28 5月 欲望を満たすことではなく、心の平安こそが真の幸せである。
日本民族というのは、他の国の人たちに比べて罪悪感や羞恥心を持ちやすい民族だな、ということを私は強く感じます。
だからこそ、何かあるたびに「すみません」と謝り、何かあるたびに責任をとって任務を降りたりと、外人から見れば異様と映るぐらいに頭が低いわけです。
そんな日本人を見て、自信がないからそうなるのだ、と言う人がいますが、それでは他の国の人たちがみんな自信を持っているのかと言うと、決してそういうわけではなく、単に根拠のないプライドを持っているだけ、というのが実情でしょう。
裏を返せば、日本人がそれだけ根拠のないプライドを持たないという証左です。自分に何らかの実績があり、何らかの才能や能力がない限り、自分で自分を誇りに思うことがないわけです。もちろん、それによって落胆したり、自分を攻めたりするという負の部分があることも確かですが、逆に言うと、それだけ自分を客観的に見ることができるということでもあり、プラスの部分でもあるわけです。
また、日本人が罪悪感や羞恥心を強く持ってしまうのは、それだけ良心が強い証だとも言えるでしょう。良心が強いからこそ、少しでも何かに失敗したり、他人に迷惑をかけたりすると、それだけで強い罪悪感を持ち、羞恥心を抱いてしまうのです。
しかし、これはとても良いことです。日本人がこのような性格を持っているからこそ、平素でも当り前のようにマナーを守ります。だからこそ、街はいつもきれいで安全なのです。
最近、韓国人が当たり前のように整形をしているということが大きな話題になっていますが、日本人は整形することに対して異様なまでに抵抗を感じています。親からもらった自分の身体にメスをあてることに罪悪感や羞恥心を感じるからです。そして、これは人間として当たり前のことだと私は思います。
人が入れ墨をしたがるのは、親との関係性を断ち切りたいという気持ちの表れだ、という話をどこかで聞いたことがあります。それを聞いたとき、確かにその通りかも知れないと納得したものです。親に対して少しでも感謝や愛情の気持ちがあれば、親がくれた自分の身体に自ら傷をつけるようなことはしないでしょう。
しかし、日本人がもともと持っていたこの良心を破壊しようとする動きがあるのも確かな事実です。
かつての日本では、性的な欲望を表に出して生きることは恥ずかしいことだとされていたわけですが、今では性的な欲望を前面に出して生きることが格好いいことであるかのような風潮が出来上がりつつあります。
その結果、多くの若者たちが適当に誰とでもセックスをし、結婚もしないまま子供を産んだりします。しかも、若者はそのことにさして罪悪感を抱くこともなく、むしろ適当な気持ちで「できちゃった婚」をして自らを正当化します。親も親で、子供がそんな醜態をさらしていながらも、決して恥ずかしいと思うことなく、むしろこれで子供を結婚させる口実ができたとばかりに、子供を無理やり結婚させたりします。
富や名誉に対する欲望を前面に出すことも、本当は恥ずべきことだったはずです。しかし、私たちはアメリカ式の資本主義を押しつけられているうちに、いつしか欲望の赴くままに生きることが当たり前のようになってしまいました。そして、欲望を満たすことが人の幸福だという間違った観念に取り憑かれるようになった気がします。
富や名誉にガツガツしたからといって、それで富や名誉が得られるかというと、決してそんなことはありません。むしろ、自分の欲望をきちんと抑えられなければ、ビジネスなどを興しても失敗します。そういう人は目先の利益ばかりを考えがちなので、判断や決断を間違うことが多いからです。
どんなことであれ、自らの欲望を抑えられず、むしろ欲望を剥き出しにして生きるようになると、善悪の判断もまともにできなくなり、正しい分別もできなくなり、多かれ少なかれ、人生を生きていく上で大きな失敗をします。そして、そういう人がこの世の中に増えてくると、いずれ治安や秩序が乱れていきます。そして、人々の心から平安が消えてなくなります。現にこの世の中は、心配と憂いと悩みばかりで満ちているように感じます。
人は欲望を満たすことで幸せになれるわけではありません。多くの人たちがすっかりそう洗脳されているように見受けられますが、それは間違った観念です。第一、あなたが欲しいと思ったものを手に入れたところで、その喜びがどれほど持続したでしょうか。むしろ、今ではその喜びすらすっかり忘れきって生きているのではないでしょうか。
何ら欲望を持たなくても、また何ら欲望が満たされなくても、心を平安に保つことさえできれば、それだけで十分に人は幸せです。少なくとも私はそう思います。もちろん、心の平安を得るということは非常に難しいことなのかも知れませんが、どんなに自分の欲望を満たすことができたとしても、心に平安がなければ、そんな人生はただ空しいばかりです。
第一、誰が一生を不安と悩みに満たされて生きていきたいと願うでしょう。私たちはそろそろアメリカによる洗脳から目覚めなければいけない時が来ているように思います。
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