RAPT | カルトとは教団のトップが私腹を肥やす宗教、または組織や団体のことである。
カルト 宗教 私腹を肥やす ブラック企業 悪魔崇拝 身を低くする 自らを犠牲にする
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カルトとは教団のトップが私腹を肥やす宗教、または組織や団体のことである。

カルトとは教団のトップが私腹を肥やす宗教、または組織や団体のことである。

2007_07_05_01 

はっきりと断言します。カルトとは教団のトップが私腹を肥やす宗教のことです。
 
もちろん、これ以外の言葉でカルトを定義することも可能だとは思いますが、敢えて私はこう定義したいと思います。
 
私はこのブログの中で「創価学会」や「統一教会」また「バチカン」「イエズス会」など様々な宗教について糾弾してきました。
 
これらの宗教はもともとは人の心に救いを与え、癒しを与える宗教だったかも知れません。その名残が少しでも残っているからこそ、今でも多くの人々が入信しているのではないかと考えられるからです。
 
しかし、その内部に悪魔崇拝者たち(あるときはCIA、あるときはイルミナティ……その時々によって名前は違うと思います)が入り込み、人の心を救うはずの宗教が人の心を破壊する宗教に変わってしまいました。
 
カルトが恐ろしいと言われるのは、最初に入信したときには心が救われたと感じ、喜びと希望に満たされていたのに、時が経つに連れ、その喜びや希望がじわじわと消えていき、いつのまにか苦痛と不安、恐れと寂しさばかりに囚われるようになっているからです。
 
しかも、その人自身、まさかそれがその宗教のせい、教祖のせい、教団のせいだとは思いもしません。全ては自分のせい、自分の悪いからこそ喜びも希望も消え去ったのだと思い込んでしまうのです。
 
キリスト教の始祖であるイエス・キリストは「人の上に立ちたければ、最も下になりなさい」と人々に教え、自らもまたその言葉を実践しました。
 
しかし、この世のカルトのほとんどは教祖が人の前で王様のように振る舞い、権威を振り回し、偉そうにし、自らを誇示し、自らの私腹を肥やしています。このような宗教は全てカルトであると私は断言します。その教えがどんなに素晴らしいものであろうと、その宗教は決して人を救うことがなく、むしろ人を地獄に突き落としてしまうからです。
 
信者たちから教祖が尊敬されることを悪いことだとは私は思いません。その教祖が真に素晴らしい教えを述べ伝え、それを実践しているならば、むしろ誰からも尊敬されて然るべきでしょう。しかし、もしその教祖が人々からの尊敬を得るために素晴らしい教えを述べ伝え、実践しているのなら、その人はただの偽善者です。強いて言えば、ただの「悪魔」です。
 
とはいえ、人の心の内というのはそう簡単に見抜けるものではありません。だからこそ、多くの人がころりとカルトに騙され、身も心もボロボロにしていくわけでしょう。そうして、命からがらカルトを脱退したり、あるいは騙されたまま一生を台無しにしたりしていくわけです。
 
しかし、これは何も宗教に限られた話ではありません。政治や経済、学問や芸能の世界でも同じだと私は思います。どんな分野においても、真に尊敬すべき人というのは、自らの私腹を肥やす人ではなく、この世のため、全体の益のために働く人のことを言います。
 
しかし、現実にはそのような人は余り多くはありません。むしろ皆無に等しいです。だからこそ、この世の中は不条理と矛盾とが満ち溢れ、多くの人々が苦しみに喘いでいるのです。ある意味、今の世の中はありとあらゆる分野がカルトと化していると言っても過言ではないかも知れません。
 
私はできる限りこの世からそういったカルトがなくなり、逆にこの世の益のため、全体の益のために自らを犠牲にし、自を低くできる人間が現れることを強く希求しています。
 

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