15 9月 RAPTブログ読者の証言〈VOL.25〉エホバの証人に通って精神を病み、RAPTブログに出会って真に救われた30代男性。
〈RAPTブログ読者の証言〉シリーズの第25弾です。
今回は、母親に無理強いされて「エホバの証人」に通っていた30代の男性による証言です。
一言で「宗教」と言っても、この世には実に様々な「宗教」があります。
そして、RAPT理論を通して分かった通り、この世に存在している「宗教」のほとんどすべてが悪魔「ルシファー」を拝ませるものばかりです。
キリスト教系の宗教も、そのほとんどが神様「ヤハウェ」を拝ませる振りをしながら、その実「ルシファー」を拝ませるものばかりです。
カトリックにしろ、プロテスタントにしろ、有名な教団のほとんど全てが「キリスト教」という仮面をかぶった悪魔教に過ぎません。
ですから、それらの「宗教」を信じても決して真の救いは得られず、人生が幸福になることもありません。むしろ、人生が絶望のどん底へと突き落とされていきます。
私も長くクリスチャンの生活を続けてきましたので、キリスト教系の様々な教団を目にしてきましたが、どれもこれも全てが人を絶望へと突き落とす教団ばかりだという実態をまざまざと見せつけられてきました。
今回の証言者もまたキリスト教系の新興宗教である「エホバの証人」に通っていたわけですが、やはり「エホバの証人」もまた真の救いを与えてくれず、むしろ精神をどんどん狂わせてしまいます。
今回の証言を通して、私たちが真に信じるべきは真実なる「神様」だけであり、その真実なる「神様」に出会う窓口がこのRAPTブログである、ということがはっきりとお分かりいただけることでしょう。
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◇エホバの証人のもとで過ごした半生◇
私が2~3歳の頃、母がエホバの証人の訪問を受け、信じるようになりました。
母はもともと神も仏もいると信じていたようですが、なぜ世の中に悪がはびこっているのかを疑問に感じていたようです。母はエホバの証人の教えが真理だと信じるようになりました。
母はすっかりその宗教にハマり、私も物心ついたときからずっとその教えのもと育てられました。
幼稚園ぐらいの頃から集会に連れられ、幼い頭脳では理解できない話を長時間も聞かされました。宣教活動にも無理やり連れられました。
気がそれて爪をいじったりしただけで手をつねられたり叱られて、罰としてホースでお尻を叩かれることもよくありました。「ムチ」と言って昔は誰もが体験していましたね。
親たちは愛ゆえにやったことなのだそうですが、それに愛を感じた子どもがいたかは大いに疑問です。
私は恐怖しか感じませんでした。今はムチをする家庭はほとんどないと思いますが。
ムチという恐怖があるので逆らうことが恐ろしく、どんなに退屈な親の聖書研究も集会も参加せざるを得ませんでした。
本当に嫌な時間でしたが、それでも幼心に神様を悪魔の存在を信じるようになりました。それ以外は何も理解していませんでしたが。
小学校の高学年になると、生徒会の選挙活動が始まりました。
誰もやりたい人がいないので、私がクラスのみんなから推薦されたのですが、母にやってはいけないと言われていたために断りました。
でも信仰的な説明が何もできず、母にそう言われたからとしか言えず、とても恥ずかしい経験でしたね。
私は高校の頃までずっと熱心な信仰は持っておらず、ただ神様の存在は信じているという状態でした。
それでも集会には行っていました。行かなければならないという義務感、強迫感に支配されていて、行かないことに罪の意識が植え込まれていたからです。
私の双子の兄は昔から集会が嫌いで、中学にあがる前から参加しなくなっていました。そんな彼には母はうるさく言うことはありませんでした。
しかし私は集会に行き続けていたので、私がたまにサボると、母と長兄は鬼のように私に怒りました。(長兄も熱心な信者です)
私は中学のときに身体的な悩みを抱えるようになり、それを両親には打ち明けられず、一人で悩んで学校にも行けなくなり、引きこもるようになりました。
そして集会にも行けなくなって、母はひどく動揺し、「あんたサタンの側にいって滅びるわ!」と言われ、私はひどく悲しみ、母を嫌うようになりました。
それでも神様の存在を疑うようなことはなく、親しい兄弟と聖書研究をイヤイヤですが続けることになります。
高校ははじめは公立に通ったものの、また不登校になり、翌年から通信制に通ってなんとか卒業はできました。
その通信制の高校はNHKのテレビやラジオを用いての通信講座なのですが、はじめは勉強が嫌いだった自分が、地理が理科のテレビ放送を視聴することで、だんだん勉強が楽しくなっていきました。
教科書を読むだけじゃわからないことがCGなどの映像を見ることで理解が深まりますし、好奇心もかきたてられます。
