RAPT | RAPTブログ読者の証言〈VOL.11〉カトリックに通いながら人生に絶望する中、RAPTブログで真の幸福を取り戻した30代女性。
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RAPTブログ読者の証言〈VOL.11〉カトリックに通いながら人生に絶望する中、RAPTブログで真の幸福を取り戻した30代女性。

RAPTブログ読者の証言〈VOL.11〉カトリックに通いながら人生に絶望する中、RAPTブログで真の幸福を取り戻した30代女性。


 
〈RAPTブログ読者の証言〉シリーズの第11弾になります。
 
私はこれまで、世間一般のクリスチャンたちがいかに適当な信仰生活をしていて、この世の信仰のない人たちと何の変わりもない生活をしているか、という話を繰り返ししてきました。
 
今回はその生き証人のような、元カトリック信者の方による証言になります。
 
有料記事の読者の皆さんの中にも、試しに色々な教会に足を運んだ人がいると思いますが、結局、どこの教会に行っても、牧師たちはただ聖書の言葉を棒読みし、軽く注釈をつけるだけの説教をしているばかりだったと思います。
 
なので、どんな牧師の説教を聞いても何の益にもなりません。
 
むしろ、その牧師の間違った聖書解釈を聞かされることになり、かえって余計に聖書の内容が理解できなくなり、頭がますます混乱していくばかりです。
 
実際、私は教会に通えば通うほどそのような負の経験を味わいつづけました。
 
そして当然、そんな信仰生活をしていても、人生が幸福になれるはずがありません。
 
むしろ、世の中の人と同じような絶望と不幸の中で生きるしかありませんし、場合によっては世の中の人以上に不幸になります。
 
今回の証言者の方も、そんな苦い経験を味わいながらも、このRAPTブログと出会うことによって、真の信仰を取り戻し、真の幸福を手に入れるようになった方です。
 
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私は、クリスチャンの家庭に生まれましたが、薄い信仰のため、何度も神様から離れて罪を重ね、また、世の中の事も、自分がどのように生きてゆけば良いのかもわからず、迷子の羊状態で生きてきました。
 
そのように神様から離れて生きる事がどんなに辛く苦く絶望的な事なのか、はっきりと悟らせ、そしてここまで導かれ、どのように生きるのがべきなのか教えて下さいました。
 
長文になってしまいましたが、神様が私たちにされる導きの一例として、皆さんの参考になれれば幸いです。
 
(世の中の事を知るまで)
 
私は、家族と親戚の多くは皆カトリック信者という環境で育ち、私も幼児洗礼を受けていました。
 
家庭環境も、特別裕福なわけではありませんが、不自由なく安定していました。
 
家族親戚は穏やかで勤勉でしたし、 それなりに愛情にも恵まれて育ってきたと思います。
 
毎週日曜に教会に通っていましたが特別に厳格なわけではなく、ご飯の前に祈ったり、聖歌を聞いたり生活の中の習慣みたいに思っていました。
 
なので幼い頃は、漠然とですが、純粋に神様の存在を信じていましたし、部屋に一人で誰もいないのに、誰かにずっと(神様に)見られて恥ずかしくて鼻歌も歌えなかった事もありました。
 
しかし、ご存知の通り、日本のクリスチャン人口はとても少ないく、ものごころがつくころには、自分がまわりと少し違う事ということと、社会の価値観のずれで生きづらさを感じるようになりました。
 
クリスチャンのはずなのに、心の虚しさや世の中の闇や人に対する恐怖心や、将来の漠然とした心配や不安が常につきまとっていました。
 
それは幼い頃から心の隅にありましたが、成長するに連れさらに強くなり、頭の中の糸ぐちゃぐちゃに絡まっていくような感じでした。
 
そして思春期には、人間関係のトラブルから、うつ気味で軽く引きこもり気味になり、いろんな事に気力が湧かず、学校から帰ってから寝る前までTVを何時間も見るなんて時期もありました。
 
やがて教会も行かなくなり、なにより、日常でお祈りや聖書を読む事もしなかったので、神様からも心が離れ、どんどん心がひねくれていきました。
 
不思議な事に、キリスト降誕2000年(ミレニアム)のお祝いのミサに、めんどくさいなあと半ばキレ気味でいた帰り際、快晴の空に虹が現れ、まわりの人は盛り上がっているなか、私には見えなかったなんて事もありました。
 
そして、心身でも様々な罪を犯すようになっていましたが、心の片隅では神様に顔を向けられないような罪悪感がありました。
 
ただ、その頃は、きっと教会から離れちゃったからだという思いが強かったかもしれません。
 
そんな頃、祖父の葬儀をきっかけに、自分はこのままでいいのかと思い、幼い自分の平安な頃に戻りたいなという思いから、再び教会に行くようになり、学生の頃には勉強会に参加したり、教会活動にも積極的に参加するようになりました。
 
