RAPT | RAPTブログ読者の証言〈VOL.27〉大切な人たちを次々と失っていく中、RAPTブログに出会って真の幸福を手にした60代女性。
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RAPTブログ読者の証言〈VOL.27〉大切な人たちを次々と失っていく中、RAPTブログに出会って真の幸福を手にした60代女性。

RAPTブログ読者の証言〈VOL.27〉大切な人たちを次々と失っていく中、RAPTブログに出会って真の幸福を手にした60代女性。


 
〈読者の証言〉シリーズの第27弾になります。
 
今回は高校時代に母親を亡くし、さらに父親までも自殺してしまい、夫とは離婚を余儀なくされ、子供と離ればなれに暮らさざるを得なくなる、という壮絶な人生を生きてこられた60代女性の証言になります。
 
ここまで様々なものを失ってしまうと、それこそ極度の絶望に囚われ、精神的に立ち直ることも難しいはずですが、この方はその後、このRAPTブログに出会い、全ての絶望から立ち直り、大きな喜びと平安に満たされて生きられるようになりました。
 
しかも、今では愛媛に移住してきて、毎日のように教会に通って深く祈っておられます。
 
そして、このような過酷な人生を生きてきたとは思えないほど、とても活き活きと元気に日々の生活を送っていらっしゃいます。
 
神様の愛がその心に満ち溢れているからでしょう。
 
私もこのような方を見ていると、本当に嬉しくなります。
 
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母は私が4歳の頃から、ネフローゼという、腎臓病にかかり、入退院を繰り返しておりました。
 
私は姉に連れられて、母の病院を訪れて、私だけ母と病院で泊まらせていただいたこともあります。
 
母は腎臓病だったので、冷やすと一番体に悪いと聞いておりましたのに、私の事を気遣って、ベッドの横に畳を引いてもらい、一緒に寝てくださったことを覚えております。
 
母が入院している時は、私は叔母の家に預けられ、母が一時退院してきた時だけ、母と家で過ごすことが出来ました。
 
そんな日々が、延々と、私が高校2年まで続き、母は亡くなりました。
 
私が預かっていただいた、叔母は後妻として入っておられ、旦那さんのお子さんに、とても気を使っておられました。
 
お子さんは、成人しておられ、3人おられました。
 
義理の甥の方に、4歳の私は、トイレの便器が汚れていると叱られ、こんなに汚すのだったら家に帰ってもらうと、何度も言われたことが、頭に残っております。
 
このように、母の愛は蝋燭の炎の様なものでしたが、私にとってはただ一つのかけがえのない宝物でした。
 
母が亡くなったとき、永遠の愛はもうこれでなくなったと、思いました。
 
母が亡くなり1年も経たずに父が再婚をして、継母と一緒に暮らすことになりました。
 
母の亡くなった哀しみ、寂しさに浸っている暇もなく、東の電車に乗って直ぐに西の電車に乗り換えなければならないほど、変化の毎日が続きました。
 
私は最初の頃は、継母とも、仲良く過ごせ、とても喜んでおりました。
 
服も作ってくださり、とても親切にしてくださいました。
 
1年半ほどたった頃、継母は性格が一変したように、私が大学に行っている間に、私の部屋に入り、私が帰って来たときに、「貴方の部屋はごみ溜めのような部屋ね、貴方のお母さんの躾がなっていないわ、貴方は三流の人間ね」とよく罵られるようになってきました。
 
継母はとてもきれい好きな方で、いつも夕食時、食事をして5分もたたないうちに、私の食べている回りや、流し台等を吹きまくるようになってこられました。
 
私は居たたまれなくなり、其から大学からの帰宅を、夕飯時間を避けて帰るようになりました。
 
私は幼い頃から、父とは折り合いが悪く、父から叱りつけられることは、多々ありましたが、誉められることは全くない毎日でございました。
 
ある時、父親から「お前は、お母さんを苛めまくっているそうだね」と言われました。
 
父から言われたことが、悲しくなり、夜遅くまで土手で泣き崩れておりましたが、姉が私に言ってくれた「お母さんは、3歳と5歳の子供さんを置いて別れてこられ、まだ36歳なのに、父と22歳も違う所に嫁いで来てくださって、父の面倒を見てくださっているのだから、大切にしてあげなければいけないわ」という言葉を思い出しました。
 