なぜ他の学校もこれを取り入れないのかと不思議に思いましたね。
それじゃあ勉強がつまらなくなるに決まってますよと。テストのための勉強ではなく実質のある勉強ができて、いい経験になりました。といってもほとんどは真面目に勉強しなかったのですが…。
しかしその通信講座のおかげでしょうか、だんだん聖書の勉強が楽しく感じるようになりました。聖書の勉強も歴史や科学が関係していて、自分と聖書がつながっていくのがとても面白く感じたのです。
それからは、引きこもりつつも集会には意欲的に参加し続けるようになります。
そして高校も無事卒業することができました。
しかし、相変わらず悩みは解決しないまま抱えていました。誰にも相談できないままずっと。
社会に出ても打たれ弱さは相変わらず、すぐに仕事をやめてまた引きこもるようになり、半年後も勇気を出して介護の仕事を始めるも、また打ちのめされて自尊心を無くし、また長期間ひきこもるようになってしまいました。
社会に出るのが恐ろしく、親にも気持ちを理解されず、親と長兄を激しく嫌うようになりました。
集会に行っても心が癒されることはなく、逆に心ない言葉を浴びせられて(相手に悪意はないようでしたが)集会にも行けなくなりました。
一人で悩み苦しみ、耐え切れずにひたすら現実逃避をする毎日。
ひたすらアニメやゲームに溺れ、幻想の世界に逃げ込みました。その間は嫌なことが忘れられて楽しくすごせましたが、現実にもどると厳しい現実が見えて苦しいので、もっと幻想の世界に逃げ込みました。
淫乱なこともひたすら考えて汚れたことをし、たくさん罪を犯しました。それも現実逃避の一環でした。
歳をとるにつれてどんどん焦りが増していき、生きていることの辛さと申し訳無さで耐え切れず、何度も死にたいと思い、実際に何度も自殺を試みました。
飛び降りようとしましたが、いざその時になると恐怖を感じ、死ぬことはできませんでした。
手首をカッターで切ろうともしましたが、切れ味が悪くてなかなか切れず、血管をなんとか切ったものの、致命傷にはほど遠く、異常なほど濃く流れる血に恐怖を感じ、それも諦めました。
こんどは首吊りにしようと、ロフトベッドから紐を吊り下げて座りながら首をしめました。しかし意識が飛びそうなところで体がそれを拒否するようにガタガタ震え、苦しさと恐怖で完遂できませんでした。
なんどもなんども首吊りを試みましたが叶わず、「もう無理だ、死ねない、どうやっても死ねない…」と絶望しました。
苦しくて苦しくて、泣きながら神様に「助けてください」と祈りました。もうそれ以外になにもできないと、神様にすがるしかありませんでした。
今思えば、死ねなかったのは神様が助けてくれたからだと思います。本当に、生かしてくださって心から感謝しています。
その後、引きこもり支援の方が長期間心の支えとなってくださいました。
だんだん物事がいいほうに進むようになり、親と二年間も全く口をきかず嫌悪感と憎しみをあらわにしてきましたが、鏡の法則という著作物にある親子の話に大きく心を動かされ、自分から動いて親と和解することができました。
その後は親の助けを得て「せどり」という転売ビジネスを始め、あまり成功はしませんでしたが、もっと効率よく稼ぐために、外に出て働いたほうがいいなと思うようになりました。
外にでることもだんだん慣れ、アルバイトを探して2つ目のお店ですぐに働けるようになりました。
だんだん身体的な悩みも気にしないで済むようにもなりました。
すべて神様の助けがあってできたことだと思っています。神様に本当に感謝しています。
◇RAPTブログとの出会い◇
RAPTさんのブログに出会ったのは、確か転売ビジネスをがんばっている頃だったでしょうか。
その頃ツイッターで放射能の危険性を訴える人がけっこういて、私もその情報を鵜呑みにしていました。
それで放射能のことを調べているうちに911や人工地震、フリーメイソンなどの陰謀論を知り、陰謀論にハマっていきました。
そして辿り着いたのがRAPTさんのブログです。最初にどの記事を読んだかまでは覚えていません。すみません…
RAPTさんのブログは、他の陰謀論者とは違うものを感じました。
私自身が聖書と神様を信じていたので、RAPTさんがクリスチャンだと知って、それだけでも私には大いに信頼に値したのですが、他の誰とも違う理論で説得力のある記事に「この人はすごい!」と感じました。
◇真理を探す◇
アルバイトを始める前のことですが、私はエホバの証人のことをネットで調べていて、組織が大きな不正や幼児虐待を行っていることがわかり、その教理にも大きな矛盾があることを知りました。
ショックでしたが、これは真理ではないと悟り、エホバの証人をやめることにしました。といってももともと熱心でもなければ正式な信者でもなかったので、自然消滅という形です。
