RAPT | 「日ユ同祖論」は疑うまでもない事実です。だからといって、日本人が偉いとも悪いとも言えません。
日ユ同祖論 悪魔崇拝 金融ユダヤ 日本人 先祖
16401
post-template-default,single,single-post,postid-16401,single-format-standard,ajax_fade,page_not_loaded,,side_area_uncovered_from_content,qode-theme-ver-11.2,qode-theme-bridge,wpb-js-composer js-comp-ver-4.3.5,vc_responsive
 

「日ユ同祖論」は疑うまでもない事実です。だからといって、日本人が偉いとも悪いとも言えません。

「日ユ同祖論」は疑うまでもない事実です。だからといって、日本人が偉いとも悪いとも言えません。

 

この数日間ずっとある方からいただいた質問にお答えしていますが、今日は最後の四つ目の質問にお答えします。「日ユ同祖論はかなり信憑性が高いと思いますが、もし私たち日本人の先祖がユダヤ人であったとしても、あなたは今のようにユダヤ人を責めることができますか」
 
私はかつて「日ユ同祖論」に随分とハマった時期がありました。今からもう十年以上も前のことです。
 
当時はまだネットも余り普及していませんでしたから、ちょくちょく本屋に足を運んで「日ユ同祖論」関連の本を読みあさっていました。ですから、この「日ユ同祖論」は私にとって一つの十八番(おはこ)です。
 
しかし、そうやって沢山の「日ユ同祖論」の本を読んで私が出した結論は、「十分にあり得ることじゃないか」ということでした。
 
今の時代は国家という概念がきちんと出来上がり、それぞれの国境線もきちんと引かれています。だから、パスポートなしではどの国にも入ることができません。しかし、紀元前の時代には国境もなくパスポートもありませんから、一つの民族がイスラエルから日本まで渡り歩いてきたとしても何ら不思議ではありません。
 
もちろん、車も飛行機もない時代にあれだけの長い距離を移動するのは大変だったでしょうが、別に一代であれだけの距離を移動したわけではなく、いくつもの世代を経ながら少しずつ移動していったわけでしょう。
 
それで、より理想的な地を探し求めているうちに、朝鮮半島に辿り着き、その一部が海を渡って日本までやってきた、というわけです。
 
e0171614_1345756
 
イスラエルから直接、海を渡って日本までやってきたという説を唱える人もいるようですが、まあ、その話にはちょっと無理があるかな、という気もします。
 
韓国や中国の嫌いな日本人が、日本人と朝鮮人・中国人の先祖が同じと考えたくないばかりに、無理やりそんな説を唱えているのではないかという気がしないでもありません。
 
もっとも、絶対にその説があり得ないとは言いきれません。海流にきちんとのりさえすれば、一応、イスラエルから日本に航海してくることも可能ではないみたいですから……。
 
でも、きちんとした航海図もないのに海に出て行って、遠くの土地まで行ってみよう、なんてことを紀元前の人たちが考えつくかどうか疑問です。例え考えついたとしても、そんなに長い時間をかけて海を渡れるような技術があったとも思えません。なので、大陸移動説の方がより強い信憑性があるように感じます。
 
ということで、私も一応は「日ユ同祖論」を信じています。というか、これはどこからどう考えても本当でしょう。沢山の本を読みあさりましたが、読めば読むほど信憑性を強く感じました。「日ユ同祖論」については、以下のリンクをご参照ください。ほとんど全ての説が簡単に分かりやすく網羅されていて面白いです。
 
【都市伝説】日本人ユダヤ同祖論【ルーツ】 – NAVER まとめ
 
じゃあ、日本人にはユダヤ人の血が流れていると認めるのか、というと、別に認めてもいいと思います。しかし、だからといって、日本人に金融ユダヤと同じ血が流れているかどうかとなると、これはやや微妙なところです。
 
もっとも、日本人には金融ユダヤと全く違う血が流れているとはっきりと断言することはできません。客観的に考えると、その可能性も捨てきれないと思うからです。非常に悲しいことではありますが……。
 
これについて少し詳しく説明しましょう。
 
ユダヤ人というのはどこか一つの民族のことを指して言う言葉ではありません。ユダヤ民族という民族はこの世のどこにも存在しません。ユダヤ人とはつまりユダヤ教を信じる人のことで、ユダヤ教徒のことを言います。民族として彼らを区分する場合には、イスラエル民族と呼ばなければなりません。
 
