RAPT | 教皇派=太陰暦=月の王国。天皇派=太陽暦=太陽の王国。世界の構造がますますシンプルに見えてきました。
教皇派 太陰暦 月の王国 天皇派 太陽暦 太陽の王国  
20005
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教皇派=太陰暦=月の王国。天皇派=太陽暦=太陽の王国。世界の構造がますますシンプルに見えてきました。

教皇派=太陰暦=月の王国。天皇派=太陽暦=太陽の王国。世界の構造がますますシンプルに見えてきました。

 

これまで私はこのブログの中で、悪魔崇拝者たちが「天皇派」と「教皇派」の二つの勢力に分かれて争っているとさんざんお話してきましたが、昨日はさらに、悪魔崇拝者たちが古代バビロニアの時代から二つの勢力に分かれて争っていた可能性があるというお話をしました。
 
徳川家の信じる北斗七星と天皇家の信じるオリオン座。「天皇派」と「教皇派」の戦いは古代から既に始まっていました。
 
最初のうち、彼らの争いは田布施一族の一人・大室虎之祐が天皇として担ぎ出された後、つまり明治維新から後に始まったものと考えていたわけですが、徳川家康もまた悪魔崇拝者である可能性が高いと分かり、実は彼らの戦いが江戸時代から既に始まっていたのではないかという疑いが生じてきました。
 
徳川家康が、かの有名な悪魔崇拝者・エリザベス女王から武器を支援してもらい、そのお陰で「関ヶ原の戦い」に勝利していたことが分かったからです。
 
地下鉄丸の内線とGHQと徳川家康とエリザベス女王とイエズス会の奇妙なつながり。東京の地下には教皇派の秘密施設も眠っている。
 
そして、この徳川家と天皇家はまさに犬猿の仲。したがって、悪魔崇拝者たちの勢力争いは江戸時代から始まっていた可能性が出てきたわけですが、昨日の調べで、さらにその戦いが古代バビロニアの時代から既に始まっていたということが分かってきました。
 
で、このことが分かった時点で、私はある有名陰謀論者の話をふと思い出しました。我々の知っている有史以前の時代には、この世界が「太陽の王国」と「月の王国」という二つの勢力に分かれていた、という話を。
 
しかも私は、昨日の記事を書いた時点で、この話が確たる真実であるとすぐに確信するに至りました。もちろん、これにははっきりとした根拠があります。今日はその根拠についてご説明したいと思います。
 
皆さんは、「太陽の王国」「月の王国」と聞いて、どんな国を連想するでしょうか。恐らく「太陽の国」は太陽を神として崇める国、と連想されるのではないでしょうか。そして、それはきっと正しい想像だろうと思います。
 
何しろ、天皇はもともと古代エジプトに住んでいて、その古代エジプトは「太陽信仰」の国でしたからね。
 
となると、一方の「月の王国」は月を神として崇める国だったと連想することができます。そして、これも恐らくは間違った想像ではないでしょう。
 
しかしながら、彼らが本気で太陽や月を神として崇めていたかというと、決してそんなことはないはずです。彼らが崇めていたのは「悪魔」であって、彼らがそれ以外のものを神として崇めることなど絶対にあり得ないからです。
 
なのに、なぜ彼らは自分たちの国のことをそれぞれ「太陽の王国」「月の王国」と呼び合っていたのでしょうか。悪魔を崇めていることを隠すために、表向き、そんな名前で呼び合っていただけなのでしょうか。
 
私はこのことをずっと疑問に感じていたのですが、古代バビロニアと古代イスラエルの悪魔崇拝者とが争い合っていたと分かったとき、この謎が一気に氷解していったのです。
 
皆さんは「太陰暦」「太陽暦」というものをご存じですか。
 
「太陰暦」とは月の満ち欠け(朔望)をもとにして作られた暦で、「太陽暦」とは太陽の運行をもとにして作られた暦です。
 
そして、古代バビロニアでは「太陰暦」が採用されていました。
 
一方、天皇家がもともと住んでいた古代エジプトでは「太陽暦」が採用されていました。というか、「太陽暦」は古代エジプトこそが発祥の地とされています。
 
そうです。「月の王国」とはまさに月を重視した「太陰暦」の国、そして「太陽の王国」とはまさに太陽を重視した「太陽暦」の国のことを指していたのです。
 
本当にそうだろうか、と疑う方もいらっしゃるでしょう。この世の中はそんな単純なものなのだろうか、と。
 
その疑いを晴らすためには多くの説明を要します。ですから、今日一日で全てを語り尽くすことはできません。今日は先ずその一端だけをお話します。
 
正確に言うと、古代バビロニアでは「太陰暦」ではなく「太陰太陽暦」というものが採用されていました。
 
バビロニア暦 – Wikipedia
 
「太陰太陽暦」とは、月の満ち欠けだけではなく、太陽の動きも計算に入れて作られた暦です。月の満ち欠けだけで暦を作ると、春が秋になったり、夏が冬になったりと、色々と不便が生じるため、どうしても太陽の動きも計算に入れて暦を作り直さなければならなかったようです。
 