その後、ネットでいろんな聖書注解を読んだりしました。お恥ずかしながら、それまで聖書を全部読んだことがありません。熱心なエホバの証人はみんな聖書を何度も読んでいますが、私はそんな熱意がなかったので…
私がエホバの証人のもとで勉強していたのは、エホバの証人が独自に発行している解説書です。他のどの宗派よりもはるかに多くの本や小冊子を作っていると思います。それを読んでいるだけでも聖書に詳しくなった気でいました。
RAPTさんが有料記事を始めたころ、私は聖書のことを知っているから、私には有料記事は必要ないと思っていました。初心者向けの内容だと思っていたからです。
しかし半年ほどたち、有料記事のタイトルた序文を読むと、なんだかものすごい内容のような気がしてきて、そこからようやく読むようになりました。
読んでみて、自分の無知を思い知らされました。「自分はぜんぜん聖書を理解していなかった。エホバの証人の教えていることは中身のない、とても浅い薄っぺらいものだった」と。
前々からエホバの証人の集会で学ぶことは、同じことの繰り返しでつまらない、またその話かと感じていたのですが、彼らがなんにも深い真理を悟っていないからそうなるのは必然なのですね。
それからRAPTさんの有料記事を読み続けていきますが、まだ深い信仰は持っていませんでした。
◇音楽に傾倒する◇
アルバイトを始め、RAPTさんの有料記事を読みだしたころ、私は双子の兄が参加していたアニソンセッションの動画に心惹かれ、友人を増やしたくて参加するようになりました。
引きこもっていて付き合う友人がほとんどいなかったので、アニメとアニメソングが好きだった私はそのアニソンセッションがとても魅力に感じました。
兄に同行して参加したことですぐにたくさんの人と打ち解け、何回も参加してとても仲良くなり、今までで最高の友人たちだと思うようになりました。
100人以上も友人ができ、ここは神様が与えてくださった最高の居場所だと、その時は思い込んでいました。
その後私はベースギターを始め、セッションにプレイヤーとして参加するようになり、さらにはバンドも始めて友人たちとより深く付き合うようになりました。それがとても楽しく、練習に明け暮れて、聖書の勉強は二の次になっていました。
それでも、いちおうRAPTさんの一般記事は欠かさず読んでいましたし、有料記事も少しずつですが追って読んでいました。それをやめないで良かったと心から思います。
2017年の1月になって、2016年10月あたりの有料記事を読み、すごいことになってきたと思って2月で一気に有料記事を読みすすめ、ようやく最新の記事に追いつくことができました。
その時点で、真面目に信仰生活をしたいと思うようになっていました。
もっと霊的な時間を確保したかったのですが、4月にライブを控えていたので、そのライブを終えてからバンドとセッションを全てやめようと心に決めました。
最後のライブはたくさん練習して本番を迎えました。とても楽しかったのですが、あっけなく時間が過ぎ去り、こんな一瞬の喜びのために何ヶ月も練習してきたことが虚しく感じてしまいました。
その後、ツイッターで友人たちに「真面目にクリスチャンとして生きたい」と打ち明けました。
案外多くの友人に応援されて嬉しかったです。
しかしまだいろんなものを捨てきれていないことに、その時点ではまだ気づいていませんでした。
まだアニソンセッションの友人たちとの関係を絶たずにいましたし、アニメソングでギターの練習も続けていました。
しかし御言葉でそれらを捨てる必要があることを悟り、友人たちとの関係を絶ち、賛美歌以外のすべての音楽を削除しました。
それらを捨ててみると案外スッキリし、神様のためにすべてを捧げようという熱い気持ちがわいてきました。
今までは毎日イヤホンをしながらたくさん音楽を聴いていたので、少ない賛美歌で満足できるのか少々不安でしたが、そんなに音楽を聴きつづける必要もないなと思うようになり、今までかなりの時間を神様と違うところに思いを向けていたんだなと気づきました。
霊的な時間をたくさんとれるようになって良かったと思っています。
その後は愛媛に行きたい、御心を成して地上天国を広げる業に携わりたいという思いがどんどん強まっていきました。
しかしまだ神様の御心がわからず、御心と違うことをして見放されないかという恐れから、御心がわかるまではひとまず肉の努力は控え、霊的なことだけに集中して取り組んでいました。
ですが、有料記事198「自分のできること、やりたいことを積極的に主に提案し、求め、実践しなさい。」を聴いて、受け身じゃいけないんだ、もっと能動的になって、何が御心かわからなくても神様に相談しながら積極的にいろんな努力をしていこうと、ようやく新たな一歩を踏み出すことができました。この御言葉をいただけて本当に嬉しかったです。
今の仕事もやめるべきかどうか悩んでいました。正直、時間が奪われるのが嫌だったので、すぐにやめたいという思いでした。