私はこれではいけないと、思い直し、私は泣きはらした顔で家に帰りました。
 
しかし、永遠の愛というものは、この世にはやはり存在しないと、思いました。
 
そして継母は益々生理的に動かれるようになり、機嫌の良いときと、悪いときがはっきりと現れるようになってこられました。
 
継母の顔色を伺い、接するようになって参りました。
 
そうしているうちに、大学を卒業し、会社に勤めるようになりました。
 
私は継母のいらっしゃる、家から通うようになりました。
 
継母は家にも、ご近所にも慣れてきて、お友だちもでき、自分の洋裁をいかして、ご近所の方に、色んな小物を作ってあげておられました。
 
継母の人柄なのか、小物が素晴らしかったのか、ご近所の方も一目置いておられるようでした。
 
その後私は結婚をすればまた、永遠の愛が与えられるかもしれないと、結婚をいたしました。
 
長男を授かり、2年位は、順風満帆でございました。
 
年月が過ぎるにつれ、元夫はピンクサロンに毎日のように、密かに通うようになり、深夜に帰ってくるようになりました。
 
何時も、引き出しに入れておいた、コンドームまでがなくなるようになって参りました。
 
異性の愛も時間と共に変わり、この世には永遠の愛はないと確信いたしました。
 
その頃、父が亡くなり、継母が私達、姉妹3人に家に来てほしいと、連絡があり、真ん中の姉は、東京に嫁いでいたので、直ぐにはこれず、一番上の姉と一緒に実家に行きました。
 
継母は、父の遺言状が出てきたと、父の仏壇の引き出しから出し、私達に見せてくれました。
 
そして其を司法書士に見ていただくと言われました。
 
姉はその内容を読み終え、「此は遺言状ではないので、司法書士にいっても取り扱っていただけないと思います」と少しきつい口調で言ったのを覚えています。
 
そして実家から帰り、姉が少し私に話があるというので、喫茶店に入りました。
 
「今日見せていただいた、遺言書はお母さんが作られたものではないか、きっと、司法書士に見せても、取り扱ってはいただけないと思う」と、私に話してくれました。
 
そして、継母が司法書士に行かれたと聞いて間もなく、継母が首をつり自殺をなさり、お亡くなりになられたと聞いたのです。
 
父は他界しており、そのあと、何不十分なく暮らしておられた継母が、自殺なさったということと、遺言状の件がとても気になりましたが、何がなんだか、全く分からなくなりました。
 
驚きとショックで一杯になりました。
 
一番上の姉は、継母が来られたときは、嫁いで家におらず、次女は調度嫁ぐ寸前だったの、継母と長く暮らしたのは私だけだったのですが、最初に私の家にこられたときと、一年半たってからと、とても人柄と言うか、性格ががらりと変わられたので、継母の気持ちが全く分からなくなりましたが、今もなぜ自殺をなさったか、分からないのです。
 
継母がお亡くなりになられたのが、真夏だったので、体の腐敗がひどく、お葬式もせずに済ませられました。
 
元夫との生活は数年で冷えきっていたのでございますが、私は母と早くに離ればなれに暮らし、その後直ぐに、継母がいらっしゃった経験により、子供たちは、本当のお父さん、お母さんに育てられるのが、一番幸せだと思い、23年間結婚生活を続けました。
 
長男が結婚をし、次男が高校3年になり、大学も決まったので、私は一人で家を出ました。
 
私が家を出たときは、離婚届を出しておりませんでしたが、元夫が結婚パーティで知り合った新しい方と結婚することになり、京都地裁から、離婚通達が送られてきました。
 
長男は結婚していたのですが、次男が元夫の家に残っていたので、余りの早い再婚に驚き、子供のことが心配でしたが、私は一人で家を出るときに、子供とは親ばなれ、子ばなれをしなければならないと思い、一人で家を出ました。
 
其で、離婚に判子を押しました。
 
その後、二人の子供たちが、どうしているのかは、全くわかりません。
 
滋賀県の出版社に勤めることになり、滋賀県の賃貸の公団に住むことになりました。
 
人通りの多いところを選び、自分史を作っていただくため、パンフレットを配り、勧誘をしました。
 
出版社の社長が、NHK の小説を作る講座を大阪の第一ビルで開いておられ、そのお弟子さん達が自分史を作っていただいたり、出版社の社長の同級生がMBS に勤めておられ、自分史を作ってくださったりと、最初の頃は細々ですが、出版社の経営も成り立っておりました。
 
4年目に入った頃、出版社の経営が成り立たなくなり、出版社が倒産したため、私はまた大阪に戻りました。
 
急の出版社の倒産だったもので、賃貸の安いアパートが大阪の繁華街である、深江橋というところしか見つからず、そこに住むことにいたしました。
 
繁華街なので、深夜には酒を浴びるほど飲んで、大声で叫んでいる声があちこちで聞こえ、嘘と堕落に染まった世界は当たり前といった場所でした。
 
私も心の中は何時も満たされず、イライラというか、どうでもいいという虚無感を覚えながら、他のものではぐらかし、生活しておりました。
 
そんな頃、東京の友人も繁華街に住んでおられ、とても退廃した土地に嫌気をさしておられ、旦那様を亡くされたところだったので、東京の友達と一緒に北海道で住もうかという話になりました。
 