太陰太陽暦 – Wikipedia
 
しかし、この「太陰太陽暦」が太陽ではなく、あくまで月を重視していることには変わりがありませんし、月だけではなく、太陽の動きも計算に入れて暦を作り直した、というところが実はとても重要なところなのです。しかし、それについてはまた後日、ご説明します。
 
一方の「太陽暦」ですが、これも正確に言うと、太陽の動きを観測して作られた暦ではありません。これはシリウスという恒星の動きをもとに作られた暦です。しかし、太陽の動きと大いに関わりがあるので、「太陽暦」という名前がつけられたようです。
 
そして、これまたこのシリウスという星がとんでもないくせ者なのです。以下、「ウィキペディア」からの抜粋です。
 
----------------
 
シリウス (Sirius) は、おおいぬ座α星、おおいぬ座で最も明るい恒星で全天21の1等星の1つ。
 
太陽を除けば地球上から見える最も明るい恒星である。オリオン座のベテルギウス、こいぬ座のプロキオンともに、冬の大三角を形成している。冬のダイヤモンドを形成する恒星の1つでもある。
 
(中略)
 
なお、古代エジプトでは、ナイル川の氾濫時期を知らせてくれる星として、非常に重要な働きをしていた(エジプト神話・ナイル川およびソプデトを参照の事)。
 
----------------
 
この記事に書かれてある通り、シリウスは「オリオン座」からとても近い位置にあります。「オリオン座」とはまさに「天皇派」ですね。
 
で、このシリウスは「おおいぬ座」を形成する一つの星であり、その星の中でも最も明るい星とされています。ですから、オリオン座から最も近いところで最も明るい星を見たら、それがシリウスであると考えればいいわけです。
 
おおいぬ座の探し方|星座を見つけよう
 
で、この「シリウス」と「オリオン座」とを使って「冬の大三角」なるものが作られているというのですが、その「冬の大三角」が以下になります。
 
img_0
 
勘のいい人は「大三角」と聞いて、すぐにエジプトの大ピラミッドを思い出すでしょう。そうです。彼らが巨大なピラミッドを作ったのは、きっとこの「冬の大三角」と何か大きな関係があるに違いありません。
 
天皇家が「オリオン座」を信仰するのには、こういったところにその根源がありそうです。あるいは、彼らが本当に信仰しているのは「オリオン座」ではなく、もしかしたら「シリウス」なのかも知れません。
 
ちなみに、エジプトにあるスフィンクス、日本の神社にあるこま犬は、この「おおいぬ座」と「こいぬ座」と何か関係があるに違いありません。というか、絶対にありますね、これは。
 
一方の徳川家康は「教皇派」であったわけですから、「月の王国」の住人であり、「太陰暦」を重んじていたということになります。実際に、江戸時代では「太陰暦」が採用されていましたよね(!!)。
 
我々はこれを「旧暦」と呼んだりもしますが、江戸時代に「太陰暦」が採用されていたのは、徳川家が何の考えもなしにやっていたことではなかったというわけです。実は徳川家にとって「太陰暦」はとても重要な意味を持っていたのです。
 
しかし、明治になり、徳川家の支配が終わったとたん、明治政府(つまり天皇家と田布施一味)はいきなり「太陰暦」を廃止し、「太陽暦」を採用しました。正確に言うと「ユリウス歴」ですが、「ユリウス歴」は「太陽暦」をもとに作られた暦です。
 
ユリウス暦 – Wikipedia
 
国民もこの政府の方針転換にはかなり戸惑ったと思います。何しろ、急に日付が一ヶ月ぐらい変わってしまうわけですから。
 
だから、どうして政府は急にこんなことをしたのか、と多くの国民が不満に思ったはずです。そこで政府は、「これからは国際化の時代であり、西洋に倣うことにした」と説明したようですが、それなら最初から現在使われているグレゴリオ歴を採用すればよかったようなものです。
 
どうして彼らはグレゴリオ暦ではなく、ユリウス歴を採用したのでしょうか。一応、これについても世間一般では「世界ではユリウス歴が使われている」と明治政府が勘違いしてしまった、などと説明されているようですが、まあ、そんなわけがないでしょうね。
 
太陽暦と太陰暦って、日付のズレ意外に何が違うの??たしか中国などでは、いまが… – Yahoo!知恵袋
 
何しろ、明治政府(つまり天皇家と田布施一族)は、西洋人であるロスチャイルドとグルになって明治維新を起こしたのです。(詳しくは以下のリンクをご覧ください。)
 
日本が朝鮮人に支配されているという証拠。「田布施システム」こそが朝鮮人と金融ユダヤによる日本支配の始まり。
 
ですから、明治政府は西洋について詳しく知っていたはずですし、こんな勘違いをするわけがありません。彼らは確信犯的に「太陽暦」に近い「ユリウス歴」を採用したに違いないのです。
 
彼らはどうしても「太陽暦」を使いたかったのです。どうしても「太陽暦」を我々国民に押しつけたかったのです。
 
しかし、いざ「ユリウス歴」を使ってみると、生活にあれこれと不便が生じるようになったので、慌ててグレゴリオ歴を採用することにした、というのが歴史の真実ではないでしょうか。
 
