RAPT | RAPT有料記事597(2021年10月11日)集中力のない人は何事も長続きしないので、永遠に神様と愛を成すことができない。そして集中力は、雑念(罪)をなくしてこそ身につくものだ。
55715
post-template-default,single,single-post,postid-55715,single-format-aside,ajax_fade,page_not_loaded,,side_area_uncovered_from_content,qode-theme-ver-13.2,qode-theme-bridge,wpb-js-composer js-comp-ver-4.3.5,vc_responsive
 

RAPT有料記事597(2021年10月11日)集中力のない人は何事も長続きしないので、永遠に神様と愛を成すことができない。そして集中力は、雑念(罪)をなくしてこそ身につくものだ。

RAPT有料記事597(2021年10月11日)集中力のない人は何事も長続きしないので、永遠に神様と愛を成すことができない。そして集中力は、雑念(罪)をなくしてこそ身につくものだ。


 
今回の有料記事も、朝の祈り会で伝えた御言葉の元となった啓示の文章をいくつか掲載しています。
 
以前の御言葉で、神様と愛を成すということは、神様と私たちが互いのために働くことだと話しました。
 
神様が私たちのために働いてくださったとき、私たちは神様の愛を感じて感動しますし、それと同様、私たちが神様のために働いてこそ、神様も私たちの愛を感じて感動なさるからです。
 
しかし、神様のために働くといっても、適当にだらだらと働く者を見て、神様は喜ばれません。
 
どんな仕事にも全力で取り組む人を見て喜ばれます。
 
しかし、自分の中に罪があると、すぐにサタンが寄りついてきてその仕事を邪魔しますし、自分自身も注意が散漫になり、仕事に集中できず、全力で取り組むことができません。
 
そして、集中して仕事に取り組むことのできない人は、どんな仕事をしても長続きしません。
 
私たちは神様と「永遠」に愛を成さなければならないのですから、どんな仕事をしても長続きできないようでは、神様はその人を見て、ご自身と愛を成すに相応しい者とは見なして下さいません。
 
ですから、私たちは徹底的に罪を洗い清め、どんなことも集中して行う者とならなければなりません。
 
そうしてこそ、神様は私たちを永遠に愛を成すに相応しい者と見なしてくださり、私たちを天国に迎え入れてくださるのです。
 

 
なお、我々に対して様々な妨害工作がありましたので、今しばらくの間、有料記事のパスワードは銀行振込のみで販売する形を取らせていただきます。
 
パスワードのご購入は以下のリンクからお願いいたします。
 
朝の祈り会、および有料記事のパスワードのご購入
 
どうぞよろしくお願いいたします。
 

No Comments

Post A Comment