RAPT | RAPTブログ読者の証言〈VOL.13〉故意に30年以上キリスト教を避けて通り、人生が破滅寸前にまで陥った40代女性。
44135
post-template-default,single,single-post,postid-44135,single-format-aside,ajax_fade,page_not_loaded,,side_area_uncovered_from_content,qode-theme-ver-13.2,qode-theme-bridge,wpb-js-composer js-comp-ver-4.3.5,vc_responsive
 

RAPTブログ読者の証言〈VOL.13〉故意に30年以上キリスト教を避けて通り、人生が破滅寸前にまで陥った40代女性。

RAPTブログ読者の証言〈VOL.13〉故意に30年以上キリスト教を避けて通り、人生が破滅寸前にまで陥った40代女性。


 
〈RAPTブログ読者の証言〉シリーズの第13弾になります。
 
今回は、これまでの人生において何度もキリスト教を信じる機会があったにもかかわらず、キリスト教に対する偏見にとらわれすぎて、キリスト教を忌み嫌い、わざとキリスト教以外の道を通って30年以上生きてきた方の証言になります。
 
今回の証言者は、RAPTブログの読者の多くがそうであるように、かなり上昇志向の強い方で、そのせいで自己啓発やらスピリチャルやらと多くのものに手を出してきました。
 
そして、確かにそれらのものにはそれぞれに何らかのメリットがありました。
 
そのため、その世界にどんどんハマっていくことになったのですが、そうすることで人生が好転するのではなく、むしろ逆に人生がどんどん破滅に向かっていくという現実にぶつかりました。
 
当然のことでしょう。
 
自己啓発もスピリチャルも「6」の次元までは引き上げてくれるけれども、「7」の次元までは引き上げてはくれないからです。
 
完全な人生の頂上まで我々を導いてはくれないのです。
 
しかも悪魔どもは、「6」から「7」に昇ろうとする人を徹底的に妨害しようとします。
 
また、悪魔に使わている人間たちも「6」から「7」へ昇っていく方法を知らないので、その方法を誰にも教えられません。
 
そのため、「6」の次元で満足できずに「7」の次元まで昇ろうする人は、いつまで経っても人生の限界を突破できず、この世の中において地獄のような苦痛を味わうハメになります。
 
ところが、私の有料記事には「6」から「7」の次元に昇っていく方法が、どこまでも詳しく具体的に書かれてあります。
 
人生の全ての限界を突破する方法が、はっきりとあからさまに書かれてあります。
 
今回はそのことを身をもって生活の中で実感し、体験した方の証言となります。
 
---------------------
 
神様に本当の意味で出会うまでの道が他のみなさんと違い、かなり多岐にわたっているのでうまくまとめられるか自信ありませんが、私のように回り道をしてる人の心に響くなら幸いです。
 
証しの最初に、神様による救いの機会を拒否し、逃すことの結末について話させてください。
 
最悪の場合はもちろん滅びですが、幸運にも最終的には救われた人間であっても十年単位で人生の遠回りをする羽目になります。
 
私の場合、30年近くかかりました。
 
悪魔の道への入り口の広さはRAPTブログでも出てきますが、私が関わったものは「広義の意味でのスピリチュアル」「ヨガ」「アセンション」「神社仏閣」「引き寄せの法則」「自己啓発」「健康ブーム」「オーガニック」「占星学」。。と、節操なく多岐にわたっています。
 
こんなに何度も道を間違えたのに神様は私を導き救ってくださいました。
 
この証しでは健康ブームとオーガニックの話は割愛します。
 
ラプトブログに出会って神様を受け入れるか迷ってる方、反抗したくなった方はいらっしゃると思います。
 
ラプトブログに出会えたと言うことは神様があなたに与えてくださった救いのチャンスです。
 
この終わりの時、あと6年もないのにこの機会を逃してしまったらどうなるのでしょう?
 
