RAPT | RAPTブログ読者の証言〈VOL.23〉喫茶店を経営して大成功するも、かえって心身ともに疲弊していった40代女性。
44807
post-template-default,single,single-post,postid-44807,single-format-aside,ajax_fade,page_not_loaded,,side_area_uncovered_from_content,qode-theme-ver-11.2,qode-theme-bridge,wpb-js-composer js-comp-ver-4.3.5,vc_responsive
 

RAPTブログ読者の証言〈VOL.23〉喫茶店を経営して大成功するも、かえって心身ともに疲弊していった40代女性。

RAPTブログ読者の証言〈VOL.23〉喫茶店を経営して大成功するも、かえって心身ともに疲弊していった40代女性。


 
〈RAPTブログ読者の証言〉シリーズの第23弾になります。
 
今回は、長年の念願だった喫茶店の経営をご夫婦で始めて、大成功された40代女性の証言になります。
 
普通なら、自分の念願も叶い、かつ名実ともに有名になったわけですから、喜び勇んで幸福に生きられるところでしょう。
 
しかし、現実はその逆で、喫茶店が流行れば流行るほど、かえってこのご夫婦は心身ともに消耗していきました。
 
というのも、来店するお客さんの態度の悪さに苦しみ、そのお客さんたちにどう対応していけばいいのか分からなくなっていったからです。
 
また、お店の人気が上がっていくにつれて、マスコミから取材を受ける機会も増えていったようですが、結局、マスコミは好きなことを適当に書き散らすばかりで、この方はその記事を読む度に心が痛めつけられたそうです。
 
さらには、インターネットでも不特定多数の人たちが心ない口コミ情報を書き散らすようになったため、一時は完全にインターネットを見ることすら怖くてできなくなった時期もあったようです。
 
有名になってお金持ちになれば幸せになれる……。
 
この世の多くの人々がそう思い込んでいますが、現実は全くの正反対だったというわけです。
 
しかし、この方はその後、このRAPTブログに出会って神様を信じることによって、それまでただの苦痛に過ぎなかった喫茶店の経営を、これまでにない喜びの中でやっていけるようになりました。
 
今回の証言を読めば、その喜びがはっきりと読み取れることでしょう。
 
---------------------
 
3、4歳になり、物心がつくと、父親が崇教真光をとても熱心に信仰しており、母とひとつ上の兄、そして私は、信仰している、という事になっていました。
 
家には御神殿と称する部屋があったり、信者であろう人が出入りしたりと、道場と称される役割りを担っていたようでした。
 
同敷地内には母屋があり、祖父母と曾祖母が暮らしていました。
 
そこではこの地域全体が信仰している日蓮宗を当然のように信仰していました。
 
朝晩に食事を供えお経おあげること、これは祖父母にとって当たり前すぎる日課でした。
 
仏壇の上の方にある欄間には、戦死した二人ぶんの遺影で、靖国神社を背景にしたものが掲げてありました。
 
当時私は兄から毎日のようにいじめられていました。
 
一緒に遊ぶよう誘ってきては、楽しいなと思っているところに、急にオモチャで叩いてきたり、髪を引っ張りたくさん抜いたり、蹴り倒してきたり、ツバを吐きかけたり、メチャクチャでした。
 
当然大泣きしました。走って母にすがり助けを求めました。
 
母は面倒そうに兄を制する感じはとるものの、それよりすがってくる私をもっと面倒そうにしていました。
 
解決することなく、6歳ぐらいまでそれは続き、私にとって日々が憂鬱なことは当たり前でした。
 
思い返すと、母は精神がどうかしていたと思います。
 
ところかまわず唐突に火がついたように怒りわめき散らすことが当たり前でした。
 
兄にいじめられないよう、母に金切り声で罵られないよう、家なのに、身を潜めて過ごしました。
 
父は東大受験に3度失敗し、同志社大学を経て三菱重工に入社しますが、理由は知りませんがすぐ辞めて、家でブラブラしたり塾をやってみたり再就職してすぐ辞めたりと気ままにしていた、と生前祖母から聞きました。
 
そんな父は、いつ家に居るのか分からず、居ると思ったら御神殿の手入れを熱心にしていました。
 
私の状況など意に介さず、お清めと称する正座を強要したり、母がわめき散らすのは霊が付いている霊障だとか、この世はロスチャイルドやイルミナティが支配しているとか、神様に逆らったら地獄に落ちるとか、病院は行くなとか、添加物の入った食品は食べるなとか、ゾロアスター教がどうとか、1999年にポールシフトがおこり人類は滅亡するとか、そんなことばかりを吹き込んできて、到底あてにできませんでした。
 
