かれたのかは、わかりませんでしたが、今まで罪深い生活をしてきたのだから、罪だらけなのだから、ひたすら罪を悔い改めて、罪を焼き尽くしてくださるよう、祈りました。
 
夜、11月11日の配信を聞いて、ラプトさんから伝えられた、神さまの御言葉から、祝祭を楽しみにされていた熱い気持ちを知って、本当にがっかりさせてしまったのだと、本当に悔やみました。
 
そして、愛媛の教会での賛美歌を聴いて、涙が溢れました。
 
月曜日、また病院を探すのに少し手こずりましたが、なんとか探して行きました。
 
病院の先生は、私の酷い顔をみて、目の周りには細かい骨が沢山あるので、ちゃんと確認しましょう、と言われ、CTをとることになりました。
 
CTをとり、呼び出されるまで待っている間は、不安でいっぱいで、聖書を読んだり、お祈りしたりして過ごしました。
 
骨が折れていたらどうしよう。手術になったらどうしよう。
 
診察室に呼ばれる少し前まで、そう考えていました。
 
しかしながら、ふと思いました。
 
もし折れていたとしても、それが神さまの御心なら、受け入れよう。
 
私はただ悔い改めて、神さまの御心通りに生きよう。
 
神さまのお導きくださることを、受け入れよう。
 
そう思ったら、急に心が軽くなりました。
 
診察室に呼ばれ、先生に、CTの結果を見せられ、びっくりしました。
 
あんなに強打したのに、骨にまったく異常がありませんでした。
 
ヒビすらありませんでした。
 
私は神さまに感謝しました。
 
この感謝の気持ちを、神さまに伝えたい。
 
私は、神さまとの祝祭の日をやり直すことにしました。
 
病院からの帰り道、スーパーで、売り場の中で一番上等な小麦粉を買い、家でパンを作りました。
 
パンといっても、発酵させない、チャパティというパンです。
 
聖書を読んで、酵母を入れないパンはどんなパンがあるのか気になっていましたので、調べて作ってみました。
 
材料は、小麦粉と、オリーブオイルと、塩とお湯のシンプルなものです。
 
もちろん、神さまの分と自分の分を、心を込めて作りました。
 
パンを寝かせている間は、賛美歌を歌い、本当に私の中で神さまへの愛が爆発しているのを感じながら、過ごしました。
 
神さまに裁かれたと思ったときは、本当に怖かったですし、自分が何をしてしまったのかわからず、ただ動転していましたが、神さまが裁いてくださったおかげで、神さまの深い愛に気づくことができましたので、今は本当に感謝の気持ちでいっぱいです。
 
また、裁かれたのに、守られているとも感じました。
 
罪だらけの自分に、いいかげんに気付くように、神さまが導いてくださったのだと感じています。
 
それ以来、朝のお祈りにおいて、いつも以上に強く悔い改めるようになり、ラプトさんの御言葉が、前よりも深く感じられるようになりました。
 
また、怪我から2、3日後、いつものように、寝る前にお祈りをしていたら、急に心の中が、言葉で表現できない気持ちで満たされ、温かい気持ちと、体に力が湧いてくる感じで包まれました。
 
こんなことは初めてだったので、すごくびっくりしました。
 
聖霊さまが来てくださったんだ!と、嬉しくなって、賛美歌を歌って、また1時に神さまに会えることを楽しみに、そのまま寝ました。
 
朝1時に起きてからも、その不思議な感覚がしばらく続きました。
 
そして、その日に配信で聞いた御言葉が、いつもよりすんなり入り、急に、この神さまの御言葉は神さまからの愛だ!それを伝えてくださっている、ラプトさんに本当に感謝の気持ちが溢れ、こんなにも、神さまが愛を伝えてくださっているんだと感じたら、涙が止まらなくなりました。
 
悟る、というのは、こういうことを言うのか!
 
今までは、ただ知識として、御言葉を聞いていただけなんだと、改めて感じました。
 
サタンから、脳と心を守ることの重要さを、改めて悟る事ができて、また神さまに感謝の気持ちでいっぱいになりました。
 
まだまだ、私には根が深い罪がたくさんあり、義の条件も足りていないと思っています。
 
しかしながら、神さまの愛だけを見て、神さまの愛だけを信じて生きて行くことを決めましたので、どこまでも、罪は悔い改めて、神さまの御言葉通りに生きられるようになりたいと思っております。
 
また、11月25日の配信で、断食祈りの話しを聞き、神さまに相談しながら、さっそく2回目を行なっているところです。
 
断食祈りをした分だけ、サタンの妨害から守られ、その分、やった分だけ今までより成長のスピードが速くなれるなんて、なんて素晴らしいことなんだ!と、嬉しくなりました。
 
本当に神さまは素晴らしいです。
 
文章が長くなってしまい、解りづらい部分があるかと思いますが、最後まで読んで頂けたら幸いです。
 
神さまの愛に気づくことが出来たのは、ラプトさんが神さまと愛を成してきたからこそです。
 
本当にラプトさんに感謝しています。
 
ありがとうございます。
 
来年の11月11日は、豊かに神さまの祝福が受けられるように、神さまに相談しながら、準備をしたいと思います。
 
これからも、信仰を守っていけるよう、努力して参りますので、お導きくださいますよう、お祈り致します。
 
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この世の中で生きていると、誰でもときに辛いことや嫌なことにぶつかります。
 
そのようなときには、おおよその人たちがただ気落ちして、自分の不幸を嘆いたり、ぶつぶつと不平を零したりしますが、一旦、神様を信じてしまうと、その辛いことや嫌なことすらも自分にとっての益になることがあります。
 
神様の裁きとはそのようなものです。
 
裁かれたときは辛いものですが、その辛さを神様からの裁きだと素直に認めて受け入れ、自らの間違いを悔い改めるなら、神様が大いなる愛をもって祝福を与えてくださいます。
 
しかし、神様から裁かれて何か嫌な目に遭ったときに、ただぶつぶつと不平を零し、悪口を言うなら、その人はさらなる裁きを受けて、ますます地獄のような苦痛を味わうことになります。
 
神様の世界では、このように二つの道しかありません。
 
その中間の道はありません。
 
どちらの道を選ぶかは、もちろんあなた次第です。
 
賢明なる読者の皆さんが、常に神様から愛され、祝福される道を選ばれることを心から祈っています。
 
ということで、これからも引き続き読者の皆さんからの証言を募集いたします。
 
11月11日の体験談でなくても、主から受けた恵みについて証したいことがあれば、どんなものでも構いません。
 
どうぞ奮ってご応募下さい。

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