RAPT | RAPT有料記事107(2016年10月1日)神と富とに仕えることはできない。
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RAPT有料記事107(2016年10月1日)神と富とに仕えることはできない。

RAPT有料記事107(2016年10月1日)神と富とに仕えることはできない。

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今回の2016年10月の初めの有料記事は、対談形式となります。
 
実を言うと、先週から、何人かの読者の人たちと一緒に試験的に朝のお祈り会を始めることにしました。
 
ちょっと前の有料記事で、教会を作れればいい、そして礼拝ができるようになればいい、というお話をしたことがありましたが、その前段階としてスカイプをつなげて皆でお祈り会をすることにしたわけです。
 
今はまだ試験的に始めたばかりですので、今後この朝のお祈り会がどのようになるかは分かりません。
 
現実に工作員もすでに動きはじめていて、早くも私たちのこの動きを妨害しようとしてきました。
 
なので、最初のうちは色々と一悶着ありそうな感じなのですが、とりあえず今回の有料記事は、先週の朝のお祈り会で伝えた御言葉をそのままアップすることにしました。
 
今回のお話のテーマは、「神と富とに仕えることはできない」です。
 
聖書の中には「神と富とに仕えることはできない」という聖句がありますが、今回はこの聖句に込められた意味を深く掘り下げてお話しています。
 
一言で言えば、この聖句は「二心を持つことなく、一筋の心で神様だけを愛しなさい」ということになりますが、これは我々信仰者にとって一つの前提条件でもあり、かつ最も厳しい戦いでもあると言えます。
 
サタンはその人の弱点を調べ尽くした上で、その人の目の前に甘い餌をぶらさげて、神様の御心とは違う道へと誘惑していくからです。
 
しかし、このサタンとの戦いに勝利してこそ、私たちは初めて神様からの祝福が受けられ、死んだ後も天国に行くことができます。
 
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8 Comments
  • ちょこたん
    Posted at 00:11h, 02 10月

    本日も素晴らしい記事を有難うございます。私にこそ最も必要な戒めのお話でした。自分の現在までの傾向と、置かれている状況で、二心について振り返りながら、聴かせていただき、とても耳が痛かったのと同時に、エバとして、これをしっかりと心に刻みつけ、腰帯を締め直して、実践として取りかからなければと、重くて自分でも右往左往していたスイッチがやっと少し切り替わった感じがしました。既に繰り返し拝聴させていただいています。 女の子に対しての風潮についても、こどもを育てる上でぶち当たる身近なエピソードを通して、おかしいよねと兄弟と話したばかりでしたので、その会話も、この記事により、またさらに理解を深めることができます。本当に有難うございます。
     主に選ばれ、集められた使徒の方々と主の御心を行うため遣わされたRAPTさんに、聖三位からの限りないご加護と祝福が注がれますように。
    サタンが滅び、主の御國がきますように。もっともっと主を中心とした、祈りの生活が重視された生活に変えてゆきます。どうか愚かで弱き私を強め、挫かれることがありませんように。この方たちのために、主の御心のために、もっともっと祈ることができますように。神様と主イエス様と聖霊の御名においてアーメン。

  • YOSHIE
    Posted at 17:10h, 02 10月

    今回の対談を聞いて憑き物が落ちたような気がしました。
    私はこれといった才能もなく、これまでの人生で何かを成し遂げたことはほとんどないです。
    でも自分の才能を伸ばしたい、認められたいという気持ちがずっとありました。
    そして毎日「私の才能とは何なのでしょうか、一生を通して何をすべきか教えてください」と祈ってきました。
    神様の為ではなく、自分のためにそう祈ることこそが二心なのだと今回の対談で思い知りました。

    私には取り立てて何の才能も無いことを認めて、ひとかどの人間になりたいという思いは捨てることにしました。
    ひたすら聖三位、イエス様を愛し、祈り、御心に寄り添おうと思います。
    そして霊と魂と体をこれ以上ないほど丈夫にして、サタンに騙されないように常に気を付けていこうと思います。
    その先で私に成すべきことがあれば、必ず神様とイエス様が導いてくださると信じています。

    RAPTさん、対談者に皆さまありがとうございました。

  • 高林宏行
    Posted at 00:20h, 03 10月

    Raptさん、お疲れ様です。今回の対談を拝聴して、Raptさんを中心に12使徒を選別される時がいよいよ来たと強く感じました。
    本当に我々Raptブログの読者にも大きな使命があり、聖殿に入れるかどうかの選別の時が来たとも感じました。Raptさんは超一流の大リーガーのイチローです。自分は草野球レベルのバッターです。正直、超ハイレベルの雲上の方ですので、どこまでついていけるのか全然自信ありませんが、もう一度、神様に立ち帰り、帯を締め直して頑張ります。
    神様の祝福がありました。自分の車がボロボロで買うお金もないのでできるだけ安くて程度の良い車を見つけたいですと、数ヶ月祈りました。先月、親戚から結構良い車をプレゼントされました。お金は一切かかりませんでした。
    神様は、自分のような草野球レベルの人間の
    祈りも聞いてくださいます。しかも想像もしなかった最高の形で!!
    先月の105回有料記事、泣きました。言葉にならなかったです。ありがとうございました。
    Rapt さんと対談者の皆様と善良なRaptブログの読者の皆様に大きな祝福がある様にお祈りします。