また父は宣伝カーと称する、崇教真光と大きく描かれた街宣車のような拡声器付きの車で兄や私を乗せ、人通りの多いところへ出かけては、真配り(まくばり)と称して、見知らぬ人々に何かしら書かれた紙を配布することを強要しました。
 
当然ほとんど誰も受け取りません。私はそれらの人々の視線が痛すぎて、恥ずかしすぎて、毎回泣き出しました。
 
すると父は苛立ちを見せ、バツが悪そうに撤収しました。
 
自分はなんでこんなところに存在するのかな、そのように思うことぐらいしかできませんでした。
 
何となく天国みたいな所を想像しては、こういう風だったらな、と思う。それで精一杯でした。
 
それでも子供なので、父や母がいなくなることの方が怖いと思っていました。
 
小学校に入り、どうやら他の子たちと自分の家は状況が異なると、徐々に分かってきました。
 
なんだかとても恥ずかしくて、誰にも知られたくなくて、常に萎縮していました。
 
授業中も分かる問題は当然挙手するところを、私は、なぜか、自分が挙手することで他のひとが正解して喜びを得る機会を奪ってしまうと思い、ほとんど挙手しませんでした。
 
他の人が正解して喜んでいると、よかった、と思っていました。
 
これは、家庭環境から、自分は他の人よりも元々劣った人間だから、自分が喜びの当事者になどなれるはずが無い、と思い込んでいたからだと思います。
 
ある時父が4人で旅行に行こうと言いました。
 
旅行自体がはじめてのことで、とても高揚しました。
 
宣伝カーでない方の父の黒塗りの愛車で出かけました。
 
着いたところは、岐阜県高山市にある、出来たばかりの崇教真光総本山でした。
 
それでも出かけられたことの方が嬉しかったです。
 
帰り道、食事に入ったお店の中で、何かが気に入らなくて母が突然怒り狂い出しとても恥ずかしかったことも思い出です。
 
小学2年になり、ある日突然、母親がいなくなりました。
 
何となく、祖父母にそのことを尋ねてはいけない、そのように思って聞けませんでした。
 
その日から母屋で祖母の作った夕食を食べるようになりました。
 
自分の部屋も母屋へ引っ越ししました。
 
それでも何も聞けませんでした。
 
何日かして父が現れ、離婚した、とだけ事後報告してきました。
 
淡い期待を残していた私は完全に打ち砕かれ、ただただ放心するだけでした。
 
夜一人になったら聴こえないようにずっと泣きました。両親の身勝手さ、捨てられた惨めさに対してです。
 
7歳でした。
 
この頃から小学4年頃までよく思っていたことを今でもはっきりと思い出せます。
 
心はガラス張りで丸見えだから見られてもいいように過ごすこと。人が喜んでいることが私の喜びであること。私は居なくなりますように。
 
どういう経緯でこう思うようになったか分かりませんが、なぜか心底そう思っていました。
 
そんな矢先に、父が人の保証人になり自己破産しました。
 
住む家さえも無くなり一家離散しました。自分の家だけ大地震と大津波がきて根こそぎ無くなった、そんな感じでした。
 
何よりも辛かったのは、周囲は変わらぬ日常が流れていることでした。誰にも何も言えませんでした。
 
そして私は急に母と兄と3人で暮らす事になりました。
 
展開の激しさに、3人ともこれまでに起こったことを、一切話しませんでした。
 
ある日、父が何食わぬ顔で現れ、幸福の科学を信仰するように言ってきました。
 
これこそ正しいと。死んで欲しいと思いました。
 
が、何となく信仰している、そのような状態に次第になって行きました。
 
大川隆法の講話にも行きました。何にも覚えていません。
 
母は以前の記憶通り、ヒステリックでいつスイッチが入り金切り声でわめきだすか分からなかったので、内心ヒヤヒヤしながらも平静を装いおとなしくしていました。
 
学校に行っても、誰にも何も気取られぬように、明るくかつ目立たぬように振る舞う、このようにしてひたすらに耐え忍び通しました。
 
19歳になり、短大に通っていた頃、父が倒れ、死にました。怒りと安堵と悲しみが混ざり合いましたが、最終的にホッとしました。
 
この頃、カフェでアルバイトをしており、仕事がとても楽しく人間関係にも恵まれ、やっと自分が居てもいい場所ができた気がして、ずっとここでみんなといたいな、と思えました。
 