そういう方にとって、私の30年間弱の迷走の体験が参考になりますように。
 
キリスト教に初めて出会ったのは中学時代です。
 
神様に出会った、とはあえて言いません。
 
中高一貫のプロテスタント系ミッションスクールで聖書とキリスト教に出会いました。
 
週に一度の聖書の授業、毎朝の礼拝、日曜教会に行くことの奨励。
 
ですが、私にはこれらのものが空しく見えていました。
 
教会での説教は興味深いとは思えず、矛盾がみえるばかり。
 
聖書にはたくさんの素晴らしい言葉があり、聖句を読んだ時は感動を覚えたものの、周囲の「クリスチャン」たちには心の底から失望していました。
 
クリスチャンなのに学生に手を出す教師がいました。
 
かわいい中学生の写真を撮りたがる教師、えこひいきが酷い聖書科の教師。
 
彼らは朝の礼拝では済ました顔をして説教をしていました。
 
でも一番嫌だったのは求道者になった同級生たちでした。
 
というのも、彼らは心の底から改心してクリスチャンになったのではなく、偏差値の高いミッション系大学に推薦枠をとりたかったからなのです。
 
肉的に考えれば「賢い」かもしれません。
 
でも自分の力を伸ばそうとはせず、楽に益をとろうとするずるさが私には許せなかった。
 
世界史を学べば、キリスト教=偽善、という思いが深まるばかりでした。
 
大学時代にアメリカに留学し、さらに様々な流派のクリスチャンに出会いましたが、キリスト教に対する印象が変わることはありませんでした。
 
人を取り込んで労働力か金づるとして利用しようと狙ってるようにしか見えなかったり、幸せを無理に装ってる人が多過ぎました。
 
当時は人をみてキリスト教をゆがんだ心で判断していました。
 
それで教えを拒否してしまったのです。全く愚かでした。
 
人間ではなく神様を見る賢さがあればよかったのに。
 
20代は人生の暗黒時代でした。
 
端的に言えば結婚相手がソシオパスと判明し精神的、肉体的な虐待をされていたのです。
 
自由になるお金もないし、異国にいては頼れる家族はなく逃げるのも簡単ではありません。
 
親には心配かけたくなかったから言えませんでした。自分の責任でしたしね。
 
恐怖はとことんまで思考を鈍らせます。
 
憩えるはずの自宅が一番居心地が悪い場所で仕事場だけが休める場所でした。
 
仕事のおかげで大学院にも行けたのですが、二足のわらじ生活に加え、家でも常に怯えて気が休まる時間も持てないままでいたら自然と病を何度も患う羽目になりました。
 
辛くて自殺を考えたこともありますが、大切に育ててくれた親を思うとどうしてもできませんでした。
 
この時は辛くても「自由になる」という目標があったのです。
 
紆余曲折の末、30歳でやっと自由を手にいれました。
 
すべての意味でマイナスからの再出発でしたが、自由になれた喜びが大きかったせいでしょうか。
 
どんな服を着るか自分で決めることができる、というような些細なことにも幸せを感じ、感謝できるようになっていました。
 
ぼろぼろな心を心の奥底に押し込めて、失った人生を取り戻すことに集中することにしました。
 
まわりを見れば同年代の人は子供を産んでいたり、すでに家を買っていたりしていました。
 
自分と彼らの落差に焦りを感じると同時に、自由を得る前は輝いていてみえた仕事も色褪せて見えました。
 
普通に努力するだけでは追いつけない、と思いました。
 
どうしたら追いつけるのか?と必死でビジネス書を読んだりネットで記事を読み漁っては焦っていました。
 
そんな折に友人が送ってくれたのが「ザ・シークレット」という「引き寄せの法則」のDVDです。
 
これをみて私はこれだ!と思いました。
 
私は良い結果を素早く手に入れる方法を探していました。
 
中学時代には楽して益を取ろうとする人を嫌悪していた自分が十数年後に同じことをしていたのですから皮肉なものです。
 
「ザ・シークレット」ではただイメージしてそれを感じ、あたかもすでに起きたかのように振舞っていればそれがいつの間にか手に入っている、といいます。
 
自分の欲望とあまりかかわりのないことならすぐにその通りになるのですが、収入を倍にする、と言ったことにはあまり効果がなかった。
 
