14 7月 朝鮮民族の「恨(ハン)」の概念の本質。一言で言うと、自分がうまくいかないことを他人のせいにすること。
ベネッセの個人情報流出事件があり、創価学会のネタについて連日のように記事を書いてきたせいで、ここ最近はずっと創価学会の中にいる確信犯・在日について色々と深く考えるようになりました。
その中でも、特に在日たちの日本に対する「恨(ハン)」の根深さについて深く考えていたのですが、正直なところ、彼らのこの「恨(ハン)」という感情は私たち日本人には非常に理解しにくいものがあります。
もちろん、日本人も誰かのことを恨みに思うことはありますが、韓国人のように何年も同じ人を恨みつづけるということは滅多にありません。長くても一年とか二年ぐらいでしょうか。それ以上、恨みばかり抱えて生きていると、かえって苦痛になりますので、その恨みがましい気持ちを忘れるように努力します。
しかし、韓国人はその感情を何十年と抱きつづけます。下手をすると死ぬまで一生抱きつづけます。これは日本人にはなかなか理解できるものではありません。それを苦だとは思わないのか、それとも単にその感情をコントロールすることができないのか、とにかく日本人にはそんな彼らが異常に見えます。
一応、私にも何人か在日の知り合いがいるのですが、彼らの「恨(ハン)」は異常です。一度、誰かのことを恨みだすと、その感情を密かに長く長く抱えつづけます。見ていて恐ろしいぐらいです。
この「恨(ハン)」という感情についてネットで少し調べてみたのですが、ウェキペディアではこんなややこしいことが書かれていました。余りにややこしいので、少し理解しにくいと思いますが、理解できない部分は無理して理解しようとせず、さらりと受け流せばいいと思います。
(以下、ウェキペディアより転載)
朝鮮民族にとっての「恨」は、単なる恨みや辛みだけでなく、無念さや悲哀や無常観、(虐げる側である優越者に対する)あこがれや妬み、悲惨な境遇からの解放願望など、様々な感情をあらわすものであり、この文化は「恨の文化」とも呼ばれる。
恨の文化は、代々の王権や両班による苛斂誅求を極めた階級的支配に対する民衆の抵抗意識と、漢代の昔より幾度となく半島を襲った中国からの異民族(漢族・モンゴル族・女真族ほか)による侵略・征服で永続的な服従を余儀なくされた国辱、日本(大日本帝国)による植民地統治と併合という、長い抑圧と屈辱の歴史から生まれたもので、内外の圧倒的な力に屈して耐え忍ばざる得なかった朝鮮半島独特の文化である。
また恨の形成の裏には、儒教の教えや習慣が、本来の形を越えた形でエスカレートさせていったことが背景にあったと言われ、それは上位者の下位者に対する苛烈な扱いを正当化する解釈や、下位の者は過酷な立場を受容しなければならないとする解釈になった。
朝鮮の独立が民族運動として失敗して弾圧され、自らの力でなく第二次世界大戦の講和交渉として、頭ごなしに連合軍の力によって達成されたことは、後の世代の「恨」となった。また韓国について言えば、独立後の外圧によって成立した李承晩政権の腐敗した独裁政治、朴正煕の鉄拳統治、さらにそれ以後の軍事政権・光州事件など、内なる弾圧の歴史も「恨」となっている。それで今日得られなかった勝利の代替物として、あるいは抵抗精神の表れとして、例えばスポーツなどにおける日韓戦に必要以上に熱狂したり、与野党の争いや労働組合の労使紛争において激しく激昂して極端に過激な行動をとったりするのである。
(転載ここまで)
さっと読んだだけでは何か高尚なことが書かれているような感じがしますが、なんのことはない。よく読んでみると、ただ単に自分がうまくいかないこと、自分が不幸なこと、自分が辛いこと、自分が悲しいことなどを全て他人のせいにするということです。少なくとも私はそう解釈しました。
日本人の場合、自分がうまくいかないと、すべて自分のせいだ、自分が悪い、自分に実力がないせいだと考えて、いつも自分を責める傾向にあります。だからこそ、昨日の記事にも書いた通り、日本は先進国の中でも極めて自殺率が高いのだと思います。
しかし、韓国人の場合は、自分がうまくいかないと、全てを他人のせいにしてしまうようです。日本ばかりが経済的に発展し、韓国がなかなか発展しなかったのも、韓国が日本に長く占領されていたせいだと言って、日本のせいにしてしまうわけでしょう。
しかし、このように物事を感情だけで判断してしまうと、当然、物事の本質を見誤ってしまい、正確な状況分析はできません。これでは、何かに失敗した際にも、その原因をきちんと把握することができず、ますます成功から遠のいてしまうだけです。だからこそ、余計に恨み辛みが募っていくのです。
私からみると、これは単なる自己矛盾でしかありません。こんな性格を持っていたら、いつまで経っても韓国が発展するはずがありません。
しかも彼らは、他人が成功しているのを見たときも、異様なまでに嫉妬して恨みます。その感情さえも「恨(ハン)」だというなら、これこそ明らかな自己矛盾です。しかも、こんな性格を持っていれば、いずれそれが行動に出てくるのは目に見えています。在日の犯罪がなかなか減らないのは当然の帰結です。
このブログに送られてくる嫌がらせのコメントもほとんどが在日の書いたものばかりです。すぐに在日と分かるものばかりです。日本人の場合、例え誰かが気に入らないブログ記事を書いていたとしても、ただ無視して去っていくだけですが、在日の場合はいちいちそのブログを攻撃しなければ気が済まないようです。
しかし、逆に言うと、日本人はそれだけ特別な性格をもった民族だと言えるのかも知れません。日本人のように自分の失敗を他人のせいにせず、自分のせいにしてしまう民族も珍しいのではないかと思います。
もちろん、その性格のせいで自分を自殺にまで追い込んでしまう可能性が高いわけですから、できればその性格も治した方がいいとは思うのですが、全てを自分のせいにするからこそ、逆に自分を向上させようという気持ちも人一倍強くなり、努力を惜しまずに物事に打ち込む気質も身についていきます。日本が発展したのは、そんな気質ゆえだと私は考えています。
もっとも、日本人の中にも他人のことばかりうじうじと恨む人はいます。しかし、日本の中でそういうことをしていると、周りからひんしゅくを買うだけですので、その人はかえって肩身の狭い思いをするだけです。そういう場合、日本人は真っ先に自分の性格を変えようとしますが、在日はそれすらも自分のせいだとは思わず、日本人のせいだと思って恨みに思うわけでしょう。
しかも、彼らはちょっとでも自分が成功すると、すぐに天狗になって人を見下します。キム・ヨナが浅田真央に勝ったときなどに、その性格が顕著に表れていました。それが余計に日本人の気に触ってしまうわけです。
私としてはできれば彼らと平和共存したいと思うのですが、これは非常に難易度の高いことのような気がします。
在日の方たちと何かトラブルを起こしておられるような方は、彼らのこのような性質をしっかり把握した上で対応された方がいいかと思います。
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