個人的にも朝と寝る前のほんの2、3分くらいの教会にある売店の祈りのカードみたいのを買ってお祈りをつづけてみたり、新約聖書を読んでみたり…
 
(一度、旧約から通読を試みましたが、情けないですがレビ記あたりで挫折しました。)
 
とにかく、そうして御言葉を改めて味わいながら読んだり、聖歌を歌ったりしていると、今まで適当にやっていた時には感じなかった、喜びがわいて感動を覚えるようになりました。
 
そして、なんで今までこんなに素晴らしい言葉が身近にあったのに気づかなかったんだろうと思いました。
 
そのころから生活も楽しくなり、やる気もでてきて良い事がたくさん起こるようになり、もう教会から離れないでずっとまじめに信仰を持って生きていけるだろうと信じて疑いませんでした。
 
でも、それはラプトさんのような信仰生活ではなく、教会に属しているだけの生ぬるい信仰のままでした。
 
もっとも、カトリックは教理がずれ、真理から離れてしまってると今ではわかりますが。
                    
当時は、聖書も教理もよくわからない事や疑問はたくさんありましたが、まあいいや、とあまり考えず、快い好きな言葉ばかり探したり、ミサ(礼拝)や教会活動などによく励んでいました。
 
しだいに教会のグループの親睦のほうが熱心になっていきました。
 
また、聖霊や悪魔の働きや、霊界についても全く知らず、神様や悪魔でさえ漠然としたもののように考えていました。
 
今の時代、日本のカトリック教会も、若者の割合も、よく通う数もかなり少ない事もあり、自分はこんなに教会に関わっているからというだけで満足していました。
 
教会に所属して熱心に通っていただけで神様を知った気になっていたのです。
 
これらの事は、まさにRAPTさんが以前から世のクリスチャンに対して言っていたとおりで、有料記事は耳の痛い言葉がたくさんありました。
 
そして、案の定、そのように無知で弱い信仰のため、異性の罪も犯しました。
 
信者ではない彼氏(現在の夫)と付き合い、性的な関係を持つようになりました。
 
すると次第に、恋愛中心で、惰性で依存するようになり、仕事も彼の休日に合わせられるような会社に就職しましたが、時に他の異性にも心が惹かれる事もありました。
 
この時はまだ気付いていませんでしが、この頃からまた徐々に神様から離れていったのでした。
 
(陰謀論と刑罰の期間)
 
就職して数年たった頃、 3.11東日本大震災が起こり、余震に怯えながら「神様怖いです助けて下さい!」と心で叫んで、ニュース画面に釘付けになっていたら、 また不思議なことに、 頭の中で「これで終わりではない、はじまりだ」と言う声がして(天使かサタンか謎ですが)、そこから本当にいろいろ始まりました。
 
彼に勧められてはまったマイケルジャクソンの動画をきっかけに、人工地震や、NWO(ニューワールドオーダー)という言葉を目にし、イルミナティや陰謀論を知りました。
 
ショックと恐怖で、私は世の中の事を何も知らなかったんだと焦り、とにかく調べまくりました。
 
それは良かったのですが、 ヴァチカン悪魔崇拝に関する動画が出て来ると、もう頭はパニック状態で、もう何を信じたらいいかわからなくなり、そこでどんな事があっても信じるべき神様の存在すら疑う様になってしまいました。
 
一度、神様から離れてしまった私を、祈りと、御言葉にふれるよう導き感動を与え、悪魔崇拝の存在を知るまで導かれたにもかかわらず、またもや心が離れてしまったのです。
 
思い出せば、度々不思議な出来事もあったのに、私は、神の御業を何度も目の当たりにしても信じられないかたくなな民でした。
 
それは、私の信仰は、カトリック、キリスト教という宗教を重視していたのであって、「神様の愛を信じ、神を愛する」という一番大切な事をないがしろにしてきたからだとはっきりわかります。
 
そして、その後、妊娠がわかりました。
 
その瞬間、神様がスッと遠くに行ってしまったように心が寒くなった感じを覚えています。
 
それからは、常に頭の中は、イルミナティの支配の恐れや無力感や、不安と心配と悩みでいっぱいのうえ、結婚での急な環境の変化や、出産育児の不安と、妊娠がわかった最初の時に、間違いであってほしいと喜べなかった、子どもへの罪悪感や後悔、情けなさ などがいっきに押し寄せてきました。
 
慣れない家事と育児にも悩み苦しみました。
 
子どもはとてもかわいいけれど、うまく行かない事が多く、思い描いていたのと違う結婚生活の現状へのいらだちと孤独感でいっぱいで、自分や夫や社会への不平不満がどんどん大きくなるばかりです。
 
