RAPT | 今日はオカルト的な観点から悪魔崇拝のお話をします。
12721
post-template-default,single,single-post,postid-12721,single-format-standard,ajax_fade,page_not_loaded,,side_area_uncovered_from_content,qode-theme-ver-13.2,qode-theme-bridge,wpb-js-composer js-comp-ver-4.3.5,vc_responsive
 

今日はオカルト的な観点から悪魔崇拝のお話をします。

今日はオカルト的な観点から悪魔崇拝のお話をします。

Basilica_di_San_Pietro_front_(MM) 

この世の裏社会の仕組みを調べて書く上で、悪魔崇拝はどうしても欠かせない要素であると私はずっと考えていました。
 
そのため、私は昔から悪魔崇拝について調べていたわけですが、残念ながら、悪魔崇拝について本格的に調べて書いておられる方は私以外に日本国内にはほとんどいらっしゃいませんでした。
 
そのため、私がその欠けた知識を補充しようと、自分の調べたことをこのブログに書いてきたわけですが、そのせいか、図らずもこのブログには数々のオカルトマニアの方々が集まってきておられるようです。もちろん、それはそれで有り難いことです。
 
そこで今回は、今までとは少し視点を変えて、オカルト的な観点から悪魔崇拝について私が調べてきたことをお話したいと思います。
 
先日、魔術の仕組みについて簡単にお話をさせていただきましたが、魔術というものは、結局のところ、魔術を行う人自身が持っている力ではなく、その人に取り憑いている悪魔や悪霊の力によって起きる現象です。
 
例えば魔術師がAという人のことを呪ったとき、魔術師に取り憑いた悪魔や悪霊が代わりにAという人のところに行って何か悪さをし、その人を不幸のどん底に突き落としたりするわけです。魔術師のほとんどがこのことを自覚せずに魔術を行っているのかも知れませんが……。
 
しかしながら、魔術師がその悪魔・悪霊をいつも自分の思い通りに操れるわけではありません。なぜなら、悪魔や悪霊(この先はまとめて「霊」と呼ぶことにします。)にも人間と同じような自由意志があるからです。彼らも操り人形ではありません。
 
もし魔術師がその霊を少しでも自分の思い通りに操りたいと思うなら、その霊がやってほしいと思うことを先にやってあげなければなりません。人間関係と同じく、ギブアンドテイクが成立しないことには霊だってその人の言うことを聞いてはくれないのです。
 
しかし、魔術師がその霊の声を聞くことができるなら、その霊が何をしてほしいと思っているのかを知ることができますが、霊の声を聞けないなら、それはいつまで経っても不可能です。
 
しかし、悪魔崇拝を中心的に行っているような者たちは間違いなくその声を聞いているはずです。その中心的な人物とは、バチカンの教皇庁やイエズス会の人間です。(噂によると、現在はイエズス会のピーター・ハンス・コルベンバックという人物が悪魔崇拝者のトップだと言われています。)
 
666C

〈ピーター・ハンス・コルベンバック〉

 
悪魔崇拝者たちが、幼児を虐待・虐殺するのは、それを悪魔が願っているからです。悪魔の願うことを先にやってあげることで、悪魔崇拝者たちは自分たちの願いを悪魔に叶えてもらおうとしているわけです。
 
スカルアンドボーンズと呼ばれる悪魔崇拝の組織は、入団する際に必ず同性同士でセックスをしなければならないと言われていますが、これもまた悪魔がそれを望むからでしょう。また、複数の男女が乱交する儀式もあるとも言われています。これはスタンリー・キューブリックが「アイズ・ワイド・シャット」という映画で暴露しましたが、これによって彼は暗殺されたという噂も流れています。
 
スタンリー・キューブリックは暗殺されたか。
 
このように、悪魔はとにかく人間たちが獣以下の行いをすることを望みます。悪魔は根本的には人間のことが嫌いです。だから、人間を精神的に堕落させて徹底的に卑しめるわけですが、悪魔崇拝者たちはそれを知ってか知らずか、自分たちの願いを叶えてもらうために、悪魔の願いを儀式という形をとって積極的に叶えてあげるのです……それが悪魔崇拝儀式を行う目的です。
 
また、悪魔崇拝者たちがこの世の人々から富を収奪したり、戦争をしたり、殺人ウィルスをばらまいたり、殺人ワクチンを開発したり、農薬や食品添加物まみれの食物で人の健康を破壊したり、ドラッグやポルノを蔓延させて世のモラルを破壊したりするのも、すべては悪魔が願うことだからでしょう。彼らはこれらをただ単にお金儲けのためだけにやっているわけではないのです。
 
それを信じるか信じないかはあなた次第ですが、この点を理解すると、悪魔崇拝者たちのやっていることをもっと正確に理解できるようになります。実際に彼らは、お金儲けだけでは説明のつかない不可解なことを度々行っています。
 
そして、そのようなことを行った見返りとして、悪魔崇拝者たちは大統領になったり、大企業のトップになったり、スーパーリッチになったり、スーパースターになったりと、富や名声、地位や栄華を悪魔から思う存分いただくわけです。
 
結局、悪魔崇拝というものはこのような単純な仕組みの上に成り立ってます。これ以上難しいことは何もありません。実に単純明快です。
 
しかし、アレイスター・クロウリーなど有名な悪魔崇拝者たちは、悪魔崇拝について色々と小難しいことを書いて本にしています。わざと難解な文章を書いて、悪魔崇拝を何かとても高尚なもののように見せかけようとしているのです。
 