現実と信じようとする「創りたい現実」との乖離にどうしても違和感をぬぐえませんでした。
 
ちなみに当時の私の望みは経済的な自由を手に入れることでした。
 
完璧に思えた「引き寄せの法則」への理解が足りないのか、と関連書籍を読み漁り、ビデオもたくさん見ました。
 
そんなときにAというプログラムに出会いました。
 
イメージだけではなく、もっと精密に自分の考えや信念を見つけ出して一つ一つ「処理」し、心を自由にして自分の創りたい現実を作ることをサポートするアメリカ発のプログラムです。
 
7日で30万以上という高価な授業料に驚きましたが、自分の現実を望みどおりに変えるための「投資」だ、と、と参加しました。
 
で、効果はありました。
 
このプログラムを使い、心の傷の大半を癒すことができました。
 
自分を守るために麻痺させていた自分の心の中にもこんなに激しい感情があったのか、と驚くくらい色々感情も、それを生み出す「信念」も出てきました。
 
そして一つ一つ手放していきました。
 
「信念」をすべて手放して心を自由にすることが自分が望む現実への道筋だ、と教わりました。
 
この「信念」の中には善悪に対する判断も含まれます。
 
その後、値段に躊躇しながらも上級コースを複数受けました。
 
結果、多く稼ぐ、って現実は手に入ったし、自分をもっと癒すことができました。
 
だけど中程度の乗用車を買えるくらいの金を使ったあげく得られたのは、自分を自由にするためのワークをする時間が取れない、と言う皮肉な現実でした。
 
昇進したら仕事量が増えちゃったんです。
 
数あるワークから本当に効果を得るためにはまとまった時間が必要なのに取れません。
 
先輩にあたるひとに相談すると「時間が取れない、という「信念」を処理しないと」と言われました。
 
でもいくら処理しても、その奥にある「信念」を探して処理しても現実は変わりません。
 
だんだん自分を責めるようにもなりました。
 
引き寄せの法則の怖いところのひとつは自分が自分の望む現実を創れる神のような存在になれる、と思い込んでしまうことです。
 
でも唯一の神、というよりは、みんなそれぞれが自分で現実を創ってる「神」なので人の数だけ存在する、と言う感じです。
 
人の数だけ望みの数がありますから当然相反する望みもでてきますが、そこはスピリチュアルの世界から出てくる「パラレルユニバース」がそれなりに解決してくれます。
 
たとえば私とAさんは二人とも引き寄せの法則をマスターしていますが、二人の望みは相反するもので私の望みが叶えばAさんが不幸になるとします。
 
逆も然り。
 
パラレルユニバースの考えでは、Aさんの望みが叶っている世界と私の望みが叶っている世界があり、人の数だけユニバースが存在する、という話なのです。もうわけがわかりません。
 
引き寄せの法則の恐ろしさ(というよりAの恐ろしさ?)の二つ目は善悪の価値判断を捨てることにより、決断力が鈍くなり、頭が混乱するはめになったことです。
 
教材の中で、キリスト教は善悪の判断をくだしすぎる、価値判断をもつことは望む現実を創る自由を妨げる、とありました。
 
キリスト教の神様は数ある宗教に出てくる神的な存在の一つにすぎない、と。
 
宗教はそもそも社会的に押し付けられたドグマでしかないので、その思い込みをまず捨てること。
 
さらにすべての宗教は両手を広げて受け入れられるべきである、とも。
 
頭が混乱すれば、結果を出せるはずがありません。
 
それで別のナニカを探し求めることになりました。
 
ジグソーパズルの最後のピースのように、かっちりとはまる答えを求めていろいろ歩き回ったのですが、答えが本当の意味で得られることは一度もありませんでした。
 
ヨガ教室に熱心に通っていた時期もあります。
 
自然とスピリチュアルな方のヨガに傾倒していました。
 
ヨガの古典と言われる本を読み、チャクラとか呼吸法についても勉強しました。
 
インストラクターになろうとスタジオを探しているうちに、クンダリーニヨガのスタジオを見つけましたがターバンをつけなければいけない、などと宗教色が濃くて馴染めませんでした。
 