出産後、さらに心配事が増え、ありとあらゆる情報集めに明け暮れました。
 
予防接種や自然療法、放射能、電磁波、ネトウヨ系政治経済、歴史、自然農、シュタイナーなど、あれもこれも気になり、むさぼるように調べますが、どんどんるつぼにはまっていくようで、何が本当でどうしたらいいのかますますわからなくなります。
 
ただでさえ少ない睡眠時間をさらに削り、体も常にだるく、精神も病み常に悲観的でした。
 
一時には、無性に甘いものの中毒になって低血糖症になり、キレやすく、子どもにも怒鳴ったり、叩きそうになる手を力いっぱい自分に当てたりていしました。
 
これはまずいと思い、なんとか砂糖中毒を断ち切る事ができましたが、その後も、なぜか昔はまった歌やら漫画やらで中毒的に現実逃避ばかりした時もあり、もう何かに依存しなくてはいられませんでした。(既にネット依存でしたが。)
 
それから、Facebookの内海聡氏の記事や本も何冊か読み、それ関係の勉強会や集まりに参加したこともあります。
 
何か見いだせるかと思い、内海氏本人にも会いましたが、結局何も得られず、すっきりしないままですが、どんな事も100%信じず、自分で調べて考えなくてはいけないんだと、情報集めに必死でした。
 
そして、どうにかこの社会を変えるために何かしなくちゃという焦りで、医療、社会毒、食物系、政治、などの記事シェアーして情報拡散したり、 電磁波とか放射能で大変だという記事もアップしてみたり、今思うと逆に人を惑わすような事にもすっかり加担してしまいました。
 
なのに、反応のない友人の意識のなさに苛立ちを覚えたり、友人がいなくなってももういいと思い、ひたすらそれ関係の記事やコメントにいいねを押してみたり、今思うと病的で意味もなく、友人にとっては迷惑な事だったでしょう。
 
ガイガーカウンターや電磁波測定器も買い、自然栽培の野菜を購入し化学物質をさけるために買い物に時間をかけ、日々の放射能汚染数値の情報をチェックし、ケムトレイルが撒かれた薄曇りの空をながめてはため息ばかりついていました。
 
本当に毎日思い煩ってばかりでした。
 
私はクリスチャンだと思っていたのに、聖書の言葉と反対のことばかり。
 
「明日何を食べようか、何を着ようか思い煩うな。」(ルカによる福音書:12.22−32/マタイによる福音書:6.25-34)
 
聖書を深く悟っていなかったので、神様を信じる事ができず不安にかられ、そっちのけでした。
 
ですが、キリスト教会は悪魔に乗っ取られている系の投稿をみては、複雑な気持ちになりながらも、何とかそれに気づいている者としてそれを逆に利用して世界を変えられないか…、と漠然と考えることが何度かありました。
 
(RAPTブログへのお導き)
 
そして妊娠がわかってから、3年がすぎた頃、またしても神様が導きくださいました。
 
情報仲間がこのブログを教えてくれました。
 
はじめはあまり期待していなかった(すみません)ものの、写真や映像の音楽(初期の東温の紹介ビデオ)を見ると、心の濁ったのがすーっと風がとおって抜けていくような感覚がありました。
 
そして、About us に黙示録の聖句があり、はっとしました。
 
ラプトさんもクリスチャンという事を知り、なんだか家に戻ってきたような安心感と、ここに何かがあるかもしれないという感じがしました。
 
ラプトブログは毎回、進展があり、どんどんパズルが組み上がっていくように世の中の事が明らかになるので、最終的には見応えのあるラプトブログだけ見る様になりました。
 
(実際、内海氏、さゆふらっと氏などは、毎回同じような事の繰り返しでした。)
 
その頃、ネット依存で生活や子育てに支障がでると、夫からネットFacebookの退会を迫られ、唯一情報を共有出来る場と、そこで知り合った仲間を断ち切らなければならない事、今までやってきた事へのプライドを傷つけられたようで、絶望感と怒りがこみあげ、夫と何度も口論するようになりました。
 
離婚という言葉がでてきた時には、頭の中ではっきり「大っ嫌い」と言う声が聞こえて、自分もそう言っていたり、
 
そうすると、日に日に不満が強い憎しみと、自暴自棄と、自己嫌悪でどんどん沼底にはまっていきました。
 
気がつけば、いつも体調や顔色も悪く、目も暗く、 2度目の妊娠で流産もしました。
 
以前は阻止出来ていた同じ勧誘の軽い詐欺にもひっかかったり、毎日何かに憑かれた様に声を出して泣いていました。
 
また、悲惨なニュースを見たりすると周りの空気がかわり、何かにじーっとこちらを見られている感覚も度々おぼえました。
 
今思うと、完全にサタンか悪霊に憑かれて、自分の霊魂もサタンのようになっていたのだと思います。
 
眠っても悲しい夢をみて、朝起きてもずっと鬱状態で、一日生活するのも辛くなったある時、
 
いつもの様に夫と口論のなかで、夫が私に、「守護霊か何かがこのままじゃいけないとおまえに言えと誰かが言われているようだ(無宗教ですが、そのような霊感みたいなのがある家系のようです。)」と言われた時、私は直感で神様だと思い、すがる様に
 