こうして見てみると、「天皇派」が「太陽暦」を重んじ、かつては「太陽の王国」の住民であったということ、「教皇派」が「太陰暦」を重んじ、かつては「月の王国」の住民であったということが、ほぼ間違いない事実であるということがお分かりいただけると思います。
 
なお、お隣の韓国はいまや「教皇派」に支配され、経済はロックフェラー、宗教はバチカンに牛耳られていますが、そのせいか未だに「旧暦」すなわち「太陰暦」で正月や誕生日などがお祝いされているようです。
 
旧暦 – 韓国語 – 教えて!goo
 
この辺のことは「月の王国」とどこまで関係があるのか分かりませんが、少なくとも、全く関係がない、ということはないでしょうね。
 
明日はこの「月と王国」と「太陽の王国」について、さらに深く踏み込んでお話したいと思います。まさに驚天動地の真実が明らかになります。
 
ちなみに、「太陰暦」「太陰太陽暦」「太陽暦」については、以下のサイトで詳しく分かりやすく解説されています。
 
月暦 太陰太陽暦
 
また、現在、世界で採用されているグレゴリオ歴については以下のウィキペディアの記事が参考になります。
 
グレゴリオ暦 – Wikipedia
 

6 Comments
  • yoshi yamaguchi
    Posted at 19:23h, 20 1月

    こんばんは、シリウスと言えば、イシス信仰。黒いマリア。。
    今のマリア信仰に繋がっています。。教皇側がこっちならしっくりきます。
    何か、まだカラクリがあるかも知れませんね。

  • rapt
    Posted at 19:36h, 20 1月

    >yoshi yamaguchiさん。
    シリウスがイシスで、イシスが黒いマリアというネット上の情報も鵜吞みにはできません。
    余りそういう情報も見かけませんが……。
    というか、黒いマリアというのはルシファーの妻「リリト」のことだと思いますね。
    その「リリト」をエジプトでは「イシス」という風に表したわけです。
    バビロンでもまた悪魔の女「リリト」は同じように崇められていましたので、それがやがて黒いマリアということになったのではないでしょうか。
    ルシファーに本当に妻がいるのかどうかは分かりませんが……。

  • rapt
    Posted at 19:43h, 20 1月

    ちなみに、エジプトでもバビロンでも、残された神話はほぼ同一です。
    三位一体の神が存在します。
    「ミトラ教」もバビロンですね。
    バビロンでは「イシュタル」とか「イナンナ」などの女神が存在します。
    「リリト」もバビロンですね。
    これがやがて教皇派の中ではマリア信仰につながっていったと思いますよ。

    http://www16.tok2.com/home/wolfman/mcr/mokuji_sh.htm
     
    日本ではこの女神が「天照大神」になったのかも知れません。
     
    明日、お話すると思いますが、「天皇派」と「教皇派」はもともと同じ一つの勢力です。
    それがやがて二つに分裂したことは恐らく間違いありません。
    ですから、彼らの悪魔の教義はどちらも同じです。
    しかし、どこかで意見が対立するようになったか、権力争い、領土争いでも起こすことになったかで、二つに分裂したと考えられます。
    しかし、彼らの教義は今でも同じはずです。

  • yoshi yamaguchi
    Posted at 20:16h, 20 1月

    >RAPTさん
    こんばんは、二つの勢力には共通するところもあるのですね。
    同じ宗教が時とともに教義の考え方の違いなどで分裂争いするのと同じですね。
    この辺を整理すしていけば、彼らの尻尾もつかめそうですね!

  • アモリフェラ
    Posted at 22:18h, 20 1月

    こんばんは。お話がどこへ向かうのか楽しみです。私の推理は三角形です。正三角形は内角の和が、60度+60度+60度ですから、悪魔の数字666が隠れています。笑 それと、占星術では、太陽が支配者、月が民衆ですので、天皇家の方が偉いのだろうと思いました。徳川を押しのけてNWO樹立、月の徳川家はそれに付き従うとか、そんな事を想像しました。
    とにかく、天皇様が関西に行かれたら、関東は脱出しないとまずい、などと今から思ってます。うちの者達は、頭のおかしい嫁と思っているだけですが、本気です私は。笑 更新ありがとうございます。

  • yoshi yamaguchi
    Posted at 01:21h, 21 1月

    バビロンについて調べてたら
    アベルを殺したカインの一族と
    ノアに呪われたカナン一族が交わって悪魔崇拝を始めたと
    ちょっと興味深いものを見つけました。信憑性はちょっと保証できませんが。
    彼らはのちにフェニキア人、ベニスの商人、黒い貴族としてヨーロッパ、バチカンを支配し今に至ると。。
    人間が悪魔崇拝を始め出したきっかけは何なのか?その起源はなどなど。。
    バビロニア・タルムードにある「カナンの遺言」など
    バビロンには、色々な秘密が眠っていそうですね。
    古代世界の七不思議なども何か鍵がありそうです。

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