卒業を機に家を出て違うカフェでアルバイトをしながら独り暮らしをはじめました。
 
短大が栄養科だった事もあり、ケーキ作りの担当をさせてもらいました。
 
特にケーキが好きとか作りたいとか思っていませんでした。
 
教えて頂くなかで、私だったらこうするとか、私だったらこういう味にするとか、頭の中で勝手に思っていました。
 
それが広がり、私だったらどういうお店にするだろうと勝手に思うようになり、次第にお店をやりたいと強く思うようになりました。
 
お店をやろうと決めました。大きな目標ができました。
 
この頃、夫と知り合い、すぐ一緒に暮らしはじめ、2年半ほどして結婚しました。
 
経験を積みたくて、いろいろなお店で働きました。
 
私の収入は全て貯金し、夫の収入で生活しました。それも切り詰めてなるべく貯金しました。
 
10年して、やっと喫茶店を開業できました。
 
開業当初からとても繁盛しました。
 
私としては、これまでの経験から、こうするとさらに良いという事を、ありとあらゆる箇所に詰め込んだと、金銭的な事以外は納得してはじめられたと、幾分かの自信はあったのですが、それでもどうしてだろうと思うほどでした。
 
しかし、多くの人が来るということは、それだけいろいろな波長の人が来るということで、正直、2人ともかなり心身ともに消耗していきました。
 
心情が遠過ぎる人がなぜ来るのだろうと泣けてきました。
 
お店の人は何も反論できないものです。自分がオーナーになってみてはじめて身に染みて分かりました。
 
お店とはなんだろう。本当にやりたいことはなんだろう。
 
毎日当たり前に自分に問い続け、少しずつ慎重に答えを探る癖がつき、少しずつ少しずつ分かっていきました。
 
私が本当にやりたいことは、職業として、労働としてお店を営む立場から、その日々を昇華しインスタレーションとして仕立てていく表現を試みることです。
 
これは、どのような立場であっても、能動的に選択して行っているのであれば、芸術表現たりうるのだと言いたいのです。
 
そういう人々も表現者として尊ばれるべきで、そのことを、行いを通して啓蒙したいのです。
 
最もこれは、神様不在の時点で思い至ったことなのですが。
 
ですが、これをさらに押し進めたインスタレーション表現を、神様は聞こえる様なかたちで、祈り求めて、私の表現へと作り直しなさい、この様に仰られた様に思える事がありました。
 
そんなこと関係なしに蹂躙される出来事はよく起こります。
 
お店ですから、雑誌の取材を受けることがあり、私はその度に酷く落胆し、すり減らしていきました。
 
なぜなら、雑誌は雑誌の都合のいいようにしか掲載しないからです。
 
編集しやすいようにカテゴライズして勝手に並列化する。
 
そうじゃないと思っても後の祭りです。
 
雑誌ごときのやっつけ仕事をする輩ににわざわざ反論するのもバカらしいと思って流していくだけでした。
 
最も時には、名のあるライターさんもいらっしゃり、丁寧な仕事を拝見することもありました。
 
時に、テレビの取材を受けたことがありました。
 
最低でした。雑誌以下でした。
 
あらかじめ内容がほぼできており、都合のいいように当てはめ、はまらないことは切り取る。
 
どこの誰でもいいのです。
 
とり仕切るディレクターの波長が悪く、2度と会いたくないほどでした。
 
それを見てお店にやって来る人達も、普段いらっしゃるような方達とは違って、ただただミーハーな人や、品定めしてやるという目線の人ばかりで、さらなる苦痛がもたらされました。
 
それ以来テレビはその一度きりで受けなくなりました。
 
そして、お店をやっている人全員の最たるモヤモヤのタネがネットの批評です。
 
私は開業当初から、そういったものを目にすることが怖くて、自分にとってマイナスでしかないと思い、可能な限り見ませんでした。
 
ある時、別の件でパソコンをさわっていたら、たまたま、酷い書かれようの文を目に入れてしまい、そのあまりの適当さとあまりの悪意に、悔しくて悲しくて泣き崩れたことがありました。
 