神様助けてください、苦しいです。
 
もうどうしたらいいかわかりません。
 
と泣きながら言っていました。
 
その後、憎しみやしがらみが消えていくまで時間がかかりましたが、ネット依存と情報のるつぼからぬけ出せました。
 
今思うと、夫を通してネット依存を止めさせ、悔い改めるよう働きかけてくださっていたのだとわかりました。
 
(信仰のこと)
 
その数ヶ月後、RAPTブログの有料記事が始まり、
 
「この世のクリスチャンはほとんど聖書を通読できていないし、せいぜい数分くらいしか深く祈れていない。」という言葉に、全くそうだ!と思い、
 
また、「聖書で預言された終末は本当に来るのか」とか、「サタンの起源」とか毎回興味をそそられるタイトルに惹かれ、迷いつつも、自分の貯金で払えるまでと購読しつづけました。
 
購読から数ヶ月たってからですが聖書の通読をスローペースですが始めました。
 
ですがはじめは、反省すると同時に、一応クリスチャンという変なプライドが抜けず、有料記事の内容も疑ったり、お祈りもほとんどできていませんでした。
 
変な話、バチカンの悪魔崇拝に付いて知っていたのに、生まれながら通い慣れたカトリック教会や未練や親戚家族の目が気にしていました。
 
実際、一般のキリスト教会の人たちのはバチカンの悪魔崇拝など全く知らず、純粋に信仰だと思って通っていたし、少くても真実の部分もあるので、これじゃだめなのかなとか思ったりと…
 
ですが、「悪魔は真実のなかに、少しの嘘を巧妙に織り交ぜて、正しい道から離れさせてしまう。」と、本人は意図としていなくても、無意識にサタンの洗脳によって少しずつ間違った道に外れてしまう事、
 
また、熱心に通う人ほど教会活動に忙しくなって信仰がそっちのけになったり、コミュニティのせいで離れにくくなっていると言う事を聞いて、本当にその通りだと思いました。
 
そんな頃、久しぶりに教会活動に熱心に励んでいた教会仲間と会う機会がありましたが、信仰は深まっているよりは離れた生活になっている人もいたり、どう生きていけばよいか皆迷っているようでした。
 
結局、中途半端なクリスチャンであるがゆえに世の人たちより悩んで生きる事が多いかも しれません。
 
わたしもでしたが、一歩教会を出れば一般の人と変わらない生活に戻り、通常モードでした。
 
洗礼を受けただけで安心して 現状の信仰生活で満足してしまっていました。
 
そして、カトリックだけでなく、私の知っているプロテスタント系教会の牧師も、悪魔の存在は漠然としたの様に話していたり、他の派の人も学生ででき婚をしていたり、本当に純粋なキリスト教会の信仰は破滅状態なのではないかと、思う様になりました。
 
賛美を歌いたいから教会のミサに行っていましたが、聖書とブログを読んでいると、
 
生まれた頃から身近にあり何とも思わなかった教会の像や、聖体拝領、聖母崇拝、クリスマス、イースター(イースター前には十字架の崇敬式てのもあります)に違和感を感じ、
 
これは、本人は意図していなくても(像自体を拝んでるのではなく、情景を黙想して祈るととらえてる)結局、偶像崇拝だよな、と思えるようになり、苦しくなって、今はほとんど教会に足を運ばなくなりました。
 
(また、マリア信仰がミトラ教の女神信仰からきていて、そのことを知らないカトリック信者は聖母マリアが好きな信者は多いので、一番ここに反感を覚えるかもしれません。私もショックでした。余談ですが、東京カテドラルの地下の納骨堂はなぜかピラミッド三つ並んだ形です。)
 
聖書を通読するようになって、やっぱり聖書と違う!と目が開けてきてきました。
 
それに、教会も、熱心にくる若者の数はかなり少ないですが、本当に信仰に熱く、聖霊が働いていれば皆くるはずだとおもい、やっと’教会‘ではなく、”三位一体の神”を信じていかなくてはいけないんだと考えを改め、確信をもてるようになりました。
 
(変化した事)
 
このように、真に神様を愛し求めずに、神様の御心を行うというクリスチャンとしての使命も全く知らず自分勝手に生きてきました。
 
むしろ、世の中にしがみついて、なんとか自分をまわりに合わせようとして余計に苦しくて悩んでばかり。
 
神様の事もちゃんと知ろうとせず、信仰が弱く、信仰と生活が分裂していました。
 
RAPTブログを読み続けているうちに、教会に熱心に通っていても、神様との愛の関係がなければ、本当の信仰を持ったクリスチャンではなかったんだと、やっと目が覚めました。
 