私が北海道の上富良野にある役場に問い合わせ、2年ぐらいだけだと7000円位の家賃で住まわせていただけると教えていただき、3年間友達と一緒に上富良野の町営住宅に住まわせていただきました。
 
その間に私は上川郡東神楽町役場に町営住宅の申し込みをさせていただき、今のところに住まわせていただけました。
 
今、東京の友人は上富良野の賃貸アパートに住まわれております。
 
私は此方に引っ越しをし、2014年の10月頃に、スマホを通して、ラプト様のブログに出会わせていただきました。
 
最初読ませていただいたときには、感動と不安で一杯になりました。
 
この世にも、霊界にもサタンが存在していると言うことに、ビックリいたしました。
 
しかしラプト様の一般記事を毎日、読ませていただいているうちに、本当にサタンが存在すると確信を持つようになって参りました。
 
一般記事をスマホで聞かせていただき、私の頭の中を整理するため、ノートに分かりやすく下記まとめているうちに、ラプト様の有料記事に出会うことができました。
 
ラプト様の宣布していただいた、神様の御言葉により、永遠の愛を神様から授けていただける。
 
嘘は罪である。
 
神様以外のものに依存しないで、ひたすら神様だけを愛し、祈り求めなさいと教えていただきました。
 
私は神様の御言葉により、神様の永遠の愛を頂けると聞かせていただいたときは、飛び上がるほど嬉しくて、そこいらじゅう、駆けずり回りたいほど、喜びで一杯になりました。
 
私は母が亡くなって以来、この世には、永遠の愛はないと、諦めておりました。
 
明け方前、3時から神様にお祈りをするようになり、ラプト様の宣布してくださった、神様の御言葉を聞かせていただき、毎回ノートに書き記し、熟読し、赤ボールペンで分かりやすく、書き直し、悟らせていただくことが楽しみになりました。
 
聖書も読ませていただくようになり、賛美歌集を買ってきて、自分で電子ピアノを弾き歌い、神様や天使様に聞いていただけるように、一生懸命唄いました。
 
そうすると、私の身の回りに、変化が起きて参りました。
 
今まで一人ぼっちで、毎日孤独に際悩まされ、心の中に山のような不安、心配事、悩みが付きまとっていたのに、心の中から、不安、絶望、悩み、心配が次第に全くなくなっていくのを、感じるようになって参りました。
 
心が安らぎ、将来に対する不安を考えなくなりました。
 
そしてまた、神様の御言葉により、嘘をつくのは、罪だと教わりましたので、私は此れからは、嘘をつくまいと決心し、明け方のお祈りで、嘘をつくたびに、悔い改めますと神様に祈り、嘘をつかないように、努力いたしました。
 
すると、不思議なことに、心の中の重圧感と言うか、重荷がスッと消え去り、だんだん嘘をつかなくなって参りました。
 
今度は神様の御言葉により、神様以外のものに依存しないで、ひたすら神様を愛し、祈り求めなさい、二股をかけてはいけないと教えていただきました。
 
今までは、私の心を満たそうと、ひたすら物質、富、名誉、異性、交遊関係を追い求めておりましたが、今までのものを追い求めず、神様の御言葉に従いました。
 
次の神様の御言葉は私に10捨てなければならないものがあれば10全て捨てなさいというものでございました。
 
異性、自分のわがまま、ポリシー、プライド、拘り、家族、全てを捨てなさいとございました。
 
この神様の御言葉を聞かせていただいていない間は、子供たちとは、離婚してから全く音信不通になっておりますが、今住まわせていただいている地域の方々は、子供さんをとても大切にしておられるので、私も子供のことが気になり出し、明け方のお祈りで、子供たちが毎日健康で、幸せに暮らすことができますようにと、必死で祈らせていただくようになりました。
 
しかし、神様の家族を捨てなさいという御言葉を聞かせていただき、子供たちの事を全く祈るのをやめ、子供たちの事を捨てました。
 
次に異性を捨てなさいとありました。
 
異性といっても、友達のお付き合いでございましたが、止めるときっぱりと相手に告げ、交流を持たなくなりました。
 
そうして、お祈りを1日に2回、3回と増やして参りました。
 
すると、最近、私の心に変化が起き、溢れんばかりの神様の暖かい温もりに満たされ、心地よさを感じ、他のものを求めたいと、思わなくなって参りました。
 
神様の御言葉にもございましたように、お祈りというものは、神様と近づけていただけるのか、私には、神様との会話はございませんが、毎日心が満たされ、平安と希望で過ごさせていただだけるようになりました。
 