  • 真の知識を欲する者
    Posted at 00:41h, 03 10月

    RAPTさん、貴重な対談をありがとうございます。
    耳に痛い内容でした(汗)
    本当に今の今まで主に対して偶像に祈るように「~してください」と自分中心に祈ってきたのだと思い返しました。
    こんなのでは日に日に主と遠ざかってしまって当たり前です。もっとすべてを捨ててでも主を愛する覚悟が必要だと。
    このへんの覚悟が甘いのだと今回つきつけられました。
    YOSHIEさんのコメントにもありますように「自分の為に祈ること」これも二心だと気が付かされました。
    このコメントが無ければこれからも真に主に近づけなかったでしょう。
    私も自分を認められたいという思いがこれまでのお祈りにずっとありました。
    自己中心であったことを気が付かせていただいて本当にありがとうございます。
    RAPTさんと対談者の皆さんに一層の祝福がありますように。主の御名によってお祈りします。アーメン。

  • イケメンマッサン
    Posted at 04:20h, 03 10月

    RAPTさん、貴重な対談音声のアップありがとうございます。
    文章にない説得力、気の流れを感じました。

    明け方のお祈り、そんな意味があったのですね。
    私も他のコメントを書かれている方と似たように「神様の御心を、ご計画を教えてください」「悪人を裁いてください」と必死に祈ってきましたが
    「神様の栄光のため」でなく実際は「自分の利害関係のために祈ること」ばかりしていました。

    「主以外追い求めてはいけない」
    私は気がつけば、楽したい、気持ちよくなりたいという一心から主以外(グルメ、音楽、学問、資格、自己啓発、子育て)を追い求め
    社会のしがらみばかりに追われて、自分が安全領域から出なければ大丈夫だと、広き門ばかり選んで、こそこそ隠れて生きてきました。

    しかし、サタンに主管された地上において信仰を守ることは艱難苦難の道かもしれませんが、その道しか正しい道がないと
    今でははっきり思えます。
    対談者の方々の覚悟は相当なものだと今回の対談で感じました。
    二心を捨てることの大切さ、そして肉的にでなく、霊的に高めていく必要性もひしひしと感じています。
    私も日々の明け方のお祈りを、皆様兄弟達としているのだと感じ、二心にならないよう、悪が滅びるようこれからも続けて行きたいと思います。
    ラプトさん、読者の皆様に一層の祝福がありますように。

  • Posted at 04:22h, 03 10月

    朝のお祈り会のスタートありがとうございます、参加されている方にも感謝します。
    聖書を読むのも楽しいのですが、声は脳に読むのとは違った刺激があります。
    聖書を読んでいると、なんで今までどうでもよい本ばかりに時間を費やしてきたのかと後悔します。
    希望ですが、raptさんのお祈りの言葉が聞きたいです。
    アーメン。

  • あやこ
    Posted at 08:06h, 03 10月

    RAPTさん、対談者の皆様、コメントを書かれている皆様、いつも有難うございます。
    有料記事を読み、皆さんのコメントを読むことは、私にとっては教会に通うことと同じです。
    今回の記事では更に自分を洗い直す良い機会を与えられたと思っております。
    皆さんが書かれているように、私も薄々感じていた自分の二心をはっきりと目の前に提示された形です。
    私も腰帯を締め直し、主だけを愛し、主だけを畏れ、主の御心だけを考えて、これからを歩んで参ります。
    mさんが書かれているように、私も聖書以外の本に全く興味が湧かなくなりました。本当に下らない時間を費やしてきました。子供の頃から培ってきた読解力は最初を読む為のものであったと益々強く感じております。
    私は小学校で絵本の読み聞かせのボランティアをしていますが、最近の絵本の質は酷いものです。強烈な絵で快楽志向に走ってるものや中身の無いものばかりで、しかしそういう本が子供ウケするからと選ばれるのです。
    私は主の御心や御言葉に沿うようなものを選んで読み聞かせをしています。小さな活動ですが、私は子供に働きかけていくことを私の使命として行ってまいります。聖書への道筋を、主への道筋を、一人でも多くの子供が見つけられますように。

  • あやこ
    Posted at 08:11h, 03 10月

    「子供の頃から培ってきた読解力は、聖書を読む為のものであったと益々強く感じております。」
    です。失礼致しました。

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