RAPT | RAPT有料記事489(2020年8月10日)主の愛を受けて生きる人は、主が必要なものを全て与えてくださると信頼しているので、本能と欲望の赴くままに生きる必要がない。
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RAPT有料記事489(2020年8月10日)主の愛を受けて生きる人は、主が必要なものを全て与えてくださると信頼しているので、本能と欲望の赴くままに生きる必要がない。

RAPT有料記事489(2020年8月10日)主の愛を受けて生きる人は、主が必要なものを全て与えてくださると信頼しているので、本能と欲望の赴くままに生きる必要がない。


 
今回の有料記事も、朝の祈り会で伝えた御言葉の元となった啓示の文章をいくつか掲載しています。
 
この世の人々は、この世を生きていく上で必要な全てのものを自分の力で手に入れなければならないと思って生きていますし、実際にそれはその通りです。
 
そのため、ある意味、人々は欲望や本能を剥き出しにして生きていかなければならないわけですが、そのような生き方をしているが故に、周りの人々から煙たがられたり、忌み嫌われたりすることが多々あります。
 
ところが、私たち主を愛する義人は、この世を生きていく上で必要なもの全てを主が与えてくださると分かっていますので、全てのものを自力で手に入れようとする必要がありません。
 
私たちはただ主を愛し、主の御心を成していれば、主が私たちに必要な全てのものを与えて下さるし、豊かに祝福を与えてくださるので、この世の人々のように欲望や本能の赴くままに生きる必要がありませんし、むしろ欲望や本能を汚れたものと見なしてどんどん捨てようとさえしています。
 
このように、主を知り、主の愛を知って生きることで、私たち人間の人生は180度生まれ変わります。
 
欲望や本能の赴くままに生きても、欲望や本能を満たすことはできずませんし、むしろ自分のその心の汚らわしさ故に自己嫌悪に陥ることすらあります。
 
欲望や本能の赴くままに生きることは、一見すると自由なように見えますが、実際のところは大きな心の重荷です。
 
しかし、私たち主を信じる義人たちは、それら全ての重荷を捨て去って生きることができるので、本当に人生が楽です。
 
主が聖書の中で「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。私の軛は負いやすく、私の荷は軽いからである」と仰って下さっている通りです。
 

 
なお、我々に対して様々な妨害工作がありましたので、今しばらくの間、有料記事のパスワードは銀行振込のみで販売する形を取らせていただきます。
 
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どうぞよろしくお願いいたします。
 

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