しかし、金融ユダヤはユダヤ教など信じてはいませんし、本物のイスラエル民族でもありません。ユダヤ教はヤハウェという神を信じる宗教ですが、金融ユダヤは神様ヤハウェではなく、悪魔ルシファーを拝んでいます。ですから、彼らはユダヤ教徒を騙る「悪魔崇拝者」なのです。
 
ですから、金融ユダヤは本物のユダヤ人ではありません。偽物のユダヤ人です。しかし、本物のユダヤ人の中にはたくさんの悪魔崇拝者たちが混じって生活してしまいました。これもまた確かな事実です。
 
したがって、もし私たちに本当にユダヤ人の血が流れているとしたら、純粋なユダヤ教徒の血が流れているのか、悪魔崇拝者の血が流れているのかはっきりと区別することはできません。となると、我々日本人にも金融ユダヤと同じ血が流れている可能性はなきにしもあらずなのです。何しろ、金融ユダヤには悪魔崇拝者の血が色濃く流れているわけですから。
 
では、いつの時代にユダヤ教徒の中に悪魔崇拝者の血がそんなに混じってしまったのか。私個人としては、古代エジプト王朝の時代に最も混血が進んだのではないかと推測しています。
 
実はイスラエル民族は、この古代エジプト王朝で400年もの間、奴隷としてこき使われていた時期がありました。
 
古代エジプト王朝は、巨大なピラミッドをいくつも建造しましたが、ピラミッドがフリーメーソンの象徴であることは皆さんもご存知の通りです。で、三角ピラミッドに一つ目のマークですが、これは正確に言うとフリーメーソンのマークではなく、悪魔崇拝のマークです。詳しくは以下のリンクをご覧ください。
 
フリーメーソンのマークは1万年以上も前から存在した。「ホルスの目」に隠された悪魔の真相。
 
この悪魔のシンボルであるピラミッドをあれだけ壮大にいくつも作り上げた古代エジプト王朝は、まさに悪魔崇拝が最も大きく栄えた時代だったと考えて間違いありません。エジプトで流行った宗教は「太陽信仰」ですが、この「太陽信仰」はすなわち「悪魔崇拝」のことを意味します。
 
で、この古代エジプト王朝の時代、イスラエル民族は400年という長い間、奴隷としてこき使われていたわけですが、その間に悪魔崇拝者とイスラエル民族の血が混じっていった可能性が高いです。
 
しかし、イスラエル民族はエジプトでの奴隷生活があまりに苦しかったために、いつも神様に助けてくださいと呼び求めていました。その結果、神様が彼らの祈りを聞き入れ、モーセを遣わして彼らをエジプトから脱出させることにしたわけですが、これがかの有名な「出エジプト」です。
 
ところが、モーセが必死の思いでイスラエル民族を救おうとしたにもかかわらず、イスラエル民族はエジプトから脱出したとたん、ぶつぶつとモーセに文句ばかりを言いました。挙げ句の果てには、神様の掟を破って、淫行にふけったり偶像崇拝にふけったりもしました。モーセの律法では、淫行や偶像崇拝は最も大きな罪とされています。
 
さらには、モーセの兄であったアロンまでもが、イスラエル民族に命じて金の子牛の象を作り、それを皆に拝ませたりもしました。わざわざ金を鋳造して子牛の象を作るなんて、相当な手間だったと思いますが、なぜそこまでして神様の掟を破る必要があったのか……。
 
やはりこのとき既に大量の悪魔崇拝者たちの血がイスラエル民族の血の中に混じっていたということです。血も混じると同時に、思想や考え方も混じっていたのでしょう。でなければ、イスラエル民族があれほど神様にあからさまに反逆するとは思えません。
 
しかも、このイスラエル民族はその後もずっと神様に逆らってばかりでした。何か事ある毎に偶像を作って拝み、神様を激怒させたのです。まさに今のカトリックと同じですね。
 
聖書の中にははっきりと偶像を作って拝むなと書かれてあるのに、カトリックの教会に行けば、必ずイエスやマリアの像があって、それを拝むようになっている。
 
あんな像をわざわざ造る方が大変だと思うのですが、わざわざそれを作って拝ませるというのは実におかしな話で、私はずっとカトリックは変だな、と大きな疑念を抱いていたのですが、バチカンに多くの悪魔崇拝者が集い、悪魔を拝んでいると知って、「やはりそうか」と思わず納得してしまいました。
 