匿名の者が名指しで悪意をぶつける。
 
その文字はそのまま残り続けても、本人はスッキリして忘れるのでしょう。
 
それ以来、本来過敏な私はさらに過敏になっていき、電話が鳴るだけで文句を言われるのではないかと思い、とれなくなりました。
 
夫がいなければ、お店を辞めていたと思います。
 
あんなにもやりたくて一生懸命準備してやっとはじめたのに。
 
悪意は本当に人を殺すと思いました。
 
それ以来パソコンには近づかないと心に決めました。
 
気を紛らわせたくてお酒を飲まないとお店に立てない時期もありました。
 
11時の開店に間に合うように4時にきてケーキを作るのですが、気もそぞろになってしまうことが出てきて、落ち着かせるために好きなDVDを見ながら仕事をするやり方に落ち着いていきました。
 
功を奏して楽になっていき、仕事にせいが出るようになっていきました。
 
DVDが増えていきました。でも好きなものはだいたい決まっていて、それらばかりを繰り返し見ていました。
 
定休日もほとんど店で仕事をしますから、その間もずっと好きな同じDVDを見続けました。
 
好きすぎてどれも数十回は見ました。100回くらい見たものもあると思います。
 
余談ですが、私は岡村靖幸さんの昔からのファンで、DVDはもちろん網羅しており100回は余裕です。
 
ぶーしゃかroopで復活した時は涙ものでした。
 
ファンクラブに入り直し、時間の許す限り、ライブにも足を運びました。
 
しかし、残念ながら、ライブ中にもイルミナティのハンドサインを入れ込みます。
 
坂本龍一とも親しいですし。グッズ共々処分し、ファンクラブも退会しました。余談でした。
 
そんな時、見かねた主人が誕生日にアイパッドをプレゼントしてくれました。
 
ユーチューブでは好きな映像が見られると教えてもらい、さらに拍車がかかりました。
 
すぐに元々興味のあった、予言や宇宙人、人類の起源や天皇家、あらゆる陰謀ものを見まくりました。
 
これまでの経験から、人間は酷い生き物だと常々思っておりましたので、人間は、猿とアヌンナキの遺伝子を掛け合わせて、アヌンナキによって造られた奴隷で、放置されて勝手に繁殖した成れの果てだと信じました。
 
だからこの世界がこんなにもメチャクチャなのは仕方がないのだと思いました。
 
また、中丸薫の本を読んで、太陽の会に入ろうかと考えたり、ヒカルランドのイベントに参加しようと思たりしていました。
 
そんな道すがら、RAPTさんの読者対談とカレイドスコープが紹介していたツアイトガイストにどハマりしました。
 
ツアイトガイストは、三部作とも30回ずつは見ました。
 
傾倒しました。なのですが、最終的に提示される理想世界が超共産主義のような均質化された世界で、世の中の多様性や人の個性は不要なのかな、と数十回同じ疑問を持ちました。
 
さらに、聖書の否定が凄まじく、イエス様は、占星術と文学によって生み出された架空の人物だと、もっともらしく長く説明していました。
 
聖書を開いたこともない私は、それを鵜呑みにしていました。
 
アヌンナキからツアイトガイストまで、今となってはバカバカしい限りです。
 
神様申し訳ございませんでした。全てはRAPTさんの素晴らしいブログのおかげでした。
 
RAPTさんの読者対談は、少なくとも全て2回周りは聴かせて頂きました。
 
RAPTさんが、宇宙人はいないと仰られたとき、本当にそうだと思えましたし、RAPTさんはいかなる組織にも属しておらず、どのような誘いにもなびかない。
 
つるまない。こんな切り口見たことない。
 
途方も無い範囲をこんな明快に!!いた!!本物の人発見した!!
 
と宝物を見つけ出せた驚きを主人に報告せずには要られませんでした。
 
その後も一般記事は拝読させて頂いてはいたものの、有料記事は、子供の頃の経験から、宗教とは関わらない、神様不在の宗教性、敬虔な気持ちのみを頼りにしたいと思っていましたから、拝読には至れませんでした。
 