それから、今まで疑問に感じていた世の中の事、自分の人生など、様々な事が少しずつすっきりしてきました。
 
今までは自分がどう生きてゆけばいいのかわかりませんでしたが、このRAPTブログでは具体的に何をしたら良いのか教えてくれます。
 
2016年10月以降の有料記事での啓示から、 自分は神様に必要とされていて、「わたしがあなたを選んだから今まで導いてきた」という言葉に号泣で感謝感激し、やっとそこで明け方の祈りをはじめるようになりました。
 
それからというもの、 急激に心に平安が戻り、目も暗さが消えて、頭痛や体調も良くなり、そして今までなかったくらい信仰が強まっていくのを感じています。
 
身の回りの状況も良くなり、前より良い環境の家に引っ越し、昨年2人目の子も授かりました。
 
まだまだな部分もありますが、自分の心と、夫や子どもへの接し方なども改善され、生活の思い煩いや不安感や、昔からの将来の不安、日常の煩い漠然とした不安感も手放せるようになってきて、今までになく、心が軽くなり、
 
異性の罪の告白をさせていただいてからさらに信仰に力を入れられる様になり、毎回の有料記事で、これが真理の道なのだと信仰を固めることができます。
 
第167回の有料記事のクリスチャンに対する御言葉では、今までの自分の生き方を振り返ると、神様に対して本当に申し訳ないのと、いかに無知で薄っぺらな信仰であったかと改めて反省しました。
 
RAPT有料記事167(2017年4月29日)良いことは全て体質化し、習慣化しなさい。
 
以前の私は、神様の歴史や心情をちゃんと知ろうとしなかったにもかかわらず、根拠もなく、小さい頃から教会に行っているし、死んだ後は天国に行くから大丈夫と、のんきで大船に乗った気持ちで、本当に無知で高慢でした。
 
実際、クリスチャンでもこのように楽天的に考えている人は多いのではないでしょうか。(私のようなボンクリ(代々のクリスチャン。生まれながらに幼児洗礼を受けた「ボーンクリスチャン」の略称)は特に…。)
 
最後の審判の時に聖ペトロが裏門の鍵を持っていてこっそり入れてくれる、なんて冗談話も聞いた事があります。
 
(もちろん中にはまじめに信仰生活をしている人や、修道者になった人たちもいましたが。真理にお導きがあるよう祈るばかりです。)
 
ここで信仰を持ち始めた方たちをみて、いままで神を知らなかった人たちがの方が、真理を理解し、聖霊を受けて悟り、行っています。
 
本当に「先にいる多くの者は後となり、後にいる多くの者が先になる(マタイによる福音書20章16)」 本当に聖書の言葉どおりだなと感じます。
 
私は、今はようやく聖書も2回目にはいりました。
 
今まで自分の言葉でたくさん祈る事をしていないかったので、明け方のお祈りも始めはやっと10分という有様でしたが、子どもの授乳と夜泣きに中断したり、雑念も多いけれど、1時間以上はできる様になりました。
 
まだまだ足りない事だらけですが、絶対にこれ以上裏切れないと必死にすがりつき、ひたすらついていける様に奮闘中です。
 
今後もファリサイ派や律法学者にならないよう、私も間違った信仰や不従順を心から悔い改め、よちよち歩きの赤ん坊だと自覚し、立派に成長して、ひたすら神様に近づいて生きたいと思います。
 
そして今までの行いを巻き返すような、大きな働きができる様に日々祈っていきたいです。
 
(最後に)
 
神様は自分勝手なわたしに、神様を離れて生きる事がどんなに不安で辛く、苦しみながら生きる事になるのをわからせてくれました。
 
本当に、心からの祈りは聞き入れられました。
 
学生の時、「目を覚ましていなさい。(マタイによる福音書24.36-43 /マルコによる福音書13.32-37)」という箇所読んで、目を覚ますってどういう事?と、ふと疑問に思い、わたしを目覚めさせてくださいとお祈りをしていた事がありました。
 
そして本当に、目覚めた真理の道まで導いてくださいました。
 
本当に、「求めなさい。そうすれば得られるであろう。(ヨハネによる福音書16章23~24)」でした!
 
まだ聖書を知らなくても世界や人生が良くなってほしいと思う人や、真理を求めてこのRAPTブログにたどり着いた方達も、どうぞ一度、神様に求めて欲しいです。
 
「あなたたちは真理を知り、真理はあなたたちを自由にする。(ヨハネによる福音書8章32)」のです!
 
どうぞ聖霊の働きで、まだ有料記事の購読を迷っていらっしゃる方の背中を押してくださいますように。
 
善の力で、ここに導かれるべき多くの人たちに、強く働きかけられます様に。
 
世界中の人々が神様のもとに導かれます様に!
 