しかし以前、時間を減らしてもらおうと店長に相談した際、「時間を減らしてもやりたいことができるようにはならんで。限られた時間の中で自分で時間を作り出してこそできるんや」と言われました。
確かに自分は時間管理も段取りも下手で、家ですごす時間もうまく使えているとは到底言えない状態でした。
そんな状態で仕事の時間を減らしても何も変わらないかもしれません。
「もっと今の職場で鍛えられなさい」という神様の導きだと思いました。
過去にも、今の職場で神様の導きだと感動した出来事が何度かあったので、今回もこれは神様の導きだとしか思えませんでした。
ちゃんと時間を上手く使えるように鍛えて、段取りももっと鍛えて、もっといろんなことを今の職場で吸収し、成長していこうと思っています。
つい最近201回の有料記事で、兄弟姉妹どうしで守るべきマナーやルールを教えてくださっていましたが、タイトルだけ読んで、「今回は自分にはあまり関係ないかな…」なんて思っていました。
しかしその日に思いがけぬことが起きました。
私はここ一週間ほど体調不良で仕事を休んでいたのですが、連絡が不適切だ、最悪だ、社会のマナー・ルールがわかっていないと店長に叱られてしまいました。
私は過去に長期間ひきこもっていたために社会経験がきわめて少なく、気遣いもなかなかできず、コミュニケーションも下手で、あらゆる点で未熟で、未熟さが滲み出ていると自分でも感じており、コンプレックスを抱いていました。
しかし社会のマナーやルールという常識をぜんぜん身につけていないことに今まで気付かず、店長に叱られたことで自分の未熟さを改めて思い知らされ、とても恥ずかしい思いでした。
201回の有料記事は自分に大いに関係のあることで、今まさに必要としているものだと強く感じました。神様の導きを感じます。
とても恥ずかしい思いをしたものの、店長は私のためを思って叱ってくれていましたし、そこに神様の深い愛を感じました。
今もあらゆる点でまだまだ未熟で、まだまだ義の条件も足りないと感じる毎日ですが、それでも新たな気付きが得られていること、最新の有料記事からいつも自分に必要な御言葉が得られていることに喜びと感謝があふれ、これからももっと頑張りたいという気持ちでいっぱいです。
どうか私たちの成長のために、これからもどんどん厳しい御言葉をくださいますようにRAPTさんの力になれるように頑張ります。どうかよろしくお願いします。
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ちなみに、「エホバの証人」の創始者であるチャールズ・ラッセルは、上の画像を見ても分かる通り、死んだ後はピラミッド型の墓に葬られました。
つまり、彼もまたフリーメーソンの一人だったというわけです。
そして、フリーメーソンは「神」と「悪魔」の両方を拝む宗教です。
そして、この世にあるほとんど全ての宗教団体が、彼のようなフリーメーソンによって作られたものばかりである、ということを我々はきちんと肝に命じておくべきです。
しかし、だからといって、「この世のどんな宗教も信じたくない」と考えるのもまた実に浅はかな考えです。
それではまるで、「自分が行ったレストランはどこも不味かったから、この世には美味しいレストランなんて存在するわけがない」と考える愚か者と全く同じです。
そのような偏見もまた自分の人生を絶望のどん底に突き落とすものである、ということを我々はきちんと理解しておくべきでしょう。
今、あなたの目の前には真の救いの道があるのですから。
ということで、これからも引き続き読者の皆さんからの証言を募集いたします。
どうぞ奮ってご応募下さい。
國立昌也
Posted at 17:41h, 15 9月今回証言者の方と生い立ちや育ってきた環境は違いますが、最後の社会ルールやマナーの欠如という所で私と合致しました。やはり今の職場で働く事が、その事に対する練達なのだと思いました。もっと神様に近づける様に自分の次元を上げて、信仰を続けて行きたいと思います。ラプト様や兄弟姉妹に大きな愛が溢れます様に、アーメン。
s-factor
Posted at 22:20h, 15 9月RAPT様、証言者様、今回も貴重な証言をありがとうございます。
兄弟姉妹それぞれの人生において経験する事、良い事悪い事、その全てに意味があると今は分かります。
神様を信じるようになってからの自分の頭に浮かぶ事、他人がもたらす考え、事柄、タイミング。 全てにおいて導きを感じます。
証言者様の自殺行為にまで進まれた話、とてつもない苦悩が感じ取れました。
しかし、無駄な事柄が無いとすれば、この証言により、今現在同じ状況で苦しんでいる人、自殺を心に浮かべる人が、一人でも多く神様を信じ救われる事を願います。 信じれば自分と環境に必ず変化が起きます。
今回の証言に、そして全ての事に感謝します。ありがとうございます。