そんな折に怪我をしたのでヨガからは遠ざかることに。
 
SNSでスピリチュアル系の人たちと出会いました。
 
その交流の傍ら、宇宙人の話やアセンションの話、バシャ-ルも読み漁ったし、クリスタルはもちろんエネルギーヒーリング、リコネクティブヒーリング、チャネリング、チャクラの開発にさまざまな種類の瞑想。
 
オーラをみてもらったこともあれば、宇宙の「創造神」を自称する霊をチャネルできる人にチャネルしてもらってその霊と話したこともあります。
 
インドの占星学の正確さに驚いてネットで勉強したこともあるし、占星術のサイトからインドで祈祷してもらえるように注文したこともあります。
 
神社仏閣巡りに火がついたのもSNSの影響でした。こうやって書いてみると本当に節操ないですね。(これは後述します)
当時はスピリチュアルなことがみんなの心を救う、と信じていました。
 
心から情熱を持てて大義を感じられるスピリチュアル系の何かを新しいキャリアにできないか、と下心をもちながら色々試しましたがすべてのものに違和感を感じてしまう始末。
 
パワースポットを求めて日本に帰国するたびに時間が許す限り神社仏閣をめぐるようになりました。
 
当時はまだ神社にある独特な気が清浄なものに思えていたのです。
 
朱印を集めるのも楽しかった。それぞれの神社の縁起や建造物の違いもおもしろく、さまざまな仏像も芸術として楽しんでいました。
 
それがある年、某神社のパワースポットに行ったところ、一瞬で溜まっていた疲れが吹き飛ぶ、ということを経験しました。
 
なんてすごいのだろう、と以来、毎年帰国のたびにお参りするようになりました。
 
お参りついでにお守りをたくさん買い、さらに厄除けの祈祷もしてもらいました。
 
お札を持ち帰って神棚の仕様で祀り、祝詞を自己流で読み上げることもありました。
 
でも実際の祝詞を聞いてみたら気持ち悪くなって継続できませんでした。
 
さらに神道において違和感を感じたのは、祈祷の際にアメリカの住所で対応してもらえなかったことです。
 
地域の人にしか恩恵を与えられない程度の神様なのか?とがっかりしたものです。
 
このように迷走する中、過多な情報に混乱し、経済的な自由を求めているのに何をしたらいいのか、どう人生を舵とっていけばいいのか分からなくなってしまいました。
 
それなのに「このままでは老後がヤバい」と焦りだけがつのりました。
 
20代のころに比べたらずっと幸せな生活をしているのに、「自由になる」と言う目標があった当時よりも明確な目標がない分空しさがありました。
 
いつも霊的な渇きと空虚さを抱えていました。
 
頭の中には切り捨てられずに抱え込んだ矛盾し処理しきれない価値観の群とちらばった知識群。
 
緩やかな絶望と霊的な飢餓感のままに、オートパイロット状態で色んな目新しいものに手を出していました。
 
今の仕事のままでは時間も取れないしよくない、と思ったけれど、給料はそこそこ頂けているし人間関係もいいから辞める勇気も出ない。
 