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はっきりと言いますが、このRAPTブログの有料記事は、この世の牧師たちの聖書の話とは一線を画すものです。
 
未だに私のところに、この有料記事を読みもしないで「どこの教会の牧師の話を聞くのが一番いいですか」と質問してくる人がいますが、どこの教会に行っても全ては無駄足になるばかりです。
 
よその教会に行ってわざわざ余計な苦労して、今回の読者の方のような絶望を味わう前に、一度、RAPTブログを読んでください。
 
教会に行って千円(もしくはそれ以上の)の献金を払ってそんな絶望を手に入れるよりも、一月800円という値段で、真の信仰と真の幸福を手に入れてください。
 
私がこう言うと「私が金儲けをしている」などと言って批判してくる愚かな人がいますが、逆に言うと、私はそのような心の汚れた人がこの有料記事を読まないように敢えて有料にしたのです。
 
人がお金儲けをしているのを見て、すぐさまその人のことを金銭欲にまみれた人だと思うのは、その人自身が金銭欲にまみれているからこそです。
 
自分自身がそういう汚れた人間だから、他の人もまた同じような汚れた人間に見えてしまうのです。
 
簡単に人を殺せる人は、他人もまた同じように簡単に人を殺せてしまうと思い込んでいるのと同じです。
 
そうして、その人はその金銭欲によって800円というお金をケチり、その後も真の幸福を手に入れられず、他の無駄なところにお金を使って人生をさらにボロボロにしてしまうのです。
 
真にこの有料記事を読んで理解した人は、この800円という値段がどれほど途方もなく安い値段であるかに驚嘆するしかないでしょうが、これを読まない人にとっては、いつまで経っても越えられない高額な壁となるのです。
 
そうして、羊と山羊とが分けられ、羊はさらなる救いを得て幸せになり、山羊はただ裁きを受けて絶望を手にすることになります。
 
ですから、私がこうして800円という値段を設定したのは、本当に正解でした。全てが神様のお導きだったのです。
 
ということで、これからも引き続き読者の皆さんからの証言を募集いたします。
 
どうぞ奮ってご応募ください。
 

8 Comments
  • あやこ
    Posted at 20:31h, 09 6月

    RAPTさん、大変な中での記事の更新、ありがとうございます。
    今回の証言もとてもわかりやすく、心から共感できました。
    実は最近、娘の通っていたカトリックの幼稚園の教会に、イタリアからわざわざ「期間限定のマリア像がやって来たとかで、ライングループで写真がやりとりされて、大盛り上がりでした。
    恐らく「聖母行列」という行事に合わせてのことだと思います。
    なんでも、「実際にマリアさまにお会いしたことのあるお弟子さんの記憶を元にして作られた」という鳴り物入りのマリア像で、(その話にもビックリでしたが)「素敵〜」「綺麗〜」「有難い〜」とママ達の間で絶賛の嵐でした。
    以前の私なら一緒になって、「綺麗〜!」とやっていたんでしょうが、今は只々悲しく苦しいばかりでした。
    こんな風に世間やママ友とはかけ離れておりますが、主の御心情に少し近づけたのだと思い、とても嬉しく感じます。
    本当にカトリックは完全無欠な偶像崇拝ですよね。「聖母行列」という行事も、幼稚園児が教会の敷地内にある幾つかのマリア像に花を手向けて回るという、どこからどう見ても偶像崇拝行事でした。しかし当時の私にとっては最も大好きな行事の一つで、手作りの花の冠をかぶった子供達の可愛らしさと、マリア像や沢山の花の美しさにうっとりして写真撮りまくりでした。本当に無知は罪ですね。悔い改めます。
    「ボンクリ」という言葉は初めて知りましたが、この証言者の方のように長年教会に通っていると信仰歴が逆に仇となって、疑問を感じつつも何となくそのまま通い続けてしまっている方も多くいらっしゃるのでしょうね。本当に沢山のそのような信者の方が(勿論一般の人達も)この「成約時代」の御言葉に辿り着けますことをお祈り致します。
    聖書を勧めて下さり、格安の有料記事で深く学ばせて下さるRAPTさんには、感謝してもしきれない思いです。
    本当に心の霧が晴れたようで、悩みや不安にまみれていた過去の自分が嘘のようですから。
    どうか本当に多くの人が救われますように。
    RAPTさんと証言者さん、兄弟姉妹の皆さんに神様からの大きな祝福がありますようにお祈り致します。

  • rapt
    Posted at 21:33h, 09 6月

    コメントを送信しても、きちんと送られていないケースが出ています。
    コメントを書いた後、きちんと「SUBMIT」ボタンを押して、「Your comment is awaiting moderation.」という文字が表示されていなければ、コメントはきちんと届いていないということです。
    どうぞご注意ください。