今も、最初はノートに全て書き記すまでがとても長くかかりますが、ラプト様が宣布してくださる、神様の御言葉を熟読させていただき、悟らせていただくのが、楽しくて仕方がありません。
 
今度は神様が天国のどんな奥義を教えていただけるかと、ワクワクしております。
 
不思議なことに、お祈りも、最初は一日に3回もお祈りをさせていただけるか不安でございましたが、今はお祈りも楽しくなって参りました。
 
しかし今、私が遣らせていただいている、神様の御言葉の実践は先日の神様の御言葉にもございましたように、まだまだ、御言葉通りに、実践できていないと思います。
 
一日も早く、御言葉を忠実に実行させていただき、徹底的に自分を清くしていかなければならないと思っております。
 
今は私の生い立ち、親戚に預けられたこと、母を亡くし継母との暮らし、結婚全てが、私に忍耐をつけるため神様が与えてくださったことだと、思えるようになり、神様、聖霊様、イエス・キリスト様、信仰の喜びに出会えて、中心者でおられる、ラプト様のお陰だと、感謝しております。
 
ありがとうございます。
 
そして亡き母も、頭にベールをかぶり、お祈りを捧げている写真がございましたので、母の先祖のお陰もあるのかと、感謝しております。
 
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今ではこの方は毎日、明け方の一時に教会に来て、4時半まで深くお祈りされています。そして、若い人たちと一緒に御言葉を聞いています。
 
60代から信仰生活を始めても、十分に信仰が深く入ることができるという一つの見本のような方です。
 
現在、既にある程度の高齢になられている方で、自分なんかが今さら神様を信じてもきちんとやっていけるのだろうかと心配している方も大勢いらっしゃるかも知れませんが、この方のような先例がありますので、全く心配するには及びません。
 
神様はどんな人でも悔い改めて義に立ち返りさえすれば、豊かな愛で包み込んでくださる方だからです。
 
この方を通して、神様がそんなご自身の愛をはっきりと私たちに示してくださったように思います。
 
ということで、これからも引き続き読者の皆さんからの証言を募集いたします。
 
どうぞ奮ってご応募下さい。
 

3 Comments
  • Omuhi
    Posted at 19:17h, 13 10月

    Rapt様、証言者の方、素晴らしい証を読ませていただき、本当にありがとうございます。
    過去の経験があまりに壮絶だったのにも関わらず、それを全く感じさせないほど輝いていらっしゃることに心から嬉しく、感動致しました。
    涙が止まりません。
    神様はどんなに苦しくても、それを跳ね除けてしまえるほどに幸せを下さると改めて感じ、心が熱くなりました。
    私も何処までも神様だけを愛して生きていきたいです。Rapt様の下で愛する兄弟姉妹達と心一つにして神様に向かっていきたいです。
    神様を愛せる道に導いて下さった神様とRapt様に心から感謝します。
    一度御言葉を聴けば何処までも真理だという事が分かります。もっと多くの人が真理を求め、御言葉に導かれますように、心からお祈りを捧げます。

  • あやこ
    Posted at 06:32h, 14 10月

    どこまでも誠実でひたむきな心が伝わり、読んでいて清められるようでした。
    このような貴重な証言を私達に与えてくださったRAPTさんと証言者の方に心から感謝致します。
    その人その人に神様の定められた時があるのだと改めて感じました。この方はちゃんとその時をつかまえて、まさに全てを捨てて神様に委ねたからこそ、今大きな祝福を受けていらっしゃるのだと思いました。
    身の回りで沢山の悪や汚れを見せられると自らも伝染してしまいそうなものですが、この方は決して汚されず、寧ろそれを糧にして神様の愛に至ったのですね。この方の素直さと真面目さ、従順さ故であると心打たれました。本当に見本であり、お手本です。
    これからも共に学べますことに心から感謝致します。
    RAPTさんと証言者の方、兄弟姉妹の皆さん、そして聖なる教会が、これからも強力に護られ、大きく栄えられますことを心から祈ります。

  • あきこ
    Posted at 12:08h, 14 10月

    RAPT様、証言者様、「証し」を読ませていただき心から感謝いたします。
    証言者様の言葉の一つ一つが生きていて、純粋なものを感じました。
    最後のRAPT様のコメントにもあるように、
    年齢に関係なく、真心から神様を求めることで
    大きな祝福が与えられるということを実践されたのですね。
    また、他の兄弟姉妹から寄せられたコメントにも心があたたまります。
    RAPTブログの読者の証言は、どれもこれも
    大勢の人々に読んでもらいたいものばかりです。
    証言者様がこれからも神様の永遠の愛の中に生きられますように・・・
    RAPT様の御言葉を通して、
    神様の愛が全地に広がるよう、お祈りいたします。

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