辞めるためには代わりになるものが必要で、それからお金を稼ぐには勉強して経験をつまなければいけないけどそんな時間がとれない、と堂々めぐりをしていました。
 
手早くたくさんの知識を得ようとフォトリーディングを習ったり、苫米地英人の本を読み漁ったりもしました。
 
オンラインセミナーでもお金を無駄にしました。
 
FXのものと株式投資のものと一億円稼げるマインドセットを作れる苫米地ビデオを購入しました。
 
それぞれ20万から30万くらいしたでしょうか。
 
FXのサイトは最低でも3年はこのサイトを続ける、と約束しておきながら、3年もたたずに消えてました。
 
苫米地セミナーのサイトも1年後くらいにはいつの間にかパスワードが変わっててアクセスできないようになっていました。
 
それぞれサイトを閉鎖するにあたり連絡すらありません。
 
苦労して連絡先を探して連絡しても返事は当然ありません。
 
詐欺にあった気がしました。いや、実際に詐欺ですよね。
 
株式投資のセミナーの場合も似たようなものです。
 
このセミナーの売り文句は主宰者がインサイダーしかしらない情報を私達にシェアしてくれる、というものでした。
 
この人には若いのに立派な立身逸話があったし、実際に会ってみるとカリスマ性もあったので初めは素直に尊敬していました。
 
でも後で実は某大物政治家の娘婿である、と聞いて馬鹿らしくなりました。
 
結局はもともとお金があって重要なコネのある人でないと成功したり表舞台で活躍できないことを思い知りました。
 
何をしても無駄なのだ、と私の中の絶望は心の奥底でさらに加速します。
 
そんな中、RAPTブログに出会ったのは本当に偶然としか思えません。
 
いや、神様に偶然はないからお導きなのでしょう。
 
株式投資セミナー関連でリアルで出会った人たちに陰謀論に詳しい人がいて、その人からリンクをいただいたんです。
 
他の記事は無視していましたがRAPTさんの記事はなんとなく気になったので読み始めました。
 
陰謀論は10年くらい前からかじっていました。
 
宇宙系のスピリチュアルの話しにもイルミナティは出てくるし、リチャードコシミズの911の話に感銘を受け、ちょこちょこと追っていたんです。
 
でも情報は膨大だし、かみ合わない話がたくさんあって混乱していました。
 
初めて読んだRAPTさんの記事は悪魔崇拝の話しでした。
 
この時点で初めてイルミナティが悪魔崇拝者、と言うことを知りました。
 
理路整然とした記事にすこしだけ頭がすっきりし納得できました。
 
でもそれよりも衝撃的だったのは神道も仏教も悪魔崇拝でしかない、という記事でした。
 
初めは受け入れたくなかったんです。
 
初めて読んだときはキリスト教徒による典型的かつ頑迷な他宗教への無理解からくるものだ、と思いました。(RAPTさん、申しわけありません!)
 