  • イケメンマッサン
    Posted at 22:01h, 09 6月

    ラプトさん、投稿者様記事更新ありがとうございます。このシリーズ、いつも楽しみにしています。
    本当、¥800ですよね?信じられません。色々な自己啓発に投資してきましたが、有料記事ほど威力があるものはありませんね。
    ボンクリでありながら、良く本物の信仰に目覚められたと、真面目なお人柄羨ましく思います。
    投稿者様は、本気で苦しみ、苦しみと向き合い、神様を心から求められた為、ラプトブログに導かれたのだなと思います。
    矢張り、既存の教会では救われないのですね。私はラプトブログを通して、神様を信じるようになり結果として、クリスチャンとなりましたが、正直教会には行く気になれませんでしたし、既存のクリスチャンを見て救われてない人達だと感じてました。
    ラプトブログでは、終わりの時には、この世でも救われるとハッキリ仰ってますし、本当に神様のことを愛することができている人は肉的にも沢山の祝福が受けられる、万物主管も得られると、ラプトさんが身を呈して示されているお手本通り、本当に納得行きます。
    肉が先になってはいけませんが、神様は肉的なものもくださると私自身体験済みです。しかしもっと次元を上げていかなければと日々反省ですが。
    私も、時々旧友でプロテスタントの信者と話しをする事がありますが、お話しにならないというか、、、神様を主眼にしてお話してくれません。当然聖書も読んでないし、じぶんの好きな所しかつまみ食いしていない。神様の全貌を知ろうとしてないというか、肉の世界で頑張ってるなと。教会の行事やら牧師会の人間関係やらそんなことばかりで日々苦しんでらっしいます。
    投稿者様のような方がこれからも増えますように。
    とても纏まりある読み応えある証でした。
    投稿ありがとうございます。コメント欄に投稿してくださった方々も改めて証の投稿をしていただき、ラプトブログ証シリーズを盛り上げていただきたいと思います。

  • Posted at 22:54h, 09 6月

    今回も貴重な体験談をありがとうございました。
    自分はまだクリスチャンとも言えないほどのレベルですか、必死にraptさんやレビ人、兄弟姉妹の方々についていけるよう、4本の信仰の柱を守っています。

    今回の体験談もそうですが、どこか皆、同じような辛い体験をし、神様に救ってもらい導かれ、raptさんという同じ場所に引き合わせてくださったんだと感じました。
    必然的に集められているんですね。

    これからも沢山の義人たちがここに集い、神様の御心が成せるよう、沢山、祈ります。

    世界中の義人となるべく人達に神様からの祝福がありますように…

  • 森の民
    Posted at 00:29h, 10 6月

    体験の証、感謝します。なんか、どの体験談を読んでも共感する部分があるので、信仰生活を行う励みになりますね。私も長らく罪にまみれて生きてきて、割と善良に生きているつもりなのにどうしてやる事なす事うまくいかないんだと、苦しみもがいてまいりました。
    おそらく神様が、罪に溺れる事がどれだけ苦しい事かを悟らせるためにあえてそういう環境に身を置かせたのかなと思います。
    だからこそ、1日中喜びと希望に満ち溢れる次元にまで登る事ができました。RAPTブログに出会ってから、苦しいと思う事も中にはありましたが、神様がこっちにこいって仰っている気がして「これは、1次的に苦しいだけで後から楽になるんだ」と歯を食いしばって信仰の次元を上げる努力をしてきたかいがありました。あとは、伝道です。
    まだ1人も伝道していないので、このブログに出会ってどれだけ人生が変わったかを友人たちの伝えたいです。意思疎通が下手くそなのでRAPTブログにのるような全世界に発信できるような体験談は語れませんが、みんな頭の良い人たちなので、悟ってくれると信じて!
    神様、愛しています。RAPTさん、愛しています。兄弟姉妹の皆さん、愛しています。皆さんの願いが実現しますように心からお祈りします。

  • まいき
    Posted at 00:36h, 10 6月

    このシリーズ毎回とても楽しみにしています。
    この方、幼いころからクリスチャンだったのにちゃんと立ち返れてよかったですね!
    幼いころから教えられた考えを脱ぎ去るのはほんとうに大変ですもの。
    ものすごい勇気がいったのではないでしょうか。
    実は私、有料記事の167がでた日に某サイトでクリスチャンの人たちにRAPTブログを紹介しようかと
    コンタクトを始めてしまったのですけど、驚いたのが欝になってるクリスチャンが多かったことです。
    「聖書に「いつもよろこびなさい」ってでてませんでしたか?」と思わず突っ込みたくなってしまったくらいです。
    これはすべての既存のクリスチャンに共通していることですが、
    イエス様を信じてるから自分は救われるとあとは適当に生きてる人が多すぎます。
    ひどい人だと「僕は罪深い人間なんだ」といいながら開き直って悔い改めすらしません。
    それはともかく、コンタクトを始めてしまった数時間後に有料記事167が出たので焦りました(汗)
    今はクリスチャンに対して何もしていません。
    私は救われた時点で教会に行くつもりはまったくありませんでした。
    人間関係主体になってしまっているからです。
    日本だけに限られた話ではありません。とにかく胡散臭ぎます。
    ネットで特定の質問に対する答えを探して説教を少しだけつまみ食いしたことはありますが
    どうもピンとこないし退屈だし、有料記事だけで十分、と気づいてやめました。
    こんなに内容が濃いし人生を本当に変えてくれるのにたったの800円ですからね。
    もっと多くの人が有料記事に触れますように。。