一応、ダビデとソロモンがイスラエルの王様になった時代だけは、すべての偶像を排斥し、神様ヤハウェを拝み、イスラエル民族は大いに神様からの祝福を受けて繁栄しましたが、そのソロモンですら、最終的には神様を拝むのをやめ、異邦の女たちをめとり、その女たちの拝む神々を拝むようになりました。例のごとく偶像を作りまくったわけです。
 
恐らくこの異邦の女たちも、悪魔崇拝者の手先だったのでしょう。ソロモンを誘惑して罠にはめ、イスラエルを堕落させようとしたわけです。この影響で、ソロモンはその後、悪魔崇拝の象徴みたいな存在と言われるようになったのかも知れません。
 
で、神様がこの有様を見て激怒し、イスラエルを二つの国(北イスラエルと南ユダ)に分断してしまいました。しかし、その後も、北イスラエルでは王様が代々に渡って偶像ばかりを拝み、神様がこれを見て激怒。アッシリアを送って北イスラエルを徹底的に討ち滅ぼしました。
 
一方、南ユダでは比較的、神様に従順な王様が次々と現れましたが、結局、最終的にはとんでもない悪い王様が現れて、神様の心を逆なでし、バビロンという大国に民族ごと捕囚されてしまいます。これが有名な「バビロン捕囚」ですね。
 
で、このアッシリアやバビロンにイスラエル民族が徹底的に叩きのめされたときに、イスラエル民族のうちの何人かが難を逃れようと、イスラエルから別の地へと旅立ち、やがて日本に流れ着いた……というのが「日ユ同祖論」の始まりなのですが……。
 
仮に、もしアッシリアやバビロンから難を逃れた人たちが日本にやってきたというのなら、日本人にも悪魔崇拝者の血が混じっている可能性はきわめて高いと考えられます。何しろ、彼らは悪魔崇拝者と同じようなひどい悪行をして神に裁かれてしまったわけですから。
 
この当時、彼らが行った悪行は、旧約聖書に詳しく書かれてありますが、相当にひどいものです。父親が子供の肉を食べたり、子供が父親の肉を食べたりと、まさに非道の限りを尽くしています。それだけ悪魔崇拝者が入り混じっていたという証左に他なりません。
 
実際、この日本に「太陽信仰」の象徴とされる「菊の御紋」があちこちに見受けられるところを見ると、この日本に悪魔崇拝者たちが流れ着いた可能性は大いに考えられます。第一、アークを真似て作ったとされるお神輿も、まるで神様のように奉られ、拝まれていますが、これは明らかな偶像崇拝であり、ユダヤ教の教理から見れば罪にあたります。
 
したがって、御神輿を担いで回るというのは、悪魔崇拝の流れをくんだ伝統という可能性もなきにしもあらずなのです。
 
しかし、だからといって、それで落胆する必要は全くありません。私たちに正統的なユダヤ人の血が流れていたとしても、悪魔崇拝者たちの血が流れていたとしても、そんなことは私たちにとって何の関係もないことだからです。先祖がどんな偉人であれ、どんな罪人であれ、我々がどう生きるかで、我々自身の価値は決まってくるのですから。
 
聖書にもはっきりとそう書かれてあります。
 
(以下、旧約聖書エゼキエル書18章より転載)
 
主の言葉がわたしに臨んだ、 「あなたがたがイスラエルの地について、このことわざを用い、『父たちが、酢いぶどうを食べたので子供たちの歯がうく』というのはどんなわけか。 主なる神は言われる、わたしは生きている、あなたがたは再びイスラエルでこのことわざを用いることはない。見よ、すべての魂はわたしのものである。父の魂も子の魂もわたしのものである。罪を犯した魂は必ず死ぬ。
 

人がもし正しくあって、公道と正義とを行い、 山の上で食事をせず、また目をあげてイスラエルの家の偶像を仰がず、隣り人の妻を犯さず、汚れの時にある女に近づかず、 だれをもしえたげず、質物を返し、決して奪わず、食物を飢えた者に与え、裸の者に衣服を着せ、 利息や高利をとって貸さず、手をひいて悪を行わず、人と人との間に真実のさばきを行い、 わたしの定めに歩み、わたしのおきてを忠実に守るならば、彼は正しい人である。彼は必ず生きることができると、主なる神は言われる。

 
しかし彼が子を生み、その子が荒い者で、人の血を流し、これらの義務の一つをも行わず、かえって山の上で食事をし、隣り人の妻を犯し、乏しい者や貧しい者をしえたげ、物を奪い、質物を返さず、目をあげて偶像を仰ぎ、憎むべき事をおこない、利息や高利をとって貸すならば、その子は生きるであろうか。彼は生きることはできない。彼はこれらの憎むべき事をしたので、必ず死に、その血は彼自身に帰する。
 