ところが、知らぬ間に主人が拝読させて頂いており、2016年10月から、私に勧め出しました。
 
当然、私の生い立ちを知っていますから、その上で勧めるとはただ事では無いとすぐに分かりました。
 
それでも抵抗がありました。
 
主人の様子を見ていて、少しずつ拝読させて頂くようになりました。
 
それは、12月22日。私の誕生日のことでした。
 
毎年、クリスマスケーキ作りに追われ、3日間程ほぼ徹夜の午後、私は息抜きに、よく買うネットショップの洋服屋さんのサイトを見ていました。
 
欲しかったあのブローチ、まだあるといいなと思いながら。solde out。
 
人気があったから当然だとすぐ諦めました。
 
そのくせ名残惜しさもやはりあり、写真だけもう一回見ようと思い、ページを開きました。
 
残りわずか1点。えっ。何で。このショップでこんなこと絶対無いのに。
 
その時、私への誕生日プレゼントだと、とても強い感動が沸き起こり、なぜか涙が流れてきて、泣きながらクリックしていました。
 
神様。神様。神様が下さった。こんなことをして下さるのですか。ああ、神様ありがとうございます。
 
この年のクリスマスケーキは祈り求めながら一緒につくって頂いたはじめてのケーキでした。
 
出来上がりは、自分でも凄く感動する素晴らしいケーキが、いつもよりもスムーズにできました。
 
当然、お客様たちにもそれは存分に伝わり、とってもとっても多くの賞賛を頂きました。
 
神様の御栄光に私も預からせて頂きました。
 
RAPTブログを通して、神様から切り離された人類を再び神様の元に取り戻し、次元を上げる。
 
その様な時代に生まれ合わさせて頂けたことに深い感動を覚えます。
 
肉界と霊界の垣根を超えて、一丸となって神様の御心をグワァーっと押し広げたいです。
 
そうなりますように。
 
---------------------
 
私もこのRAPTブログを書いて今では一躍有名になり、一部の人たちから羨まれるほどになりましたが、過去から現在に至るまで、私の悪口を言いふらす人は跡を絶ちません。
 
というか、ネット上でここまで数多くの敵を作ったブロガーも珍しいのではないでしょうか(笑)。
 
そして、人によってはこのような激しい悪口攻撃を受けると、その苦痛に耐えられず、人を激しく恨むようになったり、人間不信になったりすることでしょう。
 
しかし、今でも私が正気を保ち、むしろこの世の誰よりも楽しく平和に生きていられるのは、唯一絶対の「本物」の神様を信じているからこそです。
 
この「本物」の神様さえ信じて生きていれば、例えどんな不遇な目に逢おうとも、喜びと平和の中で生きることができるのです。
 
もっとも、いくら私がこう主張しても、相変わらず理解できない人には理解できないのでしょうが。
 
それはともかく、次回はこの方の旦那さん側からの証言を皆さんにご紹介したいと思います。
 
その証言を読めば、このご夫婦が神様を信じることによってどれほど幸せに生きられるようなったのか、より鮮明にお分かりいただけることと思います。
 
ということで、これからも引き続き読者の皆さんからの証言を募集いたします。
 
どうぞ奮ってご応募下さい。
 

3 Comments
  • iris
    Posted at 17:34h, 01 9月

    素晴らしい証言ありがとうございます。神様の愛を感じるような証言でした。わたしも神様からのプレゼントをもらいました。この感動の体験は絶対忘れません。宝物です。もっとたくさんの人が神様から愛のプレゼントを受け取れますように。証言者さん、兄弟姉妹のみなさんに神様の愛と恵みが豊かに注がれますように。ラプトさんが力強く守られますように。

  • ひつじ
    Posted at 17:37h, 01 9月

    証言者さま、RAPTさま、貴重な証言をありがとうございます。
    最後のブローチの下りで、涙が溢れました。
    短大ご卒業の頃から大きな目標を持ち、経験を積まれてたとのことで……壮絶な生い立ちにも関わらず、常にとても前向きなパワーをお持ちだったのですね……私だったら心が折れて無気力になっていたかもしれません。
    私も、例え辛いことがあっても、もっと前向きに勤勉に、頑張ろうと思いました。励まされました。
    次回は旦那さま側からの証言とのことで、楽しみにしています。
    証言さまご夫婦とRAPTさまに、神様からの祝福がありますように。

  • kyoko
    Posted at 23:30h, 01 9月

    ラプト様、証言者様、素晴らしい証言のアップありがとうございました。グロテスクな悪事が暴かれた昨日の一般記事を読んだ翌日でしたので尚更、何とも爽やかな感動を頂きました。

    ご主人がiPadをプレゼント→奥様がラプトブログをご主人に教える→ご主人が有料記事を奥様に勧める

    苦難をきっかけに、ご夫婦で導き合われる素晴らしさに心打たれました。そして、それを完璧に計画実行された神様の偉大さに感嘆しました。

    甘い物が大好きなので、聖霊を受けて作られるケーキ、いつか食べてみたいです。

    ラプト様、証言者様ご夫婦、兄弟姉妹の皆様に、聖霊が益々豊かに降り注がれ、必ず守られますように。

Post A Comment