でもどうしても気になるRAPTブログ。
 
他の記事も読み進めていくと霧がかった思考がどんどんすっきりしたのです。
 
一般記事には他の陰謀論者からは得られなかった答えがありました。
 
こんなことを書ける人がステレオタイプなクリスチャンなはずがありません。
 
そこで時間をかけてリサーチした結果、RAPTさんの記事は正しかった、という結論に到達しました。
 
ところが頭では理解できても心がついていきません。
 
今まで散々悪魔的な考えを吸収していましたから当然です。
 
でもある日、突然何かに打たれたかのように思いついたのです。
 
私が今までしてきたことは偶像崇拝ではないか?と。
 
同時に聖書のなかに偶像崇拝をするな、と書かれていたことも思い出して全身から血の気が引きました。
 
日本で言うところの神仏が悪魔なら、それに勝てるのはキリスト教の神様だけです。
 
それなのに私はそれまでその神様が禁止されていたことをし続けていたのです。
 
そのまま行けば地獄にいくのは確実だったので、その場で懺悔しました。
 
必死にひたすら赦しを願いながら激しく泣いていました。
 
二度と神様以外のものを拝んだりはしないと誓いますから、と。
 
どのくらい懺悔したのか分からないのですけど、懺悔しているうちにふわっと包まれるような感触があり、電流が全身に流れる感覚がありました。
 
全身が温かくなって体がふっと軽くなったんです。
 
中に溜まってた澱が洗い流された感覚です。
 
赦されたのだ、と自然と思えました。
 
ぞくぞくするような感動で今度は別な意味で涙がでてきました。
 
私がクリスチャンになったのはこのときです。
 
有料記事や一般記事を読むにつれ、頭に散らばっていた知識のかけらがうまく整理されるようになり、さらに頭がすっきりしてきました。
 
仕事も前よりずっと早くやれるようになったし、何をするにしてもまず本質が見えるようになりました。
 
それだけでも私には僥倖でしたが、去年の10月以降の有料記事にいたっては神様からの啓示です。
 
善悪をずばっと裂いてくれて、要らないものをばっさり捨ててくれるのでどんどん頭が自由になりました。
 
神様についていけば善悪の判断を誤ることはありえません。
 
昔の私だったら「盲目に従うなんて奴隷のようではないか」と言っていたでしょうが、そんな大事なことを決定できるほど私の頭は良くないことを今の私は知っています。
 
プライドを捨てて神様をまっすぐに受け入れたら抱えていた重荷がかなりなくなりました。
 
それに本物の神様についていくのです。
 
変な言い方になりますがこれ以上の「大義」があるでしょうか?
 
初めは神様の考え方があまりピンと来なくて焦りましたが、私の考え方を正してください、と毎日祈り、御言葉を聞くうちにいつの間にか1年前の私とは全く違う考えや価値判断を身につけていました。
 
最初は自分のことで精一杯だったお祈りも、今は心から世界中の人のため、未来の人類のために祈れます。
 
疑問がでてきてもお祈りして質問すると次の有料記事やちょっと先の記事、もしくはたまたま読み返した過去の記事で答えをいただけます。
 
他にも小さなお祈りならすぐにかなえられています。
 
日常のなかの小さなことに神様からのしるしを見つけて感謝、感動することが増えました。
 
RAPTブログを通じて神様と出会う前には緩やかな絶望と漠然とした将来への不安、さらに頭の混乱ばかりで希望は全くなかったのですが、今は確かな希望があります。
 
やればやればやった分だけちゃんと神様が報いてくださるということも希望を持てる理由の一つです。
 
有料記事で神様についていけば今まで行なってきたことを神様が無駄にはなさらない、と言う話がありましたが、それも真実なんだと幾多の有料記事を通して気づかせてくださいました。
 
信仰生活は決して楽ではありません。
 
サタンによる落とし穴も、自分の罪による落とし穴もたくさんあります。
 
きちんと信仰生活をしているつもりでも実は間違っていた、なんてことがつい最近もありました。
 
二心の問題と高慢の罪、さらに神様を最優先できてないことからくるものでした。(有料記事182のおかげで二心の問題はやっと決心がつきました!)
 