しかし彼が子を生み、その子が父の行ったすべての罪を見て、恐れ、そのようなことを行わず、 山の上で食事せず、目をあげてイスラエルの家の偶像を仰がず、隣り人の妻を犯さず、 だれをもしえたげず、質物をひき留めず、物を奪わず、かえって自分の食物を飢えた者に与え、裸の者に衣服を着せ、その手をひいて悪を行わず、利息や高利をとらず、わたしのおきてを行い、わたしの定めに歩むならば、彼はその父の悪のために死なず、必ず生きる。 しかしその父は人をかすめ、その兄弟の物を奪い、その民の中で良くない事を行ったゆえ、見よ、彼はその悪のために死ぬ。
 
しかしあなたがたは、『なぜ、子は父の悪を負わないのか』と言う。子は公道と正義とを行い、わたしのすべての定めを守っておこなったので、必ず生きるのである。罪を犯す魂は死ぬ。子は父の悪を負わない。父は子の悪を負わない。義人の義はその人に帰し、悪人の悪はその人に帰する。
 
しかし、悪人がもしその行ったもろもろの罪を離れ、わたしのすべての定めを守り、公道と正義とを行うならば、彼は必ず生きる。死ぬことはない。その犯したもろもろのとがは、彼に対して覚えられない。彼はそのなした正しい事のために生きる。主なる神は言われる、わたしは悪人の死を好むであろうか。むしろ彼がそのおこないを離れて生きることを好んでいるではないか。しかし義人がもしその義を離れて悪を行い、悪人のなすもろもろの憎むべき事を行うならば、生きるであろうか。彼が行ったもろもろの正しい事は覚えられない。彼はその犯したとがと、その犯した罪とのために死ぬ。
 
(転載ここまで)
 
この文章を書いたのはエゼキエルという預言者です。彼は「バビロン捕囚」の時代に現れました。そして、先ほども書いた通り、この時代には父親が子供を食べたり、子供が父親を食べたり、といったとてつもない悪事が平気で行われていました。
 
このエゼキエル書にもそういったことが詳しく書かれてあります。それだけイスラエル民族に悪魔崇拝者たちが混じっていたという証拠です。
 
にもかかわらず、神様はエゼキエルを通してこう言ったわけです。「子供が正しいことを行うなら、父の悪行の責任は問われない」と。つまり、人間の値打ちは父親(先祖)がどんな人間だったかで決まるわけではないということです。ただ本人がどんな行いをするかで本人の値打ちが決まるのです。
 
したがって、「日ユ同祖論」が本当であれ嘘であれ、そんなことは我々には全く何の関係もないことです。
 
ちなみに、お隣の韓国ではバビロン捕囚よりもずっと前の時代(サムソンという人が現れた時代)に「ダン」という一部族がイスラエルから朝鮮半島にまで渡ってきたという説もあるようです。聖書学的に見ると、この説の信憑性もかなり高そうです。というのも、この「ダン」という部族は、聖書から途中で全く登場しなくなってしまうからです。日本ではこの説は余り話題にされていないようですが……。
 
しかし、もしこの「ダン」が日本にまで渡ってきたというのなら、日本人にもきわめて純粋なユダヤの血が流れているということになります。
 
しかし、もし仮にこの説が本当だったとしても、そんなことは私たちにとって何の関係もないことです。先祖がどんな偉人だったとしても、我々自身が悪いことばかりするなら、これまた何の意味もないことだからです。
 
あくまで先祖は先祖。自分は自分なのです。
 

2 Comments
  • アモリフェラ
    Posted at 09:15h, 19 10月

    私も日ユ同祖論かなり信じています。日本人もユダヤ人も、一般的にかなり優秀だと思います。ただ神を信じるか悪魔を信じるかの違いで、天と地ほどの違いがあるというわけです。とりわけ、偽ユダヤの人々が、仮に神の側に付いたら、この世は間違いなく天国になると思う。それほど優秀で影響力があるけれども、それは難しいでしょうねえ。笑 ただ同じ優秀さで、日本人は彼らに勝てるかもしれないとも思います。可能性はあるとかんじます。
    ダンという部族、興味深いですね。もしかして自分にもダンの血が流れてたりして……。笑

  • アカチャレ
    Posted at 18:42h, 23 7月

    すごい!めっちゃ分かりやすい!

Post A Comment