  • yui
    Posted at 16:14h, 12 6月

    ラプトさん、投稿者の読者証言有難うございます!
    私も先祖代々カトリック信者なので、コメントを書きました!
    ボンクリという言葉は初めて知りました!…(^^;

    ラプトさんの伝えるように、カトリック信者は、神様とイエス様は信じていますが、信仰生活をしているかというと…信仰していない人達と何ら変わりのない生活だと思います!
    聖書も読むこともなく、ミサで聖書の一部を聞いているだけです。
    それも神父様の解説なので、神様の御言葉からは ほど遠い事と思います!

    私も生まれた時から 教会に通っていました。(しかし20代途中から、別の宗教に20年ほど入ってました。それも数年前に辞めました。)
    私の通っていた教会は、私の祖父が新しい土地に来て、親戚や知り合いを呼んで作った田舎の小さな教会で、素朴な教会です。
    私は、いつも神様に見守れてる感覚で、幸せを感じながら神様と共に生きている感覚で生きてきました!
    少し悩みがあると、「もっと心を広く!」等と心に響く感じで言われたりしました!

    しかし教会では、子供ながらに…田舎なので大人の色んな出来事が耳に入ってきます…。
    聖書で神様が罪と言われる事をしながら…、どんな気持ちで教会に来ているんだろう?…とかんたりしていました…。
    また偶像崇拝もいけない事なので、イエス像やマリア様像に向かって手を合わせることなどはしてませんでしたが、
    偶像があること自体がいけないのでしょうね!
    聖書の中のマリア様は決して悟りは高くないので、後の世の人がイエス様を産んだ母として奉り、教会が聖人にしたのだと思っていましたし、ルルドの奇跡の水とかもあり、マリア様は死んだ後に、人々に現れて聖人になったのかな?とか思っていました。
    マリア信仰が、ミトラ教の女神信仰から来てるとは……

    思春期の頃までは生きていました!途中から、迷いの中に生きるようになり、神様に求めてみれば…思い悩むな!という答えでしたが、それでもまだ抜けきれずに

  • yui
    Posted at 18:31h, 15 6月

    ラプトさん、兄弟姉妹の皆さん、こんにちは!

    *6/12日のコメントは、途中で間違って送信してしまい…変な文章は失礼しました!m(__)m

    私は、あまり教会にも行かず、新興宗教が新しい予言者なのでは?とそちらの方へ行くようになりました。新興宗教の方へさらに真実を求めて行くようになると、教会の神父様の説教は、物足りなくなっていました…。

    そして、新興宗教は、本物の予言者なのか?偽予言者なのか?と疑をもちながらも…長く行ってましたが…間違ってました…!
    言うことがあからさまに利に叶わない内容になっていましたし、いつもまにか偶像崇拝してました…!!
    また、その宗教の中に居て リーダーもしてましたが…真実を求めるほど、純粋になるほど…横に追いやられる感じでした。

    そして、カトリックも、ここ20数年で、雛祭り、七五三の飴を配ったり(十字架のマーク入り)、変になってますし、
    この頃の神父様は、心の無いような 変な神父が増えました!
    昔のようにおおらかで優しい神父様は少なくなりました…。
    田舎の素朴な教会に行ってる信者の親戚の叔母と話すことがあり、神父様のことは普通言わないのですが…、今、教会にミサに来ている神父様は心がないね…。とポツリと言ってました…。

    また2週間前くらいに、仕事帰りに街中のあるカトリック教会の横を通っていると、ちょうどミサが終わったはがりのようで、
    外にあるイエス様を抱いたマリア像に手を合わせて帰る信者の人達を見ましたが…驚きました!!
    昔から偶像は、置いてありましたが…、イエス様の像とか、マリア像に手を合わせる事とかはしてなかったので……驚きでしたが、教会にいる工作員がそのように誘導しているのでしょうね!!

    カトリック信者の中からも、ラプトさんのblogに導かれ、本当の神様の御言葉を聞けて…気付きますように!!
    真実を知ることが出来ますように!!お祈り致します!!

    神様の御言葉が、日本中、世界中の人々の元へ届きますように!!

    ラプトさん、兄弟姉妹の皆さんに、神様の愛が降り注ぎますように!!そして、いつもありがとうございます!!

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