間違った道に行っていると聖霊を受けられなくなってしまうのです。
 
一度聖霊を受けることを知ってしまうと、受けられなくなることはとても辛いことです。
 
でも神様を知らなかったころにはもう戻れません。
 
間違った道に行かないようにするためには、毎日神様にひとつずつ確認しながら行動していかなければいけないのだ、とつくづく実感しました。
 
自力でやろうとしないこと。
 
時を急いでいらっしゃる神様にしっかり縋りついてないと、確実に置いていかれます。
 
有料記事には私たちを導き力づけてくださる御言葉もあれば、厳しい叱咤の御言葉もあります。
 
その一つ一つに神様の愛が満載なのです。
 
そしてその愛の深さと神様の知恵の深遠さにひたすら感動を覚えます。
 
賛美せずにはいられません。
 
これからも教えを一つ一つを心と魂に刻み込み、残りの人生のレースを最後まで誘惑に負けず走りぬくつもりです。
 
こんな長い文章を読んでくださり、どうもありがとうございました。
 
---------------------
 
今回のこの証言者のように、これまで自分が培ってきた偏見に囚われて、私の有料記事をわざと避けて通る人は本当に不幸な末路を辿ります。
 
実際、この方は30年以上、そのような不遇な人生を生きてきました。
 
しかし、この証言を読んで、「この人は頭が悪かったのだ、自分はそうはならない」と思った方。
 
それではどうぞ頑張って、これから何十年間と、何の答えも得られない苦しい人生をさまよいつづけてください。
 
そして、今から30年が経った頃には、今もう既に有料記事をすべてを読んでいる人が、大きく栄えて活躍しているのを見て激しく妬むことになるでしょう。
 
そしてその反面、自分が地獄のような苦しみを味わっている現実に、泣いて歯ぎしりすることになるでしょう。
 
なぜそこまではっきりと断言できるのかは、有料記事をすべて読破している方なら誰でも理解できることだと思います。
 
ということで、これからも引き続き読者の皆さんからの証言を募集いたします。
 
どうぞ奮ってご応募下さい。
 

5 Comments
  • NAOMI
    Posted at 18:19h, 23 6月

    感動しました!

    フッと心によぎる偶像崇拝だったんじゃないか?という思いと、それから懺悔をして、激しく泣かれた、というところは、気づけて本当に良かったと思いました。

    そして、その後、電流が走って温かい感じを感じられた。

    素晴らしい瞬間ですね!

    私は、有料記事を読ませていただくようになって、まだ一月半くらいで、まだまだ御言葉が足りません!

    でも、早く、しっかり体に感じる程の聖霊を受けたいと、毎日祈っています。

    この方がおっしゃっているように、時があまりないのですよね。

    さらに頑張って愛を深めたいと思います。

  • Omuhi
    Posted at 20:11h, 23 6月

    Raptさん、読者の方、貴重な体験談をありがとうございます。
    若くして神様に出会える事はとても幸福な事だと思います。
    けれど、神様は何十年も遠回りしてしまった私達の人生をも活かして下さるお方だと日々感謝して生きています。その分悔い改めなければならない事が沢山ありますが、神様の御言葉通りに生きられるように祈り求め、努力すれば必ず良い方向に生きられるように導いて下さいます。その体験を通してさらに感謝の気持ちと喜びが溢れます。
    今回の読者の方に共感する所が沢山あり、信仰を共に出来ることがとても嬉しく感じます。
    ここまで具体的に体験として綴られているのに、どうして有料記事を読まずにおれましょうか。
    そして有料記事だけでなく、完全に世の中の悪を暴いたRapt理論もあります。
    私はRaptさんのブログに出会った時の強烈な衝撃が忘れられません。本当に、心から感謝します。
    世の中の人々が早くサタンの洗脳から解かれるように、新しい知識と真実から恵みを受け、神様の愛の中で喜び生きることが出来ますように、より一層強くお祈りします。

  • Mizu
    Posted at 01:26h, 24 6月

    この方が歩いてこられた道程のキーワードを、一読で何も苦に無く理解できるという事は….、
    私も同時代に同じ様なサタンの罠に嵌って生きて来たという事ですね。
    私自身が中途半端に生きて来た為でしょう、この方の様にこの様な考察は出来ませんでした。
    『ありがとうございます。』
    貴重な証言に心より感謝致します。

  • タケちゃん
    Posted at 04:19h, 25 6月

    やっぱり皆様 主なる神様の断絶を企む偶像崇拝者たちのわなに陥らされて自分もその一人でしたが 内容はどうであれ同じ過ちをおかされてそしてラプトさんブログに出会いこの現実を知り受け入れて軌道修正ができて このかたも本当に良かったですね
    自分もいままで的外れでしたが焦点がさだまり(正しい判断)まだ未熟ものですが真の戦い方に導いて頂き主なる神様そしてラプト様に感謝いたします
    主なる神様より祝福がありますように
    有り難うございました

  • あきこ
    Posted at 13:28h, 01 7月

    最後のRAPT様の締めの言葉が痛快で、
    毎回そうですが、スカッとしますね~\(^^@)/
    この方の証言を、私の知り合いのわからんちんどもに
    送信しまくってますよ~♦♫♦・*:..。♦♫♦*゚¨゚゚・*:..。♦
    イエーイ!!!

Post A Comment