内容のないものをわざと複雑に書くことで、自分たちが高尚な考えを持ち、高尚なことを行っているかのように思わせる。そうすることで、自己陶酔に浸り、かつ自尊心を満たそうとしているわけでしょう。
 
この辺は竹中平蔵などがやっていることと同じです。彼もまた単純なことをわざと難解な経済用語を使い、複雑に語って、自分が何か高尚なことを語っているかのように国民に思わせてきました。そうすることで自分に陶酔し、自尊心を満たしているのでしょう。マルクス、ダーウィン、ニーチェなど、嘘の知識を世界にばらまいてきた人たちもこれと全く一緒です。全くもって精神レベルの低い人たちです。
 
とにかく悪魔崇拝者たちは単純なことをわざと小難しく語る傾向にあります。そうすることで物事の本質(核心)が見えないようにし、人々の目をくらませるという目的もあるのでしょう。
 
このように悪魔の持つ知識というものは全く内容がない空っぽなものなので、せめて見かけだけは格好良くしようとする傾向にあるようです。中身のないチンピラが格好だけよく見せようとするのと同じことです。この中身のない空っぽな者たちが、これまでずっとこの世の中を治めてきたので、世の人々はいつまで経っても心が満たされず空虚なままなのです。
 
しかし、私が思うに、悪魔崇拝者たちは悪魔から報償として与えられるものよりも遙かに数多くのものを犠牲にしています。なぜかは分かりませんが、彼らはただ自分を人々に格好良く見せ、自尊心を満たすことだけを目的において生きているかのようです。それだけが自分にとっての幸福であるかのように思い込んでいるかのようです。悪魔からそう洗脳されているのでしょうか。
 
恐らくそうなのでしょう。金の亡者はただお金だけしか自分を幸せにしてくれないと思い込んでいます。だからからこそ金の亡者になるわけですが、本当はその人を幸せにしてくれるものはお金だけではないはずです。しかし、その人にいくらそんな話をしてあげても、その人はその話を信じないし、受け入れてはくれません。自分で自分をそう洗脳しきっているからです。
 
それだけ悪魔崇拝者が知恵のない愚か者たちだという証拠です。彼らの多くは、幼い頃から激しい虐待を受け、精神分裂にかかっている可能性がありますから、仕方がないといえば仕方がないことなのかも知れませんが……。(詳しくは以下のリンクをご覧ください)
 
悪魔崇拝についての幾つかの考察(2)
 
しかし、悪魔崇拝者たちが仮に悪魔(または悪魔崇拝者のトップ)から不要と見なされれば、渡辺喜美のように情け容赦なく切り捨てられてしまいます。それまで得た富も栄誉もすべて失い、何もない地獄のような世界で生きるしかなくなってしまうのです。まさに情け容赦のない冷酷非情な世界です。(これについても面白い(?)エピソードがありますので、ぜひ以下のリンクをご覧になってください。)
 
雲隠れした渡辺喜美「みんなの党」は「666」のオンパレード。金融ユダヤのおまじない、その効果はいかに。
 
その一方で、神を喜ばせて神に自分の願いを叶えてもらうというのが、悪魔ルシファーの敵視するユダヤ教、キリスト教の思想です。悪魔崇拝が限りなく悪を行って悪魔を喜ばせるのとは正反対に、ユダヤ教、キリスト教は限りなく善を行って神を喜ばせようとするわけです。
 
要するに、何を信じて生きるかによって、その考えも行いも全く違ってくるというわけです。それは宗教の世界だけではなく、政治や経済の世界でも同じことだと思います。誰を信じてついていくかによって、人はその考えも行いも変わり、受ける報いも変わってきます。
 
ですから、私たちは悪魔崇拝者が誰なのかを正確に見分け、彼らに騙されないように気を付けなければなりません。悪魔崇拝者は自分の正体を絶対に公にはしませんので、私たちはその人の言動からその正体を見抜いていく必要があります。
 
私もその全てを把握して、このブログに続けて書いていくつもりです。
 

1Comment
  • モダンガエル
    Posted at 08:30h, 31 12月

     rapt さん を通して、この写真のヤカラに行き当たったことは、大げさに言えば天啓でした。本当に有り難うございます。
     人相学を物すものではありませんが、いわゆる、「救われた」「救い与った」顔の、対極の、極悪人の面構え、とみました。
     信仰告白をした本物の方というのは、私の知るところでは、多かれ少なかれ、画家の熊田千佳慕さん(故人)に通じるような面立ちです。熊田さんがクリスチャンかどうかは存じ上げませんが、話としては、絵本の原画で描いたあの緻密な宇宙の神秘に通じる生命の躍動を表現された絵をお売りにはならず、「お金をもらうなんてバチがあたる」と。清貧に徹し、欲から離れる人は、人相が美しくなります。
     なぜこのヤカラが、3.11の首謀者と自ら名乗りながらも、まだ足りない日本を沈めてやる、と言っているのか。オランダのインドネシア支配の目論見を、日本軍が結果的にアジアで阻止することができ、その恨みか、とも思いましたが、それを超えた凄まじき陰謀があったのですね。国際的に暗躍し、誘拐した幼児や児童をいわば「解離性障害」に仕立てていくのを、組織的な狂いにおいて正当化している首謀。周辺を検索していくと身の毛がよだちます。
     騙されないだけでは済まない。悪霊との正面からの戦いを挑まれている rapt さんに、主のご加護が増し加わりますよう、お祈りします。

     「体は殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れるな。」 マタイによる福音書 10章28節

Post A Comment